PHONO TONESはDr.DOWNERの猪股ヨウスケ(Ba)が、長年の友人だったASIAN KUNG-FU GENERATIONの伊地知潔(Dr)に声をかけてスタートしたインストバンド。メンバーは他に、キーボードの飯塚純と、ペダルスティールの宮下広輔で、特殊な編成が個性となっている。これまでに2枚のフルアルバムを発表し、昨年は『フジロック』のレッドマーキーに出演。メンバーのホームグラウンドでもある湘南・鎌倉エリアの海岸線を走る国道134号線をタイトルに冠したサードアルバム『Along the 134』は、伊地知が「やっと狙ってた場所に降りられた」と語っているように、これまでも印象的だったキャッチーなメロディーの要素に、ジャムバンド的なダイナミズムが加わって、間違いなく過去最高傑作と呼べる仕上がりとなっている。
今回インタビューに応えてくれたのは伊地知と宮下。アジカンという巨大なバンドでの活動と並行して、まったく新しい環境に飛び込んだ伊地知。同じく、それまでのカフェやバーを中心とした活動から一転、ライブハウスの文化に初めて触れた宮下。PHONO TONESというバンドは、それぞれが違った文脈で活動してきたミュージシャンの集合体だからこそ、そこには未知の興奮が存在する。言葉はいらない。音を鳴らせばわかりあえる。PHONO TONESの鳴らすインストゥルメンタルは、まさにそんな「出会い」の素晴らしさを高らかに讃えているのだ。
PHONO TONESを始めたことでアジカンとはまったく違う世界を見られて、それはすごく新鮮でしたね。(伊地知)
―PHONO TONESはそもそも猪股さんが伊地知さんに「インストバンドをやろう」と声をかけたことが始まりだったそうですが、リリースに向けて積極的に動いたのは伊地知さんだったんですよね? 何が伊地知さんに火を点けたのでしょうか?
伊地知(Dr):もともとはみんなでセッションをして、個人的なスキルアップになればとか、楽しめればいいなって思ってたんです。でも実際みんなで1曲やってみたら、「これはリリースしたいな」という手応えがあったので、興奮してすぐ事務所に「リリースできませんか?」って相談したんです。そのときは僕だけ舞い上がってて、他のメンバーは「は?」みたいな感じだったんですけど(笑)。
―そうだったんですね(笑)。
伊地知:だから、最初はメンバーの足並みが揃うまでに時間がかかったというか、いきなりアジカンで使ってた大きなスタジオに入って、「さあ、録るぞ」ってやっちゃったので、それは今思うと良くなかったなって。普通にバンドを始めるときと同じように、最初は街にあるレコーディングスタジオを使えば良かったんですけど、ちょっと背伸びしちゃったんですよね。なので、セカンドアルバムのときは「一からバンドをやるんだ」と思い直して。
―すぐにリリースをすることになって、宮下さんはどう感じてたんですか?
宮下(Pedal Steel):びっくりしたというか、他人事みたいな感じでした。僕はちゃんとしたレコーディング自体、そんなにしたことがなかったし、自分がフロントマンを務めるバンドを他ではやってなかったので、最初は「こんなこともやらなくちゃいけないのか」みたいな部分もあったんです。
―宮下さんはPHONO TONES加入以前はライブハウスではなく、主にカフェやバーなどで活動されていたんですよね?
宮下:そっちのほうが多かったです。だから、「ライブハウス、音でかいな」って未だに思うこともあるし(笑)、他のメンバーとは違う文化で育ったという感覚があります。でもいろいろなフェスやイベントに出る中で、だんだんその面白さがわかってきて、積極的に活動したいと思うようになりました。
―ずっとアジカンで活動していた伊地知さんからすれば、PHONO TONESを始めて、宮下さんがいたような世界に初めて触れたわけですよね?
