daisanseiというバンドがいる。活動が始まった当初は「大賛成」という表記で活動していた彼らの音楽は、その「大賛成」という言葉のちょっと間の抜けていてあっけらかんとした、それでいて優しくて包み込むような雰囲気を、そのまま音楽に宿しているようだ。くるりやはっぴいえんどなどからの影響を色濃く感じさせる、ちょっとシュールで美しい日本語詞と、柔らかなフォークロックサウンド。それは、日々の生活の隙間に細やかに色づく心の動きや景色の移ろいを、そっと肯定するように響く。
活動が活発化した去年から配信作品を連発しているdaisanseiだが、この4月からは4か月連続で新曲を配信リリースしている。4月にリリースされた“北のほうから”、そして5月にリリースされる“体育館”、どちらの曲も、作り手の生々しい心情と精緻な情景描写が見事に溶け合った曲たちだ。コロナ禍にリリースされることとなったこれらの楽曲たちだが、今だからこそ、人間に率直に向き合うようなこの音楽の純朴な優しさを必要とする人たちは多くいるだろう。
今回、オンライン取材にて、バンドの発起人であるフロントマンでありコンポーザーの安宅伸明(Gt,Vo)と、曲作りの面でも彼を支える脇山翔(Key)に話を聞いた。
こういう状況のなかでも、自分の内部問題でいっぱいいっぱいになっちゃう人もいる。僕は、そんな人たちの心に届く歌を歌わなきゃいけない。(安宅)
―今日はリモート取材ということで、よろしくお願いいたします。最近のバンド活動はどのような感じですか?
安宅(Gt,Vo):ライブがなくなったことにより、曲作り放題になりました。僕は中2の頃からずーっと曲を作り続けてきたんですけど、バンド活動が本格化してライブをやるようになってからは、あまり曲作りをできていなかったので、そういう意味では嬉しいことですね。
―今、作っている曲には、このコロナ禍の状況が反映されていると思いますか?
安宅:まったくありませんっ!
脇山(Key):ははははは(笑)。
安宅:逆に、そこだけは出さないようにしています。自分の曲に社会性を帯びるのはイヤなんですよね。そこはもう、僕の元々の性質で、避けてしまう人間なんです。世相とか、そのときの状況にあまり関係がないものを作りたい。露骨なものとか、自分の意見が入っている音楽にはしたくないんですよね。
―何故、安宅さんはそう思うのでしょう?
安宅:僕がそういう音楽を聴きたくないからですね。それよりも、もっと綺麗な景色が想像できるような音楽のほうが聴きたい。
それに、自分が聴く側だった場合、自分に歌われている気がしない音楽はイヤだなと思うんです。こういう状況のなかでも、「関係ない人」っていると思うんですよ。自分の内部問題でいっぱいいっぱいになっちゃう人というか。例えば、ずっと学校に行きたくなかった人にとっては、今は「学校に行かなくて済むわ」と思えている状況だと思うし、逆に「学校が再開したときにどんな髪形で、どんな格好をして行けばいいんだろう?」とか、そっちの悩みでいっぱいいっぱいになっちゃっていたりすると思うんですよ。
―そういう人たちも間違いなくいますよね。
安宅:僕は、そんな人たちの心に届くような歌を歌わなきゃいけないなと思う。それは、こういう状況だからこそより思うことですね。そもそも僕自身がそういうタイプだし、「俺に歌われているような気がする」と思える音楽に出会ったことがきっかけに、音楽に興味を持ったので。
daisansei“ショッポ”。Spotifyでは3万回以上(2020年5月時点)再生されていて、現時点でdaisanseiの代表曲とも言える楽曲(Apple Musicはこちら)
―今の安宅さんの言葉について、脇山さんはどうですか?
