感情を持たない虫や植物への憧れから、今村文は花を描き続ける

子どものころに遊んだ押し花や、学校の理科実験室に置かれた植物標本。花を主要なモチーフにした今村文の切り絵ドローイングやペインティングは、いつかどこかで見たような懐かしさをかき立てる。

お菓子の包装に使われる半透明のグラシン紙の上に留め置かれた花や虫たちを描いた繊細な切り絵からは、人間とは異なる時間を生きている小さな存在の美しさだけでなく、力強さも感じられるだろう。それは、資生堂が新たに掲げた「BEAUTY INNOVATIONS FOR A BETTER WORLD(ビューティーイノベーションでよりよい世界を)」という理念とも共鳴するようだ。

同社が主催する公募展『shiseido art egg』のファイナリストのひとりに選ばれ、7月5日より東京・銀座で個展を行うこととなった今村のアトリエを訪ね、話を聞いた。

童話やアニメに出てくる隠れ家のような、作家の自宅兼アトリエの古い一軒家へ

駅前でタクシーをつかまえて、10分ほど走って辿り着いたのは住宅地の一隅にある、古い一軒家。小高い丘の上で、鬱蒼と茂った庭木や竹林に囲まれたその佇まいは、童話やアニメに出てくる隠れ家のようだ。そこを自宅兼アトリエとして、今村文は住んでいる。

つづら折りの坂を登り、玄関の呼び鈴を鳴らすと、本人が迎えてくれた。「制作中で散らかりきっているんですが……」と恐縮する彼女に案内されて、家の中へ。

玄関横から一瞬だけ見えた、手入れのされていない茂り放題の庭のワイルドさに驚くが、屋内もなかなかにすごい。梱包された作品が玄関や廊下を占領し、そばを通り抜けるのにも気をつかう。古い日本家屋特有の、天井高が低く、外光が入ってくるのを避ける構造もあって、薄暗い洞窟を探検しているみたいな気分だ。

今村文(いまむら ふみ)
1982年愛知県生まれ。2008年金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科絵画専攻油画コース修了。愛知県在住。主な活動としては、2015年に芸術植物園(愛知県立美術館)参加。2016年にあいちトリエンナーレ2016参加。

今村:亡くなった祖母が持っていた家で、11年前から住んでいます。聞いた話ですけど、1959年の伊勢湾台風の前から建っていたみたいですね。

応接間を兼ねた居間もインパクト大だ。食器棚や、祖父が使っていたという大きな書斎机を覆い尽くさんばかりに花や茎や根の切り絵がそこらじゅうに茂っている。まるで外の庭木が繁茂して室内にも侵食してきたみたいに見える。注意深く目を凝らせば、椅子の下に三毛猫が隠れていた。知人から預かってもうすぐ1年になるという、ふくよかな体型のテリー。抱かれるのが苦手な彼は、すぐにどこかへ逃げてしまった。

今村:外も内も一緒みたいですよね(苦笑)。ふだんはこんな風ではないんですけど、今回はインスタレーションの空間を作るので、展示の完成形を想像しながら制作する必要があって……家中がこのありさまなんです。

アトリエの一部と化している、応接間を兼ねた居間にて
制作中の作品の一部が家中に広がっている

7月5日のオープニングに向けて、制作が佳境を迎えつつある個展のために、今村はこんなテキストを寄せている。

多くの花や虫で地中の庭をつくる。私は私を、また鑑賞者を庭に埋葬したい。

今村:資生堂ギャラリーは地下に広がる大きなスペースですけど、最初に浮かんだのが地下の庭に埋葬する / 埋葬される、というイメージでした。

現在の埋葬の方法は火葬が一般的ですが、実際には生き物の死に方って、土葬や風葬が大半だと思うんです。土の中に埋められて、植物の地下茎や根、たくさんの虫によって分解され、朽ちていく。そういう感覚を私自身も鑑賞者も覚えることができたらな、と。

