『花椿』『GINZA』編集長対談 文化を担う老舗雑誌のウェブ戦略

資生堂が発信する『花椿』。長年、多くの女性にさまざまな美のかたちを伝えてきた同メディアは、今年、ウェブと季刊形式の紙媒体という2形態での展開へと大きく舵を切った。メディアや文化を取り巻く時代の変化を感じる「事件」だが、その変化を、紙のメディアに関わってきた人物はどのように見ているのだろうか?

伝説的なカルチャー誌『relax』など数々の雑誌に関わり、現在はファッション誌『GINZA』の編集長を務める中島敏子、そして新体制となった『花椿』編集長である樋口昌樹を招き、二人が考える情報メディアの次なる一手を訊いた。

『花椿』には、「文化を担っていくんだ」という作り手たちの気概が溢れていて、刺激がありました。(中島)

―今回は『GINZA』編集長の中島敏子さん、『花椿』新編集長の樋口昌樹さんをお招きして、ウェブメディアと紙の雑誌についてお話いただきたいと思っています。対話のきっかけとして、まず『花椿』を話題にしたいのですが、同誌について、中島さんはどんな思い出がありますか?

中島:青春時代は本当に必読書でしたね。新しい号が出たら友だちに「ねぇ、読んだ!?」と聞きまくるくらい特別で。メディアとしての格も高く、世俗にまみれていなくて、他雑誌とは一線を画していました。

中島敏子
中島敏子

―特別な雑誌だったんですね。

中島:大人になって雑誌の世界に入ればイヤでもわかることですけど、ほとんどの雑誌が、いろいろな大人の事情の絡み合いで成り立っている部分がありますよね。でも『花椿』には、「文化を担っていくんだ」という作り手たちの気概が溢れていて、刺激がありました。

なので、『花椿』が月刊誌の形態をやめると知ったときは、本丸が崩れたみたいなショックがありました。ファッション誌を作っている人たちって、絶対に一度は『花椿』を通過しているんです。そんな大好きな雑誌がウェブになるわけですから、「ついにその時が来てしまった……!」と、作り手たちは一様にオロオロし、覚悟したと思います。

―中島さんは、ご自身も月刊誌の編集長なので、いろいろ思うところも多いかと思います。なぜ『花椿』は月刊誌の形態をやめて、ウェブへのリニューアルに踏み出したのでしょう?

樋口:ちょっと『花椿』の歴史の話をさせていただくと、創刊は1937年で、それ以前は『資生堂月報』(1924年~)『資生堂グラフ』(1933年~)として発刊していました。ですから『資生堂月報』の時代から数えるともう100年近くなるんですよね。

中島:大正時代にスタートしているわけですね。

『資生堂月報』(1924年)
『資生堂月報』(1924年)

『資生堂グラフ』(1936年)
『資生堂グラフ』(1936年)

樋口:発行部数の一番のピークが60年代後半で、当時で680万部出しているんですよ。

中島:『少年ジャンプ』以上なんですね!(1994年12月発売『週刊少年ジャンプ』の発行部数が653万部で、歴代最高記録)

樋口:かつては『花椿』がご家庭に1冊、という時代があったのですが、70年代以降はゆるやかに部数が減っていて、2012年の時点で3万部を切っています。つまり資生堂を愛用してくださるお客様と、『花椿』のあいだに心理的な乖離が生まれていたんですよね。

本当に残すべきなのは月刊誌という枠組みではなく、『花椿』というメディアそのもの。(樋口)

―でも、中島さんがまさにそうであるように、クリエイターや感度の高いユーザーからの支持は絶大ですよね。

樋口:それは我々としても大きな財産だと考えています。しかし現実は残酷です(苦笑)。若い人から、資生堂自体がお母さん向けのブランドに見られる傾向もありますし、『花椿』に至っては、50代の方は半分くらい知ってらっしゃるんですが、20代だと4%を切っていることが調査でわかりました。本格的に紙媒体からウェブにメディアが移行する時代になり、あらためて『花椿』の立ち位置を自ら問い直すというのが、今回のリニューアルのもっとも大きなポイントなんです。

樋口昌樹
樋口昌樹

中島:そもそも、資生堂の中で『花椿』はどういう位置づけなんでしょうか?