脇山:そうですね、最近の安宅くんが作る曲は特に、「不特定多数に向けた曲」というよりは、「誰かひとりに向けた曲」という質感があるなと思っていて。手の届く範囲の日常やドラマを聴いた人に思い浮かべてほしいというのが、想いとして強くなっているような気がします。それは、安宅くんの横にいて感じることですね。
リップスライムとくるりを見たときに「僕がやっても許されるかも」と感じて、音楽をやりたいと思うようになった。(安宅)
―安宅さんが最初に出会った「俺に歌われているような気がする」音楽とは、どんな音楽でしたか?
安宅:最初はくるりでした。お兄ちゃんとお姉ちゃんがいたので、よく家で『Mステ』(『ミュージックステーション』テレビ朝日系列)とかが流れていたんですけど、中2の頃まではテレビで流れてくる音楽も、特別刺さってくるものはなかったんですよ。
でも、あるとき『Mステ』に出てきたRIP SLYMEが、知らないおじさんたちを引き連れてきて(笑)。それが、くるりだったんですよね。「なんだ、このおじさんたちは?」と思って。しかも、大体、ロックバンドとラップのコラボって、バンドがサビを歌って、他をラップが埋めていくじゃないですか。でも、くるりはずっとコーラスをしていたんです。ずっとコーラスをしている眼鏡でハットのおじさん(笑)。
―(笑)。
安宅:それを見て、「こういうやり方もありなんだ!」と思ったんです。「俺も参加できそう」って思えたんですよね。
―くるりからの影響を語る音楽家は多いと思うんですけど、正直、リップとのコラボがきっかけという人には初めて出会いました(笑)。
安宅:そうですよね(笑)。そもそも、僕がやりたいと思えるものは、「僕がやっても許されるかも」と思えるものが多いんです。リップと一緒に出てきたくるりを見たとき、「こんなかっこよさがあるんだ」と気づいて、そこから自分も音楽をやりたいと思うようになったんですよね。
卒業後にテレビ関係の仕事を始めたんです。つい最近まで、そこで働いてました。(安宅)
―そもそも、daisanseiは、安宅さんのソロプロジェクトとして始まって、今バンドとして成立しているんですよね?
安宅:そうですね。
―具体的に、どういう変遷を経て今に至るんですか?
安宅:まず、くるりと出会った中2の頃に「僕も曲を作りたい」と思って、お母さんが持っていたアコギを使って、まがりなりにも曲作りを始めたんです。曲作りといっても、歌詞ばっかり書いていたんですけどね。
で、僕は秋田出身なんですけど、18歳で上京して専門学校に入って、卒業後にテレビ関係の仕事を始めたんです。6~7年間、つい最近までそこで働いていたんですけど、ずっと「音楽をやろう」とか「バンドをやろう」っていう意識はなくて。中2で始めた頃と同じ、趣味としての曲作りをずっと続けていて。ただ、テレビの仕事がキツくなってしまって、仕事を辞めたんです。それをきっかけに、今まで作ってきた曲を発表しようかなと思って、EggsとかSoundCloudに上げ始めました。
―そこでdaisanseiが始まったと。
安宅:ただ、アップしても全然再生されないし、「いいね」もされないんですよ。「これはライブをやらなきゃいけないな」と思い、バンド掲示板にメンバー募集を出してみたんです。
そこで脇山くんに出会ったんですよね。「年齢が近いのがいいな」と思って会ってみたときに、彼に「僕が同世代のメンバーを集めるので、やりましょう」と言われて(笑)。そこに身を委ねた結果、初期メンバーが集まって、ライブもできるようになりました。
脇山:僕が最初に安宅くんの曲を聴いて思ったのは、バンドの形式にこだわらないほうがいいだろうなということで。それこそ、くるりもそうだと思うんですけど、アレンジの幅も広くて、やりたいことがたくさんあるんだろうから、基本はソロプロジェクトに近い形でやったほうが彼の曲は輝くんだろうなと思いました。それは、今も変わっていないですね。曲によってブラスを入れたり、鍵盤を入れたりということは、柔軟にやっていきたい。
ただ、ライブやプロモーションをするに当たって、一緒に頑張るチームは必要だと思うので、今、一緒についてきてくれている人たちがdaisanseiの固定メンバーに近い形でやっているっていう感じですね。
―現在も安宅さんのソロプロジェクトという側面が強いんですね。脇山さんが安宅さんのメンバー募集に反応したのは、どんなきっかけがあったのでしょう?
