2006年のデビュー作『parcage』で、日本のエレクトロニカ界に彗星のごとく登場した宮内優里。当時はmiyauchi yuriと名乗っていた彼の才能にいち早く惚れ込んだのが、高橋幸宏だった。ライブでの共演やリミックスなどでの関わりを経て、2011年のアルバム『ワーキングホリデー』には高橋がゲストボーカルで参加。そんな経験が宮内にとって大きな財産となっていたことは、言うまでもないだろう。
デビュー10周年の記念すべき年に発表される宮内の新作は、その名も『宮内優里』。全編インストゥルメンタルに回帰して、一聴『parcage』を連想させるが、10年間の様々な歩みがここに凝縮され、まったく違う次元の作品になっている。そこで今回は高橋を招き、宮内と二人でデビューからの歩みを振り返ってもらった。現状にとどまることを良しとせず、常に「出口主義」を掲げる高橋の音楽家としてのあり方は、宮内にも確実に影響を及ぼしていたことがよくわかる対談になったように思う。
最初に聴いたとき、日本人だと思わなかったんです。(高橋)
―幸宏さんは宮内さんのことをいつ頃知ったのでしょうか?
高橋:僕が『BLUE MOON BLUE』(2006年)を出した頃に、Rallye(レーベル)から出た『parcage』を聴いて、「日本でこういうエレクトロニカをやってる人がいるんだ」と感心して。それで僕のツアーに出てもらったんです。
宮内:僕、そのときまだ10回くらいしかライブをやったことなかったから、お誘いをいただいたときに、「出たいですけど、責任が取れません」って言った覚えがあります(笑)。
高橋:そのツアー(『高橋幸宏 Presents 4 MOONS' LIVE“Something Blue”』)がちょっとフェスっぽい感じというか、アルバムに参加してもらったスティーヴ・ジャンセン(ドラマー、元JAPANのメンバー)とかマーク・ビアンキ(HER SPACE HOLIDAY名義でも知られるシンガーソングライター)にも出てもらって、最後に一緒に演奏するというものだったんです。そのトップバッターだったから……結構きつかったと思う(笑)。
宮内:今思うとホント恐ろしいことに挑戦したと思うんですけど、当時は若過ぎて怖さを知らなかったんですよね。すごく覚えてるのが、用賀の大きいスタジオで通しリハがあって、そのときに初めて幸宏さんにお会いしたんですけど、僕がVJでふざけた映像を使ってたから、「幸宏さんに怒られないかな?」とビビっていて。そのときが一番緊張しました(笑)。
―幸宏さんは宮内さんのどこに一番の魅力を感じたのでしょうか?
高橋:最初に聴いたとき、日本人だと思わなかったんです。Morr MusicかKaraoke Kalk(どちらもエレクトロニカを代表するドイツのレーベル)の人かなって。
宮内:当時Rallye Labelからリリースしていたアーティストはほとんどが海外の人で、日本人はほぼいなかったんです。
高橋:で、「そのうち誰かと一緒に歌やったら?」みたいな話をしてたら、実際にその後ゲストボーカルを入れた歌ものをやるようになって。でも今回のアルバムを聴いたら、またインストに戻ってた(笑)。
宮内:売れなさそうなものを作っちゃいました(笑)。
―宮内さんにとって幸宏さんはどんな存在だったんですか?
宮内:僕は生まれたのがYMOの散開の年(1983年)なので、小さい頃から聴いていたというわけではなくて、しっかり聴くようになったのはSKETCH SHOW(高橋と細野晴臣によるエレクトロニカユニット)からです。20歳前後の頃、エレクトロニカをいろいろ聴き漁ってる中で、「なんてかっこいいおじさんたちだ」と思って。
高橋:SKETCH SHOWが2002年に1枚目(『AUDIO SPONGE』)をavexから出したとき、ものすごい数の取材を受けたんですよ。そうすると、中には小賢しいインタビュアーがいて、「エレクトロニカよりもフォークトロニカに近いんじゃないか?」とか言うわけ。それで、だんだん細野さんとかむっとしてきちゃって、次の年に出したアルバムが「なにトロニカって呼ばれてもいいよ」という意味で『tronika』だった(笑)。
幸宏さんは最初の頃から「僕、これにメロディーつけられるよ」って言ってくださってたんですけど、「実力をもうちょっとつけてからお願いさせてください」ってずっと言ってたんです。(宮内)
―その後はTYTYT(高橋幸宏+宮内優里+高野寛+権藤知彦)としてライブをしたこともあり、2011年に発表された『ワーキングホリデー』では“Sparkle(feat. 高橋幸宏)”を共作されています。『ワーキングホリデー』は他に星野源さんや原田知世さんも参加されていて、歌ものが中心のアルバムでしたが、初期のインストからどのように変化していったのでしょうか?
