「詩はいつでも歌に憧れてる」。そう語るのは現代詩の巨人・谷川俊太郎である。潜在意識から生まれる詩の言葉は、意味に縛られず、自由に人間の心に訴えかけてくる音楽に憧れているというのだ。この言葉は音楽と詩が本質的な意味で結びついているという事実を、雄弁に物語っていると言えよう。
池永正二を中心としたインストダブバンド「あらかじめ決められた恋人たちへ」の新作『After dance / Before sunrise』には、曽我部恵一、ハチスノイトといったボーカリストと共に、詩人の和合亮一がポエトリーリーディングでゲスト参加している。東日本大震災での被災後、現場からTwitterで発表し続けた「詩の礫」が大きな話題を呼び、遠藤ミチロウ、大友良英らと共に「プロジェクトFUKUSHIMA!」を立ち上げるなど、幅広い活動を展開する和合は、もともと大の音楽ファンであったという。一方の池永はもともと映画の大ファンで、近年は映画『味園ユニバース』や、この春公開される『モヒカン故郷に帰る』で音楽を担当。別の表現形態に憧れながら、それでも自分の世界を追いかけ続けてきた二人の邂逅は、音楽と詩の新たな結びつきを見事かたちにしてみせた。
自分は現代詩を書いているわけですが、実は「意味なんかどうでもいい」と思っているところがあって、「朗読したい」というのが先にあるんです。(和合)
―お二人は昨年DOMMUNEでの共演で知り合ったそうですね。
和合:そうなんです。キュレーターの佐藤道元さんに紹介してもらっての共演だったので、そのときはまだ池永さんのことをよく存じ上げなくて。バリバリのアーティストだったらどうしようかと不安に思ってたんですけど、すごく優しそうな、どこか起き抜けの感じの方だったので、安心しました(笑)。
池永:僕もそうでした(笑)。すごいアーティスティックな方なんかなって思ったら、すごいしゃべりやすくて、「よかったー」って。
―池永さんもポエトリーリーディングとのコラボレーションに興味があったわけですか?
池永:あったんですよ。僕らはインストバンドですけど、前に歌を入れてやったこともあって、そこから言葉や声に興味を持ち出してたんです。それで、DOMMUNEで和合さんとやらせてもらったらすごい面白くて、これはぜひ一緒に曲を作りたいと思って……打ち上げでお話ししましたよね?
和合:そうですね。打ち上げでビールを飲みながら、軽いノリだったんですけど、ちゃんと覚えていてくださったお陰で実現しました(笑)。レコーディングはほぼ即興だったんですよ。
―即興はよくやっていらっしゃるんですか?
和合:リーディング自体はもう二十数年やっていて、ブームを起こせないかと思いながら活動しているんですけど、そのときそのときが楽しくないと続けていけなくて、あるときから即興をやるようになったんです。
池永:最初は違ったんですか?
和合:もともとはちゃんと練習して、決まった内容をリーディングしてたんですけど、だんだん変わっていきました。それは遠藤ミチロウさんと大友良英さんと「プロジェクトFUKUSHIMA!」でご一緒させていただいたのが大きいです。あの二人があまりにもアバウト過ぎて(笑)。
池永:大友さんは即興ミュージシャンですもんね。
和合:一時期三人でいろんなところに出ていたんですけど、18時半からステージなのに、18時25分過ぎても何やるか全然相談しなくて、「こんなんでいいんだ」って思って。
池永:いや、結構特殊やと思いますよ(笑)。
和合:ですよね(笑)。僕ももともとあんまり打ち合わせはしない方なんですけど、あのお二人はホントにしないんですよ。でも、それで即興してる姿を見て、自分もこれで行こうと思いました。
―即興のどういう部分に惹かれたんですか?
和合:僕はずっと演劇もやっているんですけど、朗読まで演劇的な思考回路になってしまっていて、どうにかその演劇的な部分から脱出できないかと思っていたんです。ですから、決められたことを練習するより、その場で即興で朗読をしていくほうが新鮮で面白かったんですよね。
―なるほど。音楽ライブとの親和性も高そうですもんね。
和合:僕はもともと音楽が大好きで、高校生のときは楽器をやってみたんですけど全然ダメで、それで詩や演劇を始めたんです。そういう経緯があるので、詩を書いているのも、「言葉による音楽」を作りたいと思ってるんですね。
―言葉による音楽?
