限られたパイを奪い合い、何も失いたくないと執着し、互いに不信感ばかりを抱くようになりつつあるこの暗い世界を、鮮やかな「光」で照らし出すような映画が誕生した。
河瀬直美と永瀬正敏、映画『あん』で絶賛された二人が再びタッグを組んだ『光』。『第70回カンヌ映画祭』で最高賞パルムドールを争うコンペティション部門にノミネートされた今作では、自らも写真家として活躍する永瀬正敏が、目の病気を患い、いずれ視力を失う運命のカメラマン・雅哉を演じる。
視覚障がい者に向けた「映画の音声ガイド」を務める美佐子と出会った雅哉。徐々に視力を失いつつある雅哉の葛藤、その雅哉を見つめる美佐子の間で紡がれていく熱い感情が、スクリーンを満たしている。映画を作ること、観ることには、どんな意味があるのだろう。そして、もし意味があるとしたら、そうした映画は、どのように作ればいいのだろう。飾らない言葉で語り合った河瀬と永瀬の言葉には、何物にも代えがたい希望の感触がにじんでいた。
自分で言うのもなんですけど、すごい作品が誕生したんじゃないかと思っています。(河瀬)
―カンヌのニュースは非常に嬉しいものだったと思いますが、いかがでしたか?
河瀬:本当に嬉しかったです。これまでにない手ごたえを感じました。今作は、技術スタッフたちのクオリティーの高さはもちろんのこと、俳優陣の、演じているというよりは、そこで「生きている」姿に、嘘がなかった。
自分で言うのもなんですけど、すごい作品が誕生したんじゃないかと思っています。初号試写で「自分が出ている作品で泣いてしまったのは初めてだ」とおっしゃってくださった俳優が何人もいて。永瀬さんはそのあと会場から行方不明になるし……(笑)。
永瀬:すみません……(笑)。気持ちが言葉にできなくて、皆さんに話しかけていただいても、なんて答えていいかもわからなかったんです。そのまま一人で、今作の舞台である奈良に行きたいくらいだった。ともかく会場をあとにして、色々噛みしめる、噛み砕く時間が必要でした。
永瀬正敏。映画『光』で、視覚障がいを持つカメラマン・雅哉を演じる
河瀬:その話を聞いて、人に影響を与えるような、映画の世界を生み出すことができたんだな、と感じました。映画の制作に関わっていない方たちに試写でご覧いただくようになってからも、「しばらく試写室の席から立ち上がれなかった」とか「思いが渦巻いて、次の予定を飛ばして家に帰ってきた」っていう反応もいただいて。
―それは感無量ですね。
河瀬:フランスでの配給も決まっているのですが、向こうのスタッフたちも「こんな奇跡みたいな映画に関われたことを嬉しく思う」とメッセージをくれました。人生を考えさせてくれる映画というのは理想ですが、映画に関わる人生を送っている人間から「奇跡」という言葉をいただけたことは、本当に嬉しかったです。
河瀬監督の現場は、撮影が終わったあとに何も残らず、自分が灰になってもいいとすら思う。(永瀬)
―カメラマンであり、カメラを「心臓」と言う雅哉から、失明によって写真が離れていく……。永瀬さんは、そんな雅哉の葛藤に満ちた人生をまさに「生きた」映画でした。
永瀬:河瀬監督の現場には「とにかく魂のすべてをお預けしよう」と思って向かうんです。撮影が終わったあとに何も残らず、自分が灰になってもいいとすら思う。そういう思いから、初号試写のあとに、誤解されるかもしれないと感じつつも「自分の遺作を観たような感覚を抱いた」とコメントを出したんです。
―そこまで思いが強いのですね。
永瀬:監督はよく「役を積む」とおっしゃいます。今回も、クランクインの2週間くらい前から奈良にある雅哉のアパートで暮らしていたんです。ただそれは、単にすべてお膳立てされた環境に前もって住む、ということではない。
そこに住みながら、雅哉の世界であるこの部屋に、何が必要か、何が必要ないかということを考える時間なんです。その時点から、雅哉として生きていってほしいというメッセージ込みで、「場」を作っていただけるんですね。―そういったやり方は他の現場ではあまりないと思うのですが、お話を伺っていると永瀬さんにはとても合っていそうですね。時間をかけて「永瀬正敏」から「雅哉」になっていくというか。
永瀬:いや、でも最初は正直、役として生きる時間を大事にするやり方に戸惑いはありました。『あん』のときも、樹木希林さんとの1カット目の撮影で、いつまで経っても「カット」の声がかからないので、困惑した樹木さんが他の誰にも分からないように、口をほとんど動かさず小声で僕に話しかけてきたんです。
―樹木さんはなんとおっしゃっていたのですか?
