昨年デビューアルバム『SUITE』を発表した1983は、文字通り1983年生まれの新間功人が、早稲田大学のサークル「トラベリングライト」のひとつ下の後輩である関信洋を誘い、29歳のときに結成したバンドである。新間はこれまで、ceroや王舟、Alfred Beach Sandalらと交流を持ち、いわゆる「東京インディー」の中ではよく知られた人物だが、自身が曲を作り、ボーカルを担当するバンドは1983が初めて。一方の関にしても、これまで音楽はあくまで趣味であり、表立った活動は一切してこなかった人物で、そんな二人が30歳を前に活動を開始したというのは、とても興味深い。
さらに言えば、1983のメンバー5人は全員が30代で、職業として音楽を続けている者もいれば、仕事と並行しているものもいたりと、異なるスタンスの人間が集まり、そのうえで活動をしている。つまり、ここには「仕事と音楽の両立」という長年の命題に対する、ひとつの解答が示されているとも言えよう。平賀さち枝や小林うてなといったゲストを招き、「日本的なサウダージ」を描いた傑作『golden hour』を完成させ、今後より多くの人に名前が知られるであろう1983のこれまでの歩みについて、新間と関に話を訊いた。
30歳手前くらいって、一般的に迷う時期だと思うんです。そういう中で、「自分一人でどういう音楽ができるんだろう?」って思ったんですよね。(新間)
―1983はバンド名通り1983年生まれの新間さんが29歳のときに始めたそうですが、どんな経緯で結成されたのでしょうか?
新間(Ba,Vo):自分はいろんなバンドをやりながら、イベントの企画を任されることも多かったんですけど、あるときよく出入りしてる阿佐ヶ谷のRoji(ceroの髙城晶平らが経営するカフェバー)でイベントをやることになったんです。1983のスタートはそのための企画バンドですね。関を誘ったのは、そのちょっと前に彼がやっていたバンドのライブを観ていて、いい曲やってるなって思ったのがきっかけです。
―大学の音楽サークルで知り合った新間さんと関さんは卒業後も、ときどき会って「バンドやろう」っていう話をよくしていたそうですね。
関(Gt,Vo):でも、大体いつも飲み話で終わってたんですよね。
―関さんは表立った音楽活動は全然していなかったそうですが。
関:何もやってなかったです。一人で宅録したりとか、遊びでスタジオに入ることはあっても、基本的には、普通に社会人として暮らしてました。自発的に動くタイプではないので、音楽は完全に趣味の範囲でやってる感じでしたね。
―最初は企画バンドだったとはいえ、仕事しながら、30歳手前で新しいバンドを始めるって簡単なことではないと思います。新間さんにとっては初作曲・初ボーカルだったそうで、かなりのチャレンジですよね。
新間:まあ、30歳手前くらいって、一般的に迷う時期だと思うんです。周りは結婚していって、仕事にしても、キャリアを取るか、ワークライフバランスを取るか、いろいろ考えることがある。音楽に関しても、楽器を演奏するのは楽しいし、人前に立って歓声を浴びるのって麻薬的な気持ちよさがあるけど、その反面、長い目で見たときに、これをずっと続けてどうなるんだろうとも思いますよね。そういう葛藤の中で印象的だったのが、ヤン富田さん(ヒップホッププロデューサー、音楽家)のインタビューだったんです。
―どんな内容だったんですか?
新間:ヤン富田さんって、それこそ30歳くらいまで全然音楽の仕事がなかったらしいんですけど、ひたすら自分の音楽を作り続けていて。一方で、スタジオミュージシャン的にやっていた人たちは、当時結構稼いでいたけど、今でも音楽を続けてるのは結局自分だけだって。とても示唆的な話だなぁと思いました。
僕はベースっていう楽器の性質上、「誰かをサポートする」ということが前提になっていたけど、「自分一人でどういう音楽ができるんだろう?」って思ったんですよね。そのためにも、気軽に一緒にできるメンバーを集めようと、まず後輩の関に声をかけたんです。
toeのメンバーみたいに「音楽も仕事も生活の一部」っていうスタンスの人たちを見てきたから、自分にとっても「全部が生活の一部」っていう感覚がしっくりくる。(新間)
―関さんにとってはどうでしょう? これまで完全に趣味だった音楽を、表立ってやるという決断に躊躇はなかったのでしょうか?
