12月4日、渋谷WWWでナツノムジナによる企画ライブ『Punctum』がPeople In The Boxを招いて開催される。bloodthirsty butchersやNUMBER GIRLといった日本のオルタナティブロックの系譜に連なるナツノムジナにとって、People In The Boxもまた尊敬する先達であり、念願叶っての共演となる。
両者の共通点として挙げられるのが、「音楽の抽象度の高さ」だ。ナツノムジナが7月に発表した最新作『Temporary Reality Numbers』は、フィールドレコーディングによるギターインストの小品“temporary,reality”に始まり、ラストも“(temporary,reality)”で締め括られる。それは現実と非現実の揺らぎを作り出し、聴き手それぞれの風景を喚起するもの。この感覚はPeople In The Boxの音楽とも非常に近しいように感じられる。
そこで今回CINRA.NETでは、ナツノムジナの粟國智彦とPeople In The Boxの波多野裕文に、上野を散策しながらフィールドレコーディングをしてもらい、両者の感性を探るという企画を行った。この対談は約2時間に及ぶ散策のあと、東京藝術大学の音楽環境創造科の出身で、ミュージックコンクレートの授業などを経験してきたというナツノムジナの窪田薫も交えて行われたもの。現代の音楽のあり方について、示唆に富む対談となった。
丁寧に作られたものにしか宿らないものがある。波多野が見抜いた、ナツノムジナのアーティストとしての気骨
―ナツノムジナのメンバーは高校時代からPeople In The Box(以下、ピープル)を聴いていたそうですね。
粟國(Vo,Gt):僕らがバンドを結成した高1のときに窪田くんが教えてくれて、みんなハマりました。一番思い入れが深いのは『Citizen Soul』(2012年)で、学校の古びたスクールバスに乗って、夕方のじめっとした空気のなかで聴いたことをよく覚えていて。「これから自分はどうなっていくんだろう?」ってことを考えていた時期に、あの曲たちが寄り添ってくれたような思い出があります。
ピープルには、そういう深い思い入れがあるので、波多野さんには自分たちの音源を聴いてもらいたくて。それで東京に出てきて、マヒトさん(GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポー)との2マンを観に行ったときに、『淼のすみか』(2017年)と『天体』(2017年)をお渡ししたんです。
People In The Box『Citizen Soul』を聴く(Apple Musicはこちら)
―それをきっかけに波多野さんは、ナツノムジナのアートワークを担当されていた美山有さんにピープルのグッズデザインをお願いしたそうですね。
波多野:そうです。ストリーミング時代の風潮として、アートワークってそんなにこだわらなくても済んでしまうというか、それはそれで悪いことではないと思うんです。でも、ナツノムジナはそこをむしろこだわってやっていて、そこに念みたいなものを感じたんですよね。それで実際に聴いてみたらすごく好きだったんです。
ナツノムジナ『淼のすみか』を聴く(Apple Musicはこちら)
粟國:1stアルバム(『淼のすみか』)のときは、自分たちのなかにはっきりとあるものや物語を、なんとか外界に「もの」として存在させたいっていう意識が強くあったんです。なのでアートワークも、現実世界に物体として置かれて、しっくりくるものじゃないといけないと考えていました。
波多野:わかります。ナツノムジナは音を聴いても、密度がすごくて、混沌としていますもんね。やろうとしていること自体はっきりしてるんだけど、いい意味で整理されてなくて、それがすごくいいなと思います。「整理されてない」ってことと、「丁寧に作る」ってことは矛盾してなくて、すごく丁寧に作っていることも伝わってくる。
粟國:曲を作っている段階で、その整理されてない要素に自分が持っていかれることもありますからね。そういう揺らぎのなかで曲が固まってきたとき、そのある種の混沌を取り除いてしまっていいのかって考えると、そうではないと思うんです。
たとえ未整理でも、聴く人に委ねて大丈夫だと思うから。その音楽を自分が聴き直して生まれる体験が混乱したものであっても、同じ混乱を聴き手とも共有したいんです。
粟國:1stアルバムからは、今もなにか渦巻いてるものを感じますし、音楽に閉じ込められた「かつて、こういうことがあったんだ」という記憶や物語は、自分にとってかけがえのないものになっています。だから、今もあのアルバムを聴くと勇気が出るというか、すごいことを成し遂げたなと思うんです。
波多野:自己培養というか、バンド内でフィードバックが起こっているというか……そういう制御不能なものをなんとか飼い慣らそうとして、でも飼い慣らしきらない、っていう部分がちゃんと作品に結実している。僕にはそれがすごく音楽的に聴こえたし、新作(『Temporary Reality Numbers』)もそこがすごく好きでしたね。
上野を散策し、野外REC。フィールドレコーディングをし、その音を音楽に使う理由は?
