山田由梨が主宰する「贅沢貧乏」は、2012年、山田が立教大学在学中の20歳のときに活動を始めた若き劇団だ。一軒家に滞在しながらその場で作品を創作・上演する、日本国内よりも先に中国の主要都市でツアー公演を行うなど、国内外の文化・経済状況を反映するような彼女たちの活動は、「いま」の社会を体現するもののようにも思われる。
そんな贅沢貧乏の新作『ミクスチュア』がまもなく上演される。詳細な中身は知らされていないが、「ミックス(混ざり合う)」を想起させるタイトルから、なんらかのイメージを連想する人も少なくないだろう。今回、彼女たちはどんな世界を作ろうとしているのだろうか? 稽古場を訪ね、主宰の山田、所属俳優の大竹このみ、田島ゆみかの3人に話を聞いた。
もともと他の演劇の人から「贅沢貧乏って仲いいよね」とはよく言われてたけれど。(田島)
―取材の前に、これまでの贅沢貧乏の歩みをまとめた年表を送っていただいたのですが、気になったのが「大竹、相談もなく髪を切る」事件で。しかも3回もある。
山田:まさかそんなことから聞かれるとは(笑)。
―贅沢貧乏って、作品からも個々の俳優やスタッフの自主性が尊重されている印象を受けるんですね。それが「髪切る事件」にも象徴されてる気がしたんです。
山田:どうかなあ。
田島:どうしようもない事件ですけどね(笑)。
山田:こんちゃん(大竹このみ)、役も決まってるのに稽古中にいきなり切っちゃうんですよ。「なんで切ってんの!」「本番までに伸びます! 戻ります!」って言うんですけど、まあ戻らないよね。
大竹:前髪をすごく切りたくなっちゃうんです。
田島:そして注意されてもまたやるという。だから、いまは「あー切ったんだなー」くらいの感じになってますね。3回もやるとね。
大竹:今回は「まだ」やってないんです。
山田:ちょっと! これって自主性と言えるのかな(苦笑)。
―多くの劇団は、演出家が中心になってクリエーションを進めていく方法を採用していますけど、贅沢貧乏はもうちょっとフラットな気がするんです。
田島:たしかに、そんな気がしますね。私たちはもともと由梨ちゃんの作る作品が好きで入ったので、やっぱり由梨ちゃんをいちばん尊重したいと思っているんですけど、中国3都市4か所をツアーでまわったり、城崎温泉のそばにある城崎国際アートセンターで長期の滞在制作をするなかで、だんだんと変わってきたと思います。
山田:中国は苦難だらけだったね(笑)。日本国内のツアーも未経験なのに、いきなり言葉の伝わらない中国に飛び込んで。作品の核の部分が、なかなかむこうのスタッフに通じない環境だったけど、それによって団結が高まるというか。コンドミニアムで共同生活をして、毎日自炊して、みんなで稽古を行って、夜帰ったら次の日の打ち合わせをして、っていう時間がとてもよかった。
田島:もともと他の演劇の人からは「贅沢貧乏って仲いいよね」とはよく言われてたけれど。
山田:そうそう。「ふつう、劇団ってそんな仲よくないよ」って言われる(笑)。一軒家やアパートで行なっていた「家プロジェクト(uchi-project)」とか、職住一致する機会が定期的にやってくるからかも。そういう時間のなかでふっと出てきた言葉とか遊びが自然と演劇のなかに入ってきたりすることも多いじゃん。最近はそれがすごく尊いなって思うし、そのことを大事にした作品を作りたいって思ってる。
―そのマインドは新作『ミクスチュア』にも反映してますか?
山田:そうですね。台本を書いて俳優のみんなに渡してるんですけど、そのシーンがどんな場所なのか明確にせず、稽古のなかで、みんなでゲームをするように作っていったり……。言葉だけに頼らない、テキストだけではどうなるかわからない作り方を意識してます。今回のキャストとして、2人のダンサーに加わってもらっているのも大きいです。
田島:由梨ちゃんが「台本は地図くらいに思ってください」と言ってたのが印象的でした。地図をとりあえず広げて、一人ひとりやみんなでそこに書き込んでいくような作り方。
山田:所属俳優としてこんちゃんとゆみかが加わって、もう3~4年経ちましたけど、作品一つひとつの出来の評価もあるんだけれど、それよりも劇団としてどういう活動をしているのかってことのほうが大事だと思ってる。そして、その過程を共有できるのは時間をともにするメンバーだけだからね。だから2人や、制作の堀(朝美)ちゃんが近くにいることが頼もしい。
由梨ちゃん、すごい量の本を読んで勉強してるよね。そして「知れば知るほど絶望する!」って言ってる。(田島)
―『ミクスチュア』はどんな作品になりそうですか?