取材の様子を伺う猫のテリー

「眠ることで一度死に、そして目覚めることで生まれ直しているようなものかもしれない」

「埋葬のための地中の庭」という当初の構想は、やがて「寝室」という新たなイメージへと変質していったという。

今村:夢野久作の小説『ドグラ・マグラ』を読んだんです。劇中で「胎児の夢」という架空の論文が登場するのですが、母体のなかで眠っている胎児は生物の進化の過程の悪夢を見ているけれども、その記憶は生まれたときにはすべて忘れてしまっている、という内容です。

目覚めたらすべてを忘れてしまっているという感覚、私もすごくわかります。深い眠りに落ちているときにはいつもと違う別の自分を生きていて、目覚めると自分が誰なのか、何歳なのかもわからなくなってしまうような経験。一種の記憶喪失みたいですけど、これって、眠ることで一度死に、そして目覚めることで生まれ直しているようなものかもしれないと思ったんです。

この不思議な眠りの経験を再現するために、今村はギャラリー内に仮設の寝室をしつらえるのだという。また、展示の一部として、自宅兼アトリエで実際に使っているタンスや食卓も持ち込む予定だ。

『Shiseido art egg』今村文展 展示の様子(撮影:加藤健)

大学時代のスランプや迷走期を経て、純粋で無理のない「お花」を描くことにたどり着いた

これまで今村は、一貫して花や植物をモチーフにして絵画を描いてきた。その理由はなんだろうか?

今村:お花だけを描くようになったのは、金沢美術工芸大学に入ってからです。美術大学や芸術大学を目指すような人たちって、最初は「自分にはなにかができる」という自信を持っているものですけど、いざ入学してみると自分の内面的な空っぽさに気づくことが多いと思うんです。「描きたい!」という衝動はあるけれど、一筆も描けないっていう時期が私にも長くありました。

―ものを作ることの葛藤があったんですね。

今村:はい。でも、とにかくはじめてみなければと、自分の持ち物や生活の風景をモチーフに作品を作りはじめたんです。いっときはそれがよい方向に向かっていったこともあったんですけど、学生の日常って、そんなに大きな変化はないじゃないですか。そうすると、変に焦るようになって、逆に作品の素材になりやすい「自分」を意識して無理に演じてしまったりする。その気持ち悪さに気づいて、もっと参ってしまったんです。

―わかります。若いときの焦りって、自分を変な方向に向かわせちゃいますよね。

今村:本当なら、純粋な描くことの衝動や喜びって自分のためだけにあればいいと思うんです。でも、次第に人に見せることを前提に作品を描くようになってくると、なにかが噛み合わなくなっていく。自分のなかの基準として、たとえば作品に人物を描こうと思ったりするときは迷走期(苦笑)。そういうものじゃない、純粋で無理のないものを求めるなかで「ずっと自分が好きだったお花を描こう!」と思ったんです。

応接間に飾られた作品。右下の方に女の子の絵が描かれており、「これは迷走期の作品ですね」と語っていた

作家としての大きな転機となった、「エンコスティック」という技法との出会い

今村の幼少期の趣味は、新聞から気に入った写真を切り抜いて集めることだったという。選ぶ基準は、風景や植物の写真であること。たとえば人が少しでも映り込んでいたりすると、興味はみるみる萎んでいったのだそうだ。

今村:当時はよくわかってなかったんですけど、なんとなく物語を読み取ってしまうような人や動物が苦手だったのかもしれませんね。

つまり、花を描くことは彼女にとって「作ること」の原点に立ち戻ることだったのかもしれない。

今村:とはいえ、美大みたいな環境でお花を描いていても先生からは「それだけじゃあ作品にならないよね?」と言われることが多いんです。自分らしさみたいなものがなければ作品とは見なしてもらえない。でも、その「自分らしさ」や「個性」のバリエーションを求める / 求められることの息苦しさから距離を置くために、自分にとってお花はどうしても必要なモチーフだったんです。

