マームとジプシー代表・林香菜が語る、10年の歩みと次の10年

弱冠26歳にして岸田國士戯曲賞を受賞した藤田貴大が作・演出を務めるマームとジプシーは、2か月に1本という頻度で作品を発表し続けている。そのカンパニーの代表を務める制作・林香菜は、めまぐるしく活動を続けるマームとジプシーをいかにして存続させてきたのか。

演劇というジャンルを超えて様々な領域のアーティストとのコラボレーションにも挑戦するマームとジプシーの活動は、ともすれば特殊な道を歩んでいるかのように見えるだろう。しかし、「10周年を迎えるいまだからこそ話しておきたかった」という彼女が語ったのは、「場所を成立させる」というシンプルかつ根本的なテーマだった。

マームとジプシーの皆は制作がいないと作品が生まれていかないということを理解してくれているんです。

―今回の10周年ツアーではじめてマームとジプシーに出会う観客もいると思います。その人たちに「マームはどういう集団なのか」と聞かれたらどう説明しますか?

:基本的には藤田貴大が作る作品を発表する団体のことをマームとジプシーと呼んでいますが、最近の私のなかでは、藤田のもとに集まる人たちと一緒に作品を作って発表する 「場所」がマームとジプシー(以下、マーム)というイメージですね。大学の学生時代に設立をして、出会いや別れを繰り返してきましたが、ありがたいことにスタッフも俳優もほとんど固定のメンバーで活動を続けています。

マームでは現在も劇団員制はとらずに、作品ごとにオファーをして人を集めています。演劇の俳優やスタッフだけではなく、様々なジャンルの作家を巻き込みながら活動を続けることも、私たちを象徴する活動なんじゃないかな。

マームとジプシー代表・林香菜
マームとジプシー代表・林香菜

―場所というのは、誰かが管理して調整し続けないと存続が難しいですよね。「合同会社マームとジプシー」として法人化したのもそのためじゃないかと思うんですけど、いつ法人化したんですか?

:2014年の7月です。イタリアの『ファッブリカ・ヨーロッパ』という現代芸術フェスティバルと契約を結ぶ際に「個人で契約すると税金をたくさん取られるから、とにかく法人を作って欲しい」と言われたんですね。

以前から「そろそろ法人化しないと」とは思っていて、一番簡単に取れる合同会社を選んで、自然な流れで私が代表になりました。法人化すると日本の助成金を申請できる幅が圧倒的に広がるんです。

―マームとジプシーには桜美林大学出身の方が多いですけど、桜美林の演劇専修では予算の組み方を教える授業が必修科目だそうで、特徴的ですね。

:私が桜美林大学に入学した1年生のときだけですが、劇作家・演出家の平田オリザさんがまだ在籍されていたんです。オリザさんご自身が、演劇を作る作家であり、劇場や劇団を維持するプロデューサーでもある方なので、授業は演劇のワークショップなどがあるなかで、「制作」の授業も必修でした。予算の立て方とか超具体的な講義もありましたが、もっと漠然とした「いかに制作という立場がカンパニーの存続や、作品を作る上で重要な存在か」ということを、その制作の授業でオリザさんから教わりました。演劇業界だと、どうしても「制作=雑用」みたいに扱われてしまうところもあるけど、マームの皆は、オリザさんのそういう教えがあったからなのか、制作という存在や部署をすごく重要なものだと考えてくれています。それは私としては本当に心強かったですね。

人が生み出したものに感動することはあるけど、自分が生み出すことには興味がなかった。

―そもそも、林さんはなぜ桜美林に入ったんですか?