伊地知:そうですね。最初は宮下のつながりでライブをすることも多かったので、僕が今まで一緒にやったことがないジャンルとか、会ったことがないような人たちばっかりでした。しかも、その人たちはみんなプレイヤーとしてのスキルがすごく高くて、それはカルチャーショックだったし、そういう人たちといつも一緒にプレイしてる宮下が羨ましいなとも思いました。なので、僕もPHONO TONESを始めたことでまったく違う世界を見られて、それはすごく新鮮でしたね。
演奏が上手い人って「楽器が体の一部」とか言うけど、フォークの妖怪みたいな人たちは、会場自体が体の一部になっていると思うんです。(宮下)
―宮下さんがペダルスティールを始めたきっかけは、高田渡さんだったそうですね。
宮下:そうです。親がフォーク世代なので、中学生くらいからBSとかでやっていたフォークの番組を見ていて、その中で特に渡さんが印象に残ってたんです。その後、大学生のときに『タカダワタル的』という渡さんのドキュメンタリー映画を見て、そこで初めてペダルスティールという楽器を認識しました。もともとギターをやっていたんですけど、とにかく音がすごいいいなと思ったんです。
―渡さんの人間的な魅力にも惹かれていたのでしょうか?
宮下:渡さんに限らず、フォークの人たちは、音楽ももちろん素晴らしいですけど、人間性が面白いんですよね。演奏が上手い人って「楽器が体の一部」とか言うけど、フォークの妖怪みたいな人たちは、会場自体が体の一部になっていると思うんです。だからその人がフッと動くと、野次ってたお客さんも急にシーンとしたりするんですよね。ペダルスティールは基本的に下を向いて演奏する楽器ですけど、PHONO TONESではフロントなので、まずはフォークの人たちみたいにお客さんの目を見てライブをすることから始めようと思って、前を向いて演奏するようになりました。
前作はまだ何がやりたいのかを模索していたんですけど、やっと狙ってた場所に降りられた。(伊地知)
―それでは、新作『Along the 134』について訊かせてください。セカンドと比べても格段に完成度が高まっていて、かなり手応えがあるのではないかと思いますが、いかがですか?
伊地知:やっと狙ってた場所に降りられたという感じがします。今振り返ると、前作はまだ何がやりたいのかを模索してたように思うんですけど、今回は宮下のスイッチが完全にオンになって、バンドを引っ張ってくれたんです。コンセプチュアルとまではいかないまでも、「狙いはここ」っていうのを提示してくれて。それに基づいて作曲活動ができたので、半分くらいできた時点で、「PHONO TONESの色ってこういうものだ」と自分たちでも確信できました。
―宮下さんはこれまでのPHONO TONESをどのように見ていて、その上で今回どこを狙ったのでしょうか?
宮下:まずファーストとセカンドはほとんど猪股が曲を作っていて……とはいっても、コードだけあって、上に乗せる音はみんなで考えるパターンが多くて、そのタイム感やスケール感の中で作っていたんです。ただ、やっぱり一人の人間が作っていると、盛り上げ方がどうしても同じになって、1曲ずつは良くても、アルバムだと「またこれか」って飽きちゃう部分があって。今回はそこを何とかしたかったんですよね。
―曲のコレクションではなく、アルバムとしての流れで聴かせたかったと。
宮下:そもそもPHONO TONESって、インストをやったことがなかった人たちがやってるバンドで、リズムを刻むギターもいないし、音楽的にはハンデのある形態なので、ちゃんとこの四人でやって意味のあることを追求しないと、気持ちいいものにはならないだろうと。今回はやっとそういうものになったかなって。
―全体的に曲の尺が伸びているので、セッション性が増したのかなとも思ったのですが、そういうわけではなさそうですね。
宮下:ではないですね。次はもっとセッションをメインにして、その中からいい部分を繋ぎ合わせて作りたいなと思っているんですけど。
伊地知:今回は、僕らが一番大事にしてるメロディーをどう聴かせるかを大事にして、どういう展開でそこに向かえば聴いてる人により響くかをすごく意識しました。メロディーにたどり着くまでの助走にもすべて意味を持たせたかったので、例えば、途中まであえてバラバラに演奏することで、メインリフに戻ったときの爆発力をより強く出したり、そういうことを試しながら徐々に四人でやれることが見えてきた感じですね。
みんなやりたいことはたくさんあって、でも「あれも食べたい、これも食べたい、全部食べたい」だとお腹を壊すから、今回は上手くバランスが取れたんじゃないかと思いますね。(宮下)
―アルバムの中でも最も長尺で8分半ある“at the break of dawn”は、去年ライブ会場限定で発売されていたわけですが、やはり今作を作る上でのキーになったのでしょうか?
