今年5月に、メジャーデビューから満5年を迎えた歌手、上間綾乃。幼少のころから沖縄民謡に接し、三線で弾き語る唄者として、地元沖縄を中心に活躍。メジャーデビュー後は、さらにその活動の場を広げながら、オリジナル曲にもトライしてきた彼女が、その集大成とも言うべき作品集『タミノウタ~伝えたい沖縄の唄』をリリースした。
新たにレコーディングした9曲と旧作からの7曲で構成された本作。そこには、THE BOOMのヒット曲“島唄”に沖縄の歌詞をつけた“島唄 南の四季”、ザ・フォーク・クルセダーズの“悲しくてやりきれない”、森山良子の“さとうきび畑”に沖縄言葉の歌詞を乗せた楽曲など、耳馴染みのあるものはもちろん、“PW無情”“ひめゆりの唄”など、長らく歌い継がれてきた沖縄民謡のスタンダード曲が幅広く収録されている。「私には歌わなければならない歌があります」と言う彼女が、これらの楽曲で伝えたい思いとは? 上間綾乃、本人に訊いた。
おじいちゃんおばあちゃんが、私の歌を聴いて涙を流していて、「私はずっと歌っていくんだ」って思った。
―この5月でデビュー満5周年となりました。
上間:そうですね。でも、唄三線を習い始めたのが7歳だから、そこから数えると、もう芸歴25年になるんですよね(笑)。
―もうベテランと言っていいですね(笑)。今年、琉球國民謡協会の師範免許も取得されたんですよね?
上間:はい。免許取得までの道のりの延長線上にメジャーデビューがあって。だから、この5年間だけで区切る感じは、私のなかではあまりないんですけど、ひとつの節目として、何か作品を残せたらいいなと。
―それが今回の『タミノウタ~伝えたい沖縄の唄』だと。
上間:そうですね。節目の作品はどういうものがいいかなって考えたときに、全曲民謡のCDを出したいと思ったのが、このアルバムの始まりでした。
―アルバムの内容についてお聞きする前に、上間さんのこれまでを教えてください。7歳から唄三線を習い始めたとおっしゃっていましたが、もともと沖縄民謡に近い環境で育ったのですか?
上間:気がついたら生活のなかに音楽があるというか、それが当たり前の環境で育ちました。まあ、沖縄にはもともとそういうところがあるんですけどね。私の場合は、祖母が沖縄民謡をやっていて、その教室に小さいときから、一緒について行っていたんです。
そこで祖母が楽しそうに三線を弾いたり歌ったりしているのを見て、すごくうらやましくなって……。それで、私も7歳から、正式に教室に通うようになりました。
―上間さんの同年代で、小さいころから沖縄民謡をやっている人って結構いるのですか?
上間:最近は、沖縄民謡が見直されて、小さい子たちの三線人口も増えてきているんですけど、当時は全然いなかったですね。教室にいるのも、おじいちゃんおばあちゃん世代の方ばっかりで。ただ、子どもは私ひとりだったから、すごく可愛がられて、みんな孫みたいに扱ってくれたんです。
―何歳ごろからプロを目指そうと思ったのですか?
上間:「プロになるぞ!」っていうのはなかったんですけど、中学校1年生のときに、師匠と一緒にハワイに行ったことは大きかったです。ハワイで毎年行われている『沖縄フェスティバル』というイベントがあるんですけど、そのステージが終わったあと、ハワイで暮らす沖縄出身のおじいちゃんおばあちゃんたちがいる施設に行って、そこで“懐かしき故郷”という沖縄民謡を歌ったんです。
そしたら、それまで笑顔だったおじいちゃんおばあちゃんたちが、私の歌を聴いて涙を流していて。そのときに、「ああ、私はずっと歌っていくんだ。この人たちに会うために私は今まで歌ってきたし、これからも歌っていくんだろうな」って思ったんですよね。
音楽に真摯に向き合っている人たちと一緒にお仕事をしたら、自分の世界も広がるかもしれないと思って。
―そして、2012年にアルバム『唄者』で、メジャーデビューして……。
上間:ただ、その前から自分でライブを企画したり、東京や大阪、名古屋、札幌など、県外でもライブをやっていたので、別にメジャーの世界に入らなくても好きな歌を自由に歌っていけるんじゃないかとは思っていたんですよね。むしろ、このままインディーズでやっていきたいというか。ただ、今のレコード会社のディレクターの方に、5年間ずっとラブコールを受けまして……。
―当時はかなり固辞されたようですが、最終的にどう説得されたのですか?
