「『1_WALL』ほど、長い時間をかけて作品を見るコンペはない」。そう語るのは、デザイナーの菊地敦己だ。かつて『ひとつぼ展』として知られた、グラフィックと写真の二部門を掲げるこのコンペは、2009年のリニューアル以降も若手クリエイターの登竜門として親しまれてきた。
長年、審査員を務める菊地によれば、その選考過程で審査員と応募者の間に交わされるコミュニケーションは「愛と憎悪」に満ちたものだと言う。今回、そんな菊地と、2015年にグラフィック部門のグランプリに輝いたアーティストAokidを招き、『1_WALL』を皮切りに対話をしてもらった。
少年期からブレイクダンスに没頭してきたAokidは、その身体性を軽やかな線と明快な色彩を持つドローイングに落とし込み、新たな表現の領域を開拓する『1_WALL』の常連だ。同コンペが既存の枠に収まらない応募者を発掘する背景とは何なのか。両者の会話は、コンペに臨む者の姿勢、現在におけるジャンル拡張の必然性にも及んだ。
何回もプレゼンの場があったり、展示をやらせてもらえたりすることで、できることが広がる。(Aokid)
―Aokidさんは、2015年の第12回グラフィック『1_WALL』でグランプリを受賞されましたが、このコンペの常連だったそうですね。
Aokid:はい。応募が7回目、ファイナリストへの選出が3回目で、グランプリを獲れました。
―グラフィック部門で審査をされていた菊地さんは、Aokidさんのことを気にかけていて、グランプリ受賞の一報を聞いて会場に駆けつけたとお伺いしました。
菊地:たまたま近くにいただけです(笑)。Aokidだけを気にかけていたというわけではなくて、『1_WALL』そのものが気になっていたんですよ(笑)。
Aokid:(笑)。
―そうなんですか(笑)。
菊地:僕は「審査員だから」という理由ではなく、『1_WALL』にはいつも非常に注目しているんです。今は写真部門の審査員をしていますが、グラフィック部門の審査も長くやらせていただいたので動向が気になる。公開審査もなるべく行くようにしています。
―審査員としてずっと見る中で、Aokidさんの変遷はどう映っていましたか?
菊地:2011年に初めて応募してきたときは、すごくキラキラした男の子だな、と。でも、作品はだいぶ怪しかった(笑)。ポートフォリオにもよくわからない新聞記事が入っていたり、「ブレイクダンスをやっています」と書かれていたり。
Aokid:その新聞記事は、大学3年生でブレイクダンスの世界大会に出場したときのものです。
菊地:そうだ。「ブレイクダンス? 何それ!」と思ったのを覚えている(笑)。そう思ったけど、今「グラフィック」という世界は、いわゆる平面デザインだけではなく、もっと総合的な表現方法になってきている。
複数の手法を同時に扱う制作者が増えたので、Aokidの身体表現とグラフィックを掛け合わせる表現も腑に落ちて面白かったんです。作品としての定着感はなかったけど、ドローイングを運動から捉えるという視点は素直だし、回を重ねるにつれて、その繋がり方も洗練されていった。それは見ていてとても気持ちよかった。
Aokid:最初は本当にノリで出したんです。写真をやっている友達が『1_WALL』に出していて、「こんなコンペがあるんだ」と思ったのがきっかけで。そのときは美術大学を卒業したばかりで、絵を続けるべきなのか迷っていたんです。
当時ダンスカンパニーに入っていて、『1_WALL』にはパフォーマンスのときに偶然できた絵を送ったのですが、自分でも自分のやっていることがよく分からなかった。でもファイナリストになって、審査員の方が今まで気がつかなかったことを指摘してくれて、こんなふうに絵を見てくれる人がいるんだということが分かったから、絵を続けられたんです。
―自分では言語化できていないものを、プレゼンの中で発見するのが面白かった?
