日本上陸したKickstarter創業者に訊く、日本文化は海外で勝てる?

「売れるもの」と「いいもの」は違う、というのは古今東西よくある話で、でもだからと言って、愚痴らず、引きこもらず、世界をもっとクリエイティブにしたい。それが、このメディアを運営するCINRAが、これまでずっと抱えている欲求だ。

それを世界規模で成し遂げているアメリカ発の大先輩が、2017年9月13日に日本に上陸した、ファンディングプラットフォーム「Kickstarter(キックスターター)」。「クラウドファンディング」という言葉が徐々に日本でも浸透してきたが、彼らがそのアイデアを思いついたのが2001年。それから世界は、確実に変わった。

日本版ローンチにあわせて、創業者のヤンシー・ストリックラーが来日し、CINRA.NETの取材に応えてくれた。謙虚に、ゆっくりと笑顔で話す彼から出てきた言葉は、クリエイティビティーを持ちながら生きようとするアーティストと、ビジネスパーソンのすべてに向けた優しいエールのようなものだった。

自分がどれだけ無知かということを知れば知るほど、自分はどんどんよくなれるんだと思います。

―はじめに自己紹介を。CINRAを株式会社にしたのは2006年ですが、活動をはじめたのは大学生のときで、もう15年ほど前になります。

ヤンシー:そうなんですね。会社を10年続けることがどれだけ難しいか、よくわかります。ボスは、楽しいことばかりではないですよね(笑)。

ヤンシー・ストリックラー
ヤンシー・ストリックラー

―大変なことも多いですよね(笑)。ヤンシーさんがKickstarterをはじめたのは、いつ頃ですか?

ヤンシー:もともとは、僕のパートナーであるペリー・チェンのアイデアでした。2001年に、コンサートをやりたいと思ったけど資金がなかった彼が、「コンサートをやりたいです」という思いや趣旨をネットで発表したんです。そうしたら、たくさんの人が自分のクレジットカードを差し出してくれて、コンサートは無事開催できたし、チケットもソールドアウトした。もしそのコンサートが成功してなかったら、Kickstarterははじまってなかったでしょうね。

―2001年、僕らが活動をはじめたタイミングとかなり近いです。インターネットはまだまだ発展途上な状況でしたよね?

ヤンシー:そうそう。インターネットの状況は、今と全然違いました。だから、当時からクラウドファンディングの仕組みを立ち上げたいというアイデアはあったけれど、どうやればいいかは全然わからなくて、実際に動くことはできなった。当時僕は、音楽と映画のジャーナリストをやっていたんです。

―そうだったんですね。

ヤンシー:もし続けていたら、今頃CINRA.NETで記事を書いていたかもしれないね(笑)。僕とペリーが出会ったのは、2005年で。彼がこのアイデアを話してくれたとき、僕はすごく興奮したんです。それまで、カルチャーの世界で出資を受けられるのは、レコード会社や映画会社、出版社など、大きなところから「これはヒットする、儲けられる」と信じてもらえるコンテンツだけだった。

つまり、ほとんどのアーティストにとって一番のモチベーションはお金ではないはずなのに、他の人が掲げるゴールに自分を合わせないといけない状況でした。僕は「それってなにか違うよな」と、ずっと思っていたんです。

なので、Kickstarterをスタートするときのアイデアとしては、それに変わる新しい世界を作ろうということ。クリエイティブなものが、「売る」とか「儲ける」という目的ではなく、「やりたいから」「作りたいから」というシンプルな思いから形になっていく世界を作りたかった。

ヤンシー・ストリックラー

―それは、Kickstarterの創業者全員(ヤンシー、ペリーと、チャールズ・アドラー)に共通する思いだったんですか?

