菅田将暉は、音楽を必要としていた。
俳優業のサイドプロジェクト的な歌手活動ではなく、むしろ、もっと泥臭く、もっと率直に、音楽と向き合っていた。音楽性とかスタイルではなく、より本質的な意味で菅田将暉はパンクロッカーだ。鳴らしている音の根本の部分に衝動と反骨精神が根付いている。筆者が彼のライブを初めて観たときの正直な感想がそれだったのだが、2ndアルバム『LOVE』では、そのことがより明確に形になっている。
アルバムには米津玄師が作詞・作曲・プロデュースを手がけた“まちがいさがし”を筆頭に、石崎ひゅーい、秋田ひろむ(amazarashi)、あいみょん、柴田隆浩(忘れらんねえよ)、志磨遼平(ドレスコーズ)といった菅田自身が敬愛するアーティストたちが参加。菅田自身が作詞作曲を手がけた楽曲も含む計11曲が収録されている。
以下のインタビューで、菅田は「一緒に闘おうとしてくれる同志のような人に出会えた」と語っている。音楽から得たピュアな喜び、そしてそこから芽生えた俳優としての新たな意識や自信について、語ってもらった。
芸能界で表現をするということにおいて、僕はずっと一人のような気持ちがあったんです。
―アルバム、本当に素晴らしかったです。
菅田:ありがとうございます。
―以前、デビューアルバム『PLAY』のリリースに合わせてインタビューさせていただいたとき、「極論を言えば、菅田将暉はアルバムを出さなくてもいい」とおっしゃっていたのがすごく印象的だったんです。
菅田:はい。
―あの時点と今とで、そのことはどう変わりましたか。「菅田将暉と音楽の関係性」という意味において。
菅田:どうなんでしょうね。必要かどうかっていうのは僕が決めることではないので、そこはわからないですけど。でも、本当に極論で言うと、やっぱりなくてもいいんじゃないですか。
―そこは変わっていない?
菅田:じゃないですかね。ただ、“まちがいさがし”という本当に大事なものができてしまったので、そうも言ってられないぞ、というのが今の素直な心境です。ちゃんと人のために、いつ何時でもこれを歌えるように、自分のものにしなきゃいけない。そういうものがひとつ加わったという感じですね。
―“まちがいさがし”は米津玄師さんが作詞作曲とプロデュースを手がけているわけですが、この曲の制作はどんな風に進んでいったのでしょうか。
菅田:“灰色と青”という曲を一緒にやったときから、米津くんと「次はなにしようか?」という話をしていたんです。米津くんの中で「こういう曲を歌ってほしい」というのもあったし、俺も「こういうのをやりたい」と、ずっとしゃべっていて。そこから、曲ができたら送ってもらったり、俺がアイデアを送ったり、ラリーをしていたのが約1年ぐらい前ですね。
そこからしばらくたって、米津くんから「やばい、曲が書けない」という連絡が入ったんです。「マジか、それはえらいことをさせてしまったな」と思って、とりあえず会おう、と。そのあと3回くらい会ってしゃべったかな。そこから彼が“まちがいさがし”というものを見つけてくれました。
―この曲について米津さんにも話を聞いたんですが、彼は、菅田将暉という人じゃないと歌えない曲を作らなくてはならないということで肩肘を張りすぎて、予定よりも半年くらい時間がかかってしまったと言っていました(「音楽ナタリー」掲載インタビュー記事にて)。
菅田:そうですね。去年の9月くらいから2か月に1回くらい会っていました。
―米津さんは“灰色と青”で菅田さんに出会ったことで、自分にとって新しい、すごく美しいものを作ることができたとおっしゃっていました。育ってきた環境もキャリアも全然違うけれど、どこか共通したものを菅田さんに感じるとも言っていたんですね。菅田さんにとってはどうでしょうか。米津玄師という人と共同制作をしたことで得たものって、どういうものでしたか?
