維新派。どこか不穏さを感じさせる名前の、この不思議な演劇集団は、その表現方法も独創的だ。埋め立て地や山奥に巨大な舞台を仮設し、数十人の白塗りの役者が、都市や山嶺を借景にして幻想的でノスタルジックな群衆劇を展開する。作品のために作られた街のような舞台は、終演後に即座に解体され、跡形もなく消えてしまう。とんでもなく壮大で、そして同時に脆く儚い演劇体験を求め、多くのファンが年に1度の野外劇に押し寄せるのも頷ける。
同集団を主宰する演出家・松本雄吉による作品が、池袋の東京芸術劇場で上演される。取り組むのは寺山修司の戯曲『レミング~世界の涯まで連れてって~』。野外ではなく劇場内での作品だが、寺山のシュールな世界観と、松本がこだわる身体性が融合することで、時間も場所も問わない作品が生まれることだろう。稽古に打ち込む松本に話を聞いた。
俳優は、世間への違和感さえ持っておけばいい。俳優自体が「違和感病」を体現した職業だと思っていますからね。
―今秋上演される『レミング~世界の涯まで連れてって~』(脚本・寺山修司)は、キャストを大きく一新しての再演になりますが、パルコ劇場での初演(2013年)は、寺山修司の没後30年、そして今回の再演は生誕80年なんですね。今回、松本さんは「若さ」を描きたいと考えているとか。
松本:『レミング』にはいろんな要素があって、その1つは都市論なんですよ。若いころの寺山さんが青森の田舎から上京してきて大都会東京に抱いた憧れや違和感、それが彼なりの都市批評になっていると思うんですよね。初演では、八嶋智人くんや片桐仁くんという非常に手慣れた役者たちが上手に演じてくれましたけど、今回は若い人から見た東京像を描きたいと思って。
―松本さんは主宰する維新派でも、洗練された俳優の演技を見せるために演出しているわけではないですね。
松本:これは単純に言って一言。世間への違和感さえ持っておけばいい。役者という職業自体が「違和感病」を体現した職業だと思っていますからね。
―違和感なくして俳優にはなれない?
松本:ま、他にもあるかな。占い師になるとか(笑)。最近は器用な子も多いけど、ひと昔前は役者でダメなら死なにゃしゃあないな、っていう感じの子が多かった。「申し子」って言葉があるじゃないですか、宇宙の申し子とか。役者も申し子。僕の役者像というのは、昔の階級制度でいうたら最下層の存在。でも一番下の存在だから一番上よりも偉いかもしれない、神様に一番近い存在かもしれない。
―下と上が循環しているんですね。
松本:山海塾や大駱駝艦(いずれも舞踏集団)の人らは、剃髪して、ちんちん見えるぐらい細いパンツを着て、全身を白塗りするでしょ。あれ自体が出家みたいなもので、明らかに違和感の塊でしょ。そうやって日常と切断しないと役者なんてやれない、っていう感覚ですね。
―松本さんは俳優として活動した時期がありますから、実感がこもっていますね。ただ大学生のころは美術、絵画を勉強していたと聞きました。演劇に傾倒していったのはなぜですか?
松本:それは1960年代ごろの一般的な動向でね。文学や絵は間接芸術じゃないですか。それに比べて、身体を使ったボディアート、自分そのものを出す直接表現こそが一番すごい、という「直接性の時代」だったと言えばいいかな。政治的に言えば「選挙」じゃなくて「テロ」。選挙でなんにもならない1票を入れるよりも、一番悪い奴がおったら直接やっつけてしまえ、っていうね。
―時代的にも1960年に浅沼稲次郎暗殺事件(日本社会党委員長・浅沼稲次郎が、演説中に17歳の少年に暗殺された事件)が起きたり、学生運動が活発な時期でした。松本さんは大阪出身ですが、当時の関西は具体美術協会(1954年に結成した前衛美術家集団。「今までにないものを作れ」を合言葉に、カテゴライズ不能な表現を繰り広げた)が全盛のころですね。そのリアリティーも強くあったのでは?
松本:具体は、自分の身体を「ない」ことにはしないですからね。たとえば村上三郎(具体美術協会のメンバー)だったら紙破り。ルーチョ・フォンタナ(20世紀イタリアの美術家)は、キャンバスにナイフで切り込みを入れて空間を際立たせたけれど、村上は自分自身の身体が紙の向こうに行かないといかんから、紙に向かって突進したんですよ。観念だけが向こう側に行っても仕方ない。
会田誠の滝をバックに大勢の女学生がいる作品に勇気づけられた。彼も風景のなかに入りたいという欲望があるんじゃないかな。
―1950年代から70年代は、終戦して20年前後が経って社会のいろんな場所に矛盾や鬱屈が浮上してきた政治の時代でした。松本さんもそれを強く感じていましたか?