永瀬:「これ、いつカットがかかるのかしら?」「まだ回っているのかしら」って(笑)。僕も演技は続けながら、同じように小声で「まだ回っているみたいですね」って返して……(笑)。
河瀬:フフフ……(笑)。
永瀬:でもそれは、まだ河瀬監督のやり方を知らなかったから。2カット目からは「あ、そういうことなんだ」と分かる。監督は、僕たちが役として生きている「間」を切り取っているんです。
―河瀬さんは、そうした場をどうやって築いていくのでしょうか。
河瀬:普通だったら撮影スタッフたちは、映画を作りやすい環境を整えていきがちです。でも、スクリーンに映るのは、そこで生きている俳優さんであり、私たちスタッフはあくまでその世界の代弁者でしかない。だから、生きている人間のリアリティーにとって「邪魔になるもの」は、みんなで考えて取り除いていかなければならないんです。
俳優を見守ることも仕事なんです。(河瀬)
―邪魔になるもの、というのは?
河瀬:たとえば、演出部だったら、目の不自由な雅哉が歩く部屋の導線をもう一回自分で歩いてみてもらう。備品が不用意な場所に置いてあったり、照明の足が出ていたり、ということが最低限ないようにしてほしいんです。人間の普段の生活にはそういうものはないじゃないですか。あと、撮影のときは、重要なシーンが終わったあとも、できるだけ俳優に触らないでほしいと伝えます。
―それはなぜですか?
河瀬:次のシーンへのブリッジとしての時間ってすごく重要なんです。だから、その時間を分断してしまうような、過剰なケアはやめてほしい。スタッフによっては、まるで自分の仕事がなくなってしまったかのように感じると思うのですが、見守ることも仕事なんです。
そこで「生きている」人の時間を切り取るときに、何かやるべきことは必ず出てくるから、そのときのためにすべてを尽くして待っている状態が理想です。
永瀬:そうした場を作るというのは、本当に大変なことだと思うんです。時間をかけるということは、それだけ様々な問題も出てくる。だけど監督はじめ皆さんが、それこそ戦ってそういう場を必死に作ってくれている。それだけ雅哉として生きる時間を大切にしていただけてるんです。だからこそ、演者も本気でそこで生きなければいけない。「永瀬正敏」としてのエゴが少しでも画面に出てはいけないわけです。
30年以上も役者をやっていると、どうしても芝居の垢がついていて、雅哉にとって余計なものをつい上乗せしてしまう。それは全部、監督にバレるんですよね。カットがかかったあとに、「今の、お芝居やったなあ」って……(笑)。言われる前に自分でもちょっと気づいているので、「……ですね」としか言えません。
美佐子(水崎綾女)と失明した雅哉 / ©2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE
―監督にはお見通しなんですね。
永瀬:そうなんです。人の一生なり半生なりを演じるということは、本来はこうあるべきなんだなとも思います。俳優を生業にしている人は、一度は河瀬組を経験すべきですよ。
愛を持って誰かとコネクトしていこうとする人たちの物語を作りたい。(河瀬)
―今作のトピックとしては、視覚障がいという点が取り沙汰されやすいですが、それ以上に、最初は分かり合えなかった雅哉と美佐子が、やがて正面から向き合っていく物語だと思います。お二人は今作のテーマについてどうお考えですか?
河瀬:『あん』もハンセン病がテーマだと捉えられたりしますが、今回もテーマの間口が狭くて、多くの人にはなかなか伝わらないのではないかという声もありました。でも、あえてマイノリティーの人たちを主人公においているわけではありません。そういった、ジャンルの簡単な切り分け方では表現は届かないと思う。もっと根源的な表現をこの時代に残したいんです。
―根源的な表現というと?