関:自分がこれまで外に向けてやってこなかった理由は、すでに多くの名曲が存在する音楽の歴史の中で自分がやる必然性が見えなかったからなんです。曲を世に発表するってことは、他のミュージシャンと同じ土俵に立つってことだから、それはおこがましかった。ただ、新間さんとはずっと「バンドやろう」って話をしていたし、声をかけてもらえたので、気楽にやってみようかなと思って。
新間:僕は才能があるけどあんまり世に知られてない人を見つけてきて、「いいでしょう?」って紹介するのが好きみたいなんですよね。あとは単純に、周りを見渡したときに、自分がやりたいと思うバランスの音楽をやっている人が他にいなかったんで。ブラックミュージックに寄ってたり、トラディショナルに寄ってたりっていう音楽はあっても、1983みたいなバランス感のバンドはいなかったから。単純に自分が聴いてみたくて、なおかつ演奏していて楽しい、そこを兼ね備えたバンドをやりたいっていう音楽的な動機が、結局一番だったような気がします。
―さっきヤン富田さんの話がありましたが、新間さんが大学卒業後も音楽を続ける一方で、途中で辞めていく人もおそらくいたと思うんですね。1983を始めるきっかけとして、何かそういう中で思うこともあったのではないかと思うのですが、いかがでしょう?
新間:仕事との兼ね合いという点では、先輩の影響が大きいです。サークルの先輩に、toeで鍵盤を弾いている中村圭作さんがいるんですけど、toeのメンバーってバンドとは別にそれぞれ仕事を持っているじゃないですか。でも、toeは音楽と仕事を「両立している」っていうよりは、単純に「全部が生活の一部」っていうスタンスの人たちだと思うんですよね。僕もそういう人たちを見てきたから、自分にとっても「全部が生活の一部」っていう感覚がしっくりきます。
関:仕事を持ちながらカジュアルな感じで、マイペースに音楽を続けるやり方があるのは何となく知ってて。でもそれをお手本にするのではなく、もっと自然にやってきたというか、仕事と音楽の「二者択一」みたいな感じではなかったですね。
―確かに、「両立」みたいな感覚ってもはやちょっと古くて、「全部が生活の一部」みたいな感覚の方が普通かもしれないですね。よく言う話ですけど、インターネットによって活動がしやすくなったとか、そういう時代背景もあるでしょうし。
新間:恩恵を受けているとは思います。ただ、自分の場合はもともと「音楽と仕事の二足のわらじを履けるように」ということを念頭にこれまで仕事を選んできたので、自分としては「掴み取った」っていう感覚ですね。
共有するためにSNSで発信するみたいな、安易にやってしまいがちなことに対して、一歩踏みとどまる姿勢は、バンドとして大切にしてる部分な気がする。(新間)
―1983の音楽性に関しては、「30代でやる音楽」みたいな意識ってあったりしましたか?