松本:直撃ですよ。大学で絵なんか描いている場合かとイライラしてました。当時は、アメリカンポップアートの動向も海の向こうから届いていたし、東京では赤瀬川原平らが「ハイレッド・センター」とかいうグループを組織して、なんか知らんけど看護婦さんみたいな恰好(実際は白衣姿)をして街を歩いてるらしいぜ、とか断片的な情報が伝わってきた。理屈じゃなく、若いときの僕らにはぴんとくるんですよね。「あ、かっこええな!」って。直感的に。
―それは当時の『美術手帖』など、雑誌を読んだりして得た情報ですか?
松本:それより前ですね。僕らの世代はヒッピーがおって、ヒッチハイクや汽車のタダ乗りで東京と大阪を往復しとったんですよ。映画『イージーライダー』の時代で、「越境」する奴らが多かったんです。そいつらから「東京には状況劇場(1962年に劇作家・演出家の唐十郎が設立したアングラ劇団)といって、花園神社で赤いテント立てて芝居やっている奴がいる」と聞く。「神社」「赤いテント」「状況劇場」。その3文字聞いたら、ぐらぐらっと想像力が湧いてきて、勝手に芝居作っちゃう。言葉の響きが、自己解釈、イメージを増殖させる起爆剤になっていた。
―それが維新派の活動につながっていくんですね。松本さんが、いまのような野外劇をはじめられたのはいつですか?
松本:最初から野外劇しかしてなかったんですよ。そのころ、僕らは「ハップニング」(ハプニング。ニューヨークで生まれたパフォーマンス的な表現動向)と言っていて、元旦に葬式するとか、日常に対するアンチテーゼだったんですね。心斎橋の真ん中で檻に入って、外を歩いている連中に「お前らこそが檻のなかに入ってるんだ!」と叫んでみたり。ひがみ者の根性ですよ(笑)。つまり最初から美術的なシーンと、ちょっとドラマを含んだような筋書きが同居していて、それからヨーロッパの翻訳劇をやることに飽きていた演劇の人らと知り合って、僕はどんどん演劇のほうに傾斜していった。
―維新派が現在のように巨大化した理由はなんでしょうか。9月に上演された新作『トワイライト』は、奈良と三重の県境の村の運動場を舞台にした作品でした。毎年上演する野外劇は、舞台だけでなく屋台などもゼロから作って、ほとんど町作りと言っていい規模です。映画『地獄の黙示録』で、カーツ大佐がベトナム奥地に築いた王国のようです。
松本:その表現は的確かもなあ(笑)。1980年ごろは大阪の南港というところを拠点にして、野外劇ではあっても常設的な空間で作品を作っていたんですよ。でも、それは劇場で上演するのと同じじゃないか、と感じましてね。もっと広いところに行かなあかん。自分らの馴染みのないところに行かなあかんぞと思い直した。その後、富士山とか現実の風景のなかに人間である役者が介入する「風景画」シリーズを試みたものの、完成された自然に僕らごときが介入することの無力さに打ちのめされたり、鳥取砂丘で作品を作った写真家の植田正治や、美術家の会田誠の滝をバックに女学生が大勢いる作品に勇気づけられて、むしろ風景とのやり取りを楽しもうぜ、と楽観したり。
―会田さんの作品は『滝の絵』ですね。日本アルプスっぽい大自然の滝の前でスクール水着の少女たちが戯れるという、とても変態的な、しかし心打たれる傑作です。
松本:会田さんにも風景のなかに入りたいという欲望があるんじゃないかな。風景というのは「他者的」なんですよ。人間がいなくても風景(=世界)は常にある。でも、僕らが体験した政治の時代は、風景ごと激しく揺れているように思えて、自分たちの生き方の激しさと世界が同化しているように思えた。それは一種の妄想だけど、その妄想に正当性を感じる瞬間と、やっぱり風景は自分とは明らかに違う存在だと感じる瞬間がある。その両方の駆け引きを、演劇の構造のなかでもやれるんじゃないか……維新派では、まあそんなことを考えてますね。
「表現」をする人はみんな賢くて「行為」はバカがやる。だから、やむにやまれずやった少年犯罪に僕はどこかで共感してしまう。
―先ほど、1960年代は「直接性の時代」で、悪い奴だと思ったら、その人を直接やっつけてしまう時代だったというお話がありましたが、これまでの松本さんの活動にもそういった要素はあると思いますか?