菅田:一番デカいもので言いますと、表舞台、芸能界で表現をするということにおいて、僕はずっと一人のような気持ちがあったんです。なかなか大見得を切って闘おうとしてくれる人がいなくて。僕自身もそれはできていないですけど、それでも僕は俳優業の中で、自分なりにちゃんとカマしていこうとやっている。そんな中、米津玄師という人が僕の前にふらっと現れて、彼の言った一言が、「俺のライバルになってほしい」と。
僕が本当に出会いたいのは、この国のエンターテイメントの底上げ、芸術の広め方において、一緒に闘おうとしてくれる同志のような人。
―へえ!
菅田:「ほう、これは思ってもみない出会いだな」と。僕のことをそうやって思ってくれる人はなかなかいなくて。ありがたいことなんですけど、やっぱりみんな「菅田さん」と呼んでくれるようになって、「菅田くん」が減ったなあって。
リスペクトしてくれること、作品を観てくれることはすごく嬉しいんですけど、僕が本当に出会いたい人って、その先で一緒に闘おうとしてくれる同志のような人で。それが米津玄師だった。今はあいみょんとかもいるけど、俳優界の同世代にはなかなかいなかったんです。だから、米津玄師にそういうことを言われたときには「こちらこそ」って思いました。
彼が僕の前で目標や夢を朗々と語ってくれたのも嬉しかったですね。なんと言うか、ちょっと闘い方が変わる感じがあった。共有できる人と出会えたということが一番大きいです。
―今おっしゃった「闘おうとしている」ということを、もう少し噛み砕いて語っていただくと、どういう感覚なんでしょうか。
菅田:まあ、偉そうに聞こえるかもしれませんが、ちゃんと意思を持ってなにかを作ろうとする人ということですよね。
それは作品っていう規格のサイズじゃなくて、この国のエンターテイメントの底上げというか、芸術の広め方というか。こんな言い方をするとあれですけど、作り手も、受け手も、もっと勉強しなきゃいけないし、もっと楽しまなきゃいけないと思うんです。このままだといろんなものがなくなるし、実際すでになくなってきている。それはなんとなくみんなわかってるけど、誰もなにもしないし、できない。「じゃあ、そのままにしときます? どうします?」っていうことを考えたり、提示したりしなきゃいけない。そういうことですかね。
芸術なんて、なくなっても生きていられるものじゃないですか。ご飯を食べれば人間は生きてはいられる。でも、不思議なことに、映画やお芝居は、「僕らは嘘をついていますよ」ってみんなわかって観に来てくれても、ちゃんと感動して帰ってくれる。
―たしかにそうですね。
菅田:音楽もそうですよね。音楽が聴けなくても、人間は生きていける。でもやっぱり、その曲ひとつで人生が変わることもあるし、遠く離れた人と繋がれたり、一人じゃないと思えたり、この気持ちって特別なものじゃないんだと思えたりする。
やっぱりそういう風に人を救ってくれるものが芸術にはあって。そこを面白がりたいというか、そういうものがもっと増えていけばいいのに、というか。いろんなものが便利になっているけれど、人の手が届く範囲のあったかいものは大事にしようって。そんな哲学を共有できたのは、初めてでした。
―本質的な部分で「なぜ自分は表現をしているのか」とか「この表現を通して自分はなにを届けたいのか」というところを深く掘って作品を作っている人たちと、戦友のような関係を結べた実感があった。
菅田:そうですね。ありました。同じようなことを思ったり言ったりしていたんですよね。米津玄師は「スタンダードになる」ということを言っていて、それが今や有言実行になった。それもすごいことですよね。
