大島渚を支えた妻・明子、別人格でも大好きだった名匠の晩年を語る

『ヴェネチア国際映画祭』で観客賞を受賞するなど、各国の映画ファンから大喝采を浴びた『ハッピーエンドの選び方』。ユーモアに包まれたイスラエル版『おくりびと』という触れ込みのもと、現在日本でも公開中の本作に、なみなみならぬ共感を抱いたという小山明子。小山は2013年に逝去した大島監督の妻であり、17年にも及ぶ長い介護生活を経て、「良き死を迎えるために、今日を一生懸命生きる」ことを強く意識するようになったという。そんな彼女に、本作を見た率直な感想、大島監督の介護生活を通じて感じたこと、さらには小山が現在提唱している「終活」の勧めについて、大いに語ってもらった。

自分のことを鏡で見て、絶句してしまったの。そこには、とんでもない老婆が写っていたから。

―小山さんは本作をご覧になって、どんな感想を持ちましたか?

小山:私たち世代にとっては、本当に身につまされる話というか、現実的に「そうよね」と納得感のあるお話でした。やっぱり、ある年代以上の人は、自分の最期をどうするのか、考えなくてはいけないわよね。私自身、2013年に大島(渚)を見送っているので、映画に出てくる夫妻の話は他人事とは思えませんでした。

『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION
『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION

―「パートナーが病気になったとき、それをどう受け止めるのか?」が、本作のテーマの1つであるように思いますが、1996年に大島監督が最初に脳出血で倒れたとき、小山さん自身は、どんなことを考えましたか?

小山:最初に倒れたときは、まさに青天の霹靂というか、何の心の準備もしていなかったから、それはもう、うろたえましたよ。何をどうすればいいのか、まったくわからなかった。結局、私自身がうつ病になってしまって、その後4年間、入退院を繰り返しましたから。

―今、当時のことを振り返って、何か思うことはありますか?

小山:あのとき私は、女優の仕事を辞めてでも、大島のところに……大島はイギリスのヒースロー空港で倒れたんですけど、そこにすぐ飛んで行くべきだったという後悔は、今でもありますね。そこで行かなかったという選択が、そのあとずっと私を苦しめましたから。当時は女優のお仕事もあったし、すぐに海外に飛ぶことができなかったの。普通だったら、夫の一大事に妻が駆けつけるのは、当たり前じゃないですか。だけど、私は行かなかった。それがのちのち負い目となって、私をうつ病に追い込んだ1つの原因になっていくんだけど。

小山明子
小山明子

―近しい人の大事は、その人自身の問題であるだけではなく、まわりの人々にも、何らかの選択を強いるものですよね。

小山:ただ、こればっかりは、やっぱり準備できないことだから。がんを宣告されて余命何年ですって言われたのと違って、脳出血は突如として来るわけでしょ? この映画で描かれている認知症だってそう。あらかじめ何年後にやって来るとわかっていれば心の準備のしようもあるけれど、そうじゃないから、結局そうなったときに一生懸命考えるしかない。この映画の仲睦まじい老夫婦も、だからこそ葛藤するのよね。

―小山さんも、当時は相当ご自身を追い込まれたとのことですが、そこからどうやって回復なさったのでしょう?

小山:そうね……後悔は後悔として残ったけど、うつ病を克服するきっかけっていうのは、私の場合、見も知らぬ人の一言だったんですよ。当時は、食欲もなかったから、ものすごく痩せてしまって、ただただ大島の面倒だけをみていたんですけど、ある日、大島のリハビリについていったとき、たまたまそのリハビリ施設に来ていた女性が、私にこう話しかけてきたんです。「奥さん、あそこにいるの、大島渚よ」って。

―小山さんにですか?

