2013年の『ヴェネチアビエンナーレ』において、『ウォールストリートジャーナル』紙による「必見の展示ベスト5」に挙げられるなど、国際的なアートシーンで注目を集め続ける香港出身の現代アーティスト、リー・キットの展覧会が、東京の資生堂ギャラリーで行なわれている。
淡いパステルカラーの光を基調に、絵筆を置くように絵画やクッション、椅子などを配置して、空間全体を1枚の絵画につくりあげるリー。その眼差しは、都会の孤独や不安に寄り添い、音楽や小説にも似た親密な共感を、観る人に静かに呼び起こす。深い余韻を残す注目のペインター、そのひそやかなるパーソナルヒストリーをインタビューでたどる。
ある日、ガールフレンドが「ピクニックに行こう」と誘ってくれて、僕は折りたたんだ絵をピクニックシートの代わりに持って行った。
―リー・キットさんが注目を集めるきっかけとなった作品の1つに、布に絵具で柄を描いて、テーブルクロスやカーテン、シーツとして使うというものがあります。なぜ絵画をテーブルクロスにしようと思ったのですか。
キット:あのシリーズを作り始めたころ、僕はまだ美大生で、写実的な絵を上手に描くことができる成績優秀な生徒でした。でもそんな評価は絵画の本質とまったく関係ないような気がして、もっと自分の絵画を追求したいというフラストレーションがあった。若くて生意気だったから、先生の出すお題にちゃんと答えるのも段々イヤになってきて(笑)、自分なりにしっくりくる、毎日描き続けられるシンプルな方法を探して辿り着いたのが、テーブルクロスの柄を絵具で布に描くという手法だったんです。
LEE Kit『Hand-painted cloth used in a gallery in Tokyo and somewhere in HK』2010-2015 acrylic on fabric 121x126cm copyright the artist courtesy ShugoArts photo by Gabriel Leung
―テーブルクロスといえば、ストライプやチェック柄ですよね。
キット:そう。テーブルクロスのパターンは、色と構図と質感のみ、とてもシンプルです。美大でも先生に「写実画?」と聞かれれば「そうです」と答え、「抽象画?」と聞かれれば「まあね」と答えれば良かった。僕のやっていることを誰も理解できなかったけど、おかげで自分の制作に集中して、日記のように日々繰り返し描き続けることができました。
―なぜ毎日描き続ける必要があったんですか?
キット:僕にとって「絵を描く」という行為は「プラクティス」、つまり日常で実践し、反復し、追究していく、とてもパーソナルな行為だからです。毎日、布に絵を描くだけでなく、描いた布を洗ったりもしていました。絵を描くよりも洗っている時間のほうが長かったくらいです(笑)。
―描いた絵を洗っちゃうんですか?
キット:そう。1つ絵を描き終わると水で洗って、壁にかけて干して、褪せて色が変わる様子を眺めていました。そしてもう充分と思えたら、絵を畳んでテーブルの脇に置き、次の絵にとりかかる。それを繰り返しました。
―額に入れたり、木枠に張って展示することはしなかった?