:私は小学校3年生の頃から中学2年生まで、コンテンポラリーダンスを習っていました。大学進学のときに、たくさんの人がひとつのものを一緒に作るようなことがしたくて舞台に興味を持って、演劇専攻がある桜美林大学に入学したんです。そうしたら偶然、ダンスを習っていた木佐貫邦子さんがその桜美林の先生として在籍されていたんです。

入学してすぐに木佐貫先生が学生と作るダンスの学内公演があって、私もダンサーとしてオーディションを受けてみるつもりでいたんです。そうしたら、先生に個別で呼ばれて、「制作として手伝ってみない?」と言われて。流れに身を任せて、その学内公演の制作を引き受けることしました。

その後、私が制作として活動しはじめてから言われたことですが、先生は小学校3年生のときから「この子には踊る才能はないけど、制作の才能がある」と思って下さっていたらしいです。どんな子だったんでしょうね(笑)。巡り巡って大学で先生に出会い直して、私の本質を的確に導いて下さって、先生には本当に感謝しています。

林香菜

―踊る才能はないと言われて、落ち込むことはなかったんですか?

:オーディションに申し込もうとしていたのですが、高校を卒業する時点で「自分は出演する才能もなにかを作り出す才能もない」とも思っていたんです。大学のAO入試でも「なにかを作る人たちの近くにいて、そういう人が活動できる場所を作る人や支える人になりたい」と話した記憶があります。

自分が作品を作ったり、出演するというイメージは全くできなかったんですけど、誰かが作るものを支えていくイメージは当時からありました。人が生み出したものには人一倍感動するけど、自分が生み出したことには興味がなくて。人のものを成立させるための努力はできるけど、自分が作るための努力が全然できなかった。だから0を1にする仕事よりも、1を100にするような仕事がやりたいと思ったんだと思います。

―藤田さんとの出会いも在学中で、林さんが3年生のときにマームは旗揚げされています。旗揚げ公演では、林さんは制作ではなく出演されていますよね。

:それ以前からもちろん藤田のことは知っていて、作品も観ていました。藤田は当時から私がマームの制作を担当するようなイメージはあったみたいです。ただ、制作はいわゆる雑用みたいなこともしなくてはいけないので、そういうことをいきなり私に頼むことに慎重だったらしくて。とにかくまずは一番時間を一緒に過ごせる俳優という立場でオファーをして、創作現場に立ち会ってもらうことを考えていたみたいです。

でも、脳みそは制作だから、どんなに俳優として関わっていても「チラシ」とか「パンフレット」の進行状況とか、「お客さんの動員」とか、そういうことばかり気になっていましたね。

プリコグでインターンをしたことで、制作のイメージが全然変わりました。

―第3回公演の『ほろほろ』(2008年)から、林さんは制作としてクレジットされてますね。

:大学3年生の終わり頃になって進路をどうしようか考えていたときに、「得意なことを仕事にしたほうが有利だよ」って母親に言われたんです。当時、学内では制作ができる方だったし、制作という役割や仕事内容がとても得意だと思っていたので、それなら制作として生きてみようかと思ったんですね。

それで、藤田やいまも活動を一緒に続けているメンバーの多くが、大学を卒業する時に作った『ほろほろ』という作品ではじめてマームの制作を担当したんです。その頃には、制作として生きてみようかなと思っていたし、マームに集まってくる俳優や優秀なスタッフも含めて、藤田の作品が世界で一番面白いと心底思っていたし、自分にとってはなによりも大事な存在でした。

だから、当時はまだ少し距離を置いて手伝っていたと思います。それで、どうやって制作として生きて行こうかと考えて、プリコグ(チェルフィッチュなどの国内外の活動をプロデュースするカンパニー)の代表の中村茜さんにお誘い頂いて、インターンとして現場に入らせてもらうことにしました。

林香菜

―プリコグでインターンとして働いている期間も、マームとジプシーに制作として関わっています。その2つは林さんのなかでどういうバランスだったんですか?

