基本となるソングライティングは一見シンプルながら、練り込まれたアレンジとアンサンブルから、1曲1曲に豊潤な音楽的濃度を感じさせる。具体性と抽象性を行き来する歌詞は、リアルとフィクションの絶妙な狭間から、聴き手にバンドの告白を伝える。総じて、どこまでも瑞々しく衝動的な印象を与えながらも、その奥には、バンドが重ねてきた年輪と、そこに刻まれた絶望と再生の記憶が、重層的に表現されている――そんな、すさまじい作品性の高さを感じさせる1枚。それが、藍坊主が1月24日にリリースする3rdミニアルバム『木造の瞬間』だ。
去年はレコチョクが運営するクラウドファンディングサイト「WIZY」を通して、地元・小田原を舞台にした映画『太陽の夜』を映画監督・勝又悠と共に製作するなど、精力的な活動を見せた藍坊主。今回のインタビューでは、去年1年の動向を基軸に、フロントマンであるhozzyにバンドの現在地を語ってもらった。2015年にメジャーレーベルを離れて以降、自主レーベル「Luno Records」を基盤に活動する彼らの「いま」までの道のりは、決して平坦なものではなかった。
驚いたのは、映画って、音楽以上にコスパが悪いんだなっていう……(苦笑)。
—新作『木造の瞬間』は、藍坊主の新しいテーマソングになりそうな曲たちが並んでいる、すごく真っ直ぐで瑞々しい作品という印象を受けました。結成から15年以上の月日を経て尚、こういった作品を生み出すことができる事実に、僕は藍坊主というバンドのすごみを感じていて。
hozzy:ありがとうございます。この作品を作っていた去年は、すごく出会いが多かった1年だったんですよ。この「出会い」のなかには、再会であったり、音楽以外での新しい発見であったり、いろんな形があったんですけど、「人と一緒にものを作る」ということが、とにかく大きな刺激で。
—具体的に、どんな出会いが刺激になりましたか?
hozzy:音楽以外でいうと、勝又(悠)監督と『太陽の夜』という映画を作った体験は、やっぱり大きかったです。
—『太陽の夜』は、今作の1曲目に収録されている“群青”の世界観をコンセプトに、藍坊主の地元・小田原を舞台に撮影されたんですよね。この体験は、hozzyさんにとってどんなものでしたか?
hozzy:映画製作にかかわるのは初めてだったんですけど、驚いたのは、映画って、音楽以上にコスパが悪いんだなっていう……(苦笑)。
—なるほど(苦笑)。
hozzy:監督にも、撮影が始まる前から「儲かると思うなよ!」って言われて(笑)。でも、「それでも、やる」っていう……それだけ、映画に関わっている人たちって、みんなプロフェッショナルなんだなと思いました。
スタッフさんも、キャストの人たちも、いざ撮影が始まると、とんでもない情熱で接してくれる。印象に残っていたのは、監督が「これは大人の学園祭なんだよ」と言っていて。
—「大人の学園祭」って、すごくいいですね。
hozzy:その言葉は僕自身、すごく納得できました。音楽とはまた違った部分で、「こんなことをやっている大人がいるんだ!」って、勇気をもらいましたね。
10-FEETがフェスに呼んでくれたのは嬉しかったし、そこでも『ハナミドリ』の曲が、すごく盛り上がって。
—音楽面でいうと、どんな刺激的な出会いがありましたか?
hozzy:藍坊主って、この数年間、ほとんどセルフプロデュースでやってきたんですけど、3枚目のアルバム(『ハナミドリ』、2006年発表)を作る頃までは、自分たちに音楽的なことを教えてくれていた時乗(浩一郎)さんというプロデューサー兼ディレクターがいたんです。その方と再会して、去年からもう一度一緒に音楽を作り始めたことは大きかったですね。
—では、今作は十数年来の藍坊主と時乗さんのタッグによって生まれた作品なんですね。
『木造の瞬間』ジャケット(Amazonで見る)
hozzy:そうです。僕らはここ数年、10年前に出したアルバムの曲を演奏するというコンセプトのツアーをやっているんですけど、2016年に『ハナミドリ』のリバイバルツアーをやったとき、お客さんがすごく楽しそうで。
—『ハナミドリ』には、“ジムノペディック”や“テールランプ”といった「名曲」として名高い楽曲も収録されていますよね。
hozzy:「『ハナミドリ』って、いいアルバムだったんだな」って、自分たちでも感じることができたんですよね。そのツアーのファイナルを、時乗さんが観に来てくれていて、そこから「また一緒にやろうよ」っていうことになったんです。
—藍坊主のキャリアにとって、『ハナミドリ』はどんなアルバムだといえますか?