和合:自分は現代詩を書いているわけですが、実は「意味なんかどうでもいい」と思っているところがあって、「朗読したい」というのが先にあるんです。それは幼い頃から音楽に憧れていたからこそなんですけど、実はそういう人っていっぱいいるんじゃないかと思うんです。音楽をやりたいけどできない。でも、言葉は好き。そういう人は、「言葉による音楽」をやればいいんじゃないかと思って、リーディングを提唱したいなって。
―以前谷川俊太郎さんに取材をさせていただいたときに「詩はいつでも歌に憧れてる」とおっしゃっていました。詩と音楽にはきっと通じる部分があるんでしょうね。
池永:逆に僕はもともと映画を撮りたかったので、あら恋は「音楽で映画」をやってるような感じなんですよね。そういう合間の人って結構多いのかも。ちなみに僕、谷川俊太郎さん好きなんですよ。谷川さんもやっぱり音楽的なのかもしれないですね。
和合:僕も谷川俊太郎さんが好きで詩を書き始めたところがあるんですけど、そこからいきなり前衛詩にいっちゃったんです(笑)。
池永:僕もスピルバーグが大好きだったのに、なぜかノイズになっちゃいました(笑)。
―どんどんお二人の共通点が見えてきましたね(笑)。
和合:本当ですね(笑)。僕が大きく変わったのはやはり震災の影響で(和合は生まれも育ちも福島市)、ずっと前衛でやってきたんですけど、震災を経験して、誰にでも伝わる言葉にしようと思ったんです。ただ結局は、言葉使いというか、言葉のさらし方が違ってるだけで、実際は難しいも優しいもないなって気がしてますね。
音は風景なんかなって思ったんです。和合さんの言葉の周りにある風景を僕らの音楽で作れば、言葉はその上を歩いていくんじゃないかなって。(池永)
―池永さんはあら恋としてずっとインストでやられていましたが、近年ボーカル曲が増えてきました。声のどんな部分に興味が出てきたのでしょうか?
池永:前は「声も楽器」という意識がなかったんですけど、そう思えるようになってから、インストとして「声」を使えるようになったんですよね。
―たしかに声って、かなり自由度の高い楽器になりますよね。
池永:そうなんですよ。例えば僕が演奏してる鍵盤ハーモニカって、吹き方とかメロディーで個性は出せますけど、それでも音色は鍵盤ハーモニカっていう範囲内ですよね。でも、声ってその人の声でしかないから、その人だけの楽器だし、そう考えたら声ってすごい面白いなって思えて。
―なおかつ、そこには「言葉」が付随しますよね。
池永:言葉が乗って意味やイメージが強くなり過ぎちゃうのは避けたいと思ってたんですけど、実際やってみると、やっぱり言葉って強いんです。僕は言葉の意味よりも、言葉の響きの中にある繊細な感情が好きだし、そのどっちつかずで微妙な感情表現って、人間の声が持つ独特のものだと思っていて。例えば、「怖い」って言うにしても、「怖い!」と「こわぁ」だと、同じ言葉でも響きや感情表現が全然変わってくる。その言葉の響きをどう音楽に当てはめるかによって、僕らが求めるインストになるのか、それともリーディングのバックトラックみたいな音楽になってしまうか、その差が出るんやと思うんですよ。
―今回お二人が作り上げた“焦点”のレコーディングに関してはいかがでしたか?
池永:言葉も音もどっちも生きる状態にしたいと思って、途中から音は風景なんかなって思ったんです。
―風景ですか?