宮内:デビューしてすぐの頃は、ライブをやるつもりがまったくなくて、BGM的なインストを作っていたんです。でも、レーベルの意向もあって徐々にライブをやるようになって、その中で幸宏さんのツアーにも出させてもらって。最初はパソコンからオケを流してギターを弾くスタイルだったんですけど、そこからリアルタイムでループを録るスタイルになったらお客さんが盛り上がるようになって、だんだん「もっと盛り上がるライブをやりたい」という欲が出てきたんです。それで、もともとJ-POPとかを聴いて育ってるので、歌をやってみようかなって。
高橋:優里くんの曲を聴いて、「僕、これにメロディーつけられるよ」って話をしてたんだよね。
宮内:最初の頃からそう言ってくださってたんですけど、「実力をもうちょっとつけてからお願いさせてください」ってずっと言ってたんです(笑)。このときは、僕はメロディーに一切手をつけずに、トラックをいくつか送った中から幸宏さんに選んでもらってメロディーをつけてもらいました。すごくクールな、かっこいい曲ができて嬉しかったです。
高橋:あと僕が優里くんのことで今でもよく覚えてるのが、僕の誕生日パーティーで獅子舞を踊ってくれたんだよね(笑)。
宮内:覚えててくださったんですね。幸宏さんの誕生日パーティーに呼んでいただいて、でもプレゼントとしてなにをお持ちしたらいいか全然分からなくて。悩んだ挙句、うちの親父が和太鼓奏者なので、獅子舞を借りて持って行ったんです。ただ、いつやったらいいか全然分からなくて(笑)。そうしたら、宮沢りえさんがいらして、もちろん初対面だったんですけど、「やるなら今しかないわよ。引っ張れば引っ張るほどつらくなるから」って背中を押してくれて、もう一心不乱にやりました。覚えててくれてよかったあ。やった甲斐がありました(笑)。
何事も、螺旋階段みたいなものなんですよ。世の中なんでも繰り返してるんだけど、まったく同じものにはならない。(高橋)
―途中で話にも出たように、新作の『宮内優里』は再びインストゥルメンタルのアルバムとなりました。2012年にはインストのミニアルバム『トーンアフタートーン』も出ていましたが、どういった変遷を経てここにたどり着いたかを話していただけますか?
宮内:『ワーキングホリデー』のときは僕の中のポップを目指して歌ものを作って、個人的にいいものができたという手応えがあったので、「これ以上はない」と思って『トーンアフタートーン』ではインストに戻ったんです。『トーンアフタートーン』は、ループマシーンを使ったら全曲ライブでできるような作り方をしたんですね。でも、ちょっとそれに疲れちゃったというか、自由に曲作りができない面もあったので、今回はその枠をもっとゆるくしようと思って。そうしたら、だんだんファーストの頃のサウンドに戻っていきました。
高橋:元に戻ってはいるんだけど、貫録ついたよね。地に足がついてるというか、最初の頃は表面的な部分では他の人が作るサウンドに近かったところもあったけど、今回はもう自分のものになってるなって。
宮内:前の作品までは楽曲のドラマチックさとか、ライブ映えするアレンジみたいなことを意識してたんですけど、今回は質感をずっといじってただけなんです。でも、その作業がすごく楽しくて。
―今はソフトも進化して誰でも一定以上のクオリティーのものが作れるようになったけど、その分全体的にどれも音が似ていて、質感ってすごく大事なポイントになってますよね。
高橋:一番趣味の良さが問われるところですよね。誰でもそれっぽいのはできるんだけど。ミックスも家でやってるの?
宮内:マスタリング以外は全部家ですね。なので、ちょっとフィールドレコーディングで外に出た以外は、ずっと家にいて作ってました(笑)。
―今回セルフタイトルをつけたのは、どんな意味があるのでしょう?
宮内:今回の作り方って、ホント「自然と戦う」みたいな感じで。
高橋:どういう意味?
