没後10年を機に、父・高田渡へ捧げたトリビュート作品『コーヒーブルース~高田渡を歌う~』から2年、高田漣が『ナイトライダーズ・ブルース』をリリースした。今作は、1970年代に高田渡、はっぴいえんど、あがた森魚などを輩出し、日本のフォーク / ロックの歴史に偉大なる足跡を残したレーベル「ベルウッド・レコード」から初めてのリリースとなる、高田漣のオリジナルアルバム。「血」は、まだそこに流れ続けている、というわけだ。
……と、少しばかり堅苦しい書き出しで始めてみたが、実際のところ、『ナイトライダーズ・ブルース』はとても軽やかだ。めちゃくちゃ踊れて、笑えて、でも実は泣けて……でも、やっぱり踊れて笑える、そんなアルバム。細野晴臣、林立夫、鈴木茂から成る「TIN PAN」や、長岡亮介(ペトロールズ)、佐藤良成(ハンバート ハンバート)といった豪華ゲスト陣も集った本作で高田は、「邦楽」であること、そして、自分自身の原点に立ち返ること――そうした様々な命題を抱えながら、どの時代、どんな状況にいても、人が生きている限り存在する「ブルー」な気分に向き合おうとする。そして、そこから生まれ落ちる音楽……つまり「ブルース」を、この2017年の日本に再定義しようとしている。
日常にあるちょっとした情けないことや、失敗しことのなかに、僕はある種の「ブルース」を感じるんです。
―新作『ナイトライダーズ・ブルース』を聴いて、思い出した言葉があったんです。The Whoのギタリスト、ピート・タウンゼントの言葉なんですけど……。
高田:ピート・タウンゼント!?(パッと目を輝かせる)
―「ロックンロールは、俺たちを苦悩から解放してもくれないし、逃避させてもくれない。ただ、悩んだまま踊らせるんだ」という言葉です。『ナイトライダーズ・ブルース』で鳴っているのも、この言葉のように、悲しみや苦悩を根底にしながら、踊り明かすような音楽だなぁと。
高田:うんうんうん……あんまり言ってきてないんだけど、僕、The Whoが大好きなんですよ。家で思い悩んだときは、だいたいThe Whoのライブ映像を見ますよ。そうすると、悩みなんか吹っ飛ぶんです。The Whoは最高のバンド。まったく自分の音楽性には活きていないんだけどさ(笑)。
高田:でも、すっごく好き。今回のアルバムって、かつてなく「自分が聴きたい音」のアルバムなんですよ。さらにハッキリ言っちゃうと、僕、あんまり人のことを応援したくないんですよね(笑)。
―ははははは(笑)。
高田:でも、だからといって他人のことが嫌いなわけでもないんですよ。失敗した人に、「頑張れよ」って言うよりも、「お前、何やってんだよ。情けねえなぁ」って一緒に笑ってあげる……今回のアルバムの歌のニュアンスって、そういうものだと思う。だから、The Whoって表現してくれたのはわかります。
―ピート・タウンゼントの場合は「ロックンロール」でしたけど、高田さんの場合、今作のタイトルに冠された「ブルース」という言葉が、そうしたアルバム全体のニュアンスを象徴するものなのでしょうか?
高田:そうですね。今回のアルバムのサウンドは、決して、音楽形式としての「ブルース」ではないんですよ。ただ、日常にあるちょっとした情けないことや、失敗しことのなかに、僕はある種の「ブルース」を感じるんです。
「魂の叫び」というよりは、朝起きたら二日酔いで、「昨日、なんであんなに飲んじゃったんだろうな」って後悔したり、街を歩いていたらやけに目が合う女の子がいて、「俺のこと好きなんじゃないか?」って勘違いしたり(笑)。そういう日々の他愛のないことのなかにある愛おしさを、今回は歌いたいなぁと思って。
―そこに向かったのは、なぜだったのでしょうか?
高田:2年前の『高田渡トリビュート』(『コーヒーブルース~高田渡を歌う~』)の影響はあると思います。声高に何かを叫んだり、社会の不正を突いたりすることがなくとも、僕らは生きていますよね。どんなことがあっても、毎朝起きて、仕事に行って、生きている。そういう日々を、もうちょっと大事にしたいなって思ったし、今の日本の社会には、そんなことを歌ったものがあってもいいんじゃないかって思ったんです。だって今、みんな本当に余裕がないじゃないですか。
人が音楽を聴く時間って極端に減っていると思うんですよ。
―やっぱり、今の日本の社会に余裕のなさを感じますか?
