1972年にデビューしてから、そのユニークかつ文学的な歌詞と飄々とした歌声で、今なお多くの人々の心を掴み続けている、あがた森魚。彼と、ベルウッド・レコードの45周年を記念して、「あがた森魚&はちみつぱい」名義のアルバム『べいびぃろん(BABY-LON)』がリリースされた。
鈴木慶一をはじめとする1970年代に日本のロック黎明期を支えたロックバンド・はちみつぱい、あがた森魚、そしてベルウッド・レコードが一同に集うのは45年ぶりとなる。
アルバムタイトルのバビロンとはもちろん、かつてメソポタミア地方・バビロニア帝国に存在した古代都市のこと。神の怒りに触れ、一度は壊滅しながら再び繁栄を築き上げたこの地に、あがたはどんな思いを馳せたのだろうか。映画『スター・ウォーズ』や『海底二万里』、小説『白鯨』、ギリシャ神話など、実に様々なモチーフをちりばめた歌詞を紐解きながら、半世紀以上も表現し続けるその原動力に迫った。
2、3年もしたら、震災のことだけをテーマにメッセージを送る人は、いなくなるだろうなと思っていたんです。
―アルバムタイトル『べいびぃろん』は、言うまでもなくメソポタミア地方の古代都市「バビロン」および、その象徴である「バベルの塔」をもじっていると思うんですが、これはどんな思いから付けたものなのでしょうか。
あがた:うーん……。一言ではうまく言えないんだよなあ……(しばらく考え込む)。
―バビロンは一度壊滅した都市ですが、東日本大震災も関係していますか?
あがた:そう、2011年3月11日という日から発している要素もある。みんな忘れはしないだろうけど、2、3年もしたら、このことだけをテーマにメッセージを送る人はいなくなるだろうなと思っていたんです。
何より僕自身の性分としても、そういうメッセージ性を感じさせる歌詞を書かない方ですし、「送りたくても送れないんだろうな」というもどかしさもあった。「じゃあ、どうするんだ?」と自問自答した末に出した結論は、2011年からの10年間、毎年必ず1枚ずつアルバムを出そうということだった。
あがた森魚&はちみつぱい『べいびぃろん(BABY-LON)』ジャケット(Amazonで見る)
―ええ。
あがた:アルバムを出していくうちに、もしかしたら僕の中でも「ああ、そういえば311が昔あったなあ」というふうに薄れていくかもしれないし、薄れるどころか「あの大きな出来事に対峙しうる作品なんて、そもそも最初から作れるわけないじゃないか」と思うかもしれない。
自分でもそれはまだわからないのだけれども、「あがた森魚はこの2010年代、なんか毎年のようにアルバムを出してたな。聴けばそれなりに濃い内容だし、いったい何なんだろう?」って、プリズムに光を当てたときに色が反射するようなイメージで、この10年を表現できたら……という思いが、僕の中にあるんだよね。
真摯にお互いを模索しながら連携しようと思っていた人たちを決裂させた、この現象がなんて残酷なことだろうと思った。
―311がご自身に何をもたらしたのか、いったい自分の中で何が起きたのか、作品にすることで分かろうとしているのでしょうか。自分を使った壮大な実験というか。
あがた:うん、そうだね。おっしゃる通り。震災が起きてから最初の数年は、いろんな人と議論もしたし、何か答えは出せないかと自分たちなりに模索をしていました。でも、幸か不幸か、議論すればするほど、対立や決裂、行き違いが明確になってくるわけです。
―ええ、そうですね。
あがた:あなたも、そういうことがあった?
