川島道行の訃報が届いたのは、2016年10月9日のこと。あまりにも早かった。2015年2月に取材をさせてもらった際、川島に4度目の脳腫瘍が再発するも、治験を受け、腫瘍の拡大を防ぐことに成功したと話してくれていたのに――。
BOOM BOOM SATELLITESは、非常に稀有なバンドだ。デビューした1997年に初めて川島が脳腫瘍を患ったときから、「生命」と向き合いながら、作品を作り続けた。歳を重ねるごとに、人生観に変化が起こり、それと同時に、音楽に見出す価値や理想とする表現の形を変えていった。だから、BOOM BOOM SATELLITESがたどり着いたゴールには、「生命」や「音楽」において本当に大事な価値とはなにか、その答えが詰まっているように思えるのだ。
3月1日にリリースされたベスト盤『19972016』が、BOOM BOOM SATELLITESにとって、本当に最後の作品となる。デビューから20年間、川島と一心同体の存在として、ストイックに音楽を作り続けてきた上で、人生とは自分のミッションを見つけ果たしていくための道のりであることを知っている中野雅之は、この先をどう生きていくのか――BOOM BOOM SATELLITESの20年と、川島の存在を振り返ってもらうだけでなく、中野自身の未来についても話を聞いた。
川島くんの声は、本当に時代によって変化していることに、改めて気付かされました。
―ベスト盤『19972016』、一番最初に立てたプランでは、11月頃に発売予定だったそうですね。
中野:全然間に合わなかったです。まったく手も足も出ないくらい。
―予定よりも4か月ほど後ろ倒しになったのは、どういう理由だったんですか?
中野:全曲マスタリングをし直して、なかにはミックスまで立ち返ったものもあるんですけど、なんせ曲数が多いから。まだテープメディアの時代だった曲もあるし、何世代か前のコンピューターを引っ張り出してきて、ちゃんと動くかどうかを確かめるところから始めたり。9月に始めた時点で、11月発売というのは到底間に合わなかったです。
―9月から、地道な作業を積み重ねられていたんですね。
中野:まあ、そのあいだに川島くんが亡くなって、心も体も持っていかれたところがあったりして。断続的に、1月中旬まで作業をしていました。
―BOOM BOOM SATELLITES(以下、BBS)は、最近の作品はすべて中野さんご自身でマスタリング作業までやられていたとはいえ、心も体もタフだった今回は他にお任せする、という選択肢もあったと思うんです。
中野:本来は専門職の人がやることなので、アーティストがやっちゃいけない領域ではあるんです。マスタリングという作業はすごく崇高な、職人の技術だということを、僕もよく理解していて。自分がやることに対しての罪悪感とかおこがましさは、すごくあるんですよ。
「じゃあ、頼めばいいじゃん」ってなると思うんですけど……そうすると、実現しきれない部分もあったりするので。ただ、これが最後にしたいなとは思ってます。本当に大変だったから。
―マスタリングというのは、1枚のアルバムに入れる楽曲がすべて完成したあと、全体の音質や音圧などを調整する作業のことですけど、今作において、中野さんが実現したかったのはどういう部分ですか?
中野:自分でマスタリングをやらなければいけなかった理由は、この「20年」を、違和感なく全部聴けるように揃えたかったから。僕が聴かせたかったのは、純粋に音楽だけなので、聴いた人が他のことに気を遣わなくていい、という状態にしたかったんです。つまり「これは録音が古いな」とか「あ、90年代だな」とか、そういうことに気を取られるのではなく、純粋にこのバンドの音楽性に浸れるようにしたかった。
―10月9日(川島の命日)も挟んで、20年間の自分たちの音や声を毎日聴き続けるのは、かなりタフな部分もあったんじゃないですか?
