ネットには、感情に訴えかける言説があふれている。その理由は明らかだ。そのほうがわかりやすく、共感されやすいからである。SNSの普及がその傾向に拍車をかけた。多くの人は感情を共有することを軸に周囲とつながり、話題を消費している。
その一方で、ネットでは絶えず「炎上」が繰り返される。一つの発言や行動をきっかけに、多数の人が集まり批判や攻撃が行われる。さまざまな騒動が巻き起こり、しばらく経つと過去に追いやられていく。そういう光景が日常になって久しい。この状況は何を象徴しているのか? 果たして我々は、知らず知らずのうちに何に動かされているのか?
政治社会学者の堀内進之介は、ここ最近、労働、消費、政治など日常生活のさまざまな場面において、理性よりも感情に訴える主張が注目を集めるようになったと言う。人々はそれぞれが自分の意見だと信じる感情に沿って動き、実際には搾取されることすら起こっていると指摘する。巧妙に人々を動員するその仕組みを、著書『感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか』で論考している。果たして我々は今どういう社会を生きているのか。その考察を語ってもらった。
理性的なメッセージでは人々は動かないんです。理性じゃなくて、共感のような感情に訴えるメッセージが人々を動かす大きな力になっている。
―まず、なぜ「感情に理性が負け続ける」というテーマで一冊の本を書こうと思ったのでしょうか?
堀内:今の時代、理詰めで説明をしても、なかなか上手くいかないんですよ。人々にとっての動機づけにならない。そういうことが至るところで起きているんです。たとえば政治の分野では、どうやっても選挙の投票率が上がらない。投票率が低下するとどういうネガティブなことがあるかについては、学者もジャーナリストもさんざん説明しているんです。しかし、関心は上がらない。
大学生にしても「今こういうステップを踏まないと将来大変なことになるよ」というようなアドバイスをさんざん言っても、そもそも就職活動をしない人もたくさんいる。そういうことって、以前はそもそも説明が伝わっていない、もしくは説明が理解されないと思われていた。ちゃんと伝えればわかると思われていたんです。
―メリットとデメリットを説明すれば、メリットのある方を選ぶ、と。
堀内:そう。でもそれは違っていた。実際、説明は伝わっているし、みんなわかっているんです。でもやらない。
―なぜでしょう?
堀内:それでは動機にならないんです。社会科学全般では「啓蒙」という言葉を使うんですけれど、啓蒙、つまり説明してわかってもらうだけではダメなんです。人々を動かすのは理性的なメッセージじゃないということなんですね。そこで感情というものに注目が集まっている。理性じゃなくて、直感的にわかる、共感する。そういう感情に訴えるメッセージが人々を動かす大きな力になっている。
―本のなかでも書かれていますが、広告やマーケティングの分野では、特に感情に訴えかけることが巧みに行われていますね。
『感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか』表紙(Amazonで見る)
堀内:今はそういうことばかりですね。「心を動かす」とか「心に刺さる」とか、感情を動員するということが、一つの解法になってしまっている。その機能がどれだけ優れているのかを説明してわかってもらうのではなく、「みんなが『いいよ』と言っている」とか、共感に訴えかけるようになっている。しかしこれは危ない傾向でもあるんです。
そもそも感情的な判断はバイアスの塊。
―どう危ないのでしょうか。
堀内:感情的に「いい」と思って判断するということは、「よく吟味しない」ということでもある。自分が好きだと思うものに共感する、コミットするというのは、そう強く思えば思うほど、反省的になって考えることがだんだんできなくなる。それによって起こっている問題はたくさんあると思いますね。
―この本では労働や政治についても語られています。そういった分野で感情によって人々を動員することの功罪はどういうところにありますか。
堀内:労働の分野においては「やりがい搾取」と言われることがありますね。若い人たちはお給料だけでなく、楽しかったり達成感があったり、仕事にポジティブになれることを求めている。でも同時に、そのことをずいぶん昔から資本家は知っている。その感情を用いて、どうやって安い給料で働かせるかを考えている。だから、なかには燃え尽きちゃう人もいる。楽しいかもしれないし、達成感があるかもしれないけれど、それと何が引き換えになっているかを吟味する必要がある。
