人はいつだって、まだ見ぬ世界やこれから訪れる未来に想いを馳せて生きるものだ。そして、できることならその未来の中でより良く生きるにはどうしたらいいのか、知りたいと思う。
クリストファー・ノーラン監督の最新作『インターステラー』は、地球の寿命が終わろうとしている近未来を舞台に、新たに人類が生きる星を探しに宇宙へ旅立つ父と、地球に残された娘との感動のストーリー。バットマンを原作にした大ヒットシリーズ『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』の3部作、夢と現実の世界を行き来するサスペンスアクション『インセプション』など、独自の設定で世界を描き常に観客を驚かせてきたノーラン監督が『インターステラー』で描くのは、遥か彼方の宇宙で試される人間の心と愛情。壮大な未知の世界を舞台に、こんなにも人間ドラマを取り入れた作品は彼にとって初めての試みと言えるだろう。そこで、クリストファー・ノーラン監督のファンであり、SF小説『クリュセの魚』『クォンタム・ファミリーズ』の著者である思想家・東浩紀を迎え、その魅力をたっぷり語ってもらった。
※本記事は『インターステラー』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。
僕の魂というか、生き方、実存みたいなものがクリストファー・ノーランと近いのではないか? と思ったんです。
―東さんの評論やSF小説を拝読して、クリストファー・ノーラン監督が描いているテーマや問題意識と近い考えをお持ちなのではないかと思ったんです。
東:僕、もともとノーランの作品がすごく好きなんですよ。1作目の『フォロウィング』だけ見逃しているのですが、『メメント』以降はすべて観ています。
―ノーランのどんなところに惹かれるのでしょう?
東:まず、時間が行ったり来たりする演出が僕好みなんです。あとは知的に計算された緻密なシナリオも素晴らしくて、前作の『インセプション』も時間のズレによる悲劇がよく描かれていましたよね。僕は1971年生まれなのでノーランとほぼ同い年なんです。同世代ということもあってか、分野も規模感も全然違うけれど、どこか共通したSF的感性があるなとずっと思っていて。それで、『インセプション』を観たときに、もしかしてもっと深いところ……僕の魂というか、生き方、実存みたいなものがどこかノーランと近いのではないか? と思ったんです。
―そこまで親和性を感じていらっしゃったとは。そんな中で、今回の『インターステラー』はどうご覧になりましたか?
東:間違いなく好きだろうと思っていたけど、想像以上に良くて……大変感動しました。まず、すごくオーソドックスなことを言えば、これはスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』をノーランがリメイクしたようなものだと思います。モノリス(『2001年宇宙の旅』シリーズに登場する、石柱状の謎の物体)がTARS(ターズ)というちょっと奇抜なロボットになってたり(笑)、随所にオマージュが見られますから。
―SF映画の金字塔的作品を意識していると。
東:そういう意味では、ロバート・ゼメキスの『コンタクト』とも似ていますね。最近の宇宙を舞台にした映画では『ゼロ・グラビティ』が1つの頂点だと思うんですけど、あれは、「今、宇宙に行ったらどうなるか?」というのを物理的な側面からしっかり作り込んだリアル志向な作品。一方で、『インターステラー』はファンタジーなんですよ。
―ファンタジーと言うと?
