今年還暦を迎えた桑田佳祐だが、その勢いはむしろますますスピードを上げているかのようだ。新曲“ヨシ子さん”では、いち早く音源に触れたメディア関係者のド肝を抜き、WOWOWで放送予定のライブ番組では「東京の歌謡曲」をテーマに、昭和の名曲を朗々と歌い上げている。
そのエネルギーとアグレッシブさはどこからわき上がってくるのだろうか? 今回、桑田佳祐やサザンオールスターズのPVを多く担当している映像ディレクターの川村ケンスケをお招きし、桑田を突き動かす音楽的衝動について訊ねた。稀代のPV作家は、桑田佳祐を、音楽を、どのように見つめているのか?
桑田さんの音楽って、誰もが知っているようだけど、じつは知らない、でもみんなやっぱり知っている、っていう特殊な出会い方をする音楽だと思うんですね。
―川村さんが、桑田佳祐さんとはじめて仕事でご一緒されたのは、1999年の“イエローマン ~星の王子様~”のPVですね。そのときの印象から伺ってもいいでしょうか?
川村:本当に最初に関わったのは、1998年に静岡県浜名湖で開催された『スーパーライブ in 渚園』(正式名称は『1998夏 サザンオールスターズ スーパーライブ in 渚園「モロ出し祭り~過剰サービスに鰻はネットリ父ウットリ~」』)の撮影なんですよ。それはレコード会社の映像担当者から依頼をもらった仕事だったんですけど、当時、僕はそれまであまりサザンを聴いた感覚がなくて、「俺で大丈夫なのかな?」と心配になりながらリハーサル現場に出向いたんですね。それで驚いたんですけど、じつは曲を全部知っていたんですよ。
―知らないはずなのに、ですか?
川村:そうなんです。というのは、歌番組やCMや有線とか、生活の至るところでサザンの曲が流れていたから。あと僕が新人の頃にお世話になった先輩ディレクターが、とにかく『稲村ジェーン』(1990年公開、桑田佳祐が監督を務めた映画)が好きで、その人の車に乗っていると、必ず“真夏の果実”がかかってたんですよ。
―そういった経験からサザンの音楽が染み込んでいったと。
川村:つまり桑田さんの音楽って、誰もが知っているようだけど、じつは知らない、でもみんなやっぱり知っている、っていう特殊な出会い方をする音楽だと思うんですね。たとえば若い人に「バート・バカラックがどんな曲を作っていたか、知ってる?」なんて質問をしても、多分ほとんどの子は解答できない。でもCarpentersの“Close to you”のメロディーは絶対に一度は耳にしたことがあるはずでしょう。
―同じことが、サザンにも言える。
川村:そう。実際、中学1年生だった僕も、1978年の“勝手にシンドバッド”を『ザ・ベストテン』(1978年から約10年続いた人気歌番組)で見て、「なんじゃこりゃ!」って衝撃を受けているわけです。そういう不意の出会い方をしている日本人は全国に大勢いるはずですよね。自分はレコードやCDを持っていなくても、昔付き合った彼女が持っていたとか、両親がファンだとか、そういう風に触れていることもある。そういう存在のアーティストってほとんどいないと思うんです。
―まさに「国民的スター」ですよね。存在や音楽自体が環境の一部になっている。そんな桑田さんと現場で実際にお会いして、どのような印象を持ちましたか?
川村:スターっていう感じは全然なくて、最初から本当に普通な感じで僕たちに接してくるんですよ。でも話を重ねていくうちにだんだんと「あ、これがモノを作る人ってことなんだ」と気づかされました。はじめてじっくり話したのは、“イエローマン”のPVのときだったんですけど、桑田さんがA3用紙5~6ページにびっしり絵コンテを描いてきて、「ここがこうなって、ああなってさ」っていう説明を猛烈にしてくれるんです。僕はもう圧倒されながら聞いてるんですけど、説明し終わった桑田さんが「これでイントロだから!」と、おっしゃって。「え、この濃密な内容でイントロ!?」とさらにビックリしました(笑)。
―アートディレクターの信藤三雄さんにもお話を伺ったのですが(なぜサザンは「時代を代表する天才」と呼べるか?信藤三雄に訊く)、信藤さんが手がけた“東京”のPVでも、かなり明快に桑田さんのイメージがあって、それを膨らませながら作ったとおっしゃってました。
川村:そうですね。そのスタイルは僕にも一貫していました。
アーティストの頭の中には、イメージが圧縮された状態で格納されていると思っているんです。それを解凍するのが僕の最初の仕事。
―桑田さんから提示されたその濃密な世界観を、川村さんはどう解釈し、拡張させていくのでしょうか?
