2015年6月26日は歴史に刻まれる1日となった。アメリカ合衆国連邦最高裁判所は、同性カップルが結婚する権利はアメリカ憲法で保障され、これを禁止する法律は違憲だと判断した。この判決によって、アメリカ全土で同性婚が認められることになったのだ。日本でも、4月には渋谷区、7月には世田谷区で「同性パートナーシップ条例」が制定され、同性婚への歩みは着実に進みつつある。世界中で、社会の片隅に追いやられていたLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの略称)たちの権利や制度的な受け皿が拡大しているのだ。
そんな状況のなか、ダンサーの川口隆夫が同性愛という自らのアイデンティティーに向き合った作品『TOUCH OF THE OTHER ―他者の手―』を上演する。LGBTの権利拡大が進む中、当事者として川口はどのような心境なのだろうか? そしていま、同性愛というセクシャリティーに向き合うことで、いったいなにを提示しようとしているのだろうか? 川口と、今作のドラマトゥルクを務める飯名尚人との対談からは、必ずしも「同性婚バンザイ!」だけには終わらない複雑な事情が見えてきた。
パブリックな存在としてゲイが世間に出ていこうとすると、風当たりはとたんに強くなる。(川口)
―川口さんは、ダンサーとして活躍する傍ら『東京国際レズビアン&ゲイ映画祭』(以下『L&G映画祭』)のディレクターを務めるなど、ゲイカルチャーとも密接に関わりながら活動されてきました。最近は、日本でも同性婚のニュースが話題ですが、LGBTを取り巻く状況についてどのように感じていますか?
川口:「ゲイカルチャー」と一括りにはできませんが、ぼくが見てきた範囲で言えば、『L&G映画祭』がはじめて開催された1992年ごろから、オープンに花開いていった印象があります。時代的にも、いまより景気が良くて、派手なパーティーがあったり、企業から協賛をもらったり、それらに付随して予算規模の大きなゲイフィルムも作れるようになった。世界的な傾向として、ゲイコミュニティーの潜在力が評価され、社会が受け入れるようになっていった時期でした。
―1990年代を通して、ゲイカルチャーは拡大していったんですね。
川口:特に重要な転換点として、1995年にHIVの治療薬が開発されたことがあります。ゲイの解放運動は1980年代以降、HIVをめぐる戦いの歴史でもあったため、治療薬によってゲイコミュニティーは大きく盛り上がったんです。1990年代の追い風のなかで、一番印象的だった事件がパリのコンコルド広場で行われたエイズ感染者支援団体「ACTUP(アクトアップ)」による活動。パリのコンコルド広場にあるモニュメントを男根に見立て、大きなピンク色のコンドームを被せました。当時「ゲイがこんな風に社会に出ていけるんだ!」と感動した記憶があります。
―2000年代に入ってからはいかがでしょうか?
川口:ここからが複雑なんですが……、私の見方では2000年代からゲイが保守化していったように感じています。
―クラブのパーティーやドラァグクイーンなどに象徴されるゲイカルチャーと「保守化」という言葉は、相容れないように感じますが……。
川口:2000年代に入ると、それまで「周辺」の存在だったゲイが市民権を得たことで、ゲイカルチャーもメインストリーム化していきました。反体制、マイノリティーとして尖った活動をしていたアーティストも丸くなってしまい……。「同性婚」も各国で徐々に認められはじめ、そんな祝祭ムードのなか、ゲイも既存の社会制度に取り込まれていきました。結婚して、いい家に住んで、高級車に乗って、インテリアを揃えて、なんらかの方法で子どもを持って……と、絵に描いたように伝統的でラグジュアリーな「アメリカンファミリー」を実現していく流れが目立つようになってきたんです。
―ゲイは市民権を得た後、自分たちを既存の社会制度のなかに位置づけて「保守化」していった?
