馬喰町バンドとMOROHA。片や、「ゼロから始める民族音楽」をコンセプトに掲げ、世界中の民族音楽を採集&脱構築しながら、新たな大衆音楽を生み出すバンド。片や、鋭さも柔らかさも極限まで磨き上げたラップと心の隅にまで浸透するギタープレイで、聴き手の「人生」と「音楽」を直列に繋ぐ2人組。今回、馬喰町バンドの新作『メテオ』リリースに際し、この二組による異種格闘技戦的な対談が実現した。
音楽性に関しては、大まかに「ラップ」という共通点があり、イベントでの共演経験はあるものの、根本的に交わることはほとんどないと言っていい。だが、それゆえにこの対談では、お互いの今まであまり語られてこなかった「音」と「言葉」における本質、そして、二組の間に隠された共通点も浮き彫りになった。このテキストのなかには、新しい「人と音楽の在り方」が刻まれている。どうか二組の音楽と共に、ゼロから楽しんでほしい。
僕は、ずっと「自分はアウトサイダーだ」っていう感覚を抱えているんだけど、MOROHAを聴くと、「この人たちも徹底的にアウトサイダーだな」って思う。(武)
―馬喰町バンドは「ゼロから始める民族音楽」をコンセプトに掲げていますが、MOROHAのおふたりにとって、民族音楽とはどんなふうに見えているものでしょうか?
AFRO(MC / MOROHA):伝統的なものって、「変わらないこと」がひとつの定義だと思うんですよ。俺の地元の長野県青木村にも「義民太鼓」っていう伝統芸能があるんですけど、それも過去から継承されてきたものだし、「変わらないもの」をやることに一番の意味がある。
だからこそ馬喰町バンドの、民族音楽を「ゼロから」始めようっていうスタンスには、従来の民族音楽に対するアンチテーゼを感じます。変わらないことが良しとされるものを「ゼロから」作りなおす、進化させていく……これ、かなりのパンク精神がなきゃできないですよね?
左から:馬喰町バンド(織田洋介、武徹太郎)、MOROHA(AFRO、UK)
武(唄,Gt,エレキ六線 / 馬喰町バンド):ご明察です。でも、さすがポエマーですね。「パンク精神」っていう言葉を使って表現してくれる人はいなかったから、嬉しいな。
AFRO:本当ですか? 僕はヒシヒシと感じました。伝統的なものに対して、多くの人は「伝統的である」というだけで感動するけど、たとえ何百年の歴史があろうと、一切感動しないものだってあるんですよね。民族音楽でもヒップホップでも、あらゆるジャンルにおいて「正解」はあると思うけど、時代の横っ面を殴れるのって、それをいち早く破った人だと思う。
なので俺も、「正解」には絶対に従いたくないなって思いながらやっています。「正解」から生まれる予定調和じゃなくて、お客さんや俺たち自身が新しい世界を見つける瞬間が、一番かっこいいなって思うので。その瞬間が「ゼロから始める」っていうことだと俺は解釈しました。
武:そうなんですよ。どんな伝統的なものでも、最初にやり始めた人は素人だったんだから、それを僕らがゼロからやることの価値は、誰が否定できるものでもないだろうって思うんです。僕は、「伝統には正解がある」っていう権威主義が生理的に受け入れられないし、ずっと「自分はアウトサイダーだ」っていう感覚を抱えていて。いわゆるバンドシーンにも、民族音楽の世界にも、どこに行っても自分たちが居心地よく呼吸できる場所がなかったんですよね。
武:でも、MOROHAを聴くと、「この人たちも徹底的にアウトサイダーだな」って思うんです。「自分たちのやりたいことが既存のジャンルにハマらない。じゃあ、俺たちは俺たちでやるよ!」っていう、強固なスタンスをめちゃくちゃ感じる。
AFRO:それはありますね。結局、自分らしさを最大限に発揮できる場所に先駆者がいないと、居場所のなさを感じてしまうだけで。俺らはDragon Ash直撃の世代なので、「ミクスチャー」という言葉にすごく馴染みがあるし、たとえば「MOROHAは、フォークとヒップホップのミクスチャーだ」って言われたら、しっくりこざるを得ない部分もある。でも、やっていることは全く違うし、そこは音楽を聴いたらわかってもらえることだと思っています。
ジャンルが云々言われたら、「単に括りたいだけなんだな」って思う。俺たちが訊きたいのは、「それってつまり、『最高だ』ってこと?」ってだけ。(AFRO)
―MOROHAとして、「こう言われたら納得できるな」っていうジャンルや形容ってありますか?
