「頑固じじい」のような仕立て屋・南市江(中谷美紀)は、祖母である先代の残した小さな洋裁店で、今日もミシンを踏んでいる。布を選ぶ手、ハサミを使う手……針と糸を扱うその手は、人々に喜ばれる服を自在に作り出すことができるのに、仕事以外はずっと不器用に生きていた。そんな彼女が、市江の仕立てる服に魅了されたデパートの社員・藤井(三浦貴大)との出会いによって、次第に心が揺れ動き、変化していく……。映画『繕い裁つ人』は、池辺葵原作の人気コミックをベースに、『ぶどうのなみだ』『しあわせのパン』を手がける三島有紀子監督が神戸のレトロな街並を舞台に、職人の信念と誇りを持つ一人の仕立て屋の女性の生き方を描いている。
古いものと新しいものが混在する神戸の街で、震災を経て今も残る歴史ある邸宅と、異文化への寛容さを感じ取れる港を情緒的に切り取ったこの映画は、思わず襟を正したくなるような一つひとつの道具の丁寧な扱いが印象的だ。同作で存在感を放つ「衣装」を担当したのが、映画『空気人形』(2009年)や井上陽水コンサートツアーのセットデザイン、衣装を手がけるファッションクリエイターの伊藤佐智子。ファストファッションの時代に、手作りの服は何を伝えてくれるのか? 「服は魔法である」と語る伊藤と三島監督に、世界に1着の服が生まれるまでの舞台裏を振り返ってもらった。
※本記事は『繕い裁つ人』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。
服を通して描写される心情があると思うんです。(三島)
―三島監督は、以前から伊藤さんとお仕事をご一緒されたいと思っていたんですよね?
三島:宮沢りえさんと伊藤さんがコラボレートした『STYLE BOOK』(2005年発行、ファッションの着こなしを学べる本)を持っていて、その本の中で伊藤さんが「服は魔法である」とおっしゃられていたんです。その言葉がすごく印象に残っていて。
伊藤:服が気持ちを変える力を、「魔法」と言ったのだと思います。素敵な人に会うとすごく満たされた気分になるように、素敵な服との出会いもとても嬉しいこと。それを身にまとうと、自分の肌の上にもう1枚、違う皮膚を身につけて新たな自分になったような感覚に包まれますよね。外面と内面の両方に変化をもたらす力が、服にはあると思います。
三島:それに、服にはその人の内面が表れていますよね。意識的に選ぶこともあれば、なんとなく身につけることもあるかもしれないけど、それも含めて、服を通して描写される心情があると思うんです。だからいつも、すべての登場人物の内面を衣装で演出できたらいいなと考えていて、伊藤さんとだったらより深く作り上げていくことができるだろうと思ってご一緒したかったんです。でも、なにしろ伊藤さんはファッションクリエイターの中でも大御所ですから、こんなに低予算の小さな作品を引き受けてくださるのか……。ドキドキしながらお願いしたのを今でも鮮明に覚えています(笑)。
監督が描きたかったのは、服そのものではなく、服と向き合う人の「生き方」だから、その世界に添えるように衣装を作っていきましたね。(伊藤)
―本作に登場するお洋服は一着ごとにストーリーがあり、台詞と同じぐらい服が雄弁に物語る作品ですよね。ただ「綺麗な服」を見せるだけではなく、着ている人の人生までもが感じられる衣装だと感じました。
伊藤:この作品は仕立て屋が主人公の物語なので、衣装の比重は大きいものだとは思うのですが……実は、ファッションばかりが強くなりすぎないように、というのは意識していたんですよ。
『繕い裁つ人』 ©2015 池辺葵/講談社・「繕い裁つ人」製作委員会
―それはなぜですか?