:その頃はまだ「私がマームとジプシーの制作です」とはとても言えなかった。当時はすべてを藤田が考えて、「こういう作品をやろうと思っている」ということを自分一人で成立させていたので、どんなことを考えているか、かなり書き込まれたテキストをもらって、それを私が助成金の申請用に書き換えるだけだったんですね。どこでやるかも、誰が出るかも、基本は藤田が決めてきて、本当に相談役ぐらいの関係性だったと思います。

プリコグでのインターンも、あくまで間接的にマームや藤田になにか良い影響があればいいなと思っていました。でもいま振返ると、インターン期間中に、知ることも出会う人も、頭のなかではすべて直接マームにつなげて考えていたと思います。とはいえ当時はとにかく必死すぎて言われたことをこなすことで精一杯で、そんな実感はなかったですけどね。

―ある意味では「修行」ですね。実際にプリコグで働いてみてどうでしたか?

:それまでは「制作が得意だ」なんて思ってたけど、そこで伸びてた鼻をへし折られました(笑)。私が見ていた制作の役割は、実際の制作の仕事のほんの一部でしかなかった。

自分が得意だと思っていたことって、例えば「いかに開場中に、客席をきれいに埋めるか」とか「時間を押さずに開場できるか」とか「定番化している制作のスケジュールを滞りなく完了していくか」とか、そういうことだったと思います。もちろん、それは大事なことだと思うけど、それだけがすべてではないことを、身をもって経験できました。ただタスクをこなすということではなくて、「いかに面白い視点で作品を見ているか」とか「いかに新しいことを自分自身で楽しめているか」みたいなことが重要だと教えてもらったと思ってます。

林香菜

:それで、芸術作品を作る人が自分たちがやっていることを「職業」にすることは、こういうことなんだろうなと気づかせてもらえて、「それを成立させるのが制作なんだ」と実感したんです。だから戦略的にもならなきゃいけないし、実現させるために助成金も獲得する必要があるし、作品を自分自身で一度咀嚼して制作的な言葉を持って作品に関わる必要がある。

制作の仕事は1を100にする仕事だと思ってたけど、作家と共に0を1にする仕事でもあると、制作のイメージが全然変わったんです。それで、プリコグを離れて、きちんとマームに「制作」として関わって、自分ができることをやろうと決心しました。

マームに関わってくださる方に、思ったことを言っていただきやすい関係性を作らないといけない。

―それで2009年の『夜が明けないまま、朝』以降、すべての作品に制作として関わるわけですね。マームの作品が少しずつ評価されていく時期でもあります。

:マームの動員が伸びていく過程を説明すると、まずは岡田利規さんが『コドモもももも、森んなか』(2009年)をものすごく褒めてくれたんです。それで、多分その噂が広まって、次の『たゆたう、もえる』(2010年)でこまばアゴラ劇場(平田オリザが支配人兼芸術監督を務める小劇場)をいっぱいにすることができました。桜美林大学の卒業生にとってアゴラ劇場は特別な場所だし、藤田やマームのメンバーがアゴラでやるなら観にいこう、という大学時代の先輩や同期もたくさんいたんだと思います。

『コドモもももも、森んなか』撮影:飯田浩一
『コドモもももも、森んなか』撮影:飯田浩一

:次の『しゃぼんのころ』(2010年)で徳永京子さん(演劇ジャーナリスト)や佐々木敦さん(評論家)が観にきてくれました。当時はちょうどTwitterが流行りはじめた頃で、徳永さんや佐々木さんもはじめたばかりという頃だったんじゃないかな。今よりもTwitterのコメントが注目されやすかったと思います。そこからは本当にみるみるうちに動員が伸びていきました。

制作的な話をすると、劇評家の方や発信力がある方に作品を観てもらうタイミングは見極めた方が良いと当時から思っていて、『しゃぼんのころ』までは、まだそのタイミングじゃないなと漠然と思っていました。ただ、『しゃぼんのころ』は当時藤田が考えていたことと作品や俳優さんたちが噛み合った、という実感が私にはあって、その作品を徳永さんがはじめて観てくださって、作品の劇評を書いて下さいました。

『しゃぼんのころ』撮影:飯田浩一
『しゃぼんのころ』撮影:飯田浩一

―その翌年に発表した三連作で岸田國士戯曲賞を受賞すると、様々な作家とコラボレーションする「マームと誰かさん」シリーズがはじまります。岸田戯曲賞を受賞した作品を全国ツアーに回すというひとつの流れがあるなかで、それを選ばなかったのはなぜですか?