川口:そう。だから同性婚の法制化も、ただ素直に歓迎していいものか? と悩ましく思うこともあります。それは、ゲイが「まっとうな市民」として受け入れられるために、それまで持っていた「汚れた部分」を隠しはじめたということでもあるんです。
―欧米と日本では、LGBTを取り巻く状況は異なり、市民権の獲得において、日本は遅れているイメージがありますが、実態としてはいかがでしょうか?
川口:遅れているというか、「出る杭は打たれる」文化の日本では、同性愛は問題とすらされていなかったんです。大雑把な見立てですが、人の活動を「プライベート」と「パブリック」に分けた場合、日本の同性愛は「プライベート」に収めている限り、問題にはなりませんでした。江戸時代から「若衆、衆道、男色」というカルチャーはあったけれど、家制度を引き継いで、社会的なノルマをきちんと果たしていれば、セクシャルアイデンティティーというプライベート部分は問われなかった。けれども、パブリックな存在としてゲイが世間に出ていこうとすると、風当たりはとたんに強くなる。最近でもさまざまな反発が生まれていますよね。
―先日、神奈川県海老名市の市議会議員が、同性愛者に対して「生物の根底を変える異常動物だ」とツイートしたことが話題になりました。
川口:制度的には、パブリックでもLGBTを受け入れる社会になりつつありますが、必ずしも楽観的ではありません。むしろ、そのようなツイートも起こりうる現実に対して強く警戒していますね。
欧米の性風俗店は裏通りにこっそりありますが、日本では表通りに軒を連ねていて、むしろ性に対して寛容なのかもしれません。(飯名)
―スパイラルホールでまもなく上演される、川口さんの新作『TOUCH OF THE OTHER ―他者の手―』に、ドラマトゥルクとして参加している飯名さんにとって、LGBTを取り巻く状況はどのように映っているのでしょうか?
飯名:欧米が「先進的」で日本が「遅れている」というイメージに対しては、かなり慎重に向き合っていかなければと実感しました。今作のコンセプト・構成・演出を担当しているアメリカ人のジョナサン・M・ホールにはじめて会ったとき、「アメリカは性(セックス)についてオープンですよね?」と聞いたら、彼は「アメリカの性風俗店は裏通りにこっそりあるのに、日本では表通りに軒を連ねていて、日本のほうがもしかすると性に対して寛容でオープンなのでは?」と言われて、ハッとしました。
―欧米は、必ずしもLGBTに対して寛容な文化ばかりではない?
飯名:ジョナサンが言うには「ゲイほど保守的な人たちはいない」と(笑)。同じゲイカルチャーだからといって、日本と欧米を同じ文脈で語ることはできないし、さまざまな様相を持つ「同性愛」という事象を、どういうかたちでどこから切り崩していくかは、しょっちゅう(川口)隆夫さんと議論していますね。これまでも長く仕事をしていますけど、ここまでお互いのアイデンティティーについて深く語り合うことはありませんでした。
わかったつもりで「そうだよね」と相槌を打っていると、いつのまにかおかしな関係になってしまう。(飯名)
―川口さんは、以前から自らのアイデンティティーに関わる作品を創作していますが、観客からはどのような反応があるのでしょうか?