宮内:なんだろう、釣りをしてる感覚というか……今までは「こういう曲にしたい」というのがどこかに必ずあったんです。でも今回は、どんな曲になっても構わないと思いながら作業してる感じだったんですよね。締め切りも特になかったので、1年半くらいのんびり時間もかけて。とにかくいろいろ試して、まぐれみたいな感じで出てきたものを曲にしていったんですよ。たとえば、リード曲になってる1曲目の“neuh”は、一番最初のフワーって音が気に入ってるんですけど、あれは8個くらい楽器を重ねて作った音なんです。フルート、ギター、ピアノ、声……いろんなものを重ねることで、自分でオリジナルの楽器を作るみたいな。そうやってまぐれを掴んでいくように作ったので、最初はあんまり自分の作品という感じがなかったんですけど、曲が揃ってみると、今の自分の心境に近いものを感じています。
高橋:ものを制作するって、そういうもんですよ。作品について語ってることなんて、あとから勝手にこじつけてるだけなんです。でもそうやって色々考えたり語ったりしていると、ホントは偶然なんだけど、「必然だったのかも」って思うようになる。僕もいつもそう思うもん、「なるべくしてこうなったんだな」って。まあ、必然なのか偶然なのかっていうのは、謎なんだけどね。
―自分で作った感じがしないという作品だからこそ、ホントの意味で自分らしい作品なのかもしれないですね。
高橋:そうですよ。きっと優里くんそのままが出てるんだと思う。
宮内:「いい曲を作りたい」っていう気持ちはもちろん変わらないんですけど、これまではどこか自分以上のものを理想にしてたんですよね。でも今回はそこを目指さずに、自然に積み上がっていったものだけで留めた感じなんです。無理に盛り上げたりもしないで作ったら、ホントに盛り上がらないアルバムになっちゃったんですけど(笑)。
―でもそれで生まれた穏やかさが、地に足の着いた今の宮内さんを表しているなって。
高橋:それで貫録が出たんでしょうね。何事も、螺旋階段みたいなものなんですよ。世の中なんでも繰り返してるんだけど、まったく同じものにはならない。ファッションにしてもそうで、「1970年代風のファッションが流行ってます」って言っても、実際1970年代にそういうファッションをしてた人間からすると、「全然違うよ」と思うわけ。音楽もそうで、延々と回ってるんだけど、螺旋状に上ってたり下ってたりしていて、同じ所を歩むことはない。常にどこかに行こうとしてるんですよ。
―今回のアルバムはまさにそういう作品だと思います。螺旋階段を一周して、1stアルバムの場所に戻ってるんだけど、前よりも上がった場所にいるっていう。
宮内:ああ、それいい言い方ですね。僕これまでもインタビューで「一周しました」って何回か言ってたんですけど、やっと今回ホントに一周した気がします。
これからもずっと出口を探し続けるんだと思います。でも、出口だと思って出ると、入口になってるわけですよ。(高橋)
―こう振り返ると、やはり10年でいろんなことをされてきましたよね。
宮内:そうですね。最初にアルバムを出したときって、音楽を諦めていた時期だったんですよ。最初はそれこそMorr MusicとかKaraoke Kalkとかにデモテープを送って、でも全然引っかからなくて、投げやりに音楽を趣味としてやり始めたら、今のレーベルとつながって、さらには幸宏さんともつながった。そのことは今でも僕の中で大きなエネルギーになっていて、「幸宏さんがいいって言ってくれてるんだから、もうちょっと頑張ろう」と思ってここまでやって来れたんです。つい2~3年前までアルバイトしてましたからね。
高橋:でも結局、こういうアルバムを出すというのは、優里くん自体ぶれてないってことですよね。僕も「日本で売れるようなアルバムを作らないと、レコード会社に対しての責任が」みたいなことを思ってたときもあったけど、やっぱりそういうのは無理があるんですよ。結局振り返ってみると、どの作品を聴いても金太郎飴みたいに「高橋幸宏」が出てくるんです。「元気を出して」みたいな応援ソングはまず作らないし、恋愛の曲にしても、弱々しい、情けない男の歌ばっかりで、そういうのが好きな男のファンがどんどん増えちゃった(笑)。
宮内:幸宏さんって、今後どうなっていくんですか?(笑) 僕の母親がほぼ同い年なんですけど、うちの両親はゆったり暮らしている感じなのに、幸宏さんはMETAFIVEをやられたり、トリオでツアーされたりしていて、ホントにすごいなと思って。
高橋:いや、自分でもわからないですよ。やれるところまではやるかな。
―幸宏さんはよくおっしゃっていますが、現状から抜け出すことを続ける「出口主義」がこれからも続くということでしょうか。
高橋:そうですね。ピーター・バラカンも「この人はいつも出口出口って言ってる」って言ってたけど(笑)、これからもずっと出口を探し続けるんだと思います。でも、出口だと思って出ると、入口になってるわけですよ。そうするとまた出口を探さないといけなくなる。それを繰り返してるだけ。これはもう宿命ですよね。「今度こそ」と思って出口を探すんだけど、実は内心あんまり期待してなくて、「出口がない」とか「NO WAY OUT」って歌詞で言ってても、実際に脱出したいのかどうかよくわからない。もしかすると、そこから出て違うところに行って、新しい体験をしたい、別の入口を見つけたいという感覚なのかも。
宮内:僕は今回で真っ白になった感じなんです。一周して、「これからどうしよう?」っていう。実は去年初めてライブで歌い始めて、星野源さんに歌ってもらった“読書”を自分で歌ったら、ジャズシンガーだったうちの母が「意外といいよ」って言ってくれたんですよ(笑)。今回アルバムを作ってみて、やっぱり家で黙々と作るのが一番好きだなって思ったんですけど、それだけだと同じところをグルグル回っちゃうから、歌ももうちょっとやってみようかなと思ったり。とにかく、いろんな刺激を受けたいなと思ってます。
