自宅の椅子で新聞を読みながら「映画にされる価値なんかない。まあでも、仕方ないか……」とカメラに向かってボヤく老人。彼こそが、「20世紀におけるアメリカンフォトの主要な写真家のひとり」(『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』)と称されるソール・ライターだ。1940年代後半からニューヨークの街を撮影したカラー写真の先駆者であり、『ハーパース・バザー』や英国版『ヴォーグ』などファッション誌で活躍しながら80年代に表舞台から姿を消した彼は、2006年に個人的なカラー作品をまとめた写真集がドイツ・シュタイデル社から出版されたことで、一躍世界の注目を集めることになる。
映画『ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』は、伝説の写真家が最晩年に若き映画監督に語った、人生哲学の言葉がぎっしり詰まったドキュメンタリー。独特の語り口を見事に訳したのは、現代アメリカ文学研究、および翻訳の第一人者である柴田元幸だ。彼に字幕翻訳を依頼したテレビマンユニオンの大野留美を交えて、話をうかがった。
文学の翻訳はいろんな要素を全部伝えようと努め、映画の翻訳は要点を伝えようとします。(柴田)
―大野さんは、なぜこの映画の字幕翻訳を柴田さんに依頼されたのでしょう? 専業以外の方にあえて依頼するというのは珍しいケースですよね。
大野:『ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』を、トーマス・リーチ監督に直接問い合わせて初めて見たときに、すごく面白いからぜひ配給したいと思ったんです。ただ、起承転結があって拍手で終わるような話ではないので、これを日本に持ってくるならとても繊細に扱わないと難しいなとも感じて。
『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
―「繊細に扱う」とはどのような意味でしょう?
大野:とにかくソール・ライターのインタビューがベースになっているので、かなりの量の字幕を観客に読んでもらわなきゃいけない。これは大きなハードルになるだろうと初めから感じていました。あとでご覧になるとわかりますが、ソール・ライターは独特な語り口に人柄が滲み出ているような人なので、普通の字幕の考え方でやってしまうと、いろいろなものを取りこぼしてしまうんじゃないかと思ったんです。それで、言葉選びにこだわった字幕をお願いしようと、昔からポール・オースターなどの翻訳などで敬愛していた柴田さんに、お忙しいのは承知でご連絡したんです。
柴田:そんな重い責任を負ってるとは知らなかったよ(笑)。僕は大野さんにメールをいただくまで、ソール・ライターのことはまったく知らなかったんです。だけど、ネットで写真を見て、こういう写真を撮る人のドキュメンタリーだったらやってみたいとすぐに思いました。それと、以前に一度だけ、『ポール・オースター』というドキュメンタリーの字幕を半分やったことがあって、それがすごく面白かったので、またチャンスがあったら映画字幕はやりたいと思っていたんです。
―実際に映画をご覧になってみていかがでしたか?
柴田:すごく良かったですね。字幕の難しさも感じなかったというか、この人は喋るのが遅いから良かったなって(笑)。
大野:映画の字幕ってわりと短時間で作ってしまうものですが、今回はじっくり作ったほうだと思います。でも、作業としては柴田さんの普段の翻訳とはいろいろ違うところがあったのでは?
柴田:小説の翻訳の仕事だったら、テキストのプリントアウトがあって、ノートがあって、万年筆があってという感じなんですけど、今回はその代わりにパソコンがあって、画面のエクセルファイルに翻訳した日本語を入れていくという作業でした。すると、いつもとは仕事場の空気が変わるわけです。気をつけないと、つい事務的な作業になってしまいかねないスタイルなので、気合いを入れてかかりました。
―事務的な翻訳を避けるため、どのような試行錯誤があったんでしょうか?
柴田:まず、文学の翻訳がいろんな要素を全部伝えようとするのに対して、映画の翻訳は要点を伝えようとする違いがあります。もちろん字幕には字数制限があるので、捨てなければいけない部分も多いんだけど、まずは字数を考えないで一番いいと思う訳をやってみて、そこから何を減らすかを考えました。僕は小説の翻訳でも行数を合わせるために削るのは嫌いじゃないんですよ。だいたいそうやって減らしたほうが、文章が締まるからいいことが多いんです。さすがに字幕では「ここまで減らすとベストだ」という以上に減らさなきゃいけないことも多いわけだけど、ただ万遍なく訳すのではなくて、このコメントで何が一番大事なのか? を考えるのはすごく面白かったです。
―大野さんは柴田さんの字幕が上がってきていかがでしたか?
