『月映』(つくはえ)は、今から約100年前、大正期の若き美術学生三人による木版画と詩の作品集。仲間内での手作りZINEのような「回覧雑誌」を出発点にした彼らは、やがて出版社からの新雑誌刊行というチャンスをつかみます。しかし、妖しく冴える月光のように鮮烈な印象を放った『月映』は、約1年間、計7号という短い活動期間で終刊しました。
結核と闘いながら命を刻むように創作した田中恭吉。彼に触発されつつ物語性・精神性の宿る世界を紡いだ藤森静雄。そして、日本で最初期に抽象表現へと進んだ恩地孝四郎。『月映』は、そんな三人の衝動と友情から生まれたものです。
未だミステリアスな印象も強いその全貌を、約330点の貴重な作品・資料で解き明かす『月映』展が、東京ステーションギャラリーで開かれています。今回、その世界観とどこか通じるものを感じさせる作家・装幀家ユニット「クラフト・エヴィング商會」の吉田篤弘さん、浩美さんが、同展を体験。架空の書物や商品による摩訶不思議な創作で知られる彼らが、知られざる『月映』の歴史にふれ、創造と発見、孤独と普遍について語りました。
若いころの衝動に駆られて生まれたものには、「そのときならでは」としか言いようのない何かが宿ります。(吉田篤弘)
―『月映』は、東京美術学校(現・東京藝術大学)の学生三人の作品で構成された月刊の雑誌です。自作の木版画や詩を寄せ合い、編集・装幀も自分たちで行いました。クラフト・エヴィング商會のお二人も、物語や造型作品から書籍の装幀、デザインまで自ら手がけていますが、『月映』展にはどんな印象を持ちましたか?
吉田篤弘(以下、篤弘):じつは『月映』を詳しくは知らなかったのですが、僕も子どもの頃から似たようなことをやっていたので共感します。小学3年生くらいから、自分で書いたニュースや小説、漫画を1枚の大きな紙にレイアウトし、壁新聞として教室や自宅に貼り出していました。小学校高学年になると、文章に絵を添えた自作本を従兄弟と作り合って交換したり。10代の終わりごろまで、手描きの一点本をずいぶんたくさん作り、親しい人に贈りましたね。
公刊『月映』Ⅶ 1915年11月1日発行 和歌山県立近代美術館蔵
田中恭吉『太陽と花』1913年(『密室』8 1914年2月より) 和歌山県立近代美術館蔵
吉田浩美(以下、浩美):それ、私も学生のときもらったね(笑)。私は20歳を過ぎてから、デザイン事務所で働く傍ら「小さな本」を作っていました。シルクスクリーンや「プリントゴッコ」を使って複数部を手で印刷し、装幀もいろんな形態を試し、展覧会を開くなどしていました。
―『月映』展でも、若い学生たちがまず仲間内で手作りの「回覧雑誌」作りから始めたことがわかります。今なら少部数で自由に作るZINEにも通じそうです。
篤弘:若いころの衝動に駆られて生まれたものには、「そのときならでは」としか言いようのない何かが宿ります。また、今の自分に引き付けて考えると、依頼仕事も含めて作り続ける中で、はたと「もともと自分の内にあった衝動はどんなものだったろうか?」と原点に立ち戻りたくなるときもあります。今回、展示を観て、あらためてそれを感じました。
―『月映』は、竹久夢二の『夢二画集』や、文芸誌『白樺』を発行していた出版社・洛陽堂にその心意気を買われ、一般雑誌として発行(各号200部)されました。今回はその全7号に加え、それ以前に作られた私家版6号ぶんにもふれられます。双方に内容の変化は感じましたか?
篤弘:手刷りの私家版も、機械刷りで公刊版として出版されてからも、ブレずにやりたいことを貫いた印象を受けます。結局、田中は結核で夭逝し、公刊版は約1年で終刊した。だからこそ、とても純粋なものが凝縮したまま残っているようにも思います。
―『月映』の木版画のどんな部分に、魅力を感じますか?