政治の分野では、今の時代、アメリカなどいろんな国が右傾化していますよね。深くつながっている人たち、共感しあっている以外の人たちに対してとても冷たい態度をとる。それがヘイトクライムにつながっていたりする。
―右傾化や排外的な傾向は世界的に起こっています。そこにも理性と感情の相剋が作用している。
堀内:僕はそう思っていますね。もともと、どの先進国もリベラルな方向性を持っていると思います。リベラルというのは本来、反省的で、きちんと吟味する体質を持ち、差異に開かれているということだった。でも、今の時代は、共感することの方がすごく大事になっている。
たとえば犯罪被害についてもそうです。被害者の気持ちに寄り添う人が多いから「もっと厳罰にすべきじゃないか」という議論が生まれる。そもそもは両方に人権があるはずなんだけれど、被害者感情の方が優先されやすい。それは、私たちは被害者には共感しやすいけれど加害者には共感しにくいからなんですね。
―感情というものが、それぞれの人の判断にバイアスをかけているわけですね。
堀内:そもそも感情的な判断はバイアスの塊ですからね。理性的に判断しなきゃいけない場面でも、それが上手く機能しなくなっている。
「こういう話題に共感できる自分が格好いい」というようなメッセージ性を持った情報は拡散されやすい。でも、感情だけで話題が広がるのは怖いことだと思う。
―これは日本だけで起こっていることだと思いますか? それとも世界的に共通していることだと思いますか?
堀内:世界的な傾向だと思います。それは、みんなゆっくり考えるのが面倒くさくなってきているからなんじゃないかと思うんですね。一つひとつの判断について、しっかり吟味しなきゃいけないことはわかっているけれど、余裕がない。
本でも記事でも、じっくり読めばわかるということを求めなくなっている。タイトルを読めばわかるようなものばかりが持てはやされるようになっている。キャッチフレーズが短くなればなるほど、内容も充分じゃなくなる。そういう負の連鎖が、いろんな場所で起きているのではないかと思います。
―特にネットメディアはそれがわかりやすく起こっている場所かもしれません。「タイトルや見出しをどうキャッチーにするか」というのは、いわば「人々の感情をどう釣るか」という技術でもあると思います。
堀内:まさに「キャッチーにする」という言葉は象徴的ですね。理性的なメッセージを伝えるというよりも、いかに「ほう!」と思わせるか。いかにわかりやすく、その人の共感を得るか。そのためのいろんな工夫がたくさん成されている。
―たとえばFacebookなどのSNSでは、共感しやすい話題のほうが拡散されやすいということもありますね。
堀内:その側面もあると思います。「こういう話題に共感できる自分が格好いい」とか「みんなも共感可能だろう」とか、そういうメッセージ性を持った情報のほうが拡散されやすい。つまり、共感が一つの自己プレゼンテーションの手段になっている。「他人によく思われたい」という欲求自体は昔から変わらないけれど、それを上手くブーストさせるように情報空間ができているし、そういう燃料が投下されるような工夫で情報を拡散させようという作り手側の意図が存在している。
―キャッチーな言葉が感情に作用して話題が広がっていくわけですね。
堀内:でも、そうやって感情だけで話題が広がっていくのはなかなか怖いことだと思います。数文字の言葉で、人々に充分に考えようとさせないまま「これは問題だ」とか「これは素晴らしい」と思わせるようなことが増えている。そういう言葉が政治のスローガンとして使われたりもしている。
今の時代は情報過多なんです。選ぶ指針も増えている。そうすると人々は選択できなくなる。
―なぜここまで人々がキャッチーなものに惹かれはじめているのでしょうか。
堀内:昔よりたくさんの情報に触れるようになったからでしょうね。技術の発展によって、人々が発信したり受信したりする情報の量は、ここ10数年で飛躍的に増えている。でも、それを受ける側の人間はそれに対応できるほど進歩していない。というのは、人間の意志の力の総量が変わらないからだと思います。
―意志の力の総量というと?
