「日本で見られるアニメーションの傾向は偏っている」。そう語るアニメーション研究者・土居伸彰が立ち上げた、まだ見ぬアニメの可能性を探るための新しいアニメーションフェスティバル『GEORAMA2016』が、2月2日より開催される。ジャンルを超えた共演を通してアニメ概念の拡張と逸脱を試みる同イベントがこのたび招集したのは、なんと伝説的なアニメ作家、ブルース・ビックフォード。有象無象がうごめく映像宇宙で、かつて音楽家フランク・ザッパをも魅了したこの奇才が、今回は日本の個性派ミュージシャンたちと共演する。
アニメ界きっての「変人」として知られるビックフォード作品の魅力とはなにか。そして、世界に広がる「ジャパニメーション」とは異なる、インディペンデントアニメーションの可能性とは? 『GEORAMA』の発起人・土居と、DOMMUNE主宰者であり、今回の共演プログラムのキュレーションも手がけた宇川直宏に話を聞いた。「作品」と「生」を分かちが難く生きるビックフォードの話題にはじまった両者の対談は、やがてアニメーションと「死」の問題にたどり着く。全アニメファンにとっての発見が、そこにはあるはずだ。
日本は、アニメがエンタメ産業として成立しているがゆえに、市場向きの作品しか知られない状況になっている。(土居)
―『GEORAMA』は、2014年にスタートした新しいアニメーションフェスティバルですが、立ち上げる際のコンセプトはなんだったのでしょうか?
土居:「アニメーション概念の拡張と逸脱」です。日本はアニメの人気が高いがゆえに、見られている作品が商業アニメだけに限られている状況があります。しかし、海外のアニメーション映画祭に行くと、非常に多様な作品が上映されていて、日本とは違ったアニメーションの世界が見えるんですよ。それをリアルタイムで紹介するのが開催目的の1つでした。
『GEORAMA2016』メインビジュアル ©New Deer / Yoko Kuno
―日本でのアニメーションに対する認識は、そんなに偏っているんですか?
土居:たとえば、いま世界のインディペンデント長編アニメシーンでは、デジタル制作環境を使って1人でも長編アニメを作ることが可能になったおかげで、とても個性的でおもしろい作品が生まれています。でも、日本のメディアではほとんど扱われていない。日本とアメリカは、アニメがエンターテイメント産業として成立している国ですが、それゆえ、市場向きの作品しか知られない状況になっています。一方ヨーロッパでは、助成金によって作品が作られる場合も多く、市場以外でも、非常に先進的な作品が生まれているんです。
―市場向けのアニメばかりだと、作品内容が画一化されてしまうわけですね。『GEORAMA』というフェスティバル名は造語ですが、どんな意味が?
土居:「Geographic(地理的な)」と「Diorama(立体模型による風景)」を合わせて、「アニメーションはローカルな想像力を濃密に反映した、箱庭的世界である」という考えから付けました。普遍的な世界というよりも、制作された地域や、作家の心象風景をかたちにするものとして、ぼくはアニメーションを捉えているんです。今回、アニメ界における伝説的な「奇才・変人」として知られるブルース・ビックフォードを特集したのもこの考えと連なっていて、『GEORAMA2016』の共同プロデューサーであるFOGHORNの谷川さんに宇川さんを紹介してもらい、ビックフォードのアニメと豪華なミュ—ジシャンたちとのコラボライブのキュレーションをお願いしました。ぼく自身、宇川さんからコアなアニメーションの文脈を学んできたので、ビックフォードをやるなら、宇川さん以外には考えられませんでした。