大衆をちゃんと振り向かせるということを、やっぱり僕らもやっていかないといけない。映画館に人を呼ばないといけないし、ドラマを見てもらわないといけない。若手俳優が活躍できる場も少なくなったし、今僕らが頑張らないと、本当はもっと評価されていい人、もっと人に見られるべき人の活躍できる場が、僕らの下の世代ではなくなってしまう。それはお芝居の世界のことではあるけど、そういうことも米津くんは理解してくれた。そういうのが始まりでしたね。
あいみょんも、米津玄師同様「こいつはなにか闘おうとしている」と感じたんです。
―今おっしゃったことを踏まえて『LOVE』というアルバムを聴くと、米津玄師だけじゃなく、あいみょん、石崎ひゅーい、秋田ひろむ(amazarashi)、柴田隆浩(忘れらんねえよ)、志磨遼平(ドレスコーズ)と、曲提供をしている人はみなそういう風に菅田さんと盟友としての関係を結べる人たちが集まっているという印象があります。そのあたりはどうでしょうか。
菅田:そうですね。言葉にするとそういうことになりますし、あとは単純に僕が好きな人ですね。その人の曲を聴いて救われた人というか。ヒーローです。
―“キスだけで feat. あいみょん”ではデュエットの形になっていますが、彼女とはどんな風に意気投合して、この曲をどう作っていったのでしょうか。
菅田:この曲ができたのは早かったです、出会ってすぐでしたね。直感的に、年に一人いるかいないかで、「この人に会いたいなあ」とか「この人とはなにか生まれるな」っていう出会いがあるんですけど、それがまさにあいみょんでした。米津玄師同様「こいつはなにか闘おうとしている」と感じたんです。
しかも、共通のきっかけとしては、石崎ひゅーい好きっていう。「俺の方が好き」「私の方が好き」っていうので、ずっと討論になったくらい。基本的に、石崎ひゅーい好きに悪い人はいないので(笑)、そこの信頼がまずありました。
最初は仕事で1回対談をしたんですけど、そのあとにプライベートでひゅーいくんと3人で遊んで、その夜に公園でギターを弾いて遊んだんです。そこで初めてちゃんとしゃべったんですよ。仕事場だとお互いのモードがあるからしゃべれないこともあるけど、そこで本当にいろいろなことをしゃべって。その中でひとつ、恋バナとして、俺の昔あったこととか、思うことをバーッてしゃべってたら、みょんが「お?」って携帯にそれをメモり出して。で、ギターで弾いた瞬間に、この曲の<あたし今日は女だから>を歌い出した。すごいですよ、彼女のスピードは。
―それはすごいですね。
菅田:ひゅーいくんもそうなんですけど。みょんの、目の前の風景とか自分が感じたものを形にする発想力と、それに至るまでの回路のスピードが、段違いですごいなって感じました。本当に一瞬でしたよ。なんなら、他にも曲ありますもん。出してないし、出るのかどうかもわからないですけど。
どうでもいいことですよ。でも、この「どうでもいいこと」が大事なんです。
―昨年には初のライブツアーもありましたが、ミュージシャンとしてステージに立った手応えはどんなものでしたか?
菅田:すごく緊張しました。それに、できないことがいっぱいあって、それが嬉しいというか、面白かった。あとは、音が鳴ってるって、純粋に楽しいですよね。
やっぱり俳優業があったからこそ音楽業もあったわけだし、主戦場は俳優業なんです。ライブをやったあとに俳優の現場に行ったら、まあ落ち着いたんですよ。「なんて落ち着くんだろう、温泉みたいだな」って。そこで改めて俳優業への意識も変わったし、より自信も持てた。ライブをやったことによって、自分を知ることができましたね。
―自分を知ることができた、というと?
