ミス・ゲイ・フィリピーナの新女王が、その栄光に輝いた瞬間に倒れ急死する。しかし彼女には、自分の死化粧を日替わりで有名セレブそっくりにしてほしい、という奇妙な遺言があった――そんな奇抜な設定ではじまる映画『ダイ・ビューティフル』は、あるトランスジェンダーの女性の一生を描いたフィリピン映画である。
裕福な家庭に育ちながら、自分のアイデンティティーを偽ることのできなかった主人公は、さまざまな大きな喜びと悲しみを経験し、けっして長くない生涯の幕を下ろす。そこには、他の誰でもない「私だけ」の人生の輝きがあった。
同作を監督したジュン・ロブレス・ラナは、フィリピンを代表する映画監督だ。同監督作として久々の日本公開となる本作は、多くの点で彼の人生と、フィリピンの社会に劇的な変化をもたらしたという。オランダで次回作の執筆に向かうラナ監督に話を聞いた。
トランスジェンダーも普通の人間であり、それぞれの生き方を持っている。
―死んだ主人公の死化粧がFacebookで拡散されてバズる、というエピソードがユニークですが、これは実際にあったことなのでしょうか?
ラナ:そういった話が本当にあったかどうかは知らないのですが(笑)、本作を作るアイデアになったものとしては、フィリピンでトランスジェンダーの人が殺害された現実の事件がありました。
―2014年に起きた「ジェニファー・ロード事件」ですね。彼女の死に対して、ソーシャルメディア上ではかなり辛辣な意見が飛び交ったと聞いています。
ラナ:フィリピンはカトリックの影響が強く、保守的な社会なんです。ジェニファー・ロード事件では、フィリピン語で「オカマ」に相当する、あるスラングを使って「こいつは化け物だから殺されて当然だ」「社会のクズだ」といった酷い罵倒がSNS上に溢れかえりました。
『ダイ・ビューティフル』場面写真 ©The IdeaFirst Company Octobertrain Films
ラナ:そういう人たちは、トランスジェンダーについてまったく理解していない。性転換手術がタブーなのはもちろん、ジェニファー・ロードのような人の存在、同性愛を受け入れること自体がカトリック社会では罪なんです。だから徹底して攻撃的な反応が出てきた。でも、トランスジェンダーも普通の人間であり、それぞれの生き方を持っている。それを伝えることは、この映画を作った動機のひとつでした。
フィリピンではカミングアウトする人たちが徐々に増えていて、社会の変化を肌で感じています。
―例えば、インドのヒジュラ(第三の性)という存在も社会的な差別を受けていますが、歌や踊りなど芸能の仕事に従事していて、ある程度の存在感を示しています。そういったアジア周辺国の状況と比べても、フィリピンは厳しいのでしょうか?
ラナ:フィリピンにも「ババイダン」と呼ばれる第三の性のような人たちがかつてはいました。ヒーリングをする呪術師的な存在だったのですが、社会がカトリック化されるにつれ弾圧されたんです。
でも最近になってフィリピンにも大きな変化がありました。バイス・ガンダという国民的大スターがゲイであることを公言したんです。そして、『ダイ・ビューティフル』に主演しているパオロ・バレステレス。彼は人気のテレビ司会者なのですが、本作の公開後に自分がゲイであるとカミングアウトしました。それに対してファンや映画界からは、たくさんの応援の声があがりました。
映画界などの芸術分野に限らず、いろんな産業界でカミングアウトする人たちが徐々に増えていて、社会の変化を肌で感じています。本作に参加しているエキストラのトランスジェンダー役の人たちも、ほぼ全員がゲイであることを明かしていますし。
―『ダイ・ビューティフル』が発表されたことが、ひとつの大きな前進であったわけですね。
ラナ:たしかに本作は私自身もとても驚いているくらい、フィリピンの社会にすごく影響を与えたと思います。去年12月にフィリピン首都マニラの『メトロマニラ国際映画祭』で上映されたときは、誰もがこの映画と主役のトリシャ・エチェバリアを話題にしているような状況でした。
私がこれまで撮ってきた作品は、そこまで大きなインパクトを与えることありませんでしたが、いままでよりもはるかに多くの人が観てくれて、海外の映画祭でも話題になっています。主演のパオロ・バレステレスの人気、そして全体としてはコメディー仕立てになっていることも話題の要因だと思います。
トランスジェンダーの人たちが、普通に恋をしたりして生きていることをみなさんに知ってほしかった。
―本作の魅力は、やはり主人公のトリシャ・エチャバリアという強烈なキャラクターにあると思います。死化粧をアンジェリーナ・ジョリーやレディー・ガガに日替わりで変えてほしいという遺言もパワフルです。彼女には誰かモデルがいるのでしょうか?