川口:2000年に『世界の中心』という作品を上演したんですが、5人の出演者がたまたま全員ゲイだったんです。LGBTについて政治的なスローガンを掲げた作品ではなかったんですが、ヘテロ(異性愛者)のお客さんから「なぜ、ダンスでセクシャルアイデンティティーを問題にするの?」という質問があって、びっくりしたことを覚えています。
『TOUCH OF THE OTHER ―他者の手―』チラシ
―出演者にゲイのパフォーマーを選ぶだけで、そこに政治的な意図があると思われてしまう。
川口:おそらく、いまの社会はヘテロを中心に動いているので、ゲイが中心の作品を観ると、ふだん無意識にやり過ごしてきた「ヘテロ中心の世界」が覆される恐怖を感じるのではないでしょうか。自分が「異性愛者=マジョリティー」であることが相対化、視覚化されて、認めざるを得なくなる。それを嫌って抑圧しようとするから、同性愛者は社会の周辺に追いやられてしまうんです。
―異性愛者からのLGBTに対する無意識な抑圧が、「なぜ、ダンスでセクシャルアイデンティティーを問題にするの?」という質問に象徴されるわけですね。
川口:ぼくも所属していたダムタイプの『S / N』(1992年)は、リーダーの故・古橋悌二が「私はゲイです」「日本人です」「男性です」「HIVポジティブです」と、自らにレッテルを貼りつけながら、セクシャリティーやアイデンティティー、HIVといった問題を突きつける作品でした。日本の舞台や映画の世界で、このように当事者が問題を扱っている作品は、いまだ圧倒的に少ないんです。映画監督では橋口亮輔さんや大木裕之さん、そして『TOUCH OF THE OTHER ―他者の手―』で映像部分を撮影してくれた今泉浩一くんの作品くらいでしょうか。『L&G映画祭』でも、日本の作品を募集していたのですが、集まってくるのは同性愛者の監督作品よりも異性愛者の監督作品のほうがずっと多かった。
―「作品」というパブリックな場でセクシャルアイデンティティーを扱ったとたん、激しい抑圧に見舞われる。だから、日本でLGBTをテーマとした作品を作るのは難しい。
川口:社会的な偏見は薄れつつあるし、テレビでも当たり前にゲイが登場するようになりました。LGBTという名称も普及し、渋谷区では「同性パートナーシップ条例」も施行されました。けれども、よくよく見ていくと、LGBTに対する抑圧はいまだに根強く残っているんです。
飯名:「ストレートアライ」という言葉があります。「LGBTを受け入れて支援する異性愛者」という意味ですが、時にその人たちのLGBTに対する無自覚な接し方が、彼らを苛立たせることもあるんです。異性愛者がLGBTの気持ちをわかったつもりになってしまうと、いくら好意的に振る舞っても違和感が残ってしまう。今回のクリエイションを経て、ぼく自身もLGBTに対して無自覚であり、あまりにも知らないということに気づかされました。一緒に仕事をしていても、隆夫さんの言う「抑圧」がなにを指すのか、いまだにわからない部分もありますよ(笑)。
川口:わかんないだろうなー(笑)。
飯名:わかったつもりになってはいけない。わかったつもりで「そうだよね」「わかるよ」と相槌を打っていると、いつのまにかおかしな関係になってしまう。なにがわかって、なにがわからないのかを丁寧に自覚しなきゃならないんです。
自分をゲイとしてアイデンティファイできていない。そんな宙づりの状態のときに集まれる場所が、パブリックとプライベートが交差する空間、公衆トイレなんです。(川口)
―『TOUCH OF THE OTHER ―他者の手―』は、アメリカの社会学者ロード・ハンフリースが、公衆トイレにおける同性愛者の性行動をリサーチした博士論文『Tearoom Trade』(1970年)をベースに創作されたそうですが、これはどのような研究だったんでしょうか?
川口:ジョナサンから教えてもらったんですが、この論文はアメリカの社会学では必ず取り上げられる、金字塔的な研究になっているそうです。なぜかというと、そのリサーチ手法が大胆すぎて、倫理的な問題があるんじゃないかということで……。
『TOUCH OF THE OTHER ―他者の手―』プレ公演 © 2015 Touch of the Other.
―ハンフリース自身も同性愛者だったんですか?
川口:彼は牧師で妻帯者でしたが、のちに離婚してゲイだとカミングアウトしています。そのリサーチ手法というのが、ゲイのハッテン場(男性同性愛者の出会いの場所)である公衆トイレに見張り役として参加し、集まっている人たちの行動を詳細に記録したんです。さらに車のナンバープレートまで控えておいて、1年以上経ってから市の衛生局に健康調査員として潜り込み、公衆トイレに参加した人たちの住所を割り出して、身辺調査インタビューまで行なっています。クリエイティブだけど、むちゃくちゃなリサーチだったんですね(笑)。
―倫理だけでなく職権も濫用した、かなり問題のあるリサーチですね(笑)。
川口:結果的には、この調査によって同性愛者たちの社会的身分や経済状況、じつは結婚して子どもがいたりなど、社会一般から思われているような害悪のある人たちではないことがわかりました。それが1970年代に進展していくゲイ解放運動の推進力の1つとなっていきます。ただ、「こんな研究が許されるのか」と、いまだに議論が分かれています。このリサーチでハンフリースは膨大な記録を残していますが、ここから45年を経たぼくらが共有しているリアリティーを、作品ではあぶり出したいと考えています。
『TOUCH OF THE OTHER ―他者の手―』プレ公演 © 2015 Touch of the Other.
