「ふたり」とは、人の営みの最小単位だ。恋愛も、友情も、争いも、嫉妬も、すべては「ふたり」から始まる。天にも昇るような幸福も、永遠に解決することのない受難も、「ふたり」という最小単位があってこそ、私たちは感じることができる。
青葉市子とGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー。このふたりが「夜を縫う、朝を編む」というコンセプトから生み出したNUUAMMが、2年半ぶりとなる新作『w/ave』を完成させた。前作『NUUAMM』同様、青葉とマヒトが、誰に知らせることなくひっそりと、セルフプロデュースによって産み落とした珠玉の10曲が、ここには並んでいる。綿密に重ねられた音響は、前作を「牧歌的だった」と思わせるほどに、重く暗い現実感を表現しながら、同時に、そのすべてから解き放たれるような多幸感も感じさせる。歌われる言葉は、「人ならざるもの」への憧れを抱きながら、四季を感じ、恋と共に生きる「人」への深い愛情をも覗かせる。
『w/ave』――このタイトルが暗示するように、この作品には、延々と終わることのない「生」という名の波の満ち引きが刻まれているようにも思える。では、この波は、一体、私たちをどこへと運んでいくのだろう? 青葉とマヒトに話を聞いた。しかし、きっとこのふたりも、その答えは知らない。
俺にとってこのアルバムは、一番疲れ果てたときのBGMかなぁって。(マヒト)
―NUUAMMとしての2ndアルバムがリリースされること自体、とても意外だったのですが……新作『w/ave』、素晴らしかったです。
青葉:場所は、どこで聴きましたか?
―自分の家ですね。
青葉:時間帯はいつですか?
―最初に聴いたのは、夕方くらいだと思います。このアルバムに、聴く場所や時間は関係ありますか?
マヒト:「このアルバムって、どの時間帯の音楽なのかなぁ」って、この間、ぼんやりと考えていたんです。朝って、エネルギーが溜まっていて、一番、人間力があるじゃないですか。そこから日中、こうやって会話をしたりしながら、パワーをすり減らしていって、夜、眠りにつくと思うんですけど……お名前、何でしたっけ?
―天野です。
マヒト:夢のなかに入るか入らないかの境界線って、意思とか思考が曖昧になって眠りに落ちていくでしょ? 体と、天野さんの個性が離れていくというか。俺にとってこのアルバムは、そのキワキワっていう感覚なんですよね。だから、どのようなシチュエーションのBGMかというと、一番疲れ果てたときかなぁって思って。
たとえば俺は、寝るのはだいたい朝とか昼なのね。だから「寝る」っていうと、真っ白なイメージがあるんだけど、その真っ白のなかで疲れ果てて、「人間、疲れたわぁ。辞めたいなぁ」って感じている……それが、このアルバムかなって。
青葉:そもそも、頭でコンセプトを考えて作るものより、眠りに落ちて、夢を見るまではいかない、そのギリギリ意識が働いているような時間が、創作においても一番ピュアな時間なんですよね。やさしくて、いろんなものが体に入ってきやすいし、出ても行きやすい時間。そういう、はっきりと醒めているわけではない、輪郭があまりない時間と、このアルバムは直結しているなって思います。
―なるほど。
マヒト:こうやって話をしていても、体力があるときって、知識とか、上手く用意してきた言葉で恰好つけられるじゃないですか。でも、音楽をやるときには、そういうものを削ぎ落とした一番ピュアな部分がないと、自分が今どういう場所にいるのか? っていうことを、見失っちゃう感じがあって。NUUAMMの音楽は、自分にとってはバーッと走った後につく溜息みたいな感覚なんです。このアルバムは、そういう溜息がいっぱい集まってできたアルバムかなって思う。
俺と市子の境界線が曖昧になっているんですよ。(マヒト)
―「溜息」……たしかに、このアルバムを言い表している言葉かもしれないですね。
青葉:1stアルバム(2014年リリースの『NUUAMM』)のときもそうだったんですけど、レコーディングを始めるのはいつも、深夜0時を過ぎてからで。マヒトさんは、「まだ体力が有り余っているから、走ってくるわ」って、走りに行っちゃったりして(笑)。
マヒト:あまりお互いの時間が合わないから、結局、録音時間が深夜になっちゃうんですよ。なので、その日のレコーディングが終ってから帰りに阿佐ヶ谷の駅に向かって歩くときはいつも、ピカピカの朝日が照っているような感じで。
青葉:溶けてなくなりそうだったよね。
マヒト:うん。そのイメージは、アルバムのなかに入っているかもしれない。そういう時間って、24時間のなかでは本当に限られた時間なのかもしれないけど、その時間帯を忘れたくないっていう感覚があるから。……もう、NUUAMMに関しては、どの曲を誰が作ったのかも曖昧だもんね。
青葉:そうだね。
マヒト:今回はアーティスト写真も、俺と市子の境界線が曖昧になっているんですよ。この写真は、野田祐一郎さんっていう写真家の方が撮ってくれたんだけど、彼も、このアルバムの「曖昧さ」を理解してくれたんだと思う。
―今回、タイトルが『w/ave』になったのは、どうしてなのでしょうか?