篤弘:1つは「かすれ」が味になっているところですね。今回の展示作品は、すっきり整理されているものと、意図してノイズ的な「かすれ」を活かすような作品とがありますが、僕は後者にすごく惹かれます。それは感覚的なもので、理屈ではないのかもしれません。
浩美:最近はデジタルでもそうした「昔っぽさ」を出そうとすることもありますよね。あえて文字の並びをガタつかせたり、よごれを加える処理をしたり。
篤弘:それなら最初からアナログでいいじゃないかと思うけれど(笑)。でもそう考えると、彼らの木版画は、いまデジタルでグラフィックを扱う人たちにも、新鮮に映りそうです。版画ってインクのレイヤー(層)を重ねてできている。僕たちも版画をやっていたので、パソコンの描画ソフトを使い始めた当初、そこにレイヤー構造があることに懐かしさを感じました。その身体的な経験からくる面白さをデジタルでも表現できたら、新しい可能性が生まれそうです。
田中恭吉 版木『焦心』1914年 和歌山県立近代美術館蔵(10月12日までの展示)
―アナログな手作り好きにも、デジタルネイティブの世代にも、それぞれ刺激や発見がありそうですね。
浩美:私家版では、目次まで木版で作っていますよね。自らの手で描き、版木を彫り、そして刷って……。私たちもそんな作り方から出発し、自ら開いた展覧会を観てくださった方がきっかけで最初の本が生まれ、今に至ります。最近はデジタル制作も増えましたが、やはり自分の手を動かし、糊やインクで手を汚しながら生み出すゆえの強さってあると思います。
篤弘:懐かしさとも違う、「何かを作るって本来こういうものだよね」という気持ちが自然と湧いてきました。その意味では、彼らの作品に驚くというより「安心」したのかな。もちろん刺激も受けましたが、心も手も、この感覚を忘れずにいたいな、と感じました。
誰もが同じ共感をするのではなく、人それぞれの想いで「自分にしかわからないこと」を作品に見る。それが本当の普遍性ではないでしょうか。(吉田浩美)
―「クラフト・エヴィング商會」という名のもとで共同制作するお二人の目に、『月映』の三作家の関係はどう映りましたか? 田中が療養で和歌山へ、藤森が福岡へ戻っても彼らは結びつきを保ちました。まだ木版画の芸術性がそれほど認められていない時代。病身の田中を他の二人が支え、逆に田中の情熱が彼らを牽引するなど、かけがえのない関係だったようです。
篤弘:同じ方向を目指し、同じ食事をし、ごく近い場所で過ごしていると、言葉遣いから考え方まで似てきますよね。僕は昔、バンドを組んで音楽をやっていたころにそういう感覚がありました。特に若いときは顕著で、『月映』の三人も短期間で互いに強く影響を与え合ったのではないでしょうか。それは作品にも現れていて、各々の作品に相通ずるトーンがあります。その一方で、号を重ねる中で三者三様の個性もたしかに感じられます。
―田中の作品にはエドヴァルド・ムンクを思わせる不穏な美が宿り、藤森は宗教性・精神性も感じる作風に。恩地は抽象絵画的な方向を追求していったように見えます。お二人は藤森の作品がお気に入りのようでしたね。
浩美:すごくモダンですよね。そして、1枚の小さな絵から物語を強く感じます。
篤弘:最初、彼の初期作品は小説の挿画として描かれたのかなと思ったんです。実際は違ったのですが、背後に物語を感じさせる力があるのでしょうね。
藤森静雄『瞳』(『密室』9より)1914年 和歌山県立近代美術館
―たしかに、観る側の想像力を刺激しますね。オスカー・ワイルド(19世紀末のイギリスの作家)『サロメ』の挿絵で知られるオーブリー・ビアズリーなどに通じるような。
篤弘:クラフト・エヴィング商會の作品も、小さな断片を示すことで、その向こうに広がる物語を想うきっかけを届けたいと考えています。「小さな」というのが大事で、絵でも本でも、小さなところに「豊かな奥行き」を感じるとき、人は思わず立ち止まり「いいな」と感じる。藤森の作品は、そうした物語の入口のようなものを明快に感じました。
―『月映』の魅力の秘密は、そこにもある?
