深津貴之が語る合理的思考術 世の中の大半のことは悩む必要がない

深津貴之(fladdict)という名前が知られるようになったのは、ブログが普及しはじめ、「個人の情報発信が世界を変える」と騒がれていたころ。当時まだ学生だった深津は、留学先からデザインとテクノロジーの話題を頻繁に発信していた。

Flashを使ったインタラクティブなWebサイトが話題を席巻していた時代、そのコミュニティー内で抜きん出た情報発信力で頭角を現し、iPhoneの登場を期に開発したカメラアプリがヒット。その後、フリーランスのクリエイターが所属するクリエイティブチームTHE GUILDを設立し、自身もユーザーの行動を設計するデザイナーとしてUX / UIデザインに携わっている。2017年にはnoteを運営するピースオブケイクのCXOに就任するなど、移り変わりの激しい業界内において、十数年という長きにわたり、変わらず要注目の存在として知られている。

なぜ深津貴之の言動は常に注目を集め続けているのか。当時のネットカルチャーやプログラミング技術に裏付けられた、その合理的で明快な考え方の一端を伺った。

自分の考えを独占することにそんなにメリットがないんです。

—以前、13年前のご自身のブログを掲載して、振り返られていましたね。当時を振り返って、現在に至るまでの原点があるとしたら、どんなことでしょうか?

深津:一番の原点になっていることは、情報の発信と共有をしはじめたことだと思っています。もともとブログをはじめたのが2003年頃、ちょうど自分がロンドンに留学していた頃ですね。日本と自分との接点が完全に無くなってしまったので、その接点を作るために海外の新しいテクノロジーとかITの使い方をいろいろまとめたり、考えを書いていくブログをはじめたんです。

深津貴之

—当時はどんなことを書いていたんですか?

深津:例えば、新しいものが出たらまず自分で触ってみて、試して、同じようなものを作ってみる。作ったらそれがどういうものだったか考えをまとめて、良いものだったら紹介してみる。

そういうサイクルでやればやるほど、それが自分にとっても理解に繋がるしスキルアップにもなる。それを咀嚼して広めることで、他の人とも繋がるし、あるいは普及した知識が基盤になるから、さらに議論を深められる。というように、色々と自分にとって成長するのにブーストがかかるなと思って、その頃からずっとやってきていますね。

—その「新しいもの」というのは、当時だとどんなものだったんでしょう。

深津:留学していた頃は、インターフェースデザイン寄りでした。もともと日本の大学にいた頃のゼミのテーマが「ITで人の生活や生活スタイルがどう変わるか」だったので、IoT、ユビキタスとか、カメラ認識とか人工知能とか、日本でどんなものが生まれるか、それで生活がどう変わるかということを考えたり、分析してまとめることをやってきました。

—当時ブログを拝見していて、情報を惜しげも無くオープンにしている印象がありました。

深津:自分の考えを独占することにそんなにメリットがないんですよね。例えば新しいことを10個考えたとしても、実際に自分でできることといえば、そのうちの1個ぐらいです。残り9個のアイデアは眠っているわけだし、その眠っている9個のアイデアだって、どうせ数年のうちに他の誰かが発表したり似たようなものを作られてしまう。それだったら隠すよりもどんどん前に出した方が、全体的に有意義だなと考えています。

—深津さんのように考える人は稀で、そういった合理性や生産性の高い考え方を追求する人が少ないように思います。そういう考え方はどうやって導きだされたのでしょうか。

深津:ルーツは2つあると思います。1つはプログラマーとかエンジニアとして、オブジェクト指向が流行していた時代にプログラミングの勉強をしていたことですね。物事をどうやって抽象化するか? どっちが親事象でどっちが子事象か? どう配置したら一番矛盾がなく物事が整理できるか? そういう知識や考え方が身についたんだと思います。もう1つは、トレーディングカードゲームです。