菅田:俳優業、お芝居って、人を演じるので。「役」っていうのがあるからなんでもできるんです。でもライブは「役」がなくて、「菅田将暉」である。もちろん、菅田将暉は芸名なので、僕の中でもどこか盛ってやらなきゃなっていうのはあるし、菅田将暉だからできることもあるんですけど、とは言っても、この声は自分の声だし、この身体は自分の身体だから、そこは嘘をつけないし、つきようがない。自分が楽しいもの、怖いもの、寂しいもの、足りないもの、求めてるもの、いろんなものが、ライブをやると見えるんですね。
―ライブをやったことで俳優業への意識が変わったというのは、どんな感じだったんでしょうか。
菅田:まあ、作業としては変わっていないんです。朝起きて、現場に行って、お芝居をして、という。でも、そもそも、人の人生ばかりを作ってたので、自分の人生を作りたいなと思って、音楽業を始めたところがあったんですね。
簡単に言うと、お芝居ばっかりやってると、そもそもの自分の好みや感覚がわからなくなるんです。極端な話、たとえば「カレーライスには福神漬けが好き」という設定の役をやってたとするじゃないですか。それを10年やってると、もともと福神漬けが嫌いでも、好きになるんですよ。で、「待てよ、俺、らっきょうの方が好きじゃなかったっけ?」って思ったりする。どうでもいいことですよ。でも、このどうでもいいことが大事なんです。
だから音楽業の中で「あれ、どっちだっけ?」っていうのを試すというか。俳優業だけだと、らっきょうを食べる機会すらないんです。でも、音楽というところだと、いろいろ試したり、把握できたりする。「あ、そっか、俺は福神漬けが好きだったんだ」って知ることができるという。
―なるほど。ずっと俳優をやっていると、自分の身体が自分のものじゃない、役のものであるみたいな感覚が、当たり前になってくるわけですね。
菅田:そうです。これは伝わるのかどうか、難しいところなんですけどね。普通は自分の人生を生きることが当たり前じゃないですか。でも、僕らは演じるということを意図的にやろうとしているので。自分がどれだけ楽しくても泣かなきゃいけないし、どれだけ悲しくても笑わなきゃいけない。そういうことを繰り返すというのは、脳をだます作業をずっとやってるわけなんですよね。そうすると、たまに「あれ? よくわかんないな」ってなるんです。コントロールしているようで、やっぱり、身体の蓄積というのは大きくて。
だからこそ、音楽をやっていて、声が裏返ったり、音を間違えたり、きれいにハモれたりっていう瞬間は、絶対僕だけのものだから、なんか安心するっていうか。
―なるほど。自分のものとして自分の身体を扱うライブの場を経たからこそ、同じ作業だとしても、そこからのスイッチの切替として役作りに没頭して研ぎ澄ませていけるようになった。そういうプラスの影響が俳優業にもあった、と。
菅田:そうですね。まあ、思っていた通りでした。
―なんというか、変な言い方ですけど、菅田さんが音楽をやってよかったなって、思います。
菅田:でも、本当にそうですね。大袈裟なことを言えば、俳優業を辞めていた可能性もあったから。「壊れるな、これ」って思っていたので。よかったですね。
生きてたら納得いかないことなんていっぱいあって、人間は忘れていくけど、そこを大事にしたい。
―このアルバムには提供曲だけでなく、菅田さんの自作の曲も入っています。正直、この自作の曲がすごくいいんですよ。特に“ドラス”という曲が素晴らしい。
菅田:本当ですか? 嬉しいです。
菅田将暉“ドラス”を聴く(Apple Musicはこちら)
―曲を書こう、それもバンドサウンドで作ろうというモチベーションは、どういうところから大きくなっていったのでしょうか。
菅田:うちのバンドのみんなとは『何者』(2016年公開、三浦大輔監督)という映画で出会って。そこから仲良くて、みんなでスタジオに入ったりしてる時間が、本当に楽しいんですよ。いろいろ教えてくれて、最近もドラムを教わったりしていて。2時間に1回くらいエイトビート叩ける瞬間があって「よし!」って思ったりしてるんですけど(笑)。そいつらとの出会いがあるからこそ、今も音楽をやれてるわけなんですよね。その中で、この曲を含めて今回の曲は、ほぼ『3年A組』(菅田将暉主演。日本テレビ系。2019年1~3月に放送)というドラマをやっていたときに作ったんです。
―そうだったんですね。
菅田:そこは撮影も結構ピリピリしてたので、僕もイライラしてて。もう、生徒と顔を合わせた瞬間に怒鳴り散らかしそうになるくらいだったんです。それで、自分の控室に一人で戻って、持ってきたギターを弾いて落ち着こう、っていう日々で。