Aokid:そうですね。僕は美術大学で映画専攻だったので、絵に対する評価はほとんどされたことがなかったんです。だから『1_WALL』での審査員との一歩踏み込んだコミュニケーションは新鮮でした。
それと、応募が無料であることや、既存のジャンルに収まらない受賞者がいることもあり、「間口が広いコンペ」という印象もありました。審査員にも菊地さんをはじめ、グラフィックの世界において変わったアプローチをされている方が多くいるので、いろんな受け止め方をしてくれるんです。
Aokid展『ぼくは“偶然のダンス”の上映される街に住んでいる。』より
―この「グラフィック」という部門の設け方が、ジャンルを広げていますよね。「グラフィックデザイン」だったら、おそらくダンスは対象から逸脱してしまう。
菊地:前身の『ひとつぼ展』のときは「グラフィックアート」だったのですが、応募作品がかなりアート寄りのものが増えたので、もう少し幅広い作品を見たいと「アート」を取ったそうです。
『日本グラフィック展』や『JACA展』など、往年のグラフィック系のコンペがどんどん無くなって、行き場を無くしたイラストレーションやグラフィックアートが流入してきたんでしょうね。今はデザインもアートも含めて、広く「可能性を探す」ことが主な目的になってきています。
Aokid:それが僕のような、ひとつのジャンルで括れない表現をする人間にとってはありがたいことでした。過去の受賞者を見てもわかりますが、複数の分野で表現をしている人は多いと思うんです。
応募方法も、作品を提出するだけなら、僕はダンスを見せる場所がなかった(笑)。でも、何回もプレゼンの場があったり、展示をやらせてもらえたりすることで、できることが広がっていると思います。
他と比べても、作品を見るのにこんな長い時間をかけるコンペはないです。(菊地)
―何回もプレゼンがあったりするとのことですが、あらためて『1_WALL』の審査過程を教えてください。
菊地:まず一次審査でポートフォリオから30名を選び、二次審査で審査員全員と1対1の面接を約8分ずつ行ないます。そして選ばれた6名のファイナリストでグループ展を行なうんです。会期中には公開プレゼンもあり、そこからグランプリが1人選ばれる。もちろんその間、審査員同士も議論を何度も重ねます。
―とても丁寧な選考ですね。
菊地:僕は他のコンペの審査もしますが、作品を見るのにこんな長い時間をかけるコンペは他にないです。瞬間的にジャッジできる審査員が集まっているから、1つの作品の評価って通常は大体数秒なので。でも、『1_WALL』は完成作品だけではなく、その人自体にひっかかるものがあれば積極的に掘り起こすという趣旨なので、審査も結構しつこいですし、我々にも応募者への一種の「愛と憎悪」が生まれる(笑)。作品のぱっと見の新しさだけでグランプリを獲った例はないし、公開審査では相当キツイことを言うこともあります。
Aokid:僕もコテンパンにされました。最初は色物扱いもされたし、「ダンスと絵」と言えば面白がられるという淡い期待もあったけど、そんなものは一蹴されて。
菊地:難しいんです。最終審査は議論をして残した6人だから、すでに評価した後で、一定のレベルを超えている。だから、審査がすごく厳しくなるし、Aokidのように2回目以降の応募者は、毎回審査員をやっている人の中で、さらにハードルが上がる。
―そんな厳しさの中で、なぜAokidさんは何度も応募を続けたんですか?
Aokid:目の前の人を時間をかけて説得していきたかったんです。悔しさもあるけど、『1_WALL』はめげさせないんですよ。審査員が冷たいからもう出さないとかじゃなくて、そこにさっき菊地さんがお話しされていた「愛と憎悪」を感じるから。そんな場所はあまりないじゃないですか。
―たしかにそうですね。そうやって回を重ねてグランプリを受賞されたわけですが、そのときの応募作品はどんなものだったのですか?
