「サーカス」といえば、あなたは何を思い浮かべるだろうか? 華麗な空中ブランコ、緊張感あふれる綱渡り、それとも熊やライオンによる微笑ましい曲芸? 今秋、フランスからやってくるカミーユ・ボワテルが行なっている「サーカス」は、そんな既成概念を覆すにぴったりだろう。
1970年代から、フランスでは「ヌーヴォー・シルク」「現代サーカス」と呼ばれるジャンルが確立し、国立のサーカス学校も整備されるなど、国家として「サーカス」というアートフォームを積極的に支援してきた。子どものための娯楽ではなく、大人が見ても楽しめる芸術として進化した「現代サーカス」とはいったい何なのだろうか。そして、「アート」としてのサーカスを通じてカミーユが表現するものはどのようなものなのか? 本人とのメールインタビューを軸に、その新たな世界を紹介しよう。
日本での常識とはまるで違う。「可能性探求の場所」である現代サーカスとは?
「現代美術」「コンテンポラリーダンス」など、既存のジャンルに「現代」という言葉が付与されることは少なくない。わざわざ「現代」という言葉を冠するそれらは、時代的な意味だけでなく、いわゆる「ダンス」「美術」との差別化を図り、独自の進化を遂げたジャンルであることを教えてくれる。そして、それは「現代サーカス」も例外ではない。子どものための娯楽だったこれまでのサーカスとは一線を画し、エンターテイメントではなく「芸術」としての表現に特化したのが「現代サーカス」なのだ。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
日本では数少ない現代サーカスについての入門書籍『サーカスに逢いたい アートになったフランスサーカス』(田中未知子・著 現代企画室)を一読すれば、さまざまなアーティストたちが登場することに驚くだろう。社会的メッセージを表現するもの、現代美術に接近するもの、シルク・ドゥ・ソレイユ(1984年にカナダで設立されたエンターテイメント集団)のような大規模な演出のものもあれば、たったひとりで表現を行うものもある。
作品の内容も、空中ブランコを専門とするものから、ジャグリングに可能性を見出したものなどバラエティー豊か……。つまり、その内容も形式もバラバラであり、アーティストによって多様な作品が創られているのが「現代サーカス」なのだ。
本稿の主人公であるカミーユ・ボワテルも、このジャンルを次のように表現している。
カミーユ:現代サーカスにおいては、アーティストたちが言語の限界を超えた身体言語を探求しています。それは、可能性探求の場所であり、新たなテクニックが絶え間なく生み出され続けているんです。また、身体能力を極めるのみならず、その能力で『何を』表現するかが求められている。ただし、これは僕個人の定義であり、他のアーティストは別の言葉で現代サーカスを語るでしょうね。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
これまでの「サーカス」という既成概念から離れ、より大きな自由を獲得した現代サーカス。パフォーマーたちは、類まれな身体能力を使って観客を驚かせたり興奮させるだけでは飽き足らず、そこにアーティストとしての「表現」を加えることによって、その味わいをさらに深いものとさせていく。では、そんな現代サーカスの魅力とは何だろうか? カミーユは、このように語っている。
カミーユ:現代サーカスという新しいカテゴリーにおいては、形式も、そこにある雰囲気も全く異なります。その舞台では、かつてのサーカスでは考えられないような多種多様な表現が生み出され、まったく驚くべきものができる可能性を秘めているんです。アーティストたちは現代サーカスにおいて、かつてのサーカスでは存在しなかった人間の感情や詩情を表現することができるのですから。
一度は映画やテレビの影になったサーカス。再興の鍵は「古き良き」を守らなかったこと
では、なぜサーカスは「現代サーカス」へと脱皮を遂げたのだろうか? その歴史を簡単に振り返ってみよう。
18世紀に勃興し、常設劇場を構えたりテント公演を行いながら多くの人々を魅了してきたサーカスは、20世紀初頭に黄金期を迎える。しかし、そんな幸福な時代も長くは続かなかった。映画やテレビなど、新たなエンターテイメントジャンルの登場によって、サーカスは一気に過去のものへと追いやられてしまう。時代の流れに飲み込まれ、存在感を失っていたサーカス再興の動きが見えたのは1970年代、フランスでのこと。
家族経営で内向きだったサーカスを外に開くべく、1974年、パリに西欧で初のサーカス学校が設立され、誰でもサーカスを学ぶことができる環境が整えられたのだ。また、演劇の中にもサーカスや大道芸の要素を取り入れようとする動きが起こるなど、サーカスは在りし日の機運を取り戻していった。その動きを確固たるものにしたのが、1981年に文化大臣になり、コンテンポラリーダンスの普及も後押ししたジャック・ラング。彼は「サーカスは、それ自体で独立したひとつの芸術である」と語っている。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
こうして、フランスにおいて見事に復活を遂げたサーカスの動きは、カナダ、ベルギー、スカンジナビアなど全世界中に拡散していく。また、1985年、フランス国立サーカスアートセンター(CNAC)が設立されると、ムーブメントとしての勢いはさらに加速する。
しかし、重要なポイントが、そんなサーカス再興の流れは「古き良きサーカスを守る」という、後ろ向きな運動ではなかったということ。ここでは、「新たなサーカスを生み出すこと」に主眼が置かれており、CNACでも、演劇やダンス、オペラと同様に演出家を招いて作品を創作するという独自の試みが行われてきた。