中野:タフっていうより、感動のほうが多かったかな。ミックスの作業をやってるときって、川島くんは完全にアシスタントの立場で、一緒に聴いて、いいかどうか判断したり、お茶入れてもらったりしていたんです。それが一人の作業になったので、より川島くんの存在感を知ることになる、というのはありましたけどね。
―それでも、「感動」という感情が先にくるんですね。
中野:昔の曲をマスターまで立ち返ると、作品としてパッケージされているものよりも生々しいデータを聴くことになるので、自分たちの持ってる音楽に対しての情熱みたいなものが、よりはっきりわかるんですよ。振り返っていると、「なかなか、やるもんだな」って思ったり。
でも、だんだんとアレンジの稚拙さとか、歌のパフォーマンスに対して、「もうちょっとちゃんとやれよ」って思う部分もでてきて。感傷的になっている暇がなく、イライラしてくることもありました(笑)。
―昔の自分たちに対して、感動と苛立ちの両方を感じられていたんですね。
中野:データのなかには、川島くんのボツテイクとかもいっぱい入っていて、ひとつのフレーズを録音するのに四苦八苦してる様子とかが見て取れたりとかもして。川島くんの声は、本当に時代によって変化していることに、改めて気付かされました。やっぱり最後のほうは、病気のせいで声を出すのがすごく難しくなってきていて、録音自体も大変だったんです。
自分の人生に対しても川島くんの人生に対してもどう肯定的でいられるか、というのが大事なテーマになってきていたと思う。
―川島さんの身体的な変化もあった上で、先ほどおっしゃられた「音楽に対する情熱」には、20年間でどのような変化がありましたか?
中野:全然変わってきていますよね。ただ、それでも1本のレールの上に乗ってる感じはある。川島くんの場合だと、もちろん川島くんが抱えてきた病気のことはずっとつきまとっているけど、そのあいだに家族を持ったり、子どもが成長する様子を見たり、震災があったり、いろんな変化のなかで意識が少しずつゆっくり変わっていたんだと思う。人間的な変化や成長が作品には反映されて、それがバンドの歴史を作っているというのが、ちゃんと表現されているんじゃないかな。
20代の頃とかは、「アーティストが円熟する」みたいなことに、まったく関心がなかったんですけどね。昔は、とにかくキレのある、エッジ感のあるクリエイターが好きだったし。だから、たとえばMassive Attackのダディ・Gが、子どもができてレコーディングに参加しなくなったとき、「子どもとかに惚けてんじゃねーよ」って思ったんですよ(笑)。ただ、今だったらよくわかる。アーティストにも人生があって、それが音楽に大きな影響を与えることもあるし、プラスの方向に働くこともあるんだろうなって。
―私が『19972007』の頭から『20082016』の最後までを聴いて、改めて感じたのは、昔は世界の音楽シーンに対してカウンターや批評性を持って音楽を作ることに価値を置いていたけれど、だんだんと川島さんや中野さんの人生そのものがBBSの音楽のインスピレーションになって、前回のインタビュー(BOOM BOOM SATELLITES、残酷な運命から希望を描いた傑作)でも話してくださったように、「聴いた人に対して小さな革命を起こすこと」「10年後、20年後も聴き続けられる音楽を」ということが、音楽を生む価値であるという意識になっていったのかなと。
中野:うん、そうですね。「10年後、20年後にも聴かれる音楽を」というのは、たぶん初期から考えてはいるんです。クラブミュージック、ビートミュージックって、「昨日かっこよかった音楽が、今日はすごくダサい」ということが起きるような刹那的なシーンなので、そんななかで自分の作る作品が10年後に価値があるかどうかというのは、すごくよく考えていた。
中野:一方で、『20082016』には、『TO THE LOVELESS』(7枚目のフルアルバム)からの楽曲が入っているんですけど……当時は、音楽の聴かれ方、消費のされ方が、顕著に変化した時代だったから、いろんなメンタリティーが働いて、70分超えの長尺のアルバム作ったんですよね。