伊藤:監督が描きたかったのは、服そのものではなく、服と向き合う人の「生き方」だということがよくわかっていたから。話し合いながら、その世界に添えるように作っていきましたね。
三島:伊藤さんがおっしゃってくださったように、服を作っている人の「哲学」が表れているような衣装をスクリーンに映し出したかったんです。たとえば、中谷美紀さん演じる主人公・市江の仕事着の裾をくるぶし丈にしたいと思ったのは、偉大な祖母の存在に囚われ、自らを解放できない市江のイメージがあったから。でも、私の中で色のイメージは固まっていなかったんです。そうしたら、早い段階で伊藤さんがデザイン画を見せてくださって。それが、「ああこの色か!」とストンと腑に落ちる深い青色だったんです。
『繕い裁つ人』 ©2015 池辺葵/講談社・「繕い裁つ人」製作委員会
伊藤:あの仕事着のこだわりは、まさに色でしたね。デザイン画は色鉛筆で塗っているのですが、最初から市江の仕事着の色は見えていたので、スケッチを見せながら監督とどんどんイメージを共有していきました。監督とは最初の段階から言葉が通じ合えていたというか、考えが伝えやすかったし、おっしゃっている意味もよくわかったんです。そういう意味でもすごく嬉しい作品でしたね。
―背筋をぴんと伸ばした姿勢でミシンに向かう市江の姿が映画の中で度々登場しますが、自分の信念に真摯な様子が、深く青い仕事着に表れていましたよね。
三島:この青色を出すために、伊藤さんは、布を3回も染めてくださったんですよ。
伊藤:染め上がりのイメージが頭にあって、そこにたどり着くまでに3回かかったという感じですね。薄青色の布に染料をくわえて、少しずつイメージの色まで近づけていきました。
―必ずしも白い布から染める必要はないのですね。
伊藤:そう、それが面白いところで、色というのもやはり魔法なんです。もとの色に別の色を重ねることで、まったく新しい色が生み出される。だから今あなたがお召しになっている服も、別の色で染めれば、これまたいい色になると思いますよ。
―服を作る職人同士として、伊藤さんが感じられる市江との共通点はありますか?
伊藤:自分では共通点はあんまりないと思うんですけど……。でも、昔の友人が『繕い裁つ人』のポスターを見て、市江の佇まいが私に似てると言っていたんです(笑)。もちろん顔が似ているわけじゃなくて、髪型のせいなのかな? このミシンを踏んでいる横顔が、昔の私みたいだと言われましたね。あと、市江は端切れ1枚、無駄にしていませんでしたよね。そこは共通する部分かもしれません。本編で市江が首に巻いているスカーフは、ハギレを繕ったものなんですけど、私自身も、オートクチュール生地を使うからこそ、買うときから裁断のパターンをイメージしてなるべく無駄が出ないように使ったり、切り落とした生地をスカーフにしたりしています。
三島:中谷さんもストイックな職人気質の役者さんですし、市江を演じる中で、より伊藤さんと近い部分が引き出されていったのかもしれませんね。
父は全部で8着ぐらいのスーツを大切に生涯着続けていた人で、「自分は職人の誇りをまとっている」ということを誇りにしていました。(三島)
―三島監督は、ご自身のお父様を通して「仕立て屋」という職業を幼い頃から身近に感じられていたとか。
三島:私の父親はいつもスーツを着ている人でした。それがすべて地元神戸のテーラーで誂えたオーダーメイドだったんです。だけど数はとても少なく、それぞれの季節物と、合物(季節の変わり目に着る服)、それからタキシード。全部で8着ぐらいのスーツを大切に生涯着続けていた人で、父は常に職人の仕事ぶりのすごさを、自分が作ったわけでもないのに私に自慢していて(笑)。「自分は職人の誇りをまとっている」ということを誇りにしている父でした。だから不思議なもので、父が亡くなっても、その服が父そのもののように思えるんですよね。そうやって父を通して仕立て屋という職業を知り、いつか映画にしたいなと漠然と思っていました。その後、洋裁店や仕立て屋さんに取材するうちに、ある職人さんが車椅子の方のために作ったウェディングドレスの話をしてくださったんです。
―クライマックスのウェディングシーンは、実際にあったエピソードをもとに描かれているんですね!