上間:説得されたわけではないんです。私は天邪鬼なので、説得されていたら多分うんって言わなかったと思います(笑)。最初は、東京のライブに来てくれて、そこで「一緒にお仕事できたら」って名刺をもらったんですけど、「機会があったら」みたいな感じで、だいぶそっけない返事をしていて。でも、その方はそれから5年のあいだに、東京のライブはもちろん、沖縄のライブにも足しげく通ってくれて。
―熱心にアプローチしてくれていたのですね。
上間:それで、メジャーデビューする前に、同じレコード会社からリリースしているKOBUDOさん(チェロ、ピアノ、尺八からなる三人組のインストバンド)の作品にゲストボーカルで呼んでもらって、初めてメジャーの方とお仕事させていただいたんですよ。
そこで、みなさん音楽がすごく好きなんだなって、当たり前のような、当たり前じゃないことに、素直に感動して。こうやって音楽に真摯に向き合っている人たちと一緒にお仕事をしたら、自分の世界も広がるかもしれない、より多くの人に届けることができるかもしれないと思って、「一緒にやりましょう」っていうことになったんです。
民謡は「民の歌」であって、そんなに特別なものではないんです。
―メジャーデビュー以降、沖縄民謡を広く世に伝えるうえで、何か意識したりしたのですか?
上間:いや、沖縄の唄を、どう聴いてもらおうっていうことは、あまり考えてなくて……。私が吸収してきたものを、自分というフィルターを通して、どう表現したらいいのかは考えますけど、それは「沖縄民謡を届ける」っていうのとはちょっと違うんですよね。
それよりも前に、その唄に込めた普遍的な思いがあるというか。その思いって、全国共通、全世界共通なものだと私は思っているから、沖縄民謡をこねくりまわして、何かポップなものにしようとは、いっさい考えてないですね。
―「民謡」というジャンルで考えると、それ自体をどう伝えるかということはかなり意識されるものだと思いました。
上間:私は型にはまるのが好きじゃなくて。もちろん、沖縄民謡が自分のルーツだと思ってやっていますけど、それ以前にひとりの人間、ひとりの歌手として生きているので、「民謡歌手の人」っていうふうに、あまり型にはめて見てもらいたくないなって。
それで、すごくもがいた時期もあったんですけど、今はもう、みんながそれでいいなら、いいんじゃない? っていう心の広さを、だんだんと持てるようになってきました(笑)。
―メジャーデビューから5年が経ち、上間さん自身のなかで、何か意識が変わったりしましたか?
上間:いえ、歌い始めのころから、思いを素直に乗せて歌うっていう意識やスタンスはずっと変わらないです。変わったのは、あちこち旅をして、いろんな人に出会って、いろんな経験をして……、まあ、大先輩からしたら、まだまだだよって言われるかもしれないけど、今の歳で、これだけ経験できたということは、本当に宝物だと思っています。
旅をしたからこそ、やっぱり離れた故郷がより愛おしくなりましたし、いいところも悪いところも見えてきて。だから、その思いの深さみたいなものは、変わってきていると思います。
―なるほど。日本にはさまざまな民謡があるにもかかわらず、いわゆるポップミュージックのなかで存在感を放っているのは、唯一沖縄民謡という印象があります。それはなぜなんでしょう?
上間:何ででしょうね(笑)。沖縄民謡は新しい歌が常に生まれているので、それによるところはあると思います。流行歌のように、その時代に合った歌が作り続けられているんですよね。
さらに、バイオリンも、ギターも、キーボードも入れるし、いいものは何でも取り入れる懐の深さが沖縄民謡の特徴でもあって。それも含めて、新しい歌、新しい音楽が生まれ続けているっていうのが、やっぱりいちばんの理由じゃないですかね。
―いわゆる伝統芸能のような保存すべき文化ではなく、今も大衆に寄り添って更新され続けている文化であると。
上間:そうですね。楽しいときもつらいときも、常にそこには音楽がある。つらいときに音楽なんて、と思うかもしれないけど、つらいときこそ音楽の力って大きいんですよね。
それは戦後間もないころも、きっとそうで。三線を弾きながら、命のお別れをしましょうって練り歩いた人がいたり。つらいときこそ歌う、しかも明るい歌を歌うっていう。
―つらいときこそ、明るい歌の求心力が強まるのかもしれないですね。
上間:歌は息のようなものなんです。生きている人たちが呼吸するように、自然と歌い継いでいく。しかも、そこに自分が思ったことや感じたことを、どんどん入れていくことができる。今でも、みんなが集まったとき、そこに三線があれば、みんなで歌ったり踊ったりしますから。
もちろん、恥ずかしがり屋の人もいるし、踊りが下手な人もいますけど、そもそも民謡は、ショーとして披露するものではなく、庶民の歌――今回のアルバムタイトルではないけど、「民の歌」であって、そんなに特別なものではないんです。
「慰霊の日」のことを知らない方も本土にはいて、カルチャーショックを受けたりもするけど、“ひめゆりの唄”は歌っていきたい。
―さて、そのアルバム『タミノウタ』ですが、その大半は、既発曲も含めて、オーセンティックな沖縄民謡が収録された一枚になっています。この選曲については、いかがでしょう?