河瀬:『あん』のときに音声ガイドを制作して、初めて今作のモチーフになっている世界に触れたのですが、音声ガイドの皆さんの映画への愛に本当に感動したんですよ。その愛で、目の不自由な人たちに映画を届けようとしていて。
私は、そういう愛を持って誰かとコネクトしていこうとする人たちの物語を作りたい。だから『光』でも「映画ってさ、誰かの人生と繋がることじゃない?」という象徴的な台詞を入れています。
―表面的な繋がりが多い時代に、生を賭けた繋がりを描く作品は、とても貴重なものだと思います。
河瀬:ただ、そうしたメッセージを説教くさく入れてしまうと、映画の世界から必ず浮いてしまう。だから、スッと、それこそ光が差し込んでくるみたいに、軽やかに伝えたくて。そのうえで、何かを失ってしまったときに、執着を超えて新しい光と共に生きていく人たちを描きたかった。
映画『光』メインビジュアル / ©2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE
―今回の映画のために、実際に視覚障がい者の方々に取材したそうですね。
河瀬:はい。そのなかで、青年時代は田舎で天才的な絵描きとして期待されていたのに、東京に出てきたあとに失明してしまった、という人に出会いました。失明したときは、もう生きている意味はないんじゃないかと思ったとおっしゃっていて、本当に苦しんだそうです。
でも、「もう見えないんだ、そのなかで生きていくんだ」と思い至った瞬間からは、見えない世界での新しい生をまっとうされていて。文章で表現をされたり、ジムでウェイトリフティングにハマって才能を発揮されたり。昔から鍛えていたのか聞いたら、力が強いことに最近気づいたとおっしゃっていました(笑)。
―新しい生きる道を見出されているんですね。
河瀬:そう。その方と喋っていると、こちらがすごく元気になります。何かを失ったあとでも、生というのは光と共にあると思いました。そう、だから、永瀬さんのおじいさんが写真をやめざるをえなかった、というエピソードは本当に印象的で。
―永瀬さんのおじいさんですか?
永瀬:僕の祖父は写真家だったのですが、友人の裏切りで、写真を諦めざるをえなかった人でして。最初に台本を読ませていただいたときは、雅哉と重なる部分があって、泣きそうになりました。
祖父も写真を撮ることが難しくなってからの人生があった。むしろ、そのほうが長かったわけです。(永瀬)
―おじいさんはなぜ写真を諦めざるをえなかったのですか?
永瀬:祖父は戦前、鹿児島で写真館を営んでいました。戦中戦後は大変だったみたいで、カメラ1台を持って僕の故郷でもある宮崎に帰ってきた。そこで近所の子どもたちの七五三を撮るような、出張カメラマンみたいなことをしていたらしくて。
ただ、それも戦後の混乱期で、家族も多くて食えなくなったので、カメラを知り合いに渡し、買い戻すという約束で米に替えてもらう約束をした。しかし、その友人がカメラをそのまま持ってどこかへ行ってしまったんです。
カメラを覗き込む雅哉 / ©2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE
―それは辛い出来事ですね。
永瀬:そうですよね。厳しい時代だったから、誰も責められないと祖父は言っていたようですが……。やっぱりショックだったんでしょう、それからカメラを持つことはなくなってしまいました。
―じゃあ、永瀬さんは写真家としてのおじいさんはご存知ないのですね。
永瀬:はい。僕もこの仕事を始め、写真も撮るようになって随分経ってから、かつて祖父が撮った写真のネガや研究ノートのようなものを発見したんです。それらを見て「じいちゃんは、本当に写真が好きだったんだなぁ、悔しかっただろうな」って……。もし戦争がなければ、もし友人とそうしたことがなければ、僕は写真館の孫だったんだなって、それを見て思いました。
それから、自分で撮る写真も変わってきましたね。祖父も雅哉と同じように、写真を撮ることが難しくなってからの人生があった。むしろ、そのほうが長かったわけです。だから、僕が雅哉として、この映画に関わらせていただけたことを、祖父もきっと天国で喜んでいると思います。
驕りや執着を超えた先に必ず光はあるんです。(永瀬)
―そういった根源的な思いを、河瀬さんと永瀬さんは共有されていますね。お二人にとって、お互いはどんな存在なのでしょうか。
河瀬:そうですねえ……永瀬さんは、18歳で映画を撮り始めた私にとって、ずっと憧れの存在でした。おそれ多いのですが、永瀬さんの「映画への愛」は本物で、きっとその思いは共有できると思って。それで、『あん』のとき、永瀬さんに絶対出演していただきたいと思ったんです。
でも、芸能界との接点なんてほとんどなくて、どういうルートでお声がけしたらいいのか最初は分からなかった。だから、もう本当にダメ元で、Facebookで「私の映画に出演してください」とメッセージを送ったんです(笑)。
―Facebookですか!?