大野:英語で見ていたときには勘違いしてたところや、ソール・ライターをある程度理解してるつもりがそうではなかったと気づかされるところがありました。例えば私は、本当は彼もどこかで名声が欲しかったんじゃないかと思っていたんですけど、柴田さんは、彼の「そっとしておいてほしい」という言葉は自虐じゃなくて素で言っているんだという解釈で訳してきたり。他にも、ソール・ライターの考えの核に近づいていく訳がところどころにあって。
『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
―ソール・ライターが話の途中で口をつぐんで、そのあと喋らなかったりしますよね。字幕でも「……」の表記が多用されています。
柴田:あれって、日本人はよくやるけど、普通の英米人はもうちょっとセンテンス完結させるよね(笑)。
大野:「……」を字幕で使うときに、気をつけないと彼が自信を持って言っていないような感じになってしまうんですけど、ソール・ライターの場合は言いよどんでるんじゃなくて、これ以上言う気がない(笑)。そのあたりのニュアンスも字幕でうまく表していただけたと思います。
ソール・ライターの「動かない」という姿勢は、アメリカ的じゃないんですよ。アメリカは歴史的に「動く」と「変わる」ことに価値がある文化だから。(柴田)
―ソール・ライターのマイペースな生き方というのは、一般的なニューヨーカーのイメージと比べていかがでしょう?
柴田:普通でいうニューヨークのすごさって、人種的にも文化的にも多様なところですよね。彼はその多様性に敏感に反応したわけではない。でも、あの年齢で白人でマルチカルチャーに興味がないとすると、もっと自己完結してしまうというか、自分の文化を善しとするところに落ち着きを見出してしまいがちですけれど、彼はそういうところも全然ない。ニューヨークという場所に根付いてはいたけど、アイデンティティーを主張するような感覚はあんまりなかったんじゃないかな。そこが彼の独特さであり、素敵なところですよね。
―50年以上同じ場所に住んでいるのも、「引っ越すのが面倒だったから」と言っています。
柴田:そうそう。彼が住んでいたロウアー・イーストサイドという地域は、20世紀の初頭ぐらいはスラムに近かったのが、だんだんボヘミアン的な雰囲気になり、そのうちお洒落で手が届きにくくなっていったような街なんです。まあ、ニューヨークでそういう変遷を辿る街は多いんですけど。ソール・ライターが活躍していた頃には、あのあたりはアーティストがゴロゴロいたんじゃないかな。場所的に何かの中心であったことは一度もないけれど、文化が常に静かに生まれていった場所。その中でソール・ライターの「動かない」という姿勢は、全然アメリカ的じゃないと思います。動くか動かないかで言ったら、アメリカ人はデフォルトで動くでしょう。歴史的に「動く」と「変わる」ことに価値がある文化だから。
―写真行為においても、同じ近所を散歩しながら撮影するというスタイルを半世紀近く続けていますよね。
柴田:でも、ずっとフィルムカメラに固執していたというと別の臭みがあるんだけど、ソール・ライターはあっさりデジタルに変えたし、そのへんがしなやかですよね。風貌も近所のおじいさんみたいで、決して名カメラマンに見えないし。
『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
―彼の写真の魅力はどんなところに感じますか?
柴田:すごく不思議な写真ですよね。ガラス越しや雨水越し、隙間から覗いていたりする写真というのは、普通はもう少し覗き見的というか、倒錯的な感じになったりするんだけど、この人はそういうところはほとんど無くて、素直に綺麗。その綺麗さは、ウォーカー・エバンズ(アメリカ南部の農村のドキュメント写真で有名になった、記録性を徹底した写真家)の写真に通じる真っすぐさがあると思います。
©Saul Leiter Foundation/Courtesy Howard Greenberg Gallery.
大野:この映画は彼の写真の秘密に迫るというより、ソール・ライター自身の生き方を捉えた作品ですが、映画を入口にぜひ彼の写真にも触れていただきたいです。
柴田:ソール・ライターの写真に馴染んでくると、この映画にところどころ挟まれる、監督が切り取ったニューヨークの風景がより楽しめます。あれは完全にソール・ライターの写真へのオマージュですから。
©Saul Leiter Foundation/Courtesy Howard Greenberg Gallery.
「有名になって、お金がたくさんあって、大きい家に住む」という「サクセス」の呪縛は、アメリカ人にとって本当に大きいのだと思いました。(柴田)
―ソール・ライターが語るエピソードの中で、柴田さんが特に印象に残ったものはありますか?
