文化庁による「新進芸術家海外留学制度」、通称「在研」(以前は「芸術家在外研修員制度」と呼ばれていたため)。すでに3200人を超えるアーティストが、この制度を使って海外留学を果たしてきた。この在研が発足して、来年で50周年(!)となる。
美術、舞踊、音楽、演劇……など、さまざまな在研の対象分野がある中で、今回は美術の話。在研で海外留学を果たした美術作家による成果発表展『DOMANI・明日展』は、これまで東京でのみ開催されてきたのだが、その小規模なテーマ展『DOMANI・明日展 PLUS』が、今秋、初めて東京を離れて京都で開かれることとなった。
その出展作家のひとり、京都出身の美術家・宮永愛子と、文化庁の芸術文化調査官として、在研と『DOMANI・明日展』に深く関わる林洋子が今回の展覧会と海外へ出ることの意義について語り合う。
留学して、私は日本に足場がないとダメだと思いました。(宮永)
―まずは、宮永さんが在研で海外に出られた頃の話を聞かせてください。
林:ずいぶん前ですよね。まだ学生の頃に宮永さんはイギリスのエジンバラに行った。
宮永:そうです。大学院の頃でした。新しい世界を見てみたい、海外に行きたいという、すごく単純な理由で在研に応募しました。これはどんな作家でも経験することだと思いますけど、学内で展覧会をやって、次に個展をやってという経験を重ねても、家族や友達が来て、身内に「おめでとう」と言われて毎回終わってしまうんです。このままじゃ次のステージにいけないと思って、新しい世界に出るにはどうしたらいいかをずっと探していました。
林:留学って自分で動かないとできないものだし、そういう飢餓感がきっかけになりますよね。
―どうして宮永さんの在研での行き先はエジンバラだったんでしょう。
宮永:希望していた国は特になくて、とにかく海外に出ることが第一だったんです。それで大学院の先生に相談したところ、私の作品のことも考えて、イギリスを薦めてくれました。私はロンドンみたいな都会を想像していたんですけど、エジンバラは、ちょっと行けば羊の群れがいるような町だったので最初は戸惑いました。
―思ってたのと違うと。
宮永:そうですね。ロンドンのアート業界の人と知り合って作品を見てもらいたい、感想を聞いてみたい、と夢見がちだったんです(笑)。だけど、私がエジンバラに行った年は、『ヴェネツィアビエンナーレ』(1895年から2年に1度開催される国際美術展覧会)、ドイツの『ドクメンタ』(5年に1度開催される現代美術の大型グループ展示)、『ミュンスター彫刻プロジェクト』(10年に1度、夏期に開催されるアートイベント)が重なったスーパーイヤーみたいな年だったので、すべて見に行きましたし、ロンドンの『フリーズ・アートフェア』(アートマガジン『FRIEZE』が主催するイギリス最大規模の現代アートフェア)にも行きました。そうしたら、あまりにも世界がまぶしすぎて。
『suitcase -key-』2013 ナフタリン、樹脂、封蝋、ミクストメディア 写真:木奥恵三 ©MIYANAGA Aiko Courtesy Nissan Art Award and Mizuma Art Gallery
林:実際に足を運んで、現場を目の当たりにしたからこそ知ることができたわけですね。
宮永:そうです。しかも、そこに分厚いガラスの壁があることを知ったんです。まぶしい世界が目の前に見えてはいるけど、どんなに手を伸ばしてもすごく遠かった。それを見て、このまま外国でやっていこうと思う人もいるんでしょうけど、私は日本に足場がないとダメだと思いました。
この体験で、私のことを応援してくれる人に会いたいという気持ちが強くなったし、言語の壁もあったので、私の作品のコンセプトをきっちり伝えてくれる人と一緒に外国に出ないと、何も伝わらない、立ち向かえないなと思ったんです。
林:ロンドンのような大都市にいると、そのきらきらした世界にもっと翻弄されていたんじゃないかな。そこから少し距離のあるエジンバラだったから、俯瞰して見ることができた部分もきっとあります。
宮永:そうだと思います。あと、エジンバラにいながらも日本のことをよく考えていました。今、日本がどうなっているのかをネットですごく調べたり……、やっぱり心もとなかったのかな。それまで、地元の京都から外に出るのも嫌で、大阪でさえ遠いと思っていたくらいなのに、突然、根なし草みたいになってしまったから。
林:留学中、孤独な時間って必ずあるし、大切だと思うんです。私もパリ大学に留学していた頃、留学先に友達がいても、すごく孤独だなって感じる時間がありました。でも、孤独だからこそ、その先の自分の道や、やるべきことを考える時間を持てたと思う。
話に聞くだけでは物足りなくなって、自分でその場を訪ねて、体験したいという欲張りな感じになりました。(宮永)
