細いペンで描かれた豊かな細部の集積によって、まるでさまざまな存在を包含する山や都市のように、見る人を圧倒するスケールの絵を描いてきた池田学。現在暮らすアメリカの地で約3年をかけて制作された新作『誕生』を始め、代表作を網羅した回顧展『池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙―』が、金沢21世紀美術館で開催中だ。
今も大好きな昆虫や魚など、目の前にあるものを詳細に描き写し、小さなものの中に大きな世界を想像する「癖」を持っていたという少年時代。その感性に加え、これまでの自分の活動を支えてきたのは、10代で筋トレのように取り組んだデッサンから身に付けた技術力だと振り返る。アメリカでの生活と制作、『誕生』のテーマである震災や自然観、細部よりも重要な「全体感」のこだわりまで。帰国中の画家に話を聞いた。
下絵を完成させてから描くことが苦手で、ディテールは描きながら考える。
―池田さんは大作になると、数年がかりで制作されるそうですね。今回、展示されている新作『誕生』も3年以上をかけた作品ですが、どうやって長期間、モチベーションを維持するのか気になります。普段の生活はどのようなものなんでしょうか?
池田:今ウィスコンシン州のマディソンに住んでいて、『誕生』はその街のチェゼン美術館のスタジオで描いた作品なんですが、館のセキュリティが厳しいので、9時まで入れないし、17時には出ないといけないんです。なので、休館日の月曜以外、火曜から土曜までのその時間帯に制作する生活ですね。夜は家族と過ごして、娘たちが寝たらメールの返信などをする。朝は娘を学校に送り、その足で美術館に行っています。
『誕生』2013-2016年 紙にペン、インク、透明水彩 300×400cm Photo by Eric Tadsen for Chazen Museum of Art ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo/ Singapore
―会社員の通勤みたいですね。家で制作はしないんですか?
池田:家での制作は、しないようにしています。美術館で1日集中しているので、帰ってからは描きたくない。日本にいたときは、その切り替えがなかなかできなかったんです。起きたら目の前に絵があって、昼くらいにようやく描き始め、エンジンがかかる頃には夜になっている。描きたくなければ、描かないでもいられた。
でも、今はスタジオの時間が決まっているので、意外と描きたくなくなることはないんです。逆にもっと描きたいと思っても、17時になるとやめます。切り替えが大事だと思いますね。
―1日に進むのは10センチ四方だけと聞きましたが、巨大な画面をコツコツ埋めるなかで、描くことが作業的になってしまうことはないんでしょうか?
池田:マンネリ化はあまりないんです。その理由の1つは、僕が下絵を描かないことだと思います。下絵を完成させてから描くことが苦手で、ディテールは描きながら考える。先が見えない方が好きなんです。
一種の癖のように、描いて集めて欲求が満たされた。ビックリマンチョコのシールと同じように(笑)。
―趣味のアウトドアスポーツの存在も、大きいんでしょうね。
池田:ロッククライミングとスキーと釣りをやるんですが、行き詰まると1週間ほど遊びに行きます。アウトドアは、もう「好き」の一言。できればスポーツ選手とか冒険家とか、アウトドアに関わる職業に就きたかったくらいで。絵はやはり仕事なんですよ。
『巌ノ王』1998年 紙にペン、インク 195×100cm おぶせミュージアム・中島千波館蔵 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
池田:絵描きさんによっては、暇さえあれば絵を描きたい人もいますけど、僕はまったくそうではないですね。仕事のときは仕事としてしっかり絵を描いて、もちろんそこに楽しさもありますけど、休日は絵と離れたところにいたくて。外で思いっきり身体を動かしているときは、絵のことはまったく頭にありませんね。それが自分の中で、すごくバランスが取れているあり方なんだと思います。
―ご自身でもおっしゃっていますが、池田さんの絵には岩場の小さなくぼみを見たとき、そこに小宇宙が広がるような感覚があります。そうした自然体験が、制作の原点にあるものなんでしょうか?
池田:そうですね。自然からインスピレーションが湧くことがほとんどです。今回も小さい頃の絵が展示されていますが、虫や魚を捕まえると、眺めるだけでなく描きたくなるんです。原体験はそこですね。それは一種の癖で、描くことで欲求が満たされた。ビックリマンチョコのシールと同じように(笑)、描いて集めてコンプリートする感じで。
『池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙―』金沢21世紀美術館 展示風景
山よりも、生えている木を見ると想像が湧く。
―小さな入口の奥に、世界がどんどん広がっていく感覚が好きなんですか?
