現役大学生の23歳。現在、Yogee New Wavesのサポートキーボーディストも務めているニカホヨシオが、デビューシングルをリリースする。本作に収録予定の3曲を聴かせてもらったのだが、これが随所に非凡な才能を感じさせる、じつに興味深い内容になっている。
打ち込みのビート、ドラム、パーカッション以外は自らで演奏し、オルガンやローズピアノ、エレクトリックギターを、ささやかに律動するリズムセクションの上で陽炎のように浮遊させる。儚いメロウネスをたたえた歌は、現実と夢想がフラットになった空間で、あらゆる感情が融解した人間の営みが静謐に編まれるような世界が描かれている。その音像は、どこか坂本慎太郎やD.A.N.にも通じる同時代性も見い出せるといっていいだろう。
ソロアーティスト、ニカホヨシオの第一声として、その音楽的なルーツやフィロソフィーをじっくり語ってもらった。
曲を書いてるときに「自分、頭おかしいのかな?」って思うことはあるんですよ。
―昨年、Yogee New Waves(以下Yogee)の『SUNSET TOWN e.p.』のリリースタイミングでメンバーと話していたときに、「“Sunset Town”のピアノは誰が弾いてるの?」という話になって。僕はそこで初めてニカホさんのことを知ったんですね。そのときに角舘くん(健悟 / Yogee New Wavesのギターボーカル)がニカホさんについて、「彼はエスパーで、サイコパス診断でもヤバい結果を出したりもする繊細なピアニストなんです」と言っていて。なんだかよくわからないけど、とにかく稀有な存在なんだなということだけは伝わってきて(笑)。
ニカホ:サイコパス診断は、そのときホットな話題だったんですよね(笑)。まあ、でも健悟の言葉はわりと的を得ているというか。もちろん、ホントに自分のことをサイコパスだとは思ってないですけど、曲を書いてるときに「自分、頭おかしいのかな?」って思うことはあるんですよ。
―それはどういう面において?
ニカホ:結局これしかできないんだな、というか。ミュージシャンにもいろんなタイプの人がいるじゃないですか。作詞も作曲もアレンジも演奏も、なんでも器用にこなせるタイプもいれば、純粋にプレイヤーとしての仕事しかしない人もいて。自分が聴いてきた音楽は、ブルースやソウル、UKサイケばかりだから、いろんな引き出しを持った器用なミュージシャンではなくて、偏ったことしかできないタイプなんですよね。
だから、たとえば健悟にもルーツはしっかりあると思うんですけど、彼は今のインディーシーン全体を見渡せる人だと思っていて。でも僕は、仮にもYogeeのサポートキーボーディストであるにもかかわらず、インディーシーンを見渡すセンスみたいなものが全然ないんですよ(苦笑)。
―いや、でも、このデビューシングルのデモを聴くと、現行のインディーシーンとの同時代性をたしかに感じることができますけどね。たとえば、坂本慎太郎の諸作やD.A.N.との音楽性とのリンクであったり。
ニカホ:レーベル代表の近越さんが声をかけてくれたときも、ルーツに根ざした部分が見えるところをすごく気に入ってくれたんですけど、それをちゃんと同時代に落とし込めていると言ってくれて。それでホッとしたところがありました。
―ということは、自分が創造する音楽に同時代性があるとは自覚していなかったと。
ニカホ:全然なかったです。
―では、なぜ他者がニカホさんの音楽を聴いたときに同時代性を見い出せられるのだと思いますか?
ニカホ:おそらくその理由のひとつは、制作スタイルが宅録だからなのかなと思います。ビートからベースのアレンジからウワモノから歌から、全部ひとりで作る作業のあり方自体が、同時代的なムードとリンクする作用をもたらしているのかなって。僕がリスナーとして聴いてきた音楽は、家で簡単にレコーディングできないものばかりだったけど、僕が作る音楽は宅録でできている。その違いはすごく大きいと思います。
だから、さっき名前が挙がったD.A.N.は、僕と音楽的なツールが全然違うと思うんですけど、唯一共通しているところがあるとするなら、曲が発している「宅録感」だと思うんですよね。彼らに話を聞くと、D.A.N.の制作スタイルは、まず大悟くん(櫻木 / D.A.N.のボーカル)の部屋に集まって、彼の家にある機材で宅録的にデモを作っているということだったので。あと、坂本さんの音楽性も好きです。坂本さんも僕とルーツが同じではないと思うんですけど、ミニマムな制作環境で作品を作られているようですし。
僕は日本の音楽は全然通っていないので。本当にブルースばかり聴いて育ってきたんです。
―Yogeeのサポートキーボーディストになった経緯は?