宇川:いやいやいや、ほめ殺し?(笑)。今回『チャネリング・ウィズ・ミスター・ビックフォード』というイベントを2日間にわたって企てるのですが、まず世紀末の幻想を振り払い、21世紀を迎えたいま、彼が来日するという現実に時空の歪みを感じました。ぼくとビックフォードとの出会いは、フランク・ザッパと共同監督した長編クレイアニメ『The Amazing Mr. Bickford』(1987年)で、当時それをビデオ版で見て、身も心も溶かされたわけです。
―『The Amazing Mr. Bickford』は、魂を宿された画面上のありとあらゆる被写体が、フランク・ザッパの楽曲にあわせて生命体のようにうごめき、変態していく、グロテスクかつスーパーカルトなクレイアニメ作品です。
宇川:ぼくは幼少のころに、イタリアの名門アニメ制作会社、ミッセーリ・スタジオで制作されたヤクルト「ミルミル」のCMでクレイアニメの魅力に捕われた世代ですが、その後、ビックフォードの作品と出会った衝撃で右脳に回復不能なダメージを受けました。当時は、ちょうどBOREDOMSのライブでVJをはじめたころだったのですが、PCの処理能力もまだ低い時代で、1フレームを2時間以上かけてレンダリング(データからの画像や映像の生成)して、レイトレーシング(光の反射や写り込みをシミュレーションする技術)の3Dアニメを動かしていた。
土居:まさにビックフォードのアニメの世界ですね(笑)。
宇川:そうなんです。だから彼の「血と汗の滲んだ1フレーム」に深い感銘を受けていました。しかも、ぼくもEYヨさん(BOREDOMS)もビックフォードの大ファンだったから、1989年ごろは、彼の作品をサンプリングしてVJで使ってもいましたね。クレクレタコラ(1973~1974年、フジテレビ系の特撮テレビ番組)やヴィンス・コリンズ(アメリカのカルトアニメ作家)の作品とMIXして。そうやって時代精神を投影しつつ、ザッパとビックフォードの蜜月関係を、BOREDOMSとぼくの「音と絵の関係」に置き換えて一人感慨に浸ってた(笑)。今回はその関係を反転させて、ビックフォードの森羅万象、映像宇宙に対し、まるでサイレント映画での活動弁士のように、日本のミュージシャンたちがどのような今世紀的イメージ交信を演奏によって加えるのか? そんなトランススペクタクルな発想でキュレーションしました。
―それで集まったのが、坂本慎太郎、smallBIGs(小山田圭吾+大野由美子)、七尾旅人、トクマルシューゴ、EY∃、菊地成孔、中原昌也、コムアイ……、すごいメンツですね。
宇川:もちろん「ビックフォードクラスタ」であることが前提なのだけど、小山田圭吾くん、坂本慎太郎さんは過去にビックフォードへの言及もあったので、まさかの神降臨の奇跡に絶対立ち会って頂かねばと、直接参加を口説きました。あとコムアイちゃんは、現代のアンダーグラウンドとメインストリームを結ぶ「オルタナティブイコン」のような才能ですが、今回はなんと水曜日のカンパネラではなく、モジュラーシンセを軸としたスペシャルユニットで出演してもらいます。ビックフォードの作品をぼくがVJで解体して、SUICIDE(1970年代から活動する、アメリカのニューウェーブ / インダストリアルバンド)を彷彿とさせる世界観を放ちます。水曜日のSUICIDE(笑)。アラン・ベガ(SUICIDEのボーカル)もマリー・アントワネットも失禁です。
『チャネリング・ウィズ・ミスター・ビックフォード』出演者 小山田圭吾
『チャネリング・ウィズ・ミスター・ビックフォード』出演者 坂本慎太郎
―ビックフォード自身もパフォーマーとしてクレジットされていますが、彼もなにか演奏するんですか?
