しりあがり寿と大力拓哉&三浦崇志鼎談。映画に意味って必要?

この劇場公開は、「事件」といっていいかもしれない。10月14日からイメージフォーラムでレイト公開となる『ニコトコ島』と『石と歌とペタ』。知られざる奇才、大力拓哉監督と三浦崇志監督が作り上げたこの両作品は、いま巷に溢れている映画とは似ても似つかない。

はっきり言って何か具体的なストーリーやテーマが提示されるわけではない。幾人かの登場人物が現れ、大阪弁で他愛のない会話を繰り広げながら、どこを目指すでもなくただ歩く。それだけだ。あの世とこの世の狭間をいくような空間と、愛しさと哀しさをたずさえたような時間、現実と非現実がまじったような世界が広がっている。この唯一無二と言っていいワールドをいち早く認めた漫画家のしりあがり寿と、大力&三浦両監督の鼎談が実現。話はそれぞれの笑いに対する考えから死のとらえ方まで、多岐にわたった。

笑わすのではなく、自分が笑われるほうがいい。(しりあがり)

―お三方の出会いは、2009年の『イメージフォーラム・フェスティバル』とお聞きしています。

しりあがり:そうですね。僕が審査員を務めていて、『ニコトコ島』がグランプリに当たる大賞を受賞しました。

―お二人は、しりあがりさんの作品は、それまでご存知でしたか?

大力:僕は『なんでもポン太』(2003年)が大好きで。僕も三浦も「なんじゃこりゃ」みたいな作品が好きなんですよ。しりあがりさんの漫画はまさにそういうことがぎゅっと詰まっている。

三浦:僕がしりあがりさんの漫画を拝読したときに感じるのは、「すごみ」。なんかガツンとこっちへ届くものがある。本人を前に失礼かもしれないんですけど、けっこうむちゃくちゃなことになったり、下ネタとかバンバン出てきて、傍から見てるとふざけすぎぐらいの感じなのに、最後にはなんか、世の中の真理を突いたようなものをズバッと見せられた気がする。

左から:三浦崇志、大力拓哉、しりあがり寿
左から:三浦崇志、大力拓哉、しりあがり寿

大力:しりあがりさんの漫画は、笑かすところと、笑わないでもいいような小さなギャグがある気がするんですけど、何か意図してることはあるんですか?

しりあがり:基本的に全部、笑わせようとしている(笑)。ただ、僕は笑われる対象でいたいところはあります。下手ウマってそもそもそうじゃないですか。笑わせるのではなく、自分が笑われるほうですよね。

ただ、それを長く続けるのは難しくて。「こいつ、笑わせようとしてわざと下手に描いてるんじゃないか」と疑念を抱かれた時点で成立しなくなっちゃう。ただ、自分のスタンスとしては笑われる対象になるというのが常にある。

一生懸命にやっているのに、なぜかこんなことになってしまい、結果的にみんなに「何やってんだよ」みたいに突っ込まれて笑われるみたいなのがいいんだよね。コントロールしてできるものじゃない笑いで難しいんだけど。でも、二人の作品にもそういう笑いがあると思う。

しりあがり寿
しりあがり寿

大力:そうそう、そのコントロールできないどうしようもない笑いなんです。

しりあがり:話術で笑わすというより、なんか隙があって、そこを突っ込まれて笑いが起こるというのかな。「あっ、俺、笑われちゃった」みたいな感じの笑いが自然でいい。

三浦:それすごくわかります。いま、しりあがりさんがおっしゃったような感じで、「楽しんでもらえたらな」というのはあって。ただ、それが正解かわからないから、笑いは難しい。

『ニコトコ島』メインビジュアル
『ニコトコ島』メインビジュアル

「意味がない」って、おもしろいんだよね。(しりあがり)

しりあがり:『なんでもポン太』は、もともとストーリーなしで、ひとつのまとまりになるものを作りたかった。普通、お話ってまとめるじゃないですか。意味がつながっていって、始めと終わりがあって、ひとつの作品になる。