山田:いまちょうど、ある社会に異物が入り込むというシーンを作っているところなんですけど、過剰に清潔に保たれている社会、そこに自分たちとは違うものが入ってきたときに起こる暴力や排除、人々の翻弄みたいなものが作品の主題になっています。
ほとんど言葉のないシーンがあるんですけど、ここは作品を象徴するものになっているんじゃないかな。ゲームのように異物が姿を現したり、逆に社会に混じって匿名的な存在になって見えなくなったり。
大竹:いままでにない作り方をしてるよね。役もどんどんスイッチするからめちゃくちゃ忙しい(笑)。
田島:こんちゃんは特に大変だよね。
山田:アンサンブル(群衆)のシーンではないんですけど、たくさんの身体が動くシーンを見たいんだよね。それぞれの役を演じているけれど、具体的な会話や言葉によってではなく、動き、構図、音なんかによって、突然匿名のアンサンブル的な存在になってしまう瞬間をたくさん作りたい。
―途中まで書かれた台本を読ませていただいたのですが、たしかにそんな印象を受けました。起きている事態は明確なのに、登場人物たちの会話は、向き合っている、というより、ただ通り過ぎていくだけ……みたいな。
そのあり方自体が時代の状況を反映していると思うのですが、ここ数年の贅沢貧乏の作品は、ちょっと社会派的な内容になっていますね。
山田:そうですね。『フィクション・シティー』(2017年)もだし、『わかろうとはおもっているけど』(2018年)もフェミニズムの話ですし。
ただ、劇団を立ち上げたときから社会的なことは作品の真ん中にいつもあったな、って思うんですよ。それが伝えたいことの中心ではないんですけど、自分が生きている社会への興味は無視できない。なぜなら、政治や社会で起きていることは、全部自分の生活の話だと思っているから。それらを理解するプロセス自体が、作品を作ることになっている。
田島:由梨ちゃん、すごい量の本を読んで勉強してるよね。そして「知れば知るほど絶望する!」って言ってる。
山田:「リテラシーは人を不幸にする!」ってね(苦笑)。こんな不幸な気持ちを味わいながら、なんで作品を作っているんだろうって思うよ。
田島:それで私たちが「生きるってそういうことだと思う!」って応えたり(笑)。
山田:こういう深い会話ができるようになったのも、この数年。中国や城崎での時間のなかで、お互いが気になってることや本を持ち寄ってディベートしたり。
大竹:作品と直接関係がないことでも「この記事を読んでショックを受けたんだ」みたいことをLINEで送ってくれたり。
田島:私たちは由梨ちゃんと違って本を読むのが遅いんだけどね。
山田:喋ってみて、話を聞いてくれる人がいるってことが大事なんだよ。『わかろうとはおもっているけど』のときも突然「お茶しよ?」って誘ったじゃん? あれは私が相談したくて仕方なかったからで(笑)。
田島:そうだ! そのときに「私は作品を作るたびに絶望して、本当に苦しい」って言ってたよね。知ること、情報をインプットすることが、作品を作るためには必要だけど、それがつらいって。
山田:作品がフェミニズム、ジェンダーの問題を扱っていたこともあってね。ちょうど自分たちも、例えば結婚なんかで生活スタイルが変わってくる年齢になりつつあったし。考えてみると、贅沢貧乏でなにかを作るときって、他の媒体でコラムや小説を書くのとはぜんぜん違うテンションにならざるをえないんだよね。なんというか……生活の一部。自分の生きることと直結してるから軽く書けない。他の仕事を軽く考えてるわけじゃないんだけど(苦笑)。
いまは会話のスピードがものすごく速い。投げかけられた言葉への反応の速さも求められてますよね。(山田)
―山田さんは文芸誌『新潮』や『文學界』で何度かエッセイを発表していて、そこではジェンダーやダイバーシティ(多様性)をテーマに、かなり明快な論旨を展開していました。でも、作品では同じテーマであってもかなり繊細に距離感を測りながら作っていますよね。
山田:ものすごく測ってます!