―なるほど。

作業部屋の様子
壁に飾られた作品

今村:もうひとつ、フレスコ画の特別授業で、蜜蝋を使った「エンコスティック」という技法に出会えたのも大きな転機でした。

エンコスティックは、エジプトのミイラの棺にも描かれているぐらい古い時代から伝わってきた技法です。顔料と蜜蝋と樹脂を混ぜて作った絵の具で絵を描き、それをドライヤーや炎で熱することで漆喰地に焼き付けていくのですが、正式な方法ははっきり決まっていません。この焼き物みたいな質感は、自分にとって水彩と油絵のちょうど中間という感じで、やりたいことに合っているなと思いました。

エンコスティックの作品

―陶器や焼き物の質感は、手で描いた印象を抑える効果があります。

今村:お花は描いていて一番楽しいモチーフですが、思い入れがあるという感じではないかもしれません。お花というあまり意味の生まれないひとつの言葉に絞ることで、作品との距離を保つことができているという感覚があります。エンコスティックの物質感はモチーフの形を曖昧にして、混ぜ合わせます。言葉が分解し、再生するような。ひとつの画面の中で、言葉はひとつでも、多くの事象が生まれる。そうやって存在として成立させてくれているような気がします。

虫や花には「感情」が存在しない。感情に左右されない自由さに憧れる

エンコスティックで作るタブロー(板やキャンバスに描かれたそれ単体で自立した存在感を持つ絵画のこと)と同時に、今村は切り絵のためのドローイングの花も描いてきた。描くプロセスの集積である前者に対して、後者は花や植物が持っているエネルギーやバランスを表現するための「かたち」に重きを置いているという。

今村:小さい花であっても、すごく大きな根を地中に張っていることにパワーを感じるんです。切り絵のためのドローイングを描いているとき、私は身体のことを強く意識している気がします。でも、それは人間的な身体のあり方とはちょっと違う。脳みそに相当するような中心がなくても、どこまでも根や茎が広がっていくことでできる、身体のネットワーク。それは最近描いている虫にも感じる感覚で、きっと私は植物や虫のあり方に憧れているんです。

―人や動物よりも、親しみを覚える?

今村:犬や猫と違って、虫には大脳がありませんし、植物も同様です。でも、そのかわりに身体中に走っている神経節の連なりが、内外からの刺激に反射・反応して生きているのだそうです。そこには、人間が持っているような「感情」が存在しないと言われています。

でも、感情に由来する苦しみや悩みから虫や植物が無縁だとしたら、それはとてもうらやましいことだと思うんです。私自身、「こうありたい」と思っても実際にはうまくいかないこと、うまく表現できず伝えられないこと、心のままに行動できないことのほうが多い人間です。だからこそ、感情に左右されない虫たちの自由さに憧れるのかもしれません。

アートは、善悪の彼岸にあるものなんじゃないか

その作風からすると少し意外かもしれないが、今村はいわゆる「マンガ読み」の人だ。子どものころの夢はマンガ家で、早々にその夢は諦めたそうだが、画家として過ごす今でも大好きなマンガの単行本や雑誌を手元に残している。書棚には古谷実『ヒミズ』、小山ゆう『あずみ』、市川春子『宝石の国』、士郎正宗『攻殻機動隊』、宮崎駿『風の谷のナウシカ』などが並んでいる。

それらのチョイスから感じるのは、人間性や人間に対して、どこか違和感や疑問を持ち、新しい存在の可能性を占めすような主題を扱っている作品であることだ。そして、それは今村の制作のスタンスとも近い気がする。

今村:『風の谷のナウシカ』は、私にとってのバイブルです。原作版『ナウシカ』の結末を、最終的に人間は滅んでもいいんだってことだと私は勝手に解釈していて、人間至上主義の倫理から遠ざかろうとする考え方に共感してしまうんですよね。あるいは『ヒミズ』が示している人生の残酷さからは、ふだんの生活のなかでみんなが見ないようにしているもの、隠そうとしているものと向き合うことの意味を感じます。