―ちなみに、同性愛者たちの「ハッテン場」に、公衆トイレが使われるのは世界共通なのでしょうか?
川口:異性愛者もLGBTも、性生活はプライベート空間で行なうことが規範とされていますが、ゲイにとって、その規範に収められない場合があるんです。「クローゼット」という言葉があるのですが、同性愛に気づいたけど、家族に話すこともできず、自分自身のアイデンティティーを隠して生きている状態。誰かと交わりを持ちたくても、まだ自分をゲイとしてアイデンティファイできていないから、ゲイバーに行くことはできません。そんな宙づりの状態のときに集まれる場所が、パブリックとプライベートが交差する空間、公衆トイレなんです。出会いの場がネットに移行する2000年代まで、世界的にそういう傾向にありました。
―これまでのゲイ解放運動のなかでも、公衆トイレのような「後ろめたい場所」で行われる性については、あまり光が当てられていませんでした。
飯名:今作で映像を担当する今泉浩一監督は、日本でゲイの映画を作り続けている数少ない映画監督ですが、「あなたの作品はゲイのイメージを下げている」と批判されることもあるそうです。それは、今泉監督が描こうとする「本当のゲイの姿」を世間にさらさないでほしいということなのかもしれない。LGBTがマジョリティーを意識してイメージアップをしている、させられていることの表れかもしれません。
川口:たとえば、「同性パートナーシップ条例」のニュースでテレビに出たり、脚光を浴びるのは、社会に認められた「シャイニー」なゲイやレズビアンの人々ですよね。だけど、シャイニーじゃない人のほうが多数派なのは、同性愛者も異性愛者も変わりません。同性婚によって「社会に認められたゲイ」が脚光を浴びることは、同時に「普通のゲイ」を周辺に押しやることにもつながってしまうんです。
『TOUCH OF THE OTHER ―他者の手―』プレ公演 © 2015 Touch of the Other.
―逆に言えば、公衆トイレにフォーカスすることで、ゲイが持っている「本当の姿」を描けるということでしょうか?
川口:そうですね。渋谷区では、同性パートナーシップ条例施行の裏で、宮下公園の大規模整備によってホームレスたちを排除しようとしています。同性愛と異性愛という区別がなくなったとしても、「シャイニー」な人と「シャイニーじゃない人」という区別は残っていくんです。いまのLGBTの社会への受け入れられ方には疑問を感じている部分も多いので、そのイメージをいい意味で覆すような作品にしたいですね。
公衆トイレでの経験を振り返ると、他者との接触を求めてつながろうとしているのに、自分がなにを求めているのかわからなかった。(川口)
―『TOUCH OF THE OTHER ―他者の手―』は、日本とロサンゼルスでプレ公演やレクチャーパフォーマンスを行なってきましたが、それぞれの反応はいかがでしたか?
飯名:日本とアメリカで大きく反応が異なっていたように思います。日本ではゲイが上演するパフォーマンスということだけで、単純におもしろがられる傾向にあります。だけど、ロサンゼルスで上演したときは、一緒にクリエイションをしたレズビアンの映像作家から「ゲイの男根主義的作品」と批判されたんです。アメリカでは、ゲイのパフォーマンスということだけでなく、その質や中身を議論する歴史がありますが、日本はそこまでの段階に至っていないのかもしれません。
川口:ただ、何回もプレゼンテーションやシーンの断片を上演していくなかで、日本でも興味を持たれてはじめている実感はあります。日本のLGBTを取り巻く状況に風穴を開けることを期待している人はきっと少なくないはずです。
―今作のチラシには、「小便器の前に立ち、知らない男に、握られて、果てる」と、川口さんによる新宿駅公衆トイレでの実体験が生々しく綴られています。『他者の手』というタイトルは、この知らない男の手を指すのでしょうか?