池田:というより、小さなものを大きなものとして捉えて、想像することが好きなんだと思います。たとえば、今この机の穴の向こうに床が見えていますけど、ここにすごく小さな街が広がっていたら、この穴の大きさは一気に広大に見えてくる。このペットボトルの水の上に船が浮いていたら、この水はどれだけ広大になるのかとか、小さいものを見て大きな世界を想像する。そういう見方をするのは、考え方の癖だと思います。
『Gate』2010年 紙にペン、インク22×27cm 個人蔵 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
―人間的なスケールを変えてみると。
池田:そうそう。だから意外と、ただ山を見てもあまり想像は膨らまないんです。山よりも、生えている木を見ると想像が湧く。山は1つの大きな塊であり空間ですが、じつは木の一本一本にも空間があって、そういう小さなものが集まり、大きな塊や空間を形成しているわけですよね。自分の絵のイメージは、それに近いものなんです。
細部というのは、あくまでも大きな塊の量感を出すための情報であって、そこがゴールではないんです。
―池田さんはたびたび、自分の絵が細密画と呼ばれることへの違和感について話し、「重要なのは全体感」と言っています。
池田:僕の中で細密画というと、人間の手の痕跡を消すほど細かくて、どう描いたかわからないところまでいったもの、という印象なんです。でも僕の作品は、近づいてもらうとわかりますが、タッチが見える。そういう意味では、細密ではあるけれど、細密画ではないなと。
その「全体感」というのは、さきほどの山と木の関係もそうですが、部分を積み重ねることで、大きな空気が見えるということです。たとえば、『Meltdown』という作品なら、この大きな岩の各面に沿っている建物群を克明に描くことで、空間が具体的になっていくし、巨大な岩の塊感も生まれるんです。だから細部というのは、あくまでも大きな塊の量感を出すための情報であって、そこがゴールではないんですよね。
『Meltdown』2013年 紙にペン、インク 122×122cm Collection of Chazen Museum of Art Photo by West Vancouver Museum ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
『Meltdown』部分 2013年 紙にペン、インク 122×122cm Collection of Chazen Museum of Art ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
『Meltdown』部分 2013年 紙にペン、インク 122×122cm Collection of Chazen Museum of Art 蔵 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
―部分と全体の関係が、池田さんの1つのテーマなんですね。一匹の動物や一羽の鳥を細かく描いた絵も、どこか、たくさんの空間を含んだ山のように見えます。
池田:たぶん、そこにはデッサンの基礎が関係していると思います。僕は東京藝術大学を目指して2浪していたんですが、毎日、石膏デッサンばかりやっていたんです。たとえば石膏像の胸も、一見フラットで何も無いように見えるけれど、それを鉛筆の線で描いていくと、じつはとても細かい面が無数にある。その面を追いかけていくと、自然と大きな塊に見えてくる。その延長で、今も描いているというのが近いです。
―一方で『興亡史』という作品など、多くの作品に文明への関心も感じます。「今ここ」ではなく、長い歴史の幅で人の営みを見ようと意識されていますか?
池田:いや、歴史についてはそこまで強く興味を持っていないかもしれないです。『興亡史』は、モチーフとして各時代の戦いがあり、ある勢力が興ったり滅んだりが続いている、ということはありますけど、むしろ自分の中でも一番、いたずらのような仕掛けを入れた作品です。屋根瓦が剥がれたところに絵が出てきていたり、かなり遊んでいるんです。なので、意図的に長い歴史を描いたというより、細部の積み重ねに、見る人がそれを感じるのかなと。
『興亡史』2006年 紙にペン、インク 200×200cm 高橋コレクション蔵 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
『興亡史』部分 2006年紙にペン、インク 200×200cm 高橋コレクション蔵 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
―たしかに、部分同士はけっこう支離滅裂ですよね。
池田:そうなんです。それはやっぱり、具体的に描いているからこそ、出てくる説得力でありスケールだと思うんです。人の営みを細かく描くと、それぞれが支離滅裂でも、その中のステージはある程度つながっているので、見る人は歩けてしまうんですよね。
たとえば金沢21世紀美術館には、建物のまわりを一周している歩道がありますが、その光景を全部カメラで撮ってつなげたら、それぞれの人は別々の物語を生きていて、ほとんど脈略はないですよね。だけど、一本のレールとしてつながっているから、物語を考えられるんだと思います。僕の絵はそれがより複雑化しているけど、基本は同じだと思う。
震災が人の社会にどんな影響を与えるのか、海外の国の人にもわかるように描きたかった。
―多くの絵に線路や電車が描かれていますが、それは、鑑賞者の視線を個々の細部に導いていくためのものでもあるんでしょうか?
