流行と同時代性は違う。「王道」を掲げるTWEEDEESのポップス論

元Cymbalsの沖井礼二とシンガーの清浦夏実が2015年に結成したポップグループ、TWEEDEESが2ndアルバム『The Second Time Around』を完成させた。沖井が自らの豊富な音楽的アーカイブとメソッドを解放しながら、細分化が進むポップスの様態を包括するとともに同時代かつ普遍的な楽曲をクリエイトしようとする意志が、1曲1曲のサウンドに通底している。その中心に位置する清浦の瑞々しく豊潤なボーカルは、多様な音楽性と物語が展開していく楽曲の連なりの中で、揺るぎない存在感を発揮している。

このインタビューはTWEEDEESのポップス論を紐解きつつ、話題は1990年代と現代におけるポップスの相違点などにも及んだ。かつて「ポスト渋谷系」と呼ばれたCymbalsの解散から12年。沖井が90年生まれである清浦とTWEEDEESを結成し、10年代に提示するべき「刹那的ではない、色あせない輝きを放つポップス」を追求する意義も浮かび上がる内容になっていると思う。

あくまで軸になっているのは彼女のボーカルだし、楽曲のプランを立てる段階では対等なんです。(沖井)

―TWEEDEESの楽曲には、細分化が進むポップスを批評的に包括したうえで、同時代的かつ普遍的なポップスをクリエイトするという矜持を感じるんですね。

沖井(Ba):ありがとうございます。僕たちは資料などにも「王道」という言葉を使っているんですけど、ポップスが細分化されているというのもいろんなリスナーのニーズがあるからこそだと思うんですね。僕は一つひとつを否定するつもりはまったくなくて。ただ、僕たちは欲張りなんです。さまざまなカタチのポップスに惹かれるところがあるから、全部やりたくなる。だから、まず僕たちが聴きたい曲を作るというのが大きいですね。

―その点において清浦さんも欲張りですか?

清浦(Vo):欲張りですよね?(笑)

沖井:おそらく欲張りだよ(笑)。

清浦:常々、沖井さんに「こういう曲を作りたい」という話をしますし、好きなポップスの要素はサウンドでも歌詞のワードでも積極的に取り込んでいくのがTWEEDEESだと思ってます。

沖井:排除型のポップグループではないんですよね。

左から:沖井礼二、清浦夏実
左から:沖井礼二、清浦夏実

―そう思います。全方位に開かれているポップグループであると。

沖井:もしリスナーのみなさんがTWEEDEESに固定したイメージを持ったとしたら、これから活動していく中で「え、そんなこともやっちゃうの?」と思う可能性もあると思います。それは今作においても言えることだと思う。

―今作も1曲ごとにポップス像を塗り替えていくような趣があります。そのうえで、さまざまなポップサウンドをフラットに歌えるのが清浦さんというボーカリストなのかなと。

沖井:そのニュアンスは若干違って。あくまで軸になっているのは彼女のボーカルだし、楽曲のプランを立てる段階では対等なんですよ。僕がアイデアを出しても彼女がNGを出すこともある。「この曲は今のTWEEDEESじゃなくない?」って。

沖井礼二

清浦:「この曲にはオルガンはいらない」「この曲のコードは違う感じがいい」とか、大きいところから小さなところまでいろいろ言います。

沖井:彼女のボーカルという軸があるから、いろんなアプローチができるんです。サウンドに合わせて彼女が歌い分けるのではなくて、あくまで清浦夏実というボーカリストが軸にある。TWEEDEESを結成した当初は僕が曲を書いて、彼女がその曲に対してどのようにアプローチして、演技をしていくか迷っていたところもあったと思うんですけど、今は清浦夏実という軸がブレないからディレクションがすごくラクなんです。

清浦:最初はけっこう悩んでましたけどね。

沖井:スタジオで大喧嘩したこともあったしね。怒号と涙みたいな(笑)。

2016年に18歳の自分がいたらどういうポップスを聴きたいと思うだろうか? と考えながら曲を作っている感覚がある。(沖井)

―どういうことで大喧嘩したんですか?