―はい、僕もありました。
あがた:あなたも同じ思いをしていたのなら、なるべく正直に言います。原発の問題とかいろんな次元の話があるのだけど、僕は、人々が多くの友達を失い、真摯にお互いを模索しながら連携しようと思っていた人たちを決裂させた、この現象が311で受けた災害そのものと同等なほどになんて残酷なことだろうと思ったんです。
―本来、同じスタンスであったはずなのに、「細かい違い」が許せず内ゲバを起こすという現象は、至るところで起きていましたね。
あがた:そう。それは、よかったとも残念だったとも言えます。そのことで気づかされたこともあるから一概には言えないです。だから、「酷なプロセスだったな」とは思うけど、結果的に「よし」としたい。まさに表裏一体なんです。
そういうことも含めて、2020年まで毎年アルバムを作って、311について考えることに意義があると思っているんですよ。「これは言っておきたい」というアイデアは、まだまだたくさんあるし、それが実際の作品となったときに、さらに言いたいことが増えていったり、変わっていくかもしれない。そして、それらを分かち合える人がいるかどうかも大事な問題です。
ロックというのは、「生命に対するポジティビティー」があるものだと思うんです。
―たとえば、アルバム最後の曲“べいびぃらんどばびろん”は、震災から6年経ったからこそ見える景色を歌っていると思いました。「古代都市バビロンは神の怒りに触れて壊滅し、再びそこにバベルの塔を造り人々は集った」と伝えられています。
私たちも震災で多くの命や生活の場を失いましたが、それでもまた立ち直り、再び災害が起こるかもしれない同じ場所で繁栄を続けるという。そんな「諸行無常」の中で生きていて、それを諦念ととるのか、それとも希望なのかを聴き手に問うているようです。
あがた:あなたの言う通りですよ。誰かが同じことを言っていた。「悟りと諦めと達観、人生はその三拍子だ」って(笑)。まさにそうなんだけど、僕はロックには、その上にある力強さや図太さというか……「生命に対するポジティビティー」があると思うんです。
―ただ、「悟りと諦めと達観」の上に「生命に対するポジティビティー」を乗せて「ロック」するなんて並大抵のことじゃないですよね。一度は地獄を味わった人じゃないと難しいのかなとも思うのですが。
あがた:でもさ、ボブ・ディランが“Like a Rolling Stone”を歌ったのは24歳のときだよ。24歳の白人の、ことさら貧困層でもないシンガーソングライターで、デビューした後の方が、よほど地獄を味わったのかもしれない。なのに、若くして世界を変えるほどの歌詞を書いてしまった。
僕も45年前、23歳のときに“赤色エレジー”という曲を書いたのだけど(1972年にリリースされたあがたのデビュー曲)、そこに「あがた森魚」の全てがあったとも言える。その後の蓄積は、単に補足だったり裏打ちだったりでしかなくて、あの「あがた森魚」を超越したいと思うから、未だに音楽を作り続けているんだよね。
―確かに、「デビューアルバムにこそ全ての原点がある」と言われるように、多くのバンドやアーティストは1stアルバムですでに傑作を作り上げていますよね。
それと、本作では「港」というフレーズも多用されています。「港」というのは人やモノが出入りする場所で、定着しない、留まらない、安定しないものです。そういう意味では、バビロンの「諸行無常」にも繋がるのかなと。
あがた:そうですね。ひょっとしたら、僕たちが気づいていないところに「バビロン」的な場所があるかもしれない。たとえば、現代では東京やニューヨーク、アルゼンチンのブエノスアイレスとかね。今、思いつきで言った都市は全て港町なんですよ。20世紀は音楽を始め、いろいろなカルチャーが港から出入りした。人間の虚栄や欲望の地場だったわけ。
自分を愛するというのは自尊心を保つこと。
―今作で気になった曲のひとつが“四月の雪”です。この曲の<君はダンディ>という歌詞は、男性が女性に言っているのでしょうか。
あがた:そうです。この曲は本多信介(はちみつぱいのギター)からデモが送られてきて、聴いていたらふと、<君はダンディ>というフレーズが頭に浮かんだ。なぜ「ダンディ」なのかというと、「君らしく生きててかっこいいね」ってことなんですよね。
「君らしく生きててかっこいい」なんて、あったり前のことなのだけど、そんな簡単なことがなかなかできない。自分らしく生きるためには、ナルシシズムも必要なんじゃないかなとも思うんですよね。
―ナルシシズムというのは「自己愛」、つまり自己受容や自己肯定という意味でもありますか?