高田:たとえば芸能ニュースを見ていても、最近はプライベートなことにまでやたら干渉するじゃないですか。でも、そんなことも、もうちょっと笑い飛ばせるくらいの余裕が、今は必要なんじゃないかなぁ。
人は、情けないときも失敗することもあるけど、そういう瞬間を楽しめたほうが人生、楽しいじゃないですか。それに、自分のことであっても他人のことであっても、情けないことが愛おしいと思えた瞬間、自分のことも、相手のことも好きになれるものだと思いますしね。
―今回のアルバムに収録された曲の主人公たちは、本当に情けなくて愛おしい人たちばかりですよね。
高田:そうそう。このご時世に“ハニートラップ”なんて曲、作らないよね、普通(笑)。しかも、ミュージックビデオまで作っちゃってさぁ。
―僕、この曲で歌われるオヤジの情けなさ、大好きです。可愛い女の子に簡単に騙されて、<気がつきゃカードも判子も渡してた>って……最高ですよね(笑)。
高田:言っておくけど、このアルバムで歌われていることは、全部が全部、実体験じゃないですからね!……まぁ、実体験もあるんだけど(笑)。
高田:やっぱり歌って、本当に楽しいときには必要ないんですよね。むしろ悲しいときにこそ歌は必要だし、歌にしてこそ、その悲しみを、僕らは笑い飛ばせるんだと思うんですよ。音楽を聴くこと自体、いわば「心の余裕」だからね。
―「余裕」って、本当に大事ですよね。
高田:今の時代、会社に行って、クタクタになって帰ってきて、ひとりでご飯を食べてっていう日々の生活のなかで、人が音楽を聴く時間って極端に減っていると思うんですよ。昔、僕らが音楽に向き合って過ごした時間を、きっと今はみんな、ほとんどスマホやパソコンをいじって過ごしていますよね。でも、そういう時間を少しでも音楽に使ってもらうためには、僕らが頑張っていい作品を残さないといけないんだと思う。そこは、自分たちにかかっているなと。
新しい音楽を生み出す原動力は、音楽性だけではなく、歌詞の面も大きいんです。
―改めてなんですけど、前作は高田渡さんへのトリビュート盤だったので、ご自身のオリジナルアルバムが「ベルウッド・レコード」からリリースされるのは、今回が初めてなんですよね。
高田:そうなんですよね。ベルウッドは父が長く在籍していたレーベルだし、このレーベルのマークは叔父が描いたものなんです。そういう、いわば「古巣」のような場所から自分のアルバムを出せるのは、ものすごく感慨深いです。
高田漣『ナイトライダーズ・ブルース』ジャケット(Amazonで見る)
高田:ただ、だからといって「ベルウッド的なもの」に寄りすぎないようにしようとは思いました。そこは、ちゃんと「現代のベルウッド」「これからのベルウッド」を提示したいなと。
―懐古趣味的なものではない。
高田:そう。というのも、最近、僕がサポートをやっている細野(晴臣)さんのライブや、僕自身のイベントに来てくれるファン層がすごく広がっていて、若い子が来てくれているんですよ。それが、すごく新鮮で。
だからこそ、このアルバムを作るとき、若い人たちのことは念頭にありました。ただ単にルーツに根差しただけものや、過去の焼き直しのようなものにせず、ちゃんと「今の音楽」として若い人たちに聴いてもらえるものでなければいけないなと。
―確かに最近、20代前半くらいの若いアーティストたちが影響源として、はっぴいえんどのような1970年代の国内アーティストの名前を挙げたりすることも多いんですよね。今、若い世代が40年前くらいの、いわば黎明期の日本のロックやフォークを掘っている現状はすごくあると思います。
高田:時代が何周か回ったっていうことだと思います。それに今は、ストリーミングサービスも含めて、いろんな形で音楽を容易に手に入れることができますよね。そのカタログ量たるや膨大で、そのなかから単純に「これは面白い」「これは聴いてみたい」って思うものに、若者たちは気軽に飛びつけるんだと思う。今の時代の気分として、若い子たちがはっぴいえんどや、うちの父親の作品のような、70年代の日本の音楽に向かっているのは、単純に「わかるなぁ」って。
―高田さんから見て、今、若い世代が日本の音楽の歴史的遺産に目を向けるポイントって、どこにあるんだと思いますか?
高田:きっと、言葉遣いが新鮮だからだと思います。たとえば、大瀧(詠一)さんの言葉は、歌の切れ目が文字の切れ目とは必ず一致しないから、歌詞を読んでみないと歌っている内容がわからない面白さがあったり、松本(隆)さんの歌詞は、歌詞カードを読んで初めて知る漢字があったりする。
高田:あの時代の人たちは、日本語で歌詞を書くことに対してすごく深いこだわりがあったんですよね。でも、90年代以降、日本のポップスがファストミュージック化してしまったことで、言葉の「意味」が少しずつ失われていってしまった。あの頃から、言葉を上手く使える人たちは、きっとヒップホップに流れていってしまったんですよ。
―高田さん、日本のヒップホップはよく聴かれるんですか?