柴田:ユダヤ教の司祭であった父親との考え方の対立がすごく面白いと思いましたね。ユダヤ教には、何かを「アチーブ(成し遂げる)」しないといけないという考えがあり、アメリカには成功することがいいことなんだという考えがある。ソール・ライターはどちらからも降りることにしたんです。彼が父親に言ったという「一生ユダヤ人のプロでいる気はない」というのは名台詞だと思いますね。
―一方で、亡くなった奥さんのことを話す場面では、自分を責めるような言葉も口にします。
大野:あれは奥さんを「幸せにしきれなかった」という想いの問題だと思うんです。「金持ちの善人と結婚していたら、もっと彼女が求めていた美しいものに囲まれる生活ができたんじゃないか」と言っていますけど。
柴田:要するに、彼自身は「サクセス」に興味なんてないんだけど、彼だって世間的な常識を知らないわけではないので、人の成功を測るのは金銭的なものだというアメリカ的な考えは根深くあるんだと思う。「サクセス」という言葉は日本語で訳しにくくて、「成功」というよりは「出世」のほうが狭い文脈では近いのですが、要するに「有名になって、お金がたくさんあって、大きい家に住む」ということですよね。その「サクセス」の呪縛というのは、アメリカ人にとって本当に大きいんだなと思いました。だから、ソール・ライターみたいにマイペースで生きているような人でも、奥さんに対する申し訳なさに思いをめぐらすところでは、ああやってポロッと出てきたりするんでしょう。ただ、自分についてはやっぱりそんなことは全然なくて、「無名でいたかったのにお前らがカメラの前に引きずり出して」って、まあ穏やかな口調で言っていますけど、あれはそれなりに本気で言っているのではないでしょうか。
自分が手がけなかったら世に出なかったかもしれない作品を出せたときは、やっぱり誇りに思います。(柴田)
―柴田さんは20年以上にわたって精力的に翻訳のお仕事をされていますが、そのモチベーションはどこからくるのでしょうか?
柴田:ずっと忘れていたんですけど、中学のときに職業適性検査を受けたことがあって。やりたいことは芸術的なことなんだけど、芸術的な能力はまったくなくて、実務的なことが向いてるという結果だったんです。結局、人生うまくいったなと思うのは、翻訳ってすごく実務的な仕事なんですよ。一つひとつ実務的なことを解決していく仕事だから、その能力を活かしつつ、芸術的なことにも関われているというのは、すごくラッキーな人生だなと感じます。
―同時代のアメリカ文学ということには最初からこだわっていたのでしょうか?
柴田:そのあたりは成り行きですね。あと半世紀早く生まれていたら、それこそ西洋の文学の古典がまだ未訳のものがいっぱいあっただろうけど、僕が翻訳の仕事をできるようになった時点では、古典的名作はおおむね訳されていたんです。それと、大学の英文科に進んだときに、アメリカ文学に大橋健三郎先生という素晴らしい人がいたんです。大橋先生がイギリス文学専攻だったら、僕もイギリス文学やっていたと思いますね。
―まだ知られてないものを紹介したいという気持ちは強いですか?
柴田:他の条件が同じで、2つの作品をどちらか訳すとしたら、知られてない作家のほうを訳すっていうのが僕の大原則です。自分が手がけなかったら世に出なかったかもしれない作品を出せたときは、やっぱり誇りに思います。今みたいに雑誌(文芸誌『MONKEY』)で日本の作家に依頼するときも、例えば「音楽が出てくる小説を書いてください」と依頼して柴崎友香さんがそれに応えて小説書いてくれたりすると、この作品は僕らがリクエストしなかったら出てこなかったわけで、そういうのがすごく嬉しいですよね。映画の買い付けの仕事にもそういうところがないですか?
大野:柴田さんのお仕事と比較するのは恐れ多いですけど、確かにそうですね。私の場合はテレビマンユニオンという組織に属していますけど、自分がやりたいと手を挙げて、監督に会いに行かなければ、この映画は公開されなかったんだろうなと思うと、やっぱり嬉しいです。あと、今回柴田さんに字幕を引き受けていただいて、映画の中でもソール・ライターの身辺整理などを手伝っていたマーギット・アーブと監督に、「この方に字幕をお願いしたのよ」と伝えたら、検索したみたいで、「えっ、ちょっと、すごい人じゃないですか!」って驚いていました(笑)。
20年ぐらいずっと大急ぎで仕事をしてきて、そろそろ本当に「急がない人生」を目指したいと思っているんですけど(笑)。(柴田)
―既に何度も見られてきた大野さんが好きなソール・ライターの言葉はありますか?