でも、音楽って関係ないでしょ。音符のつらなりで成立する。それに近い感じというかな。ただ、途中からどうでもよくなっちゃって、いい加減な作品になっちゃったんですけど(笑)。

大力:いや、読んだときにびっくりして。意味はないけど、とにかくおもしろい。これってすごいことだと思うんです。僕らもその領域はすごく意識しているところだったりします。

左から:大力拓哉、三浦崇志
左から:大力拓哉、三浦崇志

しりあがり:いや、すでに二人の作品はその領域に達してるんじゃないかな。「意味がない」って、おもしろいんだよね。みんな気づいていると思うんですよ。「世の中のほとんどのことがさして意味がない」と。でも、そうしちゃうと元も子もないから、意味あることにしようとする。

自分たちの作品は、「テーマがないこと自体がテーマ」なのかな。(大力)

―しりあがりさんがお二人の作品に抱いた印象も、それに近いものだと伺いました。

しりあがり: そう、「これっていったい何なんだろう?」って。とりたててストーリーもなければ、内容に意味もない。テーマもなければメッセージもない。意味のないことが意味のないまま提示されて、そこに意味をもたせない。

意味をもたせないことで、その部分を受け手にほとんど丸投げして、見る人への委ね方が潔い。「おいおい、もうちょっと説明したほうがいいのでは?」と、こちらが心配しちゃうぐらい委ねていて、すごいなと。普通どこか「伝わらないかも」と不安になるものだから。

『石と歌とペタ』メインビジュアル
『石と歌とペタ』メインビジュアル

三浦:もう僕ら以上にいろいろと解釈してくれる人がいて。そこはありがたいところですね。「ここはこういうことなのでは」とか言われて、自分らも「そうかも」とびっくりするときがあります。作った本人なのに(笑)。

『ニコトコ島』はスイスの『ロカルノ国際映画祭』とスペインの『ヒホン国際映画祭』でも上映されたんですけど、そのときにけっこう「ここはこういう意味では?」みたいなことを言われました。それまで自作について話すことなんてなかったので、最初は戸惑いっぱなしで。説明するのが難しかったですね。

『ニコトコ島』の一場面
『ニコトコ島』の一場面

大力:質問をいただいて話しているうちに、自分も「こういうこと考えていたのかな」と、わかってきたりして。今回の劇場公開に当たってもいろいろと考えていたら、「こういうことを自分ら、やりたかったのかな」とか気づいたことがいくつもあるからね。

しりあがり:彼らの質問に対して、お二人はどう答えたんですか?

三浦:いや、指摘されたところに意味もテーマもなければ正直に「ない」と(笑)。ないものはないですから。

三浦崇志
三浦崇志

大力:ずっと「自分らの映画のテーマって何なんだろう?」と考えていたんですけど、最近、「テーマがないこと自体がテーマ」なのかなと。

三浦:「自由な発想のもと、自由に撮りたい」という思いがあって、それを素直に出していったら自然とこういう作品になっていったんですよね。

しりあがり:意味ないことを意味ないと肯定すると、案外おもしろくて生きるのが楽になるんだよね。なのに、みんななんか意味持たせて頑張っちゃうんだ。

ストーリーを用意してしまうと、撮影が「作業」になってしまうんです。(三浦)

大力:もともとはストーリーを決めて撮っていたんですよ。でも、実際に現場にいくと、それよりもおもしろいことが出てくる。それで、そっちを撮りたくなるんですけど、決め事があるとそれを無視せざるえない。それがもったいないなぁと。それであまり決め事を作らないで、やっていくようになったんですけどね。

大力拓哉
大力拓哉

三浦:二人とも撮影が大好きなんですけど、ストーリーを用意してしまうと撮影が「作業」になってしまって。いま、撮影しているその先を考えてしまうから、その瞬間を楽しめなくなるんですよね。

大力:『ニコトコ島』のときは、なんとなく脚本を書いていたんですけど、『石と歌とペタ』に関しては、何もないところから撮影を始めて。撮れたものをみて、次考えるみたいな感じで作って。それからはずっとそのスタイルでやってますね。

『石と歌とペタ』の一場面
『石と歌とペタ』の一場面

しりあがり:そのストーリー性のなさを含め、通常の映画とはかなり趣の違う作風になっているわけだけど、そうなるきっかけはどこかにあったの?