マヒト:これは、皮肉みたいなところもあって。窓の外の世界には、いろんなものが流れているじゃないですか。車も、人も、情報も。携帯を見たら、タイムラインだって流れている。そういう「波」に、斜線を入れているんです。
―「wave(波)」を断ち切るために、「/」が入っているんですね。
マヒト:そう。俺らはその波の流れに乗るんじゃなくて、その流れを前に1回立ち止まりたくて。俺自身、その波に溺れてしまいそうになるときがあるから。
聡乃さんが描いてくれたこの子たちが本当のNUUAMMのメンバーなのかもしれない、とすら思います。(青葉)
―マヒトさんが言う「波」のなかには、GEZANでの活動も入っているんですか?
マヒト:そうだね。GEZANって、何かと闘っている感覚があるんですよ。そこから解き放たれる時間が自分には必要だなって思うんですけど、それを『w/ave』っていうタイトルは象徴している気がします。そもそもNUUAMM自体が、自分にとっては「音楽ユニット」というよりは、「時間の使い方」のひとつの名称という感覚があるんです。
―時間の使い方、ですか。
マヒト:1分1秒と同じリズムで進んでいく時間のなかで、見逃すと消えてしまうけど、その1秒のなかにも永遠のようなものを見出すことができる……そういう時間の使い方を、NUUAMMは教えてくれる感覚があるんです。
青葉:私たちよりもよっぽど、NUUAMMは時間の使い方が上手なんだよね。
マヒト:そうそう。今回も、前作と同じく近藤聡乃さんにジャケットを描いてもらったんだけど、「青葉市子とマヒトゥ・ザ・ピーポー」というよりは、このふたりのキャラクターが主役で、俺たちは、このふたりに導かれている感覚がある。
NUUAMM『w/ave』ジャケット(Amazonで見る)
青葉:私たちは、あくまでこの子たちの媒体でしかないんです。聡乃さんが描いてくれたこの子たちが本当のNUUAMMのメンバーなのかもしれない、とすら思います。
NUUAMMは無防備だけど、そのぶん信じているものが強いから、何にも感染しない。だから、それがあり続けているということ自体が、自分にとっては大きなことなんですよね。私が私として生きていることの横のラインを、NUUAMMが守るように走ってくれているのが、すごく心強くて。
―なるほど……本当に、マヒトさんと青葉さんにとってNUUAMMは、「自分とは別の何か」なんですね。そして、それを象徴するのが、このジャケットに描かれているふたりのキャラクターであると。
青葉:言うなれば、「もうひとつの世界」のようなものとして、NUUAMMのことはとても大事にしているんです。だからこそ、「NUUAMMを使って何か大きなことをしよう」っていう意思なんて生まれてこない。
それに、NUUAMMの周りに集まってくれるのは、すごくやさしくて、自由で、何にも縛られていない人たちばかりなんです。ツアーに出たら、農家の人も、レコード屋の人も、ヘルパーの人もいるし……いろんな人が来てくれるけど、みんな、自分の信じるピュアな部分を第一に考えている人たちばかりで。それも、NUUAMMの特権ですね。
ファンタジーの存在に気づいてる、でも、あくまでも「生活」というものの存在も知っている……そういう人の歌でありたかった。(マヒト)
―タイトルの話に戻ると、「wave」に斜線を入れたときに生まれる、「ave」という言葉には、ラテン語で「ようこそ」と「さよなら」という意味があるんですよね?