沖井:やっぱり曲の解釈においてですね。「こういうふうに歌いたい」とか「そんなアプローチではできない」とか。あと、僕はよく多重コーラスを入れるんですけど、彼女は「私が歌ったあとになんでそんなに声を重ねるのか」と言うわけです。彼女はソロシンガーだったので、自分以外の声が曲に入ることに抵抗があるんですよ。一方で、僕は多重コーラスもアレンジの一部と捉えているので、ストリングスやリードギターが入るのと同じ感覚で声を重ねている。それが彼女にとって最初は驚きだったみたいで。

―シンガーとしての自負が許さない部分もあったと。

清浦:もちろん違和感を覚えたのは多重コーラスだけじゃないですよ? 制作に関して沖井さんが一人で判断することにも腹が立って(笑)。「沖井さんのバンドに客演してるんじゃない」ということを主張したかったんですよね。それで朝の8時くらいにスタジオで私が大泣きするという(笑)。そういうことが最初のレコーディングであったんです。

清浦夏実

―修羅場から始まったみたいな。

清浦:ヤバかったですね。結成発表もしてないのに。

沖井:エンジニアさんが凍りついてましたからね(笑)。

左から:沖井礼二、清浦夏実

―それからレコーディングを重ねていくうちに対等な関係性を築いていったと。

沖井:そうですね。今作は僕のコーラスはあんまり入ってないけど、それは気を遣って入れなかったのではなくて、彼女の声が独り立ちしているからこそ入れなかったんです。これまでの僕だったらそういう発想にならなかった。アレンジの密度を高くしていくことで曲のクオリティーも高くなると思っていたんだけど、決してそれだけではないということは今作の制作で学んだことでもあります。

―先ほども言いましたが、同時代的な多様性と普遍性を兼ね備えたポップスをクリエイトすることがTWEEDEESの核心だと思います。そのあたりの話をもう少し突っ込んだカタチでお訊きできればなと思うんですけど。

沖井:同時代性には2つの意味があると思います。1つは「自分が2016年に聴きたいポップスを作る」というシンプルな思い。自分が作りたいと思うものではなく、聴きたい曲を作ると。もう1つは「ポップスというのは、やはり若者のものだ」ということです。たとえば18歳の少年少女がいて、その人がたまたまTWEEDEESの曲を聴いたときに「これはなんだろう?」と気になって、聴きたいと思うポップスを作りたい。だから、現在の僕ではなく、「18歳の僕」に向けて曲を作っているつもりなんです。

2014年リリースの『The Sound Sounds.』より

―18歳の沖井さんに向けて曲を作るにあたって、ノスタルジックな感覚に寄ってしまうことはないんですか?

沖井:いや、「2016年に18歳の僕がいるとしたら」という話なので、ノスタルジックな感覚にはならないんですよ。確かに1987年に18歳だった僕は解散寸前のThe Style Council(ポール・ウェラーがThe Jam解散後に結成したイギリスのポップバンド)を聴いていたり、当時の東京で流行り始めていたネオGSなどのムーブメントを意識していました。地元の広島で東京は羨ましいと思いながら、パンクロックなども聴きつつそういう音楽を掘っていたんですね。でも、2016年に18歳の自分が生きていたとしたら、そういう音楽は求めないと思うんです。2016年に18歳の自分がいたらどういうポップスを聴きたいと思うだろうか? と考えながら曲を作っている感覚があるんですよね。

流行が云々という時代でもないから、音楽にしても洋服にしてもみんなが好きなものを好きなように選べばいい。そういう意味ではフラットないい時代だと思います。(沖井)

―なるほど。今、シティポップという言葉が一人歩きしている現状がありますよね。

沖井:ありますね。

―でも、その枠組みに入れられているアーティストの音楽的なメソッドやアプローチはじつに多様で。現行のクラブミュージックと共振しているポップスもあれば、かつてシティポップと呼ばれた先達が築いた音楽性や文化に意識的なポップスや無意識にリンクしているポップスもあるし、ネオソウルや現代ジャズのフィーリングを昇華したポップスもある。沖井さんは今のそういう状況をどう見ていますか?

沖井:もちろん、そこには否定も肯定もなくて。ただ、昔と異なるのは、今はネットを通じていろんなポップスが接点を持てる時代ということだと思うんです。それはリスナーにおいても言えることで。「シティポップ」と定義されていなくても、AORやブラックミュージックを昇華したポップスを好むアーティストやリスナーがネットを通じて接点を持てる。そうやってネットが発達する以前はつながれなかった人たちが集まってホットな島が生まれていると思っていて。その現象はすごく健全だと思います。でも、それが流行語になるのは危険だと思うんですよ。流行って廃れるものだから、健全さも一緒に廃れてしまう。ただ、一つの新しい島ができたということでいいと思う。もしかしたら、これからたとえばブリティッシュサイケの島がどこかにできるかもしれないし。

沖井礼二

―それは、かつて「ポスト渋谷系」と呼ばれたCymbalsの経験を踏まえて思うことでもありますか?