—カードゲームですか、意外ですね。

深津:トレーディングカードゲームって、数千枚、数万枚単位のカードの組み合わせの中から最適解をどうやって導き出すかというゲームなんです。どのカードとどのカードを組み合わせると何が発生するかという規則の中で、60枚とか30枚の1セットの中で最適な組み合わせをどれだけ作れるか? どれだけのリスクヘッジをその中に埋め込めるか? そういうところが自分の合理性とか最適化、抽象化を考えるルーツになっていると思いますね。

世の中の大半のことは特に悩む必要がないんです。

—深津さんのルーツになっている「合理性」ということでいうと以前、ご自身のブログで、「意思決定にはポリシーかセオリーか普遍な事項かの3つしかない」という投稿がありましたね。読んでいて非常に深津さんらしい考え方だなと感じました。(参考:深津 貴之(fladdict)|note 『本当に意思決定が必要なことって、実は少ないかもしれない』

深津:みんないろんなことで悩んでいるけど、実は世の中、そんなに悩む必要のあることは少ないんじゃないかって、うちの社員と話していたんです。悩んだらその悩み事を3段階のレイヤーかその他に分けて、どのレイヤーで悩んでいるのかをまず最初に観察するといい。それが「ポリシー」「セオリー」「絶対不変のルール」「その他」の4つのうちのどれなのか? という話でした。

「ポリシー」の話というのは、今日は寿司とカレーのどちらが食べたいのかという悩みです。そういうものは悩んだからといって何かが進展するわけではないので、答えを決めるための行動規範さえ作っていれば一瞬で解決するんです。「カロリーの摂りすぎなので、もっとヘルシーなものを食べたほうがいい」とか。1つ行動規範があれば自動的に決まるから、それを決めれば済むよねって話ですね。

深津:「セオリー」の話は、カレーが食べたいのでその作り方を知りたい場合、ゼロから発明する必要はなくて、美味しいカレーの作り方はすでに存在しているので勝ちパターンはもう既にある。あとはメジャーな勝ちパターンの中からフィットするものを選ぶだけなので、これも悩むは必要ない。

「絶対不変のルール」の話は、カレーの具は煮込みすぎると崩れるとか、具の鶏肉は40~50度でタンパク質が硬くなりはじめるとか、そういう物理法則に逆らおうとするのは時間の無駄なので、単に知っていればいいか、逆らわないポリシーを探せばいい。なのでそれも悩む必要はないよねっていう話。

そうすると世の中の大半のことは特に悩む必要がないんです。悩む時は情報が足りない場合か、リスクかリターンの区別がつかない場合。そういう時は情報を集めるか、リスクとリターンを計測すればいいだけだから、やっぱりそんなに悩まなくてもいい。

—そうすると深津さんは、情報が十分でリスクとリターンの区別さえ見えていれば、基本的には悩むことはない?

深津:よほどのことがない限りはそうですね。それでも悩む時は答えが出ない問題で、しかもそれは行動規範が決まってない場合ですね。

—いまの日本を見ていると、悩んでばかりで苦しそうな人が多いように感じます。

深津:苦しいことはいっぱいあると思うんだけど(笑)、意思決定でそんなに苦しむことはない……。みんなどういうことで悩んでいるんでしょう? 結婚するかしないか、とかですかね?

—そういうことで悶々と悩んでしまっている人がたくさんいるように感じます。合理的に考えたくないのかもしれないですね。

深津:仮にそういうことで3日悩んでも、改善はしないですよね。だいたいの場合、すでに何となく答えは決まっているけど決断したくないっていうだけだったり(笑)。そういうのはルール化しちゃったり、意思決定をアウトソースすれば楽になるんじゃないかと思います。

—いま伺ったような合理的な考え方は、私生活でも役に立ちそうですね。

深津:物事は抽象化する方が楽だと思っていて、具体化したままだと結局それにしか役に立たなくなってしまうんですね。その裏側にある考え方をマスターすれば、全然違う分野でも役に立ったりする。

例えば、カメラマンを例に出して話をすると、仕事で写真を撮る時って、「タテ」「ヨコ」「寄り」「引き」で撮って、そのあと違うレンズで同じことをしておく。それってざっくり言うと、あとでやり直しきかないから全パターン撮っておくということですよね。