大野:たくさんあるんですけど、今思いついたのでいうと、ソール・ライターが過去の写真を見ながら監督にいろんな話をしてるときに、ふと、「Am I allowed to be tired?」って言うんですよね。柴田さんの訳では「疲れるのは許されてるのかな?」となっていたと思うんですけど、あそこはいつもグッとくるんです。
柴田:「allowed to be tired」という言い方は、まわりがみんな自分を年寄り扱いしてることへの皮肉もあるんですよね。でも全然とげとげしい言い方ではなくて、ユーモラスであり、ちょっと諦念みたいなのもあって。
大野:字幕でもその空気感は変わらずに伝わっていると思います。
『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
―「人生で大切なことは何を捨てるかだ」とも言っていますが、部屋はたくさんのモノに溢れているのもチャーミングですよね。
大野:そうなんですよ(笑)。あそこは予告編でも使わせていただきました。
柴田:今はほとんどのことは情報に変換できるから、スペースは要らないという考えになっているわけだけど、1950年代の大衆的なSFを読むと、物を情報に変換するという発想がないんですよ。物質瞬間移動とか、ものすごく早い交通機関だとか、物を何とかしようという発想の中ですべてを考えている。ソール・ライターはデジタルも使ったけど、基本的には物を持つ人だったんでしょうね。
大野:でも「捨てる」というのは、たぶん物質的なことだけを言っているのではないですよね。「無秩序にも快さがあるんだ」とも言っているし、哲学めいた言葉がちりばめられているので、試写会で感想をうかがうと、見る人によって反応する言葉が違っていて面白かったです。
―今の時代は、情報化されることで持ち物は減ったかもしれないけど、生活にしても仕事にしても、いつも情報や世界とつながっている感覚から抜け出せないことがしばしあります。この映画のタイトルには「急がない人生」とありますが、彼のように独立した個人でいることが難しい時代になってきているようにも感じます。
柴田:たしかに、誰かと「シェアする=共有する」という言い方は、この数年、英語に限らず至るところで聞くようになりましたよね。
―そのような「共有する」という感覚が当たり前になっている中で、柴田さんの翻訳というお仕事は、自分の中に深く潜って言葉を探っていくような作業だと思います。そういう意味では周りに流されない時間を過ごしているとも言えますか?
柴田:作品を翻訳する時間というのは、自分でコントロールできるものではないです。とにかくテクストが仕事量や時間を決めるので、自分が急いだり、逆にゆっくりやることはできないんです。そのテクストに正しい時間が流れているというか、むしろ自分はもっと大きなものに身を預けてる感じに近い。とは言うものの、僕は『In No Great Hurry(急がない)』(本映画の原題)と言われているにもかかわらず、往々にして「In a Great Hurry(大急ぎ)」でいろんな仕事をしてしまいがちというか、そこに対して反省はすごくありますね(笑)。ソール・ライターが、猫背でもごもご喋っている様子は、とてもいい感じですよね。僕もここ20年ぐらいずっと大急ぎで仕事をしてきて、そろそろ本当に「急がない人生」を目指したいと思っているんですけど(笑)。
- 作品情報
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- 『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
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2015年12月5日(土)からシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督・撮影:トーマス・リーチ
音楽:マーク・ラスティマイアー
配給:テレビマンユニオン
- プロフィール
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- 柴田元幸 (しばた もとゆき)
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1954年東京生まれ。アメリカ文学研究者、翻訳家。著書に『生半可な学者』 (講談社エッセイ賞 受賞)、『アメリカン・ナルシス』(サントリー学芸賞受賞)、『ケンブリッジ・サーカス』など。ポール・オースター、レベッカ・ブラウン、スティーブン・ミルハウザー、フィリップ・ロスなど、現代アメリカ文学を数多く翻訳し、日本の文学シーンに多大な影響を与える。訳書トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞を受賞。東京大学文学部 特任教授。文芸誌『MONKEY』編集人。
- 大野留美 (おおの るみ)
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株式会社テレビマンユニオン、国際購入担当。プロデューサー。ウィスコンシン州立大学大学院でメディア教育を専攻後、1996年にテレビマンユニオン入社。映画の権利購入や放送業務と並行して、2012年以降は映画の劇場公開など総合的な展開も担当している。
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