Aokid:ダンスの身体性とドローイングを結びつけるという、普段の制作がベースです。ただ、その落とし込み方を工夫して、大きな厚紙に絵を描いて、その紙を立てると立体作品のようにもなる、という作品を提出しました。
Aokidが『1_WALL』でグランプリを獲得した作品『KREUZBERG』
―絵が描かれている平面を、壁に寄り掛からせたり、面の一部をボコっと突出させたりすることで、観客にも身体的な感覚を強く与える見せ方をしていますね。
Aokid:絵を描くことを「イメージ」の世界だけに留まらせないアイデアを探していたんです。いわば、平面と立体の狭間のような感じ。3回目にファイナリストに選ばれたとき、ようやくそうした見せ方ができました。1回目なんか、なぜか紙芝居をしましたし。
菊地:1回目は本当にひどかった(笑)。ダンスの世界大会出場者だからすごいパフォーマンスに違いないと思ったら『おむすびころりん』みたいな紙芝居が始まって。
Aokid:いや、本当にすみません……。
菊地:でも、人柄が素直に作品に出ているところはAokidの良いところだし、希有なことです。コンペに応募するような若い人は、作品の形態や作り方みたいな「型」が先行することが多い。その中でAokidは、作品になってないんだけど型もなくて、「もしかすると化けるかも」という良い予感があった。そういう過度な期待は大概裏切られるんだけど、Aokidの場合は3回目で明らかに絵が良くなったんです。
―Aokidさんの絵に、「型」にはまらない要素があった?
菊地:というより、こんな素直に絵でファンタジーをやる人が少ないんです。ファンタジー絵の方法論はかなりあって、すでに型になっている。でも彼の場合、本来ファンタジーを描きたいわけでもなく、どちらかといえばグラフィティーのタギング(個人や集団のマークを描くストリートアートの一種)に近い。それでも絵がこんなにファンタジーになるのは、たぶん本人がロマンチックなんでしょう。
―なるほど、「タギング」。たしかに署名や、存在証明的な感覚がありますね。そもそもAokidさんは、なぜダンスと絵という表現にたどり着いたんですか?
Aokid:もともと中学校時代に踊り始めたんですけど、ブレイクダンスを習っていたわけではないんです。ブレイクダンスって本来無理な動きをするダンスなので、習って上手くなるというよりは自分の身体の癖と向き合うことが重要で。
菊地:「ブレイク」ですからねえ。
Aokid:だから、初めから「型」の意識はなかった。高校時代、野球部に入っていたんですが、そのときは言われたことをやるのが当たり前だったんです。だけど、僕は突飛なことが好きでファインプレーばかりしたがる選手だった。それで、だんだんと集団の評価基準で何かをやるよりも、自分の基準でやることに目覚めて、ダンスや絵に没頭し始めたんです。
―ダンスと絵の二つが結びついたのも高校くらいですか?
Aokid:そうです。最初は、曲を聴いて「こんなイメージだ」と描いてみました。でも、そこから大学に入ってブレイクダンスの「型」のある表現も一度嫌になって。僕は銀杏BOYZが好きなんですけど、全身で叫んでいる銀杏BOYZの方がリアルな日本人の身体性をしていると思ったんです。それで競技としてのダンスは辞めて、絵や写真、日記を使った表現を意識的に始めました。
―身体と絵の関係がとても面白いと思います。以前、「描かれた色や形などの視覚情報の変化によって身体が受ける感覚は違う。だから、身体を動かすための信号として絵を描いている」とおっしゃっていて、その関連性が独特で興味深いと感じました。
Aokid:それも『1_WALL』に初めて応募したときに気づいたことです。当時は絵とダンスの関係に自覚もなかったけど、その関係性を指摘されたことで、だんだん考えが洗練されたんです。
たとえば色なら、赤と青と黄で無意識的に印象が変化する。そういった絵の色彩によって、自分の中の動きのチャンネルも切り替わることを意識しだしました。そこから、両者の鑑賞者への作用の仕方に、どこか同じ理屈があるのではないかとずっと模索しているんです。
審査員も制作者だから、他人事で評価しているわけではなくて、同じ土俵から「なめんじゃねえぞ!」と言っている(笑)。(菊地)
―菊地さんは、こうしたコンペでプレゼンのどの部分を見ているんでしょうか?