宇川:普通、アニメーション作家のイベントといえばトークかワークショップですが、彼はさまざまな謎の特技を持っているみたいなんですよ。
土居:「ポエトリーリーディング」と「ダンス」と「モーニングスター(打撃武器の一種)を振り回すこと」、それと「木登り」もできると言っていました(笑)。
宇川:無駄に「木登り」してもらいたいですね(笑)。全出演アーティストにそれぞれお題としてビックフォードの映像を出題したのですが、それらと「チャネリング(交信)」した演奏とともに、ビックフォード本人が登場する可能性があります。ただ、そこでどんな儀式が執り行われるかは本番までわかりません(笑)。
ビックフォードは、ディズニーにも売り込んだそうですが、「気持ち悪いからダメ」と断られています。(土居)
―ビックフォードの代表作である『The Amazing Mr. Bickford』についておうかがいしたいのですが、ビックフォードとフランク・ザッパの出会いはどんなものだったのですか?
土居:ビックフォードは独学でアニメーション制作を習得した作家なんですね。8ミリカメラと出会って、これで自分の世界を表現できるというときに、ザッパの初監督映画『200 motels』(1971年)を見てビッときたらしい。それでアプローチしてみたら、ザッパもすごく惚れ込んで、俺のライブ用のビジュアルを作ってくれ、と。ちなみに、同時期にディズニーにも売り込んだらしいのですが、「気持ち悪いからダメ」と断られています(笑)。
宇川:ディズニーが囲っておけばよかったのにね(笑)。そうなっていたらバンクシーより先にもっとエクストリームなMr.ビックフォードの「ディズマランド」が生まれていたかも(笑)。
土居:それで1970年代前半にザッパの監督のもと、ビックフォードのアニメを挿入したライブ映像作品『Baby Snakes』などの成果を残しました。二人はその後、袂を分かつことになったのですが、ザッパはビックフォードに報いるために、ザッパ時代のビックフォードの成果をまとめた、『The Amazing Mr. Bickford』をリリースしたんです。
宇川:その話ははじめて聞きました。二人の関係性は当時もいまも、メディアではまったくレポートされていないですよね。ビックフォードはザッパの音楽や世界観に着想を得て、音楽に同調させつつアニメを作っていたのですか?
土居:その意識はなかったと思います。ビックフォードのアニメは映像自体がひとつの宇宙になっていて、音楽とのシンクロに対しては無頓着なんですよね。そこで今回のイベントでは、彼の作品と波長があいそうなミュージシャンの方々に「チャネリング」してもらうことで、おもしろい反応が生まれるはずだと考えたわけです。
『チャネリング・ウィズ・ミスター・ビックフォード』出演者 菊地成孔
『チャネリング・ウィズ・ミスター・ビックフォード』出演者 大野由美子
宇川:「チャネリング」って、ニューエイジ(20世紀後半以降、アメリカを中心に隆盛した思想の潮流)以降、すごく怪しい言葉になりましたね(笑)。でも土居さんと谷川さんとのやり取りのなかで、そのワードが浮上した瞬間に、すぐにプログラムのコンセプトが頭のなかに浮かびました。というのも、先日ぼくがディレクターを務め、ビックフォードに初来日して頂いた『高松メディアアート祭』も、「Medium of the Spirit -メディアアート紀元前-」がテーマだった。それは、メディアとアートを触媒や人間の潜在能力と捉え、「超自然的な領域とメディアとの関係」を考えるフェスティバルでした。ぼくは現在の世界に失われているのは、「霊性」だと思っているんです。
―ビックフォードのアニメにも、それがあると?