―今日はお互い音楽に対する思索を深めるべく、粟國さんと波多野さんに上野を散策しながらフィールドレコーディングをしてもらいました。まず、実際やってみての感想を聞かせてください。
粟國:録りっぱなしで歩き回る経験はほぼなくて、フィールドレコーディングのために歩くと、耳の立て方が違うなと感じました。今までやったフィールドレコーディングは、「この音を録りたい」って最初からフォーカスしていたんですけど、全体像で見ると、思ったよりいろんな音が、豊かな音が鳴ってるなと。
ただ最初は、「音の意味を剥ぎ取らないと、曲を聴いた人にとって気持ち悪いんじゃないか?」と、ちょっとナーバスになったりもしたんです。耳で聴くときは自然に音を選び取っているけど、マイクで録ると、もっと混沌とした状態で提示されてしまうとも思ったので。
粟國:でも、外にある音って意外と調和していて、そんなに意識を過敏にする必要もないなって、途中からは聴き耳を立てながらもリラックスしてできました。
波多野:最初は「どの音を録ろう?」って、対象の一つひとつに耳がいくよね。でも録ってると、「上野ってこういうところだな」みたいに思うというか。一つひとつの音に耳をフォーカスして考えを巡らすんだけど、ふと顔を上げると「ああ、上野だ」って。当たり前の話なんですけど(笑)。
―波多野さんは今回みたいに音を録り歩くことってありますか?
波多野:僕は結構録っちゃうんです。でも、曲に使うことはあんまりないんですよね。記念写真のような意識というか。去年末にインドに行ったんですけど、そのとき録ったものは『Tabula Rasa』(2019年)でも一瞬使っています。「使えるものなら使ったろう」って邪念はあるんです(笑)。でも、そんな上手くいくものでもなく、狙って録ったやつほど全然ハマらない。
―そういうものなんですね。
波多野:ただ、作品のなかに実際(フィールドレコーディング)の音を使うこと自体は好きで、それによって音楽と日常の境目が曖昧になる感覚を聴く人の耳に忍び込ませたいんです。
―ピープルでは、『Kodomo Rengou』(2018年)のオープニングとラストがそうですよね。
波多野:あれも「音楽は現実と繋がっている」っていう意味合いです。作っているときは、そこまで厳密に考えてはいないんですけどね。
People In The Box『Kodomo Rengou』を聴く(Apple Musicはこちら)
―ナツノムジナが『Temporary Reality Numbers』のオープニングとラストにフィールドレコーディングの音を使ったのは、どんな意図があったのでしょうか?
粟國:そもそも1stアルバムは内側の表現だったんですけど、2ndアルバムを作る段階になったとき、その物語が終わったあとに、なにか感覚をする自分だけが残っていたんです。それで今度は現実のほうに目が向いていった。フィールドレコーディングの音で始めたのは、その決意表明でもあったんです。
ナツノムジナ『Temporary Reality Numbers』を聴く(Apple Musicはこちら)
音を扱い、「曲を作る」という行為について。そこにある超自然的な感覚
―実際にはどこでどうやって録ったんですか?