上間:まあ、沖縄民謡をやる上で、本当に避けては通れない曲ばかりですよね。なので、選曲はかなり悩んだんですけど……私がいちばん最初に絶対に入れたいと思ったのは、“PW無情”と“ひめゆりの唄”でした。
どちらも戦後間もないころの結構重い歌なので、どちらか一曲っていう意見もあったんですけど、これは二曲一緒に入れないといけないと思ったんですよね。
―なぜ避けては通れないという思いがあったのでしょう?
上間:“PW無情”はすでに結構音源になっているんですけど、“ひめゆりの唄”は、あまり音源化されていないんですよね。楽しい歌ではないから、民謡居酒屋とかでもあまり歌われない。
でも、そういう歌こそ歌わないといけないし、伝えないといけないと思ったんです。“PW無情”の「PW」は、「Prisoner of War(戦争捕虜)」の略なんですけど、こういう過去があったということを、やっぱり忘れてはいけないと思うんですよね。
―なるほど。
上間:“ひめゆりの唄”は、CDのみならず、ライブでも歌っていきたいと思っている曲です。宮沢和史さんが、「沖縄の唄を後世に残したい」という思いから、沖縄の唄者250人に、それぞれ1曲ずつ歌ってもらうというプロジェクトをやっているのですが、そこで私も歌わせてもらったのが始まりで。「綾乃、何歌う?」って言われたときに、「私、“ひめゆりの唄”がいいです」って、その歌を録音させてもらったんです。ライブでも、6月になると歌っていますね。
―6月23日は、沖縄「慰霊の日」ですね。
上間:そう、「慰霊の日」のことを知らない方も本土にはたくさんいて、それにカルチャーショックを受けたりもするんですけど、そういうことも含めて、この曲は歌っていきたいです。ひめゆり学徒隊を描いた、すごく悲しい歌ですけど、私はラブソングを歌うような気持ちで歌っているんですよね。
歌っていうのは、聴いてくれる人と、思いが共鳴したときに、いちばん感情が高ぶるものなんです。
―沖縄への思いが詰まったこのアルバムを『タミノウタ』と名付けたのは?
上間:さっきも言ったように、民謡って、その土地土地のポピュラーソングというか、みんなの歌なんですよね。「民謡」という言葉が、聴く人を狭めているところがありますけど、私の感覚としては、民謡、ポップス、ロック、演歌、ワールドミュージック……、それは全部「民の歌」だと思っていて。だから、一人ひとりの歌、みんなの歌なんだよっていうことを伝えたくて、今回『タミノウタ』というタイトルにしたんです。
―本作は、ほとんどの曲をウチナーグチ(沖縄言葉)で歌われていますが、それは、どんな思いからだったのでしょう?
上間:私の音楽のスタートがウチナーグチで歌う沖縄民謡だったから。私はたまたま沖縄に生まれて、そこにはそういう言葉があったという単純な理由です。私がもし他の地域に生まれていたら、きっとその土地の言葉で歌っていたと思いますよ。ただ、もとからある歌詞をウチナーグチに直すということもやっていて。
―なぜわざわざウチナーグチに直したんですか?