高田:そんなに頻繁には聴かないけど、好きですよ。だって単純に、僕が今回のアルバム1枚かけて書いたくらいのことを、ヒップホップの人たちは1曲で言い切ったりするじゃないですか。そのフィジカルな言葉の使い方は、すごく勉強になります。やっぱり、新しい音楽を生み出す原動力は、音楽性だけではなく、歌詞の面も大きいんですよね。
今回は表記を「ブルー『ス』」にこだわったんです。
―音楽を生み出す原動力における歌詞の重要性って、どういうところなのでしょうか?
高田:遡れば、なぜチャック・ベリーが斬新だったかというと、そこには新しい韻の踏み方があり、それまでのロックンロールの歌詞にはなかった題材やストーリーがあったわけで。今、若くしてポップスを作っている子たちも、そんな歌詞の重要性に気づき始めているんじゃないかな。単純に、頼もしいですよ。
―今作の歌詞表現においても、「日本語である」ということは特別に意識する部分でしたか?
高田:ものすごく重要でした。さっきも言ったように、今回の作品は、音楽的な形式美としての「ブルース」ではないんですよ。音楽的には、カントリー、ブルース、ウェスタンスウィング、ニューオーリンズ、モータウン……そういう様々なルーツミュージックを意識的に引用しているんですけど、それと同じくらい、「日本語表現である」っていうところも意識していました。だから、今回は表記を「ブルー『ス』」にこだわったんです。「本来の発音的には、ブルー『ス』じゃなくて、ブルー『ズ』だ」って言う人もいるんだけど。
―たしかに、そうした意見もありますよね。
高田:もちろん、その言い分もわかるんです。でも、僕は音楽的にも、言葉の面でも、今回は「日本人の表現としての『ブルース』」を作りたかった。それくらい、今、自分のなかの「邦楽欲」がすごく強くなっているのを感じるんですよね。
たとえば、Buffalo Springfieldを聴いたら、もちろんカッコいいと思う。だけど、はっぴいえんどのほうがしっくりくるんですよ。Dr.Johnの『Gumbo』(1972年)は大好きなアルバムだけど、やっぱり、細野さんの『泰安洋行』(1976年)のほうが自分にはフィットするんです。それは僕だけじゃなく、日本人なら、そういう人はきっと多いと思う。そんな僕らにとって、「日本語で歌う」っていうことは、やっぱり、永遠の命題なんですよね。
高田:もちろんこの命題は、はっぴいえんど以前からずっとあるもので。GS(グループサウンズ)や、父のフォークソングの時代もそう。絶えず、日本語とリズムの関係の追求は行われてきたと思うんです。その追求を、自分もやっていきたいんですよね。そういう意味では、今回、自分にとって「ブルース」と名づけられるものが作れたのは大きな発見だったし、「この先、自分はどんな曲を書けるんだろうか?」っていう期待感も、今はすごくあります。
ブルースに限らず、音楽は絶えず更新されないと意味がない。
―今、世界的に見ても音楽の在り方は大きく変わっていっていると思うんです。特に黒人音楽をやっている音楽家は、ブルース、ジャズ、ゴスペルといった自分たちにとっての根源を再定義しようとしているようにも見える。そのなかで、日本で音楽を生み出す人々が、日本人として、アメリカに根を持つポップミュージックを鳴らすことの意味を改めて捉え直そうとするのは、すごく重要なことに思えます。
高田:意識的に音楽に向き合っている人たちは、みんな、どこかで同じような命題に直面するものなんだと思います。すでに膨大に音楽のカタログはある。「じゃあ、そのうえで自分は何をするか?」っていうことなんですよね。この世界にある音楽のなかで、「自分らしさ」とは何か? 「新しいもの」とは何なのか?……それを突き詰めようと思ったときに重要なのは、自分のなかで血肉化されたものが、どれだけあるかっていうことだと思うんですよね。
―膨大な情報が溢れているからこそ、「自分自身であること」が重要になる。これは音楽においても、日々の生活においても重要なことですよね。
高田:そうですね。今回のアルバムに関してもうちょっと話をすると、大枠では「ブルース」っていう方向性がありつつ、もうひとつサウンドの方向性として、音像的には「90年代」っていうのがテーマとしてあったんですよ。
―「90年代」ですか?