東:『インターステラー』に描かれている要素は、ハードSFが好きな人間からすると、また違った次元の「思弁的なSF映画」として非常に素晴らしい到達点だと思います。キューブリックやアーサー・C・クラーク(『2001年宇宙の旅』の原作者)の想像力を現代にアップデートさせていて、なおかつ娘と父の物語だったので、個人的にとにかく感動しました。
―ノーランも「初めて父親であることを描いた作品」だと明言しているそうですね。
東:やっぱり。僕も娘がいるのでとってもよく分かります。ただ、家族をテーマにするとなると、今のアメリカ映画って、壊れた家族の絆が回復する話がすごく多い。だからこの映画もその路線で行くのであれば、クーパー(マシュー・マコノヒー演じる、地球を救うために宇宙に飛び立った主人公)とアメリア(アン・ハサウェイ演じる、クーパーと宇宙飛行をともにする生物学者)が一緒に地球に戻ってきて、クーパーの娘と息子と和解するストーリーになるんだけど、さすがはノーラン、そうはならないのがいいですね。徹底して父と娘の二人の関係を描いていて、3か所ぐらい泣きました。
現実レベルでは壊れている家族をどういうふうに別のレベルで解決するのか? というのが芸術の役割であって、そういう意味でこの映画は非常に芸術的なんです。
―ノーラン作品で泣けるというのは今までにない傾向ですよね。
東:一番泣けたのは、父と娘のすれ違いを表現したある場面。僕の娘は9歳で、マーフ(クーパーの娘)は10歳ですから、どうしても重ねてしまいますよね。宇宙に行ってしまった父親のクーパーの想いは、地球に残されたマーフに届いているようで届いてなくて、ずっと一方通行だったメッセージが奇跡によって届く。やっぱり人はそういう物語が好きだし、観ている人の「感情」を呼び起こす演出が素晴らしい。トウモロコシ畑を車で突っ切りながら家族でドローンを追いかける冒頭のシーンとかもすごくいいんですよね……。ああいうところはキューブリックができなかった何かを加えている感じがします。
―具体的にはどんなものでしょう?
東:『2001年宇宙の旅』には家族が出てこないんですよ。人類と宇宙人の話なので、そこに愛やジェンダーは存在しない。クラークやキューブリックの時代は家族の話と宇宙の話をまったく別ものとして扱っていたけど、『2001年宇宙の旅』『コンタクト』そして『インターステラー』の順番で観ると、宇宙に行って戻れなくなることや、逆に戻ってくることを、映画監督がどう考えているのか? ということが、時代の変遷を辿りながら読み取ることができると思います。
―「宇宙」という状況に置かれたときの「人間らしさ」が時代ごとに考察されていて、『インターステラー』には家族という要素が入っている。
東:さっき、アメリカ映画には壊れた家族が回復する物語が多いと言いましたけど、『インターステラー』は最初から全部ぶっ壊れているんです。10歳の女の子を置いて父親が宇宙へ行ったというのは、娘にしてみたら見捨てられたわけで、その事実は何も変わらないんですね。ただ、それが別のレベルで回復しているということが大事なわけで。もしも、見捨てられた女の子がもう一度いい家族を手に入れるハッピーエンドだったとしたら、同じ現実の中で悲劇が起きて回復することになるんだけど、悲劇というのは、現実世界だと往々にして回復しないんですよね。だから、現実レベルでは壊れている家族をどういうふうに別のレベルで解決するのか? というのが、芸術の役割であって、そういう意味でこの映画は非常に芸術的なんです。
『インターステラー』©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.
―面白いですね。
東:昔、『ゲーム的リアリズムの誕生』という新書でライトノベルについて書いたときに、物語の中だけで完結できないことをもっと上位のプレーヤー、たとえば物語を見ている読者がメタ的ポジションで解決するような想像力について言及したんです。『クリュセの魚』という僕の小説はその構造を作品化したようなものですが、今回の『インターステラー』も、まさに近しいものを感じる。だから、このインタビューに呼んでいただけて本当に幸せです。
人間っていうのは頭の中では死者とも会話をするし、若い頃の娘と何十年ぶりに会うこともある。それを描くためにSF的な仕掛けが必要なんです。
―今までのお話からすると、今回は物理学者のキップ・ソーンが製作総指揮に加わり、SF的な仕掛けがそれらしく描かれていますが、そのリアリティーについては……。
東:この映画に関しては、その点はまったく重要じゃないですね。ただ、SF的な仕掛けというのは現実には存在しなくても、人間の想像の中にあるものなんです。そして、SF的な仕掛けを使わないと描けない感覚というのが人間の中に実在していて、それを物語として描こうとしたときにそういう装置が必要なだけで。
―ということは、『インターステラー』はSFという設定をとりながら、実は人間を描いていると。
東:まさに人間ドラマですね。僕が好きな『2001年宇宙の旅』『コンタクト』、そして『インターステラー』で描かれている宇宙の旅は、どれも人間の心を照らし出すための装置として使われている。今回、物理学者を起用したりしてもっともらしくしたのは、現在のハリウッド映画の技術をもってすれば、ある程度リアルにやらなきゃいけないよねっていうことだったのかなと……(笑)。日常の暮らしとは異なる設定によって、人間の中に確かにあるけど、普段は見えていなかった心があぶり出されるわけだからこれでいいんです。
『インターステラー』©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.