伊地知:そうですね。この頃から宮下がいろいろ指示を出すようになったので、このアルバムはそこから始まったと言っていいと思います。
宮下:この曲は、ちゃんとペダルスティールのきれいな音を乗せたいと思ってリフを作った曲なんです。今聴くと「ちょっと長いね」って感じもするんですけど(笑)、それまでの曲は「短いな」と思うことが多くて、ライブで曲が足りなくなるのがすごく嫌だったんですよ。やっぱりジャムバンドって、「長くなきゃ」みたいなのあるじゃないですか?(笑)
伊地知:この曲は去年の『フジロック』で朝一のレッドマーキーに出たときに、1曲目にやったんですけど、この曲でお客さんがどんどん増えていったんです。ライブだともっと長くなって9分以上になるんですけど、「誰だ?」みたいな感じでどんどんお客さんが集まってきて、結果的にすごく盛り上がった。この曲がなかったらあそこまでにはならなかったかもしれないなって思ってるんです。
―あとは最後に収録されている“four”についてもお伺いしたいのですが。
宮下:大体曲タイトルって、酔っ払ったときに仮でつけることが多いんですけど(笑)、この曲に関しては四人でやる意味が今までで一番ある曲だと思ったので、“four”にしたんです。
伊地知:そうだったんだ。今初めて聞きました(笑)。でも確かに、アルバムタイトルを『four』にしようかっていう話も出たぐらい、この曲はすごく象徴的な曲だと思います。“at the break of dawn”の次に、「これは来たぞ」って感じたのが“four”で、四人で新しいものを発明した感じがすごくしました。ライブでやっていても、どんどん良くなるんですよ。
―後半のドラマチックなピアノソロが非常に印象的です。
宮下:(飯塚)純さんは自分のバンドだとピアノの音色しか使わないのに、PHONO TONESだとほとんど使ってなくて、「何で使わないんだろう?」って思ってたんです。今回の曲はGrateful Dead(1965年結成のアメリカのロックバンド、60年代のヒッピー文化、サイケデリック文化を代表するアーティスト)やPhish(即興演奏が特徴的なアメリカのロックバンド)の感じを出したかったから、「お願いだから、ピアノを弾いてください」って言って。結局、ピアノとオルガンをメインにしてもらって、個人的にはすごく面白かったので、「ありがとう」っていう気持ちですね(笑)。
―当たり前の話ではありますけど、こういうエピソードを聞くと、一人ひとりにカラーがあって、その四人が集まってPHONO TONESになってるんだなというのを改めて感じます。伊地知さんは、ドラマーとしての今作の達成感はいかがですか?
伊地知:アジカンは最近8ビート縛りで、頭から最後までリズムを変えないっていうスタイルなんですよね。『ファンクラブ』(2006年)の頃は、1つのリフに対して、3パターンぐらいの違うリズムを入れるってことをやってたんですけど、最近はそういうことができていなかったので、PHONO TONESでやれたのは嬉しかったです。しかも、そのパターンを宮下に作ってもらったりすると、自分では思いつかないようなものが生まれたりして、すごく面白かったですね。
宮下:伊地知さんが「このパターンで叩きたい」ってネタを持ってくるときって、すごく目が輝いてるんですよ(笑)。
伊地知:みんな乗ってくれるしね。「どんなの? どんなの?」って(笑)。
―仲いいですね(笑)。
宮下:みんなやりたいことはたくさんあって、でも「あれも食べたい、これも食べたい、全部食べたい」だとお腹を壊すから、今回は上手くバランスが取れたんじゃないかと思いますね。
アジカンの発言に関しては後藤に任せたというか、「後藤正文=アジカン」でいいっていう判断をしたんです。(伊地知)
―では最後に、お二人ともPHONO TONES以外でも幅広く活動されていらっしゃるので、それぞれの今後について訊かせてください。まず、伊地知さんに関してはもちろんアジカンがあるわけですが、ゴッチさんが『The Future Times』を作ったり、社会的な発言をされているのをどのように見ているのでしょうか?