:まず、岸田戯曲賞をいただいた作品をそのままツアーに回す必要性を全く感じなくて、私も藤田もそういう考えに至らなかったんですね。いわゆる演劇界にとっての必然性という意味ではそうなのかもしれないけれど、なによりも自分たちの必然性が重要だと当時から思っていました。そういう意味では、どんな機会にどの作品を上演するかという感覚が藤田とズレたことはないと思います。藤田から出てくる企画や提案に関しても、違和感を感じたことは一度もないです。

『マームと誰かさん 穂村弘さん(歌人)とジプシー』撮影:橋本倫史
『マームと誰かさん 穂村弘さん(歌人)とジプシー』撮影:橋本倫史

『マームと誰かさん 名久井直子さん(ブックデザイナー)とジプシー』撮影:橋本倫史
『マームと誰かさん 名久井直子さん(ブックデザイナー)とジプシー』撮影:橋本倫史

―様々なジャンルとのコラボレーションは、ここ数年のマームの活動の特徴ですね。そうして関わる人が増えていくと、その場所を成立させる制作の役割も増すと思うんですが、林さんはどんなことに気をつけていますか?

:超具体的ですが、最初に聞くのは、「昼型ですか、夜型ですか」ってことと、「連絡は電話がいいですか、メールがいいですか、LINEがいいですか」ってことですね。様々なジャンルの方がいるので、きちんと伝わる言葉で説明するように心がけています。

「ゲネプロ(舞台上で本番とすべて同じように最初から最後まで通して行う最終リハーサル)」という単語ひとつとっても、一般的に通用する単語ではないと思うので、ニュアンス含めてそれぞれの方に通じる言葉で説明するように気をつけています。いまではマームに関わり続けて下さっている他ジャンルの皆さんは、演劇用語をかなり分かるようになって下さいました。

マームに継続的に関わっている人たちは、「いまマームがどんな活動をしているか」ということを常に気にしてくれているんですね。だから、普段から「今日で公演が終わりました」とか「いまから海外に行ってきます」とか、こまめに連絡は取るようにしています。

あとは、やっぱり皆さん、藤田や作品のことをリスペクトして関わってくださっているので、作品を作るなかで生まれるネガティブな感情を藤田には気づかれないようにしてくださる方がとにかく多いんです。でも、私はそれを言っていただかないといけないポジションだと思うので、思ったことを言っていただきやすい関係性を個人的に作らないといけない、と思っています。私みたいな立場の人とネガティブなことも含めて話しやすい関係性が築けるというのは、マームにとってより可能性があることだと思うので。

演劇界の人に「マームは特殊だよね」みたいに思われてしまうのは寂しいなと思う。

―冒頭にも伺ったように、これから10周年ツアーが控えています。林さんは10周年を迎えたマームのいまをどんなふうに捉えてますか?

:大前提として、これまで一つひとつの作品を成立させるのに必死で、その結果がいまなんですね。「これをいまやったほうがいいと思う」という嗅覚で進んだ結果だと思います。もちろん戦略的に考えてきた部分もありますが、でも言葉では説明できない、その状況やそのときの嗅覚が大きかった。

私たちが選んできたことは、演劇界にとってスタンダードではないかもしれないけれど、自分たちの演劇作品を成立させるために必要だと思うことを、とにかく必死で貫いてきました。だから、演劇作品を作る上で特殊なことをしている意識はないし、「演劇作品」を愚直に作ってきたという実感が強いです。でも、上手くは言えないですが、「演劇界」という世界にとって私たちの活動は特殊に映りがちなんだろうなと最近、感じています。