―宮崎駿さんも古谷実さんも、マンガ映画やギャグマンガの常識から飛び出して、見たことのないもの、個人的な世界を描こうとする作家たちですね。アーティスト的な気質を持っている人たち。

今村:「アート」って概念が私はよくわからないですけど、なんとなく、善悪の彼岸にあるものなんじゃないかと思っているんです。基本的にこの世の中では倫理からはみ出したものは否定されるけれど、アートにおいては肯定されます。それが犯罪者の描いた絵であっても、よい作品はありのままに認められる。

アール・ブリュットの作家のなかには、犯罪を起こしたり、常識的な生活を過ごさずに生きてきた人も多くいます。でも、そういった人たちの絵を見ると、ありのままの純粋な衝動が、無理に気負うことなく描かれていると感じます。そこには、私が目指したいアートのなにかがあると思うんです。

抱き上げられて暴れる猫のテリー

アーティストのプライベートな空間は、その作品に似ている

約1時間のインタビューを終えて、制作が進む他の部屋を特別に見せてもらうことができた。いちばん奥まったところにある寝室は、今回の制作の核になる場所で、今村のベッドの頭上には切り抜かれた花や根のドローイングが所狭しと吊り下げられ、その横にあるタンスのなかにも虫や植物が溢れている。

寝室の様子
寝室の天井には作品が吊るされている

今村:もう1か月くらいこんな感じで、眠っているときも目覚めたときも目の前に作品がある状態なんです。つねに頭が制作モードのままなので、しばらく熟睡できていません(苦笑)。

カーテンで外光が遮られ、薄い赤色に染まった室内は、たしかに地中のようだ。もしもベッドに仰向けに寝転んで室内を見回したなら、「地中の庭」はもっと親密に迫ってくることだろう。

寝室にあるタンス

これまでもたくさんのアーティストのアトリエを取材などで訪ねてきた。多くの場合、そこは理想的な状態にカスタマイズされた作業場・工房であるのだが、同時にそれは、作家自身による作家自身のための「巣作り」の空間に見えることが多い。

紙製の植物と花々で繁茂した今村の自宅兼アトリエが、まるで彼女の作品そのものに見えるように、アーティストのプライベートな空間は、必ずその作品に似ている。祖母が暮らしていた家屋を受け継ぎ、11年という時間をかけてじょじょになじませていったこのアトリエ自体が、今村が作品に込めようとする世界の見方、捉え方を雄弁に物語っていた。

イベント情報
『Shiseido art egg 13th』

今村文展
2019年7月5日(金)~7月28日(日)
会場:東京都 資生堂ギャラリー
平日11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00
毎週月曜休(祝日が月曜にあたる場合も休館)
入場無料

小林清乃展
2019年8月2日(金)~8月25日(日)
会場:東京都 資生堂ギャラリー
平日11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00
毎週月曜休(祝日が月曜にあたる場合も休館)
入場無料

遠藤薫展
2019年8月30日(金)~9月22日(日)
会場:東京都 資生堂ギャラリー
平日11:00~19:00 日・祝 11:00~18:00
毎週月曜休(祝日が月曜にあたる場合も休館)
入場無料

作家によるギャラリートーク
今村文
2019年7月6日(土)14:00~14:30
会場:東京都 資生堂ギャラリー

小林清乃
2019年8月3日(土)14:00~14:30
会場:東京都 資生堂ギャラリー

遠藤薫
2019年8月31日(土)14:00~14:30
会場:東京都 資生堂ギャラリー

※事前申し込み不要。当日開催時間に直接会場にお越しください。
※予告なく、内容が変更になる場合があります。
※やむを得ない理由により、中止する場合があります。
中止については、資生堂ギャラリー公式Twitterにてお知らせします。
※参加費無料

プロフィール
今村文 (いまむら ふみ)

1982年愛知県生まれ。2008年金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科絵画専攻油画コース修了。愛知県在住。主な活動としては、2015年に芸術植物園(愛知県立美術館)参加。2016年にあいちトリエンナーレ2016参加。



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