粟國:メンバーみんなと共同生活をしている家にある、ミックスとか作業をする部屋にマイクを立てて録りました。どちらも同じ場所で録っているんだけど時間は変わっていて、音楽の力でその場所の持つ意味や感覚がグイッと変わってしまう。そういう音楽の強力な作用みたいなものを表現できたかなと感じています。
―窪田さんは、東京藝術大学で音楽環境創造科の出身だそうですね。
窪田(Ba):そうなんです。2ndアルバムのオープニングとラストに関しては、環境音と楽器とを一緒に録っていて、めっちゃ安いマイクとちゃんとしたコンデンサーマイクで録ってるんです。ちょっと示唆的だなって思ったのは、1stアルバムは波の音で始まるんですけど、あれは実際の波の音じゃなくて、ホワイトノイズにフィルターをかけて揺らして作った音なんです。
だから、架空のサウンドスケープみたいなところから、2ndアルバムでは、現実の、地に足の着いたサウンドスケープに変わっている。まあ、僕らも録ったときは、そこまで厳密には考えてなかったんですけど(笑)。
波多野:今の波の話は面白くて、最近考えていることと繋がるような気がします。というのも、音楽というのは結局のところある種のメタファーで、意識的であろうがなかろうが、現実のなにかを音でたとえようとした結果なんじゃないかなと。
たとえば曲を作っているときに「この曲に合ったテンポはこれだ」としっくりくるポイントが見つかるのって、おそらくその曲が表そうとしている現実のなにか、情景なり心情なりの動きに寄せているからそう感じるんだと思うんです。ビートにしろ、音色にしろ、和声が変わる周期にしても、無意識的になにかをたとえようとしてるんじゃないかと。たとえば、4曲同時に作っていて、ひとつずつ違うタイプの曲にしようとしたら春夏秋冬に対応するそれぞれの曲が自然とできあがる、というようなことって起こるんですよね。
―面白いですね。
波多野:あらかじめテーマとしてそういうことを設定するのはよくあると思うんですが、それとも違う、いわゆる言葉どおりの「コンセプト」として後から立ち上がってくる場合がある。そういった意味においては、ピープルはコンセプトに忠実なバンドなんです。
波多野:(曲なりアルバムなりを)作っている途中でなにかが浮かび上がってきて、メンバー全員でそれを見つめながら制作していく。そうすると次第に「これでしょ」っていう着地点が見えてくるんです。
そこを「~みたいに」「~のスタイルで」って記号で埋めていく場合が多いと思うけれど、僕らはそうはしないんです。同じようにナツノムジナも、曲作りにおける着地点を感覚で見つけようとしてるんじゃないか、って思ったんです。
両者は、音と言葉でなにを捉えようとしているのか?
窪田:私は、音と音楽の持つ「意味性 / 非意味性」について考えることが多くて。たとえば、ミュージックコンクレート(人や動物の声、鉄道や都市などから発せられる騒音、自然界から発せられる音、楽音、電子音、楽曲などを録音、加工し、再構成を経て創作される現代音楽のひとつのジャンル)ってあるじゃないですか。人は、雷の音がしたら、それはただのノイズじゃなくて、雷の音だってわかるわけですよね。
でも曲作りの場合、そういう意味性のある日常の音とは違うところから出発するわけじゃないですか? 意味性が薄いところから始まって、バンドで合わせながら作っていくプロセスを経るうちに、「これはなにかを言い表してそうだな」と思えるところがある。
窪田:ナツノムジナの場合、アンサンブルが固まった時点で、粟國が歌詞とメロディーを持ってくることが多いんですよ。そこで、「初めて名前がつく」っていうような感覚がある。結果として、できあがるものは意味と非意味の間を揺らいでるようなものになるというか。
波多野:やっぱりピープルとすごく似てるかもしれない。これって、音楽の抽象度の話でもあると思うんです。曲を作ることって、「抽象性に枠を与える」というようなことだと考えていて。抽象的であることは大切だと思うんですよね。なぜかというと、人は物事を考えるとき、自分の記憶に照らし合せて捉えようとする習性がありますよね。
波多野:音楽に抽象性が保証されているからこそ、他者が自分の記憶に引き寄せて「こういう感情、自分にもあったかも」って受け止められる余地や回路が生まれてくるのではないかと思うんです。そうなってくると、自覚や具体性をギリギリまで持ち込まないようにしないと、自分たちで枠を設定してしまって、その回路を閉じることになってしまうんです。
―なるほど。
波多野:そこに細心の注意を払いながら、感覚のなかで自然とできてくる枠こそが音楽的な着地点だと思うんです。まだ意味にも記号にもなっていない、でも「ここには確実になにかがある」っていうところ。
それを探していくなかで、ぼんやり浮き上がってくる核みたいなものがあって、その模様を描いていくのが歌詞だと僕は考えています。歌詞を書くにあたっては、意味性を自覚的に付与するのではなくて、「枠としてのデザインを与える」というようなイメージがあるかもしれない。
People In The Box“まなざし”を聴く(Apple Musicはこちら)
―粟國さんにも曲を作るときの感覚について聞いてみたいです。
粟國:さっきの波の話でたとえると、実際の波の音を解体して、現実にはないけど、自分が辿り着きたい場所にある波の音を作るというような感覚で。曲作りにおいて、「そのなかに住める」っていうくらいの状態を作りたいんです。
でもそれって、実際にはない場所だから自分の無意識を見つめる作業というか……その「住みたい場所」は言語的なものじゃなくて、イメージ的なものとも言い切れないような、それを作り出したくて。
粟國:新しいアルバムは、音楽を通してある場所が立ち現れてくるんだけど、それは謎めいていて、だからこそ、自分の感覚が鋭敏になって、恍惚とした状態を目指せるーー特に“報せ”は最終的にそういう状態に連れていってくれる曲だなって思います。
波多野:ナツノムジナを聴くと、ちゃんと時間をかけていることが伝わってきて……この作業って、場合によってはかなりつらい。人間が数人集まって、感覚だけを頼りにああでもないこうでもないって、かなり忍耐力を要するんですよね(笑)。
でも、ナツノムジナの曲からはその作業の蓄積を感じます。“報せ”の時間の流れ方は、ものすごく精査されているからこそのものだと思うし、聴いていて「贅沢な音楽だな」って思います。
ナツノムジナ“報せ”を聴く(Apple Musicはこちら)
―ナツノムジナの歌詞に関しては、どんなイメージでしょうか?