しりあがり寿

三浦:映画学校に通っていたときに、自分以外の学生が撮る映画がやたらとショッキングな題材を扱ったものばかりで。たとえば暴力の被害にあった女性や精神を病んだ人の話だったり……。

別にそういう題材を描くことは否定しないけど、自分にはほんまにこういう映画が撮りたいという風には感じられなかった。むしろ、重いテーマを扱えばとりあえず評価が得られるみたいな「計算」を感じて。「こういうことは自分はしたくない」と思ったんですよね。そんなことより、自分が好きなように自分自身がおもしろいと思えることをやろうと。

会話もよけいなところを削って削って、最後に核心をついた言葉を残す。(三浦)

―『ニコトコ島』や『石と歌とペタ』の魅力のひとつにお二人の「言葉選び」があると思います。しりあがりさんも『ニコトコ島』にこうコメントを寄せられています。「一つの画面の中にちっちゃーな事から、大きな事まで、くだらなーい事から、大切な深ーい事まで入っていて、それがユーモラスに語られて長い時間飽きさせない」と。

三浦:登場人物の語るセリフ、会話、唄まで、使う言葉はものすごく熟考していて。たとえば、複雑にしないこと。できるだけ、ひと言で言い表すようなところを目指しています。会話もよけいなところを削って削って、最後に核心をついた言葉を残す、みたいな作業をしていますね。

三浦崇志

しりあがり:実は「削る作業」というのは僕もとても大切にしている。それはクリエイティブな作業だと思うんだよね。複雑に装飾することを否定するわけではないんだけど。削っていって最後に何が残るのか。

大力:あとはその場にふさわしい言葉というか。たとえば友人同士なら友人同士ならではの話し方があると思うし、電車に乗っていたら、そこで交わされるにふさわしい会話なり言葉なりがある。そこは大切にしています。普段のありふれた感じというか。

三浦:ただし、たとえば妖精がコンビニで話しているとか、そういう外し方はあり。そういうギャップは成立するならありと思っています(笑)。

しりあがり:世間では、「上手に嘘をついたほうが勝ち」というところがあるじゃないですか。要は、ありもしないことをあるように見せる。それが映画だと言う人もいるし。むしろ、そうしたほうが世間からは褒められる可能性が高い。

でも、二人はそこで嘘はつけないんだよね。あくまで、そこはリアルにこだわる。嘘でもいいのに「愛してる」とか言えなさそうだもんね。

大力三浦:言えないですねぇ(苦笑)。

大力:ほんまに思ってても、口に出せない。そのあたりの僕らの人間性は、知らず知らずのうちにセリフとか会話に反映されているんでしょうね。

大力拓哉

「死」を怖がらなくて済むように仕向けたんだけど、いまだに怖いんだ。(しりあがり)

しりあがり:それからもうひとつこれだけは質問しておきたいことがあって。なんかどちらの作品でも人が死んじゃうんだけど、これはなぜ?

三浦:実はここにくる電車の中でも二人で話していたんです。「自分らの映画、よく人が死んでるな」と(苦笑)。

大力:死んでる設定にすると、どんなことが起きても不思議じゃないじゃないですか。どんな状況や状態が起きても許されるというか。

三浦:一気に世界が現実から非現実と無限に広がっていく。そうすると、作品も作りやすい。「だからかな?」なんて話してたんですけど。

大力:誰にでも訪れて、日常の中でいつも通り起こることでもある。特別なことではない。

しりあがり:そう考えると安心できるよね。死んでも何も変わらないんだと思うと、気が楽になる。もしかしたら二人の作品はちょっと落ち込んだり、気が弱い人におすすめかもしれない。

『石と歌とペタ』の一場面
『石と歌とペタ』の一場面

大力:しりあがりさんの漫画も、瀕死になった人が登場することが多いじゃないですか? これは何か理由があるんですか?