―マームは「演劇の外側のジャンルにどうアプローチするか」を考えて活動されているかと思いますけど、結果として特殊に見られているのかもしれませんね。

:そう思われてるんだとしたらちょっと寂しい気がしますね。いろんなジャンルを巻き込んでいるのも、その人と一緒に作品を作る意味があるからご一緒しているという大前提がありますが、自分たちというだけじゃなくて、たくさんのジャンルの中で、「演劇」という芸術を選んで観てくれるようなお客さんを増やしたいという思いがあります。

そのためにも、新しい「人の集め方」みたいなことを考えて活動をしているので、そんなに演劇界からかけ離れた活動をしているつもりはないんです。だから、同業者の人に「マームは特殊だよね」みたいに思われてしまうのはすごく寂しいなと思います。今後はそういうバランスが、もう少し柔らかくなるようにしていきたいですね。

林香菜

―マームの10年間を振り返ると、かなりの頻度で作品を発表し続けています。これだけ切れ目なく作品が続くと、どうしてもマンパワーで乗り切るしかないところもあるんだと思います。その点については制作としてどう考えていますか?

:そのマンパワーという課題もあって、去年の6月から『ひび』というプロジェクトをはじめました。内容としては、1年間様々な形でマームの活動に関わってもらいながら月に1回、藤田やゲストのワークショップを受けてもらって、1年後に藤田との作品発表を目指すというものです。先日、1年間の成果として、原宿のVACANTで作品を発表するまでに至りました。本当に具体的にマンパワーとして活動を支えてもらいました。

でもそれだけじゃなくて、『ひび』にはこの1年間、本当に色んなことに気づかせてもらったと思っています。私自身の役割が、いい意味でも悪い意味でもできていて、悪い言い方をすると「人任せ」になってしまっていた部分がありました。『ひび』という新しい視点が入ることで、具体的に色んなことを説明する機会が増えて、作品がより自分に近づいてくる感覚があったんです。『ひび』の皆が作品に向かう姿勢を見ていると、マームを旗揚げするときに自分たちがどうやって集まってきたか? どうやっていまのように役割が分担されていったのか? という根本的なことを、皆の姿を通じて再確認しました。

例えば、マームの作品に俳優や映像スタッフとして関わっている召田実子という者がいるんですけど、いくら優秀な人材でも「俳優をやっているスタッフ」ということがポジティブに受け取られず、肩身が狭い思いをすることもあるみたいです。一度仕事をご一緒すればそのことはすべて払拭されるみたいですが。

あとは、ずっと一緒に作品を作っている俳優さんたちに、様々な現場で藤田のアシスタントという立場で現場に入ってもらうと、心強い優秀なスタッフとして活躍してくれます。そういうことも、みんなそれぞれ葛藤しながらここまで歩んできたんだと思います。『ひび』というプロジェクトを通じて、肩書きがなんであれ、マームのプロフェッショナルであれば、作品や現場は成立できるんだと再確認できたんです。

林香菜

―「マームとジプシーのプロフェッショナル」というと?

:私たちにとっては、例えば先ほどの召田実子の肩書きがどちらであれ、他の現場でバリバリやっている映像のプロフェッショナルと呼ばれる人よりも、藤田の細かなニュアンスやマームとしての手つきみたいなことを深く理解して、個人として作品への思い入れがあるかどうかが大事。作品に関わるメンバーは、そういうことをきちんと理解したマームのプロフェッショナルであればいいと思えたんですね。いままでもそう思って活動してきたんですけど、『ひび』のメンバーと1年関わり、作品を一緒に作ったことで「これで本当に良かったんだ」と、いままでの自分たち自身を肯定できる時間だったんです。

『ひび』のメンバーも、この1年間で、藤田の作品に俳優として関わる人もいれば、スタッフとして関わる人もいました。『ひび』のメンバーが「マームを職業として折り合いをつけていきたい」と強く願えば、マームのプロフェッショナルとしての考え方を持った人材として、新たな関係性で出会い直せる可能性があると思っています。