粟國:言葉にならない感覚が向こう側にあって、バンドでの作業を通じてそれが見えてくることがあって。歌詞はその「見えてきた」こと自体を体験にしていく、みたいな感覚が強いかもしれないです。「見えてきたものがなにか」っていうのはあまり重視してなくて、その体験自体にいろんな「ひだ」があって、深みがあって、その体験が形になることで、いろんなところと接続して、次のなにかが生まれる。そうやってずっと繋がっていくものなんだと思っています。
音が「音楽」となるということ。両者の思索は、さらなる深みへ
―ここまでのお話を聞いていて、おふたりが今日録った素材をどのように作品にするのか、非常に楽しみになりました。
粟國:今日録音した音の意味を、恣意的に奪い取ったり、利用したりして音楽にするってなると、それはちょっと暴力的な気がして。そうでなく、「実際に自分がそこにいて、この音を録ったんだ」ということを音楽として成立させるーー作曲者として、音楽にすることで、現実との関係を結ぶっていう考え方になるだろうなと思っています。音楽にすることで、現実にあった音を、本当の意味で体験する、知覚する。そういうものになるんじゃないかなと。
波多野:現実ってものすごく複雑だからね。「複雑なものを別の回路を通じて、別のなにかのように見せる。そうすることで、新しい認識に辿り着く」っていうようなことは結構あるはずで、その回路を面白く作るっていう感じですかね。ただ、僕は粟國くんみたいに謙虚な姿勢じゃなくて、めちゃくちゃにしようと思っています。上野をめちゃくちゃにして、別の上野にしてやろうかなって(笑)。
窪田:“悪魔の池袋”みたい(笑)。
波多野:よく知ってるね(笑)。音楽ってものすごく変なものだと思うんですよ。普通に享受しているけど、その実態って実はわからない。さっき話したメタファーっていうのも仮説にすぎなくて、自分たちで「これは〇〇をたとえているのでは?」と着地点を決めてしまった瞬間に意味性は生じる。
最近思うのは、その意味性を惰性で押し進めてしまった結果、意図や意思が表面化してしまうと、音楽にこそ繋ぐことができたはずの回路を閉ざすことになるんじゃないかということです。なので、僕は表面的には答えがないままに宙ぶらりんにしておくべきだと思っています。はっきり「これはこうだ」って言ってしまうと、音楽が現実に及ぼす効力が失われてしまうと思っているんですよね。
―さっきの音楽の抽象度の話とも通じますね。
波多野:僕としては「これはなにかを言おうとしてる」っていう状態がものすごく好きなんです。フィールドレコーディングにしても、音を録った時点ではやっぱり謎ですよね。
波多野:意味性以前のものに自分という主体を介入することで、音楽になっていくんだと思う。でも、その音楽以前 / 以後の揺らぎって、結局そのときの「気分」と密接に関係しているなんじゃないかなって思うんですよ。気分って、出ちゃうものじゃないですか?