永瀬:そうそう(笑)。嬉しいと同時に、信じられませんでした。事務所のスタッフとも「嘘でしょ?」って話していた。名前を騙っているんじゃないかと思って……(笑)。
河瀬:ニセ河瀬だと思われてたんだね(笑)。もちろんFacebookでは返事はこなくて、ちゃんと正式にオファーをしたんです。
―憧れである永瀬さんと、実際にご一緒してみていかがでしたか?
河瀬:ものすごく真面目で、丁寧で、ときに不器用にさえ思えるほど実直な方です。先ほどのおじいさんの話もそうですが、きっと永瀬さんの先祖の方々も同じような人々だったんじゃないかと思えるんですね。
―先祖、ですか?
河瀬:私は「人はそこにポッと一人で生まれてきたわけではない」ということを、自分のルーツも探りながら、ずっと表現してきた。だから、いま目の前にいる人以前の人たちとも繋がりたいという感覚があるんです。
―永瀬さんにはそういったことが感じられると。
河瀬:はい。永瀬さんのような先代からの何かとしっかり繋がってきた方を前にすると、そういう人に信頼してもらいたい、自分もそういうことに対してまっとうでいたい、と強く思うんです。
永瀬:ありがとうございます。僕も河瀬監督との信頼関係はもうできていると思っているし、河瀬監督の映画作りは、100%、いやそれ以上に大賛成です。映画のなかにすべてを置いてこようと思っていたので、実際に自宅に帰ってからも、何をしていいのか分からなくて、魂が抜けたような生活をしていました。雅哉の世界がプツンと終わるのが切なくて、お願いして、雅哉の部屋のヤカンとか、変なものをいっぱいもらって帰りましたね(笑)。
二人にとって象徴的な夕日の見える山で口づけを交わす美佐子と雅哉 / ©2017 “RADIANCE” FILM PARTNERS/KINOSHITA、COMME DES CINEMAS、KUMIE
―そんな信頼関係と繋がりで作られた映画『光』ですが、どう世の中に届いてほしいですか?
河瀬:「私たちは完璧な存在ではない」ということが伝わればいいですね。人は、どこかで自分が何者よりも優れていると思いがちですが、そんな存在ではまったくないんです。そうした驕りや執着が、もしかしたら世界を壊してしまうかもしれないという感触さえあります。
永瀬:誰かにだけ特別な光が届くわけではなくて、誰にでも、どんなつらい状況にあっても、その驕りや執着を超えた先に必ず光はあるんですよね。このメッセージは、年齢、性別、人種も関係なく、伝わっていくと思います。
映画は時代を超えていくものだから、たとえば小さなお子さんが観ても、まさに美佐子が雅哉の写真に感じたように、「あの夕日がキレイだったなあ」とか、何かしら心に刻まれるものがあるはず。それで10年後に、もう一回また観てもらえたら嬉しいです。
- 作品情報
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- 『光』
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2017年5月27日(土)から新宿バルト9、丸の内TOEIほか全国公開
監督・脚本:河瀬直美
出演:
永瀬正敏
水崎綾女
神野三鈴
小市慢太郎
早織
大塚千弘
大西信満
堀内正美
白川和子
藤竜也
配給:キノフィルムズ / 木下グループ
- プロフィール
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- 河瀬直美 (かわせ なおみ)
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生まれ育った奈良で映画を創り続ける。1997年劇場映画デビュー作『萌の朱雀』で、カンヌ国際映画祭カメラド-ル(新人監督賞)を史上最年少受賞。2007年『殯の森』で、審査員特別大賞グランプリを受賞。昨年は短編部門、シネフォンダシオン部門の審査委員長を務める。映画監督の他、CM演出、エッセイ執筆などジャンルにこだわらず表現活動を続け、故郷の奈良において『なら国際映画祭』をオーガナイズしながら次世代の育成にも力を入れている。
- 永瀬正敏 (ながせ まさとし)
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俳優。写真家としても活動する。1983年『ションベンライダー』で映画デビューし、1990年にジム・ジャームッシュ監督の『ミステリー・トレイン』に出演。1991年には、山田洋次監督の『息子』で、日本アカデミー賞、ブルーリボン賞など多数受賞。2015年には河瀬直美監督『あん』に出演。同作は『第68回カンヌ国際映画祭』の「ある視点」部門に出品され、オープニング上映された。今作『光』で河瀬直美監督と再びタッグを組む。
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