ビートたけし×忽那汐里 日常と狂気の境界を決めるものの見方とは

現代アメリカを代表する小説家、ポール・オースターが脚本を書いた『スモーク』で知られる、映画監督ウェイン・ワン。その新作『女が眠る時』は、不思議で淫美な映画である。才能の枯渇に悩む小説家が、滞在したホテルで出会った男女に導かれるように、強迫的な狂気の世界へと足を踏み入れていく物語は、エロスとタナトスに満ちている。

ワン監督は原作小説の設定を大胆に変更し、日本のリゾートホテルを舞台に選んだ。そして主演にビートたけし、共演に西島秀俊、忽那汐里、小山田サユリを招き、新たな『女が眠る時』を再構成したのだ。そこには、男女の愛、映画、アーティストの苦悩など、さまざまな表情が現れては消える、夢のような時間が流れている。作中で正体不明のカップルを演じたビートたけしと忽那汐里に、本作の出演について話を聞くチャンスを得た。二人が見た夢幻の世界は、いかなるものだろうか?

※本記事は『女が眠る時』のネタバレを含む内容となっております。あらかじめご了承下さい。

この映画は、立ち位置や見方の違いによって大きく変わるものについて言っている。(ビートたけし)

―『女が眠る時』はエロティックな映画ですよね。西島秀俊さん演じるスランプに陥った小説家が、あるホテルに滞在中に年齢の離れたカップルに出会い、彼らに強迫的に魅了されていく。たけしさんと忽那さんは、そのカップルを演じています。

ビートたけし:怪しい二人だよね。ごくごく正常な感覚で見れば、俺が演じる爺さんと10代くらいにも見える女の子がプールサイドでいちゃいちゃしていたら「なんだあれ……?」って違和感を覚える。まあ俺がよく撮っている暴力映画の世界だったら、ヤクザとその愛人の情婦にも見えるかもしれないけど(笑)。

ビートたけし
ビートたけし

忽那:かなり異様な二人ですよね。

ビートたけし:物語は変態的な方向へと進んでいって、徐々に爺さんがカブトムシや蝶を飼育するコレクターのように見えてくる。だって何年間も1日も欠かさず、夜な夜な女の子の眠っている姿をビデオで撮影して、よく撮れた映像を永久保存して、大事に持ち歩いているんだからさ。

―中年男性が女子高生を監禁する『完全なる飼育』という映画がありましたけど、そんな倒錯的な人間関係が子どもの頃からずっと続いているようなものですね。

ビートたけし:西島くんの演じている小説家は、変質者を見るような目で俺を見て「女の子は無事か? あの爺さんは何者なんだ?」って興味を持ち始めるわけでしょう。まあほとんどの人はそう見てしまうよね。西島くんが演じる人物は狂気に取り憑かれたようでいて、実は一般的なものの見方を表していると思う。

忽那:美樹(女の子)にとっては、佐原(爺さん)との関係がごく当たり前のことでなんの疑問もないんでしょうけど、はたから見ればマトモな状況ではないですよね。無音の室内に「ピッ」ってビデオカメラの録画が始まる音だけが響いて、佐原の視線にさらされ続けている緊張感……。普通なら気が狂ってしまうと思います。

忽那汐里
忽那汐里

ビートたけし:そうだよね。でもさ、俺は必ずしも爺さんが変質者だとは思わないんだよ。

―なぜですか?

ビートたけし:もしも爺さんと美樹が本当に親子だとしたら、親が子どもの成長過程を写真やビデオに記録することって別に異常ではないじゃない。父親が娘の成長を見守る気持ちで、昼寝の様子をスマホで撮ったりするのってまあ普通のことで。今回の場合は、血のつながりが不明で、ただならぬ雰囲気があるから気味悪さを感じるけど。だからこの映画はさ、立ち位置や見方の違いによって大きく変わるものについて言っていると俺は思うんだよ。

図々しい言い方すると、他人が監督をするときには俺はほとんど演技プランを立てない。(ビートたけし)