池田:電車や線路をよく描くのは2つ理由があって、1つは電車の形態を描くのが単純に楽しいこと。もう1つはおっしゃったように、電車のような交通手段は目的があって、何もない2地点に線路を通すだけで何かが生まれますよね。『終着』という絵もそうですが、そこに線路があるだけで、そのバックグラウンドや先を想像させることができる。
あと、飛行機もよく描くんですが、交通手段を描くことで、その乗り物の中から描かれた風景を見る、視点の起点が生まれるということもあります。そこから見た風景はどんなものかという、絵の中を旅する視点を生むことができるんです。
『終着』2009年 紙にペン、インク 20×15cm 松井政就氏蔵 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
―新作の『誕生』について聞かせてください。この作品が構想されたきっかけは東日本大震災だったそうですが、完成した作品は日本に限らない、世界における災害というテーマを含むものです。制作の中でこの広がりが生まれたのは、なぜでしょうか?
池田:当時はバンクーバーに住んでいて、海を隔てた母国で大変なことが起きている、それを何とか絵にしたいと震災直後から構想を始めました。ただ、意識しなくても震災の情報に触れる日本国内とは違い、向こうでは、自分で意識的に選ばないとそのニュースは入ってこない。周りにいる人も日本人じゃないので、自然と視点が世界に広がりました。震災が人の社会にどんな影響を与えるのか、自分の住む海外の国の人にもわかるように描きたかった。誰にも起こり得る状況として、想像させるものにしないといけないと。
『池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙―』金沢21世紀美術館 『誕生』展示風景
―言い方が難しいですが、池田さんの絵を見ると、どこか災害を俯瞰で見ている印象も受けます。ある種、自然現象としては当然起こりうることだと。
池田:そういう感覚はあるかもしれません。人間の目線からすると、震災はすごく大変なことですけど、今ここで雨が降って、雨水がバーっと排水溝に流れ込んだら、蟻の視点では大津波ですよね。
スケールの差はあっても、自然環境の中の現象として、地震や津波もあれば台風もある。人間には特別なことだけど、より小さな世界から見たら、あるいは地球にとってはそんなに特別なことじゃない。そういうことは、よく思います。
いろんなことが組み合わさって、世界ができている。だから、そのまま描こう。
―展覧会のプレスツアーの際に、絵の中の世界を「かりそめの世界」とおっしゃっていたのが印象的でした。
池田:『誕生』というとポジティブな意味に見えますが、人が作る物事が必ずしも良いものとは限らない。もちろん見る人が好きに捉えて良いのですが、描かれたもの自体がすごく具体的なので、あまり見方を制限しないようにしています。
たとえば絵の中に溶岩の塊が描かれていますが、その上には温泉が描かれている。火山も一面では災害を起こし得るけど、人を癒している部分もありますよね。ほかにも「CONTAMINATED(汚染された)」の文字が隠された黒い袋の一群は、福島で溜まり続けている除染袋でもありますが、森で見た、木にびっしり産み付けられた蛾の卵のイメージも重ねています。
黒い袋の一群には、よく見ると「CONTAMINATED」という文字が読み取れる 『誕生』部分 2013-2016年 紙にペン、インク、透明水彩 300×400cm 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo/ Singapore
―『誕生』をよく見ると、穏やかなシーンもたくさん描かれていますね。飛行機が輪切りになって木に引っかかっていて、中で人々が休んでいるような細部もあります。
池田:これは、レストランでイカリングを食べたときに思いつきました(笑)。飛行機が輪切りだったら面白いし、震災が起きた世界では、漂着した飛行機を人々が再利用して、休憩所のように使うこともあるかもしれない。日常的な場面も多く描くのは、現実の戦争の様子などを映像で見ても、有事だからといって、誰もが悲壮感に染まっているわけではないと思うからです。
子どもは表に出て遊んでいるし、笑顔があったりもする。震災も同じで、絶望感だけでなく、新しい命の誕生や些細な談笑もあるはず。そうしたいろんなことが組み合わさって、世界ができていると思う。だから、そのまま描こうと。
輪切りになった飛行機の中で休む人が克明に描かれている 『誕生』部分 2013-2016年 紙にペン、インク、透明水彩 300×400cm 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo/ Singapore
死ぬほど努力して練習したという自負はあるので、それが出会いも実らせたんだと思います。
―『誕生』の制作期間には、池田さんにも二人の娘さんが生まれました。
池田:絵の中に、彼女たちも入っています。看板の上で手を振っているのが次女。三女の名前も、魂のような白い線によって筆記体で書かれています。ちなみに、「長女も描いたほうがいいんじゃない?」と周囲の人に言われて(笑)、名前を「灯」というんですけど、吊られた電車に灯台のイラストを描いたりしています。
看板の上で手を振る次女が描かれている 『誕生』部分 2013-2016年 紙にペン、インク、透明水彩 300×400cm 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo/ Singapore