―なるほど。
東:クリストファー・ノーランという監督は、完璧に伏線を張って物語を描くことに長けた人のはずなのに、今作に関しては、SF要素のみならずシナリオに関しても、父と娘の話の比重が高くなっていると思うんですね(笑)。たとえば、アメリアというキャラクターをもうちょっと手厚く描けば、けっこう面白い話が展開できるはずなんですけど、全くそれをやらない。もう、父親と娘の話を描きたくてしょうがないって感はあります。でもね、何度も言いますけど、そうまでして描かれた人間ドラマが本当にいいんです。
―いわゆるノーラン節とも言える「時間」の演出を使いつつ、「人間らしさとは何か?」ということを追求していて、非常に人間的な作品ですよね。
東:人間っていうのは記憶を辿ることで時間を越えるわけです。頭の中では死者とも会話をするし、若い頃の娘と何十年ぶりに会うこともある。それを描くためにSF的な仕掛けが必要ということです。
―人間の想像力に勝るものはないという感じがしますね。
東:そうですね。『インターステラー』は父と娘の想いの奇跡を描いているけれど、もしこれが別の監督だったら、すべてはクーパーが見た妄想だったというふうに作っていたかもしれない。それでも話としては成立するし、感動も残ったはずなんです。だからこれは、ノーランのある意味サービスなのかもしれないですね。
―どの結末であっても、よりポジティブな感動を選んだと。
東:でも、実際には父と娘のコミュニケ−ションなんて、この作品で描かれているようなものだと思うんですよね。つまり、娘が父親からのメッセージだと思い込み、父親は自分のメッセージが娘に届いたと思い込む。でも、もしかしたら二人がそう思い込んでいるだけで、それぞれが自分一人で完結しているのかもしれない。そういう、親子のすれ違いが描かれているというふうにも読み取れる。でもそれは、さっき言ったみたいに、「父さんが帰ってきてすぐに抱きしめてくれた」っていう話だったら描けなかった、重要なテーマなんですよね。
子どもができるとよく未来について考えるようになるって言うけれど、実際は未来を考えることと過去を思い出す作業はセットなんですよね。
―人間ドラマを描くために、宇宙を舞台にするというのは、なかなか壮大な発想ですよね。
東:それは、時間のズレを作るためだと思うんですけど、その気持ちはすごく分かるというか、僕が『クリュセの魚』を書いたときに思ったのは、娘が年をとったらどうなるんだろう? ということ。娘が年をとった姿を自分は見られないから、娘の将来はどうなってるんだろうとか、もしも娘と同い年で出会ったらどうするとか、父親っていうのは、そういうことを夢想するものなんだと思うんです。子どもができるとなおさら、女性というのが、母、妻、娘という1つの流れに見えてくるというか、その流れの一部に自分がいるんだなと思える。若かった母も年をとって死んでいく。妻もそう、娘もそう……。当たり前のことなんですけど、自分がその中の一瞬にいることをすごく意識するようになってきて。
―子どもができるとそれが顕著になるのはなぜなんでしょう?
東:僕は娘しかいないので、息子がいる人とはちょっと違うのかもしれないけど、9歳の娘と同じ年齢のとき、僕は何をどう感じていたかってことを覚えているから、娘と同じ目線に立つようにするんです。娘から僕はどう見えるのかとか、娘がこの街をどう見ているのかとか、自分が9歳だった頃の過去に戻ってシミュレートして考える。だから親になると、なんだかずっとタイムスリップしているみたいになる。きっとノーランもそう思ってこの映画を作っているんじゃないかなと。子どもの視点から世界を見るには、自分を過去に戻すしか方法はないんです。子どもができるとよく未来について考えるようになるって言うけれど、実際は未来を考えることと過去を思い出す作業はセットなんですよね。
『インターステラー』©2014 Warner Bros. Entertainment, Inc. and Paramount Pictures. All Rights Reserved.