ラナ:たくさんのトランスジェンダーの人たちにインタビューをして、それらを集約した存在が主人公のトリシャなのですが、特にモデルとなった中心的な人物がいます。それはトリシャのように、彼女も孤児だった子を養子にして、男たちにレイプされた経験がある方です。
実際の話に基づくことで、映画はナチュラルで、説得力や真実味のあるストーリーになります。今回は特にトランスジェンダーの主人公を、きわめて人間的に描きたかったんです。同時にフィクションの要素や、様々なエピソードをコラージュすることで、単にシリアスなだけではない、エンターテイメントとして楽しめる作品にしたいと考えていました。
ラナ:『ダイ・ビューティフル』というタイトルは、「美しく死ぬ」という意味ですが、ここで重視しているのは「いかに死ぬか」ではありません。死をひとつの起点にして描いてはいるけれども、トランスジェンダーの人たちが普通に感情を持っていて、恋をしたりして生きていることをみなさんに知ってほしかったんです。
フィリピンでは「美しさ」が非常に大切にされているので、美人コンテストがものすごく注目されるんです。
―特に印象深かったセリフに、「私の形をした空間を満たせるのは私だけ」という、ミスコンに出演した主人公トリシャのスピーチがあります。このセリフは、トリシャがさまざまなセレブに変身したいと願うことと関連しているように思います。
ラナ:彼女は本当の自分自身を示すことで、父親に拒絶され、家を追い出されます。もちろん自分自身はトランスジェンダーでいいと思っているんだけれど、家族は受け入れてくれなかった。だから、変身して社会に受け入れられる存在になるということがトリシャにとっては非常に大切なんです。
そしてもうひとつ、フィリピンでは「美しさ」が非常に大切にされているんですね。『ミス・ゲイ・フィリピーナ』というミスコンを映画では描いていますが、フィリピンでは『ミスユニバース』のような美人コンテストがものすごく注目されるんです。『ミスユニバース』にフィリピン人が選ばれると、マニラ市街は本当にお祭り騒ぎになります(笑)。それはトランスジェンダーの彼女たちにとっても同様で、彼女がミスコンにこだわるのもフィリピンのそういった文化事情が影響しているんです。
ラナ:美しさによって受け入れられることは、単に虚栄心を満たすだけではなくて、人々からリスペクトされたいとか、美しい自分というアイデンティティーを持って理想に近づきたい、という信念に貫かれています。単純に自分自身であるだけではなく、さらにレベルアップして理想のアイデンティティーを目指す。そこには変身願望と美への追求が、混ざり合っているんです。
―「美」は外見だけではく内面も含めて、さまざまな価値観で測れるものだと思うのですが、そもそも自分に備わっていない事後的に獲得できるものの価値を、性差や社会的立場を越えて共有できるのはポジティブなことだと思います。例えば、母と娘の関係で、子どもの頃に母親から言われた「かわいくない」「できがよくない」といった言葉が、呪いのようにその人のアイデンティティーを固定化してしまうことはよくありますよね。
ラナ:『ダイ・ビューティフル』で描きたかったことはたくさんあるのですが、仮面をかぶるようにトリシャが変身していくことで、人間には多面性があることも示したいとも思っていました。
例えば、私たちが家族と接しているときに見せる顔と、友人に見せる顔、あるいは恋人、職場で見せる顔はかなり違います。でもそういったいろんな顔は自分の一部で、そういうものが総合されて自分という人格を作っている。トリシャは非常に複雑で、ところによってはコミカルに描かれている存在ですが、マスクをかぶるように変身していくことに、人間の多面性を重ねたかったのです。
私自身がゲイであることも、疎外感や孤独をずっと感じてきた理由でしょうね。
―ラナ監督は、野良犬と同性愛者の老人を描いた『ブワカウ』や、スペインの小さな町ではじめて理容師になった女性が主役の『ある理髪師の物語』などの代表作では、死や孤立をテーマにしています。このテーマにこだわる理由はなんでしょうか?
ラナ:いまそう言われて、たしかに「なんでだろう?」と思いました(笑)。特別に死と孤独を扱ってきたつもりはないですが、やはり私自身のことと強く結びついていると思います。
私は映画監督になりたいと思って、少年時代にマニラに出てきました。フィリピンではマニラ以外に、映画の仕事に就けるチャンスはありませんでしたからね。でも、この街はずっと自分の居場所ではない、自分はここには所属していない、という疎外感や孤独をずっと感じてきました。『ブワカウ』と『ある理髪師の物語』、それから今後作ろうと構想しているもうひとつの作品を合わせた「スモールタウン三部作」は、大都会のマニラで常に孤独を感じる自分という存在についての物語なのだと思います。
そして私自身がゲイであることも疎外感の理由でしょうね。私がカミングアウトしたのは10代の頃ですが、当時から同じゲイの人たちが自分の置かれている状況に苦しんで、なんとか乗り越えようとしている姿を見てきました。そういったことも、私が撮ってきた映画の主人公たちのキャラクターに反映されているかもしれません。
―映画を制作することで、ラナさんは世界中を旅して回る人生を得たと思うのですが、自分の居場所になるような街には出会えましたか?