新間:結果的にそうなったという部分はあるかもしれないですね。たとえば、Pitchfork(アメリカの音楽メディア)でブラックミュージックがよく取り上げられるようになって、日本でも今盛り上がっていますけど、自分たちが急にラップをしてもおかしいし。だから、自分の資質にあったものをちゃんと掘り下げて、今の時代にアップデートしてやっていく、そういう美意識みたいなものはありますね。
関:無理のないようにっていう意識はあるかもしれない。10代、20代の頃はパンクっぽい格好をしてみたり、裏原系を着てみたり、そういう背伸びした感じを経て……。
新間:ホントに自分がいいと思うものをやれるようになったってことかもしれないですね。たとえば、今回のアルバムの曲で言うと、“サマーミラージュ”って最初はもうちょっとアップテンポにした方がわかりやすいかなとも思ったんです。でも、レイドバックしたテンポで、じっくりやった方が自分たちらしいと思って、BPM0.5刻みで一番しっくりくるポイントを探して、今の「このテンポなら好きなリズムアンドブルース」的なテンポ感に落ち着きました。インプットに対する「アウトプットの所作」は大事にしてます。
関:流行ってるものも聴いてはいるんですけど、それをそのままやるのは……恥ずかしい(笑)。
新間:「恥ずかしさ」とか「てらい」って、最近世の中からなくなってきている気がするんです。「ご飯が美味しかった」とか「音楽を聴いてこう思った」という自分の官能をSNSで発信したりするのって、見方変えると結構エグいというか。共有したい気持ちとアウトプットがダイレクトに結びついてて、安易になってしまっていると思うんですよね。そういうスピード感に対してアンチは一切ありませんが、自分たちは関係ないかなと。音楽的なアプローチに関してもそうですけど、安易にやってしまいがちなことに対して、一歩踏みとどまって突き詰める姿勢は、バンドとして大切にしてる部分な気がする。
関:口に出してそういうことを言うわけじゃないけど、「する / しない」を判断するときに、何となくそういう考えがありますね。
―さっき新間さんがおっしゃってた「アウトプットの所作」みたいな部分ですかね。
新間:最新の音楽をどんどん取り入れて、更新していく美しさもあると思いますけどね。KIRINJIの新譜(『ネオ』)は素晴らしかったですし、インタビュー(堀込高樹が語る、KIRINJIらしさを捨ててシーンを意識した傑作)も読みましたけど、シーンを意識して形を変えていくのもポップスのひとつの美しい姿だと思うんです。ただ自分たちは、KIRINJIみたいに日本のポップシーン全体を意識していないし、王舟やceroと同じようなコミュニティーにいるからといって「東京インディー」を背負って立つ身でもないので。
そこは違う人たちに任せつつ、1983では自分たちが聴いてきたルーツミュージックをしっかり掘り下げた上で、今にアップデートした耐久性のある音楽をしたい。引きが弱いと言われようが、50年後に聴いても、いいよねって思われるものを作ろうとは思ってますね。
インタビューで「シティポップは死んだ」みたいに言って、お世話になったものを足蹴にする感じがすごく悲しい。音楽的な愛があれば、そういう言説は絶対出てこないと思うんです。(新間)
―では、新作について訊かせてください。前作はひとまずデモを録り始めて、それがアルバムに発展していったそうですが、今回は最初から「アルバム」を意識していたのでしょうか?
1983『golden hour』ジャケット(Amazonで見る)
新間:去年の年末に『Windy』(2015年)っていう7インチを出したんですけど、その前くらいから「シングルを作ろう」って話があったんです。その流れで、関から“文化の日”と“feelin”と“アフリカン・グラフィティ”のデモが送られてきて。デモの段階で世界観が完成していたので、これはアルバムの軸になるなって直感的に思いました。
新間:今挙げた3曲に通底しているのは、「日本的なサウダージ」みたいな感覚だったんですよね。日が暮れていく前の、黄金の時間ってあるじゃないですか。「夕暮れ時の切なさ」ではなく「黄昏ていく風景への郷愁」ってそれこそ万葉集の頃からありますよね。「もののあはれ」っていうとおっさん臭いですが、最近の音楽にはあまりない映像的な感覚が、特に”文化の日”に色濃くあったので、このイメージを軸に膨らませていけばいいアルバムが作れそうだなって、プロデューサー的に考えました。
―その感覚がまさに『golden hour』というタイトルにつながっているわけですね。ちなみに、資料には「1980年代生まれの東京発5人組シティポップ楽団」と書いてありますよね。僕としては「シティポップ」っていう言葉の持つ意味が受け手によって変わってしまうから、あんまり押し出すつもりはないんですけど……。
新間:全然いいですよ、使ってください。最近すごく思うんですけど、シティポップって僕らにとってのルーツミュージックのひとつだから、リバイバルして嬉しかったんです。でもその一方で、最近のインタビューを読むと「シティポップはもう終わった / ダサい」みたいなことが書いてあったりするじゃないですか。お世話になったものを足蹴にして、使い古していく感じがすごく悲しくて。音楽的な愛があれば、そういう言説は絶対出てこない。まあ、これも美意識の問題だと思うから、原稿に書かなくていいですけど。
―いや、今の発言は1983にとってすごく重要だと思うから、ぜひ使いたい。
新間:じゃあ、「シティポップは死んだとかいうやつはシュガー・ベイブ聴いて出直して来い」って書いておいてください。ほら、生きてるじゃんって(笑)。
―途中で「耐久性のあるポップスを作りたい」っていう話もあったように、音楽がどんどん消費されていくことに対しての危惧があるということですよね?