高橋:優里くんも、またきっと出口というか入口を探すんですよ。
宮内:この2~3年は映画とか舞台の音楽もたくさんやらせていただいて、外の刺激をいろいろ受けた結果、一周してファーストの頃の感じに戻ったんですよね。
高橋:そうやってオファーが来るということは、感情を動かすものを作れる人だって、周りから思われてるわけですよね。
宮内:それを最初に見出してくれたのが幸宏さんで、それはホントに僕の支えになりました。もちろん、この先も音楽家として活動していくことに対する不安は今もあるんですけど、同世代のミュージシャンともいろいろ話をしている中で、結局誰にもできない音楽をやっていれば強いわけで、なんだかんだでそこを目指すのが最短距離だと思ったんです。これからもいろんなことを螺旋状に積み重ねながら、いい音楽を作っていくしかないなと思いますね。
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- 宮内優里
『宮内優里』(CD) -
2015年11月4日(水)発売
価格:2,489円(税込)
Rallye Label / RYECD-2311. neuh
2. juis
3. etik
4. pib
5. seloe
6. yeram
7. hol
8. kowp
9. vedu
10. roaim
- 宮内優里
- イベント情報
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- 宮内優里
『IMPRO』 -
2015年11月27日(金)OPEN 19:00 / START 19:30
会場:福岡県 TAGSTA2015年11月28日(土)OPEN 19:00 / START 19:30
会場:大分県 日田 リベルテ
- 宮内優里
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- 『宮内優里&sugar me TOWER RECORDS 新宿店 インストアライブ』
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2015年12月17日(木)START 21:00
会場:東京都 TOWER RECORS 新宿店 7F
料金:無料
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- METAFIVE
『META』(CD) -
2016年1月13日(水)発売
価格:3,024円(税込)
WPCL-122941. Don't Move
2. Luv U Tokio
3. Maisie's Avenue
4. Albore
5. Gravetrippin'
6. Anodyne
7. Disaster Baby
8. Radio(META Version)
9. W.G.S.F.
10. Split Spirit(META Version)
11. Whiteout
12. Threads
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『METAFIVE “METALIVE 2016”』 -
2016年1月21日(木)OPEN 18:30 / START 19:30
会場:東京都 EX THEATER ROPPONGI
料金:7,800円(ドリンク別)
- METAFIVE
- プロフィール
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- 宮内優里 (みやうち ゆうり)
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作曲家。1983年生まれ。これまでに5枚のアルバムをRallye Labelよりリリース。アルバムには高橋幸宏、原田知世、小山田圭吾、星野源など、国内外問わず様々なアーティストとのコラボレーション作品を収録。ライブでは様々な楽器の音をたった一人でその場で多重録音していく「音の実験室」ともいうべき空間を表現する。映画『リトル・フォレスト』(監督:森淳一/主演:橋本愛)や『グッド・ストライプス』(監督:岨手由貴子/主演:菊池亜希子、中島歩)などの映画音楽、NHK・Eテレのテレビ番組『Q~こどものための哲学~』や舞台・ドラマ・CMへの楽曲提供など、活動の幅を広げている。2015年11月に約3年ぶりとなる最新作『宮内優里』を発売。
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- 高橋幸宏(たかはし ゆきひろ)
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1972年、Sadistic Mika Bandに参加。1978年、細野晴臣、坂本龍一とともにYellow Magic Ochestra(Y.M.O.)を結成、国内外に大きな影響を残したが、1983年12月をもって「散開」。ソロ活動と併行して鈴木慶一(ムーンライダーズ)とのTHE BEATNIKSとしても活動。2001年には細野晴臣とSKETCH SHOWを結成。2008年、原田知世、高野寛らとともにpupaを結成。2013年にはIn Phase、2015年には小山田圭吾、砂原良徳、TOWA TEI、ゴンドウトモヒコ、LEO今井とのMETAFIVEと、近年は年下の音楽家たちとのバンド活動が顕著である。2008年『WORLD HAPPINESS』を東京・夢の島で開催。以降、毎年10数組のアーティストが参加し、好評を博している。2016年1月13日には、METAFIVE初のオリジナルアルバム『META』が発売されることが発表された。
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