青葉:そう、「ave」って、「ave maria」(ラテン語で直訳すると「こんにちは、マリア」、または「おめでとう、マリア」を意味する言葉)の「ave」なんです。
―人が日々生きているなかで感じる、せわしない時間の流れを断ち切ったとき、そこから生まれるのが「ようこそ」と「さよなら」という、人の営みの言葉であるということは、とてもこのアルバムを象徴しているなって思いました。
マヒト:うん、そう思う。別に、「向こう側」みたいなものをアルバムにしたいわけではないからね。「境界線」「曖昧さ」「眠る瞬間」……さっきからそういう言葉を使っているのは、まさにそういうことで。「こちら側」と「向こう側」があるとして、完全に「向こう側」のものを、ファンタジーとして描きたいわけではないから。
ファンタジーの存在に気づいたり、体という入れ物から魂が出たり入ったりすることを知っている、でも、あくまでも「生活」というものの存在も知っている……そういう人の歌でありたかったんです。
―たしかに、9曲目の“Moon Hill”にはまさにそういう感覚がありますよね(SoundCloudで試聴する)。ファンタジックなサウンドと歌詞だけど、曲の終わりには駅員のアナウンスが聴こえてきて、現実に戻されるように感じました。
マヒト:うん。最後はちゃんと、暮らしに帰ってきたかったから。
花を見て「きれいだなぁ」って感じることや、「夏来るし、海行きたいわぁ」って、生活のなかで一番当たり前のことだと思うんですよ。(マヒト)
―ここまでの話に少し繋がるのかなと思うんですけど、去年、青葉さんとGEZANがそれぞれリリースした作品には、共通して「end」という言葉が使われているんですよね。青葉さんのアルバム『マホロボシヤ』は“the end”という曲から始まっていて、GEZANのアルバム名は『NEVER END ROLL』で、“END ROLL”という曲が収録されていた。おふたりは共通して、去年、「終わり」を表現していたんじゃないかと思うんです。
マヒト:うん……なるほど。
―そして、今回のNUUAMMは、そこからもう一度何かを始めるためのアルバムなのかなって、僕は思ったんです。地に足の着いた場所から、何かを始めていく……そのために、ここではファンタジーと同様に、「生活」や「暮らし」を表現する必要があったのかな、と。そしてそれは、とても2017年的なテーマのように思えました。
マヒト:「END」という言葉に関していうと、俺は、「終わってしまう、だから忘れたくない」みたいな感覚にずっと取り憑かれていて。だから、このアルバムで、そこから何かを始めようっていうポジティブな感じを出しているわけでもないと思うんだけど……。
仮に何かが「終わる」としても、カーテンは閉め切ったまま、同じように時間を使っていたい、っていう反抗の仕方は込められているかもしれない。あんまりごちゃごちゃ言うべきではないけど、やっぱり、ずっとデモとかやっているじゃないですか?