ヤンシー:そう。個人の思いでもあるし、今でもずっと会社全体に通じているマインドでもあります。最初から、会社を売却も上場もしないし、自分たちがお金持ちになるためにやるのではないということを、みんなで話し合いました。作家が「最高の本を書きたい」と思うように、もしくは映画監督が「最高の映画を撮りたい」と思うのと同じように、自分たちにとっての最高の作品を作ろうという思いでKickstarterをはじめたんです。

―Kickstarterという事業自体が作品だったんですね。

ヤンシー:思い通りにいかないことも日々あるけれど、そういったビジョンや信念はずっと変わってないですね。たとえば、KickstarterがPBC(Public Benefit Corporationの略。公益を最大の目的とする会社の体制)になったことや、「The Creative Independent」というメディアを立ち上げたのも、こういう思いの延長上にあるものです。

―とはいえ、これまでの道のりのなかで、上場して、資金を集めて、グローバル企業としてもっと早く大きく成長させようという発想は一度も出てこなかったんですか?

ヤンシー:ないですね。なぜなら、どんなときも「トレード」だから。たとえば、会社が大きくなれば、コントロール力を失うでしょう。僕たちはゆっくりと、忍耐強く、強い意志を持って、これまで自分たちの運命をコントロールし続けてきたように思います。このビジョンから一瞬でも外れていたら、すべてを失っていたと思いますね。

ヤンシー・ストリックラー

―ずっと変わらないビジョンだったんですね。逆に、この10年で、変わったことはなにかありますか?

ヤンシー:プラットフォームに関しては、クリエイターたちも支援者たちも、どんどん賢くなっているというか。たとえばボードゲームのクリエイターとか、Kickstarterをどう活用するかというアイデアに関して、我々よりも賢いなと思うことがあります。彼らと話すと、Kickstarterのことをたくさん学べるんですよ(笑)。

―むしろユーザーから教えてもらう。いいですね。

ヤンシー:最初は、「自分はなんでもわかってる」と思ってしまっていたんですけど、「自分はなにも知らなかったんだ」って常々思わされますね。自分がどれだけ無知かということを知れば知るほど、自分はどんどんよくなれるんだと思います。

「有名」になるより、「ファンがいる」という状況のほうが、この先は大事になっていくと思います。

―9月13日に、日本版Kickstarterがローンチされました。日本でスタートしようと思った理由をお話いただけますか?

ヤンシー:僕たちは日本でサービスをはじめることを、ずっと前から夢見ていました。僕の妻は日系で、僕は昔から日本のカルチャーのファンなんです。日本の映画、特に黒澤明監督が大好きで、よく義理の父と一緒に侍映画を見ていますよ。

まあ、そんな退屈な自分の話はさておき(笑)、日本人の「ファン気質」はKickstarterに上手くフィットすると思ったんです。ステレオタイプかもしれないですが、アメリカ人である自分から見ると、日本人はとことんハマるという性質があって、コレクター気質もある。こういうタイプの人は「スーパーファン」と呼ぶべき存在ですが、Kickstarterでプロジェクトに支援する人たちはみんな、「スーパーファン」なんですよ。

―海外の人が、日本のアーティストやクリエイターの「スーパーファン」になる可能性については、いかがですか?

ヤンシー:海外の人たちは、アメリカ、ドイツ、イギリスなど国にかかわらず、日本のプロジェクトにすごく興味を持つと思いますよ。世界中に日本のカルチャーに魅了されている人はたくさんいますから。そういった人たちは、日本のアーティストを直接的にサポートできることを、すごく面白がってくれるし、興奮もしてくれるはずです。いくら物理的な距離は遠くても、そのクリエイターに近づける、親近感を持てる好機ですから。

ヤンシー・ストリックラー

―海外進出したいと思っている日本人アーティストは、たくさんいると思うんです。でももちろん、それを成功させるのは決して簡単なことではない。ヤンシーさんから見て、海外の人が気に入る日本のカルチャーコンテンツは、どういうものだと思いますか?