菊地:自分の言葉で喋っているかどうかです。喋りがヘタでもボキャブラリーが少なくても伝わる人っているんですよね。それはその人が「考えているから」です。「緊張して喋れなかった」と言う人は、単に考えていない人がほとんど。だから伝わらない。もちろん他人を真似る段階は誰にでもあるので、借りものの説明が悪いとは思わないけど、それが自分の感覚や身体を通って出てきているのかを見ています。
―今だと、プレゼン慣れした応募者も多そうですね。
菊地:若い人はみんな喋るのが上手です。おそらく学校で訓練をする機会が多いからか、「コンセプトは?」と聞くと平気で答えてくる。「コンセプト」という型があって、どう喋ればいいかという方法論をすでに知っているんです。でも、いわゆる美術批評的なコンセプトを話す必要は必ずしもなくて、それよりも、どんな必然性で作品が生まれてきたのかを知りたいんですよね。Aokidもうまいプレゼンではなかったけど、嘘のない、よく伝わるプレゼンでした。
Aokid:完璧ではないアイデアや未完成なものを持っていっても、応募者と審査員みんなで考えるという雰囲気があるんです。最初に応募したときは心細かったけど、何回も応募するうちに審査員の方にも顔を覚えられて、みんなで問題を共有していった感じがあります。特に、僕は絵に迷っていた時期に出したので、そういう関係が築けたのは本当に良かった。
菊地:そうですね。研究会というか、大学のゼミのような雰囲気があると思います。
―Aokidさんはグランプリを獲られて、どんな変化がありましたか?
Aokid:グランプリってひとつのニュースだし、それからの活動にとってもニュースがあるのは大事だなって。グランプリ後の個展を見に来た人が、別の場所で展示をさせてくれるということはありましたけど、でも劇的に何かが変わるわけではなく、やっぱり自分で活動をし続けないと何も変わらないです。
菊地:デザインの仕事の即戦力やアートマーケットでの商品価値がある作品がグランプリになるかというと、それは違いますからね。グランプリは変わった人が多いし(笑)。僕は『1_WALL』をきっかけに一緒に仕事をする人も多いですけど、グランプリになったかは関係ないですね。
―とはいえ、お二人を見ていても、受賞者と審査員の間に、それこそゼミの先生と生徒のような親密な関係が築かれていますよね。
Aokid:そうですね。審査員やほかの応募者の活動を気にするようになるから、間接的に刺激をもらうことも多いです。仕事にすぐ繋がらなくても、その関係は大事だと思う。
―11月にはまた新たな応募が始まりますが、菊地さんはこれから応募してくる人たちに期待することや、審査する上で楽しみにしていることはありますか?
第16回『1_WALL』のフライヤー(公式サイトで見る)
菊地:毎回、「平面表現」の意味合いが変化してきている感じがあるんですよね。審査をしていると、その変化が見られてすごく勉強になるし刺激にもなる。実は審査員って応募者に対してかなりライバル心を持っているんですよ。
Aokid:作品に対してですか?
菊地:そう。審査員も制作者だから、他人事で評価しているわけではなくて、同じ土俵から「なめんじゃねえぞ!」と言っている(笑)。だから、まだ見たことのない試みがあると、揺さぶられて面白いんです。
作品の体系がないと応募したらいけないと考える人が多いんですが、むしろ「作ること」やジャンル自体を問う作品がもっと出てきてほしい。今はいろんな表現方法があるのに、結構みんな古風だよね。
―Aokidさんはダンスと絵ですが、菊地さんも彫刻科出身で、アートとデザインを股にかける領域横断的な活動をされてきた。そこはお二人の共通点でもありますね。
菊地:そちらのほうが今は自然だと思います。僕らの世代はちょうどPCやソフトウェアなどが一般化した時代だったから、個人で情報を発信するいろんな方法が増えた。起業もしやすくなったし、複数のメディアで多方位に活動することは、個人の単位で見れば必然的なことだったと思います。でも、大きな社会って個人ではなく、既存の仕組みが優先されるので、個人で複数の領域にはみだす活動は、異質に見えるし理解されづらい。
Aokid:そうですね。僕も何をやっている人か伝わりにくいことの方が多くて。「ダンサー」だけなら話は早いけどそれだけじゃない。
―職業の体系が変化していると。それでいうと、Aokidさんは「Aokid City」という世界観をさまざまな形で表現していますが、その総体を「デザイン」と言うこともできるのでは?