そんな中で、おぼろげに自分の中に溜まっているものを一回言葉にしてみようとして、曲ができました。その勢いを出すのに、バンドがいいな、仲間がほしいなっていうのもあって。昔からそうなんですけど、怒りとかネガティブな感情を出すのは苦手なんですよ。疲れるし、いい結果を生まないし。それでも止まらなくて怒っちゃうことはいまだにあるけど、できるならやっぱり笑いに変えたり、エンターテイメントに変えたりした方が伝わるから。その手段としてバンドがあったというか。
―それこそ“ドラス”はそういう風にして作った曲だった。
菅田:最初は、タイトルが“ドラマのブルース”だったんです。曲も違っていて、最初はブルースのコード進行を調べて、それを見ながらアコギ一本で作っていた。それがブルースかどうかもわからずにやってたんですけど。で、バンドメンバーに送るとき、“ドラマのブルース”という仮タイトルで送るのは、いやだな、恥ずかしいなと思って、とりあえず適当に文字を削除したら“ドラス”になったので、「仮タイトル、これでいいや」って。そうしたら、うちのドラマーが気に入って「ドラス」になった、という(笑)。怪獣の名前みたいですよね。
―菅田さんの日常、たとえば仕事場や俳優の現場で生まれるいろんな葛藤、ままならなさが、楽曲のモチーフになるわけですね。
菅田:そうですね、なりますね。
―“ドラス”はそれがわかりやすく出ている曲だとは思うんですが、“つもる話”や“TONE BENDER LOVE”や“あいつとその子”とか、菅田さんの作ったいろんな曲で「ままならなさ」というモチーフが根っこにあるような気がするんです。人生で誰もが持っているであろう鬱屈や不安や葛藤、整理のつかない感情が、提供曲も含め、アルバムのいろんな曲で描かれている。このあたりはどうでしょう。
菅田将暉『LOVE』を聴く(Apple Musicはこちら)
菅田:上手いこといってたら、なにもしなくていいですからね。言いたいことがあるし、悩んでたりするから、こうして形になっているという。そういうことなんでしょうね。
ひゅーいくんともしゃべるんです、「ハッピーなやつ書こうよ」って。気づいたらすぐノスタルジーに走るし、すぐ暗くなるので、ちょっとやめようと。たしかに上手くいかないこともあるし、なんでかなあと思うこともたくさんあるけど、すごく不幸なわけじゃないし、日々楽しいんですよ。
だから、たぶん、単純に好きなんでしょうね。生きてたら納得いかないことなんていっぱいあって、人間は忘れていくけど、そこを大事にしたいというか。あったことを残しておかないと忘れていっちゃうから、残そうって。今はそんな感覚ですかね。むしろなにも考えず騒げる曲を作りたいです。
―なにも考えず騒げる曲を作りたいのに、出てきた曲はそうじゃないものになっちゃう。
菅田:毎回それは不思議です。普通にギター触って歌ってて楽しいから始めたのがベースにあるのに、ステージで歌ってて気づくんです。「あれ? 曲が全部悲しいぞ、矛盾してるぞ」って。なんなんでしょうね、ネガティブなんですかね。ポジティブなはずなんだけどなあ。
―それは、最初におっしゃった通りのことだと思います。音楽をやるということは楽しいし、特にバンドには音を合わせたときの根源的な喜びがある。そこはサウンドの部分で表現されている。だけど、菅田さんが表現に向き合うにあたっては、どこかしら闘う意識がある。もっと大きな問題意識のようなものを抱えているわけですよね。大きな目標を掲げてたら、それが小さな喜びで解消されるわけではない。
菅田:そうですね。いや、本当にその通りです。
―だから、菅田さんが音楽をやってよかったなって思うと同時に、すごく厄介なものに向き合っているなとも思うんですが。
菅田:まあ、それは僕の中にある勝手な使命感なので。やんなきゃいけないことなのかどうかもわからない。音楽は極論を言うとやらなくていいって言いましたけど、それで言うと、俳優業だって極論言うとやらなくていいものですから。でも、好きだし、僕の仕事なので、やっているわけで。やっぱり、音楽は好きなんでしょうね、友達と遊ぶときも結局カラオケ行くし(笑)。
あと、音楽は聴いている人が映像を補正できるんですよ。だから、その人の心に寄り添いやすい。3分とか5分という長さもいいし。映画って、2時間近くあるし、観ようと思うとそれなりの意気込みがいるし、パワーもいる。で、映像があるから想像できるのは奥行きだけ。そこにある心情とか、見えない感情だけ。そこが音楽のよさだなっていうことは、俳優業をやっていて思いますね。
- リリース情報