―そうですね。
マヒト:俺がNUUAMMの1stで一番好きな曲は、“冷光のまゆ”っていう曲なんだけど、あの曲は、<カーテンを開けるために花を窓のそばに置こう 光に刺す静脈を見て朝を始めよう>っていう歌詞から始まっていて。花を見て「きれいだなぁ」って感じることや、「夏来るし、海行きたいわぁ」って思うことは、生活のなかで一番当たり前のことだと思うんですよ。
でも、それを取っ払わざるを得ないぐらい、時代の大きな流れや、そこにあるひとつの「正しさ」に埋没していく人たちがいて……俺は、それが寂しいなぁって思うんです。そういう人たちのなかには、当たり前のように音楽をやれなくなる人だっているからね。
仮に、今ここで戦争が起きても、NUUAMMで音楽を作っている時間や、それを聴く時間は、シェルターみたいなものになっていてほしいなって思うんです。(マヒト)
―たしかに、音楽の喜びより先にイデオロギーが存在することの歪さはありますよね。
マヒト:NUUAMMは、それに対する反抗っていう感じはある。仮に、今ここで戦争が起きても、NUUAMMで音楽を作っている時間や、それを聴く時間は、シェルターみたいなものになっていてほしいなって思うんです。
外でミサイルが飛び交っていても、遮光カーテンを閉め切った部屋のなかで、いつも通り「新しい曲ができたんだよね」って聴かせ合ったり、歌詞を考えたり。そういうふうに時間を使えたらいいなっていう気持ちがあって、それは作る前から具体的に話していたことでもあるんです。
―今、マヒトさんが言ったことは、本作からすごく伝わってきます。だからこそ、このアルバムには前提として、すごく殺伐とした2017年という「今」の時代感も刻まれている気がするんです。歌詞に「戦争」という言葉がたびたび出てくるところに顕著だと思うんですけど、時代が混迷して、殺伐としている。だからこそ切実に、自分たちを豊かな気持ちにしてくれる時間を求めている、というか。
マヒト:「殺伐」かぁ……その表現はどうなんだろうね。たしかに、前作よりは殺伐としているか?
前作『NUUAMM』収録曲青葉:どうだろう……殺伐としている、という見方もできると思うんですけど、私は、すごくあっけらかんとしているなって思うし、何の気なしに鳴っていると思う。でも、私たちよりもよっぽど早くて、いろんなことを知っているアルバムだとも思う。だから、迷っていないよね。迷うことを選んでいるからこそ、迷っていない。
マヒト:そうだね。「戦争」っていう言葉に関しては、あんまり喋りすぎると、いろんな意味が出ちゃうから嫌だけど……まぁ、関係ないよ。2017年という時代感や、外の世界とは「関係ない」という方法で関係する、それがこのアルバムだと思う。「2017年じゃないよ」って言いながら、こういう表現が出てくるのも、2017年的なカウンターなんだろうなっていう気は、たしかにするな。
でもさ、俺たちは「世界はどうなってもいい」って、言い切っちゃっていいんじゃない?(マヒト)
―あと、本作には、カーテンを閉め切ることで時代を遮断しながら、同時に時代と関係を持とうとする「今」に向き合う姿勢と同時に、いつか、誰もがカーテンを開けて生きられる日が来るんじゃないかという、未来に対する祈りも少なからずあるのかなと思いました。そういう穏やかさも、アルバム全体には鳴っているなって。
マヒト:それは、そうかもしれない。……どう?
青葉:2曲目の“EDEN”を書いたとき、今お話ししてもらったようなことはイメージしていて。この曲には、たしかに「祈り」みたいなものはあるんですけど、「でも、それは全部終わったらね」っていう気持ちで書きました。
「平和が絶対に訪れるだろう!」みたいなことではなくて、別に、外が大変なことになっていてもいいというか……「いい」とまで言ってしまうと、これが文字になると危険な気もするけど……とにかく、「全部終わったらね」っていう、その感覚が濃く出ている曲だと思います。
マヒト:でもさ、俺たちは「世界はどうなってもいい」って、言い切っちゃっていいんじゃない? もちろん、危ないことではあるけど。このアルバムが提示していること自体、実はGEZANなんかよりも、よっぽど危険なものでもあると思う。
最初に市子と会ったのは、踊ってばかりの国の下津(光史)がきっかけだったんですけど、踊ってばかりの国が、“踊ってはいけない国”(2014年発表)っていう曲を出したときがあったじゃないですか。
―ありましたね。風営法についての議論が活発化していた時期でした。
マヒト:あのとき、下津がインタビューで「ロックスターが責任感を持ったらおしまいだ」って言っていて、「こいつ、やるな」って思ったんですよね。今、自分たちが歌っていることや、やっていることに関して、正しいか正しくないか、説明できるかどうか……そういうことは、本当はどうでもいいんです。
このアルバムだって、長い時間をかけてついている嘘かもしれないし、そうではないかもしれない。どちらにせよ、俺たちがそこに責任は負わなくていいし、負うべきじゃないなって思う。それは、自由の裏返しとしてね。
青葉:そうだね。こういうことをインタビューで喋ると、いろいろ言ってくる人はいるだろうけど。でも、そんなことより、自分のなかや、NUUAMMのなかにある「たしかなもの」を、大事なものとして信じている気持ちのほうが、戦争なんかよりも、よっぽど強いからね。
音楽は、何があっても信じ続けるものだと思うし、それは「宗教」という言葉でも追いつかないくらい、もっともっと、たしかなものだなって思います。(青葉)
―アルバムの最後に収録された“めのう”は、MVも公開されている曲ですけど、音源に収録されたこの曲の最後には、ビデオではカットされているおふたりの語りがあるんですよね。ここが本当に素晴らしくて。NUUAMMって、下手をすればマヒトさんと青葉さんおふたりだけの閉ざされた世界になってもおかしくないと思うんですけど、でも、NUUAMMはどんな聴き手にも開かれている。その理由がこの語りの部分を聴けばよくわかります。
青葉:これは、NUUAMMの意志っていう感じがします。私たちがどう操作したいかっていうことよりは、近藤さんが描いてくれたこの子たちが、成長したときに持った意思というか。どうですか?
