シンガーソングライターの尾崎裕哉が、2016年に配信されたデビュー曲“始まりの街”に続き、CDデビュー作となるEP『LET FREEDOM RING』を発表した。尾崎豊という偉大なミュージシャンを父親に持ち、昨年テレビ番組で“I LOVE YOU”をカバーした際には、「歌声がそっくり」と話題になったが、その父親の亡くなった年齢である26歳を超え、27歳でデビューを果たしたというのは、運命めいたものを感じずにはいられない。今作に収録された“始まりの街”や“27”には、彼の27年間の葛藤と、これからに向けた覚悟が刻まれている。
また、彼は「音楽は人の心を動かすだけではなく、社会を変える力を持つ」と語り、音楽による社会貢献を掲げてもいる。尾崎豊と尾崎裕哉という二人のアーティストを比較するということは、1980年代と現代における「自由」という価値観の変化、そして、アーティストの役割の変化を読み取ることになるはずだ。もちろん、裕哉は父親の幻影を追いかけているわけではない。リスペクトを胸に、新たな時代を切り拓こうとしている。
「父親の曲をもっと知りたい」っていう気持ちから、小さい頃は父の歌声を真似していた。
―一般的に言うと、27歳のデビューは「遅咲き」ということになるかと思うんですけど、尾崎さんご自身はどう捉えていますか?
尾崎:確かに遅いですよね。一般的には、10代後半から20代前半でデビューする人が多いし、父は18歳でデビューしていますしね。ただ、アーティストとしてデビューするというのは中途半端な気持ちではできないことですし、ちゃんと準備をして挑みたかったので、年齢のことは気にしてないです。スガシカオさんも遅めのデビューでしたし(スガは30歳でメジャーデビューしている)、10代の人が歌うような歌は歌えなくても、大人の視点で歌えるのは、自分の強みだと思っています。
―小さい頃からミュージシャンになりたいと思っていたそうですね。
尾崎:ミュージシャンになりたいと思ったのは5歳くらいのときで、それはやっぱり父親がミュージシャンだったことが大きいです。父のはっきりとした記憶があるわけではないんですけど(父を亡くしたのは2歳のとき)、その背中を感じながら生きてきたので、この職業に対するリスペクトが昔からありました。
小さい頃は父の声真似をしていたんですけど、それも「ミュージシャンになりたいから」というわけではなくて、「父親の曲をもっと知りたい」っていう気持ちからだったと思います。
―昨年『音楽の日』(7月にTBS系列にて放送)で“I LOVE YOU”をカバーして、「歌声がお父さんそっくり」と話題になりましたが、あれは生まれ持った声質に加えて、小さい頃から「父親に近づこう」と思っていたからこそだと。
尾崎:そうですね。歌ううえで一番大事なのは息遣いだと思うんですけど、喉や骨格の使い方っていうのも、真似をするなかで自然と身につけたものだと思います。当時はYouTubeもなく、ひたすらCDを聴き込んで、ピッチを合わせて、という具合に歌い込んでいたんです。そこはやはり遺伝子もあるのか、歌っていて一番気持ちいいところが似ていたんですよね。
尾崎裕哉のアーティストとしての在り方を考えたときに、僕は父が歌えなかったことを歌いたかった。
―これまでの人生において、尾崎豊さんという偉大な父親と比較されることの葛藤もあったのではないかと思いますが、いかがですか?
尾崎:もちろん、ありました。けど、他人から比べられることを、意識していません。父親は常にアーティストとしてのベンチマークであり、理想形だから、どうやったらあそこに至れるのかという面での、強い葛藤はあるんですけど、他人が僕と父をどう比べようが、天秤にかけようが関係ないですよね。他人の意見って、自分でどうこうできることでもないですし。
―自分のなかでは、父親に対してどのような葛藤がありましたか?