沖井:どうなんですかね? 90年代のムードと今は別物だと思っていますけど。Cymbalsは流行の中にいたわけではないし、ただシンプルに自分たちがカッコいいと思う音楽だけを作って活動していただけなんですよね。渋谷系という「音楽ジャンル」ではなく「ムーブメント」が起こったあとにCymbalsが出てきて、そこに「ポスト」と付ければセグメントしやすいだろうという意図がどこかにあったと思うんです。僕たちが窺い知れない場所で。 それに対して文句があるわけではないですが、セグメントされることで誤解が広がることは多いと思う。90年代にその誤解を与えた人は、誰もキチンと釈明はしてないと僕は思っていて。ただ、繰り返しになりますが、Cymbalsは「流行」になったわけではないので、今のシティポップと呼ばれる音楽が流行になってほしくないという思いとは別の話なんですけど。あとは、もはや流行が云々という時代でもないじゃないですか?

―メインストリームが瓦解している時代とも言えますよね。

沖井:だからこそ、音楽にしても洋服にしてもみんなが好きなものを好きなように選べばいい。そういう意味ではフラットないい時代だと思いますね。それを流通したり宣伝する人には大変な時代でもあると思いますけど、ユーザーにとっては楽しい時代なんだと思います。

―だからこそ、伝える側はアーティスト1組1組、音楽の1曲1曲といかに真摯に向き合うかが問われている時代でもあると思います。

沖井:そうですね。

清浦:安易なのが一番怖いと私も思います。

私は音楽で夢を見たいんですよ。音楽でファンタジーや非現実的な夢を見たいんです。(清浦)

―今作を聴いてまず感じたのは、TWEEDEESのポップスを更新するクリエイティビティーがとめどなく高まっているということです。

沖井(Ba):毎回そうなんですけど、アルバムを1枚作り終えるころには次の作品の構想が頭に浮かんでるんですよ。頭が創作脳になっているから、それが弾みになって止まらないんだと思います。たとえば前作では、完パケする直前に“Boop Boop bee Doop!”という曲ができたんですけど、今聴くとあの曲は今作へのヒントがあったと思うんです。そして、今作で言うと最後の曲“ムーンライト・フラッパー”には、なんとなく次作の匂いがするなと感じていますね。

―“ムーンライト・フラッパー”はジャジーかつシアトリカルなポップスですね。

沖井:今、「シアトリカル」とおっしゃいましたけど、このバンドを結成して彼女(清浦)とお互いどういう音楽をやっていきたいか話す中で、この曲のようなサウンドのイメージは最初からあったんですよ。今回それを具現化できたなと。前作から今作で成熟した証かもしれない。

沖井礼二

―なるほど。最初に沖井さんに「王道」という言葉で TWEEDEESの音楽を表現していただきましたが、清浦さんは、こういう時代にあってTWEEDEESが「王道のポップス」を標榜する意味をどのように感じてますか?

清浦:TWEEDEESはスケールの大きいバンドでありたいと思っています。そのスケールはこれからどんどん増していくものだと思うんですけど。

沖井:そのスケールの大きさがどういうものなのか説明してよ。

清浦:私は音楽で夢を見たいんですよ。音楽でファンタジーや非現実的な夢を見たいんです。

沖井:半径5メートルの出来事じゃなくてね。

清浦:そう。そういう世界を欲張って描いていきたいと思ってるんです。

―ファンタジーを描くということは歌詞の筆致にも表れていますよね。

清浦:そうですね。たとえば1920年代のアメリカを描いたポップスを作りたいと思ったら“ムーンライト・フラッパー”のような曲ができますし。TWEEDEESはどんな場所も描けるし、行けるバンドでありたいんです。

沖井:それって要は一番正しいポップスってことだよね。“ムーンライト・フラッパー”は女の子が描いた、とても美しい夢の世界で。僕は彼女が書いたあの歌詞を読んで「これこそがポップスの歌詞だな」と思ったんです。全身からウロコが落ちるような感覚を覚えた。これは女の子である清浦さんだからこそ描ける夢の世界なんですよね。その対照的な男の子のポップスとして1曲目の“速度と力”があって。

―“速度と力”はプログレやフュージョンを通過した沖井さんらしいポップサウンドですよね。

沖井:ダイナミズムへの憧れが男の子っぽく表れているのが“速度と力”だと思います。クルマや蒸気機関車への憧れがないと書けない、まさに「速度と力」というもののダイナミズムについて妄想の世界で描いているだけの曲で(笑)。それをてらいなく表現できるのもTWEEDEESだと思う。ポップスだからといって、好きだの嫌いだの会いたいみたいなことだけを描く必要はないわけで。夢のような景色が好きな人はたくさんいると思うから。