―現在という場所を中心に行ったり来たりしていると。
東:そうです。20年前、30年前のこともやたらと考えるようになるし、その裏返しで20年後、30年後のことも考えるようになるというか。現在にいるのにぐるぐるタイムスリップしているみたいになる。『インターステラー』にはそれが表れているんじゃないですかね。だから、子どもの有無は別として、ある程度、過去を思い出すことのできる年齢にならないと、もしかしたらこの感覚って分からないのかもしれない。僕も40歳くらいになって、ようやく響いてきている感覚のような気もします。
―大人だからこその楽しみ方があるということですね。この映画を観たことによって作家・東浩紀さんとしての変化はありましたか?
東:刺激はすごく受けていて、『インターステラー』のように書いてみたいと思いますね。『インセプション』でクリストファー・ノーランっていう人は自分と似たことを考えていると何となく思っていたことが、今回の『インターステラー』で確信できたんです。でも、父と娘というテーマだからというのもあるけど、この映画って本当にノーランの想像力だけで作られているものなんですよね。『ダークナイト』シリーズは、今のアメリカ社会をノーランが解釈して寓話化したものだから、いくらでも批評できたけど、この映画が今の時代に作られる意義や社会的政治的メッセージがあるかというと、あんまりなくて。「生きるとは何か?」とか「子どもに何を伝えるのか?」みたいなノーランの中の感覚を物語にしたらこうなったというだけだから。僕はすごく好きですけど、みんながそう感じるとは限らないかもしれないですね。
―私も好きですが、ノーランの脳内世界が出てるという意味では、初期作品に近いものを感じました。
東:『メメント』とかに近いですよね。あの作品も彼らしい世界観というか、「人間が世界を認識するってこういうことだよ」ってことがものすごくストレートに出ていて、それがミステリーになっていた。『インターステラー』は間違いなく『メメント』に近い、哲学的な原点回帰の作品だと思います。一方で、メッセージ性よりもリアリティーを追求したのが『ゼロ・グラビティ』。でも、あそこまでリアリティーを突き詰めてしまうのであれば、もはやメッセージはいらないんです。
―たしかに(笑)。
東:だから、SF好きとしては『ゼロ・グラビティ』も好きだけれど、それの対極みたいな『インターステラー』が出てきて良かったなって感じがしますね。あとは僕、クリストファー・ノーランはずっと好きだったけれど、まだ彼について1文字も書いたことがなくて。この作品を観て、この人についてちゃんと文章を書くべき時期なのかなって、そんなふうに思っています。
- 作品情報
-
- 『インターステラー』
-
2014年11月22日(土)から新宿ピカデリーほか全国公開
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:クリストファー・ノーラン、ジョナサン・ノーラン
製作総指揮:キップ・ソーン、ジェイク・マイヤーズ、ジョーダン・ゴールドバーグ
出演:
マシュー・マコノヒー
アン・ハサウェイ
ジェシカ・チャスティン
ビル・アーウィン
ジョン・リスゴー
ケイシー・アフレック
デイビッド・ギヤスィ
ウェス・ベントリー
マッケンジー・フォイ
ティモシー・シャラメ
トファー・グレイス
デイビッド・オイェロウォ
エレン・バースティン
マイケル・ケイン
配給:ワーナー・ブラザース映画
- プロフィール
-
- 東浩紀 (あずま ひろき)
-
1971年生まれ。作家、思想家、哲学者。ゲンロン代表取締役。2009年、小説『クォンタム・ファミリーズ』で第23回三島由紀夫賞を受賞。近著に『一般意志2.0』(2011年)、『セカイからもっと近くに』(2013年)、『弱いつながり 検索ワードを探す旅』(2014年)など多数。
- フィードバック 8
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-