松本:どうなんでしょうね。実際に僕らは人を殺せないですし、やらなかったですけど。でも「表現」じゃなくて「行為」をしよう、ということはずっと考えてきましたね。
―行為ですか。
松本:行為は、誰かがいなくてもやる。北極でも無人島でもやる。冒険者なんかはそうですよね。一方で表現者は、劇場とかなにか引き受ける人がいるところではじめて成立する。じゃあ「一人きりでもやりたいことがありますか?」と問われたとき、僕たちはなにができるか。一人きりでも本当にやりたいことがなかったら、行為はやれないですよね。仮にある時代の演劇が社会革命のためのきっかけ作りだったとすれば、実際は演劇なんかやらずに王様を暗殺したらいいわけですよ。行為としてはね。
―なるほど。
松本:ただ現代人として、もちろん人を殺すつもりもないし、僕らもあくまで演劇をやっている。じゃあそういうところでの「行為性」はありうるのか? を、僕らも問いながらやっているんですけどね。じつは、僕らはテロに近いことをやっているんですよ(笑)。
―それはいったい?
松本:「花テロ」言うて、土団子のなかにひまわりの種を入れてね、よその家にぽーんと投げ入れたりするんです。爆弾のかわりに、金持ちの家の庭に種を放り込む。
―(笑)。ベトナム戦争に反対した1960年代のヒッピーみたいですね。それはいつやっていたんですか?
松本:え? 去年まで。
―最近の話なんですね!(笑)
松本:今年はまだやってないというだけで、止めたわけではない。日常にイライラしているというかね。みんな似たようなことばっかり言って、賢い人がバカをいじめているような時代は、「バカの叛逆」というか、そういう感じのことが僕らの仕事じゃないかなという。それは表現じゃなくて、行為なのね。表現をやる人はみんな賢いから、行為はバカがやるんだと。だから、やむにやまれずやった少年犯罪に僕はどこかで共感してしまう。1960年代に連続ピストル射殺事件を起こした永山則夫(元死刑囚、獄中で書いた小説『木橋』で『第19回新日本文学賞』を受賞)は、行為をやった。それを足立正生がドキュメンタリー映画という表現にしたでしょ。
―『略称・連続射殺魔』(1969年)ですね。
松本:2013年に僕が演出した『十九歳のジェイコブ』(原作・中上健次、脚本・松井周)もそういうところがあって。寺山修司風に言えば、演劇こそが一番きつい、偏った、辺境の表現で、そういった「行為」にも寄り添っていかないといけないと思うんですよ。
寺山修司は「現実より架空の方が偉い」「演劇には架空が現実を超える力がある」と本気で言ってました。
―『レミング』を書いた寺山修司についてはいかがですか。
松本:寺山も僕の言う「行為」にこだわった人だと思いますけど、彼の場合は、僕らよりもっと洒落ていますね。演劇の「架空性」をものすごく信じる人ですからね。
―架空性を信じる?
松本:「現実より架空の方が偉い」って言うてますからね。有名な話ですけど、『あしたのジョー』のマンガ連載で、力石(徹)というボクサーが死ぬんですけど、あくる月に寺山さんは本気で葬式しましたからね。「演劇には架空が現実を超える力があるんだ」と本気で言うてたんですよ。
―そんな寺山の『レミング』を、松本さんはどのように演出されたのでしょうか?