脇山:安宅くんが作る曲は、メロディもいいんですけど、なにより同世代の他のバンドには負けない歌詞を書くなと思って。それが、一緒にやりたいと思った理由としては大きかったですね。
あと、僕は小さい頃からエレクトーンをやっていたし、中高生の頃にはバンドを組んだ経験もあって。そもそも、バンドをやりたいと思って大学進学を機に富山から上京したんです。なので、いろいろな音楽を聴いたり演奏してきた経験があった。そういう目線で安宅くんの曲を聴いたときに、「この曲は、手を加えたらもっとよくなるのにな」っていう思いもありました。今も、安宅くんが作った曲に対して、「もうちょっとこうしたらよくなるんじゃない?」と楽器を足してみたりする。そういう感じでタッグを組んで曲を作っていますね。
―脇山さんから見た、安宅さんの歌詞のよさとは?
脇山:ふたつあって。ひとつは、小説的な言葉遣いをするなと思います。例えば“ショッポ”の歌い出しの<わくら葉>という言葉とか、僕は初めて聞いたくらいの言葉だったんですけど、そういう美しいボキャブラリーがあるなと思うんですよね。
もうひとつは、冒頭に言ったように、「ひとり」に対して歌っているようなキラーワードが出てくるところがいいなと思います。“体育館”の<あなたはひとだよ>というフレーズとか。そういう一言で聴き手との距離をグッと詰められるような歌詞は、彼にしか作れないと思うんですよ。「面白い」と「心に刺さる」が表裏一体になっているような書き方が上手いなと思いますね。
―安宅さんは、歌詞に向き合うとき、どんなことを意識されていますか?
安宅:なによりもメロディが優先というか。まずメロディがあって、そこにはめていくような形で歌詞を書くんですけど、大きく言うと、僕が書きたいのは風景描写だと思います。美しい景色を見せることができていれば、そこにはオチも展開も必要なくて。
メロディにはまっている言葉が綺麗に、理路整然としているということが、僕にとっては理想ですね。逆に、言葉の統一感がなかったり、文章をつらつらと書いているような詞はイヤなんです。とりとめのない歌詞は書きたくないなと思う。自分のなかの美的感覚に踏み込んでいる言葉だけを使っていきたいんですよね。
元々はお笑いが大好きなんですよ。音楽よりも前に「やりたい」と思ったのも、映像でコントを撮ることだった。(安宅)
―僕も「Eggs」に上がっている音源を聴いて、脇山さんと同じように、まず歌詞に特別なものを感じたんですよね。どこか現代詩っぽいというか、初期の頃から既に独特な形で歌詞が完成されている印象を受けました。文学的なインプットもありますか?
安宅:そういうのはあまりなんですよ。ミステリー小説しか読まないし(笑)。ただ、言葉に対してのアンテナは張っているほうだと思うし、歌詞は、一番こだわりがある部分なんですよね。言葉の置き方や並べ方に、中2からやってきたからこその譲りたくないものはあると思うんです。それは、なんというか……強いて言葉にするなら、「カット割り」みたいなことだと思うんですけど。
―「カット割り」というのは、映像的なイメージが、歌詞を書くうえでも強いということですか?
安宅:そうですね。言葉のカット割りに関しては、マジで他人にはいじられたくないんですよね。寄って、引いて、説明の画を入れて、パンして……みたいな考え方でいつも歌詞を書くんです。「引き目で見たときに美しいから絶対にリフレインは入れよう」とか、「サビでは絶対に開けた画を入れよう」とか、「この歌詞ではずーっと寄りの画を繰り返していこう」とか。歌詞を書くときは、そういうことを考えていて。それは、頭にぶわーっと広がっていく画を再現していく作業に近いんですよね。
―テレビの仕事をされていたと仰っていましたけど、映像的にものごとを感じたりしていくというのは、安宅さんの根本的な感性としてあるんですかね?