AFRO:別に、周りからはなんと言ってもらってもかまわないですね。たとえば、「MOROHAはロックだ」と言われたとき、その人の一番好きな音楽がロックなら、それはその人なりの最大限のリスペクトじゃないですか。ヒップホップ好きに「お前らヒップホップだよ」って言われたら、「認めてくれているんだな」って思うし。ジャンルが云々言われたら、「単に括りたいだけなんだな」って思うけど。俺たちが訊きたいのは、「それってつまり、『最高だ』ってこと?」ってだけで。
武:その感覚、わかりますよ! 女の子に「俺のこと好き?」って訊いて、「愛してる」なんて言われても、「『愛してる』ってなんなの?」って感じだし。結局、「君の一番恥ずかしい言葉で俺を気持ちよくしてくれよ!」っていうことじゃないですか。
AFRO:ははは!(笑) それ、すっげぇ素敵なフレーズですね! 「一番恥ずかしい言葉で気持ちよくしてくれ」かぁ……そのまま歌詞に使ってもいいですか?(笑)
―(笑)。UKさんは、馬喰町バンドにどんな印象を持っていますか?
UK(Gt / MOROHA):もう、頭の作りが違う人たちっていう感じですね。初めてライブを観たとき、衝撃だったんですよ。曲の作りもそうだけど、音楽に対する発想がそもそも違う。「これ全部、どうやって考えているんだろう?」っていう感じで。「こんなこと、自分には絶対にできない」って思いました。楽器も自作されていますよね? そのスタンスも、自分の価値観とは全然違ったので。
武:でも、今使っている楽器を作ったのは、民族音楽とポップスの融和するポイントを模索するなかで必要だったからというのが一番の理由なのですけど、その一端には、MOROHAの影響も少しあるんですよ。
ジャンルなんてなんでもいいんだけど、どこかで「ヒップホップをギター1本でやりたい」と思っている部分はあって。(UK)
―武さんは「六線」という自作楽器を使っていらっしゃいますよね。それにMOROHAの影響もあるというのは、どういうことなのでしょう?
六線(インタビュー:子どもは誰でも作曲能力がある?馬喰町バンドが目指す無垢な音楽より)
武:僕たち、ライブの打ち上げでいつもラップをするんですよ。それであるとき、「ギターの弾き語りでラップでもしようかな」って軽い気持ちで言ったら、地方のライブハウスのスタッフの人に、「MOROHAって知ってる?」って言われて。それで初めてMOROHAを聴いたんですけど、もう、ギターのフレーズが洪水のように押し寄せてきて……僕のほうこそ、「こんなの弾き語りでできっこねぇ!」って思ったんですよね。
それで、その道は諦めて、三味線でラップをやろうとしたんです。でも、「三味線でラップって、極めても全然ウケねぇな」って冷静になって(笑)。結果として、ギターと三味線の中間の楽器、「六線」を作ったんです。
―CINRA.NETの前回のインタビュー(「ヒップホップと日本民謡は近しい文化」馬喰町バンド×稲葉まり)で、武さんが「民謡を調べていくとどんどんヒップホップに近づいていった」と、おっしゃっていましたよね。馬喰町バンドのおふたりから見て、MOROHAのサウンドの面白さはどこにありますか?
武:曲の構造的にも、ものすごく面白いと思います。曲によっては、最後のほうで急に拍子が変わったりするんですよね。あとギターって、ポップスやロックのフィールドでやっていたら、そこまで奥が深いようには感じないんですけど、MOROHAの音楽には、ギターの無限の奥行きがあるような気がします。
織田(唄,Ba / 馬喰町バンド):最近のUKさんのギターは、パーカッシブなスタイルを取り入れていますよね。あれは、どういった経緯で辿り着いたんですか?