尾崎:尾崎裕哉のアーティストとしての在り方を考えたときに、尾崎豊とベクトルは同じだと思っているんですけど、僕は父が歌えなかったことを歌いたくて。尾崎豊が「自由」を歌うなら、俺は「自在」を歌いたいと思ったんです。
―「『自在』を歌いたい」というのは、どういうことなのでしょう?
尾崎:僕は貧しい暮らしをしていたわけではなくて、金銭的には不自由ない暮らしを送ってきたし、母は僕を自由に育ててくれたから誰かに縛られていたわけでもないんですよね。でも、逆にそれがコンプレックスだった。
尾崎豊の初期の曲は、敵対する対象がいたけど、僕には不満や怒りがないからそういう相手がいないんです。じゃあ、自分は何を歌えばいいのかって考えたときに、本当の自由は心の在り方次第だと思うから、その心の葛藤を歌っていこうと思ったんですよね。
本質に対する真摯さや、自分を作らないっていうアーティストとしての姿勢に関しては、父と同じなんじゃないかと思います。
―その感じは、“27”によく表れていると思うんですけど、この曲は尾崎豊さんの“僕が僕であるために”に対するアンサーソングのように聴こえました。“僕が僕であるために”は、<僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない 正しいものは何なのか それがこの胸に解るまで>と歌っているのに対し、“27”では<ため息ばかりついてたのは 僕が僕であるために背負うことが多すぎた 受け入れることも 否定することも 全て僕が選ぶことだと知っているの>と歌っていますよね。1980年代は白黒はっきりした答えを求められたのに対して、今は「答えはひとつじゃない」という感覚が基本になっていて、この2つの曲の間にそういう時代の変化を感じたんです。
尾崎:なるほど。人は生き物ですから、その場その場で正しい答えは変わるし、臨機応変に判断しないといけないっていうのが僕の考えです。ただ僕が、なぜ尾崎豊の曲が好きかっていうと、答えがあるからなんですよね。
アーティストの理想って、どんな葛藤に対してもひとつの答えを出すことだと思うんです。そういう意味では、自分はまだまだとも思う。正しさにはいろんな形があるから、いろんな正しさを歌っていけばいいのかもしれないですね。
―“27”は葛藤の時期を超えて、自分の道を進んで行くんだっていう、尾崎さんなりのひとつの答えを提示した曲ではありますよね。
尾崎:そうですね。あと自分にとって音楽は日記に近くて。そのときの感情や起こったことを言葉やメロディーにすることで、いつでもそれを思い出せるように、っていうのが曲を作る理由のひとつでもあるんです。“27”に関しては、「もがいていたときのことが、これから報われていくんだ」っていう、希望を込めて書いた曲でもあります。
―ちなみに、先ほど尾崎豊さんと「ベクトルは同じ」という話がありましたが、その「ベクトル」を言葉にしてもらうことはできますか?
尾崎:生きることの本質を歌うってことじゃないですかね。それっていうのは人それぞれの解釈でしかないとも思うけど、いろんな観点で物事を見たとき、自分なりの答えを突き詰めていくということ。そういう本質に対する真摯さや、素直さをなくさない、自分を作らないっていうアーティストとしての姿勢に関しては、同じなんじゃないかと思います。
音楽だからこそ伝わるメッセージを発信していくのも、シンガーソングライターとしての役割のひとつだと思う。
―裕哉さんがミュージシャンになることを真剣に考えるようになったのはいつ頃ですか?
尾崎:高校を卒業するタイミングで、母親に「ミュージシャンになるから、大学には行かない」って言ったんですけど、「馬鹿野郎」って言われて(笑)。その頃はちゃんと曲も書いてなかったし、一生の友は学生のときじゃないと作れないから、大学に行ってからでも遅くないんじゃないかと。それで大学に行きながら曲を書き始めたんですけど、最初は歌詞が全然書けなかったんです。
―それはなぜ?