池永:そう。和合さんの朗読のテンポって、歩くテンポなんですよ。だから、和合さんの言葉の周りにある風景を僕らの音楽で作れば、言葉はその上を歩いていくんじゃないかなって。そうなったら、言葉と音楽のバランスが取れるだろうと。
和合:僕は、あら恋を紹介されて初めて見たのが“Fly”のミュージックビデオだったので、最初はあのイメージがありました。ああいう優しい感じと、そこから飛躍していく感じを追いかけてみたいって気持ちがあったんです。でも、それを直接的に語る言葉を選ぶんじゃなくて、外側からそれを追いかけられたらいいなと思って、いろんな詩を持ってきて、つなぎ合わせながらやってみました。
―頭から順番に読んでいるわけではなく、二人でセッションをしてランダムで録音したものを、池永さんが編集して使っているそうですね。
池永:はい、そこは託していただいて。
和合:僕はただやりたいだけやった感じで、2時間のカラオケを延長して4時間やっちゃいました(笑)。池永さんがそれを丹念に聴かれて、作られたんだと思います。
池永:最初はエモーショナルな感じでお願いしてたんですけど、エモーショナルな言葉にエモーショナルなノイズが乗ると、ぶつかっちゃうんですよね。映画でもそうなんですけど、ノイジーな中でノイジーなことをやってるより、ノイジーな中でフッと素に戻った表情とかにグッと来るんです。
―同じベクトルではなく、違うものをかけ合わせたほうがいいんですね。
池永:そうそう。だから和合さんに囁き声でやってもらったら、音の風景の中を和合さんがちゃんと歩いてる感じがした。インストゥルメンタルの中でちゃんとポエトリーリーディングができてるし、ポエトリーリーディングなんだけど、ちゃんとインストゥルメンタルって感じの曲になったなって思いましたね。
昔はどこかで「どうせわかってくれねえし」みたいに思ってたけど、ホントはわかってほしくて、ちゃんと聴かせたくなって、そうしたらいろんな人に出会えるようになったんです。(池永)
―ランダムに録った言葉を曲として再構成するというのは、長年現代詩をやってこられて、なおかつ言葉を音楽として捉え、即興もされている和合さんとのコラボレーションならではだと思います。
和合:僕は言葉を信頼している一方で、言葉を疑ってるところがあって、言葉は意味をなさないほうが面白いんじゃないかとも思ってるんです。一つの言葉と一つの言葉をぶつけることで、別の新しい意味を見つける。それがシュルレアリスムですけど、そういうめぐり合いでこそ新しい火花が生まれると思うから、それをずっとやり続けてきたんです。これまでいくつもいくつも失敗をして、「意味不明」とか「超難解」と言われ続けてきたんですけど、最近になってやっと池永さんのような方とも巡り合えるようになって、やめずにやってきてよかったなって思います。やっぱり今でも一番やりたいのはシュルレアリスムで、優しい言葉を使ったとしても、それでまったく違う位相の世界を作りたいと思ってるんです。
池永:うわ~よかった。言葉と音楽の関係性もたぶん同じやと思うんですよ。同じ歌詞でも、後ろの音楽が違ったら歌詞の意味も違って聴こえるじゃないですか? だから今の話を聞いて、意味をなさない言葉の連なりがかけ算になっていて、そこに音が加わって、そのかけ算がさらに広がっていく感じがしました。やっぱり、詩人の方の言葉を自由に使わせてもらうのって、ちょっと気を使う部分があったというか、失礼にならないかなっていうのもあったので、安心しました(笑)。
和合:僕も今、池永さんに「かけ算になった」と言ってもらえて、やっぱり好きなものを追いかけ続けることは、表現の根本なんだなって改めて思いました。最初に『現代詩手帖』に詩を書いたのが23歳で、それからもう24~25年やってるんですけど、最初はずっと「意味不明」と言われてて、それでも誰も「やめろ」とは言ってこないから、書き続けてきたんです。ずっと迷い続けてきた部分もあるから、うれしいですね。
―やはり、お二人には最初から通じる部分があったんでしょうね。
和合:そんなに打ち合わせをしなくても、お互いパッと入っていけたっていうのは、そういうとこなんじゃないかと思うんですよ。一晩中しゃべっても、分かり合えない人もいるわけじゃないですか? でも、「やりましょう」ってパッとやって、お互いできたっていうのは、池永さんもずっと自分の世界を追いかけてこられて、その部分が通じ合ったんじゃないかなって。
―たしかに、池永さんもずっと自分の世界を追い続けてきましたよね。大阪であら恋を1人で始めて、オリジナルなインストのダブをやり続けて、東京に出てきてバンドになって、今は大好きな映画の仕事も手がけられてる。
池永:自分から動くようになったのは大きいかもしれないです。僕はちょっと閉じてるところがあって、どこかで「どうせわかってくれねえし、閉じてる方がかっこええ」みたいに思ってた。でも、ホントはわかってほしくて、ちゃんと聴かせたくなって、そうしたらいろんな人に出会えるようになったんです。それからは、昔は二の足を踏んでたことも、「面白いやん!」ってやっちゃうようになっていきましたね。人に興味を持ち出したのかも……いくつのおっさんやって話なんですけど(笑)。
和合:お子さんが生まれたからじゃないですか?