ヤンシー:人生で最も感動したコンサートが2つあるんですけど、どちらも日本のミュージシャンによるものです。それは、BOREDOMSのニューヨークでのコンサート。1つは『77BOADRUM』、もう1つは『88BOADRUM』。2007年7月7日に、77人のドラマーと一緒に、77分の曲を演奏するというコンサートでした。その次の年に、それを「8」にちなんでやったんです。どちらも本当にすごかったですよ。すごく人気公演で、チケットもかなり取りづらかったんです。そうやってBOREDOMSみたいに、他とはまったく違うことをやると、世界中の人が面白がると思います。

―「メジャー」を狙うというより、「ニッチ」を狙うほうがいいということなんですかね?

ヤンシー:この先は、すべての人にとって、ディープなファンを持つことが大事だと思います。ファンがいるということはつまり、あなたのことをとっても気にかけてくれる人がいる、ということ。それは大勢でなくて、数人でいい。

「有名」と「人気」は違うんですよね。「有名」になるというのは、たくさんの人があなたのことを知っているということだけれど、「ファンがいる」というのとはまた別物。「有名」になるより、「ファンがいる」という状況のほうが、この先は大事になっていくと思います。名誉はすぐに消え去ってしまうから。忘れられたら、気にかけてくれる人がいなくなってしまうわけでしょう。

ヤンシー・ストリックラー

―「お金を払う」という行為の意味合いに、近年変化が起きていると感じられていますか? 物欲を満たすよりも、愛情や感情を表現するための手段になっているというか。

ヤンシー:絶対にそうだと思いますね。Spotifyが出てきたことも大きいと思います。要するに、「もの」がなくても価値を体感できるようになった。

これまで僕は2000以上のプロジェクトを支援してきて、最初はものを手に入れるためにお金を出していたけれど、もうそうではなくなりました。今は、アイデアを発表してる人に、「僕はあなたのことを応援していますよ」ということを示すためにお金を出している感覚です。

―これからCINRAは、クラウドファンディングを使ったPRエージェンシー、クリエイティブエージェンシーとして、クリエイターの海外進出をサポートしていきたいと思っています。ヤンシーさんが我々に期待することはありますか?

ヤンシー:面白いプロジェクトが出ていたら、それを記事にしてください。その際、そのクリエイター自身のことを書いてあげてください。「どれだけ支援金を集めたか」ということをトピックにするのではなくてね。

クリエイティビティーは、現状をポジティブに破壊できる唯一のものだと思っています。

7月27日のヤンシーさんのブログに、「自分はCEOを退く」と書かれていましたよね。驚いたのですが……。

ヤンシー:社会人になってから最初の10年は、音楽や映画のジャーナリストとして働いて、その次の10年は、インターネットの人としてやってきました。だから、次の10年はまた違うことをやりたいなと思ったんです。

会社はもう人に任せられる、という思いもありました。ビジネスとしても、8年間ずっと利益を上げ続けてきましたし、もうKickstarterに対して心配はないんです。もちろん、これからもチームの一員ではあるし、助けられることがあればなんでもやるけど、自分にとって次の章をはじめるタイミングだなと。

―次にやることは決めてるんですか?

ヤンシー:まだなんにも決めてないです。

ヤンシー・ストリックラー

―僕は、自分の会社を子供みたいに思ってしまっている側面もまだあって。離れるということがまだ想像できないです。

ヤンシー:うん、その気持ちもすごくわかる。でも、子供は育っていくからね。Kickstarterの場合、2011、2012年には、もう自分たちの夢がある程度実現していたんです。その時点で、Kickstarterはもう自分たちのものではなくなっていて、みんなのものになっていた。

それは、会社を作った人間としてひとつゴールではあったけど、複雑な気持ちもありましたね。それがいいことなんだと思えるまでには、少し時間が必要でした。でも、設立者としては、会社が自分の範囲を超えていくことを願うべきではありますよね。

―では、2012年以降のKickstarterは、ヤンシーさんにとってどういう場所であったと言えますか?