尾崎:たぶん、理想が高かったんだと思います。僕は尾崎豊の音楽を聴いて育ったので、ああいう物語を描写するような歌詞が正解で、「作品としての音楽」を求めていたんです。だからこそ、20歳から5~6年くらいは全然書けなくて、すごく苦しかったですね。ただ言葉を並べればいいはずなのに、でも言葉を並べるだけじゃ納得いかない。曲はすぐ作れても、それに見合う歌詞がまったくできない状態がずっと続いていたんです。
―5~6年苦しい時期が続いて、そこからの転機になったのはいつのどんな経験だったのでしょうか?
尾崎:曲の書き方を勉強しようと思って、バークリー音楽大学のサマープログラムに短期で参加したんです。そこに、僕が大好きなジョン・メイヤーの先生でもあるパット・パティソンっていう人がいて、彼の授業がすごくよかったんですね。彼の曲作りのメソッドは、「誰が、誰に、なぜ歌うのか?」が大事だということで、それを言われたときにハッとして。
そのプログラムでは、自分の曲を発表する機会があったんですけど、何人かいた日本人の受講者が僕の曲を褒めてくれたんです。“Road”っていう曲だったんですけど、等身大の歌詞というか、何も作ってない、自分の普通の言葉だったから、これでいいんだって思えたんですよね。
―「作品でなければならない」という想いから、解放された瞬間だったと。
尾崎:そうですね。ただ、だからといって急にスラスラ曲が書けるようになったわけではなく。初めて自分で納得できた曲は、去年配信でリリースした“始まりの街”なんですけど、あれを書くことができたのって、2年前なんですよね。
それまでは、歌うことはできても、「ヤバい、曲を作る才能がない」って、結構焦ってたんです。でも、そこは努力するしかないし、シンガーではなくシンガーソングライターとしてやりたいっていう想いは譲れなかったので、とにかく曲を書き続けました。それでようやくデビューするまでに至るという。
―“始まりの街”は、大学院を卒業するタイミングで母親に贈った曲なんですよね。
尾崎:そうです。そういう意味では、「誰が、誰に、なぜ歌うのか?」がはっきりしていたからこそ書けた曲でもあります。シンガーソングライターは、自分の想いや感情をいかに曲に込められるかが大事だと考えているんですけど、そのためには、もっと自分の心に潜っていかないといけないんですよね。そう思うのは、尾崎豊の存在が大きいからこそで。今は自分をさらけ出す過程にいて、まだ自分の想いや感情の10%も出せていないので、もっともっと頑張らないといけないなと。
―EPの1曲目の“サムデイ・スマイル”は、どんなテーマで作られた曲ですか?
尾崎:もともとは“上を向いて歩こう”みたいな曲が作りたかったんです。落ち込んでる人に、「僕らは絶対幸せになれる、今はその途中なんだ」って言っても、ピンと来ないじゃないですか? でも、音楽だからこそ伝わるメッセージってあると思っていて、そういうメッセージを発信していくのもシンガーソングライターとしての役割のひとつかなって思うんです。
僕は最初から自由だったからこそ、「自由に向かう」ということへの憧れがある。
―“上を向いて歩こう”もそうですけど、ただ前向きなわけではなくて、ネガティブな側面もちゃんと描かれていることがポイントかなと。
尾崎:僕のこだわりとして、100%ポジティブな曲は書きたくないんです。何かしら影がないと惹かれないし、陰影がはっきりある曲の方が美しいと思うんですよね。僕自身、今もコンプレックスがあるし、常に迷ってきた人間だから、その迷いや葛藤が自ずと出ているんだとも思うんですけど。
―それってまさに「本質を描く」ということだと思います。“サムデイ・スマイル”には、SALUさんが手がけたラップパートがあるのも印象的で。尾崎さんはエド・シーランやサム・スミスもお好きだそうですし、海外のR&BやヒップホップとJ-POPの新たな融合を作っていけそうに感じているんですよね。
尾崎:僕がアーティストとして目指しているのはジョン・メイヤーなんです。彼は変化が予測できない、音楽的教養の広さを感じさせるキャリアの築き方をしてきているんですけど、そういうところがすごく好きで。
海外の音楽の要素とJ-POPの要素、あと僕はギターが好きなので、ギターの要素を上手く融合させて、ジョン・メイヤーと同じく3~4作目くらいで音楽的な挑戦ができればと思います。すでにライブではフランク・オーシャンっぽいダウンテンポの曲とかもやっているんですけど、今回のEPはその取っ掛かりとして、いいバランスの作品になったんじゃないかと思っています。