音楽は自分で脚本も書けるし、監督もできるし、舞台装置も作れる。それがすごく楽しい。(清浦)

―男の子の妄想も清浦さんが歌うからこそ、それこそスケールが増すところもあるでしょうし。

沖井:女性ボーカルと男性ボーカルの機能の違いの話になると思うんですけど、男が歌うとだいたいその歌は「その人のもの」になると思うんです。女性が歌うほうが架空の物語として成立することが多いと思います。だから、僕は女性に歌ってもらうほうが大胆に曲を作れる。僕は男ボーカルでやりたいことは別にあるし、そこではホントは自分で歌わなきゃいけないと思うんですけど、残念ながら僕には歌える喉がないので。だから、TWEEDEESで彼女とスケールの大きなポップスを描けるのはすごくありがたいと思うんです。

清浦:最初から沖井さんに言われていたんです。「曲の登場人物になりきるな」と。

沖井:「主人公に感情移入しすぎるな」と言いましたね。

清浦:その言葉に気づかされたことが多くて、曲の中で主観と俯瞰を両立させながら男の子としても女の子としても歌えるようになっていったんです。私はTWEEDEESで初めて自分で音楽をやりたいと思ったんですね。ソロ時代は自主性がそこまでなかったので。

でも、自主的に音楽と向き合うとやりたいことがどんどん出てくるんですよね。私はもともと子役からキャリアが始まったんですけど、役者はやっぱり受け身なので。それに対して音楽は自分で脚本も書けるし、監督もできるし、舞台装置も作れる。それがすごく楽しい。

私は全然ポップスを聴かずに育ったんですよ。学生時代は合唱部で歌ったり、管弦楽部でフルートを吹いていて。映画音楽を聴いたりはしてましたけど、The Beatlesでさえ沖井さんと出会ってから聴き始めたので。でも、私が知っている数少ないポップスの中にCymbalsがあったんです。それも不思議な縁なんですよね。

清浦夏実

沖井:でも、平成生まれや今の20代の若者でThe Beatlesを通ってない人はたくさんいるからね。5年くらい前ですけど、知り合いで今は売れ売れの若手の子が「この前、レンタルCD屋でThe Beatlesとオザケン(小沢健二)を借りてきたんですけど、いいっすね。でも、オザケンのほうが好きです」って言っていて。その感覚が面白いなと思った。

僕らの世代はThe Beatlesが頂点だと思ってきたし、それは間違ってないと思うんだけど、若い世代にはThe Beatlesが頂点でもなんでもないと思っている人もいて。だったら、僕もThe Beatlesはひとつのポップスでしかないという考え方も理解するべきだなと。

清浦:いろんな音楽を聴いたほうがいいとは思いますけどね。私ももっと詳しくなりたいと思うし。

沖井:ただ、すべての音楽に対してフラットに接することができたほうがいいと思うし、そのためにはときに知識が邪魔になるかもしれない。

(90年代と違って)今の若い人たちはシンプルに自分が作りたい音楽を作っている印象のほうが強い。排他的な村感はないのがいい。(沖井)

―でも、さまざまな時代のさまざまなジャンルの音楽に精通していて、それを自分なりに同時代的に昇華しようとしている若い世代のアーティストもたくさんいるのも事実で。

沖井:そうですよね。でも、たとえばThe Beatlesを通ってない人でも、The Beatlesから抽出された何かは絶対にどこかに入っているはずだから。

―確かにそうですね

沖井:歴史に残る音楽は何かしらそういうふうに抽出され、汁となって、その音楽自体を知らない人の耳にも混入していくと僕は思っているので。

―それは日本の1990年代の音楽文化にも言えることだと思いますか?

沖井:日本の90年代の音楽文化に関しては、誰もきちんと検証してないし、定義を拒否しているところがあると思うんですよね。90年代の日本の音楽文化というのは、60年代や70年代の音楽文化を編集し再構築した「行為」そのものだと思っていて。その行為にキチンと目を向けないと90年代の音楽文化を検証できないと思うんです。

―はい。

沖井:当事者もそれを説明しないから、このままだと日本の90年代の音楽文化は作品の表面的な部分でしか語られなくなってしまうと思う。あの時代のポップスについて「メジャー7thを効果的に使って云々」みたいな解釈がありますけど。あれって要は90年代型のソフトロックなんですよね。その90年代型のソフトロックというのは、ノーザンソウルにクラブで聴きやすいようなハウスとかヒップホップっぽいビートを乗っけたものが多くて。それはそういう手法の音楽が多かったというだけのことなんです。90年代は作品よりもむしろ行為がカッコいい時代だったと思う。