松本:ものすごく悩みました。僕は維新派を中心に、自分の文体でしかやってきていない男なんでね。人が書いたテキストって気持ち悪いんですよ。女言葉とか哲学用語とか、読むだけでじんましんが出そうなんです(笑)。だから初演のときは、自分の血を、別の血に入れ替えるような覚悟と作業が必要でした。稽古に入って八嶋くんの声でセリフが話されると、拒否反応も薄くなったんですが、昔一緒にやってたようなアングラ俳優が話したら、じんましんが出てた気がするな(笑)。
―でも最近は、サンプルの松井周さん、マレビトの会の松田正隆さんなど、若い世代の戯曲を演出する仕事も増えていますね。
松本:理由の1つは、維新派ではそんなにいろいろやれないなあ、って実感があるからです。いい意味でなんですけどね。だから、まったく維新派と違う世界にも触れたいと思う。『石のような水』は松田正隆さんの脚本でしたけど、よくあれだけ膨大な量を書けるなと思います。気持ち悪くすらあって、だから逆に面白い。呼吸感の追体験というか。彼らが戯曲を書きつつ想像している、役者の息のリズムを感じて、稽古の場では役者さんの身体を通して教わってさらに理解する。他の人の戯曲を演出すると、それがものすごく見えてきて面白い。
―松本さんはすでに半世紀近いキャリアをお持ちですが、常に新鮮な驚きを感じているんですね。
松本:それがないと、ダメなんですよ。維新派は、あるときは演劇的な視点、次は風景と言い出し、また次は美術とか言ったりして、妙なステップで山を登ってきた感じです。すごくいい加減なんです。
―平田オリザさんや鈴木忠志さんといった、演劇界の重鎮の作品や発言には自身の表現に対する揺るぎなさを感じます。維新派にも独自の様式や美学を感じるので、「いい加減」発言はけっこう意外です。
松本:平田さんや鈴木さんは、若い人たちの演劇を鋭く批評するしょう。でも、僕はあれができないよね。「え? ちょっとおもろいやん!」って思ってしまうから(笑)。理路整然と考えられないのは、大阪人特有のテキトーさかもしれんね。
―今回の再演では、役者も美術も変わるそうですね。演出的には青葉市子さん演じる少女が歌唱するシーンも追加されるとか。
松本:最初に言ったように、若い人の視点で『レミング』を読み直そうとしています。初演では、僕も八嶋くんたちもいい年齢で、都会への憧れとか母親に対する愛憎も「そういうのあったよね、でもいまさら語るのは恥ずかしいよね」と片付けていたものに、今回は真正面からぶつかろうと。役者も若いですからね。主演の溝端淳平くんが「『レミング』やりはじめてわかりましたけど、僕もマザコンですわ」と言ってたんですが、そんなことを気づけるような稽古にしたいと思っていたんですよ。それは僕にとっても新鮮。僕はかっこつけの人間だったから「青春とはなんだ……?」なんて、眉間にしわ寄せて考えたこともなかったんでね。
―ああ……それは1960年代らしい若者像ですね。
松本:この歳になって、悩むこととか、喜ぶこととか、素直に考えるチャンスがあるのは嬉しいですよね。
- イベント情報
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- 寺山修司生誕80周年 音楽劇
『レミング~世界の涯まで連れてって~』 -
作:寺山修司
演出:松本雄吉(維新派)
上演台本:松本雄吉、天野天街(少年王者舘)
出演:
溝端淳平
柄本時生
霧矢大夢
麿赤兒
ほか
企画・制作:パルコ / ポスターハリス・カンパニー
協力:テラヤマ・ワールド / 維新派
製作:パルコ
東京公演
2015年12月6日(日)~12月20日(日)全17公演
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 プレイハウス
料金:S席8,600円 A席7,500円 U-25チケット5,000円 高校生1,000円
主催:パルコ
共催:東京芸術劇場(公益財団法人東京都歴史文化財団)
福岡公演
2015年12月26日(土)、12月27日(日)全2公演
会場:福岡県 北九州芸術劇場 大ホール
料金:S席8,000円 A席6,000円 ユース(24歳以下)3,500円 高校生1,500円
主催:公益財団法人北九州市芸術文化振興財団
共催:北九州市
愛知公演
2016年1月8日(金)全1公演
会場:愛知県 名古屋 愛知県芸術劇場大ホール
料金:S席9,000円 A席7,000円 U-25チケット4,500円
主催:メ~テレ
大阪公演
2016年1月16日(土)、1月17日(日)全3公演
会場:大阪府 森ノ宮ピロティホール
料金:8,500円
主催:朝日放送 / サンライズプロモーション大阪
- 寺山修司生誕80周年 音楽劇
- プロフィール
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- 松本雄吉 (まつもと ゆうきち)
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1970年に大阪で「日本維新派」(87年に維新派と改名)を結成し、1974年以降の全ての作品で脚本・演出を手掛ける。野外に自らの手で建築する劇場、「ヂャンヂャン☆オペラ」と名付けた関西弁のイントネーションを生かしたケチャ音楽のような台詞、内橋和久の音楽など、すべての要素をディレクションした前衛的な総合芸術として作品を発表している。2004年『読売演劇大賞優秀演出家賞』、2008年『芸術選奨文部科学大臣賞』、2011年『紫綬褒章』などを受賞。最近の演出作品には『MAREBITO』(2013年)、『石のような水』(2013年)、『十九歳のジェイコブ』(2014年)、『透視図』(2014年)などがある。今年は9月19日~27日まで奈良・曽爾村健民運動場にて維新派新作野外劇『トワイライト』を上演し、好評を博した。
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