hozzy:すごく大きなアルバムです。これも「再会」のひとつなんですけど、2017年に10-FEETが主催しているフェス、『京都大作戦』に初めて呼んでもらったんです。
10-FEETは、お互い以前に所属していた事務所が一緒で。いま、僕らもその事務所から独立して自分たちで活動しているんですけど、だからこそ、フェスに呼んでくれたのは嬉しかったし、そこでも『ハナミドリ』に入っている曲をやったら、すごく盛り上がって。
hozzy:やっぱり『ハナミドリ』は、いまでも僕らのファンのなかで人気なアルバムであると同時に、「なんとなく藍坊主のことを認識している」っていうくらいの人でも、知ってくれている曲が入っているアルバムなんですよね。
—藍坊主が本来的に持っている音楽的なバックグランドや詩情が瑞々しいまま、ポップな形で結実したのが10年前の『ハナミドリ』だったとしたら、今回の『木造の瞬間』もそういった初期作に通じるエネルギーがある作品なのかなって、僕は思いました。
hozzy:『ハナミドリ』の頃って、僕らに音楽的な知識もあまりなかったし、「難しいことをやってやろう!」って思っても、結局、「やり方わかんねぇや」っていう感じだったんですよ(笑)。最終的には「とにかく、いい曲を作る」っていうところに向かっていくしかない……そういう時代で。思えば、今回もそうだったんですよね。
青春時代から距離が遠くなればなるほど、青春がどういうものだったのかって、わかってくるんですよね。
—「難しいことをやってやろう」みたいな意識から解き放たれたい、という感覚があったということですか?
hozzy:難しいことをやるよりは、音楽面でも歌詞の面でも、「素直にやる」っていう、ただその一点を意識するようになりました。その意識が、つまらないシンプルさや雑さに行き着いてしまってはダメなんですけど。
—バンドとしてキャリアを積んでいるからこそ、「素直さ」をどう表現するのか、そのバランスはすごく難しくなってきそうですよね。
hozzy:そう。あくまで、いまの自分たちの「素直さ」が、ちゃんとした「力強さ」としてもアウトプットできなければいけない……そういうことは、すごく考えていました。
—バンドのオフィシャルサイトに掲載されているhozzyさんのコラムを読ませていただいたんですけど、今作に収録されている“群青”や“ブラッドオレンジ”について、「こういう曲がやりたくて俺は藍坊主を10代の頃始めた」と書かれていたじゃないですか。
hozzy:そうなんですよね……本当に、僕は“群青”みたいな曲が作りたかったんだなって思う。お客さんに届く楽曲でありつつ、自分たちのなかにある「藍坊主っぽさ」がちゃんとある。
—hozzyさんのおっしゃる「藍坊主」っぽさって、どんなものですか?
hozzy:う~ん……言葉にするのは難しいなぁ。本当に、僕らだけにわかるであろう感覚なんですけど、たとえば“群青”って、サビですごく突き抜けるじゃないですか。これを僕らは、「メロディーが斜め」って言っているんですけど(笑)。この「斜め」なメロディーがあって、激しくて、青臭い感じ……これが「藍坊主っぽさ」ですね。なんか、言葉にするとすっごいシンプルですけど(笑)。
—でも、わかります。あと、「青臭さ」というのは、やはり藍坊主が一貫して表現し続けているものですよね。“群青”は「青」という、藍坊主にとってのテーマカラーといえる色が歌詞に描かれている点でも、すごく象徴的だなと。
hozzy:そうですね。やっぱり「青春」を描くのが好きですね。それに、実際の青春時代から距離が遠くなればなるほど、青春がどういうものだったのかって、わかってくるんですよね。距離が近いと、わからないことって多いから。
—青春の当事者は、目の前の出来事にぶつかっていくのに精いっぱいで、自分が体験しているものを「青春」だとは思わないですからね。
hozzy:たとえば、一緒に曲を作っているベースの藤森(真一)とは高校の頃から一緒なんですけど、そいつとは当時から毎日、一緒に遊んでいて。ふたりで自転車に乗っていたあの頃の感じって、いまだから「あぁ、わかるなぁ」って思えたりするんです。
そもそも、「藍坊主は歌詞がいいね」って言っていただくことも多かったんですけど、実は、歌詞にそこまでこだわったことがなかったんです。