宇川:アニメーションの語源はラテン語の「アニマ」、つまりアニミズム(万物に霊魂が宿っているという思想)から来ている。森羅万象に宿る魂を映像に注入する表現だった。その意味ではビックフォードのクレイアニメはまさに王道で、映るものすべてが息づいていますよね。カメラも風景も、何百という登場人物の群像劇も、黒澤映画の合戦シーンのようにとにかくすべてが動いている。しかし、実世界だって動いていないものは一切ないわけです。物質も環境も空気も、すべてが微細に動いている。質量の変化は時間を端的に表すわけで、たとえば幼虫から蛹、そして成虫へと変態を遂げるメタモルフォーゼは、時間を見つめさせる表現として究極です。
EY∃
―たしかにビックフォード作品は、メタモルフォーゼへの執着がすごいです。
土居:アニメーションは基本的に「見る人の視線をどう操作するか?」の技法なんです。非生命を生命に見せるわけですが、生命みたいな動きを完璧に作ることは難しいから、観客の視線を誘導し、コラボしないといけない。ただビックフォードは、それを考えないんですね。彼のアニメの特徴は、どこを見ていいのかわからないことです。カメラもキャラクターも物語も、すべて並行して動いている。視線の誘導も物語もないから、観客はさまよってしまう。彼はあるインタビューで、「自分のなかには、海賊への興味がエジプトへの興味につながるようなさまざまな連想があって、それを書きとめなくてはいけない」と語っています。つまり、彼自身が「メディウム=媒介」なんです。自分自身を通り過ぎていく連想を受け止めていく存在。正当なアニメーション史からすれば異端ですが、ある意味でアニメーションという現象の本当の体現者とも言える。
ビックフォードの作業部屋からシアトルが見渡せるのですが、街全体が彼の創造物にすら見えてくるんです。(土居)
―昨年には、ビックフォードのアトリエも訪れたそうですね。
土居:シアトルの丘の上にあるんですけど、行って本当に驚きました。まさに彼のアニメの世界観がそのまま感じられる。彼の家のガレージには、これまで使われたクレイアニメの素材が所狭しと並べられているのですが、混沌のなかにも一種の秩序があるんです。スタジオのなかで人がなにかを動かして放置すると、「これはここになくちゃダメだ!」とすごく怒るんですよ。落ち葉すらも落ちていていい場所と駄目な場所があるらしく、空間全体が彼そのもの、彼の「臓器」なんだと感じました。一番驚いたのが、彼の作業部屋からシアトルの全貌が見渡せるのですが、街すらもビックフォードの創造物に見えてくるんです。これも宇川さんが言う非現実的な体験の一種かもしれませんが、あらためて彼の重要性を感じて、絶対に日本に呼ばなければと感じたんです。
―今回は『高松メディアアート祭』に次ぎ、原宿の「VACANT」で、そのビックフォードのガレージの再現展示を行うんですよね。また、アートギャラリー「山本現代」では、彼の作品をアートとして捉えた展示も開かれる。
宇川:その「臓器」を日本に持って来られたのは本当に奇跡だよね。ミルミルのCMとの連想はやはり重要で、あれも体内のビフィズス菌と悪玉菌の戦争を描いている(笑)。土居さんがビックフォードの宇宙を内臓に例えたのは正しいと思います。実際、ビックフォードの作品では、彼やフランク・ザッパがアニメのなかにも登場するでしょう。つまり「制作者」という神的な視点がフレームインして、いきなり作中世界にメタ視点として現れる。そういったフレームやステージや舞台や高座の内も外もない、実空間も仮想空間もごっちゃごちゃに入り乱れた世界を、梱包して日本という「別の惑星」に持ってくるわけで、じつは非常に危険な行為でもあると思うんですよ。天変地異が起こらないことを祈りたいです。
土居:そうですね。かつてドイツで、スーツケース1個分ほどの素材を持ち込んでのガレージの再現は行われたことがありますが、今回はダンボール何箱分も持ってくる。普段であれば他人には決して運ばせないんですけどね、自分の身体の一部だから(笑)。でも、なんとか説得しました。その「内臓」を持ってきて、ビックフォードという「菌」を日本で広めたときになにが起こるのか、見てみたいんですよ。
土居さんが発掘しているアニメーションは、ジャパニメーションとは異なる、アニマ的文脈なのです。(宇川)
―ビックフォードの話を聞いているだけでも、『GEORAMA2016』は、かなり異質なアニメーションフェスティバルになりそうですが、土居さんはもともとアニメに興味がなかったそうですね。
土居:ええ。大学ではロシア文学を研究するつもりだったんですけど、あるとき授業でロシアの短編アニメ作家、ユーリ・ノルシュテインの『話の話』(1979年)を見て衝撃を受け、この仕事に行き着きました。ぼくはそれまで、アニメは現実を都合のいい仮想ビジュアルに置き換えてしまうものだと思い込んでいたんですが、『話の話』は、ビジュアルがメディウムになって、より広い宇宙とつながれることを教えてくれたんです。それはビックフォードとも確実に共通しています。
『チャネリング・ウィズ・ミスター・ビックフォード』出演者 トクマルシューゴ
―アニメが、自分の欲望や夢を投影するだけの狭いメディアではないと感じたわけですね。
宇川:いま日本でそれを体現しているアニメーション作家はいますか?