―『TO THE LOVELESS』が発売されたのは、2010年ですね。スマホが普及し、ダウンロードの割合がぐんと伸びて、アルバム単位ではなく楽曲単位で聴かれることが多くなった時代。
中野:そのあたりに、いよいよ「どうやって音楽のことを大事にしようかな」ということを考えだしていました。つまり、ライトに聴けないものを作ろうと思ったんですよね。
そこから始まって、震災があって、川島くんの再発があって……そんなにいいニュースがないなかで、どうやって音楽自体と、それから僕たちの音楽を大事にしてくれる人に、どういう愛情を注いでいけるかを考えていくようになって。そこに、自分の人生に対しても川島くんの人生に対してもどう肯定的でいられるか、というのが大事なテーマになってきていたんだと思う。だから、音楽への意識の変化もあったけど、やっぱり人間的な変化が大きいんじゃないかな。
川島くんは、短かったとはいえ、とても幸福な人だったと言っていいと思います。
―去年CINRA.NETでは、minus(-)の藤井麻輝さんを、相方の森岡賢さんが亡くなった直後に取材させてもらっていて(minus(-)藤井インタビュー 急逝した森岡賢への想いと今後を語る)。「藤井さんにとって森岡さんはどういう存在なんですか?」という質問に対して、藤井さんは「出来の悪い弟」と答えられたんですね。その同じ質問を中野さんにさせていただくと……中野さんにとって、川島さんはどういう存在でしたか。
中野:親友で、戦友でもありました。一緒に闘うシーンも多かったので。出来が悪いのはお互い様で、たくさん迷惑をかけたこともあったし、迷惑をかけられたこともあるし。
「あのとき中野がこうだった」「川島がああ言った」「迷惑かけた」「嫌な思いした」「それを受け入れた」とか、そういうことを全部並べると、50:50なんじゃないかな。川島くんに助けられたこともたくさんある。弟・兄で言ったら、川島くんのほうがお兄ちゃんキャラですから。
―そうだったんですね。
中野:僕が音楽に対して、すごく情熱的なわけですけど(笑)、川島くんをそこに半ば強制的に付き合わせたところがある。人生丸ごとね。川島くんは、もっとチャラいところで音楽をやろうとしてたのかもしれないけど、僕が川島くんの首根っこを掴んで、正座させて、「さて、音楽作りますよ」「中途半端なことでは困りますよ」ってやって。
だから学生の頃とかデビュー前後くらいは、「お前どういうわけ?」「いや、俺ちゃんとやりたいし」みたいなやり取りもあったんですよ。そこから20年近くかけて、川島くんがどんどんと変わっていったんです。だから、僕が川島くんの人生を変えちゃったところがあるし、見方によっては川島くんは被害者だと思う(笑)。
―いやいや、そんな言葉は当てはまらないでしょう。
中野:まあ、そうは言っても、それで川島くんは人生の可能性を広げることができたし、自分がどんなミッションを与えられた人間なのかを、だんだん悟っていったんだと思う。
―その関係のおかげで、お二人に心動かされた人がいっぱい世の中にはいるわけで。そう考えると、川島さんも「被害者」では全然ないし、とても幸せな関係性であるというか。
中野:うん。そもそも川島くんは、短かったとはいえ、とても幸福な人だったと言っていいと思います。「かわいそう」って思う人も多いと思うんですけど、僕はそんなにかわいそうだと思わなくて。ちゃんと人生を全うした人。ちゃんと意志を持って、自分の人生を締めくくった人だと思っています。
「自分は歌を歌う人間だ」という意識が強くなっていった。最終的にはそれをちゃんとやり切って締めくくったから、それを知るための人生だったんじゃないかな。
―中野さんから見て、川島さんが悟っていた自分のミッションってなんだと思いますか?
中野:やっぱり、表現者であるということじゃないかな。昔は全然歌いたがらなかったんですよ。「自分は歌わなければいけないんだ」という認識や自覚を持ったのは、だいぶあとだと思う。
―だいぶあとって、いつ頃ですか?