それを「カメラマンの仕事」として丸暗記しちゃうと他には役立たないけれども、一歩引いて「あとで取り返しがつかないものは全パターンやっておく」ぐらいの抽象度にしておけば、料理だったりプレゼンテーションの時でも役に立つかもしれない。そうやって、分野Aでやったこと全部が分野Bで役に立つこともあるんです。

未来予測みたいなのはするだけ無駄というか、間違っている。

—UX / UIをデザインするにあたって、ユーザーの行動を予測をするために、深津さんは日頃どんな考え方、どんな方法をとっているのでしょうか?

深津:それには小さな話と大きな話があります。小さな話でいうと、場数ですね。たくさんの人に会って行動を見る回数をこなせば、全体傾向がなんとなくわかるようになっていく。例えばECサイトを十数件こなしたらECの基本がだいたいわかるような、反復学習みたいなサイクルの話。

もう1つの大きな話は、人の動きとか時代の流れを抽象化できるかどうかということです。予測できるところとできないところを切り分けるのは大事なんじゃないかな。

—具体的にはどういうことですか?

深津:例えば今、みんなでりんごの木の下にいるとして、どこにいればおいしいりんごが落ちてくるだろう? と考えているとします。でも、いつどの場所においしいりんごが落ちてくるかは、ランダムな事象なんですよね。結局予測しても大体はずれて時間の無駄になってしまう。

未来予測みたいなものはするだけ無駄というか、間違っていると思うんです。でも、6か月後までに葉っぱが全部散るとか、実がなって落ちるというのは、さっきの話でいう「不変の法則」に近い。よっぽど雷で木が倒れたというような事がなければ外れない事象です。6か月後のおいしい実がなるシーズンは予測できるから、6か月後に取りに来ようとか、それは間違ってない予測になると思います。

深津:抽象化するってそういうことなんです。今はみんな、あまり抽象化して考えないので、「未来がどっちに行くか分からない」みたいなことになっちゃう。でも抽象化することで、「もうすぐ日が暮れるよね」「りんごの実がこれから大きくなっていつか落ちるよね」ということは、難しくなく予測できるんですよね。そういう予測できることに対して、手を打ったり準備をしたりしておけば、割と打率は高いんじゃないかな。

—今の社会は、おっしゃったような「抽象化して予測をする」考え方をあまりしていないように感じます。予測しなくてもある程度は生きていけるし、不安や危険なこともない。

深津:そういう人の傾向として、大きく2つのパターンがあるんだと思います。予測しないで目の前のものだけで生きている派か、すごいピンポイントに予測して人生を張りすぎて外れる派か。すごい両極端になっていて、真ん中が割と少ないイメージです。

—真ん中のポジションにいる人は、今の時代は逆にすごく生きやすいということですね。

深津:完全に当たるわけじゃないけれど、その季節にその木の下にいれば、2~3歩動いておいしい実が拾える、みたいな場所にいるのが重要だと思います。

打席に立つ回数を上げるだけで全然スキルが変わってくる。

—「抽象化して予測する」という考え方を踏まえて、これから社会に出て行く人たちは、どういう準備をしていくべきだと思いますか?

深津:意図的に打席に立つ回数とか、人目に晒される回数を増やすことはオススメしています。うまくいってなかったり、スキルがアップができない世の中のほとんどの人って、結局、打席がめっちゃ少ないって話に過ぎなかったりするんです。

何かを熱心にやったり、仕事の回転が早い場所で働くでも、なんでもいいですけど、打席に立つ回数を上げるだけで全然スキルが変わってくるんじゃないかな。さっきのカメラマンの話に例えると、日の入りを狙って神のような写真を1日1枚撮るみたいなのを365日やった人と、アホみたいにバシャバシャ撮って全部先生に見せて、全部採点されている人だったら、明らかに後者の方が伸びると思うんですよね。