キット:木枠が絵の世界を限定して、閉じ込めてしまう気がしたんです。だから絵が完成したと思ったら、布を畳んで横に置く。するとそれは絵画ではなく布だからレディメイド(既製品をそのままアート作品として提示する手法)にもなる。そういうわけで、このシリーズは最初、絵画として見せるつもりはまったくありませんでした。ただ、新型肺炎のSARSが香港で猛威を奮った2003年に、偶然にも新しい発見があって。
―SARS、感染力が強くてアジア中が一時パニックになりました。
キット:香港でも300人近い死者が出ました。当時、ちょうど僕の家の前が病院で、大勢の人がそこへ運ばれて亡くなり、僕も友人を亡くしました。感染を恐れてみんな家の中に閉じこもっていた。そんなある日、ガールフレンドが気晴らしに「ピクニックに行こう」と誘ってくれたんです。僕はたまたまテーブルの隅に折りたたんでいた絵をピクニックシート代わりに持って行きました。そして数日後、シートとして敷かれている絵の写真を見て「これは面白いかも?」と気付いたんです。このシリーズは、当初アート作品じゃなくて、愛、あるいはレジャーのためだったんです(笑)。
効率が最優先される大都市・香港で、毎日布に絵を描いては洗い、干して広げるという行為を繰り返すことが、効率至上主義社会へのささやかな抵抗に思えた。
―布に描いた絵をピクニックシートとして使うという発見から、このシリーズをどのように膨らませて、作品化していったのですか。
キット:それからはあらゆる日常的なシーンで、描いた絵をテーブルクロスやピクニックシートのように広げました。屋台で友人とご飯を食べるとき、風呂に入るとき、彼女と別れて一人でピクニックしたときも(苦笑)。やがて、この行為がとても政治的な意味を持っていることにも気づいたんです。効率が最優先される大都市・香港で、毎日布に絵を描いては洗い、干して広げるという行為が、効率至上主義の社会へのささやかな抵抗に思えてきた。香港の市民デモ(2004年)のときには旗として掲げました。でもあるとき、もうやめようと思った。
LEE Kit『Picnic at home on hand-painted cloth』2008年
LEE Kit『Hand-painted cloth as window curtain, Wellington.』2007年
―あっさりと。どうしてですか?
キット:こうやってコンセプチュアルな作品として残していくことが、結局自分のプライベートな部分を切り売りしているようにも感じられたんです。僕は日常的に絵を描き続けることが好きな画家で、コンセプチュアルアーティストじゃない。作品のコンセプトや伝えたいことを言葉でクリアに説明できるなら、そもそも絵を描く必要はない。本でも書いたほうがいい。
―先ほど、絵を描く行為はプラクティス、実践と反復、追究だと言われたとおりですね、なるほど。
キット:とは言っても、そもそもこのシリーズは自分が絵を描き続けるために始めたものだし、それだけの理由で完全にやめてしまうのも不自然。だから気が向いたときは今でもこっそり描いています。完成した「絵」は街のお店なんかに勝手に置いてきたりして、その後どうなったか知らない作品も多いんです(笑)。
どれだけパーソナルな日常であっても、政治社会的な状況とは切っても切り離せないもの。だからこそ、一見社会的には無意味なこの作品が大切なんだと思います。
―リー・キットさんのパーソナルな行為が作品として昇華されているもので言うと、2006年から2011年まで5年間続けたという『Scratching the Table Surface』も今回、資生堂ギャラリーで展示されますね。
キット:これも最初は作品にしようと思って始めたことではなかったんです。木製テーブルに塗料を塗り、その表面を指で引っ掻いた作品です。
リー・キット展『The Voice Behind Me』資生堂ギャラリー展示風景 『Scratching the Table Surface』2006-2011年
リー・キット展『The Voice Behind Me』資生堂ギャラリー展示風景 『Scratching the Table Surface』(部分) 2006-2011年
―5年間ずっと指で引っ掻き続けたんですか?