ヤンシー:僕たちの夢が達成したことに気づいたとき、会社の設立者としては、「もっとやるべきことはないか?」と自問自答しました。それが、PBCになることを決めたきっかけだったんです。普通のCEOは、僕みたいに「たくさん儲けることが目的ではない」なんてこと、言わないと思いますけどね。

僕らはKickstarterを、よりよいビジネスのあり方や、社会的責任を果たす方法の1つの例として示せる存在にしたかった。ビジネスの未来を考えたときに、僕らがクリエイティブで革新的な存在として、他の会社に刺激を与えたかったし、同時に、もっと会社というものは社会的責任を果たすべきだとプレッシャーも与えたかったんです。逆に、そういった意識を持った会社でないと、優秀な人材は集まらないし、お客さんも集まらないよって。それに、クリエイターのコミュニティーの状況をよりよくしたいとも思ったし、本社のあるニューヨークの街自体にも貢献したいと考えていました。

―ヤンシーさんから見て、今のニューヨークの問題は?

ヤンシー:裕福な人が多すぎる。僕はニューヨークに17年間住んでいて、この街を愛しています。でも、富裕層以外にとっては生きるのが厳しい街になっています。僕は今、家族と一緒にマンハッタンに住んでいるのですが、家族ではなかなか住みづらい街になってしまった。永住できる街ではないなと思ってます。僕はニューヨークを信頼しているし、熱狂的でいい街だとも思っているけれど、その一方で、人々が互いに攻撃し合うこともあるんですよね。

ヤンシー・ストリックラー

―なるほど、東京と近いところがあるかもしれません。

ヤンシー:でもアメリカでは、ここ3年くらいで、国の中心がニューヨークからLAに移動したんですよ。アメリカでは今、カリフォルニアがカルチャーを支配しています。1980年代はニューヨークが中心だったけど、1990年代は今と同じくカリフォルニアがそういう存在になって、2000年代にまたニューヨークへ戻ったと思ったら、今また中心はカリフォルニアになっている。

カリフォルニアが発展した背景には、IT系の会社が集まっているからというのもあるけれど、それを違う方面から見ると、それまでNYが独占していたマスメディア、つまりテレビや出版が衰弱してるから、とも言えると思います。僕のクリエイティブな友人は、ここ数年で、ほとんどみんなLAに引っ越しましたからね。

―それは日本で言うと、メディアが東京に集中している一方で、今福岡がITやクリエイティブの街として発展している状況に近いですね。

ヤンシー:クリエイティブな人たちが住みたいと思う街が、結果的には、パワーが集まる場所になるということでしょうね。今の時代は、ビジネスな考え方とアーティスティックな考え方の両方が必要。僕らが今住んでいるのは、そういう世界だと思います。

―ヤンシーさんは、クリエイティブは社会にどういう影響を与えられると考えていますか?

ヤンシー:クリエイティビティーは、現状をポジティブに破壊できる唯一のものだと思っています。既存のアイデアよりも魅力的なアイデアが出てくることで、人々が信じるものは変わり、社会全体が変わっていく。だから、日本のクリエイターたちにも、僕たちが驚くようなアイデアのプロジェクトを、Kickstarterから発信してくれることを期待しています!

ヤンシー・ストリックラー

ウェブサイト情報
『Kickstarter』

「Kickstarter」とは、世界最大のクリエイティブなプロジェクトのためのファンディングプラットフォーム。クリエイターがプロジェクトを世界に向けて公開し、220以上の国や地域からなる、幅広いグローバルネットワークからの支援を募ることができます。これまで世界1300万人以上の支援者がおり、合計32億米ドルを超える資金が集まっています。日本版立ち上げ前で、すでに日本のクリエイターが立ち上げたプロジェクトだけでも合計3000万米ドルのファンディングが成立しています。

プロフィール
ヤンシー・ストリックラー

Kickstarter共同創業者兼CEO。CEO就任前にKickstarterでコミュニティー責任者およびコミュニケーション責任者を務める。以前は音楽ジャーナリストとして活動していた。



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