その結果、何回も来日公演を行なっているフランスを代表する振付家のジョセフ・ナジや、アルベールビル五輪開閉会式の演出を務め、今年の『あいちトリエンナーレ」にも来日するフィリップ・ドゥクフレなど、第一線で活躍するアーティストとの協働が実現し、サーカスは単なるエンターテイメントにとどまらない表現の深みに到達していった。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
特に、ジョセフ・ナジによって創作されたCNAC第7期卒業公演『カメレオンの叫び』(1996年)は、そのダンスのような芸術性とダンスを超えたアクロバティックな動きによって、現代サーカスの方向性を果たす決定的な役割を果たし、3年間にわたってフランス国内のみならず海外でもツアーを成功させている。
そんな現代サーカスの歴史を、さらに先へと押し進めるべく活動を行なっているのが、カミーユ・ボワテルなのだ。
空のワイン瓶の上に一本足立ちで回転するパフォーマンスが原点となったカミーユ少年が知った喜び
フランス・トゥールーズの自宅の近くにやってきたサーカス団を見に行った少年は、そこで、世界がひっくり返るような驚きを得た。今では現代サーカスシーンを牽引する存在となったカミーユ・ボワテルは、かつて行われたインタビューにおいて、8歳の頃にサーカスと出会った喜びを「現実とは違う世界に連れて行ってくれた」と表現している。
カミーユ:子どものころ住んでいた小さい町で、とあるサーカス学校の公演を見ました。毎水曜日にワークショップがあるというので、その好機に飛びつき、魅力に引き込まれていったんです。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
サーカスやアクロバットの魅力に取り憑かれたカミーユは、学校やストリートで、毎日アクロバットの真似事をしながら遊んでいたという。最初にカミーユ少年が得意としていたのは、空のワイン瓶を路上に立てて、その上に一本足で立ちくるくると回転するというパフォーマンス。まだ幼い少年の華麗な身のこなしに集まった観客は大受けし、彼は成功の喜びを知ってしまった。
その後、母の運転する車に乗って、妹と二人でパリを転々としながらストリートパフォーマンスを行っていたカミーユは、サーカスの名門校「アカデミー・フラテリーニ」の門をくぐった。当初は、近代的なマイムやアクロバットに興味を持っていた少年だが、だんだんと、現代サーカスの持つ自由さに触発されていく……。
カミーユ:ひとつのテクニックに閉じこもることなく、何かを物語るという方法が僕にとってぴったりだった。それによって、既存のスタイルに限定されず、いろいろなものを探索できるようになったんです。僕はサーカスを通じて、「話されることはないこと」「感じたことがない肉体の内的なリズム」を観客と一緒に体験したいと考えています。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
チャップリンの孫であり、コンテンポラリーダンスと現代サーカスを融合した作品で知られる演出家、ジェームズ・ティエリとの仕事で、めきめきと実力をつけていったカミーユ。とはいえ、彼はストイックにサーカスに向き合っているばかりではない。ユーモラスでありコミカルに演じられる彼の舞台には、常に笑い声が絶えない。そんな、サーカスにとって必要不可欠なクラウンとしての要素は、ある喜劇役者からの影響が強いという。
「二度と上演しない」と言い切った『ヨブの話』を今上演する理由
カミーユ:バスター・キートン(アメリカの喜劇俳優、映画監督、脚本家。チャーリー・チャップリンやハロルド・ロイドと並び「世界の三大喜劇王」と呼ばれる)の作品には一種の哀しい笑いがあり大好きですね。例えば、『ハード・ラック』(1921年)において、彼は10回くらい自殺しようとしながらも、毎回毎回失敗してしまいます。そんな不器用な人間の弱さを描き出すキートンの演技にはとても感銘を受けています。
あくまでも人間臭く道化を演じながらも、精密に計算された動きを次々と繰り出していくカミーユは、2002年、カンパニー・リメディアを立ち上げ、ヨーロッパの優れたアーティストを奨励する『サーカスの若き才能』コンクールで優勝。それ以降も、多ジャンルを融合した作品を発表し続け、2010年にはフランス有数のフェスティバル『MIMOS』(国際マイムフェスティバル)で最優秀賞を受賞している。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
日本には、2014年の東京芸術劇場『TACT/FESTIVAL』で来日し、彼の代表作としても知られている『リメディア~いま、ここで』は、絶賛を持って迎えられた。たくさんのガラクタが雑然と置かれた舞台上で、アクターたちは次々とそのガラクタたちと戯れていく。
カミーユ:日本の観客は非常に驚き、熱心に見てくれていましたね。特に、僕が感じ取ったのは、精巧に作られた瞬間を味わうという喜びでした。日本文化はとてもディテールを大切にするので、あらゆる繊細な部分が観客に届き、「計算された無秩序」が喜ばれていたんです。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
一見すると、カミーユの舞台は「これがサーカスなのか?」と疑ってしまうほど、伝統的なサーカスとは、似ても似つかない姿に進化している。けれども、そんなカミーユの根っこには、いまだに幼い頃に見た憧れのサーカスの面影が影響している。
今回、東京芸術劇場で上演される『ヨブの話―善き人のいわれなき受難』は、2003年に初演された作品。聖書の「ヨブ記」をモチーフとして作られたこの作品は、初演以降、「二度と上演しない」として、長らく封印されてきたにもかかわらず、なぜ、アーティストは封印を解き、この作品を上演することに決めたのだろうか?