―林さんは藤田嗣治(戦前からパリで活動した画家。日本生まれだが、戦後フランスに帰化)の研究者ですけど、藤田も留学経験を生かした美術作家ですね。
林:藤田がパリに留学していたのがちょうど100年前なんですけど、彼は家がそこそこお金持ちだったからというのもあって、公的な資金援助を受けずに私費でパリに渡ったんです。日本円も強くなった1980年代以降は、その後の海外での活動を見据えて留学する人も増えましたし、今は官民の支援や交換留学の制度がかなり整っているから、海外が身近に感じられます。でも、日本人の海外渡航が自由化されたのはたかだか50年くらい前の1964年ですし、藤田の留学初期の手紙を読むと、100年前の作家の飢餓感、渇望感はとても強いものだと感じます。
―当時はもう二度とないような貴重な海外渡航の機会だったわけですからね。宮永さんは、エジンバラでの留学から戻られてすぐ、京都芸術センターで展覧会を開かれましたね。
宮永:あれは、まだエジンバラにいた時に、日本に戻ったらすぐに動きだしたいと思っていたら、ちょうど京都芸術センターの公募展が募集されていて。「これだ!」と思ってプランを考えて応募しました。
林:あの展覧会、自分で応募したんですね。
宮永:そうです。留学中は、海によって世界と隔てられていると思っていたけど、よく考えたら海の底にも地面があると気づいて。そう思うと、エジンバラにいる自分の足もとから歩いてどこへでも行けるような気がして、世界がすごく近いものに感じられたんです。だから、海をテーマにした作品を考えて、自分で漁網を編んで、いろんな海から抽出した塩の結晶をつけるというインスタレーションを制作しました。
―それが『公募 京都芸術センター2008』で選出された宮永愛子展『漕法』ですね。
宮永:そうです。でも、漁網を編むというプランを考えたのはいいけど、漁網の編み方なんてわからないし、どうしようと思っていたら、友達が「私のおじいちゃん、五島列島で漁師してる」って言うので、日本に戻った3日後には五島列島へ行って、1週間くらい漁網の編み方を特訓してもらいました。それで「アートで食べられなくなったら、漁網職人になればいい」って言われるほど上手になったんですよ。そういうフレキシブルな動きは、やっぱりエジンバラに滞在していたからできたことだと思います。
『漕法』2008 海水(五島列島にて採取)、錦糸 写真:豊永政史 ©MIYANAGA Aiko Courtesy Nissan Art Award and Mizuma Art Gallery
―京都から大阪でさえ遠いと感じていた人とは思えないですね。
林:宮永さんはその後、五島記念文化賞の助成を受けて、北米から南米まで縦断する旅をしましたよね。そうした旅のやり方って女性作家では珍しいと思うんだけど、エジンバラへの留学経験がその源にありますか?
宮永:そうだと思います。私がすごく大事に考えているのは、世界はいつも揺れ動いていて、変わり続けているからこそ、不安定な均衡を保っているということなんです。実際、地球は丸いけど、いくつかのプレートに分断されていて、プレートが出てくる場所と入っていく場所があって揺れ動いているという話を友人としていて。そのプレートが生まれてくる割れ目がアイスランドにあって、「ギャオ」と呼ばれているんだよと教えてくれたんです。調べてみると、エジンバラからもそう遠くなかったので、そこにも「よし、行ってみよう」となりました。
林:京都からエジンバラに出たことで、世界を近いものに感じるようになったんですね。
宮永:話に聞くだけでは物足りなくなって、自分でその場を訪ねて、体験したいという欲張りな感じになりました。その感じは今も続いていますね。
林:美術だけに限ったことではなく、歴史的にどんな分野でも、成長のために、生まれ育ったのとは違う土地に行くという過程があったと思います。江戸時代の参勤交代の中にもそういう意味があったかもしれないし、17~18世紀のフランスだったら、美術学校に入ってサロンに入選してから、ルネサンスの源であるローマに派遣されるというのが一番のエリートだったわけです。
19世紀のアメリカ人も美術家になるためには、一度ヨーロッパを見ておかなければいけないという潮流がありました。生まれ育った文化圏から出ることで、新しい人間関係を作ったり、視野を広げていけるという認識は万国共通だと言っていいですね。
宮永:そうか。ぜひみんな旅をしてほしいですね(笑)。
鬼頭健吾『Interstellar』 / 『DOMANI・明日展 PLUS』
林:日本人の私たちが「極東」にいるから留学しなきゃいけない、というわけではないんですね。万国共通で、今だと年単位の留学よりも、数か月の滞在でいけるレジデンスを選ぶ作家も増えている気がします。宮永さんはどう感じていますか?