土居:ひらのりょうくんですね。日本のインディペンデントアニメは、言ってしまえば単純にカウンターかつアンダーグラウンド的なところが大きかったのですが、彼はある種、自我がないというか、もっと大きな自然の流れのなかで作っている気がします。自分のなかをいろんなものが通過していく、メディウムになる感覚でアニメを作っている人だと思いますが、そんな人は稀です。
宇川:日本のアニメには、手塚治虫にはじまるテレビアニメの軸と並行して、久里洋二・柳原良平・真鍋博が1960年に設立した「アニメーション三人の会」にはじまるようなアート系・実験アニメの系譜がありますよね。この2つの流れはまるで違う文脈に見えるけど、久里さんは手塚さんと交流していたり、当時のテレビ番組『11PM』(日本テレビ系列)でもレギュラーを持っていた。柳原さんのキャラクター「アンクルトリス」は文字通り1960年代にトリスのCMとしてお茶の間で愛されていたし、近年またハイボールリヴァイバルで人気を博している。そして真鍋博さんは、星新一さんのカバーイラストで著名ですよね。なので、特にアンダーグラウンドというわけでもないのです。ただ、土居さんが発掘している世界観は、いま世界に流布しているジャパニメーション像とはまったく異なる、しかしたしかに脈々と受け継がれる、個が個に生命を吹き込むようなアニミズム的文脈で、そこにひらのくんの名前が出たのは感動的です。
土居:『ピンポン THE ANIMATION』や『マインドゲーム』などを監督した湯浅政明さんにも、ぼくは同じ実験精神を感じます。
宇川:同感です。あと湯浅さん作品のアニメーターでもある、チェ・ウニョンさんが手がけた『スペース☆ダンディ』の第9話「植物だって生きてるじゃんよ」は、『ウルトラセブン』第31話「悪魔の住む花」とイームズ夫妻による映像作品『Powers of Ten』(1968年)を彷彿させる実験的作品だと思いました。なので、商業アニメにもその精神は息づいているのだけど、一方で実験性が表に出づらいのは、CMを差し込むタイミングの問題もある。30分尺の番組枠だと、23分間のなかに展開として起承転結が必要だったり……。実際にいま地上波で一番実験的なのはNHKでしょう。デスクトップでの個人制作を可能にしたデジタルアニメ環境の成熟は、CMの入らない公共放送にこそ実験性を開いたと思う。
土居:アニメーション芸術の盛んな地域では、国の庇護が欠かせなかったんです。産業大国アメリカとの差別化で国営スタジオを作ったカナダも、旧共産圏のチェコもそう。日本の商業アニメでその自由を奇跡的に確保していたのが近年のスタジオジブリでしたが、宮崎駿さんが引退してしまった現在の状況には危機感を覚えます。ただ、これは同時に新しい時代のはじまりでもあって、ひらのくんやシシヤマザキさんのような存在が表舞台に出はじめている。商業主義が疲弊するなか、まさにミルミル的な活性剤として働くこうした作家は、ますます重要になると思いますよ。
AIには死の観念がない。アニメが森羅万象を描くものであるなら、人間は「死」を描き続ければいい。(宇川)
宇川:これはDOMMUNEの根幹でもあるけど、ぼくが心打たれるのはビックフォードのような、作品世界とアーティストの生き様が渾然一体となった一種のライフログとしての動画表現なんです。それは、公開の予定があるから生産される作品とはまるで違う。生活履歴が茶渋や苔のごとく作品世界にこびりつき、いつの間にか異臭を放って動き出しているような表現です。2015年に『Deep Dream』という、人工知能(AI)に画像や動画を生成させる、Googleが開発したディープラーニングアルゴリズムが話題になりました。あの画像認識の深層学習がさらに進むと、AIがアーティストの手癖も勝手に修得し、AI版ビックフォードが普通に出てくると思うんですよ。でもそれは、ビックフォードとは決定的に違う創造主だと、受け手が認識できると思うのです。さきほどの茶渋や苔の問題です。垢や角質や細菌がAIの作品に湧くかどうか?