中野:どのへんだろうなあ……『EXPOSED』(2007年発売)くらいまで、ボーカリスト、フロントマンという意識がないまま、曲作りに携わったり、ライブで歌ったりしていたんじゃないかな。すごく変わった人なんですよ、川島くんは。
ロックバンドのボーカリストというのは、ナルシストが圧倒的に多いわけです。たくさんの人の前に立って大きい声を出すって、すごく勇気のいることだから、それができる人って、自分のことが好きで、自分に自信があるという人が必然的に多いんですけど、川島くんは全然そういう人ではなかった。
だから最初は全然歌いたがらなかったけど、だんだん「歌いたい」という気持ちが芽生えて、歌うことが役割になっていったんだと思う。ぶっちゃけて言うと、ギターをレコーディングで弾かなくなりましたからね。ある時期から、歌うことに集中するために、ギターは全部僕が弾くようになったんです。
―え、そうだったんですね。
中野:歌詞を書いて歌を歌うことで、いっぱいいっぱいになっていったから。それくらい「自分は歌を歌う人間だ」という意識が強くなっていったんです。最終的にはそれをちゃんとやり切って締めくくったから、それを知るための人生だったんじゃないかなって思うくらい。
―だからきっと、声を出すのが難しくなっても、無理してでも歌うことを最後まで選ばれたんでしょうね。川島さんが書かれる歌詞の変化は、どういうふうに感じていますか? 歌う人間としての自覚と比例して、歌詞の内容も変わっていったのかなって。
中野:そうですね。最後のほうとかはやっぱり、歌詞が素直に、川島くんのそのときそのときの心境が表れているなって思います。川島くんは、やっぱりロマンチストなので、言葉遣いが美しい。
でも、どうやってこの言葉の世界観を身に付けていったのかは、僕もよく知らないんですよね。川島くんが、なにを読んだり聴いたりしていたかとかは多少知ってるけど、リリックというのはかなりテクニカルな部分もあるから、その程度で変わるものではなくて。どこでなにを学習して、どうやって技術を身に付けたのか、実は僕もちょっと謎なんです。
川島くんはサヨナラしちゃって、青春からパッと覚めるわけで。だから、むしろ今は、「どうして生きていこうかな?」っていう。
―過去のことや、川島さんのことだけでなく、中野さんの未来についてもお話させてください。川島さんの生き様を隣で見続けてきた今、音楽家として、そして一人の人間として、生きる上でなにが必要でなにが意外と不必要なのか、中野さんにしか見えていないものがあるんじゃないかと思うんです。
中野:必要なことと不必要なことかぁ……いやあ、そんな達観できてないけど……(しばらく考え込んで)……わかることもあるけど、それでも、もっと上手に生きたいって思ってるもんなあ。
―もっと上手に?
中野:ただの青春なんです、結局は。川島くんとバンドをやったのも青春で、それが45歳まで続いてしまったわけです。で、川島くんはサヨナラしちゃって、「じゃあ、あとはがんばってね」って置いてけぼりにされたわけだけど、そうすると、その青春からパッと覚めるわけで。だから、むしろ今は、「どうして生きていこうかな?」っていう。
―2016年11月15日に新木場STUDIO COASTで開かれた『お別れ会』の囲み取材では、「音楽制作を通して、自分の力や経験を活かして貢献していきたい」ということをおっしゃっていましたよね。実際、ねごとやMAN WITH A MISSION(以下、MWAM)の楽曲をプロデュースされてみて、どうでした?
中野:人のプロジェクトのお手伝いは、初めてのことだからめちゃくちゃ緊張したんだけど、たくさん学ぶこともあったし、やりがいも感じられました。でも、プロデューサーとしての自分を世間にアピールしたい気持ちなんて、実は1ミリもなくて。
―そうなんですか。ねごとの曲(“アシンメトリ”“シグナル”)にしてもMWAMの曲(“Hey Now”)にしても、BBSの色がかなり濃く出ていると思ったんですけど、それは意識的ではない?
中野:ねごともMWAMも、彼らがまだ踏み込んでないところに踏み込んで、ファンに新たな驚きを与えられたり、ライブのセットのなかでも違う領域に一緒に入っていけたり、いずれバンドにとっての代表曲になるような曲ができるように、貢献できたらなと思ったくらいで。彼らのキャリアを押し広げられるように、彼らが新しいところに目を向けて、自信を持って踏み出していける後押しができるように、といったくらいの気持ちでいました。
―なにか精神面の部分で、下の世代に教えたり伝えたりできることがあるんじゃないか、みたいな意識はあったりしますか?
中野:いやいや。
―まったく?
中野:そんなことをやろうとすると、すごく時間がかかると思うし。僕と川島くんが価値観を共有できていたのは、やっぱり長い時間一緒に過ごしていたからで。もちろん音楽に対してもそうだし、ご飯の食べ方ひとつとか、ありとあらゆることに対して、価値観を共有できていたんです。
それをまた全然別の人に求めようとは思わない。もちろん、ある曲を作り上げるのにどうしても伝えなきゃいけないこととかは言うし、その理由を聞かれたら丁寧に説明しますけどね。
―先ほど、『TO THE LOVELESS』あたりから音楽の聴かれ方がライトになっていた、という話がありましたが、今はどう感じていますか?