川村:これは僕がPVを作る際の基本姿勢でもあるのですが、桑田さんやアーティストの頭の中には、イメージが圧縮された状態で格納されていると思っているんです。zipファイルのままでは誰にも見えないから、それを解凍するのが僕の最初の仕事。さらにそこに自分のアイデアを補いながら、フォルダ分けをしたりする。選択に迷うこともありますから、そのときは僕だけがアクセスできる元のzipファイルの世界の中でまた考えてみる。
―想像の中で、アーティストの持っているイメージを圧縮・解凍するんですね。
川村:不思議な表現でしょう(笑)。でもこのたとえが自分にはしっくり来るんですよ。音楽って、時系列に沿って直線的に並んでいるものではなくて、もやもやっとした雲のような塊として存在しているイメージがあります。たとえば「“いとしのエリー”ってどんな曲?」と言われたとして、その曲を思い出そうとするときに、曲尺どおりに頭の中で歌ったりはしないじゃないですか。
―たしかに、サビの頭あたりでもなく、サビの終わりや、冒頭の「泣かしたこともある~」の音色を瞬間的に思い出したりもしますね。
川村:漫画『東京大学物語』を描いた江川達也さんは、「超濃密で長大な思考が、わずか0.01秒に脳内で繰り広げられている」という表現をしましたが、それと似たことが音楽でも起きるんですよね。それが音楽の特殊性であり、同時にPVの特殊性でもあると思います。普通、映画やドラマってシーケンシャル(連続的)にイメージを積み重ねて物語を伝えようとするけれど、PVは常に音楽の特殊性と一体化して、話が前後したり、逆流したりする。
―お話を聞いていると、音楽やPVって、支離滅裂に展開する夢のようなものに思えてきます。夢の中で見るものは、かつてどこかで接したことがあるものだそうですが、最初に川村さんがおっしゃっていた、知らないはずなのに知っている桑田さんの音楽の在り方にもちょっと似ていますね。
川村:既視感を感じさせるけれど、同時にずれてたりするのが面白さになるときもありますよね。僕はサザンのアルバムだと、『さくら』(1998年発売、13枚目のアルバム)が好きなんですけど、その理由は、僕たちがサザンや桑田さんに期待することを心地よく裏切ってくれるから。
―「さくら」という言葉は、日本人からすると「これぞ日本!」という象徴的なものですけど、アルバムの収録曲は本当に多種多彩で、日本の国花的なイメージはほとんどないですよね。定番の言葉をタイトルに持ってきて、中身はあえて外すという、粋な感じがいかにも桑田さんらしい。
川村:そうかもしれないですね。桑田さんはそれを理屈や論理じゃなくて、かなり直感で選んでいるのかな、って僕は感じたりします。
本当に粘り強く自分のイメージを具現化しようとする桑田さんの姿勢には、いつも驚かされます。
―桑田さんは近作の“ピースとハイライト”に顕著なように、たびたび「日本」について歌っていて、6月25日にWOWOWでオンエアされる『桑田佳祐「偉大なる歌謡曲に感謝~東京の唄~」』では、日本の首都「東京」をテーマにした有名歌謡曲を歌っています。川村さんは同番組のディレクターを務めていますね。
川村:これも桑田さんの「歌謡曲を歌いたい」というイメージからはじまったもので、僕の関わり方はPVを作るときとほぼ一緒です。この曲に対しては、こういう光を当てたい、こういう小物を使いたい、という風に僕のアイデアを付け加えて、何度もやり取りをして詰めていく。
―撮影に3日間かけたそうですが、現場の桑田さんはどんな様子でしたか?
川村:普段どおりでしたよ。演奏メンバーにちょっかいを出したり、バカ話をしたりして。PVの打ち合わせをするときも半分はバカ話なんですよね(笑)。僕は桑田さんの約10歳年下ですけど、若い頃に触れたものがかなり共通しているので、プロレスとか映画とか歌番組の話題で大いに盛り上がれる。でも、そのどうということのない話の中に、アイデアの種が隠れていて、桑田さんはそれを拾っている気がしますね。
―フランク永井の“有楽町で逢いましょう”や、渡辺マリの“東京ドドンパ娘”のような、東京そのものを歌った曲も登場する中、個人的にグッと来たのは千昌夫の“北国の春”でした。東京に住む地方出身者の歌で、東京と故郷の距離を感じます。
川村:東京で生まれ育った人だけではない、外から東京にやって来た人のちょっとずらした視点の曲も入れたいんだと、桑田さんもおっしゃってました。番組の編集作業はまだ8割くらいの完成度なんですけど、桑田さんの気合いが伝わってきますよ。本当に粘り強く自分のイメージを具現化しようとする桑田さんの姿勢には、いつも驚かされます。
―これまでで、特に印象に残っていることはありますか?
