bloodthirsty butchersが1996年に発表した4枚目のフルアルバム『kocorono』は、今も日本のロックシーンに燦然と輝き続ける名盤である。当時のアメリカのハードコアパンクシーンとリンクした音楽性、実験的なサウンドプロダクション、2月から12月までをタイトルに冠した11曲で心情の移ろいを描くというコンセプト、そのすべてが秀逸であり、バンドのオリジナリティーを決定付けた作品だったと言っていいだろう。もし、bloodthirsty butchersについて詳しくなかったとしても、「あのBIG MUFFのジャケットのやつ」と言えば、ピンと来る人も少なくないはずだ。
今回、吉村の弾き語りによる未発表曲“kocorono”を収録した「最終盤」のリリースを受けて、射守矢雄と小松正宏の二人に改めて『kocorono』について語ってもらった。この記事がbloodthirsty butchersというバンドの魅力に触れるきっかけになってくれれば、それ以上に嬉しいことはない。
いろんな意味で念の強いアルバムになってたんだと思う。(射守矢)
―お二人はbloodthirsty butchers(以下、ブッチャーズ)の歴史において、『kocorono』というアルバムをどのように位置づけていますか?
射守矢(Ba):正直、当時は「これは特別なアルバムだ」って思って作っていたわけではなくて。むしろこの何年間で、作品について質問をされることが増えたり、いろんな人の声を聞いて、「みなさんにとって特別な作品なんだ」って気づかされたんですよね。
ただ、メンバーそれぞれの個性が集まって「バンドの個性」になっていくという意味で、起点になった作品であることは間違いない。お褒めの言葉を聞いても、「そうだよね。だって、かっこいいもん」とは思うかな(笑)。まあ、それはどの作品に対しても思うことなんですが。
小松(Dr):吉村さんには、『kocorono』の制作に対して個人的な想いがあったみたいですけど、そのことを僕らに言うわけでもなく。実際作ってる段階で僕らは吉村さんの想いをよく知らなかったので、制作の作業自体はいつも通りといえばいつも通りだったんです。ただ、個人的には他のバンドにも参加するようになって、活動が楽しくなってきた時期でもあったから、ドラマーとしてのきっかけになったアルバムと言えますね。
射守矢:いろんな意味で念の強いアルバムになってたんだと思う。ただ、それを評価してくれる人が多いことに対しては、ありがたさを感じるところでもありつつ、「さすが、耳が肥えてますね」っていう気持ちもあります。
「かっこよければ何でもいい」っていう空気から生まれたのが、結果的にオルタナティブと呼ばれる音楽だった。(射守矢)
―小松さんは、なぜ『kocorono』が多くの人に愛され続けているのだと思いますか?
小松:僕らは1990年代前半にアメリカに行って、現地のバンドから影響を受けたり、機材を買ったりしていたんですよね。で、同じ時期くらいにコーパス・グラインダーズと知り合って、吉村さんと名越くん(名越由貴夫)が意気投合してサウンド面で実験をするようになったり、アートワークをZEROくん(名越もZEROと共にコーパス・グラインダーズのメンバー)が手がけてくれたりして。ブッチャーズもコーパスも血気盛んな時期だったし、その時代にしかできなった感じや空気が、曲にも演奏にもジャケットにも、全部に表れている。だからこそ、当時を知る人はもちろん、当時を知らない人にも響くのかもしれない。
―当時を知る人は懐かしさを覚えるだろうし、若い人には新鮮に映ると。
小松:たとえばですけど、最近だと札幌にNOT WONKという3人組がいるんですよ。この間たまたま会う機会があって、音源をもらって聴いてみたら、「若いバンドなのに、90年代っぽい音を出すな」って思ったんです。実際ライブを観ても、やっぱり90年代初期の感じを思い出したんですよね。おそらく、当時を知らない彼らのような世代でも、ジャケットを見たり、音を聴いたりしたら、何か響くものがあるのかなって思います。
bloodthirsty butchers『kocorono』ジャケット(最終盤をAmazonで見る)
―実際、最近は90年代っぽい音を出すバンドが増えているように感じます。
小松:今だったらもっといい音で録音できるのに、ちょっとジャキジャキして、スカスカな感じの、いわゆる「今の時代のいい音」ではない音を出している若いバンドは確かにいますよね。
―射守矢さんも『kocorono』には時代の空気が詰まっていると感じますか?