それを検証するのは今が最後のチャンスだと思います。そうじゃないと間違った解釈で歪んだ歴史としてアーカイブが残ってしまうと思う。今日のインタビューで「同時代的」といういい言葉が出たので使わせてもらうと、90年代に先鋭的だった音楽って、リアルタイムだからこそカッコいいと思えたものが多かったと思うんですよね。アシッドジャズのレコード然り。だから、サンプリング的に音楽を組み合わせて再構築する行為が当時の先鋭的な行為として「同時代的に」カッコよかったのであって、それは20年後のリスナーに向けられて作られたものではない。

―行為自体がカルチャーの根幹を成していたと。

沖井:ただその瞬間には、長く残る音楽より強い輝きを放ったりするものなんですよね。当時の当事者は「アティチュード」と言っていましたけど。それを誰かがキチンと記録しないと、日本の90年代の音楽文化における本質は見えてこないと思いますね。

―その90年代のアティチュードやムードに近い様相を、現代の東京のインディーシーンに見出す向きもありますが、それについてはどう思われますか?

沖井:今の若者たちが作るポップスは音楽的に高いレベルでいろんな要素を折衷しているなと思うものが多くて、これから先がものすごく楽しみだなと思います。僕が90年代と違うなあと思うのは、排他性をほとんど感じないところなんですよね。90年代の先端にいた人たちはもっと攻撃的だった。今の若い人たちはシンプルに自分が作りたい音楽を作っている印象のほうが強い。排他的な村感はないのがいいなって。

左から:沖井礼二、清浦夏実

―先ほどの話の繰り返しになりますけど、TWEEDEESは同時代的でありながら普遍的な王道のポップスを目指すという点において、後世に残る楽曲であり作品をクリエイトしようとしているわけですよね。

沖井:そうですね、刹那的なポップスやロックの魅力もあってそういう音楽が好きでありながら、そもそもTWEEDEESが持っている性質がクラシックでスタンダードなものを好むところがある。50年代のMGMミュージカル映画が今も普遍的な輝きを放っているように、TWEEDEESが作るポップスも60年後のリスナーに愛されるものでありたいという思いがあります。だから、流行は排除しながら同時代性と普遍性を維持していきたいなと思うんです。

清浦:そうありたい。そこにTWEEDEESが見られる夢があると思います。これからも楽しく、真摯に素直に音楽を作っていきたいですね。

リリース情報
TWEEDEES
『The Second Time Around』初回限定盤(CD+DVD)

2016年7月20日(水)発売
価格:3,888円(税込)
COZP-1218/9

[CD]
1. 速度と力
2. STRIKERS
3. PHILLIP(feat.ikkubaru)
4. 私の悪い癖
5. バタード・ラム
6. melody
7. Baby, Baby
8. Winter's Day
9. 友達の歌
10. ムーンライト・フラッパー
[DVD]
・『The Adventure of the TWEEDEES 2015-2016』
・“KLING! KLANG!!”PV
・“Winter's Day”PV
・“Baby, Baby”PV

TWEEDEES
『The Second Time Around』通常盤(CD)

2016年7月20日(水)発売
価格:3,024円(税込)
COCP-39649

1. 速度と力
2. STRIKERS
3. PHILLIP(feat.ikkubaru)
4. 私の悪い癖
5. バタード・ラム
6. melody
7. Baby, Baby
8. Winter's Day
9. 友達の歌
10. ムーンライト・フラッパー

イベント情報
『Eggs×CINRA presents exPoP!!!!! volume87』

2016年7月27日(水)
会場:東京都 渋谷 TSUTAYA O-nest
出演:
SATORI
TWEEDEES
杏窪彌
and more
料金:無料(2ドリンク別)
※会場入口で音楽アプリ「Eggs」の起動画面を提示すると入場時の1ドリンク分無料

プロフィール
TWEEDEES
TWEEDEES (とぅいーでぃーず)

清浦夏実と沖井礼二によるポップ・グループ。2015年結成。2015年3月18日、日本コロムビアより1stアルバム『The Sound Sounds.』リリース。ミュージックマガジン誌レビューでは10点満点、2015年年間ベストアルバム歌謡・J-POP部門では8位にランクインと高評価を得る。11月3日1stシングル『Winter's Day』リリース。タワーレコードよりアナログ盤7インチ、日本コロムビアより配信でリリース。高い音楽性とファッション性を持ちつつ等身大のフレンドリーなキャラクターで臨むステージングのライブにも定評がある。様々な面でポップス / ロックの「王道」を貫くTWEEDEESは世代を超えて時代の潮目となりつつある。2016年7月20日に2ndアルバム『The Second Time Around』リリース。



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