川村:“素敵な未来を見て欲しい”(2002年)でご一緒したときは、曲作りの一部終始を映像に収めるために、ビクターのレコーディングスタジオに10日間通い詰めさせてもらったんですよ。そのときに感じたのは「しつこさ」でした。もちろんいい意味でね(笑)。このドキュメンタリー映像は、桑田さんを操作卓の横から撮っている画で終わるんですけど、そこで「いいよね、いいよね! どうみんな? いいよね!」って言って、少し間があったあとに、「……でさあ、このハイハットの音なんだけどね」って言って、まだ続くんですよ。「よくないんじゃん!」ってみんな心の中で桑田さんにツッコミを入れたと思うんだけど、僕は猛烈に感動したんです。当時の僕は、PVのディレクターをはじめてちょうど10年目でしたけど、そこで開眼しました。つまり「いつまでもやっていいんだ!」と(笑)。もちろん納期や予算の制約は常にあるけれど、いつまでも制作を続けたくなるような気分になるのはいいことなんです。
―なるほど。
川村:仕事で行き詰まったり、挫けそうになると、「まあ、このくらいでもいいかな……」って妥協したくなるんですよ。でも、そのたびにあのときの桑田さんの粘り強さを思い出す。あるいは、逆に自分があまりにも偏執狂的に細部にこだわりすぎているんじゃないかと自問自答することもあるけれど、そんなときも「桑田さんがいつもやっていることだから大丈夫だ!」って勇気を持てる。僕にとって桑田佳祐という人は、大きな指針になっています。それに桑田さんとの仕事では、多くの場合「腑に落ちた」瞬間が訪れるんです。
―腑に落ちた?
川村:「腑に落ちた」感じを覚える瞬間こそ、優れたPVができた証明なんです。“アロエ“(2015年)だって、「何がアロエなんだろ?」って感じでしょう? 桑田さんに質問しても「いや~~」なんて言って話を逸らされちゃうし。でも実際にPVを制作していると、「これだ!」って感じる瞬間は必ずやってくる。それはどんなアーティストでも訪れるものではなくて、桑田さんのように、ごく限られた人との場合に出会うことができる感覚です。
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川村ケンスケが感じる、桑田佳祐が背負うものとは?
自分の才能を隠す姿勢も見せつつも、“ピースとハイライト”のようなメッセージのある作品を発表する。そういう姿勢にも僕は感動するんです。
―川村さんは2002年の“素敵な未来を見て欲しい”からしばらく時期を置いて、2010年の“本当は怖い愛とロマンス”から再び多くの仕事をされています。そのあと、ほとんどのPVを担当されるようになりますが、これは大雑把にいうと、桑田さんが食道ガンを患い、そして復活して以降もっとも密に仕事をされている映像ディレクターである、ということでもありますね。
川村:そうなんですよね。光栄です。でも、ご病気をされて「丸くなった」と感じることは全然なくて、最初にご一緒した“イエローマン”から近作の“アロエ”まで、桑田さんの姿勢はずっと一貫していると思っています。
―それは再三話題にのぼっている「粘り強さ」とか……?
川村:あとは、日本人の集団意識を無意識に引き受ける「シャーマン」的なスタンスですね。最初に言ったように、知らず知らずのうちに誰もが知っている音楽を作り続けている。美空ひばりさんのような国民的スターが健在だった頃の温度感を、今に伝える人でもありますよね。
―今年は海外でデヴィッド・ボウイやプリンスが急逝しましたから、その印象はなおさら強くなりますね。
川村:エンタメ界全体が前人未到の時代になった、と僕は思っているんです。だって、THE ROLLING STONESが70歳を超えても世界ツアーをやるだなんて、とても考えられなかったでしょう。それを受け入れるユーザーがいるということも昔は考えられなかったし。「老人力」なんて、今更言わなくても、基本的にもう年寄りの世界になっているんですよ。ムーンライダースは自分たちのアルバムを『DON'T TRUST OVER THIRTY』(1986年)と名付けたけれど、今や超高齢化社会だから、30歳なんて逆に若すぎて信頼できないじゃない?(笑) むしろ45歳くらいから上の人が頑張っているし、僕も頑張りたいと思いますね。桑田さんを指針にして……って言うと、なんだかすごく普通なまとめ方になりますけど……。いや、でも桑田さんだって悩んでいるかもしれないですよ。家に帰ったら悶々としたり。
―一人の人間として。
川村:そう。これは私見ですけど、桑田さんが先ほど言った集団意識みたいなものを「やばい、引き受けきれない」と思ったのが、2008年の“I AM YOUR SINGER”なのかもしれない。その年にサザンが無期限活動休止を発表(2013年に活動再開)してるというのは、すごくシニカルですよね。休むのに「私はあなたの歌い手」って言っているわけですから。でも、そういう姿勢にも僕は感動するんです。いかにも桑田さんらしく、自分の才能を隠す姿勢も見せつつも、ちゃんと戻ってきて“ピースとハイライト”のようなメッセージのある作品を発表する。この一貫したスタンスを思い返すたびに「ああ、やっぱりすごい人だ……!」って思うんです。
- プロフィール
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- 川村ケンスケ (かわむら けんすけ)
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1965年生。CM、PV、ライブ映像など数多くの映像作品を手掛ける。初演出のCMは、サントリーリザーブ・シェリー樽仕上げ(出演:木村拓哉)のCM。以降、約100本のCMを演出。PVの主な作品には、サザンオールスターズ、フィッシュマンズ、嵐、倖田來未、安室奈美恵など多数。インディーズ音楽支援サイト『kampsite』のディレクションも手掛ける。
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