宮永:作品のスタイルにもよるとは思いますけど、アートって、そんなにすぐに成果を出せるものではないですよね。だから、レジデンスのように短い期間で結果を出さなければいけないのは、結構きびしいと思います。本当は成果に至るまでをおおらかに見てもらいたいですね。
林:レジデンスは瞬間芸を求められるようなところがありますね。学生からそんな相談を受けたりすることってありますか?
宮永:うーん、「どうすればギャラリーに所属できますか」と聞いてくる学生はいるけど、留学について聞かれたことはないですね。私が感じるのは、アートに熱心な学生ほど目線の先がすごく近いということ。どうやったら売れるようになるかとか、そういったことには関心があるんだけど、そこにはアートはないんですよ。それこそ旅や、畑を耕すことによる発見だとかのほうが、実はアートの本質に近付くと思います。
在研は作家のための留学制度だけど、その一部をマネジメントやサポート系の人にも使ってもらうことで、日本のアートシーンの海外発信が進んでいくと思う。(林)
林:「どうやったら売れるようになるか」というところにアートの本質はないというのは、すごくいい指摘だと思う。海外旅行が身近になったから「海外のアートフェア巡りをします!」という学生も増えているけど、「その他にどこ行った?」と聞くと、「……」って。そういうのは旅とは言わないし、ちょっと視野が狭いと思う。
宮永:そうですね。もちろん、海外のアートフェアに行くのはいいと思うんだけど、アートのやり方はほんとにいろいろあるはずだから、みんながみんな、セルフマネジメントのことばかりを考えなくてもいいと思う。
林:留学というのは準備期間も含めてとても時間のかかることで、行こうと決心しても実現するのは2年後になるかもしれない。だけど、それが5年後10年後、もっと先の自分のキャリアや人生の中で、すごく大事な経験になるはずですよね。
宮永:そのためのチャンスを自分で作ることが必要だけど、もしかしたらその想像力があまり膨らんでいないのかもしれないですね。
林:そうかもしれない。今の年齢になって改めて思うのは、行きたいときが行けるときじゃないということ。自分の体力や生活もあるし、国際情勢の影響だってとても大きい。来年度の在研の応募が、実は結構少なかったんだけど、テロが続いていることも如実に影響していると思います。だから、人生の中でいつ行けるかという可能性を作家にはもっと考えてほしいし、文化庁や他の民間助成の制度をうまく使って、ぜひ海外に出てほしいなと思います。
―そう考えると、『DOMANI展』の存在がアーティストにもそこまで知られてないのがもったいないですね。
林:そうですね。『DOMANI展』は、在研で海外に出た人の中から、さらに選ばれた作家が出展するわけだから、もっと注目されてもいいと思っています。来年で在研が50周年、『DOMANI展』も20周年を迎えますが、時代も随分変わってきているから、見直すべきときに来ているのです。
今後は、去年から始まった『DOMANI PLUS展』が世代の異なる作家のカップリングの場になったり、地方を巡回したり、あるいは在研で海外に出たキュレーターに展覧会をまかせるようなスキームも考えられるかもしれません。
―作家ではない方が在研を利用される機会も増えているんですね。
林:キュレーターや評論家、最近ではアーカイブのことを勉強に行かれた方や、今の日本にはない職業だけど、ディスプレイコーディネーターという、海外ではすでに確立した分野を学びに行った方もいます。そういうところまで在研で拾っていくことで、作家がもっと楽になるんじゃないかと私は思うんです。作家のために作られた留学制度ですが、その一部をマネジメントやサポート系の人にも使ってもらうことで、日本のアートシーンの海外発信がもっと進んでいくはずです。そういう意味でも、私たちは作家の応援団でありたいです。
―最後に、秋からの展示について教えてください。在研とDOMANIとして、初めて東京を飛び出して『ワームホール・トラベル ゆらぐ時空の旅 DOMANI・明日展 PLUS × 京都芸術センター』が、開催されます。宮永愛子さん、小金沢健人さん、鬼頭健吾さん、長坂有希さんという出展作家ももちろん在研で海外に出られた方です。
林:京都での開催が決まった時点で、宮永さんのことは頭にありました。鬼頭さんは、現在は群馬が拠点ですが、ニューヨークにいたこともあるし、在研でベルリンにも行って、ずっと旅しているような作家です。小金沢さんはベルリンに出て、そのまま定住している作家。長坂さんは、アメリカ、イギリス、ドイツと生活拠点を変えながら制作を続けていて、それぞれにいろんな経験があると思うので、四人が集まるトークイベントも楽しみにしてください。