射守矢:僕はそういうことはあんまり意識したことないですね。たまたま90年代前半に「オルタナティブ」っていう言葉が生まれたわけですけど、その言葉で表現される音楽は、10代のころに初期パンクやハードコアを聴いて育った世代が作ったもので。我々もその流れの中に混ざっていたくらいの感じに思っています。
ロックでもパンクでもハードコアでもない音楽を、意識的に作ろうとしたわけではないんですよ。それまで聴いてきたものを全部咀嚼して、「かっこよければ何でもいい」っていう空気から生まれたのが、結果的にオルタナティブと呼ばれる音楽だった。そういうことだと思うんですよね。
『kocorono』は技術的にも不完全。でも不完全だからこその面白さがある。(射守矢)
―『kocorono』の音楽的な評価という意味では、「アメリカのオルタナやハードコアをいち早く吸収して、日本人ならではのオリジナルな音楽にまで昇華させた」という言い方ができるかと思います。しかし、そういった音楽を「目指していた」というよりも、もっとシンプルに「かっこいいものが作りたい」という精神性だったのでしょうか?射守矢:当然好きな音楽はあったから、少なからず「ああいうラウドミュージックをやりたい」っていうのはあったと思う。でも、「あれっぽいものをやろう」とか「今までにないものを作ろう」とか、意識的にやったわけではないです。それよりも、「この集まったメンバーで音を鳴らしたらどんな感じになるんだろう?」ということに向き合い続けた結果でしょうね。何かを目指して、「こういうのやろうよ」って話はしたことないもんね。
小松:そうですよね。ブッチャーズの曲作りで「~っぽい」という言葉は絶対出てこないです。吉村さんはいろいろ聴く人だったから、何かしら影響は受けていたんでしょうけど、「今、これを聴いてるんだよね」ってことは一切言わない。曲の方向性すら言わないですからね。黙々とギターを弾いてるのに対して、こっちも黙って叩き始めるみたいな(笑)。それでよくも悪くもズレが生じて、それがブッチャーズの個性になっていた部分もあると思います。
―よく使われる表現ではありますが、『kocorono』は「聴くたびに発見があるアルバム」の代表だと思っていて、それは小松さんがおっしゃったようなある種の「ズレ」であったり、吉村さんと名越さんによる、ときには自分たちですら何が起こっているかもわからないような実験的なサウンドプロダクションによる部分が大きいのだと思います。今はデジタルでズレを補正したり、音像をクリアにすることも簡単にできるわけですが、基本的に、そういった作品は「聴くたびに発見があるアルバム」にはなりにくいと思う。そこは『kocorono』の大きな魅力のひとつだと思うんですよね。
射守矢:たぶん、不完全なんですよ。何が完全なのかっていうのはまた難しい話ですけど、いわゆるロックの名盤と呼ばれるような作品と比べると、『kocorono』は技術的にも不完全。でも不完全だからこその面白さがある。
「聴くたびに発見がある」ということで言うと、僕らはよく「毒を注入する」って言うんです。プレイにしても、ミックスにしても、誰も気づかないようなところですごくこだわっているから、そこに気づくことで楽しみが広がるとは思うかな。
吉村さんは「サクサクッとやっちゃってください」みたいなことを言われると、すごくムッとした顔をするんです。(小松)
小松:普通のレコーディングって、「準備がよければどうぞ」「じゃあ、始めます」って感じなんですけど、吉村さんはちゃんと弾き始めるまでが長いから、とりあえずテープを回しておくんです。吉村さんがなんとなく弾いてるのもとりあえず全部録っておいて、それを使うか使わないかはあとで考える。
射守矢:でも、それが大事な素材になるんです。
小松:そう。結局録ったやつはだいたい使うんです。だから、ブッチャーズの曲はカラオケには向いてない。イントロとか間奏が超長いんで(笑)。でも、それがバンドだと思いますね。かっちりと「イントロ、A、B、サビ、終わり!」みたいな音楽というよりは、よくわからないままに流れていく。それがブッチャーズの面白さだと思う。
―吉村さんはシステマチックに物事を進めることに拒否反応があったわけですか?