—10代の頃の青春を俯瞰してみることができるからこそ描ける、「いまの青春」もきっとありますよね。たとえば4曲目の“同窓会の手紙”の歌詞は、視点としては子供時代を回想しているんだけど、結果として、「大人になった自分」というものを生々しくあぶり出しているじゃないですか。
hozzy:はい。
—すごくリアルに子供時代を描写しているからこそ、<ぼくは同窓会の手紙をまた捨てた>という一節が効いてくるっていう。
hozzy:実際の僕には、同窓会の手紙が来たことすらないんですけどね(笑)。
—え、これって実話じゃないんですか? ここに出てくる子供たちの描写とか、めっちゃリアルですけど……。
hozzy:実は違うんです(笑)。今回、歌詞の書き方として、「別の主人公を立てる」っていうやり方が、すごくしっくりきたんですよ。
自分が現実的に思っていることでも、歌詞を書くとなったとき、「自分」視点では歌えないことってあるんです。でも、他の誰かの視点なら歌えるんだっていうことに気づいて。
—なるほど。それは裏を返せば、hozzyさんがいま本当に思っていることを歌うために、あえて自分以外の視点を歌詞に取り入れた、ということでもありますよね。
hozzy:そうですね。
—その心境の変化って、どのようにして生まれたのでしょうか?
hozzy:これまで「藍坊主は歌詞がいいね」って言っていただくことも多かったんですけど、実は、歌詞にそこまでこだわったことがなかったんです。今回、初めて言葉にこだわって音楽を作ったくらいで。いままでは、とにかく音楽的に変な刺激を求めていたんですよね。崖から落ちてしまうような刺激、というか。
—崖から落ちる?
hozzy:そうです(笑)。まわりから「これ、プログレだよ」って言われるぐらい複雑な構成の組曲みたいなものを作ってみたり、キーがどこにあるのかわからないくらい、めちゃくちゃな動きをするメロディーをあえて作ってみたり……音楽的にギリギリを攻める、みたいなことに重きを置いていた時期が長かったんです。レーベルからは結構、怒られていたんですけど(笑)。
—(笑)。でも、そんなhozzyさんが今回、言葉に向かった。
hozzy:そうなんですよね。いまは「音楽に言葉を乗せる」っていう、そのシンプルなことに面白さを感じていて。やっぱり、言葉がちゃんと立っていると、ライブでのお客さんの反応も変わるんですよ。「伝わっているな」っていうことが、明確にわかるようになる。
hozzy:これは僕個人の感覚なんですけど、音楽そのものの喜びを求めるときって、基本的には「予想外」を求めるんですよね。自分の知らないなにかを求めるし、そのために、音楽をすごく構えて聴いてしまう。でも、言葉に意識を向けて作った曲をやると、お客さんが目を瞑って聴いてくれていたりするんですよ。
—無防備な状態で、曲の意味やメッセージを受け止めようとしてくれる、というか。
hozzy:そう。そういう光景を見たときに、「これが『歌詞』なんだな」って思って……そういう発見が、最近は気持ちいいんです。
自分たちでは「積み重ねている」と思っているけど、「これ、本当に前進しているのか?」っていう疑いも生まれた。
—hozzyさんは絵の世界で評価されてもいますし、本来的に、すごく芸術家気質の強い方ですよね(参考記事:hozzy(藍坊主)×筧昌也 音楽、絵、映像の共通点から見る時代感)。
hozzy:そうなんだと思います。いままではずっと、言葉は音や絵に比べて解釈が固まりやすいから、「わかりやすすぎるんじゃないか?」って感じていて。
—だからこそ、そんなhozzyさんが「歌詞」に向きあったのは、すごく大きな変化なのかもしれないですね。
hozzy:言葉も音に乗った「歌詞」になれば、音や絵と一緒なんですよ。「書いてあること」よりも、「書いていないこと」のほうが空気として立ち昇ってくる。
“同窓会の手紙”も、子供の頃にかいだ雨の匂いとか、小学生ぐらいの頃、理由もないのに急に母親の顔が見たくなってしまうような寂しさとか……そういう、具体的に歌詞に書いていない部分が立ち昇ってくるものになっていると思うんですよね。
—音楽に「予想外」を求め続けたhozzyさんが、いま、音楽と言葉を通して「伝える」ということにここまでこだわっている。これは、すごく大きな質問になってしまうんですけど、hozzyさんは、いま、なにを伝えたいのでしょうか?