安宅:たぶん、あります。僕、元々はお笑いが大好きなんですよ。今でも、僕は音楽よりもお笑いが大好きなんです。音楽よりも前に「やりたい」と思ったのも、映像でコントを撮るということだったし。だから、どうしても「映像にする」ということを頭のなかで最初にやりがちなのかなって思う。そうすることで、一番説得力を持って、かつ、自分の頭のなかが直接的に伝わるもんだと思ってる。
―お笑いは、どんな人たちが好きだったんですか?
安宅:『爆笑オンエアバトル』(NHK総合テレビにて1999年から2010年まで放送)や『はねるのトびら』(フジテレビ系列にて2001年から2012年まで放送)の世代なんですけど、そこから、『ダウンタウンのごっつええ感じ』のDVDも少し見たり……あと、松本人志さんの『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』を見たりもしました。
―『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』は僕も大好きです。お笑いの映像表現として本当にすさまじいですよね。
安宅:そうですよね。『HITOSI MATUMOTO VISUALBUM』は見ているとずっと気持ちいいんですよ。言葉で説明せずとも、あんなにやりたいことが伝わってくるのはすごいなと思う。
「俺なんかが」っていう意識が、ずっとあるんですよ。僕はいわゆる「いじられ役」だったんです。(安宅)
―「自分もできる」と思った中学2年生の頃からずっと曲を作り続けていたということですけど、今、それを世に出して行く原動力というのは、どういったところにあるのだと思いますか?
安宅:それに関してはもう、最近、完全に答えが出てきていて。僕にとって「音楽作り」は「モノ作り」であって、僕はただただ、作ったものを人に見せて褒められたいだけなんだと思うんです。今やっていることは、それに辿り着くまでの旅です(笑)。「褒められる」という天竺に向かうための旅を、僕という三蔵法師は続けています。今でも、脇山に曲を渡して、「う~ん」っていう反応だけだと、僕は悲しくて仕方がないんですよ。褒めてほしいのに!
脇山:ははは(笑)。
―「褒められる」というのは、「理解される」とか「伝わる」という言葉と一致するものだと思いますか?
安宅:う~ん……一致する部分もあると思うんですけど、たぶん、理解されていなくても褒められることってあるじゃないですか。それでも嬉しいんです、僕は。だから、「伝わる」とか「届く」とか、そういうこととは違うのかもしれない。とにかく反応がほしいだけ、というか。
脇山:誰かに影響を与えたい、とかでもないもんね?
安宅:うん。「聴いた人の人生を変えてやろう」なんて思ってない。
脇山:それよりも、自分が作ったものに反応がもらえることで、「自分が存在していていいんだ」と思えるというか……。「許される」感じに近いのかなと思うけど。
安宅:「許し」っていうのは、最近、強く思う。それは、自分のコンプレックス的な部分に対してというか……。「俺なんかが」っていう意識が、ずっとあるんですよ。曲は作っているくせに学生時代にバンドをやってこなかったり、テレビの裏方に入ってみたりっていうのも、すべての根源はそこにあると思うんですよね。「俺なんかが表に出てなにかをやっちゃいけないんだ」という意識がずっとある。
未だにそれは拭いきれてはいないんだけど、でも、そんな俺がこうやって音楽活動しているところを見てもらえて、かつ、「いい曲だな」と思わせることができたら、「俺もやっていいんだ」と思えるから。だから、人に褒められるところにまで自分が作ったものが届くこと、響くことが、僕にとっては一番大事なんですよね。
―なるほど。音楽が届くことによって、自分自身が許される。
安宅:そうです。そこを遡ると、「俺もやっていいんだ」というのは確実に、リップスライムとくるりを初めて見たときの感触でもあるんですよ。