樋口:今の資生堂は化粧品会社ですが、創業時は薬局だったんですよ。その中軸を化粧品に変えたのは2代目の福原信三ですが、彼が目指していたのは、レストランがあり、アートギャラリーがあり、美容室があり、子ども向けの洋服の製造販売もする、トータルに「美」を提供する産業体。ですから非営利のギャラリー運営(資生堂ギャラリー)も、『花椿』の発行も、資生堂の理念を支える欠かせざるものなんです。

中島:『花椿』が資生堂のブランドイメージを牽引していく印象がずっとありますね。

樋口:ですから、月刊誌をやめることについては内部でも反対の声があがりました。ただ、大半の編集者が感じてらっしゃるように、月刊誌は非常に厳しい現状にある。そこで本当に残すべきなのは月イチ発行という枠組みではなく、『花椿』というメディアそのものなんです。それで、特にスマホでの視聴を強化する方針に切り替えたわけです。

「銀座時空散歩」 資生堂『花椿』スマートフォンサイトより
「銀座時空散歩」 資生堂『花椿』スマートフォンサイトより

中島:ブランドとしてスピリットをどう残していくか。それはすごくよくわかります。

作り手の想いと、マーケットのあいだの摩擦係数が高くなると、リニューアルは失敗するんです。(中島)

―『GINZA』が、付録として雑誌『オリーブ』の特別号をつけた際にも中島さんにインタビューしているのですが(今なぜ『オリーブ』が復活? 厳しくも愛のある『GINZA』編集長・中島敏子が雑誌に託す使命)、その際に『GINZA』も読者や世代についての話題が出ました。今の樋口さんの話は、中島さんにとっても思うところの多い内容ではないでしょうか?

中島:たくさんありますね。どんな雑誌も休刊間際は特にそうなんですけど、断末魔のようにあがいて、いろいろなことをしちゃいがちなんですよ。『オリーブ』も判型を変えたり、リニューアルを重ねて右往左往していた。作り手の想いと、現実のマーケットのあいだの摩擦係数が高くなると、リニューアルは失敗するんです。『オリーブ』の最後は、渋谷の街はルーズソックスのギャルで席巻されていたのに、作り手は昔ながらのオリーブ少女たちを想定して作っていた気がします。

中島敏子

樋口:たしかに、『花椿』もデザイン性を高めたり、判型を変えたりと、さまざまな工夫をしてきましたが、抜本的な転換は起きなかったんです。

中島:新日本プロレスオーナーの木谷高明さんが「すべてのジャンルはマニアが潰す」とインタビューでおっしゃっていましたけど、ファンの熱意がハードコアで険しい細道にジャンルを導いてしまうことはよくあります。愛が強すぎるんですね……。『オリーブ』もしかりで、『花椿』もそうなりかかっていたのかもしれない。

樋口:そうかもしれないですね(苦笑)。中島さんが『GINZA』の編集長になった際も、相当ドラスティックな変革を行ったと思うのですが、そういった熱意や愛ゆえのずれは感じていましたか?

中島:私はずっと男性誌の編集者だったので、ファッション誌はほとんど読者と変わらない理解度で飛び込んじゃったんです。だから、ファッション畑でやって来た編集者とは大変な摩擦がありました(笑)。一度雑誌がかたちになれば相互理解できるんですが、最初はお互いが何を言っているのかもわかりません、というくらいコミュニケーションのギャップがありましたね。

コンテンツの面白さで勝負していくウェブの時代なのだから、編集者の企画力が問われていると思います。(樋口)

―『GINZA』の現在のアートディレクターは、2014年の2月に平林奈緒美さんから、tha ltd.の阿部洋介さんに変わりましたよね。ウェブメディアを主戦場とするデザイナーを起用したのは驚きましたが、それも現在のメディア環境を見据えたうえでの選択だったのでしょうか?

中島:阿部さんに依頼するときから、頭のなかではウェブと紙を両輪で走らせる構想をしていました。しばらくは紙の雑誌を作るのに必死だったんですけど、最近ようやくウェブ版『GINZA』をローンチできて。まだよちよち歩きの段階なんですけどね(笑)。

阿部さんは紙媒体に対する考え方がニュートラルで、最初は驚くことがたくさんありましたよ。例えば「なんで色校(表紙や記事を本誌と同じ紙で印刷し、色の調子をたしかめること)出さなきゃいけないんですか? データどおりに修正ではダメなんですか?」って言われて。