—そうだと思います。

深津:みんな評価されるのが嫌いだし、仕事を1つするのにも1つ作って終わりなんです。その時に3パターン作るとか、さっきのカメラマンの仕事でいう、「タテ、ヨコ、引いて、寄って……」ということを省略する人が多いので、それをやっているだけで強いんじゃないですかね。

—ちゃんと勝負する回数を増やして、トライアンドエラーを繰り返そうということですね。とても合理的な考え方をした上で、結局は1000本ノックじゃないですが、数を増やせっていうところが面白いですね(笑)。

深津:でも結局はそうなんですよ。「一球入魂で写真を撮る」みたいなことも、神様みたいな人ならともかく、普通の人だったら無理ですよね(笑)。素直に1000枚バシャバシャ撮って、見逃さないぞっていうほうが楽だと思います。

—日本人のメンタリティとして、そういう勝負が怖いとか、勝負する機会が少ない傾向があるんでしょうか。

深津:あると思います。みんな「批評」ってダメ出しされることだと思っていたり、作品を否定されること=自分を否定されることだと勘違いしている人が多い。そうするとやっぱり心が傷つくからあまりフィールドに出なくなっちゃうんですよね。

—ネット社会になって、みんなが怖がっているのはそこだと思います。深津さんは昔からずっとインターネットで情報発信されていて、そういった批判に晒されることもあったと思います。どうやって克服しているのでしょうか。

深津:気にしないってことですかね。例えば肉を焼いていて、蚊とか小蝿が飛んでくると「うざいな」とか「不快だな」って思うかもしれないけど、怒る必要はないですよね。怒っても意味ないじゃないですか。

—逆に怒ることはあるんですか?

深津:怒って何かが改善しそうだったら……(笑)。不機嫌にはなるけれども、それを爆発させる意味がなかったら爆発させる必要はないかな。

—伺っていると、私生活も合理的に過ごされているのかと想像してしまいます。

深津:施設や組織を作ると私生活が無くなっちゃいますね。でも、自分の仕事と全く関係ないものを勉強することはあります。最近は金属工芸の鍛金(金属を金床や烏口などにあて金槌で打つことで形を変えていく技法)をやったりしていて、仕事に直接は繋がらないですけど勉強になります。普段のインプットからは絶対手に入らないものを吸収できるかもしれない、という期待もあるかもしれない。でも別にそれは山登りでもいいと思うし、写真でもいいと思う。

見せてくれた深津自身が実際に作った金属工芸の作品

—そういう全く関係のないところからのほうが、手に入るものが多いということですね。

深津:そう思いますが、抽象化してしまえば、なんでも勉強にはなると思います。例えば鍛金をしていておもしろかったのは、手で打っちゃいけないということ。金槌の重力で打つんです。手でガーンってやると手の力の入り具合とか、疲れてきたかどうかで打つインパクトの力とか勢いが変わってきてしまう。

でも、一定の角度まで金槌を持ち上げて重力で落とすってことをすると、重力加速度のおかげで叩く強さが保証されるので、人間がやっても均一に金属を打つことができるんです。人がコントロールできないことは自然現象をベースに利用すれば、割とコントロールできる。こういうのはうまく他のところにも応用できるかも、というようなことです。

—普段とは違う体験からも、抽象化して考えていくんですね。

深津:鍛金をしている時の「金属として動かせる範囲でどうやって修正して立て直すか」というのは、サービス設計とかアプリ設計に近いですね。失敗してもある程度だったら、叩いて伸ばしたり、違う形にしたりしてごまかせる。でも、減りすぎると薄くなったり、凹んだところは直せないし、限度がある。いつも「勉強になるな」と思いながら叩いていますね。

プロフィール
深津貴之 (ふかつ たかゆき)

インタラクションデザイナー。株式会社thaを経て、Flashコミュニティで活躍。2009年の独立以降は活動の中心をスマートフォンアプリのUI設計に移し、株式会社Art&Mobile、クリエイティブユニットTHE GUILDを設立。メディアプラットフォームnoteを運営するピースオブケイクCXOなどを務める。執筆、講演などでも勢力的に活動。



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