あがた:自己肯定でもあるし、ヒロイズムでもある。「かっこよくありたい」「かっこいい僕を見てほしい」という思いって、すごく大事なんですよ。「ナルシシズム」という言葉を使うと、自己陶酔的なネガティブな印象があるけど、自分を愛するというのは自尊心を保つこと。なんなら、エゴイズムのような悪い側面も丸ごと含んだナルシシズムは、自己肯定の大前提だと思います。
―確かに、自分のダメな部分も含めて愛せなかったら、人のことなんて愛せないですよね。
あがた:そう。深いナルシシズムは、「あなた」というワンアンドオンリーな自我と、「僕」というワンアンドオンリーな自我が、ちゃんと結び合う、素晴らしいことなんだよね。
―また、1曲目の“アポロンの青銅器”をはじめ、本作ではオイディプスコンプレックス(子どもが異性の親に愛情を持ち、同性の親に嫉妬心を抱く無意識的葛藤)もテーマに掲げています。
あがた:うん。オイディプスコンプレックスというのは、逃れられない大きなテーマのひとつなんです。
追求を始めると、周りが見えなくなっちゃうんですよ。
―なぜオイディプスコンプレックスから逃れられないと思うのですか?
あがた:だって、「今日は暑いな」「お腹空いたな」「あの人に会いたいな」と思う先には、「なんで今、僕は満足してないのかな」という根源的な問いがあって。その元を辿っていくと、「僕は、たかだか父親にすら勝てない存在なんだ」というところに行き着くと思うわけ。
父親というのは、強いシンパシーを感じる存在であると同時に、乗り越えなければならないテーゼでもある。映画でも『エデンの東』から『スター・ウォーズ』まで、多くの作品にオイディプスコンプレックスというテーマが潜んでいてさ。今作もそうなんですよ。
―以前のインタビュー(あがた森魚が語る「ベルウッド・レコード」と、伝える技術の話)で、「僕はテーゼに対するアンチテーゼには興味がなくて、限りなくテーゼでやりたい」とおっしゃっていました。その「テーゼ」とは何なのかなと思いながらお話を聞いていたのですが、今回のアルバムだと「父性」なのかなと。
“アポロンの青銅器”だけでなく、“クリーニングはエイハブ”も、テーマは「父と息子の相克」です。この曲は小説『白鯨』がモチーフで、主人公エイハブ船長が追いかける白鯨モビィ・ディックは、彼にとって父の亡霊のような存在として描かれています。テーゼは、あがたさんにとって乗り越えるべき「父性」であると同時に、あがたさん自身がテーゼである「父性」をお持ちでもあるのかと。
あがた:うん、まさに! 表裏一体なんだよね。表裏一体も、僕の永遠のテーマだから。今の話でいうと、僕がアルバムを作るということは、エイハブ船長がモビィを追いかけることと同じなのかもしれないです。
エイハブは片足をモビィに食いちぎられ、鯨骨製の義足を装着して「あいつを仕留めないと、どうしようもない」と復讐に燃え、周りの乗組員が呼び止めているのに、取り憑かれたように進んで行く……。彼は白鯨を追いかけているのか、父の亡霊を追いかけているのか、生きるテーゼを求めているのか、わかんなくなっていくわけだよ。
―そうですね。
あがた:エイハブ船長も、ネモ船長(『海底二万里』の主人公。今作収録の“春一番にいかなくちゃ”はこの作品にインスパイアされている)もそうだけど、「これ!」と決めた目標に向かって遮二無二進んでいく姿は、はたから見ると「妄想に取り憑かれた狂人」なのかもしれないですね。今回、僕もキングレコードさんやはちみつぱいのみんなに、けっこう迷惑をかけた。創作の追求を始めると、周りが見えなくなっちゃうんですよ。
若い人たちにどうのこうのなんて、僕は言えないよ。
―あがたさんは、若いロックバンドとの共演も積極的にされていますが、70歳になろうとしている今もなお、現役のロックミュージシャンであり続ける原動力はどこにあるのでしょう。