―そうですね。
波多野:気分っていろんな外的な要素が混ざり合って生成されるもので、「今日はこういう気分になろう」っていうようにコントロール可能なものでもなければ、簡単に把握できるような単純なものでもない。
そうしたぼんやりとしたものを確かな形として外部に敷衍すること(意味のわかりにくい点を、やさしく言い替えたり詳しく述べたりして説明すること)が音楽活動における「作品をリリースする」ということなのかなと思うんですよね。だから、そのときどきの作品の性質や状況に応じて、どのリリース方法が最善かというのも、常に探っています。
音楽に導かれて。「結果」「数字」だけで活動はできないから
―『Tabula Rasa』は、配信とCDの会場限定販売という方法でのリリースでしたね(11月20日にオフィシャルサイトでの通販がスタート)。
波多野:配信は文化としては後発的なものですが、音楽が本来目に見えない、手に取れないものという意味では実は最も自然というか、親和性が高いものだと思うんです。なので、それはそれとして肯定しつつ、その一方で、フィジカルっていう不自然な文化のよさ、本来目に見えないはずのものが物理的に所有できて、かつ愛着の対象になるという魅力もあって、そのふたつは矛盾しないと思う。双方に対しても肯定的なあり方を徹底する、という考え方ですね。
People In The Box『Tabula Rasa』を聴く(Apple Musicはこちら)
波多野:流通を通さずにライブで販売するっていうのは、特にトリッキーなことをやっているというつもりはなくて、むしろ、それこそバンドを始めたときからの基本をやっているという感覚ですね。
今は本当にまだ模索中って感じで、世の中に対する認識がどんどん自分のなかで変わっていって、それについていくのが精いっぱいって感じもする。既存のなにかに反発する気は全然なくて、ただ、状況に応じて自覚的にリアクションしているという状態ですね。
窪田:結局、「正しいやり方」っていうのはないと思うんです。たとえば、数字的に結果が出たとして、普通はそれが「正しい」ってことになるのかもしれないけど……それを無視するわけではなく、ちゃんと数字を見つつも、「正しさ」は自分たちで作っていくしかない。そういう意識はナツノムジナにはあると思います。それがフィジカルのアートワークとかにも表れているのかなと思います。
波多野:全く同感です。世の中にある「結果」という言葉の内実の貧しさというか、そこに関しては、僕は意識的に抵抗したい。ちょっと話が飛躍しますけど、「数」の問題って、突き詰めると「個」をどう扱うかということと関係してくると思うんです。大勢の論理が正しいとして、それは同時に少数派が間違っていることを意味しないはずが、数字の論理が強くなるとその前提を危うくすると思うんですよね。
―「数字」や「結果」について、粟國さんはどう考えますか?
粟國:音楽を発表するとき、自分の音楽がどこに存在して、どう力を発揮してほしいか、ということに導かれてやっていきたいと思っています。リリースしたときの数字とか、そういう結果で「正しかった / 正しくなかった」って言われても、「そうじゃないんだよな」って思うんです。
波多野:それこそ、僕たちはいわゆる「古典」というものの強度を知っているわけですもんね。自分が死んだあとの世界で評価されることもザラにあるわけで、作品本位でいえば、短期的な側面だけで「結果」というものは軽率な考えだと思う。
粟國:そうですね。そういうなかでいい音楽が淘汰されてしまったら、貧しくなる一方だと思うんです。なので、今のこの状況をきちんと見つめつつ、自分は自分たちの音楽自体が導いてくれるところを追いかけていきたい。音楽は自分の意思より以前にあるものだと感じていて、自分から離れて音楽の意識に従うことで、その音楽が現実にちゃんと存在していってほしいんです。僕らにはそういう願いがあります。
- イベント情報
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- 『Punctum』
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2019年12月4日(水)
会場:東京都 渋谷 WWW出演:
ナツノムジナ
People In The Box
CHIIO
- リリース情報
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- ナツノムジナ
『Temporary Reality Numbers』(CD) -
2019年7月10日(水)発売
価格:2,484円(税込)
PCD-830161. temporary,reality
2. 煙の花束
3. 優しい怪物
4. 台風
5. 報せ
6. タイトロープ
7. 漸近線
8. 金星
9. (temporary,reality)
- People In The Box
『Tabula Rasa』(CD) -
2019年9月7日(土)発売
価格:2,5002,700円(税込)
BXWY-0241. 装置
2. いきている
3. 風景を一瞬で変える方法
4. 忘れる音楽
5. ミネルヴァ
6. 2121
7. 懐胎した犬のブルース
8. まなざし
- ナツノムジナ
- プロフィール
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- ナツノムジナ
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2010年、沖縄にて、高校の入学を目前に粟國智彦の呼びかけにより小学校の頃の同級生でナツノムジナを結成。同年の10月ごろにベーシストが抜け、現メンバーの窪田薫が加入。2011年7月、bloodthirsty butchersのライブのオープニングアクトを務めたことをきっかけに音源作成を決意。2017年9月、初の全国流通版1stフルアルバム『淼のすみか』をリリース。2018年3月、CINRA.NETの企画で田渕ひさ子氏とライブセッションと対談を行う。2019年7月、2ndアルバム『Temporary Reality Numbers』をリリース。12月4日には、ナツノムジナとPeople In The Boxによる企画ライブ『Punctum』を渋谷WWWにて開催する。
- People In The Box (ぴーぷる いん ざ ぼっくす)
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2005年に結成した3ピースバンド。2008年に福井健太(Ba)が加入し、現在のメンバーで活動し始める。3ピースの限界にとらわれない、幅広く高い音楽性と、独特な歌の世界観で注目を集めている。2019年9月7日に7thアルバム『Tabula Rasa』をリリース。
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