小金沢健人『Graffiti of Velocity』 / 『DOMANI・明日展 PLUS』
長坂有希『手で掴み、形作ったものは、その途中で崩れ始めた。最期に痕跡は残るのだろうか。00_景色、01_アンガス』 / 『DOMANI・明日展 PLUS』
宮永:すごくいい話ができそう。私も、実はいろんな状況を経験してるから。
林:そうそう、海外経験ってみんなスマートにやってきたわけじゃない。鬼頭さんも在研に何度か落ちたらしいので、トークイベントではその話を絶対してくださいと言っています。
宮永:私も通りたくて、何度も出したけどダメだった公募があります。
林:そうですよね。今はかつてみたいに芸大入試の競争率も高くないけど、宮永さんから上の世代だったら、美大に入るためにも留学するためにも、何回もトライ&エラーをするというハードルが常にありました。
―展覧会としては、「旅」がテーマとして設定されていますね。
林:はい。『DOMANI PLUS展』はテーマに沿って、展覧会を構成できる規模なので、みなさんに「ワームホール・トラベル」というテーマを投げています。宮永さんのインスタレーション作品『手紙』も、関西ではまだ展示されていなかったのでちょうどいい機会になりそうです。
宮永愛子『手紙』 2013 ナフタリン、樹脂、封蝋、トランク、ミクストメディア 写真:木奥恵三 ©MIYANAGA Aiko Courtesy Nissan Art Award and Mizuma Art Gallery
宮永:私は京都での展覧会が、2008年の京都芸術センターの公募展以来になります。偶然ですけど、また京都芸術センターに戻ってきました。
林:旅に出て戻ってくるところまで考えていたわけじゃないけど、最後は、「若人よ、旅に出よう」ってことになればいいかなと思ってます。
宮永:すごくよくできてますね(笑)。
- イベント情報
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- 『DOMANI・明日展 PLUS×京都芸術センター ―文化庁新進芸術家海外研修制度の成果「ワームホール・トラベル―ゆらぐ時空の旅―」』
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2016年9月17日(土)~10月16日(日)
会場:京都府 京都芸術センター ギャラリー北、南
時間:10:00~20:00(10月1日は22:00まで)
出展作家:
宮永愛子
小金沢健人
鬼頭健吾
長坂有希
料金:無料
- プロフィール
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- 林洋子 (はやし ようこ)
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文化庁・芸術文化調査官。1965年京都生まれ。東京大学・同大学院修士課程修了。博士(パリ第一大学)。東京都現代美術館学芸員、京都造形芸術大学教員を経て、2015年より現職。専門は近現代美術史、美術評論だが、現在は文化庁が行う現代美術・作家支援の企画立案と実践に邁進する。おもな著作に、『藤田嗣治 作品をひらく』(名古屋大学出版会、2008、サントリー学芸賞受賞)、『藤田嗣治画集』(全三巻、小学館、2014)。
- 宮永愛子 (みやなが あいこ)
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1974年京都市生まれ。1999年京都造形芸術大学芸術学部美術科彫刻コース卒業後、2008年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修士課程修了。2007年文化庁新進芸術家海外研修制度によりエジンバラに滞在。ナフタリンや塩、陶器の貫入音や葉脈を使ったインスタレーションなど、気配の痕跡を用いて時を視覚化する作品で注目を集める。2013年「日産アートアワード」初代グランプリ受賞。主な展覧会に「日産アートアワード 2013」(BankART Studio NYK、神奈川、2013年)、「house」(ミヅマアートギャラリー、東京、2013年)、「宮永愛子:なかそら―空中空―」(国立国際美術館、大阪、2012年)、「景色のはじまり―金木犀―」(ミヅマアートギャラリー、東京、2011年)、「あいちトリエンナーレ」(愛知芸術文化センター、2010年)、「漕法」(京都芸術センター、2008年)など。
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