池永:それは大きいかもしれないです。子供が生まれたら、空虚なこと言ってられないですからね。「死にたい」とか、腐っても言えない。
和合:そうですよね。自分もそうなんですよ。
池永:あとは時代もありますよね。さっきおっしゃった震災で僕も変わったとこがあって、「伝えたい」っていう思いが出てきたのは、震災が大きいかもしれないです。無理やり変わったわけじゃないけど、東京に来たのもそうだし、いろんな状況の変化によって、自分も変わらせてもらえたんかなって気がしますね。
土の中にある種に水をかけて、何かを芽生えさせる力っていうのを、芸術は持ってると思うんです。(和合)
―「時代によって変化してきた」というお話でしたが、今回のあら恋のアルバム『After dance / Before sunrise』には、「現代の閉塞感を打破するためのダンスミュージック」というテーマが掲げられています。お二人それぞれ今の時代をどのように見ていて、それに対して芸術には何ができるとお考えでしょうか?
和合:天才の「才」じゃなくて、それぞれの人が持ってる力、気のようなものを「才気」と言わせていただくと、そういう人の力に触れたいっていうのが今すごくありますね。今回池永さんの才気に触れて、力をもらって、「生きる」って何だろうって考えることができた。別に明日になったらきれいさっぱり忘れて、また違うことをしてもいいし、池永さんの音楽が耳に残って、ふとしたときにまたその世界が広がるのを感じてもいい。何にしろ、土の中にある種に水をかけて、何かを芽生えさせる力っていうのを、芸術は持ってると思うんです。
―なるほど。
和合:そこに他に必要なものがあるとしたら、例えばそれは狂気なのかもしれないし、「この作品を絶対完成させるんだ」っていう殺気なのかもしれない。僕が一番最初に読んだ詩人は萩原朔太郎で、彼の詩集『月に吠える』とか『青猫』って、ホントに狂気に満ちた世界なんですよ。だけど、ああいう詩を読んで、その狂気に満ちた世界をきちんとかたちにしようとした力に惹かれて、僕はそれで生きていこうと思ったし、そういう目に見えない力を芸術は持ってると思うんです。今は予算を削ったり、収縮していく方向が世の風潮にありますけど、アートこそがすべてを集約していって、さらに広がりを持たせる唯一の力だと、僕は思ってるんです。
―池永さんはどうお考えですか?
池永:「閉塞感を打破するためのダンスミュージック」っていうことで言うと、普段生活して、いろんなものを見聞きする中で、自然と暗い曲って作らなくなったし、聴きたくなくなっちゃったんですよね。世の中が暗いので。逆に昔は暗い暗い言ってても、そこまで暗くなかったんですよ。暗くなかったから、反動で暗いものも聴いたし、暗いものを作ってたんだと思います。
―世の中のムードと逆のものを提示したい?