樋口:たしかにウェブに色校はないですもんね。

左:樋口昌樹

中島:「プロダクトとして手で触れる以上、データよりも目で見たほうが……」とか、いろんな理由を言ったんですけど(笑)。でもそのくらいドラスティックに考えないと、今の紙媒体の問題は見えてこないことのほうが多い。雑誌の感覚でウェブをやろうとすると、例えば上下左右にデザインが展開できたり、クリックしたら何か変化したり、とにかくリッチなものを目指そうとする人たちがいますよね。

―たしかに、凝ったデザインのものを目指したくなりますよね。

中島:でも、ウェブは階層構造だから、どれだけデザインにこだわっても、どこに何があるのかがわかりにくかったら意味がない。PCでコンテンツを見る女の子たちなんてほとんどいなくなっているから、『GINZA』のウェブもスマホ上でいかに見やすくするかに注力して設計してもらっています。それも阿部さんとのやり取りから得た知見ですね。

『ginzamag.com』スマートフォンサイトより
『ginzamag.com』スマートフォンサイトより

樋口:ちなみに、ウェブに軸を移そうと提案した張本人が私なのですが、デザインだけでなくコンテンツの面白さで勝負していくウェブの時代にあって、編集者の企画力が問われていると思います。今までの月刊誌では、はっきり言って、編集室の人間がアートディレクターに頼りきっていると思ったんですよ。

中島:なるほど……う~~~ん!

今後さらに個人の肉声が強くなるだろうという予感は、誌面にもSNSにも反映させています。(中島)

―中島さんから深いため息が(笑)。

中島:『GINZA』を発行しているマガジンハウスは、編集者とアートディレクターががっぷり四つに組んで雑誌を作る、という伝統が根付いています。それは、野球でたとえるならピッチャーとキャッチャーのバッテリーの関係みたいなもの。キャッチャーであるアートディレクターが最後は球を受け止めてくれる安心感があります。でもウェブは、向こう側にたくさんの読者がいるのはたしかだけれど、そのときに頼りになるのは編集者である自分だけ、という感覚がいまだに心細かったりもしますね。記事単体の面白さで勝負が決まっていくのが本当にシビアだなと。

―音楽もアルバムではなく1曲ごとにジャッジされる時代ですからね。

中島:でも、だからこそ際出つ個性というものがあると思うんです。ファッション誌の編集長って、プレスツアーがセッティングされて次々とショーを見るような機会があるんですね。各誌の編集長が同じ場で同じものを見て、昔だったらオフィシャルが用意した写真を並べて誌面上でレポートしていた。 でも、今は各ブランドのプレス担当者から「ハッシュタグはこちらです。SNSにどんどんあげてくださいね!」と言われて、自分たちで写真をアップするでしょう? そうすると、個人ごとに視点やテンションが微妙に違うのがわかる。要するに、自分がどういうスタンスでファッションに接しているかがすごく問われるような気がして。

樋口:たしかに。じつは私、今年初めてパリコレに行ってきたんです。

中島:なんと! いかがでしたか?

中島敏子

樋口:過密スケジュールでこんなに疲れるものだとは思いませんでした(笑)。でも、誌面やメディアに載っていないことが、現地でたくさん起こっているということがよくわかりました。特に若いデザイナーは、会場選定から演出から、ものすごく凝っていますよね。床屋街や図書館でショーをやった人もいて、それ自体が一つの空間芸術と言っていいくらい、自分のスタイルを主張している。でも、大半のメディアでフォーカスされるのは洋服のルックで、デザイナーの表現したい「世界」は伝わらない。『花椿』で発信していきたいのは、そういった空気感なんですよね。

中島:それぞれの視点がありますよね。だから、ショーに行くたびに緊張して背筋が伸びる。『GINZA』はプライベートメディアではもちろんありませんが、今後さらに個人の肉声が強くなるだろうという予感は、誌面にもSNSにも反映させています。

―実際、『GINZA』では編集アシスタントの方の個人的なコーディネートを発信したりしていますよね。とても面白いですが、独りよがりに見られる可能性だってゼロではない。個人を前面に出すときのさじ加減は重要ですよね。

中島:特にルールを設定してはいませんが、みんなずっと『GINZA』に関わっている子たちなので、肌感で「『GINZA』はここまでならおチャラけてもいい」って感じは共有していますね。いちばんダメなのは「マジメかっ!!」って私から突っ込まれること(笑)。

女の人って真面目なので、ついつい優等生的に正しいことを書いて終わり、になりがちです。雑誌の見出しもそうですけど、「秋の装いを~」とか紋切り型の表現をしたり、体言止めで終わったりするのって、いかにも「女性誌っぽい書き方」がありますよね。編集長になった最初の頃に「お願い、この言い方はやめて~!」って懇願したんです。