新間:危惧なんて大それた思いはないです。ただ、青春時代の長い時間を使って、音楽を聴いたり、作ったり、関わったりしてきたから、流行り廃りとか、データ的に「これバズるから、こういう音楽作ってみよう」とかってマーケティングっぽくやられちゃうと、自分が大切にしてきたことを馬鹿にされてる気になります。ミュージシャンたるもの、戦略より前に大切なことがあるだろうと。「そこに愛はあるのかい?」それだけです。まあ、関はもっと思慮深いんで、僕ともまた違うと思うんですけど。
関:SNSも見てるだけなんで、自分がそういう渦中にいないんですよね。ツイートするのも恥ずかしいし。
新間:こういう感覚って、僕も含めて世の中から半ば強制的に失われつつある気がするからこそ、覚えておくことも大切かなと思います。
―新間さんの「美意識」っていう言葉と、関さんの「思慮深さ」って言葉は、それぞれのキャラクターを表しつつ、でもすごくリンクしていて、その感覚が1983というバンドの基盤になってるんだろうなって思いました。
関:素晴らしいまとめですね(笑)。ありがとうございます。
所構わずゴルフのスイングしてるおじさんってあんまり見なくなったじゃないですか? そういうことに、「変わっていくなあ」って気分にはさせられるというか。(関)
―さっき僕がなぜ「シティポップ」という言葉を出したかというと、新間さんが言ってた「映像的な感覚」っていうのが、いわゆるシティ、東京の風景なのか、それとも違う風景なのかっていうのを聞いてみたかったんです。
関:今は東京に暮らしていますけど、生まれは田舎なので、自分の感覚としては「カントリーポップ」って感じなんです。アウトサイダーっていう感じは最近やっと抜けましたけど、大学生の頃は「仮住まい」って感覚だったし、だから、シティポップなんておこがましいなと。
新間:歴史的に、東京生まれ東京育ちの人がシティポップを更新してきたから、基本的には山手線の内側のものだって認識ですね。
―でも、“エメラルド・シティ”に関しては、文字通り「シティ」に言及してる曲ですよね?