堀内:たとえば私の意志の力が10あるとすると、かつては1や2の情報を処理するのにそれを割り当てればよかった。それが今は10も20も届いて、やれることが増えていく。そうすると一つひとつに割ける余力が減ってくる。みんな疲れて面倒くさくなってくるわけです。そうすると、いかに効率よく手間を省いて情報を処理しようと考えるようになる。
―割り込みが生じる、というのも大きいかもしれませんね。たとえばスマートフォンでこのインタビューを読んでいる人は実感する人が多いと思いますが、長い文章を読んでいる途中でも、たびたび画面に別のアプリケーションからの通知が来る。集中力が途切れるような仕組みになっている。これって、人々の情報の受け取り方をかなり変えていると思うんです。
堀内:そうだと思いますね。そういうときに、じっくり考えずに手っ取り早く何かをわかった気になれるというのは、この情報社会のなかに晒されている個人としては合理的な行動かもしれないと思います。でも、それが逆手にとられているわけでもあるわけです。
―処理しなければいけない情報の量が増えた分、じっくり一つのことを考えられなくなっている。
堀内:今の時代は情報過多なんです。選ぶ指針も増えている。そうすると人々は選択できなくなる。たとえば昔、『買ってはいけない』(1999年刊行。出版『金曜日』)という本が売れたことがありましたが、その後に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(1999年刊行。出版『夏目書房』)という本が出ました。
それと同じことが、あらゆる分野で広がっているんです。参考にしなければいけない情報が山ほどある。たとえば何が身体にいいとか、発がん性があるとか、逆にその情報には科学的な根拠がないとか、そういう情報が山ほどあふれている。いくら情報をかき集めても、何が正しいのかわからなくなっている。
―ただ、こういう話では「情報が過剰である現在の社会を生きるためには、みんなが冷静にいろいろ考えるのが大事です」というような結論になることが多いと思うんですが、この本では別ですね。自分の情報環境を整理して、感情に釣られないように工夫する手段を考える。そういうことが書かれています。
堀内:まさにそれを主題にしたいと思いました。もう、この社会的な状況は変えられない。やることはたくさんあるし、日常的に考えないといけないことも山のようにある。そういうときに「よく考えたほうがいい」というメッセージは何の解決にもなってないんです。人々にそこまでの余裕がなくなっているわけだから。
日常の些細な事柄は、なるべく意志の力を使わずに判断できるようにする。感情に流されないように、自分で環境を整えることが必要なんです。
―「もっとよく考えなさい」というメッセージは、いわばお説教のようなものになってしまう。
堀内:人間の理性や意志をあてにして「もっと冷静になりなさい」というメッセージを出してもしょうがない。だったら、ライフハック的な方法を使ったほうがいいと思うんです。たとえばデビッド・アレンという人が『ゲッティング・シングス・ダン』(2001年)という整理術の本を書いています。そこにあるのは、やらなきゃいけないことを全部覚えるわけにはいかないし、意志の力だけで自分をコントロールするのは無理だ、ということ。だったらそれを外部化することによって個人の負担を減らす。そうすると余力が生まれるかもしれない、ということです。
なんとなく生活していると、日常の些細な事柄も、人生の大問題も、みんな横並びになってしまう。そうすると、本当に重要なことを考えられなくなる。だったら逆の発想で、日常の些細な事柄は、なるべく意志の力を使わずに判断できるようにする。感情に流されないように、自分で環境を整えることが必要だということなんですね。
―本のなかでも「NUDGE」という行動経済学の言葉が紹介されています。人間が感情に流されやすい生き物であることを踏まえたうえで、それを上手くコントロールする仕組みを作る。これは一つのライフハックとして捉えることができる。
堀内:実際、僕らも細かくやっていると思うんだけれど、もっと体系的に考えていいと思うんです。たとえば、忘れ物をしないために、明日持っていく書類を玄関に置いておくのも、その一つになる。人間は「何かをしなきゃいけない」と考えているだけで、意志の余力がなくなっていくものなんです。その負担を免除しようということですね。