小松:吉村さんは「サクサク」っていう言葉が嫌いでしたね。「サクサクッとやっちゃってください」みたいなことを言われると、すごくムッとした顔をするんです。
射守矢:何周も何周もこねくり回したがる性格ではありましたね。そうやって試行錯誤している姿を見て、周りの人は「こうすれば簡単じゃん」って言うんだけど、きっと自分で一回やらないと気が済まなくて。「ほら、そうだったでしょ?」って言わせたくないんですよ。「ほら、違っただろ」って言いたいんです、きっとね(笑)。
―一周回って結局同じところに戻ってきたとしても……。
射守矢:それは無駄に一周回ったわけではなくて、いろんなものを引きずり込んでるわけで、サクサクッとやったものとは絶対違うんですよね。そういうことを大事にしていたからこそ、何気なく弾いてるギターでも、全部録っておくことに意味があったんです。
小松:録音がアナログだったからまだよかったけど、もしデジタルだったら恐ろしいですよ。全部残しておけちゃいますから。あと、人に言われて印象に残ってることがあるんですけど……昔、アイゴン(會田茂一。ギタリスト、音楽プロデューサー)が「他のバンドが買ってきたネジで何かを組み立てるんだとしたら、ブッチャーズはネジから作るバンドだ」と言っていて。
射守矢:そんなに器用ではないですけどね。
小松:器用じゃないから、当てはまるネジを自分たちで作るしかないってことでしょうね。出来合いのネジだと、どうしても合わない(笑)。
射守矢:で、最終的には無理やりねじ込むっていうね(笑)。
“kocorono”は今回の作品が出ることになって初めて聴いたんですけど、「いつもの吉村さんがそこにいる」と思いました。(小松)
―もうひとつ、『kocorono』が今でも支持されているのは、途中でも話に上がったように、吉村さんの当時の精神状態が赤裸々に綴られた歌詞に心を打たれた人が多いというのも大きな理由だと思います。お二人は歌詞に見られる『kocorono』の作品性に関してはどのように捉えているのでしょうか?
射守矢:もともと邦楽よりも洋楽が好きで、サウンドばっかり聴いてたから、歌詞はほとんど意識していませんでした。ようちゃん(吉村の愛称)の話はチラホラと聞こえてきてはいたけど、そういうプライベートをバンド活動に持ち込むことはなかったので、歌詞を気にすることはなかったですね。
小松:僕もプライベートに関しては興味がなかったというか。別にドライな意味ではなく、あくまで「バンドとして」つながっていたので、スタジオやライブで顔を合わせて、終わったらそれぞれ散っていくという感じだったんです。
僕は吉村さんの歌詞はいつもすごいなと思っていましたね。『kocorono』の歌詞は内省的ですけど、特に女々しいとは思わなかったですよ。「これがプライベートとつながってる」という聴き方は一切してなくて、あくまで音楽として、歌として聴いていました。
射守矢:みんな話を美化しすぎなんじゃないかな(笑)。そんなに美しいものじゃないと思いますよ。
―ただ、ロックの歴史を振り返ったときに、精神的に厳しい状況にあって、こぼれ落ちてしまったような作品の魅力っていうのは確かにあると思うんですよね。
小松:そこは聴き手側の問題ですよ。僕も最近、ニック・ケイヴの新作(『Skeleton Tree』)を聴いて、居ても立っても居られない感じになったんです。あれは亡くなったお子さんへの想いが込められたアルバムなんですよね。ただ、作り手はちゃんと曲にして、歌ってるわけだから、その時点であくまで作品として成立しているんです。その想いや背景を汲むかは聴き手の問題だと思う。もちろん、聴き手がいろんなことを想像できるアルバムというのは、素晴らしいことだと思うんですけどね。
―今回の『kocorono 最終盤』には吉村さんの弾き語りによる“kocorono”という未発表曲が追加収録されているわけですが、お二人も当時は存在を知らなかったそうですね。
『kocorono 最終盤』には、ボーナストラックとして“kocorono”が収録されるほか、84ページに及ぶブックレットが付属する
小松:「“kocorono”っていう曲があるらしい」と、なんとなく聞いていたくらいです。今回の作品が出ることになって初めて聴いたんですけど、変な話、「いつもの吉村さんがそこにいる」と思いました。ポロポロってギターを爪弾いて、その上で歌っている。
ただ僕の中で、このままだと吉村秀樹のソロみたいなものだから、ちょっと引っかかったんです。『kocorono』に入れるのであれば、バンドでやった方がいいんじゃないかと。でも結果的には、そのまま収録することにしました。
射守矢:これはおそらく、ようちゃんがいつもの手癖で弾いたギターのフレーズが歌の前にあって、それにちょっと歌を乗せたっていう感じのデモなんですね。きちんと録ったものではないから、「ようちゃんはどう思うだろう? 俺には判断できん」っていう葛藤はありました。曲やテイクのよし悪しではなく、この姿のままで世に出していいのかと。そこは本人以外わからないですからね。「もっとよくしたかったんだよ」って思っているかもしれないし(笑)。
―個人的には、『最終盤』を締め括るにふさわしいトラックだと思いました。あとは途中でもちょっと話に上がりましたが、やはりこのBIG MUFFのジャケットが印象的で、『kocorono』に限らず、ブッチャーズは印象的なアートワークが多いですよね。
射守矢:内容がわからないままジャケ買いをしてた世代ですから。やっぱり、ジャケットは大事ですね。
小松:個人的には、『未完成』(1999年リリースの5thアルバム)も好きですね。でも僕、ジミーさん(ジミー大西。『未完成』のジャケットのイラストを描き下ろす)には会えなかったんですよ。ちょうど打ち合わせのときに用事が入ってて、残念でした。
bloodthirsty butchers『未完成』ジャケット
(吉村秀樹は)人間っぽい人だったなって思います。振り回された人も多いと思うけど、その分強く愛した人も多かった。(射守矢)
―吉村さんは「豪快な人だった」というエピソードを至るところで聞く一方で、『kocorono』にも表れているように、非常に繊細な面も持った方だったように思います。お二人から見た吉村秀樹という人は、どんな人物でしたか?