上間:たとえば、今回のアルバムにも収録されている“悲しくてやりきれない”は、この歌が持つ世界観が沖縄の歴史とシンクロすると思って、是非ウチナーグチで歌いたいと思ったんです。
それで、この曲の作詞をされたサトウハチローさんのご遺族の方に手紙を送って、許可していただきました。ただ、この「悲しい」っていう言葉の直訳が、沖縄の言葉にはなかったりして、ニュアンスの表現は結構大変でしたね。
―カバーと言えば、先ほど名前の挙がった宮沢和史さんの“島唄”のカバーも収録されていますよね。
上間:そう、この曲は……宮沢さんがTHE BOOMを解散して、個人の活動も休止されたじゃないですか。そのニュースを見たときに、なぜか私が歌い継がないといけないと思ったんです。それをご本人にお話しさせていただいたら、宮沢さんが「嬉しいね、歌ってよ」って言ってくださって。
もちろん、“島唄”自体を歌い継ぎたいという思いがあるんですけど、宮沢さんがこの歌に託した思いや、この曲を発表するまでの大変な苦労を聞いていたので、その思いを継がないといけないと思ったのかもしれないです。
―その背景にあるものを、直接本人から聞いた者として。
上間:うん、そうですね。で、“島唄”を歌うなら、やっぱりウチナーグチで歌いたいと思って。宮沢さんの歌詞ではないんですけど、我如古盛栄さんという10年前に亡くなった大先輩が書かれた、ウチナーグチの歌詞があって。
その娘さんで、同じく唄者の大先輩である我如古より子さんのところに行って、「歌いたいんです」と言ったら、快く許可してくださった、という経緯があるんです。
―そうやって受け継がれていくものなのですね。『タミノウタ』は、どんなふうに受け止めてもらいたいですか?
上間:受け止めるというか、あまり構えることなく、空気や風が通り過ぎるように、深呼吸する感じで聴いてもらえたら嬉しいですね。
―ウチナーグチの歌詞は、なかなか理解するのが難しいところがあるかもしれませんが……。
上間:そこは感じてもらえたらなって思います。洋楽の歌詞だって、みんながみんな、全部理解できるわけではないけど、いいと思えるものは、いいと思える。それと同じで、声の表情とかで読み取れるもの、感じるものって、きっとたくさんあると思うんです。
―それが、上間さんがおっしゃっていた「思い」なのかもしれないです。
上間:だから、このアルバムを聴いて、何かを感じた人は、是非ライブにも来ていただきたいですね。“さとうきび畑”とか、泣きながら歌ってますから(笑)。
―泣きながらですか?
上間:はい。我慢しようと思っているんですけど、どうしても我慢できなくて。この前もイベントで歌わせていただいたんですけど、歌が終わってエンディングの演奏が続くあいだ、お客さんがずっと拍手をしてくれて……。その温かさに触れていたら、どうにも涙が溢れてきてしまったんですよね。やっぱり歌っていうのは、聴いてくれる人と、思いが共鳴したときに、いちばん高ぶるものなんです。
- リリース情報
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- 上間綾乃
『タミノウタ~伝えたい沖縄の唄』(CD) -
2017年6月21日(水)発売
価格:3,024円(税込)
COCP-399831. 島唄 南の四季
2. 月ぬ美しゃ
3. 童神
4. 悲しくてやりきれない
5. PW無情
6. ひめゆりの唄
7. さとうきび畑 ウチナーグチver.
8. 安里屋ユンタ
9. 道端三世相~創作舞踊「辻山」より
10. 夢しじく
11. 恋ぬ花
12. サーサー節
13. てぃんさぐぬ花
14. ヒヤミカチ節
15. デンサー節
16. えんどうの花
- 上間綾乃
- プロフィール
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- 上間綾乃 (うえま あやの)
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沖縄県生まれ。7歳から唄三線を習い始め、19歳で琉球國民謡協会の教師免許を取得。2017年、師範免許取得。沖縄民謡で培った声をベースに、聴く者の心を揺さぶってやまない深い表現力の圧倒的なステージで、東京、大阪をはじめとする全国各地でライブを行なう。2012年アルバム『唄者』でメジャーデビュー。翌2013年6月シングル『ソランジュ』を発売、同年『FUJI ROCK FESTIVAL'13』に初出場。同年9月に2ndアルバム『ニライカナイ』をリリース。2014年3rdアルバム『はじめての海』をリリースし、『情熱大陸SPECIAL LIVE SUMMER TIME BONANZA'14』へ参加。2015年には、戦後70年という節目の年にCD『さとうきび畑~ウチナーグチ~』(緑の惑星プロジェクトより発売)に参加。ブルーノート・ビルボード系列のライブハウスでの東名阪ツアーも成功を収め、2016年、自身が作詞作曲を手がけた曲も収録したアルバム『魂うた』(まぶいうた)発売。海外アーティストとのコラボレーションも行うなど、活動の幅を広げている。
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