―僕はエクストリームなラブストーリーの映画だと思って見ていました。

ビートたけし:なるほどね。でも、俺はラブストーリーだと思って演じてないんだ。これって一人の小説家が見た、現実と幻想の狭間の映画なんだと思う。そもそも美樹と爺さんは実在する人物なんだろうか? リゾートホテルにやって来た小説家が抱いている欲望が見せた幻かもしれないし、ひょっとすると、リゾートホテルに逗留しているという体験も本当ではないかもしれない。

―たしかに、本作の結末はそれまでの体験に疑問を投げかけるものになっています。

ビートたけし:だから演技にしても、恋人同士のように演じようなんて思ってもいなかった。図々しい言い方すると、他人が監督をするときには俺はほとんど演技プランも立てない。言われた通りにいかに忠実にやるかってことしか考えないから。

『女が眠る時』 ©2016 映画「女が眠る時」製作委員会
『女が眠る時』 ©2016 映画「女が眠る時」製作委員会

―たけしさんの演技って、本心なのか嘘なのかわからない掴みどころのなさが魅力ですよね。それは今回共演しているリリー・フランキーさんにも感じることで……。いい意味で「心がない」というか。それは役柄の内面に没入しないことで生まれる感覚だったんですね。

ビートたけし:どうだろうね。そもそも映画の撮影ってコマ切れじゃない。制作上の都合があるから、ラストシーンを撮った後に最初のシーンを撮ったり、いきなり10年後のシーンを撮影したりしなきゃいけない。だから本質的には心構えも準備もできるわけがないんだよ。少なくとも俺はそう。

忽那:特に(ウェイン・)ワン監督の撮影方法は、この先の予想ができませんよね。撮影中はずっと映画に出てくるホテルに滞在していたんですけど、出番が終わって部屋でゆっくりしていると、突然電話がかかってきて「監督がやっぱり次のシーンにも登場させたいと言っているので降りて来てください」とか急に言われるんです(笑)。いつ声がかかるかわからないから、全員が気を抜けない感じで。だからこれまで撮ったシーンのテンションとか、この先に起こりうる展開を極力考えないようにして、シーンごとにどういう風に映るかに集中していました。

『女が眠る時』 ©2016 映画「女が眠る時」製作委員会
『女が眠る時』 ©2016 映画「女が眠る時」製作委員会

ビートたけし:ワン監督も、あまりあれこれと説明するタイプじゃないしね。何度も撮り直して、それでやっとOKが出る、っていう演出だったから、途中からはこっちも「そういうもんだな」と腹をくくった。

―たけしさんのアイデアが採用されたシーンや台詞も多くあったと聞きました。

ビートたけし:ワンさん、相談好きだからね。撮影前に呼ばれて、2、3回台本について話して「たけし、ここはどう思う?」って聞かれてさ。「俺は脚本家じゃないよ」って思うんだけど(笑)。劇中で俺が西島くんの喉に刃物を突きつけるシーンがあるでしょ。あそこの台詞は俺の話が採用されているね。知り合いの脳外科医から聞いたんだけど、眠っている人の喉に冷たいものを押し当てたりすると、わずか2~3秒の間に脳内で「誰かに刃物で喉を切られた」みたいなストーリーをねつ造してしまうらしい。一晩中そんな悪夢に襲われていたという嘘を自分に対して脳がついてしまうんだって。そういう話をしたら、ワンさんが「それを使いたい!」となった。

ビートたけし

―それは映画の根幹に関わる象徴的なエピソードになっていますね。つまりこの映画自体、脳が小説家に見せた一瞬の幻かもしれない。

ビートたけし:そうだね。

ストーリーがどう転がっていくか見当もつかないけど、想像力を加味した瞬間に、すごく面白い世界になっていく。(ビートたけし)

―忽那さんも監督とはかなり密にやり取りされたと聞きました。

忽那:私が初めて監督とお会いしたのは、この作品のキャスティングのためではなかったんですよ。たまたま会席する機会があって、ちょうど美樹に合うイメージの方になかなか出会えないというタイミングだったようで、声をかけていただいた。そこからお互いに少しずつ距離を近づけていって……監督と文通したんです。

―古風な(笑)。でもその繊細な距離感は『女が眠る時』にぴったりな気もします。

忽那:私がオーストラリアから日本に引っ越してきた理由や、その当時のエピソードに興味を持ってらっしゃいましたね。

忽那汐里

―ワンさんも18歳で香港からアメリカに移住した方ですから、忽那さんに共感を持ったのかもしれないですね。じゃあそういったプロセスを踏まえたうえで、たけしさんと忽那さんで演技プランを話し合っていった?