UK:偶然の産物なんですよ。ジャンルなんてなんでもいいんだけど、どこかで「ヒップホップをギター1本でやりたい」と思っている部分はあって。そう考えると、「ビート感をいかに出すか」っていうのが、僕らが立ち向かわなきゃいけない課題なんです。そこで試行錯誤し続けてきた結果が今のスタイルですね。
あと、自分のなかの闘いという側面もあります。たとえば、そもそものチューニングを変えるのは「逃げ」だと思っているから、絶対にレギュラーチューニングのままやろうと思っていたり。キーの高さを変えたければ、カポを付けようって(笑)。
武:なるほど。キーをカポで変えるのは、フラメンコも一緒ですよ。三味線とも、構造は一緒ですね。伝統って、言わば「合理性」を突き詰めたものだけど、UKさんは「伝統」ではなく「思想」として、そこに辿り着いているんですね。
あと、UKさんが言う「ビートがないがゆえのビート感」って、僕にはすごい長所に聴こえます。MOROHAは、表立ったリズムに、ぴったりと歌が乗っているわけではないじゃないですか。それってつまり、おふたりだけが感じることのできるビートがあるっていうことで。やっぱりMOROHAは、思った以上に奥が深いなあ。
―MOROHAが「1MC1ギター」の形態にこだわる理由には、なにがあるのでしょうか?
UK:正直、やりたいことをやっているだけなんですよね。今は単純にギターが弾きたいから弾いているだけで、もしドラムを叩きたくなったらそうするし。「MOROHAの形態はこれだ」って周りは勝手に思い込んでいるけど、全然そんなことはなくて。さらに楽器隊を加えることがベストな方法なら、そうすると思います。それを、周りから「媚び売っている」とか「魂を売った」と捉えられるのなら、それは自分たちの未熟さが出ているだけだと思うし。
AFRO:そうだね。俺も、今はラップがしっくりきているけど、この先、普通に歌うことがしっくりくるときがきたら歌うし、絵を描くことに変われば、そうするし。「ラップがしたくてラップをしているわけじゃない」っていうことは、言い聞かせている部分でもあります。とにかく、自分のなかにある「うわぁぁー!」っていう感情の高ぶり表現したい。それが一番重要なことです。
UK:でも、しばらくは変わらないと思いますよ。今の形で、もっとちゃんとした結果がほしいなって思うので。
武:結果というのは?
UK:地位と名声ですね。
武:なるほど。今のMOROHAに地位と名声はないですか?
UK:自分たちが納得いくまでは、まだまだ足りないです。
「百姓」という言葉があったように、人はもともと百の仕事を自分たちでやっていて、生活のなかで総合芸術を作っていたんです。(織田)
―MOROHAのおふたりが言う、「地位」や「名声」というのはどういうものなのでしょうか? ここからは二組の「言葉」に対する考えも伺いたいです。
AFRO:「地位と名声がほしい」って俺らはよく言いますけど、これは決してふざけて言っているわけではないんです。たとえば、俺が「もっとMOROHAを広めたい」と思って、フライヤーを撒いたり、「聴いてください」ってCDを渡しに行ったりすると、MOROHAの場合、その行為自体が曲になるんですよ。
武:“それいけ!フライヤーマン”という曲もありますもんね。
AFRO:地位と名声を目指してやる行動、それ自体が音楽に昇華されるんです。それが今、自分のなかでいいサイクルになっていて。それに「地位と名声」って、ひと口に言ってもいろんな形があると思うんです。
MOROHAとしては売れたり、知ってもらうことが地位と名声かもしれないけど、自分の人生のなかで、たとえば「対彼女」で考えた場合、彼女に対しての「地位と名声」って、つまり「愛されること」じゃないですか。じゃあ、愛されるためになにをすればいいのかって考えること……それ自体が、歌詞に活きてくる。
―生きていくなかで考えること、あるいは、生活そのものが音楽になり、作品になっているということですね。ある種、音楽と人生の間に自給自足のサイクルが成立しているというか。
織田:なるほど。「百姓」という言葉があったように、人はもともと百の仕事を自分たちでやるものだったんですよね。祭りのことも、生活のことも、全部自分たちでやる。だから昔は、みんなが生活のなかで総合芸術を作ることができた。
でも今は、経済活動をしないといけないから、分業しなければいけなくなって、AFROさんの言う「ミクスチャー」な価値観が生まれない状況になったんだろうと思うんです。でも、AFROさんはミクスチャーしていますよね。
AFRO:そっか。今自分がやっていることは、百姓の人が、牛の世話をしながら肥しを作って、それを畑に撒いて耕して、祭りもやって……そうやって生活を回していたのと通じるのかもしれないんですね。だからこそ、ダサいところも歌になる。
ポンッとニンジンを投げられたら、ふらっとそっちに行っちゃう、そんなブレちゃう瞬間も俺にはあるけど、別に「すげえ立派な人間ですよ」って発表したくて、ステージに上がっているわけではないので。素敵なことばかりだけではないっていうところも、ガツッと音楽に落とし込んでおきたいんですよね。
言葉って、「お守り」みたいなもの。(AFRO)
武:ブレることは誰にでもありますよね。AFROさんはなににブレますか?