ラナ:いまアムステルダムで次回作の執筆をしているんですが、ここは非常に平和的です。都会ではあるのだけれども、マニラほどうるさくはない。ただ、自分はもともと田舎の出身だから、住むなら落ち着ける田舎がいいなと思います。
ラナ:もちろん都会であっても好きな街はあって、ニューヨークはそのひとつ。私がパートナーと結婚式をあげたところです。その後、向かったのが東京で、『東京国際映画祭』で『ある理髪師の物語』が上映されました。それ以降も『東京国際映画祭』は、ずっと私のことを応援してくれています。なので東京も大好きな街ですね。
商業的な映画で資金を稼ぎ、その資金で実験的な映画を作る。そのバランスを取ること自体を楽しんでいます。
―ラナ監督のフィルモグラフィーを見ると、商業的な映画とパーソナルな映画のバランスをとりながらキャリアを重ねていますね。フィリピンの映画制作事情はいかがでしょうか?
ラナ:フィリピン、特にマニラにはたくさんのローカルな映画祭があり、ここ数年でさらに充実しています。新人監督に資金を与えてくれるコンペティションもあって、新しい才能が出てきやすい状況は以前よりも整ってきています。しかし、ひとりの映画人としては、今後どう制作を続けていくか、かなり真剣に考えなければいけないと思います。
映画祭が提供してくれる資金だけで続けていくのは難しいですし、そういったコンペティションには、自分と同じような立場の監督、無名の新人が何百人も賞金を狙って応募してきます。そういう人たちと常に競い合わなければいけないのは非常に大変です。
ラナ:私自身は、商業的な映画で資金を稼ぎ、その資金でパーソナルで実験的な映画を作っています。商業的なロマンチックコメディーを作ることも私にとっては大きな喜びなので、バランスを取ること自体を楽しんでいます。
―日本ではフィリピン映画を見る機会はまだ少ないですが、今後より多くの作品が紹介されるようになりそうですね。でも最近フィリピンでは新たにドゥテルテ大統領が就任して、国内事情もかなり変わったのではないかと想像します。
ラナ:じつを言うと彼は私たちが関わっているような規模の映画には、むしろ積極的に支援をしてくれているんですよ。もちろん、彼はドラッグディーラーを殺しすぎているとは思います。
ですが、そういった強硬策を取らざるを得ないくらい、フィリピンの裏社会は荒廃しているので、総じて好意的な印象を持っています。とはいえ、今後の社会の変化は予断を許さないと思っている人も多く、大半の映画人はその予兆を注意深く観察しているという状況ですね。
―近年の映画配信サイトの流行はどう思いますか? Web上で映画を気軽に見られる環境が整って、さまざまな文化環境やアイデンティティーの持ち主に向けて作品を届けられる状況は、ラナ監督のようなマルチカルチュラルな映像作家にマッチするように思います。
ラナ:私は変化に対してオープンであるべきだと思います。メディアの革命的な変化によって、新たな資金調達や観客層が開拓されて、活動をより広げている面はありますから。
でも同時に、これまでの配給やマーケットの伝統を破壊する面も持ち合わせていますから、やはり重要なのは個人ごとの表現のあり方とのバランスです。私自身は、映画館の大スクリーンで映画を観るという経験に、ある種の特別さを感じる世代の人間ですから、それが消滅してしまうとも思っていませんね。
- 作品情報
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- 『ダイ・ビューティフル』
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2017年7月22日(土)から新宿シネマカリテほか全国順次公開
監督:ジュン・ロブレス・ラナ
脚本:ロディ・ベラ
出演:
パオロ・バレステロス
クリスチャン・バブレス
グラディス・レイエス
ジョエル・トーレ
上映時間:120分
配給:ココロヲ・動かす・映画社○
- プロフィール
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- ジュン・ロブレス・ラナ
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フィリピンで最も熟練した映画監督のひとり。多数の映画賞に輝いた『ブワカウ』は、2012 年に米国アカデミー賞フィリピン代表作品に選ばれ、香港のアジア映画賞でリードスター・エディ・ガルシアの最優秀賞を受賞。これに続いて、2014年にウディネ極東映画祭で、フィリピンで初の最優 秀女優賞を受賞した『ある理髪師の物語』と、2014年の映画『SHADOW BEHIND THE MOON』(英題)は、ロシアで開催されたウラジオストク国際映画祭で最優秀監督、最優秀女優賞、フィリップス批評家賞、NETPACベストアジア映画を受賞し、インドのケーララ国際映画祭でも最優秀監督を受賞した。
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