カミーユ:ある眠れない夜に、この作品のイメージが頭のなかに戻ってきて、今やらなければもう絶対にやらないというインスピレーションに突き動かされました。初演から10年以上を経ていますが、基本的には全く同じ作品といっていい内容になっています。
けれども、この作品は言葉で表せないことを厳密な動作によって表現するため、演じることがとても難しいんです。『ヨブの話』を演じる時、僕は古い作品を再演しているのではなく、毎回新たな作品を毎回新たに生み出しています。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
聖書『ヨブ記』をモチーフとしながらも、描かれるのはヨブその人ではなく、その物語もほとんど関係がない。彼は、あくまでもインスピレーションとして、ヨブの物語を召喚しているようだ。
カミーユ:私はヨブの話を物語ることを目指しているわけではありません。これはヨブについての作品ではなく、ヨブからインスピレーションを受けて作られた作品なのです。ヨブは、すべてを持った男であり、尊敬され、王のように慕われていました。愛する家族や忠実な友、大きな富に恵まれていたにも関わらず、すべてを失ってしまったんです。
椅子やテーブルの足のようなものが積まれた舞台をオロオロと歩きまわりながら、ひたすら災難を乗り越え続ける男を哀しくもコミカルに描き出すカミーユ。もちろん、彼にしかできない精巧な技術が随所に詰め込まれているものの、いわゆるサーカスにあるようなアクロバティックな大技はほとんど見られない。
そこにいるのは「ただの人」であり、我々と同じ世界に住んでいるような人間の姿は、どこか目を離してはいられない不思議な魅力に溢れている。具体的には……と、突っ込んで書き連ねたいところだが、カミーユ曰く「可能なかぎり事前情報を知らないで見に来てください。そして驚いてください」ということなので、つまびらかにすることはやめておこう。
カミーユ・ボワテル『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 / PHOTO:OLIVIER CHAMBRIAL
カミーユはこの作品を再演するにあたって、「この作品は私が芸術的に必要としている栄養だと感じた」と語っている。現在、フランスでも有数の重要な現代サーカスアーティストとなったカミーユは、自身のサーカスへの想いを込めた原点を振り返ることによって「人が限界だと思っていることや、常識だと思っていることを覆す瞬間を見せることができる」というサーカスの本質を再び見つめ直しているようだ。
日本においても、2014年に「瀬戸内サーカスファクトリー」が創設され、日本初の現代サーカスの拠点が作られるなど、ようやく現代サーカスが脚光を浴びる下地が整ってきた。『ヨブの話―善き人のいわれなき受難』が日本で上演されることによって、大スケールのカンパニーとは異なった現代サーカスの魅力に、多くの人が目を向けるきっかけとなることだろう。はたして、この未知なるジャンルは、日本においても定着することができるのか? そのための試金石としても、今回の公演が果たす役割は大きい。
- イベント情報
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- 東京芸術祭 2016芸劇オータムセレクション
カミーユ・ボワテル
『ヨブの話―善き人のいわれなき受難 L'hommedeHus』 -
2016年9月30日(金)~10月2日(日) 会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 プレイハウス 構成・演出・振付・出演:カミーユ・ボワテル
- 東京芸術祭 2016芸劇オータムセレクション
- プロフィール
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- カミーユ・ボワテル
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幼少より独学でサーカスのテクニックを習得し、ストリートで活動開始。フランスのサーカス学校の名門、アカデミー・フラテリーニで学ぶ。フランス現代サーカスの旗手、ジェームズ・ティエレのもとでプロとして活動を始め頭角を現す。2002年カンパニー・リメディアを立ち上げ、同年ヨーロッパの優れたアーティストを奨励する第一回『サーカスの若き才能』コンクールで優勝。以降、多ジャンルを融合した作品を発表し、2010年には『リメディア』がフランス有数のフェスティバルMIMOSで最優秀賞を受賞。
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