―いまみたいなご時世だと、例えばハラスメントや自由の侵害に足して「そんなことダメだ!」「行動が必要だ!」と断言するような傾向が強くなっています。もちろんそういった主張は間違ってはいないけれど、多くの人にとってはその声の響き自体が遠いものに感じることも少なくない。
山田:いまって会話のスピードがものすごく速いというか、投げかけられた言葉への反応の速さも求められてますよね。その過程では、ささやかだけれど大切だった意見がつぶされる可能性もある。そういうのを見ると、速いってことが浅さや短絡につながってるとも思うんです。
いっぽうで、演劇って作るのに時間がかかります。慎重に思考しながら、稽古のなかでいくつも実験してみたりする。そういう繊細さが求められる芸術です。台本を書く段階でも「この一行を書いてしまうと強くなりすぎるからやめよう」といった判断がいくつもある。だからいつも怖いですよ。こんなこと書いたら傷つく人がいるんじゃないか、とか。
―例えば最近だと、『あいちトリエンナーレ』での表現の自由や検閲をめぐる事件が起きたり、『週刊ポスト』が反韓的な記事を特集したりだとか「これはちょっとなんとかしなきゃまずいだろう」って気持ちに駆り立てられる出来事がたくさん起きています。
でも、その気持ちが進むスピードや角度も人や世代によって大きく違う、ということを踏まえて考えたい。もちろん『わかろうとはおもっているけど』はフェミニズムの話でしたけど、ゴリゴリのフェミニストの人からすると……。
山田:甘っちょろいですよね。
―そう思います。「もっと行動しないとダメだ!」って絶対に言われる。しかし、そうはできない事情と現実もあって、そこで迷いながら足踏みする人はたくさんいる。贅沢貧乏はそういう世界も含めて描こうとしているのではないでしょうか?
山田:2012年に劇団を立ち上げして、その前年に東日本大震災があったということは、私たちは震災以降にしか作品を作ってないんです。震災と劇団を作ったことに直接的な関係はないけれど、みんなが社会について考えなければいけなくなった時期に私たちは活動を始めた。同時に成人して選挙権を得たりして(2011年当時の選挙権は20歳からだった)、社会のことが嫌でも目に入ってくる環境で作品を作りはじめている。
それ以来自分のなかにあるのは「社会に対してそんなに楽観はできない」という気持ちです。と、同時に作品で示したいのは嘘をつかないくらいのハッピーエンドでもあって、絶望しすぎないけれど楽観もしないというドライなトーンが贅沢貧乏にはあるのかなと思います。と言っても、明るく終わった作品はほとんどないんですけど。
田島:そうだね。
山田:信じられるかもしれないラインの線引きがすごく繊細なんだよね。みんなはどう見てるの?
田島&大竹:難しい~~~!
田島:そんなうまいこと答えられません。私も20代前半は「選挙ってどうやるの?」くらいの人だったし、世の中についてそれほど知らない私が声をあげていいの? という気持ちもある。
―そういうのありますよね。右の人も左の人も間違いや無知に厳しいから「めんどくさ!」ってなりがち(苦笑)。
田島:でも「声を上げている人の後押しをしたい」って気持ちはふつふつとあるんです。それを作品に参加する、というかたちならもっと確信を持って体現できるんじゃないか、って思うんですね。
山田:日常の言葉から離れることでね。
田島:うん。
山田:今日話をするなかでもわかると思うんですけど、3人ともタイプが違うんですよ。でも、それぞれが意見を言い合って、一緒に考えてくれる。そこから知ること、気づくことは想像以上にたくさんあるんですよ。
贅沢貧乏は、似た者同士が集まったのではなく、作品に参加するようになってはじめて一緒にいるようになった集団。(山田)
―三者三様だとすると、髪を切りがちな大竹さんはどうですか?
大竹:(笑)。どうだろう?
山田:こんちゃんは咀嚼することに時間をかけるんですよ。私やゆみかは、ひとつのことに対しては「こう思う」って出てくるタイプなんだけど、こんちゃんは一回飲み込んで数日しないと、意見がなかなか出てこない。そのスピード感が面白いなと思っていて。私なんかは「おせえ!」とか言いながらも待つし。
―言っちゃうんですね(苦笑)。
山田:でも考えたことを数日後に突然言ってくれますから。私は自分のスピード感とセンスで生きているけれど、こんちゃんが近くにいると、別の時間感覚のことを常に意識する。つまり「待つ」ってことに意識的になる。それはいいことだよ。
田島:「待つ」と言っても、こんちゃん頑固だしね。
山田:柔らかいイメージなんだけど、いくらアドバイスしても自分が決めたやり方を絶対に変えない(笑)。
よく想像するのは、もしも私たち3人が一緒のクラスだったら友だちになっていたかってこと。たぶん、全員同じグループにはいないと思う。それが面白い。好き同士、似た者同士が集まったのではなく、作品に参加するようになってはじめて一緒にいるようになった集団。みんな違うんだよ。考え方とかペースとか社会との関わり方が。それがそれぞれの間を生んだり、創造のきっかけになる。そう思わない?
大竹:そうですね。ゆみかさんにはちょっと近づけないですねー。
田島:おい!
山田:(笑)。気をつかい合うわけじゃないんだよね。言いたいことは言う。服とかアクセサリーとか。こんちゃんのそのネックレス新しいやつでしょ?