川口:公衆トイレでの経験を振り返ると、他者との接触を通して、具体的に自分自身がなにを求めているのかわからなかった。そんな自分の「正体不明な欲望」を「他者の手」が象徴していると思ったんです。後ろめたさや罪悪感を感じつつも、背徳感がさらに自分の欲望を助長させてしまうんですね。
飯名:後ろめたさや罪悪感を感じつつ欲望を助長するというのは、異性愛者でもマスターベーションの快楽をイメージすればわかりやすいと思います。今作には「どうしようもなくダークで切ない人間の本性」というコピーが綴られていますが、この「本性」という言葉はLGBTと異性愛者という境界だけでなく、恋愛、セックス、性欲、欲望といったさまざまな意味に捉えられるのではないでしょうか。
- イベント情報
-
- ロサンゼルス / 東京 国際共同プロジェクト
Jonathan M. Hall and Takao Kawaguchi performance
『TOUCH OF THE OTHER―他者の手―』
東京公演 -
2016年1月15日(金)~1月17日(日)19:30開演(17日は15:00開演)
会場:東京都 南青山 スパイラルホール
コンセプト:ジョナサン・M・ホール
構成・演出:川口隆夫、ジョナサン・M・ホール
ドラマトゥルク・アートディレクション:飯名尚人
振付・美術:川口隆夫
音楽:恩田晃
映像:今泉浩一
衣装:北村教子
出演:
芝崎健太
ドリュー・ウッズ
マルコ・アレホス
斎藤栗子
佐藤ペチカ
川口隆夫
料金:前売3,500円 当日4,000円 学生2,500円
主催:株式会社ワコールアートセンター / ハイウッド / 川口隆夫
- ロサンゼルス / 東京 国際共同プロジェクト
- プロフィール
-
- 川口隆夫 (かわぐち たかお)
-
1996年から2008年までダムタイプに参加。2000年以降はソロを中心に、演劇・ダンス・映像・美術をまたぎ、舞台パフォーマンスの幅広い可能性を探求、他ジャンルのアーティストとのコラボレーションも多い。近作に『病める舞姫をテクストに―二つのソロダンス』(2012)、『大野一雄について』(2013)。また2008年より「自分について語る」をテーマにしたソロパフォーマンスシリーズ『a perfect life』を展開。そのVol.6「沖縄から東京へ」で『第5回恵比寿映像祭』に参加した。香港のディック・ウォン、映画監督今泉浩一とともに『Tri_K』(2010~12)など、コラボレーションも多数。その他、『東京国際レズビアン&ゲイ映画祭』のディレクター(1996~99)、イギリス実験映画監督デレク・ジャーマンの『クロマ』共訳(2003)、短編映画『KINGYO』(2009)に出演するなど、その活動は多岐に渡っている。
- 飯名尚人 (いいな なおと)
-
舞台とメディアのための組織Dance and Media Japan設立後、海外からアーティスト招聘プロジェクトを多数行う。プロデューサーとして、アートパーティー『マムシュカ』『国際ダンス映画祭』など。映像作家として、佐藤信、川口隆夫、小池博史の作品に参加。ドラマトゥルクとして、川口隆夫『大野一雄について』『a perfect life 6』。演出作品として、遊郭を描いた『ASYL(アジール)』、森鷗外の「雁」の舞台版『忍ばずの女』、資本主義と社会主義の間を彷徨う写真家を描いた『熱風』。フィクションとドキュメンタリーの境界を行き来する作風でジャンルを越えたコラボレーションを行っている。
- フィードバック 7
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-