篤弘:でもそれは絵や小説に限らず、どんなものからも生まれ得るはずです。たとえば展覧会場の東京ステーションギャラリーには、『月映』と同じ約100年前の東京駅舎のレンガの壁が残されています。僕らはこの壁から、自然とその歴史や背景に想いを馳せることになります。
三人が交流のあった竹久夢二の店「港屋絵草紙店」での展覧会ポスター 和歌山県立近代美術館蔵
―背景といえば、『月映』では、表現と作家たちの人生との密接さも感じます。病に冒された生命を削るように創作した田中は、言い知れぬ不安と鋭敏な美が共存する作品を残しました。藤森の実妹がやはり病気で亡くなると、彼らは死者への哀悼と感謝を主題にした号も発行しています。一方でクラフト・エヴィング商會の創作は、架空の奇妙な世界からインスパイアされる印象で、対照的にも見えますがいかがでしょう?
クラフト・エヴィング商會の作品 撮影:CINRA.NET編集部
篤弘:たしかに僕らの作品にはそうした要素がありますが、じつはゼロから「架空を描く」より、夫婦でもある僕らの「日常の会話」から発想することがほとんどです。最初に気になる「言葉」があって、そこに多様なイメージや物語が集まってくる。これは、僕が個人で書く小説でも同じです。
―以前に「普遍的な言葉として最良なのは、読んだ人が『どうして自分だけが知っていることが、ここに書いてあるんだろう?』と感じるもの」ともお話していましたね。
浩美:ええ。1つの表現に対して、誰もが同じ共感をするのではなく、人それぞれの想いで「自分にしかわからないこと」をそこに見る。こうした感覚を多くの人たちが抱くもの、それが本当の普遍性ではないかなって。
そもそも詩というもの自体が、死や苦悩と切り離せないものでもあると感じます。(吉田浩美)
―「月」といえば、クラフト・エヴィング商會には『ムーン・シャイナー』という作品や同名の会報誌的な新聞があり、篤弘さんの小説にも『月舟町三部作』とされる代表的シリーズがあります。月に抱くイメージや思い入れはありますか?
篤弘:月派というか……さんさんと輝く太陽ではないかもしれません。『月映』でも、色使いをはじめとして、全体にそれを感じました。終刊後も精力的に活動した恩地には明るさも感じますが……。この言葉を使うとそれが全てとなってしまいそうですが、結局「孤独」なのでしょう。寂しさといったほうがいいのかな。でも、あからさまにそうした言葉を使いたくない。それで、「月」のような言葉に置き換えるのではないですかね。
―田中は少年時代に母を、恩地も10代で兄妹を亡くしています。それぞれ固有の喪失感や疎外感も抱えていたのだろうか、という想像も働きます。
篤弘:初期の回覧雑誌の仲間も病で他界していたようで、当時は、若くても死と隣り合わせである感覚が強かったのでしょうね。そう思うと、「寂しい」を超えたもっと強い感情があったのかもしれません。
浩美:でも、そもそも詩というもの自体が、死や苦悩と切り離せないものでもあると感じます。
―展覧会の最後には、日本近代詩の父・萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』があります。表紙は、田中の静謐で幻想的なペン画『夜の花』。萩原は『月映』を通じて田中に注目し、協力を依頼しました。しかし計画の途中、『月映』最終号の発行直前に、田中が23歳の若さで病死。そこで『月に吠える』は、生前の作品をもとに恩地がデザインを担い実現させたそうです。
田中恭吉『夜の花』(『月に吠える』より) 和歌山県立近代美術館蔵
篤弘:萩原朔太郎もやはり「太陽」ではなく、「月」の詩人だったと思います。そう考えると、『月に吠える』と『月映』の関係を想像するのも興味深いですね。展示のいちばん最後にこの詩集が展示されていたのが、とても印象的でした。そこから先は『月映』の世界を朔太郎が引き受けた、とまでは言えないかもしれませんが、彼のおかげでより広い人たちが田中たちの表現にふれることができた。そして、広くは語られてこなかった『月映』の活動に、今回は光が当たったわけですよね。
架空の物語などねつ造しなくても、この世界では本当に興味深いことが現実に起きている。(吉田篤弘)
―ところで、クラフト・エヴィング商會という名前は、小説家・稲垣足穂の文章に由来するそうですね。彼は『月映』の三人より少し若い世代で、やはり天体や夜にまつわる詩的な描写が多い作家です。両者に通じるものも感じますか?