マヒト:どうなんだろうね。“めのう”の最後の部分は、アルバムが全部録り終った後に書いたんです。アルバムを締めて、次に繋げていくためというか。何て書いたんだっけ……歌詞の資料を見せてもらっていいですか?
―はい。
マヒト:(歌詞を読みながら)……<私たちは人をやるのははじめてだから、うまくはできないな。>って、すごくいい言葉だよね(笑)。
青葉:そうだね(笑)。自分たちで書いた言葉なのに、忘れていっちゃうんですよね。でも、忘れていいんだと思うし、だからこそ、作品は残っていくのかなって思います。
―このアルバムが提示する豊かでピュアな時間が、今を生きる人々の生活のなかに少しでもあってくれたらいいなって、今日、お話を聞いていて思いました。
青葉:……この間、一緒にライブをしたとき、マヒトさんが「やっぱ、音楽ってすげぇなぁ」ってひたすら言い続ける5分間があって(笑)。「俺、音楽大好きやわぁ」って……すごくいい時間だなぁってしみじみしていたんです。
マヒト:あったね(笑)。でも、音楽は本当にすごいよ。音楽に「関わらせてもらっている」っていう気持ちになるよね。
青葉:本当にね。「音楽やっています」って言うのが恥ずかしくなるぐらい、音楽が好きだし、音楽ってすごいなぁって思う。こうやって取材があれば言葉を使うし、歌詞も言葉だとは思うけど、どんな言葉を使っても、「本当にその言葉で合っているのか?」って、私はいつも疑問なんです。
どの言葉を発しても間違っているように感じていて。でも、音楽がいてくれるから、全部包み込んでくれるなって思う。音楽は、何があっても信じ続けるものだと思うし、それは「宗教」という言葉でも追いつかないくらい、もっともっと、たしかなものだなって思います。
- リリース情報
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- NUUAMM
『w/ave』(CD) -
2017年6月28日(水)発売
価格:2,700円(税込)
JSGM-0191. 飛行石
2. EDEN
3. MU-MIN
4. full of fool
5. MAHO
6. turn light
7. Vampire
8. 砂の城
9. Moon Hill
10. めのう
- NUUAMM
- プロフィール
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- NUUAMM (ぬうあむ)
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青葉市子とマヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)によるユニット。2014年12月、1stアルバム『NUUAMM』でデビュー。マヒトゥ・ザ・ピーポーは、2012年よりうたいはじめ、2013年に自主レーベル「十三月の甲虫」より宅録1stアルバム『沈黙の次に美しい日々』をリリース。うたと向きあい様々なミュージシャンとコラボしながら都内を中心に活動中。青葉市子は、17歳からクラシックギターを弾き始め、2010年1月1stアルバム『剃刀乙女』でデビュー。これまで、細野晴臣、坂本龍一、小山田圭吾、七尾旅人、U-zhaanなど錚々たるアーティストたちと、作品やライブで共演を果たしてきた。2017年6月、2ndアルバム『w/ave』をリリース。
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