あがた:オヤジがロックらしきものをやるのは、すごく難しい。かつて「怒れる若者たち」(ジョン・オズボーンの戯曲『怒りをこめてふり返れ』にちなみ、1950年代に登場したムーブメント)や、『恐るべき子供たち』(フランスの詩人ジャン・コクトーの小説)なんて言葉もあったけど、若者が大人たちに向かって何かを問いかける、メッセージを送る、アンチテーゼを示すことは、かっこよくポジティブなことだよね。
でも、僕くらいの歳になって、たとえば「ふざけんじゃねえ!」なんて叫んだらさ、かっこ悪い上に「上から目線の圧力」になりかねない。本人は上に向かって叫んだつもりが、下に向かって威圧していたということも起こりうる。
―ただ、あがたさんが「限りなくテーゼでやりたい」」とおっしゃったのは、下の世代にとって「乗り越えるべき存在」であることを、引き受ける覚悟と強さをお持ちなのかと。
あがた:いや、若い人たちにどうのこうのなんて、僕は言えないよ。「お前らがやりたいことをやれ、俺は俺で勝手にやってるから」としか。
―そうなのですね。
あがた:ロックミュージシャンなんて、どこか狂った人間がやり続けていると思うんです。社会のはみ出し者で「しょうがねえオヤジだな」と思われながら、「世の中にはこんな奴がいたっていいんじゃないか?」ということで、存在を許されている。
でも、「そんなロックなんて要りません。ここはコンビニエンスストアなので、棚に載せられる規格サイズで、箱に詰めて持ってきてください」って言われるのが現状だよね。そんなのロックじゃない。どんな大きさのものがやってくるのかわからないのがロックなんだからさ。
―わかります。アーティストなんて傾奇者であって、何でもかんでも世間一般の常識を当てはめようとする昨今の風潮には辟易します。
あがた:だって、ポール・マッカートニーや、フィル・スペクター(アメリカの音楽プロデューサー)とか、いろいろあるけど、全部ひっくるめて「最高に素晴らしいロックミュージシャン」だと認めざるを得ない。人から狂人、罪人、詐欺師と言われようが、「これがロックンロールだ!」ってやってるやつが、ロックだよ。
- リリース情報
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- あがた森魚&はちみつぱい
『べいびぃろん(BABY-LON)』(CD) -
2017年4月26日(水)発売
価格:3,240円(税込)
KICS-34841. アポロンの青銅器
2. 春一番にいかなくちゃ
3. もおたりぜいしょん
4. 大平原
5. 虫のわるつ
6. この夏リバティー
7. 森から生まれた獣たちは
8. 四月の雪
9 クリーニングはエイハブ
10. いつものようにただだまって
11. 港の純情
12. 真夜中を歩く
13. べいびぃらんどばびろん
- あがた森魚&はちみつぱい
- プロフィール
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- あがた森魚 (あがた もりお)
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1948年北海道生まれ。1972年『赤色エレジー』でデビュー。当時、アメリカのコンテンポラリーなフォークロックやヒッピームーブメントなどに強い影響を受けながらも、その影響下に留まらず、日本の大正や昭和のロマンティックな大衆文化を彷彿とさせるオリジナリティーあふれる音楽世界を創り出していった。デビューアルバム『乙女の儚夢』以降、『噫無情』『日本少年』『永遠の遠国』と、あがた森魚世界観をはらんだアルバムを発表しながら1970年代を駆け抜けた。映画製作や文筆活動等々多岐にわたりながらオリジナルアルバムを次々とリリース。デビュー40周年の2012年にはアルバムリリースや記念コンサートの開催など意欲的に活動。10月3日、ベルウッドの創立40周年を記念して「Bellwood 40th Anniversary Collection」と銘打って51タイトル再発されたコレクションには、あがた森魚の初期3枚のアルバムが含まれる。
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