高田:たとえば、1曲目“ナイトライダー”の冒頭のドラムパターンは、G・ラヴの1stアルバム(1994年リリース『G. Love and Special Sauce』)の曲から引用しているんです。今回、音楽的には、1994~5年くらいの音像を作りたくて。
高田:当時、G・ラヴはブルースとヒップホップをかけ合わせることで、ルーツミュージックをそのまま演奏するのではなく、それを現代にフィットするように形を変えて示した。その姿勢もこのアルバムに通じています。何より当時、僕は20歳過ぎだったんだけど、あの頃の自分にとって彼らの音はすごく新鮮で大好きだったんですよ。
―94年頃っていうと、Beckが出てきたのも、その頃ですよね。彼も、ブルースやフォークとヒップホップをかけ合わせた、当時としては斬新な音楽性で出てきた。高田渡さんの影響などとはまた違った部分での、高田さん個人のルーツが、この時代の音にあるということでしょうか?
高田:まさにそう。当時はヒップホップっていう表現自体がまだアンダーグラウンドなものだったけど、そことルーツミュージックが混ざり合っていく面白さに、当時の僕は夢中だった。G・ラヴやBeckのような人がいる傍ら、Beastie Boysとマニー・マークは生バンドでヒップホップを演奏することで、下手なファンクバンドみたいになっていて(笑)。でも、逆にそれがすごく新しいものに聴こえていたり。
他にも、Soul Coughing、Cibo Matto、Los Lobos……90年代中盤の代の人たちの音って、すごく好きな音像なんですよ。「音楽性」というよりは「音像」ね。「北野武のあの映画が好き」っていうのではなく、「北野武の青が好き」みたいな。
―具体的な音楽性の在り方とはまた違った部分で、「時代の音」ってありますもんね。
高田:そうそう。あの時代の、ベースとドラムがデカくて、ギターがほとんど聴こえないような音像。俺が一番好きな音は、20代前半の頃から変わらず、今でもそこにあるんだなって改めて思って。
うちは父親の影響で、どうしても70年代の音楽が周りに溢れていたし、それを英才教育のように聴いてきた部分があるけど、それとは別に、自分の意思で、自分のお小遣いで集めてきた音楽もかけがえのないものなんですよ。今回は、そこに気持ちが向かったということでもあると思います。そういう意味でも、このアルバムがベルウッドから出ることは、自分のなかで大きなことなんです。
―「高田漣」という個人の血肉が昇華された音楽が、ベルウッドという巨大な歴史に加わる、ということですもんね。今日はお話を聞かせていただいて、「未来に進むために必要なこと」を改めて考えさせられました。
高田:大瀧詠一さんは「新しいことをするためには、必ず墓参りをしろ」とおっしゃっていたけど、本当にそのとおりだなと思いますよ。そして、ブルースに限らず、フォークもジャズもクラシックも、テクノでもヒップホップでも、絶えず更新されないと意味がない。それぞれの音楽の世界が絶えず変わり続けているはずなんです。音楽は、そこが楽しいんですよ。音楽には、まだまだいくらでも楽しむ余地があると思いますね。
- リリース情報
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- 高田漣
『ナイトライダーズ・ブルース』(CD) -
2017年10月4日(水)発売
価格:3,000円(税込)
KICS-35251. ナイトライダー
2. ハニートラップ
3. Ready To Go ~涙の特急券~
4. Take It Away, Leon
5. Sleepwalk
6. ハレノヒ
7. ラッシュアワー
8. 文違い
9. 思惑
10. バックビート・マドモワゼル
- 高田漣
- プロフィール
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- 高田漣 (たかだ れん)
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1973年、日本を代表するフォークシンガー・高田渡の長男として生まれる。少年時代はサッカーに熱中し、14歳からギターを始める。17歳で、父親の旧友でもあるシンガーソングライター、西岡恭蔵のアルバムでセッションデビューを果たす。スティール・ギターをはじめとするマルチ弦楽器奏者として、YMO、細野晴臣、高橋幸宏、斉藤和義、森山直太朗、等のレコーディングやライヴに参加。ソロアーティストとしても6枚のアルバムをリリース。2007年、ヱビス「ザ・ホップ」、プリングルズのTVCMに出演。同年夏、高橋幸宏の新バンド構想の呼びかけにより、原田知世、高野寛、高田漣、堀江博久、権藤知彦の計6人で「pupa」結成。2013年、映画『横道世之介』(原作:吉田修一、主演:高良健吾・吉高由里子、監督・脚本:沖田修一)、『箱入り息子の恋』(監督・脚本:市井昌秀、主演:星野源・夏帆)、シティボーイズの公演~シティボーイズミックス PRESENTS『西瓜割の棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を』の音楽を担当。2013年6月、豪華ゲスト陣が参加したソロアルバム『アンサンブル』をリリース。2015年4月には高田渡の没後10年を機にトリビュートアルバム『コーヒーブルース~高田渡を歌う~』をリリース。2017年10月4日に『ナイトライダーズ・ブルース』を発表した。
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