―「自由の鐘を鳴らせ」という意味の、『LET FREEDOM RING』というタイトルは、マーティン・ルーサー・キング牧師のスピーチに対するオマージュなんですよね。
尾崎裕哉『LET FREEDOM RING』ジャケット(Amazonで見る)
尾崎:僕がやっていたラジオでも、彼の「愛なき力は暴力であり、力なき愛は無力である」という言葉を使ったりするくらい、もともとキング牧師をすごく尊敬していて。今作のテーマは「解放」で、「世の中に自分の存在を解放していきたい」「自分のメッセージを広めていきたい」っていう想いもあって、自分の気持ちをもっともっと出していきたかったんです。それでなおかつ、聴いてくれる人自身に置き換えてほしくて。自分を含む多くの人が「自身を解放できるように」っていう願いを込めて、このタイトルをつけました。
―キング牧師への憧れは、昔から持っていたんですか?
尾崎:そうですね。僕は小さい頃をアメリカで過ごしたんですけど、アメリカの歴史の授業の大半って奴隷に関することなんです。アメリカの歴史においてキング牧師はキーパーソンで、カリスマなんですよ。「I Have A Dream」のスピーチがそのいい例ですけど、彼は、「言葉で人の心を動かすことができる」っていうことを象徴する人で。そういうキング牧師の姿は、ミュージシャンの理想像や役割と重なると思うんです。
―今の話って、そのままお父さんにも通じる話ですよね。「FREEDOM=自由」という言葉は、尾崎豊さんを象徴する言葉でもあるわけで。
尾崎:ああ、そのとおりですね。やっぱり、「自由に向かう」っていうことへの憧れがあるんだと思います。自由を手にするために戦う姿勢というか。「自由に向かう」ということを非日常的で、かっこいいと感じるのは、父と比べると僕がある意味、最初から自由だったからこそだと思う。
―その自由に向かうことへの憧れは、尾崎さんの「音楽で社会貢献がしたい」という考えの背景にもなっているのかなと。
尾崎:そうかもしれないですね。もともとの話でいうと、ジョン・ウッドっていう、以前マイクロソフトにいて、今は「Room to Read」っていうNPOをやっている人が高校に講演に来たのが、社会貢献に興味を持ったきっかけだったんです。
ムハマド・ユヌス(「マイクロクレジット」という失業者や十分な資金のない起業家に対する融資の創始者)が『ノーベル平和賞』を獲って、そういうムーブメントが起きつつあったときに、ジョン・ウッドの話を聞いて、「こんな立派な人が世の中にいるのか」って思ったんですよ。自分と無関係の人のために活動し、貢献するという慈善的な行為を、世界規模で実行しているって、本当にすごいことだなと。それで、僕も彼のようになりたくて、誰かのためになれることを音楽でやりたいと思うようになったんです。
音楽で時代は変えられるって信じている。
―実際に、大学では社会起業家になる勉強をしていたそうですね。
尾崎:そうです。大学入試でも、「MUSIC SAVES EARTH PROJECT」っていうのを考えて発表しました。もともと寄付に興味があったから、カラオケをチャリティーコンサート化するっていう、「このアーティストの曲を歌ったら、1円寄付されます」みたいな妄想を描いてて(笑)。大学院に行ってからは、音大卒者の3割以下しか音楽で生計を立てられないという問題に向き合って、その割合をもっと上げるためのサービスについて、修論を書いたりもしました。
―そういう考え自体、アメリカ育ちであることと関連があると思いますか? 海外だとミュージシャンが社会的な発言をすることは普通で、日本も少し変わりつつありますけど、まだまだ距離が遠いなって思います。
尾崎:まあ、日本は芸能界的な部分もありますからね(笑)。もうちょっとみんな発言してもいいのにとは思うんですけど。ただ、欧米でMadonnaやBeyonceがLGBT(性的マイノリティー)の権利を求めているのって、宗教の問題があるとはいえ、その話題自体がもはや当たり前になってるという土台があるからで。でも、日本では、この問題って、まだまだ日常生活の会話になりづらいと思うんです。あと僕が思うのは、その人にとって身近な社会問題じゃないと、発言をする意味がないってことで。
―というと?