大竹:うん、そうです。
山田:服とか化粧のこととかすぐに言うよね。だいたいアクセサリーとかクローゼットの中身は把握しあってるから。
―おお、それは男にはわからない世界です。
大竹:新しい服をはじめて着る日はちょっとドキドキする。なんか言われるかなーって。
田島:化粧とかもね。「白すぎるよ!」とか(笑)。家族でも友達でもない、奇妙な関係だね。
劇団員に誘うって、人生をいったん共にする、みたいなことだからとても大事。(山田)
山田:でもね、最初に劇団に誘ったのはこんちゃんだったんですよ。
田島:それも面白いよね。
山田:特別に気が合うとかじゃないんだけど、普段せっせかと生きている私にとって、こんちゃんののんびりしたモードがすごく大事なんだよ。自分にないエッセンスを持っている人だから、この人が劇団にいると常に違うエッセンスをもたらしてくれると思ったんだと思う。でも恥ずかしいよね。「劇団員になる?」って聞くのは告白みたいだから。
田島:わかる。言われる側も恥ずかしい。
山田:「こんちゃんはさ、これからどうすんの?」「え、なんですか?」「こんちゃんは劇団員になりたい?」みたいな。
―めんどくせえ男子の告白みたいな(笑)。
大竹:それで私は「内心やれたらいいなー」と思ってましたけど、ってもごもごして。
山田:はっきりしなさに業を煮やして「なるの? ならないの?」って最後は脅迫めいた告白を(笑)。ゆみかはどこで誘ったっけ?
田島:私は明大前駅のWIRED CAFE。
山田:ぜんぜん覚えてない! でも呼び出したよね? だからやっぱり告白なんですよー。
―「覚えてない」というのが、2人目の恋人感がありますね。
山田:やばい(笑)。劇団員に誘うって、人生をいったん共にする、みたいなことだからとても大事。贅沢貧乏の劇団員を多くしないのも、ちゃんと関係して、一緒に人生を歩む責任を持てる人じゃないと誘えないって気持ちがあるから。ちゃんと全員がつながれている範囲でありたい。
田島:「家プロジェクト(uchi-project)」に参加したとき、由梨ちゃんが稽古の最初に「私はこの期間、みなさんの人生を背負うと思ってやります」って言ってたでしょ。そんなことを言う演出家に出会ったことがなかったから、ときめいたよ。
山田:私も若かったからじゃない?
田島:でも今回のオーディションでも同じことを言ってた。「お客さんの満足度と同じくらい、出てくれる人の満足度も高くなきゃいけないって思ってる」って言っていて。ああ、ずっと変わらないんだなあ、って思ってた。
山田:恥ずかしいなあ。でもそうだね。私は演劇をやりたくて劇団を始めていなくて、自分のやりたいことを表現する媒体を探して作っていたら「どうやらそれが演劇というものらしい」という感じの人なんだ。その過程で大事にしたいのは、一緒に作る人、考えてくれる人。これからも作品の方法は変わっていくと思うんだけど、この集団のあり方の根本は変わっていかないと思ってます。
- イベント情報
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- 贅沢貧乏
『ミクスチュア』 -
2019年9月20日(金)~9月29日(日)
会場:東京都 池袋 東京芸術劇場 シアターイースト作・演出:山田由梨
音楽:金光佑実
出演:
大竹このみ
田島ゆみか
青山祥子
小日向星一
中藤奨
細井じゅん
松澤傑
武井琴
浜田亜衣
料金:
前売 一般4,000円 U-25券3,500円 高校生以下1,000円
当日 一般4,500円 U-25券4,000円 高校生以下1,500円アフタートーク
『ミクスチュア』creator's talk(山本貴愛・小高真理・金光佑実)
日時:2019年9月21日(土)18:00清水文太(アーティスト・クリエイター)
日時:2019年9月22日(日)18:00長谷川愛(アーティスト)
日時:2019年9月23日(月祝)18:00サエボーグ(アーティスト)
日時:2019年9月28日(土)18:00
- 贅沢貧乏
- プロフィール
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- 贅沢貧乏 (ぜいたくびんぼう)
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2012年旗揚げ。山田由梨(劇作家・演出家・女優)主宰。舞台と客席、現実と異世界、正常と狂気の境界線をシームレスに行き来しながら、現代の日本社会が抱える問題をポップに、かろやかに浮かび上がらせる作風を特徴とする。2014年より一軒家やアパートを長期的に借りて創作・稽古・上演を実施する「家プロジェクト(uchi-project)」の活動を展開。一軒家を丸ごと使った観客移動型の群像劇『ヘイセイ・アパートメント』(第15回AAF戯曲賞ノミネート)や、アパートの一室で3ヶ月間に及ぶロングラン上演を実施するなど、既存の上演体制にこだわらない、柔軟で実験的な試みを行なう。2016年にはアトリエ春風舎にて、チェルノブイリや福島での出来事を題材にした『テンテン』を上演し話題となる。
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