ニカホ:Yogeeのサポートギターをやっている吉田巧が、高校時代の同級生でずっと仲がよくて。彼もけっこう偏った音楽的嗜好の持ち主なんですね。THE BEATLESからOasisといったブリットポップを経て、マッドチェスタームーブメント周辺とかをよく聴いていて。
―UK音楽育ちなんですね。
ニカホ:そう。一方で、僕からの影響もあると思うんですけど、ブルースも大好きで、よくセッションをしてました。逆に、僕がサイケを聴くようになったのは、高校時代に巧にThe Doorsを薦められてからなんです。もともとTHE BEATLESの『Rubber Soul』(1965年)や『Revolver』(1966年)といったサイケ期のムードは好きだったんですけど、自分が作る音楽の重要な要素になっているのは、巧との関係性が大きいと思います。巧とはずっと深い関係性があって、巧を通じて健悟が鍵盤を弾ける人を探しているということで紹介された感じです。
―それまでYogeeのメンバーとは面識はなかった?
ニカホ:なかったです。チェックはしていたんですけど。
―“Sunset Town”のアレンジ作業をしながら、彼らの音楽性にどのような印象を持ちましたか?
ニカホ:ルーツが僕とは全然違うなということを最初に思いました。共通しているところもあるんですけど。ファンクやヒップホップをはじめブラックミュージック由来のビートに対する興味の共有はできるなと思ったし、あとはフィッシュマンズに対する思い入れもある程度共有できていると思ってます。
一方で、健悟は日本のポップソングもルーツにあるじゃないですか。僕は日本の音楽は全然通っていないので。本当にブルースばかり聴いて育ってきたんです。日本においてどちらが一般的な音楽の聴き方をしてきたかといえば、もちろん健悟のほうなんですけど(笑)。
高校生の頃は、現代音楽とパフォーマンスの中間に位置するようなことをやってました。
―今、大学で音楽サークルなどには入ってないんですか?
ニカホ:音楽サークルとかには、見向きもしませんでしたね。大学に入りたての頃は音楽活動をしていなくて。高校生の頃はやっていたんですけど。
―高校卒業後は、ひとりで黙々とギターや鍵盤を弾くみたいな?
ニカホ:言ってしまえばそういう感じですね。ローズピアノを買って遊んだり、気晴らしにセッションしたり、シュルレアリスムが好きなので勉強したり。精力的に音楽活動しようというモチベーションが湧く時期ではなかったというか。
―その要因は自覚しているんですか?
ニカホ:シンプルに音楽に対するバイオリズムみたいなものが下がっていたんでしょうね。
―ちなみに高校生の頃はどういった音楽活動を?
ニカホ:バンドもやっていましたし、なんて表現したらいいかわからないんですけど、現代音楽とパフォーマンスの中間に位置するようなことをやっていました。
―もう少し詳しく教えてもらえますか?
ニカホ:高校生の頃、現代音楽に興味がある一方で、現代詩も好きで。僕は何かひとつのことをやり続けられるタイプの人間ではないので、どちらかに寄った表現をすることに現実味がなくて。そのときの自分の力量の範囲でかたちになるパフォーマンスのあり方を模索したら、現代音楽と現代詩が融合したような表現になったんです。
―高校生でそういう表現やパフォーマンスをする人はなかなかいないですよね?
ニカホ:でも、僕が通っていた高校がちょっと変わった学校で。横浜にある公立の高校なんですけど、芸術作品の発表の場があったんです。卒業後に音楽系や美術系に進む人も多くて。高校の同級生には巧のほかに今、現代音楽家として駆け出しの友人もいます。小宮知久という人なんですけど。
―今は現代音楽のフィールドで表現したいと思わないんですか?
ニカホ:そっちはもういいやと思ってます。小宮が優れた才能を持っているので、僕は彼の活動を見守っていたいという気持ちがあって。彼、今年のTokyo Wonder Siteの公募プログラム(『OPEN SITE』)に入選したんですよ。
―ニカホさんにとって小宮さんは同志のような存在なんですね。
ニカホ:そうですね。まったく同じことを考えているわけではないですけど、ある程度近いところで物事を考えているとはずっと思っていて。僕も小宮がやろうとしていることは理解できるので、公募に提出する企画書を作成するにあたって、彼のやりたいことを言語化するために協力して。彼は間違いなく才能のある人ですね。
近所にブルースマンが住んでいて。物心がつくかつかないかくらいの頃からよく遊んでもらってました。
―話は前後しますが、ルーツであるブルースへの入口は親御さんの影響だったりするんですか?