小山:そう(笑)。それを聞いたとき、もう「何だ、これは」って思ってね。きっと、どっかのおばさんと思われたのね(笑)。でも、私は「あ、そうですか」って言うのが関の山で、「あれは夫です」とも「私、小山です」とも言えなくて。もうなんとも言えない気分だったんですよ。そのときの私は、絶句するばかりで、その後、すごすごと大島の車椅子を押して家に帰ったんですけど、家に着いて自分のことを鏡で見て、また絶句してしまったの。そこには、とんでもない老婆が写っていたから。

―ああ……。

小山:白髪だらけでしわしわで、当時64歳だったのに、80歳ぐらいの老婆がそこにいたんです。今、私は80歳だけど、こんなものじゃなかったわ(笑)。もっと疲れ切った老婆が、そこにいて……そのとき、このままではダメになるって思ったの。すぐメイクをして美容院に行かなくてはと思ったし、水泳教室や料理教室、ヨガの教室にも通うようになって。それから変わったの。だから、私はその見ず知らずの人のひと言で立ち直ったのよ(笑)。

結婚生活の3分の1は介護だったけど、それはけっして私にとってマイナスではなかったと思っています。

―そういうときって、身近にいる家族とかではなく、逆にまったく関係のない第三者の言葉が刺さったりするものですよね。

小山:そう。まったくの他人様ですから、そこでハッと我に返って立ち直ることができたの。もちろん、息子たちもきっと気づいていたんでしょうけど、男の子って、そういうとき何も言わないでしょ? 本当に息子は役に立たないって思ったわ(笑)。「お母さん、もっと新聞読んだほうがいいよ」とか、そういうことは言うんだけど、「もっときれいにしろ」とは言わないじゃない? だから、私はそういうひどい状態で、ただ夫の身のまわりの世話をして過ごしていたのよね。

小山明子

―この映画でも、家族の言葉より、むしろ友人たちの言葉に影響されたりしていましたよね。

小山:そう、この映画は、夫婦の話ではあるけれど、それ以上に仲間の話だと思うの。この映画に登場する老人たちって、それぞれ違う職業に就いていた人たちで、もともとまったく違う場所にいた人の集まりじゃないですか。それが同じ老人ホームで一緒に暮らしていくうちに、だんだんと仲良くなって……家族っていうよりも、仲間意識ですよね。同じ秘密を共有している仲間たちの絆というか。そういうものって、いくつになっても、すごく大事だったりするのよね。

『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION
『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION

『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION
『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION

―もうひとつ、本作の中でも描かれていた「変化してゆくパートナーの様子に、どう対応していくのか?」という点については、何か思われるところはありましたか?

小山:我が家なんか、まさにそうでしたよね。二度目に倒れた後は、ほとんど別人格になってしまったから。こちらが言うことはわかるんでしょうけど、最終的には言葉を話すのも不自由になってしまって。だけど私の中に、彼は尊敬できる人だっていうのがもう根底にあったので、彼に対する思いは、揺るぎなかったんですよ。だから、たとえどうなろうとも「パパは偉い」っていうのが私の持論で……。息子たちが家に来るといつも、「あなたたちは、逆立ちしても、パパに敵わないわ」って言い続けていたの。大島が生きているあいだ、ずーっと言い続けたんですよ(笑)。それが根底にあれば、たとえどんな状況になっても、ちゃんと向き合えるものなのよ。だから私は、最後まで面倒をみることができたの。

―そういうときって、どうしても昔と今を比べてしまいがちではないですか?

小山:アルフォンス・デーケンさんっていうドイツの死生学の先生がいて、その方が書いた『よく生き よく笑い よき死と出会う』という本があって、それはもう、私の中ではバイブルみたいな本なんですけど、そこで彼が「手放す心」ということを書いているのね。人間、何かを手放すことって、なかなか難しいんですよ。たとえば、自分は女優であるとか、映画監督であるとか、そういうことに、どうしても執着してしまう。でも、ある日、それを手放してみたら、ずっと楽に生きられるようになったの。もちろん、大島だって、かつては立派な映画監督で頭脳も明晰で、なのに今は何よっていうところはいっぱいあったけど、そういう思いを手放して、今を受け入れなくて、生きていかなくてはならないの。つらい、悲しい、情けないと思っても、やっぱり大島は大島だなっていうふうに、私には思えた。だから、そういう接し方ができたの。