AFRO:お金にも女の子にもブレますよ。
武:いやぁ、女の子にはブレますよね……。僕もブレブレです。
AFRO:そうなんですよねぇ。……あ、最近、彼女ができたので、やっぱり女の子にはブレないです。
武:嘘だ! 女の子にはブレるのが普通!(笑)
AFRO:いや、この1年ちょっとは本当にブレていないんですよ! これ、絶対に書いておいてください!(笑)
織田:そういえば、AFROさんが初めて僕らのライブに来てくれたとき、小さいキャンパスノートになにかを書き留めていたんですよ。あれは昔からやっているんですか?
AFRO:俺はラッパーになる前からポエマーだったんです(笑)。子供のころから、国語の教科書の端っこにポエムを書いてました。それを忘れて、好きな子にその教科書を貸しちゃったりするんですよ。
一同:(笑)。
―なぜ、AFROさんは、子供のころから「言葉」に自分を託してきたんでしょうね?
AFRO:なんというか……言葉って、「お守り」みたいなものというか。たとえば、ある地域では葉っぱがお守りだと信じられているとして、そうするとその地域では本当に葉っぱは霊的なパワーを持つんです。だけど、別の地域では葉っぱは葉っぱでしかない、お守りとして扱われていない、そうなるとその地域の葉っぱはパワーを持たなくなるんです。それが事実であれ嘘であれ、俺はこういう話が大好きなんですよ。
武:僕は昔、わらべ歌や民謡をやっていたので、個人的なことよりも、もっと普遍的なことを歌うべきだと思っていたんです。でも、最近はどんどんと「自分の言いたいことを言うのが音楽なんだな」って思うようになってきていて。だから、昔よりも自分の言いたいことや思想は言葉にして、音楽のなかに出すようにしているんです。
でも、そうしたら最近、「あの歌詞ってどういう意味なの?」って周りの人によく訊かれるようになったんですよね。AFROさんもきっと、「あの歌詞に励まされました」とか、言われますよね?
AFRO:そういうことを言ってくれる人は多いです。でも正直、俺は疑っています。ライブが終わったあとに「俺、絶対に頑張ります!」って言ってくるヤツらは多いし、「頑張ってね」って心から思うけど、「本当に頑張るかな?」とも思う。
AFRO:たとえば、10人が「頑張ります」って言ってくれたなかで、1人や2人は本当に頑張るかもしれないけど、残りの8人はきっと、次の日には忘れちゃうんだろうなって。瞬間的な熱量がブワッと上がる瞬間を見ても、「それがどれだけ続くんだろう?」っていつも思うんです。寂しいことかもしれないけど。
織田:でも、「こんなことを頑張りました」って報告に来てくれる人もいるでしょう?
AFRO:うん、そういう人もいます。
織田:そういう人にとって、MOROHAは絵馬みたいな存在なのかもしれない。たまに、「合格できますように」って書いてある絵馬の横に、「合格できました!」って書いてあったりするじゃないですか。僕、あれを見るとアガるんですよ。
AFRO:あれ、俺もアガります。絵馬かぁ……たしかに。俺の人生のなかにも、本当に自分を頑張らせてくれる音楽があったので、聴いてくれる人にとってそういう存在になりたいですよね。
武:あまりメッセージ性のない音楽をやっている我々ですら、「救われた」って言ってくれる人がいると、すごく嬉しいんですよ。綺麗事みたいだけど、僕は、音楽って「喜び」だと思っているんです。人の気持ちを解放するものというか。
表面的に盛り上がるだけじゃなくて、人の気持ちのわだかまりをほどいて、喜びと一緒に人が解放されて自由になれることが、音楽にとってとても大切なことだと思っていて。僕は音楽を聴くのが大好きだから、心の解放バルブがガバガバに緩んでいるんですけど(笑)、でも不思議と、オノマトペみたいな、擬音語だけでやっている音楽では、そこまで解放させられないんですよね。
―あくまでも、意味のある「言葉」であることが重要なんですね。
武:そうなんです。歌もうまくてメロディーが好きでも、「音」として声を発している音楽にはあまりグッとこない。「言葉」を歌っているほうがグッとくるんですよ。たとえ理解できない外国語でも、そこはわかるんですよね。
やっぱり僕も、「言葉」を出していくことに対して、「結局、音楽ってこれだろ」って信じているところがあって。直接言えない自分の気持ちを、言葉にして、さらに音楽にしていくことで、その気持ちは人に届くだろうっていうことを、僕は今、人生で一番信じているかもしれないです。
AFROさんの歌詞を、飲み屋で直接先輩に言われたら、「今日、先輩やべぇなぁ」って感じじゃないですか(笑)。でも、あれが歌になると、感動しちゃうんですよね。(武)
―武さんは「音楽は喜び」とおっしゃいましたけど、MOROHAのおふたりは、音楽を何かしらの感情に置き換えることはできると思いますか?