池田の三女の名前が、白い線で筆記体で書かれている 『誕生』部分 2013-2016年 紙にペン、インク、透明水彩 300×400cm 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo/ Singapore
吊られた電車に灯台のイラストが描かれている 『誕生』部分 2013-2016年 紙にペン、インク、透明水彩 300×400cm 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo/ Singapore
―何かにひっかかった鳥居のように、明確に日本を思わせるモチーフもありますね。
池田:鳥居がひっかかっているのは、アメリカの中西部でよく見かけるウォータータンクという構造物です。これは灌漑のための構造物で、画面の中央で橋を渡っているラクダに乗った人たちは、新鮮な水を求めてタンクを目指している。
鳥居を描いたのは、やはり鳥居は神道の象徴ですし、海外の人に日本を想起させやすい。日本が全体的なテーマではないと言いつつも、日本人のアーティストが災害の絵を描いているのは、説得力があると思うんです。そうしたことをちょっと想起させる仕掛けとして、描きました。
ウォータータンクにひっかかった鳥居、右にはラクダに乗った人影が描かれている 『誕生』部分 2013-2016年 紙にペン、インク、透明水彩 300×400cm 撮影:宮島径 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery, Tokyo/ Singapore
―この絵を前にいくらでも話していられますね。最後に話は変わるのですが、池田さんは26歳で大学院を出て、地道に活動をされますが、一枚に数年かかる制作を行うことに葛藤はなかったのでしょうか? 当時は、作品が必ず売れる保証もないですよね。
池田:覚えていないレベルの悩みはあったと思うけど……葛藤はあまりなかったですね。大学を出てからはしばらく、予備校の先生をやったり、今回も出品している新聞用の法廷画や、動物を描く仕事をしたりしながら、『再生』や『存在』のような絵も描いていました。もともとデザイン科出身なので、依頼されて絵を描くことは嫌じゃないし、むしろ楽しかったんです。
そうこうしているうちに、今の所属ギャラリーのオーナーに出会いました。1~2年で1作なので、ぜんぜん食えるような稼ぎじゃなかったですけど、作品は描いたら売れていた。自分は、人との出会いに本当に恵まれていたと思いますね。
『再生』2001年 紙にペン、インク 162×162cm 浜松市美術館蔵 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
『再生』部分 2001年 紙にペン、インク 162×162cm 浜松市美術館蔵 ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
『存在』2004年 紙にペン、インク 145×205cm Collection of JOAN AND MICHAEL SALKE ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
『存在』部分 2004年 紙にペン、インク 145×205cm Collection of JOAN AND MICHAEL SALKE ©IKEDA Manabu / Courtesy Mizuma Art Gallery
―とはいえ、出会った人に見せたら圧倒できる絵を描き続けていたわけですよね。それがあるからこそ、人と会うことに意味が生まれたのかなと。
池田:そうですね。それと浪人中、これ以上ないくらい努力したんです。それこそスポーツの筋トレや基本練習と一緒で、デッサンを何百枚と描いた。いろんなところから資料を集めて、それと自分のものを比較して、どうやったらこう描けるんだろうと。
その努力があるから、今の活動もできるんだと思います。芸術に限らず、表現したいことや才能があっても、技術が伴わなければ人に何かを伝えることはできない。死ぬほど努力して練習したという自負はあるので、それが出会いも実らせたんだと思います。
- イベント情報
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- 『池田学展 The Pen ―凝縮の宇宙―』
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2017年4月8日(土)~7月9日(日)
会場:石川県 金沢21世紀美術館
時間:10:00~18:00(金、土曜は20:00まで)
休場日:月曜日(祝日の場合は翌平日)
- プロフィール
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- 池田学 (いけだ まなぶ)
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1973年、佐賀県多久市生まれ。1998年、東京藝術大学美術学部デザイン科卒業。卒業制作にて紙に丸ペンを使用した独自の細密技法を確立。2000年、同大学院修士課程を修了。2011年より文化庁芸術家在外研修員としてカナダ、バンクーバーに滞在。2013年よりアメリカ、ウィスコンシン州マディソンにあるチェゼン美術館の招へいを受け、滞在制作を行う。圧倒的な緻密さとともに、ユニークな感性と創造力あふれる作風で国内外を問わず高い評価を得ている。
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