尾崎:たとえば、お金持ちの社長が寄付をするのって、税金対策か、社会的地位を高めるため、というケースが多いと思うんですけど、それは本質的ではないじゃないですか? アーティストとして社会的なアクションを起こすんだったら、本当に自分が共感できることじゃないとダメだと思う。
僕の場合、身内に身体障がい者がいるので、それを支える家族の問題は自分事でもあるんです。そういうことに対して、サポートしていきたいと考えて行動するのがあるべき形だと思うので、自分事ではない社会問題について無理して発言したり、行動したりする必要はないんじゃないかなと。
―もちろん、まずはシンガーソングライターとしていい音楽を作るということが最優先かと思いますが、将来的には、そのうえで社会貢献をしていきたいと考えているわけですね。
尾崎:ジョン・ウッドやリチャード・ブランソン(イギリスのレコードレーベル「ヴァージン・レコード」の設立者)だったり、目指す人物像としては、やっぱりアーティストよりも実業家の方が近いですね。社会や人に対して、何かしらいい影響を与えられる人になりたいし、僕はそれを音楽で実現させたい。
音楽は人の感情を動かすだけじゃなくて、実際に社会を変える力を持っていると思うんです。音楽を通じて、愛を歌って、他人を思いやる心を広められるような曲が作れたら、それってもう社会貢献じゃないですか。
―音楽の力を信じていると。
尾崎:自分自身が音楽に支えられたし、心を動かされた人間ですから。そういう経験が原体験としてあるからこそ、音楽で時代は変えられるって、本気で信じて、活動をしています。
- リリース情報
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- 尾崎裕哉
『LET FREEDOM RING』(CD) -
2017年3月22日(水)発売
価格:1,500円(税込)
TFCC-896131. サムデイ・スマイル
2. 27
3. 始まりの街(Soul Feeling Mix)
4. Stay by my Side
- 尾崎裕哉
- イベント情報
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- 『尾崎裕哉ツアー』
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2017年10月6日(金)
会場:大阪府 NHK大阪ホール2017年11月3日(金・祝)
会場:東京都 有楽町 東京国際フォーラム ホールC料金:各公演 前売6,480円
- プロフィール
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- 尾崎裕哉 (おざき ひろや)
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デジタルネイティブ世代のバイリンガル、コンテンポラリー・シンガーソングライター。1989年、東京生まれ。2歳の時、父・尾崎豊が死去。母と共にアメリカに渡り、15歳までの10年間を米国ボストンで過ごす。米国ではLed ZeppelinやGreen Dayなど、1960年代~90年代のロック&ブルーズから幅広く影響を受ける。もっとも敬愛するアーティストはジョン・メイヤー。同時に、父親が遺した音源を幼少期から繰り返し聴き続けて歌唱力を磨き、ギターとソングライティングを習得。2016年に、自伝『二世』(新潮社)を出版し、アーティスト「尾崎裕哉」としては初の音源となるデジタル1stシングル『始まりの街』をリリース。2017年春、初のフィジカルCD作品『LET FREEDOM RING』のリリースが決定(日本語訳は『自由の鐘を鳴らせ』)。「父が成し遂げられなかったことを果たしたい」という思いを胸に、遂に本格デビューを果たす。
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