キット:「修行僧みたい」って言われたこともありますが、毎日やっていたわけじゃないですよ(笑)。でも、机の上を指で引っ掻いているとすごく落ち着いた気持ちになって、香港の喧騒の中にいても、一人静かにどこか別の遠いところにいるような自由を感じることができたんです。これもあるときふと、「なんでずっと続けなきゃいけないのかな?」と思って、数センチくぼんだところで、もう充分だと終わりにしました。
―小学生のとき、よくコンパスなんかで学校の机に穴を開けていましたけど、あの行為に似ているなって思いました。
キット:(笑)。これは僕の癖ですね。以前はヘビースモーカーでいつでも右手にタバコを挟んでいた。それが2006年、香港の飲食店は全面禁煙という法律ができて、以来、いつの間にか机を引っ掻くようになってしまったんです。精神安定剤の代わりのようなものですね。
―でも、非常にパーソナルな作品でありながら、SARSといい禁煙法といい、政治や社会のできごとが、なんらかのきっかけを作品に促しているところが面白いですね。
キット:結局、どれだけパーソナルな日常であっても、政治社会的な状況とは切っても切り離せないものなんですね。だからこそ、一見社会的には無意味なこの作品が、アーティストの自由を示してくれているから、僕には大切なんだと思います。
意味深な作品タイトルは、たいていRadioheadなど、好きな音楽の歌詞からの引用です。
―「ニベア」や「ジョンソン・エンド・ジョンソン」など、日用品のロゴを描いた『カードボード・ペインティング』シリーズもそういったパーソナルな状況が反映されているんでしょうか。一見ポップアートにも見えますね。
キット:身の回りにある商品ロゴを描いているシリーズですが、ポップアートとは関係なくて、テーマは「missing」でした。喪失感や寂しさ、そんな感情が、身の回りにある日用品から想起されることがある。たとえば、僕は小さいころからニベアクリームが好きで、いつもそばにありました。そして、仮にメアリーという人のことを切なく思うと、目の前の「Nivea(ニベア)」とメアリーが重なり始める。モノの名前と人を思う気持ちがつながってしまうんです。
LEE Kit『Johnson's the cooling bath』2010年
―「ニベア」「ジョンソン・エンド・ジョンソン」。たしかにいずれも人名っぽい響きが含まれていますね。
キット:一人でシャワーを浴びているとき、ジョンソン・エンド・ジョンソンのボディーソープのボトルが目に入りました。シャワーを浴びるときって、いろんな感情がとりとめもなく巡って、ふと寂しくなるときもあると思います。そんな僕をジョンソンが見ていた、というわけです。大量消費社会の中でさまざまなものに囲まれて暮らしているうちに、いつしか僕らとモノとの間には親密な関係が生まれているような気がします。
―言葉についてはどのように考えていますか。作品では意味深なタイトルもよく使われています。
キット:言葉はなにかしらの暗喩を作品に持たせるものとして、大切に考えています。自分のメッセージであったり、頭に湧いてきたランダムなイメージだったり。でも、たいていはRadioheadなど、好きな音楽の歌詞からの引用なんです。
LEE Kit『It's such a beautiful day.』2008年
―たしかに「It's such a beautiful day.」は、Radiohead“worrywort”(『Amnesiac』収録、2001年)の歌詞ですし、わかるものもいくつかありました。
キット:音楽って感情的なものが強い表現だから、それを利用して作品を観る人の感情を誘導する意味もあったりします。ただ、展覧会ではキャプションを作品の近くに置かないようにしているので、後で作品名を知った人にわかってもらえたらいいかな、と。作品を観るときは、真っ白な状態で観てほしいんです。
東京は静かで清潔で、とても整理整頓されている街。でも、歩き回っていると人の顔がはっきりと見えてくるんです。寂しさや不安、虚しさを抱えた人々が見える。
―今回の資生堂ギャラリーの個展で、来日は7回目だそうですね。
キット:日本に来るたびにいつも街をうろうろしています。しょっちゅう道に迷ったり、電車を乗り間違えて全然知らないところまで行ってしまったりするけど(笑)。
リー・キット展『The Voice Behind Me』資生堂ギャラリー展示風景
リー・キット展『The Voice Behind Me』資生堂ギャラリー展示風景 『‘It really doesn't matter.’』2007年/2015年
―東京の印象は?
キット:静かで清潔で、とても整理整頓されている街。言葉が一言もわからなくても街を歩いていて平気な街。でも、歩き回っていると、街行く人の顔がはっきりと見えてくるんです。寂しさや不安、虚しさを抱えた人々が見える。その一方で、とても整然としていて美しい。
―今展覧会の『The Voice Behind Me』というタイトルは、そんな日本の印象とも関係している?