ニカホ:もともと父親がブルース好きだったというのもあるんですけど、近所にハイタイド・ハリスというブルースマンが住んでいて。彼はアルバート・キング(1923年、アメリカ出身。ブルースギタリストの「3大キング」と呼ばれるうちのひとり)の来日公演で、ギタリストとして参加していた人なんですけど。
―へえ!
ニカホ:来日を機にそのまま日本に住み着いちゃって、僕の家の近所に住んでいたという(笑)。
―彼と交流があったのは幼少期?
ニカホ:物心がつくかつかないかくらいの頃からよく遊んでもらって、ギターを弾いてもらったり。それで4、5歳くらいの頃から、寝る前にロバート・ジョンソンを聴くようになりました。
―子守唄がロバート・ジョンソンみたいな? 濃い音楽環境ですね。
ニカホ:そうですね。それで小学生高学年から中学生になる頃にかけてギターを弾き始めようかなと思ったときに、やっぱりブルースだなと思ったんですよね。
―でも、やっぱり日本だと小中学生では周りの同級生となかなかブルースは共有できないですよね。
ニカホ:できなかったですね。でも不思議なことに、ブルースを共有できないことに対して苦しさみたいなものを感じたことは今までなくて。僕は誰に対しても、何に対してもそうなんです。小さい頃から、友人が僕が全然好きじゃないものを好きだとしても、「そういうものなんだろうな」と思ってるというか。高校生くらいなると、ブルースが弾けないギタリストはギタリストじゃないと思うことは度々ありましたけど(笑)。
―ピアノは小さい頃から弾いていたんですか?
ニカホ:6、7歳の頃から弾いてましたね。だから、クラシックの素養も多少はあるんですけど、ブルースピアノを弾いたりもしていて。
―現代音楽のスタイルを経て、今のスタイルで曲作りを始めたのはいつ頃からですか?
ニカホ:いわゆるポップソングというか、形式的にはバンドサウンドのような曲を作り始めたのは、ホントにけっこう最近のことなんです。きっかけはシンプルで。オーディオインターフェイス(パソコンに音を出入力するための機材)を買ったという(笑)。
―そのタイミングで音楽制作に対する熱量がまた上がっていったと。
ニカホ:そうなんです。そこから宅録のやり方をイチから模索し始めました。
―曲がかたちになったらどこかで発表できたらいいなという感じで?
ニカホ:いや、何も考えてなかったですね(笑)。ひっそりSoundCloudに曲をアップしていたくらいで。それを近越さんが見つけてくれて「聴いてくれた人がいたんだ」みたいな感覚でした。
小さい頃からわりと、現実味のない世界に生きている感覚がある。
―もちろん自分の曲をリスナーに聴いてもらいたいという欲求はあるわけでしょう?
ニカホ:もちろんあります。いろんな人に聴いてもらえるのはとても幸せなことだと思います。ただ、それ以前に、僕はドキュメントがすごく好きなんですね。もし作品をリリースすることができたら、いつの日かそれが中古のレコード屋に並んで、「2016年にこんなに頭のおかしい人がいたんだな」って思ってもらえるかもしれない。そのことにワクワクするというか。小さい頃からわりと、現実味のない世界に生きている感覚があって。「現実って何ですか?」みたいな。
―それこそ、シュルレアリスムに惹かれるポイントもそこにあるのでしょうか?
ニカホ:まさにそうですね。あとはおそらく東日本大震災の体験やスマートフォンの発達なども無関係じゃないと思うし。画面の中で世界を認識するような世界のあり方では、すでに現実もコード化されていて。そういうふうに感じている人にとって、ドキュメントの存在感ってすごく大きいと思うんです。
僕がまだ生まれる前の時代に撮られた古い街の写真に、ものすごくリアリティーを感じたりする。縁もゆかりもない街なのに、ある種の郷愁を覚えたり。ドキュメントを通して世界を認識するような感覚があるんです。
―ニカホさんがブルースやブラックミュージックに通底している生々しい人間力や肉体性に惹かれる理由もそこにあるのでしょうか?