Aokid:そうですね。「Aokid City」という名のもとに、例えばクリスマスパーティーの企画を今は考えています。また、どこか会社の体操なんかを作ったりするのもいいと思いますし、個人の手触りで場面に応じた様々なアプローチが出来るはずだと考えていて、これからどんどんやっていきます。そういう意味では、坂口恭平さんはどんどん何でも表現を展開し、流通もさせていてすごいなと思います。
菊地:面白いこと言うね。それはたぶん「デザインに代わるもの」だと思う。今は「デザイン」もマスコミュニケーションの世界に留まらない部分が多くなってきた。市場を一元化して全体の共通項を探る広告的な方法はもちろんあるけど、今は無数の小さなコミュニティーが集合している状態です。
すると、たとえばロゴの代わりに、体操のような別種のコミュニケーションツールがある方が強い場合もある。『1_WALL』の参加者たちが、そうした新しい方法を開拓していってくれたら面白いし、その意識は重要だと思います。
『1_WALL』写真部門のファイナリストの展示設営に興味津々の菊地とAokid
―『1_WALL』は、その逸脱した表現を受け入れる場として機能していますね。
菊地:世の中の無駄をどうにかして残していこう、というコンペです(笑)。でも冗談ではなく、変わった表現が存在できるひとつの広場があるということは大事です。
Aokid:何かひとつの表現だけをやっていても、なかなか救われない世の中になっていると思うんです。街を歩くだけでも、世の中が必要としているものが見えたりするじゃないですか。絵のフィールドだけで活躍していても、それに収まらないものが見えてきて、表現者も癒されない。そういう、作る側が抱いている余剰の部分を、きちんと評価する場があるのはすごく素敵なことだと思います。
- イベント情報
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- 第16回グラフィック『1_WALL』
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応募受付期間:
[グラフィック部門]
2016年11月23日(水・祝)~11月30日(水)
[写真部門]
2017年1月12日(木)~1月19日(木)
審査員:
[グラフィック部門]
えぐちりか(アートディレクター、アーティスト)
大原大次郎(グラフィックデザイナー)
白根ゆたんぽ(イラストレーター)
大日本タイポ組合
室賀清徳(『アイデア』編集長)
[写真部門]
飯沢耕太郎(写真評論家)
菊地敦己(アートディレクター)
鈴木理策(写真家)
高橋朗(PGI ギャラリーディレクター)
百々新(写真家)
- プロフィール
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- 菊地敦己 (きくち あつき)
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アートディレクター / グラフィックデザイナー。1974年東京都生まれ。武蔵野美術大学彫刻学科中退。1995年在学中にデザインの仕事を始め、1997~98年「スタジオ食堂」のプロデューサーとして現代美術のオルタナティブスペースの運営、展覧会企画などを手掛ける。2000年デザインファーム「ブルーマーク」を設立、2011年解散、以降個人事務所。主なデザインの仕事に、青森県立美術館のVI計画、横浜トリエンナーレ2008のVI計画、ミナ ペルホネン、サリースコットのブランド計画、雑誌『「旬」がまるごと』のアートディレクションなど。作品集に『PLAY』。
- Aokid (あおきっど)
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アーティスト、振付家。1988年東京生まれ。2010年東京造形大学映画専攻卒業。卒業後、ダンスカンパニー東京ELECTROCK STAIRSなどに参加した後、現在は「aokid city」、「どうぶつえん」などの企画を行う。発表はヴィジュアルアート、パフォーマンス、ブックやインスタレーション、劇場型作品、ゲリラライブに取り組むなど状況に応じてあらゆる方法を使って取り組む。また他のアーティストなどとコラボレーションによる作品制作も積極的に行う。2015年篠田千明『非劇』出演。横浜ダンスコレクション2016審査員賞。第12回グラフィック『1_WALL』グランプリ受賞。
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