hozzy:……音楽は音楽だけで伝わることが、きっと一番いいんだろうとは思うんです。でも、たとえば、美術館にある絵も、ストーリーがあるからこそ、わかることってあるじゃないですか。その作品の歴史や、誰が書いたのかっていう背景を知っているからこそわかることがある。
—そうですね。
hozzy:音楽も一緒で、ストーリーを知ってもらってこそ、伝わることがあって。正直、2016年に『Luno』というアルバムを出した頃は、作品の背景にある自分たちのストーリーを、聴いている人たちに伝えることができなかったんですよ。
—それは何故ですか?
hozzy:バンドってイメージが大事だから、言えないこと、お客さんには知らせてはいけないことがいっぱいあって。『Luno』の頃は、そういう意味で、言えないことがたくさんあったんですよね。
—お客さんとストーリーを共有できなかったと。
hozzy:だから、僕らにとってはいい作品だけど、あくまで僕らだけがいいと思っている作品であって、それをお客さんに届ける道筋ができていないっていう感覚があって……。それはセールス面を見てもそうだし、ツアーでも、僕らとお客さんとの温度差を感じました。
—そうだったんですね。
hozzy:自分たちでは「積み重ねている」と思っているけど、「これ、本当に前進しているのか? 間違っているんじゃないか?」っていう疑いも生まれたし。
—『Luno』をリリースした時点で伝えることができなかった藍坊主のストーリーって、いまでも、話すことは難しいですか?
hozzy:いや、いまはもう話すことができます。『木造の瞬間』を作ったことが自信にもなったし、「だから、この作品ができたんだよ」っていうことは、ちゃんと言わないといけないと思うし。
「バンドを辞めたい」っていう話もしたし、その状態が、ライブにも影響し始めたし……。
—そのストーリーを、いま、言える範囲でいいので、教えていただけますか?
hozzy:今回、初回限定盤に付けるブックレットには、これまでのバンドのストーリーをちゃんと書いているんですけど……すごく遡ると、2011年の震災がきっかけです。あの震災で、ずっと信じていたはずの音楽の力みたいなものを、信じられなくなっちゃったんですよ。
hozzy:僕が哲学書をかじっていたこともあって、「生きる」とか「死ぬ」とか、「人間の存在とはなんなのか」とか……そういうことを歌で語っていた時期もあったけど、リアルにあれだけの災害を目の当たりにしたとき、「自分の言葉って、なんて薄っぺらいんだろう」と思って。哲学って、人間の本質を知ろうとする学問だと思うんです。でも、「それを知ったところで、この悲しみをどうすればいいんですか?」っていう……。
—どれだけ知識を得たところで、どうしようもなく存在する現実と、それに相対したときに生まれる感情を抑えることはできなかった。
hozzy:そう。当時、歌で元気を与えようとするミュージシャンもいましたけど、僕は、派遣の肉体労働で現地の撤去作業に行く、みたいなことしかできなかった。
そのときから、メジャーっぽい曲を作っていたときの気持ちと、震災の後の音楽に対する気持ちが噛み合わなくなって。曲を作るのも、歌うのもダメになっちゃったんです。
—震災をきっかけに、hozzyさんのなかで音楽に対する価値観が大きく変わってしまったと。
hozzy:「バンドを辞めたい」っていう話もしたし、その状態が、ライブにも影響し始めたし……こんな状態でメジャーレーベルにいることはできないっていう判断で、バンドを続ける代わりに、事務所も離れて、自分たちで活動する道を選んだんです。リハビリがてら「Norm」っていう個人活動も始めました。
—武道館公演も成功させながら、藍坊主がメジャーレーベルから独立したのは、そういった理由があったんですね。
hozzy:そうなんです。なにかのプレッシャーを感じながら作ったり、誰かのために作るのではなくて、まず自分のために音楽を作ること、単純に音楽を「楽しい」と思えることをやらないと、これは絶対に無理だなと思って。
つらいときって、どれだけ音楽と向き合おうとしても、音楽が逃げていくんですよ。でも楽しいと、音楽はこっちに来てくれる。最近は歌詞ができたらすぐにツイートする、みたいな、前だったら怒られるようなことも自由にやれていて、楽しいんですよ(笑)。
—ははは(笑)。
hozzy:そんななかで、去年、“群青”ができたとき、「やっと音楽がこっちに来てくれた!」って思えたんですよね。やっぱり音楽って、楽しまなきゃダメみたいです。
俺、めっちゃ藍坊主のファンだなって思いました(笑)。
—そんな“群青”を1曲目に持ってきた今作のタイトルは、何故、『木造の瞬間』なんですか?