土居:ビックフォードの作品は、ある意味でAI的ですよね。人間の知性で行える意識的な制御ではなく、いろんな要素が無意識に入ってしまっている。『Deep Dream』の無差別的な、バグに近い部分もある。でも、ビックフォードの表現は、抽象ではなくリアルそのものなんですよね。
宇川:彼のこれまでの体験の縮図でしょう。
土居:ええ。彼はベトナム戦争にも参加するなど、かなり暴力的な世界を生きていた。しかも、彼が住むエリアはアメリカ有数の連続殺人鬼の多い場所なんです。あの世界感はリアルなんですよ。
―でも、ビックフォード的な天才になるのは当然難しいですよね。一方で、AIによる創作はますます発展していく。アニメというメディアで表現したい人には厳しい未来ではないですか?
宇川:そんなことはないですよ。AIには死の観念がない。「生きとし生けるもの」は朽ち果てていく儚い存在である。その観念をどうやって物語に宿すのか? なのでわれわれは常に死をテーマにすればいい。人工知能型OSと恋愛する男を描いたスパイク・ジョーンズの映画『her / 世界でひとつの彼女』を見ると、身も心も超越した叡智へと進化することが、愛だと描かれていますよね。アニメが森羅万象を描くものであるなら、生だけではなく、死も描かなければならない。人間はそれをやればいいと思うんです。さまざまな死の在り方を描けばいい。ビックフォードを見習って(笑)。
土居:『GEORAMA2016』では、まさに『her』のアニメーションパートを担当したデイヴィッド・オライリーや、彼と仲が良いドン・ハーツフェルトといったアニメーション作家も来日します。ハーツフェルトの新作『明日の世界』は、クローンの話を描いているんですよね。自分のデータを新しい身体に移植できる世界、つまり永遠に生きられる世界ですが、それは感情に乏しい、なにか物悲しい世界としても描かれている。プログラムとは違う、いずれ死ななければならない存在として人間を認識しているところが、ビックフォードと重なります。いまは、身体と機械の違いに対する考えが、重要な局面を迎えた時代ですよね。
宇川:それぞれの時代で、アニメーションという表現の持つ意味、その解釈は変化する。このことは重要だと思うんですよ。人間が、人工知能をシンギュラリティー(技術的特異点=コンピューター技術が人間の知能を超えて、爆発的に発達しはじめる地点)に至るまで発達させようとすることと、「25フレーム / 秒」のなかに命を宿そうとしてアニメーションが誕生したこと。生命を与えるという意味においては同義でしょう。
土居:ディズニーのころから、「永遠の生」を作り出すことを目指してやっていますからね。人の永遠性への渇望と、それを叶えさせない死の問題が、アニメーション史にはずっとあると思うんです。今回の『GEORAMA2016』は、それを考える大きなきっかけになるはずです。
- イベント情報
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- 『ニューディアー presents GEORAMA2016 特別企画「チャネリング・ウィズ・ミスター・ビックフォード」』
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2016年2月4日(木)OPEN 18:00 / START 19:00
会場:東京都 渋谷 WWW
出演:
ブルース・ビックフォード
コムアイ(水曜日のカンパネラ)with WEDNESDAY's MODULAR
菊地成孔+中原昌也
VJ:宇川直宏
料金:前売3,000円(ドリンク別)
※学生は当日学生証とチケット提示で500円キャッシュバック
※ブルース・ビックフォード代表作の爆音上映、本人によるミニレクチャー付き2016年2月9日(火)OPEN 18:00 / START 19:00
会場:東京都 恵比寿 LIQUIDROOM
出演:
ブルース・ビックフォード
坂本慎太郎+菅沼雄太+AYA(OOIOO)