浩美:足穂の場合は、より根源的に、宇宙の神秘のようなものを自分なりに解明したかったのかな、という感じを受けます。「遠方では時計が遅れる」という表現とか、科学者の研究を自分なりの言葉で書いています。
篤弘:科学の言葉だけでは宇宙は語りきれない、だから詩の言葉で言い当てたいと思ったのではないでしょうか。たとえ言い当てられなくても、その格闘の痕跡を書き残すことで、何か感じてくれる人はいると考えていた。僕にはそんな風に思えます。他方、そのモダンな感覚が世の流れにも上手く乗ったことで彼は流行作家になりました。『月映』はそうならなかったけれど、足穂もまた基底に「寂しさ」がある人で、そこは『月映』の三人とも通じる感じはします。単なるロマンティシズムとは違って、足穂という作家自体が誰にも語りきれない存在というか……そこに惹かれます。
―その点では『月映』にも、いまだ「想像の余白」が豊かにあるのが魅力でしょうか。たとえば、田中作だと考えられてきた木版画『死にたる泪』が、近年になって恩地作だとわかっています、また、藤森と恩地の外見が似ていて、双子と間違われた、といった面白い逸話も見られます。
篤弘:想像の余白という意味では、公刊版『月映』の非常にシンプルな表紙が、第6号でいきなりガラリとグラフィカルなものに変わったのが興味深かったです。
浩美:売上的には厳しかったようですから、もう少し親しみやすいというか、当時の流行などもある程度意識した結果なんでしょうか……。
篤弘:それまでの号よりずっと現代的な印象です。何がああいう表現の跳躍を生んだのか、とても興味が湧きます。
―そうしたミステリアスとも言える吸引力は、クラフト・エヴィング商會の創作にも通じそうですか?
篤弘:じつは、展示会場をめぐりながら「僕らがいつか作りたい『架空の展覧会』のようにも感じられるね」と、こそこそ話していました。それくらい、僕らにとっては親しみが持てる展覧会だったからです。でも、まさに『月映』を取り巻く出来事が示しているように、わざわざ「架空の物語」をねつ造しなくても、この世界では本当に興味深いことが現実に起きているんです。
―我々の多くがまだそれを知らないだけだ、と。
篤弘:その点で『月映』もこの展覧会も、適当にミステリアスで、ほどよく想像力が刺激されました。思えば我々がなぜ展覧会に訪れるのかといえば、人それぞれ、そうした「発見」に出会いたいからなのでしょうね。
―創作の衝動から発見への希求まで、今日は時代を超えて息づくものについてお話を伺えたと思います。ありがとうございました。
- イベント情報
-
- 『月映』展
-
2015年9月19日(土)~11月3日(火・祝)
会場:東京都 丸の内 東京ステーションギャラリー
時間:10:00~18:00(金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(10月12日、11月2日は開館)、10月13日
料金:一般900円 高校・大学生700円
※障がい者手帳等持参の方は100円引き、その介添者1名は無料
※小・中学生は無料
※会期中一部展示替えあり{詳細(複数ある場合もあります)}
- プロフィール
-
- クラフト・エヴィング商會 (くらふと・えゔぃんぐしょうかい)
-
吉田篤弘(作家)、吉田浩美(装幀家)によるユニット。名称は稲垣足穂の文章中の「クラフト・エビング的な」という表現に由来する。2001年『稲垣足穂全集』『らくだこぶ書房21世紀古書目録』で『第32回講談社出版文化賞ブックデザイン賞』受賞。
- フィードバック 3
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-