池永:提示したいというより、やりたいことよりも、やりたくないことが先にあるのかもしれない。大多数が明るかったら暗いのしたくなるけど、今はなんか暗いなって思うから、「もっと明るくしようぜ」と思うし、そのときにダンスミュージックって強いなって思ったんですよ。
―まさに、アルバムからはそういう強さが感じられました。
池永:自分で自分の踊りを踊り続ければ、何とかなっていくんじゃないかなって。「お前はお前の踊りを踊れ」っていう、途中の和合さんのお話もそうだったじゃないですか? 自分の踊りをちゃんと踊っていく。しかも、自分が踊るだけじゃなくて、「踊っていこうよ」って、今は外に向けた表現をしたいなって思ってますね。
和合:昔で言うと、詩人って近寄りがたい印象だったと思うんですけど、今だとTwitterとかで「自分も詩を書いてみたい」って言う若い人が多かったりして、そうやって広がったときに、新しいジャンルみたいなものが生まれるんじゃないかと思うんです。僕は音楽と詩はもともと結びつくものだと思っていて、それが歌になったのかもしれないけど、でももっと他の結びつき方があるんじゃないかとも思って、いろんな可能性を探っていきたいんです。今回のコラボレーションっていうのは、池永さんがその可能性の一つを私に示してくれたように思うんですよね。
- リリース情報
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- あらかじめ決められた恋人たちへ
『After dance / Before sunrise』(CD) -
2016年3月9日(水)発売
価格:2,600円(税込)
KI-NO-003 / DDCZ-20751. after dance
2. blast
3. rise
4. 焦点 feat.和合亮一
5. gone feat.曽我部恵一
6. 風花
7. before sunrise
8. view
9. high
10. void
11. 波 feat.ハチスノイト
12. 月下
- あらかじめ決められた恋人たちへ
- 書籍情報
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- 和合亮一
『昨日ヨリモ優シクナリタイ』 -
2016年3月9日(水)発売
著者:和合亮一
価格:1,944円(税込)
発行:徳間書店
- 和合亮一
- イベント情報
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- 『「After dance / Before sunrise」Release TOUR 2016 Dubbing 09』
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2016年3月18日(金)OPEN 19:00 / START 19:30
会場:愛知県 名古屋 APOLLO BASE
料金:前売3,000円2016年4月8日(金)OPEN 18:30 / START 19:00
会場:大阪府 鰻谷 CONPASS
料金:前売3,000円2016年4月9日(土)OPEN 18:15 / START 19:00
会場:東京都 渋谷 WWW
ゲスト:
曽我部恵一
和合亮一
映像:rokapenisとmitchel
料金:前売3,500円
- プロフィール
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- あらかじめ決められた恋人たちへ (あらかじめきめられたこいびとたちへ)
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1997年、池永正二によるソロ・ユニットとしてスタート。2003年には『釘』(OZディスク)、2005年には『ブレ』(キャラウェイレコード)をリリース。2008年、拠点を東京に移すと、バンド編成でのライブ活動を強化。そのライブパフォーマンスと、同年11月の3rdアルバム『カラ』(mao)がインディー・シーンに衝撃を与える。2011年、満を持してバンド・レコーディング作『CALLING』をPOP GROUPからリリース。叙情派轟音ダブバンドとしてその名を一気に知らしめ、FUJI ROCK FESTIVAL、RISING SUN ROCKFESTIVAL、朝霧JAM等、大型フェスの常連となっている。2014年9月10日、以前から評価の高いライブ・パフォーマンスを余すところなく収録した約120分のDVDと新曲「Going」をはじめ、吉野寿(from eastern youth)、クガツハズカム(fromきのこ帝国)参加曲を収録した4曲入りEPによる二枚組作品「キオク」をリリース。2015年4月、新たなメンバーの参加により新体制としてリスタート。2016年3月、6thアルバム『After dance / Before sunrise』をリリース。
- 和合亮一 (わごう りょういち)
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1968年福島市生まれ。国語教師。第1詩集「AFTER」(1998)で第4回中原中也賞受賞。2011年の東日本大震災で被災し、地震・津波・原子力発電所事故の三重苦に見舞われた福島から、Twitterにて「詩の礫」と題した連作を発表し続ける。2011年5月には、ギタリストで世界的に活動する音楽プロデューサーの大友良英氏、元スターリンの遠藤ミチロウ氏とともにPROJECT FUKUSHIMA!を立ち上げ、終戦記念日でもある8月15日、福島の今を見つめ、世界に発信する世界同時多発イベントを開催。坂本龍一氏のピアノ、大友良英氏のギターと共演・「詩の礫」を朗読。イベントは1万3千人の来場者をあつめ、インターネットでは世界25万人の視聴を記録した。
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