ニカホ:ブルースって、一方では肉体的なんですけど、もう一方ではブルースを表現する経験として、レコードやラジオから流れてくる曲に合わせてギターを弾いて上達するみたいなこともあって。そういうあり方を僕はすごく重視しているんです。友人とセッションするのも好きなんですけど、その場にいないミュージシャンとセッションするような感覚も大事にしたいと思っています。
月のない世界や亡霊について歌うことは僕にとってすごくリアルなことなんです。
―デビューシングルに収録予定の“SUR LA TERRE SANS LA LUNE”“亡霊たちの楽園”“So Many Roads”の3曲はどのように生まれていったんですか? 工程はそれぞれなのかなと思うのですが。
ニカホ:工程は3曲バラバラですね。“SUR LA TERRE SANS LA LUNE”は「月のない地上」という意味で、曲と歌詞のモチーフは別々にできていました。曲は風邪で寝込んでいるときにストリングスのフレーズがずっと頭の中で鳴っていて、とにかくそれをかたちに残さなきゃと思って。そこからビートを加えてアレンジを構築していった感じですね。その過程のなかでメロディーも自然とできていきました。
―他の2曲は?
ニカホ:“So Many Roads”は悪ノリから始まった曲です。巧と「ダサいタイトルの曲を作ろうぜ」って曲を作り始めたて、せっかくなのでオーティス・レディングみたいなソウルにしようと思ったんですけど、うまくいかなくて。ハチロク(8分の6拍子)から16ビートになり、ファルセットでメロディーを歌っていたら、だんだんいい感じになってきて……結局タイトルも変えて、気づいたら真面目に作ってました(笑)。
一方で、“亡霊たちの楽園”はちゃんと作ろうと思って作った曲ですね。サイケデリックな音像を全面に押し出して、歌詞は最初からわりとこの世のものじゃない世界を描こうというイメージのもとに制作しました。
―打ち込みのビート以外のすべての楽器をニカホさんが弾いてるんですよね?
ニカホ:基本、そうです。“亡霊たちの楽園”では、ドラムは大井一彌(yahyelのライブサポートを務める)、パーカッションは巧に協力してもらいました。
―歌詞の内容も、サイケデリックに揺らぐ音像やメロウな旋律も含めて、現実と夢想がフラットになっている世界があって、あらゆる感情が融け合っているような音楽が浮かび上がっているなと。それは先ほどの現実味についての話に直結するニュアンスだと思うんですけど。
ニカホ:その通りだと思います。ホントに、僕にとっては現実味のないということがひとつの現実なので。だから、月のない世界や亡霊について歌うことは僕にとってすごくリアルなことなんです。現実と夢想がフラットになっているってそういうことなんだろうなって。
―この音源をライブでどう表現するのだろうと期待も覚えるんですけど……そもそもライブをやるつもりはありますか?(笑)
ニカホ:はい、ライブはやります。サポートミュージシャンは入れるけど、なるべく音源の音像を再現するかたちで、ロックバンドに寄せない宅録のムードをライブでも出せたらと思ってます。
―大学卒業後の音楽人生のビジョンはありますか?
ニカホ:ひとまずは就活をしなかったので、来年はソロ作品の制作やライブもやりつつ、Yogeeのサポートもしつつ、友人たちと面白いこともしつつみたいな感じでやれたらと思ってます。でも、2年後のことを聞かれたらわからないですね(笑)。
- リリース情報
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- ニカホヨシオ
『SUR LA TERRE SANS LA LUNE』(CD) -
2016年11月2日(水)発売
価格:1,620円(税込)
SSRCD-0011. SUR LA TERRE SANS LA LUNE
2. 亡霊たちの楽園
3. So Many Roads
4. SUR LA TERRE SANS LA LUNE(Nakayaan Remix)
- ニカホヨシオ
-
- ニカホヨシオ
『SUR LA TERRE SANS LA LUNE』(アナログ7インチ) -
2016年11月2日(水)発売
価格:1,620円(税込)
SSREP-0011. SUR LA TERRE SANS LA LUNE
2. 亡霊たちの楽園
- ニカホヨシオ
- イベント情報
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- 『発売記念ライブ』
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2016年11月3日(木・祝)
会場:東京都 渋谷 7th floor
出演:
Nikaho Yoshio & the SanRaTans
Alfred Beach Sandal(アコースティックセット)
and more
料金:前売2,000円 当日2,500円(共にドリンク別)
- プロフィール
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- ニカホヨシオ
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サイケとブルース、シュルレアリスムを愛する23歳の鍵盤奏者。現在、Yogee New Wavesでサポートキーボーディストとしても活躍する傍ら、昨年より自身のソロ名義での楽曲制作を開始。ほぼ全ての楽器を自ら演奏する。ミキシングエンジニアに元・森は生きているの岡田拓郎を迎え、アートワークを国内外で高く評価されているコラージュアーティストQ-TAが手がけ、ボーナストラックとしてミツメのメンバーNakayaanによるリミックスも収録したデビューシングルを11月2日にリリース予定。また、11月3日には、Alfred Beach Sandalを招いた本作の発売イベントも決定している。
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