―安宅さんが「俺なんて」と思ってしまうことに、理由はあると思いますか? それとも、理由や根拠のない存在の不安として、「俺なんて」という想いが根付いているのか。
安宅:僕の場合は、小中学生時代のいろいろのせいですね。秋田のクソど田舎で生まれて、幼馴染の20人が幼少期から中学卒業までずっと一緒、みたいな環境で。そのなかで、僕はいわゆる「いじられ役」だったんです。
そういうのって人が固まれば生まれるもんだとは思うんですけど、幼少期の頃は、「お前気持ち悪いな」と言われたとして、それを上手く跳ね返していけるスキルがないんですよね。心も上手く切り替えられないし。ただただ、「気持ち悪い」っていう言葉だけが刺さってくる。それが蓄積されていくと、「俺って気持ち悪くてダメなやつなんだな」と思い始めてしまう。だから、小学生の頃の写真を見ると、笑顔でも全然目が笑っていなかったりして。
―なるほど。
安宅:特に、見た目のコンプレックスは大きかったと思います。見た目のことをいじられることが多かったので。まぁ、挙動もおかしかったのかもしれないですけどね。そういう経験によって、「自分が表に立っちゃいけないんだ」っていう意識が根付いたんだと思います。
―だとすると、テレビの仕事を辞めて音楽を始めたことは、安宅さんの人生の一大転機だったわけですよね。
安宅:それは間違いないですね。テレビの裏方をやり続けて、フラストレーションが溜まったんですよね。テレビって本当に大勢のチームで作るから、自分みたいな下っ端はなにをやっているのかもよくわからないし、自分が作った2カットも、結局は他の人にまとめられて世に出る。
それに、テレビに出ている人たちに対しての嫉妬心もあって……「俺だったらこう喋るのに」とか、「俺だったらもっと上手くやれる気がする」みたいな。そういうなかで、「俺も闘いたい」っていう意識が溜まってきていたんです。それで、いざ仕事を辞めて時間ができたとき、「一回、闘ってみよう」と思ったんですよね。それで音楽を始めたんです。
脇山:前に安宅くんは、そういうバックボーンがあるからこそ、「常に中学生の頃の自分に向けて歌っている」って言っていたよね。
安宅:そうだね。さっき言ったように、中2の頃の俺が見たときに、「俺もこれをやりたい」と思わせるような活動を今の俺はやるべきだと思ってる。
人は感情を表に出せなくなっていくと、「私は人なのでしょうか?」というところまで行きついてしまうんです。(安宅)
―新曲の“体育館”は、歌詞の内容からしても、安宅さんのそれまでの人生と根深くつながっている曲だといえそうですね。
安宅:“体育館”に関しては、まさにそうですね。さっき言ったように、周りからいじられたりしながら生きていった結果、人はどうなっていくかというと、感情を表に出せなくなっていくんですよね。なにかをやるたびにイヤな反応をされてしまうから、感情の振り切れやはみ出た部分を、全部収めようとしてしまう。それが上手くなってくると、どんどん顔から表情もなくなっていくし、笑わない、怒らない、泣かない……そんな人になっていってしまう。
その結果として、「私は人なのでしょうか?」というところまで、いよいよ行きついてしまうんです。自分が人間じゃないように感じ出してしまう。でも、「作品を作って出す」って、その反対にある行為じゃないですか。それは、自分の内側にあるものを出すことだから。
―そうですね。
安宅:だから、「自分は人じゃない」と思ってしまって、感情を表に出せなくなってしまった人にとって、作品を出すなんていうことはほとんどタブーなんだけど、“体育館”は、それを「やれよ」と言っている曲ですね。「大丈夫だぞ」といっている歌です。
daisansei“体育館”を聴く(Apple Musicはこちら)
―脇山さんは、“体育館”の歌詞についてはどうですか?