特に『GINZA』は、いろんなものをチャーミングに見せよう、っていうスタンスがあるので、例えばミネラルウォーターを「これは水です。」(以上!)と言い切ってしまったら元も子もない時がある。そうじゃなくて「これは水です。なんてね!」みたいに、個人の私信風にデコレーションしたりしますが、それはウェブでも共通する要素だと思います。個人の見方をプラスすることで、読者への共感を強くする。

紙はよりクリエイティブになり、ウェブはより構造的に、共感を呼ぶようなメディアになっていく。(中島)

―お二人の話から感じたのは、ウェブはエンドユーザーの反応を前提にしないといけないがゆえに、むしろ個人や個性を際出たせていく気運が高まりやすい、という性質です。その視点を「個人」から「集団」という単位に広げていくと、重要になるのは「『花椿』らしさ」「『GINZA』らしさ」を、いかに翻案して発信していくかというポイントではないでしょうか?

中島:そうですね。そしてそこがいちばん苦労している点です(苦笑)。

樋口:少し話が変わるのですが、私の場合、ウェブを軸にして『花椿』のリニューアルを考えていたので、紙媒体ではウェブの記事を誌面に転載して使うこともできるのではないかと当初は考えていたんですよ。でも、実際にレイアウトしてみると、ウェブの記事は誌面になんとなく馴染まないんですよね。不思議なんですが。

中島:たしかに、ウェブが主流になるのは当たり前だとして、そうすると紙媒体でなければならない表現についての思考が深まるんですよね。紙はよりクリエイティブになり、ウェブはより構造的に、共感を呼ぶようなメディアになっていく。同じ『GINZA』のロゴが入っているので、つい一緒くたにしてしまうけれど、ウェブと紙媒体はもっと違うものになっていくべきだと私は思っています。

ただ、他誌とは違う『GINZA』らしさの根幹は、紙もウェブも共有していたほうがいい。その『GINZA』らしさというのは、万人に対する共感ではないけれど、一定の女の子たちが「そうそう!」って前のめりになるようなものでありたいと思っています。だから、紙とウェブのスタッフは、完全に分断することは今後もないと思いますね。草原で咲く花と、高地で咲く花は、種類は違うけども同じ水脈を吸っている、みたいな感じでしょうか。

左:樋口昌樹、中島敏子

樋口:それは、『花椿』のリニューアルで考えていた「『花椿』のスピリットを残したい」という話と同じですね。ウェブは本当にスピード命の世界ですが、そのぶんまがいものの情報もいっぱい混じっている。『花椿』は速報性では他のメディアは太刀打ちできないけれど、そういう環境のなかで「『花椿』だったら信用してもいいな」と思われる存在になりたいと思っています。中身の正しさや濃さ、本質的なものを追っていきたいですね。

サイト情報
『花椿』

『花椿』は、1937年に創刊、その前身である『資生堂月報』(1924年創刊、1933年に『資生堂グラフ』に改題)を含むと、90年以上にわたって刊行を続けてきました。「美しい生活文化の創造」の実現を目指し、人々が美しく生きるためのさまざまなヒントをお届けすることを目的に、時代に先駆けた新しい女性像や欧米風のライフスタイルなどを提唱してきました。昨今のインターネットやスマートフォンの急速な普及に伴い、2011年にはウェブ版の配信をスタートさせ、新たな読者の獲得を目指しました。その後もメディア環境は一層激しく変化しています。今回のリニューアルで若い世代と親和性の高いウェブ版に軸足を移すことによって、新たな読者層との出会いを広げていきます。

2016年4月18日に公式サイトをリニューアル。

書籍情報
『GINZA 2016年9月号』

2016年8月10日(水)発売
価格:750円(税込)
発行:マガジンハウス

プロフィール
樋口昌樹 (ひぐち まさき)

1961年生まれ。1983年慶應義塾大学経済学部卒業。同年、株式会社資生堂入社。1992年に企業文化部に配属となり、資生堂ギャラリーの学芸員として数多くの展覧会のキュレーションに携わる。2015年4月より、『花椿』編集長を務める。美術評論家連盟会員。

中島敏子 (なかしま としこ)

マガジンハウスのカルチャー / ライフスタイル誌『BRUTUS』の編集者、『relax』の副編集長などを経て、2011年4月よりリニューアルした『GINZA』の編集長を務める。



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