ビートたけし:いや全然。ほとんど一緒にいることもなかったし、話し合うこともなかったよ。

忽那:そうですね(笑)。

ビートたけし:俺が他の現場と行ったり来たりする毎日だったからさ。現場でいきなり会って、あまり口も利かずに「さあ始めよう」って感じ。実は、忽那さんの名前も曖昧だったりしてさ。読み方が難しいじゃない(笑)。

忽那:「くつな」です(笑)。

ビートたけし:今度こそ覚えた(笑)。そんな成り行きで撮影を進めたわけだけど、それも演出意図に合っていたように思う。俺が思うには、爺さんと美樹は、個人の感情を持って行動している人物じゃなくて、傍観者である西島くんの視点のなかにいる二人だから。自分たちがこういう風に見てほしいという主張のある演技をした瞬間に、映画の主題が捻じ曲がってしまう。二人の関係が断片的であることが重要なんだ。

『女が眠る時』 ©2016 映画「女が眠る時」製作委員会
『女が眠る時』 ©2016 映画「女が眠る時」製作委員会

―一見するとエロティックなラブストーリーですが、構造は実験映画のような複雑さを持っているんですね。

ビートたけし:だから映画としては『007』や『スター・ウォーズ』に比べると、だいぶ頭を必要とする映画になっているよね。予定調和でもないし、ストーリーがどう転がっていくか見当もつかない。でも想像力や幻想を加味した瞬間に、すごく面白い世界になっていく。最近はお笑いと暴力映画ばかり撮って、俺も興行的には成功しているけどさ、こういう映画はやっぱり好きだよ。

人それぞれ、違ったかたちの愛情が描かれていると思います。(忽那)

―男女の関係を主題にしているという見方をすると、たけしさんの『Dolls』にも通底している作品ではないでしょうか? ちなみに西島さんが主演していましたね。

ビートたけし:『Dolls』はねえ、ストーリーはよくある文楽の心中物なんだ。人形浄瑠璃における人形、着物の美しさ、それと季節感っていうものをどうやって表現するかが勝負で、実際の春夏秋冬のシーズンを狙って撮影したんだよね。背景に雪や紅葉や桜の美しい風景が広がっていて、そこに男と女がいる。すっと散る桜の儚さと、劇中で女が正気を失ったりする展開、自然と男女の人間関係をうまくリンクさせたかった。いわば、生きた人間を使った人形浄瑠璃をやりたかった。

―なるほど。

ビートたけし:だからかなりバランスを欠いた作品ではあって、まるっきり受け入れてくれなかった国もあるし、ロシアなんかでは何年間もロングランするぐらい熱狂してくれて、大きな賞をくれる国もある。チェーホフ(ロシアを代表する19世紀の劇作家、小説家)とか演劇の感覚がよくわかる国民性と合う作品なんだろうね。

―人形浄瑠璃とおっしゃいましたが、『女が眠る時』も、俳優が役に没入しないような演出をしている点で、生きた人間をある種の人形として扱っていると感じました。

ビートたけし:人形浄瑠璃の人形も、どんな役や性別でも同じ顔をしていて、衣装を着せかえるだけで役が現れるじゃない。能面もそうだね。誰が見ても同じ顔を、見ている側がどう解釈して判断するかが表現の核になっている。ぼさっと立っているだけだけど、悲しいシーンでは本当に悲しいように見えたり愉快な顔に見えたり。そういう意味で、やっぱりこれは「見方」についての映画なんだよ。ワンさんは「どの解釈もぜんぶ正解だ」って言っているような気がする。

ビートたけし

―忽那さんは、この映画をどう解釈しましたか?