―情報の過剰さに対して、より実践的、ライフハック的なアプローチで対処することが大切である、ということですね。
堀内:まさにそういうことだと思います。たとえば、今でもメールを自動で振り分けてくれるようなシステムがたくさんある。自分にとって重要なことにだけ意志の力を割けるようにする工夫は、いくらでもあると思います。ただ、もう一つこの本を通して言いたいのは、みんな面倒くさいので「なんでもかんでも解決法を教えてもらいたがっている」ということなんですね。それが問題だと思います。
今の時代においての「わかりやすい」というのは、「意味がとりやすい」ということではなく「考える手間が省かれている」という意味になっている。
―解決法を教えてもらいたがっている。
堀内:この本の評価を見て回ると、気に入らない人のコメントの多くは「解決法がどこにも書いていない」と言うわけです。そういう人は「なぜ理性は負け続けるのか」という副題に対して、もっと具体的な解決策が書いてあってほしいわけです。要するに「こうしろ」という命令が欲しい。僕はそれが間違っていると思うんですね。
みんなが「こうしろ」と言って欲しい、それを言う人を躊躇なく支持するというのは、つまりナチスが台頭したときと同じ状況です。今のトランプ旋風も同じです。簡単に共感できるメッセージに従う人がたくさんいるんじゃないかと思う。まさにそれがいけない、という主旨なんです。本のなかに解決策を探すというのは、誰かの命令に従うということですから。そうではなくて、自分自身の解決策を自分で見つけられるようにするハックの仕方を考えるべきじゃないかというのが、一番言いたいことの一つなんです。
―情報と選択肢の多さに対して、今の社会においては「人々が考える手間を減らす」というソリューションがなされている。それが結果として、理性の作用する領域を減らしている。
堀内:そんな気がしますね。「わかりやすさ」が重視される、というのはそういうことです。今の時代においての「わかりやすい」というのは、「意味がとりやすい」ということではなく「考える手間が省かれている」という意味になっている。
でも何でもかんでも手間を減らせばいいわけではない。意志の負担を免除しようというのは、心地よさや気持ちよさにもつながるわけでもある。だから、感情に釣られて、理性的に判断するのをやめてしまう。それがまずいということすら自覚できないようにもなっている。それは大変な問題ではないかと思います。そうではなく、自分を賢くするために手間を減らすということじゃないといけない。
―情報環境が変わったことによって人々が理性的ではなく感情的になっているのなら、「じっくり考えましょう」ではなく「自分の情報環境をコントロールしましょう」という提言になるわけですね。
堀内:人間自体は変わらないと思うんですよ。昔から理性的だったわけじゃない。変わったのは環境の方だと思うんですよね。そのことに対する画期的な処方箋はそもそもないし、そんなものはいらないんじゃないかとも思うんです。それよりも、自分ができる範囲の工夫を凝らす。そのほうがずっと社会的に役に立つはず。
だからこそ、自分をコントロールするのではなくて、環境をコントロールすることが大事になっている。これまでの啓蒙の言説は「コントロール・ユアセルフ」、つまりあなた自身をコントロールするということだった。けれど、それは誰もできない。それよりも、身近な工夫で自分の環境をコントロールしないといけないということだと思います。
- 書籍情報
-
- 『感情で釣られる人々 なぜ理性は負け続けるのか』
-
2016年7月発売
著者:堀内進之介
価格:821円(税込)
発行:集英社
- プロフィール
-
- 堀内 進之介 (ほりうち しんのすけ)
-
1977年生まれ。政治社会学者。現代位相研究所・首席研究員。青山学院大学大学院非常勤講師。朝日カルチャーセンター講師。専門は、政治社会学・批判的社会理論。単著に『知と情意の政治学』、共著に『人生を危険にさらせ!』、『悪という希望―「生そのもの」のための政治社会学』など多数。
- フィードバック 3
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-