中野:今の時代は、そんなに面白くはないですよ。僕は。
―それは、作り手の問題とも言える?
中野:ジジ臭いかもしれないけど……60億人、みんなが発信できてしまうというのは面白くないですよ。なぜかというと、発信することに責任とかを持たなくなるから。
誰でもものが言える自由を与えられたメリットと、思慮深くない人がしゃべることのデメリットがあると思うんですけど、今のところ、その弊害と利益どちらが大きいかというと、僕はわりと弊害のほうが多いと思っていて。自分が作ったものをすぐ世の中に発信できるというのは、クリエイターを解放したとも言えるけど、ゴミが世界にばら撒かれている状態というふうにも言えると思う。
―中野さんとしては、発信する側や、プロのミュージシャンには、どういう責任を持っていてほしいと思いますか?
中野:偉そうなことは言えないけど……やっぱり、高い意識を持ってやるしかないんじゃないかな。自分の発信するものに対して、絶対的な価値というのは、やっぱりプライドを持って見せていかないと。そうじゃないと、プロである意味もなくなってしまうと思うので。
わからないんですよね、川島くんとしか音楽をやってこなかったので。でも、自分の作品を作ってみたいという気持ちは強くあるんです。
―川島さんは自分に与えられたミッションを悟っていったとおっしゃっていましたが、中野さんとしては、ご自身のミッションがなにであるか、今の時点でわずかでも見えていたりしますか?
中野:僕は、川島くんの一連の人生をともに過ごして、なかなか人ができないような貴重な経験をしてきたとは思っていて。この経験は、音楽で返していかないといけないとは思っています。それは、どういう形であっても。
―中野さんが20年間BBSとしてストイックに音楽や表現を追究してきて見えたこととか、終わりがあることを知っているからこそ芽生えた責任感とか、そういう価値観を可能な範囲で伝え続けていってほしいなと思います。
中野:まだ世に出るかどうかはわからないけど、今また別のプロデュースワークをやったりしていて……でも、やればやるほど、自分のなにかを、自分の表現をしなければいけないんじゃないかなって思うんですよね。
―プロデュースではなく、自分の表現、ですか?
中野:アーティストとして表に出るのか、人を支えることで自分の価値を見出していくのかは、ちょっとまだわからないですけど……わからないんですよね、川島くんとしか音楽をやってこなかったので。でも、自分の作品を作ってみたいという気持ちは強くあるんです。
―それはすごく聴きたいです。
中野:うん。できるかわからないけど。僕が、歌える人間だったらよかったんですけどね。
―6月18日には、ライブの開催も発表されていますね。すごくビックリしたんですけど……このライブはどうやってやられる予定ですか?
中野:僕が歌います(笑)。
―え、そうなんですか!
中野:嘘です(笑)。さすがにそれはないです(笑)。
―じゃあ……どうされるんですか?