射守矢:とても一言では言えないですけど……豪快な面も、人間的にすごくちっちゃな面も、もちろんあります。でも、人はみんないろんな面を持ち合わせて生きていて、その振れ幅が大きかっただけだと思うんですよね。まあ……でも、繊細は繊細ですよ。人をいじるのは好きだけど、いじられるのは大嫌いだし(笑)。
小松:ホントっすよね(笑)。
射守矢:そういう意味じゃ、人間っぽい人だったなって思います。振り回された人も多いと思うけど、その分強く愛した人も多かった。僕は小学校から一緒でしたけど、そのころからそんな感じでしたよ。変わった人でした。
小松:今考えると、面白いおじさんだったなって思います。よくも悪くも、いろんなことを起こす人で、だからこれだけバンドが続いたんだと思うし、僕らはよく続けたなって(笑)。それはお互いリスペクトする部分があったからだと思うんですけどね。それがなかったら、続かなかったと思います。
―音楽人として、吉村さんから受け取ったのはどんなものだと思いますか?
小松:吉村さんと射守矢さんは小さいころから一緒で、バンド以外の付き合いもあると思うんですけど、僕は後輩だし、バンドにもちょっとあとから入ったから、吉村さんに教えてもらったものは大きいです。それは大事にしていきたいと思います。とはいえ、僕は僕だし、自分のやれることをやるだけというか、吉村さんも音楽に対しては前向きな人だったと思うので、そこは負けたくないって気持ちもあるかな。
射守矢:僕にとってブッチャーズの中でようちゃんとぶつかり合いながら、切磋琢磨して作り上げてきたものが確かにあって。それに僕はバンドはブッチャーズしか知らないから、ブッチャーズの中でやってきたことを今もやり続けてるだけ。そこはこれからも変わらないと思います。
―最後にもうひとつだけ。今後ブッチャーズの名義で改めて活動をスタートさせる可能性はあるのでしょうか?
射守矢:もう四人揃わないですからね……どうやったってね。それが答えですかね。
- リリース情報
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- bloodthirsty butchers
『kocorono 最終盤』(CD+ブックレット) -
2016年10月23日(日)発売
価格:3,240円(税込)
KICS-934321. 2月/february
2. 3月/march
3. 4月/april
4. 5月/may
5. 6月/june
6. 7月/july
7. august/8月
8. 9月/september
9. 10月/october
10. 11月/november
11. 12月/december
12. kocorono(ボーナストラック)
- bloodthirsty butchers
- プロフィール
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- bloodthirsty butchers (ぶらっどさーすてぃぶっちゃーず)
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パンクロックをベースとしつつ、日本の風土が生んだ、まさに日本オリジナルなロックンロールを奏で続けるバンド。圧倒的な轟音による凄まじい音圧とケタ外れな独創性で他に類をみない音像を構築し、欧米のロックバンドと対等な位置で語られる希少なバンドである。海外バンドや洋楽リスナーの間で知名度を上げ、ワシントン州オリンピアのレーベル、Kレコードからの音源発売やアメリカツアーを敢行するなど、洋邦問わず広くロックシーンでの存在感を高めていった。1986年札幌にて吉村秀樹、射守矢雄、佐野紀代己の3人により結成。1989年にドラムが小松正宏に交代。1991年、FUGAZIとの共演を機に上京。2003年、田渕ひさ子が加入。2013年5月27日、リーダー吉村秀樹が逝去。同年11月、通算13作目となるアルバム『youth(青春)』をリリース、その後も関連作品のリリースが後を絶えない。そして、2016年『kocorono最終盤』発表。
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