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- 菅田将暉
『LOVE』完全生産限定盤(CD+大判フォトブック) -
2019年7月10日(水)発売
価格:5,400円(税込)
ESCL-5248/9[CD]
1. まちがいさがし
2. クローバー
3. ロングホープ・フィリア
4. 7.1oz
5. ドラス
6. つもる話
7. キスだけで feat. あいみょん
8. りびんぐでっど
9. TONE BENDER LOVE
10. あいつとその子
11. ベイビィ[大判フォトブック]
アルバムの制作風景を収めた64Pに及ぶ豪華フォトブック
- 菅田将暉
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- 菅田将暉
『LOVE』初回生産限定盤(CD+DVD) -
2019年7月10日(水)発売
価格:3,900円(税込)
ESCL-5250/1[CD]
1. まちがいさがし
2. クローバー
3. ロングホープ・フィリア
4. 7.1oz
5. ドラス
6. つもる話
7. キスだけで feat. あいみょん
8. りびんぐでっど
9. TONE BENDER LOVE
10. あいつとその子
11. ベイビィ[DVD]
・Short Film『クローバー』
- 菅田将暉
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- 菅田将暉
『LOVE』通常盤(CD) -
2019年7月10日(水)発売
価格:3,200円(税込)
ESCL-52521. まちがいさがし
2. クローバー
3. ロングホープ・フィリア
4. 7.1oz
5. ドラス
6. つもる話
7. キスだけで feat. あいみょん
8. りびんぐでっど
9. TONE BENDER LOVE
10. あいつとその子
11. ベイビィ
- 菅田将暉
- イベント情報
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- 『菅田将暉LIVE TOUR 2019“LOVE”』
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2019年8月24日(土)
会場:福岡県 Zepp Fukuoka2019年8月29日(木)
会場:愛知県 Zepp Nagoya2019年8月31日(土)
会場:大阪府 Zepp Osaka Bayside2019年9月5日(木)
会場:東京都 Zepp DiverCity TOKYO2019年9月6日(金)
会場:東京都 Zepp DiverCity TOKYO
- プロフィール
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- 菅田将暉 (すだ まさき)
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1993年2月21日大阪府生まれ。2009年『仮面ライダーW』でデビュー。『共喰い』で『第37回日本アカデミー賞「新人俳優賞」』、『あゝ、荒野』で『第41回日本アカデミー賞「最優秀主演男優賞」』などを受賞。同作により2017年度の映画賞を総なめし、若手実力派俳優として多方面で活動中。また、同年の活躍が評価され『第68回 芸術選奨映画部門 文部科学大臣新人賞』を受賞した。2017年から音楽活動を開始し、シングル『見たこともない景色』でデビュー後、『さよならエレジー』はLINE MUSICで2018年年間ランキング1位を獲得。2018年3月にリリースしたデビューアルバム『PLAY』はオリコン初登場2位にランクイン。音楽アーティストとしても大きな注目を集めている。2019年1月期日本テレビ系ドラマ『3年A組 ―今から皆さんは、人質です―』に主演。最終回は、平均視聴率15.4%となり、2015年4月に新設された同局「日曜22時30分」枠のドラマとしては最高の最終回視聴率を記録。また公式Twitterのフォロワー数が日テレプライム帯歴代1位、冬ドラマ満足度ランキング1位を獲得するなど話題作となった。今後の待機作品には、『アルキメデスの大戦』(2019年7月26日公開)、『タロウのバカ』(2019年9月6日公開)、『糸』(2020年公開)がある。
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