伊地知:PHONO TONESを始めたのはちょうど震災後だったんですけど、アジカンのツアーがキャンセルになって、時間があり余ってたんですよね。アジカンでもスタジオに入っていたんですけど、その頃の僕はプライベートでも辛いことがあって、どうにかして楽しみたいというか、自分に癒しを求めていて。だからPHONO TONESに一人で盛り上がっちゃって、すがってしまったっていうのもあったんですよね。
―音楽的に興奮したのももちろんあったけど、そういう背景もあったんですね。
伊地知:そうなんです。そういう中で、後藤は震災以降にああいう活動を始めて、俺も何かやらないといけないのかな? って思ったんですけど、同じバンドメンバーだから同じ考えを持っているかというと、そういうわけではないんですよね。あいつのことを知れば知るほど、「あ、俺、逆のこと考えてる」って思うこともある。そんなの人間だから当然のことなんですけど、それで俺が何か発言したとすると、「あいつら同じバンドなのに言ってること違うじゃないか」って思う人もいるかもしれない。なので、アジカンの発言に関しては後藤に任せたというか、「後藤正文=アジカン」でいいっていう判断をしたんです。もちろん、大きなところに発言を載せるときには、メンバーに報告してくれるから、そこは信頼してるし、任せてるんですよね。
―では、伊地知さんご自身は今後どういった活動をしていきたいとお考えですか?
伊地知:PHONO TONESがきっかけで、今サポートをいろいろやらせてもらっていて、単なるスキルアップ以上に、視野が広くなったんですよね。それが自分にとってプラスになってるのをすごく感じているし、快感でもあって。宮下は毎日のようにいろんな人と演奏してますけど、自分にとってもいろんな人と一緒に音を出すことがこんなに大事なことだったんだというのをすごく感じたので、それで得たものをアジカンやPHONO TONESに返せればいいなと思いますね。
―宮下さんは今後の活動についてどのようにお考えですか?
宮下:海外で演奏したいですね。あと、僕は他のバンドだとフワッとしてるだけなんですけど(笑)、PHONO TONESではフロントマンとして、責任感を感じながら演奏できるので、そういう立場で音楽ができることをこれからも楽しみたいなと思っています。
―先日CINRAで高田漣さんの取材をさせていただいたんですけど、父である高田渡さんは10代の頃から日本語のフォークを前進させるために邁進してきたけど、自分は周りの期待に応えることで道が作られていったとおっしゃっていました。宮下さんも漣さんに通じる感覚があると言えますか?
宮下:僕から見ると、漣さんは博士みたいな感じだから(笑)、僕とはまたちょっと違うかなって思うんですけど、「こういうのをやってほしい」と言われることに助けられてきた部分は確かにあって、それはペダルスティールという楽器を選んだことが大きかったと思います。あの楽器と一緒に演奏したいと思う人って、音楽がすごく好きな人が多いし、上の世代が「若いのに」って言ってくれたり、出会いをくれる楽器なんです。しかも、そうやって出会う人がみんな面白くて、それはホントにありがたいので、これをずっと続けていきながら、いつか海外に行ければいいなと思いますね。
- リリース情報
-
- PHONO TONES
『Along the 134』(CD) -
2015年6月3日(水)発売
価格:2,592円(税込)
KSCL-25831. better days ahead
2. nanny
3. routine134
4. at the break of dawn
5. surfer in the city
6. frankenstein
7. tobira
8. otsukai
9. blue 少林 monday
10. High & Lonesome
11. four
- PHONO TONES
- イベント情報
-
- 『「along the 134」Release Tour 2015 ~ better days ahead ~』
-
2015年7月30日(木)
会場:京都府 MOJO2015年8月1日(土)
会場:福岡県 ROOMS2015年8月2日(日)
会場:広島県 4.142015年8月4日(火)
会場:大阪府 心斎橋 Music Club JANUS2015年8月6日(木)
会場:愛知県 名古屋 CLUB UPSET2015年8月12日(水)
会場:東京都 渋谷 PLUG2015年9月19日(土)
会場:鹿児島県 SR Hall
- プロフィール
-
- PHONO TONES (ふぉの とーんず)
-
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのDr.伊地知潔、Dr.DOWNERのVo.猪股ヨウスケ、宮下広輔、飯塚純によって結成された、ドラム、ベース、ペダルスティール、キーボードという4ピースインストバンド。2012年1月に1stアルバム『PHONO TONOES has come!』、2013年8月に2ndアルバム『LOOSE CRUISE』をリリース。2014年夏は『FUJI ROCK FESTIVAL』レッドマーキーステージに出演し、大いに会場を沸かせた。インストゥメンタルの枠にとどまらない歌心のあるキャッチーなメロディーと、ペダルスティールの美しい響き、そして時にグルーヴィーに、時にパワフルに打ちならされるリズム。インストゥメンタル界に新しい風を吹き起こす注目バンド。
- フィードバック 2
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-