カンパニーとしての責任は私が取るようにすることで、場所としてさらに大きくなっていくことができる。

―いまの段階では、『ひび』は無償で活動しているわけですよね。これだけの頻度で活動するなかでは、どうしても人手は必要になってくると思うんですけど、そこに関わる皆がどうやって生活していけるのかを設計するのも制作の役割だと思います。

:そうですね、その通りです。『ひび』のメンバーがいることで、まずは人手が増えたというのは大いにあります。「俳優になりたい」とか「演劇のスタッフになりたい」という人ばかりではないので、『ひび』のメンバー一人ひとりにとって、どんな形であれ『ひび』という場所が、自分の活動や生活において還元されるような場所でなくてはいけないと思います。そのバランスを保つためには、私や藤田が一人ひとりと話をするしかない。

特に私の立場は、一人ひとりとの距離感を決めていく職業だとも思うんです。その距離感がすれ違ったときに、人はネガティブな感情が起きてしまうと思うので、それぞれと丁寧に関わって、そこを見極めるのは私の仕事ですね。

林香菜

―演劇というジャンルにおいて、どう規模を広げていくかというときに、これまで様々な方法があったと思うんです。マームはいま、活動の規模を広げようとしていると思うんですが、どんな道を思い描いていますか?

:まだ具体的な方法は模索しているところで考えている真っ最中なのですが、この10年間、藤田はマームの主宰者としての責任も作家としての責任も取りながら走り続けてきました。その努力の結晶がいまです。私としても、彼が考えたことに対して無理なく共感して、それを実現するために必死にここまで付いて来ました。

でも、次の10年を考える上では、藤田が自分の頭をできるだけ多く作家として使えるような場所にしていきたい。カンパニーとしての責任を最大限私が取って、いままで以上に分担できたらマームという場所をさらに大きくすることができるのではないかと思います。大きくなにかが変わるとかではないと思いますが、意識として変化していく必要がある。そういう場所に、このタイミングで私が整えていくことがとても重要なんだろうなと思っています。

イベント情報
マームとジプシー
『MUM&GYPSY 10th Anniversary Tour vol.1』

2017年7月7日(金)~7月30日(日)
会場:埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 小ホール

『クラゲノココロ モモノパノラマ ヒダリメノヒダ』
作・演出:藤田貴大
音楽:山本達久
衣装:suzuki takayuki
出演:
石井亮介
尾野島慎太朗
川崎ゆり子
中島広隆
成田亜佑美
波佐谷聡
吉田聡子
山本達久

『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、 そこ、きっと──────』
作・演出:藤田貴大
音楽:石橋英子
衣装:suzuki takayuki
出演:
石井亮介
荻原綾
尾野島慎太朗
川崎ゆり子
斎藤章子
中島広隆
成田亜佑美
波佐谷聡
長谷川洋子
船津健太
召田実子
吉田聡子

『夜、さよなら 夜が明けないまま、朝 Kと真夜中のほとりで』
作・演出:藤田貴大
衣装:suzuki takayuki
出演:
石井亮介
伊野香織
尾野島慎太朗
川崎ゆり子
中島広隆
成田亜佑美
波佐谷聡
長谷川洋子
船津健太
吉田聡子

『あっこのはなし』
作・演出:藤田貴大
音楽:UNAGICICA
出演:
石井亮介
伊野香織
小椋史子
斎藤章子
中島広隆
船津健太

料金:
前売 1作品券4,000円 4作品セット券13,500円
当日 1作品券4,500円
※『あっこのはなし』は前売3,000円、当日3,500円

プロフィール
林香菜 (はやし かな)

桜美林大学総合文化学群卒業。07年マームとジプシー旗揚げに参加。以降ほぼ全てのマームとジプシーの作品や、藤田の外部演出の作品で制作を担当。14年マームとジプシーを法人化し、代表に就任。



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