smallBIGs(小山田圭吾+大野由美子)
トクマルシューゴx上水樽力 チェンバーミニオーケストラ
EY∃
七尾旅人
キュレーション:宇川直宏
料金:前売4,000円(ドリンク別)
主催:GEORAMA2016(ニューディアー、FOGHORN)『ブルース・ビックフォードのガレージ』
2016年2月6日(土)、2月7日(日)12:00~18:00
会場:東京都 原宿 VACANT
料金:当日500円『ブルース・ビックフォードと過ごす特別な一夜』
2016年2月6日(土)19:00~21:00
会場:東京都 原宿 VACANT
出演:ブルース・ビックフォード『GEORAMA2016』
2016年2月2日(火)~2月23日(火)
会場:東京都 ヒューマントラストシネマ渋谷、恵比寿 LIQUIDROOM、渋谷 WWW、テアトル新宿、原宿VACANT、座・高円寺
プログラム:
『チャネリング・ウィズ・ミスター・ビックフォード』
『ドン・ハーツフェルトの夕べ』
『変態(メタモルフォーゼ)アニメーションオールナイト2016』
『ブルース・ビックフォードのガレージ』
『ブルース・ビックフォードと過ごす特別な一夜』
『GEORAMAセレクション』
ほか
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- ブルース・ビックフォード個展『Line and Clay』
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2016年2月10日(水)~2月20日(土)
会場:東京都 白金高輪 山本現代
時間:11:00~19:00
休日:日、月曜、祝日
- プロフィール
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- 土居伸彰 (どい のぶあき)
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ニューディアー代表。1981年東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。『新千歳空港国際アニメーション映画祭』フェスティバルディレクター。ロシアの作家ユーリー・ノルシュテインを中心とした非商業・インディペンデント作家の研究を行うかたわら、Animation Creators and CriticsやCALFといったグループの一員として、上映イベントの企画や執筆等を通じて、世界のアニメーション作品を広く紹介する活動にも精力的に関わってきた。海外映画祭での審査員やキュレーターとしての活動経験も多い。2015年、株式会社ニューディアーを設立。世界のアニメーションの才能をつながるべき場所へとつなげる活動を積極的にスタートさせる。
- 宇川直宏 (うかわ なおひろ)
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1968年香川県生まれ。映像作家 / グラフィックデザイナー / VJ / 文筆家 / 京都造形芸術大学教授 / そして「現在美術家」……幅広く極めて多岐に渡る活動を行う全方位的アーティスト。既成のファインアートと大衆文化の枠組みを抹消し、現在の日本にあって最も自由な表現活動を行っている。2010年3月に突如個人で立ち上げたライブストリーミングスタジオ兼チャンネル「DOMMUNE」は、開局と同時に記録的なビューアー数をたたき出し、国内外で話題を呼び続ける。『文化庁メディア芸術祭』審査委員(2013~2015年)。『アルスエレクトロニカ』サウンドアート部門審査委員(2015年)。また高松市が主催する『高松メディアアート祭』ではゼネラルディレクター、キュレーター、審査委員長の三役を務め、その独自の審美眼に基づいた概念構築がシーンを震撼させた。
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