小山明子

―なるほど。

小山:やっぱり人間って、その人の思い次第なのよね。で、私の場合は、そこで過去のイメージを手放して、今を受け入れることにした。この映画の主人公も、きっとそうよね。奥さんの症状がだんだん進んでいって、昔はこうだったのに今はそうじゃないっていう、その違いみたいなものが広がっていって……。それはもちろん悲しいことだし、さびしいことではあるけれど、今こうなったその人のことを愛してあげなくては前に進めないのよ。そうじゃないと、自分も生きられないから。でも、それができれば、すごく良い関係ができると思うの。そうやって、良い関係が作れたと思えたからこそ、私は生きられたし、そんな自分のことを不幸せだとは、まったく思いませんでしたよ。

『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION
『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION

―今、目の前に見えるものがすべてではないというか……。

小山:そう。『星の王子さま』じゃないけど、本当に大切なものは目に見えないのよ。だから、その見た目の変化に、ただうろたえているだけではダメなのよ。

―過去と現在の間には、そこに積み重なった、目に見えない時間や経験があるという。

小山:そうそう。結局、過去の栄光なんて、何の役にも立たないのよ。ただし、私が今、すごく元気で生きていられるのは、本当に大島のおかげとは思っています。大島が監督として素晴らしい作品を残して、映画祭やテレビで紹介されるたびに、私のところに話がくるわけじゃない? 今、私は全国で講演をしていますけど、それも大島の介護の話とか、それを通して考えた「終活」の話だったり……。大島のおかげで、私は今生きられるのよね。そう思えば、そこに感謝する気持ちが、当然出てくるんですね。結婚生活の3分の1は介護だったけど、それはけっして私にとってマイナスではなかったと思っています。

自分がどういう最期を迎えるかっていうのは、結局のところ、その人がどう生きるかっていうことに繋がってくるんですよ。

―今後、高齢化社会がますます進むにつれて、そういう問題はたくさん出て来そうですよね。昔の自分、昔の相手と今を比較してしまうというか。

小山:だから人間、ある時点から、生き方を変えなくてはダメだと思うの。先ほど言った「手放す心」っていうのは、そういう意味でもあって。すべてを手放して、また1から出直す心――それが「手放す心」なんですよ。過去の名声とか地位とか名誉はいっさい切り離して、今ここにある状況で、どうやって生きることができるのか。それが大事なんですが、なかなか人間、そういうふうにはできないわよね。いろんなしがらみがあったり、思い出があったり、自分はこんなはずじゃなかったって思ったり。まあ、それが人間の煩悩というものなんでしょうけど、それらを手放して1から出直すこと。その考え方が、当時の私の心には、すごく響いたんですよね。

―なるほど。

小山:で、そうやっていろんなものを手放す中で、私にとって何が一番大事かと思ったら、それは大島の命だったんです。二度目に倒れたときは、もう生きるか死ぬかの状態だったけど、その命を守るためにはどうするかっていうところから始まって、まずは寝たきりにさせないこととか、いろんなことを考えて。そう、私は当時、今日1日生きればいいと思ってやっていたんですよ。でも、その「今日1日」は、結局10年続きましたから。そこであきらめていたら、終わったかもしれないし……やっぱり、考え方なのよね。そうやって、少しずつでも良い方向へ、良い方向へって思いながらやってきたからこそ、長く生きられたんだと思うし、最期は幸せだったと思いますよ。本当に長い闘病生活でしたけど。

小山明子

―はい。

小山:だから、『ハッピーエンドの選び方』に描かれているような、自分がどういう最期を迎えるかっていうのは、結局のところ、その人がどう生きるかっていうことに繋がってくるんですよ。私は、そう思うわ。