中野:今、いろいろ考え中です。いろんな方法で、やってみます……できるのかな、本当に!? 怖えー。
―このライブでももちろん、この先も、BBSとして川島さんと共有されてきた価値観を、中野さんの体から表現されていくのを楽しみにしています。
中野:スタッフは言うんですよ、これからも「中野雅之(BOOM BOOM SATELLITES)」の名義でいいんだって。川島くんは、僕の人生観、死生観、それから音楽に、ものすごく影響を与えた人でした。だから、これから僕がどのように生きていくか、どのように音楽と関わっていくかに、すごく大きい爪痕が残されていると思います。
- リリース情報
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- BOOM BOOM SATELLITES
『19972016』初回限定盤(4CD+Blu-ray) -
2017年3月1日(水)発売
価格:7,200円(税込)
SRCL-9211[CD]
『19972016 -19972007 Remastered-』
『19972016 -20082016-』
[Blu-ray]
「BOOM BOOM SATELLITES 19972016 LIVE AND DOCUMENT」
SUMMER SONIC 2004,2006,2014
FUJI ROCK FESTIVAL '05,'07,'10,'12',15
METAMORPHOSE `08
SWEET LOVE SHOWER 2008
RISING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO
RADIO CRAZY 2013
VIVA LA ROCK 2015
WILD BUNCH FEST.2015
BOOM BOOM SATELLITES JAPAN TOUR 2008 FINAL
BACK ON MY FEET PREMIUM GIG
BOOM BOOM SATELLITES JAPAN TOUR 2010 FINAL
FRONT CHAPTER Vol.3 2011
The 15th Pre Release QUATTRO Premium Party
EMBRACE TOUR NIPPON BUDOKAN
FRONT CHAPTER Vol.4 2015
- BOOM BOOM SATELLITES
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- BOOM BOOM SATELLITES
『19972016 -19972007 Remastered-』通常盤(2CD) -
2017年3月1日(水)発売
価格:3,600円(税込)
SRCL-9216[CD1]
1. KICK IT OUT
2. WHATGOES ROUND COMES AROUND
3. LOOKING GLASS
4. PILL
5. MORNING AFTER
6. LIGHT MY FIRE
7. LET IT ALL COME DOWN
8. 40-FORTY-
9. GIRL
10. MOMENT I COUNT
11. ON THE PAINTED DESERT
12. INTER GALACTIC
13. SOLILOQUY
14. PANACEA
15. STRIDE
[CD2]
1. EASY ACTION
2. SHUT UP AND EXPLODE
3. Id
4. PUSH EJECT
5. JOYRIDE
6. YOUR REALITY'S A FANTASY BUT YOUR FANTASY IS KILLING ME Featuring CHUCK D
7. BRANDNEW BATTERING RAM
8. DRESS LIKE AN ANGEL
9. SCATTERIN' MONKEY
10. RISE AND FALL
11. DIVE FOR YOU
12. PROPELLER
13. ANTHEM-reprise-
14. INGRAINED
15. ECHO TAIL
- BOOM BOOM SATELLITES
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- BOOM BOOM SATELLITES
『19972016 -20082016-』通常盤(2CD) -
2017年3月1日(水)発売
価格:3,600円(税込)
SRCL-9218[CD1]
1. LAY YOUR HANDS ON ME
2. SHINE
3. A HUNDRED SUNS
4. STAY
5. CAUGHT IN THE SUN
6. ANOTHER PERFECT DAY
7. UNDERTAKER
8. VAPOUR
9. DRIFTER
10. ONLY BLOOD
11. SNOW
12. SPELLBOUND
13. EMBRACE
[CD2]
1. BACK ON MY FEET
2. BROKEN MIRROR
3. HELTER SKELTER
4. ALL IN A DAY
5. DRAIN
6. LOCK ME OUT
7. BACK IN BLACK
8. FLUTTER
9. NINE
10. BLIND BIRD
11. STARS AND CLOUDS
12. STAIN
13. NARCOSIS
- BOOM BOOM SATELLITES
- イベント情報
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- 『FRONT CHAPTER - THE FINAL SESSION - LAY YOUR HANDS ON ME SPECIAL LIVE』
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2017年6月18日(日)
会場:東京都 新木場 STUDIO COAST
出演:BOOM BOOM SATELLITES
料金:10,000円(ドリンク別)
- プロフィール
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- BOOM BOOM SATELLITES (ぶん ぶん さてらいつ)
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1997年ヨーロッパでデビューした中野雅之、川島道行からなるロックユニット。エレクトロニックとロックの要素を取り入れながら、新しい未知の音楽を創造し続ける日本屈指のクリエイターユニット。ヨーロッパでリリースされた12インチシングルをきっかけに、UK音楽誌『Melody Maker』は、「The Chemical Brothers、The Prodigy以来の衝撃!」と報じたことをはじめ、多くのメディアに大絶賛される。2004年には映画『APPLESEED』の音楽を担当、その後もリュック・ベッソン監督の映画『YAMAKASI』やクリストファー・ノーラン監督『ダークナイト』で楽曲が起用されるなど、デビューから現在に至るまで映像クリエイターやアーティストに絶大な人気を誇り、楽曲提供やリミックスのオファーが絶えない。世代を超えた不動の魅力を持ち合わせたアーティストである。
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