hozzy:今回の作品は、タイミングや形は違えど、「別れ」を歌った曲が多くて。「別れ」に直面したときって、人生のなかでも、すごくプライベートな時間じゃないですか。そのときの人の心の在り様って、木造住宅みたいだなって思ったんです。燃えやすくて、ちょっと脆いんだけど、でも、柔らかくて、あたたかくて、懐かしくて、尊くて……。
僕らは普段、鉄筋コンクリートみたいな心を持って社会生活を送らなければいけないけど、別れの瞬間にはそんな木造の心に変わる。その瞬間を捉えられたんじゃないかと思って、今回のアルバムは、『木造の瞬間』にしたんです。
—素敵なタイトルです。最後に、一度はバンド活動を辞めようとすら思ったhozzyさんにとって、いま、藍坊主というバンドは、どんな存在ですか?
hozzy:個人活動も始めたので、ちょっと客観的に見ることができるようになったんですけど……俺、めっちゃ藍坊主のファンだなって思いました(笑)。いい曲もいっぱいあるし、面白い挑戦もしてきたし。自分のバンドなんだけど、大好きなバンドです。いいバンドですよ、藍坊主って(笑)。
- アプリ情報
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- 『Eggs』
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アーティストが自身の楽曲やプロフィール、活動情報、ライブ映像などを自由に登録・公開し、また、リスナーも登録された楽曲を聴き、プレビューや「いいね」等を行うことができる、アーティストとリスナーをつなぐ新しい音楽の無料プラットフォーム。登録アーティストの楽曲視聴や情報は、「Eggsアプリ」(無料)をダウンロードすると、いつでもお手もとでお楽しみいただけます。
料金:無料
- リリース情報
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- 藍坊主
『木造の瞬間』初回限定盤(CD+BOOK) -
2018年1月24日(水)発売
価格:3,024円(税込)
TRJC-10771.群青
2. ダンス
3. 嘘みたいな奇跡を
4. 同窓会の手紙
5. トマト
6. かさぶた
7. ブラッドオレンジ
※32Pストーリーブックレット付き
- 藍坊主
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- 藍坊主
『木造の瞬間』通常盤(CD) -
2018年1月24日(水)発売
価格:1,944円(税込)
TRJC-10781.群青
2. ダンス
3. 嘘みたいな奇跡を
4. 同窓会の手紙
5. トマト
6. かさぶた
7. ブラッドオレンジ
- 藍坊主
- イベント情報
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- 『aobozu TOUR 2018 ~木を隠すなら森の中~』
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2018年2月12日(月・祝)
会場:愛知県 名古屋 APOLLO BASE2018年2月24日(土)
会場:埼玉県 熊谷 HEAVEN'S ROCK2018年3月11日(日)
会場:東京都 新宿 BLAZE2018年3月21日(水・祝)
会場:大阪府 梅田 Shangri-La料金:各公演 前売3,900円 当日4,400円(共にドリンク別)
- プロフィール
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- 藍坊主 (あおぼうず)
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神奈川県小田原市出身の藤森真一(Ba)、hozzy(Vo)、田中ユウイチ(G)、渡辺拓郎(Dr)からなる4人組ロックバンド。2004年5月にアルバム『ヒロシゲブルー』でメジャーデビュー。2011年4月にTVアニメ『TIGER & BUNNY』エンディングテーマ“星のすみか”を発表し、翌月にはバンド自身初となる日本武道館公演を成功させた。2015年、自主レーべルLuno Recordsを設立。藤森真一(Ba)はこれまでに関ジャニ∞“宇宙に行ったライオン”や水樹奈々“エデン”等、楽曲提供も手掛ける。hozzy(Vo)はジャケットデザインの描き下ろしや楽曲のトラックダウンを自身で行う等、アーティストとして様々な魅力を発揮しており、よりパーソナルでコアな表現活動のためのプロジェクト、Normの活動をスタート!
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