AFRO:難しいな……でも、広い意味では「喜び」なのかも。
UK:「喜び」を「悲しみ」として聴く人もいるだろうし……もっと広く、「感情の置き場」というか。
AFRO:それ、素敵だね。
武:音楽と人の気持ちって不思議ですよね。大切なものを失くして心が張り裂けそうなとき、誰だって、そのことを思い出したくはないと思うんですよ。それなのに音楽って、失恋した歌や、大切な人を失くしてしまった歌が多いじゃないですか。昭和歌謡なんか特に、傷口に染み込むような、悲しさの極みのような歌が多くて。
たとえば、フォーク・クルセダーズの“悲しくてやりきれない”。あの歌だって、歌詞は理由のない悲しみが支配しているけど、音楽になることで、人を救えるんですよね。悲しい記憶を思い出して、涙がボロボロ出て、その果てに心が軽くなるような体験が、音楽では本当に起こる。それって、僕はすごいと思うんですよ。
AFRO:本当にそうだなぁ……。「悲しくてやりきれない」っていう気持ちの置き場を、歌に求めたんですもんね。
武:そう。だから僕は、やっぱり音楽は「喜び」だと思うんです。きっとMOROHAの音楽もそうですよ。AFROさんの歌詞を、飲み屋で直接先輩に言われたら、「今日、先輩やべぇなぁ」っていう感じじゃないですか(笑)。
AFRO:めっちゃウザいですよ(笑)。
武:でも、あれが歌になると、感動しちゃうんですよね。
AFRO:そっかぁ……そう考えると、すごいっすね、音楽。
- リリース情報
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- 馬喰町バンド
『メテオ』(CD) -
2017年4月5日(水)発売
価格:2,484円(税込)
DDCZ-21481. 東京オーバードライブ
2. ゆらゆら
3. なかうちくるまえくっとさけるまでゆけゆけ
4. Wajaja
5. 昔月に人が住んでいて
6. いってみよう
7. 五月
8. マイノリティ
- 馬喰町バンド
- ライブ情報
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- 『馬喰町バンド × 村のバザール 馬喰町バンド6thアルバム「メテオ」リリースパーティー』
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2017年5月6日(土)
会場:東京都 カフェ『村のバザール』
- プロフィール
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- 馬喰町バンド (ばくろちょうばんど)
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「ゼロから始める民俗音楽」をコンセプトに結成されたバンド。懐かしいようでいて何処にもなかった音楽をバンド形式で唄って演奏する。2016年12月~NHK・Eテレ教育番組『シャキーン!』の1コーナー「終わる瞬間」のテーマ曲に、“わたしたち”(4thアルバム『遊びましょう』収録曲)が採用された。2017年4月からは同番組・同コーナーにて馬喰町バンド書き下ろしのオリジナル曲がテーマ曲として決定している。また、2016年から各所で上映されている映画『鳥居をくぐり抜けて風』の音楽を担当するなど、映像の世界へも活動範囲を広げている。2016年11月にリリースした5thアルバム『あみこねあほい』から僅か5か月後の2017年4月5日に、6thアルバム「メテオ」をリリースした。
- MOROHA (もろは)
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舞台上に鎮座するアコースティックギターのUKと、汗に染まるTシャツを纏いマイクに喰らいつくMCのアフロからなる2人組。互いの持ち味を最大限生かすため、楽曲、ライブ共にGt×MCという最小編成で臨む。その音は矢の如く鋭く、鈍器のように重く、暮れる夕陽のように柔らかい。相手を選ばず、「対ジャンル」ではなく「対人間」を題目に活動。ライブハウス、ホール、フェス、場所を問わず聴き手の人生へと踏み込む。道徳や正しさとは程遠い、人間の弱さ醜さを含めた真実に迫る音楽をかき鳴らし、賛否両論を巻き起こしている。
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