三島:そうなんです。その話をうかがって、「自分のためだけに作られる、オーダーメイドとは何なのか?」ということを深く見つめられるような映画が作りたいと思って企画書を書き始めました。そんなときにちょうど、池辺葵さん原作の『繕い裁つ人』の漫画を知り、まさに仕立て屋の生き方を見せてくれる市江という人物と出会って、映画としてこの物語を紡ぎたいと思ったんです。
職人が目に見えないところまで心を込めて、どれだけ細かくこだわって作っているのかという過程を、本当はもっとたくさん描きたかったんです。(三島)
―映画版『繕い裁つ人』は、漫画を原作にしてはいますが、まずはご自身の「仕立て屋の生き方を描きたい」という想いが先にあったと。だから原作にはないシーンも多く見られたのですね。黒木華さん演じる藤井の妹・葉子が着るウェディングドレス姿も映画オリジナルのシーンですが、車椅子の方のドレスを作るにあたり、苦労した点などありますか?
伊藤:車椅子の方が着るウェディングドレスを作るのは、私にとっても初めてのことだったのですが、車椅子とドレスが一体化する美しさがきっとあると思って試行錯誤しました。どの長さならスカートが車輪に巻き込まれずに綺麗に動くのか? 車椅子のフォルムや、動きを活かせるドレスはどんな形をしているのか? ということを実際に車椅子を使って検証していって。まるで湖の中で花が咲き誇るような、満開の蓮の花のようなドレスにしたかったんです。
黒木華演じる藤井(三浦貴大)の妹役のウェディングドレス姿 ©2015 池辺葵/講談社・「繕い裁つ人」製作委員会
三島:あのウェディングドレスは、市江が先代の呪縛から解放されて、初めて手がけたオリジナルの服なんです。映画の中で重要な意味を持つ服ですが、伊藤さんからはたくさんのアイデアをいただきました。たとえば風船でベールを持ち挙げるシーンですとか。
―あのシーンは映画ならではの幻想的な演出が施されていて、とても印象に残っています。でも、ベールというのは本来、顔の前に下がっているものですよね。それをなぜ持ち上げようと思ったのですか?
伊藤:本来顔を隠すものであるベールがむしろ舞い上がっていることで、葉子の高揚する気持ちを表すような大きな動きを作りたいと思ったんです。本当はもっと長い距離を使って、そのシーンを見せたかったのですが……。でも、時間と場所の制約がある中で、衣装ができる最大の演出は何だろう? と考えながら作っていきました。
―葉子のウェディングドレスの襟に、幼い頃に着ていたワンピースの襟が使われていたり、オーダーメイドの服を長く着続けることが、どういう意味を持つのか? ということを本作では丁寧に描いていますよね。もう1つ象徴的なエピソードとして、1着のスーツを毎年お直しして着ているおじいさんの服の「ハ刺し(はざし)」(テーラードカラーの表地と芯とをなじませるためなどに行う、片仮名の「ハ」の字形に細かく刺し縫いする方法)の作業風景など、普段は見ることのない裁縫の具体的な描写も貴重だと感じました。
三島:職人が目に見えないところまで心を込めて、どれだけ細かくこだわって作っているのかという過程を、本当はもっとたくさん描きたかったんです。その全ては見せられなかったけれど、一針ずつ手縫いで調整するハ刺しは、それを象徴する仕事の1つだと思い、あのシーンは絶対に入れたかったんです。
世の中の流行やブランドを取り入れることも美しさの開拓の1つですが、ファッションの持つキャパシティーの広さをもっと味わって欲しい。(伊藤)
―この作品は、仕立て屋という職人の人生を通して、時を超えて「繕い」ながら大切に守ることと、「裁つ」ことで新しい道を切り開くことの両方が描かれています。お二人がもの作りにおいて、大切に残していきたいものと、今後挑戦していきたいものを教えていただけますか?