脇山:この曲ができる前に安宅くんと話したのは、人に共感してもらえる曲を作るのだとしたら、感情を歌わないといけない。でも、安宅くんが経験していない感情を表現したところで、それはどうやら届かないぞ、ということで。“体育館”は、安宅くんが今まで生きてきたなかで強く思ったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと……そういうことを整理して曲にすることで、生き様が曲に入ってくるようになった、そういう曲だと思います。
きっと“体育館”で歌われていることって、安宅くんほど顕著な体験をしていなくても、誰しも共感する部分があると思うんですよね。そういう人たちをすくい上げる優しさが形になったという意味で、変化の曲だし、すごくdaisanseiらしい曲だとも思いますね。
―ここまでの話を聞く限りで、“体育館”は、言葉と安宅さん自身の人生や内面性が結びついているという点で、これまでの安宅さんの作家性とはまた違ったところから出てきている曲、とも言えそうですね。
安宅:そうですね。綺麗な景色を見せるだけではなくて、自分が言いたいことをしっかりと入れて、それが一番輝くようにしているという意味では、それまでの曲とは180度考え方が違う曲でもあると思います。
“体育館”の前に出した“北のほうから”もそういう感じはありますね。“北のほうから”では<広い世界にあるくといいぜ>と歌っていますけど、そもそもは、決して強い意味合いを持つ言葉を歌いたいタイプの人間ではないんですよ。でも、この曲たちに関しては、いままでとは違う形で、自分の気持ちが入ってきたんだと思う。
脇山:“北のほうから”の<広い世界にあるくといいぜ>の部分は、誰かを励ましているのでもなく、安宅くんが自分を励ましているということとも違っていて、「行きたくても行けない」というフラストレーションの爆発なんじゃないかなと僕は思った。その感情のピークが言葉になっているような印象を受ける。
安宅:たぶん、そうだと思う。あと、今僕はなんとなく歩けているから、その喜びを書いているという部分もあると思うし。
daisansei“北のほうから”を聴く(Apple Musicはこちら)
―この先、“北のほうから”や“体育館”のような曲は増えていきそうですか?
安宅:いや、意図的に“体育館”のような曲を書こうとはあまり思っていないんです。こういう曲は、作ろうと思って作るものではなくて、生まれるべきタイミングがくるものだと思うんですよね。そのときには、逃げずに吐き出そうと思っています。
それよりも、今考えていることで今後やってみたいのは、物語を書きたいです。自分が実際に思っていることではなく、ファンタジーを書きたい。登場人物の生活風景も含めて、頭のなかで物語を作ったうえで、そこから刹那的な部分を摘み出して、歌として成立させたい。そこに描かれている登場人物の生活の端々を並べたときに、その背後にある全体の物語まで透けて見えてくるようなものを書くこと……それが今の目標ですね。
―“体育館”のような曲をそう簡単に書かないというのは、意外なようでもあり、すごく作品に対して誠実なスタンスだなと改めて思いました。
安宅:なんというか……“体育館”みたいな曲を無理やり作ろうとしてしまうと、自分の内側にあるスイカを、皮のギリギリのどこまで食えるか、みたいな作業になってきてしまうんですよね(笑)。
脇山:ははは(笑)。
安宅:でも、それは時がくれば、ちゃんと実るものでもあると思うんですよ。だから、無理やり食うんじゃなくて、実ったときに、その実をしっかりすくい上げてやる作業のほうが大事だと思うんです。その「すくい方」を、大切にしていきたいですね。
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アーティストが自身の楽曲やプロフィール、活動情報、ライブ映像などを自由に登録・公開し、また、リスナーも登録された楽曲を聴き、プレビューや「いいね」等を行うことができる、アーティストとリスナーをつなぐ新しい音楽の無料プラットフォーム。登録アーティストの楽曲視聴や情報は、「Eggsアプリ」(無料)をダウンロードすると、いつでもお手もとでお楽しみいただけます。
料金:無料
- プロフィール
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- daisansei (だいさんせい)
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メンバーは、安宅伸明(Gt,Vo)、フジカケウミ(Ba)、川原徹也(Dr)、小山るい(Gt)、脇山翔(Key)。ギターボーカルの安宅を中心に、2019年の夏から活動をはじめる。「居場所のないあなたに添えるポップミュージック」を掲げ、どこにも居場所のなかったあの頃の自分に向けて、少しでも救いになるようなポップソングを作れるよう活動を続けている。
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