新間:これは東京に10年以上暮らす30代としての最近の実感です。はっぴいえんどは1960年代の東京オリンピックで変わっていく街を「風街」と呼んだんだと思うんですけど、自分が今住んでる中央区も東京オリンピックを目前にどんどん変わって、築地や晴海の方とかも再開発が進んでいる。それが嫌だとは思わないですけど、単純に、いいなと思っていた風景が失われていってますよね。
関:僕が“文化の日”で言ってるのもそういうことで、「変わっていくなあ」ってことなんです。たとえば、所構わずゴルフのスイングしてるおじさんってあんまり見なくなったじゃないですか。そういう仕草や人が失われていっても、別に悲しくはないけど、でも「変わっていくなあ」って気分にはさせられるというか。
―途中で言ってた「日本的なサウダージ」って、そういう感覚かもしれないですね。
新間:そうですね。あと四元康祐さんって詩人の方が『ゴールデンアワー』っていう詩集を出されていて、それも60年代の東京オリンピックによって変わっていく物事や風景について書かれたものなんです。大学のときに読んだっきり忘れていたものを、アルバム制作中に天啓のように思い出して。タイトルはこれでいこうと思いました。
―『golden hour』っていうタイトルは一見すごくキラキラしてて、実際今回はゲストがたくさん参加してるから、そういうにぎやかな側面もあるんだけど、その裏側には失われていく寂しさがあって。そのバランスが作品をより魅力的にしていますね。
新間:ノスタルジーではない前向きな感じを共有できればいいなって思うんですけど。でもそのあたりが30代ならではってことなのかもしれないですね。経済的なことはさておき、今の若い人にとって変わっていくことは希望なわけじゃないですか。でも、自分たちにとってはそれだけじゃない。
関:ちょっとくすみが出ちゃってる(笑)。
―(笑)。でも、今回の作品の仕上がりはとても素晴らしくて、それこそ世代を超えて響く、耐久性のある作品だと僕は感じました。
新間:よかったです。「これで届かないんだったら……」っていうのは僕たちもありますね。今回、アビーロードスタジオでマスタリングをしたのも、もちろん話題作りじゃなくて、The BeatlesからAnimal Collectiveまでを自分たちと同じニュアンスでわかってくれて、ポピュラリティーも兼ね備えたマスタリングエンジニアって、日本にはいないって思ったからなんです。黄昏を感じさせる音像イメージも日本とイギリスではそこまで違いないはずだと思ってお願いしましたが、大正解でした。
ミックスに関しても、馬場友美さんはバンドメンバーみたいに参加してくれて、ときには朝4時に電話したり(苦笑)。アートワークのシャンソンシゲルさんも同じです。最終的に20点以上絵を描いてくれて全部が最高という。ぜひブックレットにも注目してください。結果的には、自分たちが思い描いた以上のものができました。スルメ的な作品って広がりづらい世の中だとは思うんですけど、誰かのためになる作品はできたかなって思っています。
- リリース情報
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- 1983
『golden hour』(CD) -
2016年8月17日(水)発売
価格:2,484円(税込)
ARTKT-013 / kiti-0241. 文化の日
2. サマーミラージュ
3. feelin
4. レームダック
5. ロデオの新恋人
6. Into The Gold(part.2)
7. Windy(Album ver.)
8. エメラルド・シティ
9. Courtyard
10. 12AM
11. アフリカン・グラフィティ
12. 誕生会
- 1983
- イベント情報
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- 1983
『GOLDEN HOUR RELEASE TOUR』 -
2016年9月24日(土)
会場:愛知県 名古屋 金山ブラジルコーヒー
出演:
1983
inahata emi
トゥラリカ
料金:前売2,300円 当日2,800円(共にドリンク別)2016年9月25日(日)
会場:京都府 UrBANGUILD
出演:
1983
Turntable Films
原田晃行
料金:前売2,300円 当日2,800円(共にドリンク別)2016年10月8日(土)
会場:東京都 渋谷 TSUTAYA O-nest
出演:
1983
王舟(バンドセット)
may.e
エマーソン北村料金:前売2,800円 当日3,300円(共にドリンク別)
- 『Slow LIVE'16 in 池上本門寺』
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2016年9月3日(土)
会場:東京都 池上本門寺・野外特設ステージ
出演:
Char
中納良恵(EGO-WRAPPIN')
OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND
ましまろ
GLIM SPANKY(アコースティック2人編成)
土岐麻子
1983(オープニングアクト)
- 1983
- プロフィール
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- 1983 (いちきゅうはちさん)
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1983年生まれのベーシスト新間功人を中心に結成された、80年代生まれの5人組。各個人の音楽史観をルーツミュージックと解釈し、日本ポップスの可能性を追求。ベーシックな4リズムに、トランペットとフルートが華を添える。メンバーはそれぞれ、バンドメンバー/サポートとしてoono yuuki、森は生きている、Peno、トクマルシューゴ、王舟、シャムキャッツ、寺尾紗穂などの録音に参加している。『golden hour』の録音後、Drum.Clarinetのミズタニタカツクグが脱退し5人体制となる。
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