伊藤:挑戦してみたいことって、あまり人に喋りたくないんですけど(笑)、自発的でありたいとは思いますね。仕事を依頼されてそれに応えていくというスタイルばかりでいると、どんどん自分から発するチャンスもなくなっていくので。1年に1つでもいいから、大小かかわらず自分からやりたいことをやっていきたいと思っています。一方で、大切に残したいものは……初々しい気持ちでしょうかね。
三島:今回のテーマに繋がるかもしれないのですが、いつも自由でありたいなと思いますね。自分の枠から出られなくなってしまうようなこだわりは持たず、何でも面白がれたり、楽しめる自由さは大切にしなきゃと思っています。当然、場合によっては100人を敵に回したとしてもやり遂げねばならない覚悟を持ちながらも、自分のスタイルを決めつけて窮屈になってしまわないようにと思っていますね。
伊藤:「美しさ」も同じだと思います。型にはめた先入観は、かえって本来の美しさを妨げる。潜在的に誰もがオリジナルな美しさを持っています。世の中の流行やブランドを取り入れることも美しさの開拓の1つですが、ファッションの持つキャパシティーの広さをもっと味わってほしい。百通りの選択による、千通りの美しさが可能なのです。
伊藤さんが着ているシャツに対して「クッキリした緑って着こなすのが難しくないですか……?」というスタッフの質問に、「今は緑が着たい気分なの。なんでもトライすることが大事」と答えてくれた伊藤さん。
―自分の潜在的な魅力を見つけるにはどうしたらいいんですかね?
伊藤:トライすることなんでしょうね、自由に。自分はこうだって決めつけないで、魅力的だと思うものにどんどん挑戦することが大事なんです。
- イベント情報
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- 『繕い裁つ人』
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2015年1月31日(土)から新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国で順次公開
監督:三島有紀子
原作:池辺葵『繕い裁つ人』(講談社)
出演:
中谷美紀
三浦貴大
片桐はいり
黒木華
杉咲花
中尾ミエ
伊武雅刀
余貴美子
配給:ギャガ
- プロフィール
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- 三島有紀子 (みしま ゆきこ)
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大阪市出身。18歳からインディーズ映画を撮り始め、神戸女学院大学卒業後、NHKに入局。『NHKスペシャル』『トップランナー』など「人生に突然ふりかかる出来事から受ける、心の痛みと再生」をテーマに一貫して市井を生きる人々のドキュメンタリー作品を企画・監督。11年間の在籍を経て独立後、『刺青~匂ひ月のごとく~』で映画監督デビュー。オリジナル脚本で監督も務めた『しあわせのパン』は、同名小説も執筆し、ともにヒットを記録した。14年10月には『ぶどうのなみだ』を発表。第38回モントリオール世界映画祭のワールド・グレイツ部門に招待された。映画監督としての仕事に加えて、TV向けドラマ作品や小説、エッセイの執筆等、幅広い活動で、柔らかなアプローチの中に熱い想いを秘めた作品を手がけるクリエイターとして評価を受けている。著作に小説「しあわせのパン」(ポプラ社)、小説「ぶどうのなみだ」(PARCO出版)がある。
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- 伊藤佐智子(いとう さちこ)
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ファッションクリエイター。一枚の布から始まる表現形式において常にそのコンセプチュアルワークに高い創造性を求め、自在な感性に依るオリジナリティあふれたデザインを提供することを信条とする。舞台、映画の衣装デザインはもとより、商品開発、井上陽水コンサートツアーではアート・ディレクターとしてセットデザイン、衣装等のヴィジュアルシーンを99年より担当している。映画『春の雪』(05)、『空気人形』(09)他。舞台「人形の家」(08/デヴィット・ルポー演出、シアターコクーン)、「ヴォイツェク」(13/白井晃演出、赤坂ACTシアター)、「秋のソナタ」(13/熊林弘高演出、東京芸術劇場)他。また、宮沢りえとの共作『STYLE BOOK』(講談社)や『日本の染と織』(パイインターナショナル)、『更紗 SARACA VISION 』(青幻舎)など著書も多数。
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