キット:はい。これも東京から連想された言葉です。街を歩いていて、ふとなにかこれから起こるんじゃないか? という予感めいた気持ちになることがあります。誰かに後ろから「なにか落としましたよ」って呼び止められるような、空耳かもしれない声が、首の真後ろから響いてくる。僕は展覧会全体で1つの作品を作っているイメージがあるので、タイトルはとても重要です。ここが決まることで本格的に制作に取り組む気持ちになれる。
リー・キット展『The Voice Behind Me』資生堂ギャラリー展示風景 『Hold』2015年
リー・キット展『The Voice Behind Me』資生堂ギャラリー展示風景 『Man in Suit』2014年
―また、展覧会のキーワードとして「不安」「孤独」「呼吸」という単語を挙げられています。
キット:最近、僕があえて向き合っているものだからです。それは具体的な不安というよりも、もっと社会や僕らの中のダークサイドと呼ばれるような、概念的なイメージに近いかもしれません。
―リー・キットさんは、ずっと香港や台北といった大都市で暮らしてこられたと思うのですが、不安や孤独は都市特有の特徴だと思いますか?
キット:そう思います。不安や孤独は都市のシンドロームみたいなもの。そして僕もその中に取り込まれている。僕はずっと香港で育ったから、自分も都市の一部だという自覚があります。アーティストやキュレーターって、取り扱うテーマに対して、さも自分だけが俯瞰した視点から見ているような態度で描くことがあると思いますが、僕はみんなと変わらない。都市の不安や孤独に取り込まれている側の人間だということを知って、それを受け入れているんです。
リー・キット展『The Voice Behind Me』資生堂ギャラリー展示風景
リー・キット展『The Voice Behind Me』資生堂ギャラリー展示風景
―キーワードに挙げていた「呼吸」とも、そのシンドロームは関連している?
キット:「呼吸」はコントロールされた、深くゆっくりとした重いイメージを喚起するもの。不安や孤独に苛まれながらも、僕たちは毎日呼吸をしている。そんな感覚でしょうか。
―まさに現在制作中という資生堂ギャラリーの展示は、どのような内容になりそうですか。
キット:7、8割は新作で構成されると思います。新しい試みでは、プロジェクターの映像を使って、ギャラリーの空間を広げるような仕掛けも考えています。それと「光」も1つの重要な要素になると思う。東京でも台北でも、大都会の印象って、光の具合1つでガラッと変わることがあるんです。そういった効果を展示でも出したい。まあ、タイトルやキーワードのとおり、あまりハッピーな展覧会にはならないと思います。かといってネガティブでもないですけどね(笑)。
―日常の行為としての絵画。それはつまり、作品がリー・キットさん自身を表現するものにもなっているということでしょうか。
キット:作ることは常に新しい自分を発見することであって、それを絵を描くことで続けていきたいと思っています。だから作品と自分は、公共とプライベートのように分けるのが難しい。僕がやっていることって、日々ナイフを研ぐような作業なのかもしれません。ナイフは使い方によって、人を傷つけることもあれば、料理にも使われる。僕は毎日ナイフを研ぎながら、つまり絵を描きながら、その使い道を考えています。そんな日々の取り組みの中から、自分が求めていることに少しずつ近づいていこうとしているのです。作品を作り続けることで、僕は自分に誠実でありたい。そして日々の中で、その時々のテーマとじっくり向き合っていきたいです。
- イベント情報
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- 李傑(リー・キット)展
『The Voice Behind Me』 -
2015年6月2日(火)~7月26日(日)
会場:東京都 銀座 資生堂ギャラリー
時間:11:00~19:00(日曜、祝日は18:00まで)
休館日:月曜、7月20日
料金:無料
- 李傑(リー・キット)展
- プロフィール
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- リー・キット
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1978年香港生まれ。台湾・台北在住。2006~2008年、香港中文大学美術学部修士課程在籍。2013年の『ヴェネチアビエンナーレ』では、香港館の代表として参加し、『ウォールストリートジャーナル』で「ビエンナーレ必見ベスト5のアーティスト」に挙げられるなど、世界中から注目を集める。2015年には『第12回シャルジャビエンナーレ』(アラブ首長国連邦)に参加。2016年にはゲント現代美術館(ベルギー)やウォーカー・アート・センター(アメリカ)での個展が予定されるなど、国内外で精力的に作品を発表している。
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