忽那:たけしさんと近いのですが、私は冒頭のシーンの印象が強いです。西島さんの演じる小説家と小山田サユリさん演じる妻が、ホテルで子どもの話をしますよね。

―子どもがほしいのかそうじゃないのか、みたいな夫婦の会話ですね。

忽那:西島さん演じる男性の愛情が、妻や今後生まれるかもしれない子どもに対して向かざるをえないときに、佐原のような父でも夫でもない逸脱した男性を呼び出したんじゃないかと。そういう意味でも、佐原と美樹は小説家の想像、あるいは願望の産物だと感じます。そういう、人それぞれに違ったかたちの愛情が描かれていると思います。

忽那汐里

―一見すれば狂気でしかなくても、視点をずらせば、ある恋愛の定型を描いているような気もします。実際の社会生活のなかで、みんなうまく恋愛関係をこなしているけど、実は個別の異常さがあったりする。その意味で、この映画は「みんなちょっとずつ狂っている」と、ちょっとホッとさせてくれるようなところもある。

ビートたけし:ストーカーだって、基本的にはある人が好きだって感情の表れだもんね。それがある見方を得て、一線を超えた瞬間に犯罪者になってしまう。その「一線」も社会的に決められた倫理でしかないわけでさ。

―たけしさんの映画は、そういった狂気を扱ってきた面を持っていませんか?

ビートたけし:映画に限らず、スタンダップコメディーだって本質的には狂気だよ。お客の前で「昨日こんなことがありまして」なんて話しはじめるけど、全部嘘でしょう。実際はずっと家に籠りながら、喋り方とたくさんのテクニックを使って、あたかも本当のように語って、お客に喜んでいただくためにどうすればいいか頭を悩ませる。たった10人しかお客がいなくても、笑ってもらえれば幸せで、ウケなかったら「もう俺はダメだ」って一日中不快になる。かなり異常で因果な商売だと思うね。

ビートたけし

―そういう「見方」をすれば、『女が眠る時』はアーティストがクリエイションすることの奇妙さを主題にしているようにも見えてきませんか?

ビートたけし:そうそう。今ちょうど次の映画の台本を書いていて、ここ2か月くらい寝ながら考えているんだけど、朝になると何一つ思い出せなくて。

―ナイスアイデアな夢を忘れてしまったり?

ビートたけし:それがひょんなことで思い出されて、一気に物語が完成したりするんだよ。努力して山を登って、これだけの過程を踏んだから頂上に辿り着いて「無事に完成!」では絶対にない。山の周囲をグルグルうろついて、あるとき気づいたら突然ゴールに来ている、という感じ。この映画は、ものごとのそういう一面も伝えているんじゃないかな。

作品情報
『女が眠る時』

2016年2月27日(土)から公開
監督:ウェイン・ワン
脚本:マイケル・レイ、シンホ・リー、砂田麻美
原作:ハビエル・マリアス『女が眠る時』
イメージソング:中森明菜“FIXER - WHILE THE WOMEN ARE SLEEPING-”
出演:
ビートたけし
西島秀俊
忽那汐里
小山田サユリ
配給:東映

プロフィール
ビートたけし

1947年、東京都出身。1980年代初頭より漫才コンビ・ツービートのビートたけしとしてキャリアをスタート。大島渚監督に才能を見出され、『戦場のメリークリスマス』で俳優として注目を浴びる。以来、数多くのテレビドラマや映画に出演してきた。映画監督としては「北野武」名義で活躍。監督第7作目となった『HANA-BI』(98)は第54回ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。自身が監督する作品以外に主演するのは、『血と骨』(04)以来12年ぶりとなる。

忽那汐里 (くつな しおり)

1992年、オーストラリア出身。2006年に「第11回全日本国民的美少女コンテスト」で審査員特別賞を受賞。翌07年、TVドラマ「3年B組金八先生」(TBS)の第8シリーズで女優デビュー。その後、大ヒットドラマ「家政婦のミタ」(11/NTV)などに出演。映画は2009年に『守護天使』のヒロイン役でデビューし、11年に出演した『少女たちの羅針盤』と『マイ・バック・ページ』の演技で多くの新人賞に輝いた。クリント・イーストウッド監督の原作をリメイクした李相日監督の『許されざる者』(13)では遊女役で高い評価を集めた。最近は、ホウ・シャオシェン監督『黒衣の刺客』(15)、日本トルコ合作映画『海難1890』(15)など、国際派女優としての期待も高い。



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