しりあがり:僕は死ぬことが怖くてね。怖いって、大抵はその先に何があるかわからないから怖いわけ。それで死について自分なりに一生懸命考えて、ちょっと笑いを入れたら、いくらか怖さが和らぐんじゃないかなと。

死ぬことのイメージを変えたいというか。一般的には不謹慎なのかもしれないけど、「死も笑えたら」と思ったんだよね。誰かが死ぬと基本は泣くというのがお約束になっている。そことは違う形があってもいいんじゃないかとね。それで、死を怖がらなくて済むように仕向けたんだけど、いまだに怖い。

しりあがり寿

大力:なるほど、瀕死のときに、急に変な顔の奴が出てきたりしますけど、そういうことだったんですね。

しりあがり:僕は、「権威とか立派なものを貶めて、笑い倒してやれ」みたいな時代の影響を受けてきたから。ただ、「死ぬこと」に関してだけはなかなか笑えなかったんだよね。でも、死が必ず悲壮をまとっているわけじゃないし、笑って見送れることもある。それで死と笑いが結びついてもいいのかなと思っていて。二人の作品からも、そうした結びつきはうっすら感じられたよ。

『ニコトコ島』の一場面
『ニコトコ島』の一場面

作品情報
『ニコトコ島』

2017年10月14日(土)からシアターイメージフォーラムでレイトショー、以降全国順次公開
監督・脚本:大力拓哉、三浦崇志
音楽:松田圭輔、大力拓哉
出演:
松田圭輔
大力拓哉
三浦崇志
配給:ノンデライコ

『石と歌とペタ』

2017年10月14日(土)からシアターイメージフォーラムでレイトショー、以降全国順次公開
監督・脚本:大力拓哉、三浦崇志
音楽:松田圭輔、松永康平、ラシャード・ベッカー、大力拓哉
出演:
松田圭輔
大力拓哉
三浦崇志
中尾広道
配給:ノンデライコ

プロフィール
大力拓哉&三浦崇志 (だいりき たくや&みうら たかし)

大力拓哉、三浦崇志の二人組監督。共に1980年大阪府出身。2人は小学校からの幼なじみ。2007年に『タネ』がイメージフォーラム・フェスティバルにて入賞。第4回シネアストオーガニゼーション大阪(CO2)助成作品として、中編『僕達は死んでしまった』(2008)を製作。同年自主製作した中編『ニコトコ島』は、イメージフォーラム・フェスティバル2009にてグランプリにあたる大賞を受賞、第62回ロカルノ国際映画祭のコンペティション部門「Filmmakers of the Present」に選出される。翌年制作した、『コロ石』(2010)が、パリのポンピドゥー・センター(国立美術文化センター)で上映。『石と歌とペタ』(2012)は、ローマ国際映画祭「CINEMAXXI コンペティション部門で上映された。その後も毎年新作を製作し、唯一無二の世界を常に更新し続けている。

しりあがり寿 (しりあがり ことぶき)

1958年静岡市生まれ。1981年多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業後キリンビール株式会社に入社し、パッケージデザイン、広告宣伝等を担当。1985年単行本『エレキな春』で漫画家としてデビュー。パロディーを中心にした新しいタイプのギャグマンガ家として注目を浴びる。1994年独立後は、幻想的あるいは文学的な作品など次々に発表、新聞の風刺4コママンガから長編ストーリーマンガ、アンダーグラウンドマンガなど様々なジャンルで独自な活動を続ける一方、近年では映像、アートなどマンガ以外の多方面に創作の幅を広げている。



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