―いわゆる「終活」という考え方も、要は死から逆算して、今をしっかり生きるということですものね。

小山:そう。だから、「みんなどうして、自分の最期を考えないの?」って、私は言ってあげたいですよ(笑)。人間は、いつか死ぬのよって。それは若くても同じ。若い人だって、突然何かが起こるかもしれないじゃない? 若くたって、死ぬときは死ぬのよ。それは何も、脅しで言っているわけではなく……後悔しない生き方って、あるじゃないですか。今しかできないことっていうのが、やっぱりあると思うし。そしたら、失敗を恐れずにやるってことですよね。若いうちの失敗は、何度だって修復できるから。失敗して、そこから道が開けることだってあるでしょ? まあ、歳をとってからの失敗は、なかなか回復が難しいですけど(笑)。

『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION
『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION

『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION
『ハッピーエンドの選び方』 ©2014 PIE FILMS/2-TEAM PRODUCTIONS/PALLAS FILM/TWENTY TWENTY VISION

―(苦笑)。小山さん自身は、どのような「終活」をなさっているのですか?

小山:今は昔より長生きの時代になりましたからね。親が長生きになったから、介護の問題とか、子どもがいろんな問題に直面するようになった。私はピンピンコロリと死にたいと思っているし、子どもたちにもそう言ってますけど、そうはならないかもしれない。私も認知症になるかもしれない。でも、それもはっきり、息子たちに伝えてあるの。認知症にならないよう一生懸命努力はしているけど、絶対にならないとは言えないから、もし私がそうなって、「あなたは誰?」って息子に言ったとしても、「ママ大好き」って、私の手を握って言ってちょうだいって。たとえ、言葉がわからなくなっていたとしても、絶対心は生きてるからって。それで、私の好きなチョコレートを持って来て、あの花を飾って、音楽はこれを流してとか、みんなが家に集まったときに、そういうことを事細かに伝えているの。

―それを書面にしたり?

小山:いや、みんなが集まったときに言うのよ。笑い話みたいに、「こうしてよね」って。ピンピンコロリで私は死にたいけど、1週間ぐらいあなたたちに心配かけて、「ママ、大丈夫?」って手を握ってもらいながら、私は死にたいわって。そしたら、息子のお嫁さんが、「1週間だといろいろバタバタして大変なので、せめて1か月ぐらいにしてください」って言ったのよ。まったく、我が家の笑い話ですよ。まあ、その気持ちも、わからないではないけど(笑)。

―(笑)。今回の映画ではないですけど、シリアスな内容でも、最終的にそれをユーモアに落とし込むというのは、かなり大事かもしれないですよね。

小山:もちろん、話している内容は本気だし、深刻なんですよ? だけど、うちの場合は、みんな大笑いで終わるの。最後は笑い飛ばしてね。深刻だけど、深刻じゃないのよ。今回の映画を見ても思いましたけど、やっぱりユーモアっていうのは大事なのよ。もちろん、それを一緒に笑い合える相手もね。

作品情報
『ハッピーエンドの選び方』

2015年11月28日(土)から全国公開中
監督・脚本:シャロン・マイモン、タル・グラニット
出演:
ゼーブ・リバシュ
レバーナ・フィンケルシュタイン
アリサ・ローゼン
イラン・ダール
ラファエル・タボール
配給:アスミック・エース

プロフィール
小山明子 (こやま あきこ)

1935年、千葉県に生まれ、横浜本牧で育つ。大谷学園に在学していた20歳のとき、スカウトされて松竹に入社。55年、『ママ横をむいてて』に主演し、映画デビュー。60年、映画監督の大島渚氏と結婚し、フリーに。その後、テレビ、舞台でも活躍。96年2月に大島氏が脳出血で倒れてからは、女優を休業して、介護に専念。近年は、夫の介護のかたわら、「介護体験を語ってほしい」という声に応え、日本各地で介護に関する講演活動も行っている。



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