昨年始動した「Answer to Remember」で名実ともに同世代のリーダー格となったドラマー・石若駿。同プロジェクトの初お披露目となった今年2月のイベント『石若 駿 史上最大の祭り、よろしくワッツアップ!』には君島大空や新井和輝(King Gnu)、中村佳穂、KID FRESINOなど盟友たちが集結し、ジャズとポップのクロスオーバーはひとつの到達点を迎えた。さらにこの日は、オープニングアクトも石若のバンドが担当。そこでトップバッターとして登場し、火を吹くような演奏を見せていたのがSMTKだ。
5月20日にリリースされたアルバム『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』には、この4人組の持ち味が凝縮されている。「チルってる場合じゃない」と言わんばかりの獰猛なアンサンブルに、ロックやパンクを感じる人も少なくないだろう。そこに助太刀しているのがDos Monosの荘子it。昨年12月の対バンでSMTKとの交流を深めた彼は、リードトラックの“Otoshi Ana”で「不要不急の博覧強記」をフル回転させながら、煽るようにラップをまくし立てている。
石若と荘子it、SMTKのサックス奏者・松丸契による鼎談でキーワードとして浮上したのは、既存の常識を疑い、ルールを破壊してきたフリージャズの精神。この窮屈で息苦しい時代に、閉塞感を打ち破る音楽を生み出す方法とは? オンライン上で熱く語り合ってもらった。
SMTKとDos Monosの間にある連繋。ジャンルやシーンでは括れないが、音楽で呼応する2組
―まずはSMTKと荘子さんの出会いを教えてもらえますか。
石若:最初はいつだっけ……角銅(真実)さんと一緒に呑んだんだ! 荘子くんと角銅さんが「言葉」について語り合ってたのをよく覚えてる。それから1年後の夏に花火をしたよね。多摩川のほうに何人かで集まって。
荘子it:そうそう(笑)。その前に荻窪ベルベットサンの店長でスガダイローさんのマネージャーでもあるノイズ中村さんから、スガダイローさんがやってるフリージャズのセッションに誘われて、そこでギターを弾いてたのが(細井)徳太郎くんだったり。
石若:SMTKのメンバーそれぞれと活動コミュニティーが近くて、共通の知り合いがたくさんいる感じだよね。Dos Monosは世界観がすごくかっこいいし、以前から気になっていて。それで今回、ラッパーに参加してもらおうとなったときにオファーしました。
荘子it:松丸さんは昨年10月、Dos MonosがTHE NOVEMBERSや君島大空さんと対バンしたとき観に来てくれましたよね。
松丸:その前から音源は聴いていましたけど、ライブのインパクトはすごかった……感じたことのないような生々しさで。
―逆に荘子さんは、SMTKにどんな印象を抱いてます?
荘子it:Dos Monosではジャズをサンプリングしてますけど、「ロバート・グラスパー以降」の音楽とは一線を画すものを作ろうと意識していて。それでフリージャズをあえて取り入れてるので、ロックの人からは「ジャジーだ」、ジャズの人からは「こんなのジャジーじゃない」、ヒップホップの人からは「今の流行りとは違う」と言われて、どこにも属せない感じなんですよ(笑)。でも、SMTKにはエッセンスとしてフリーの要素も入っているので、これはお友達になれそうだなって。
―たしかに、SMTKの音楽性はフリージャズ色が強いですよね。石若さんの歩みでいうと、Answer to Rememberで華々しくメジャーデビューした直後に、SMTKでアンダーグラウンドな表現を追求しているのも痛快だなと。
石若:(立ち上げの)順序的にはSMTKのほうが先で。Answer to Rememberでは曲ごとにいろんな仲間の力を合わせて音楽を作るのに対し、SMTKはこの4人でやるのが前提にあって、すごくバンド感がありますね。あと個人的には、原点回帰のような感覚があるかもしれない。
―というと?
石若:3~4歳のときに父親に連れられて、ドラマーの森山威男さんとサックスの松風紘一さんのライブを観に行ったんです。2時間くらいずっとフリーインプロだったんですけど、演奏の迫力がすごくて、森山さんのスティックが飛んだりブラシが壊れてハジケたりして衝撃を受けました。それが人生で初めて観たライブで、僕はそこからドラムに興味を持つようになったんです。
―じゃあ、SMTKを結成するときもフリージャズは念頭にあった?
石若:音楽的なコンセプトとしてフリージャズがより強くなったのは、契の加入が大きかったんですよね。
松丸契のTwitterより。2018年8月にバンドは「SMT」というギタートリオとして始動したが、翌月、石若がこの動画を見て松丸をライブのゲストに誘ったことで、SMTKは現在の形に至った。
ネットもない、有刺鉄線で囲まれたパプアニューギニアの村で育ち、バークリー音楽大学を首席で卒業。松丸契の異色のバックグラウンド
―松丸さんがバンドのあり方を決定づけたと。ジャズの世界では「若いのにとんでもないサックス奏者がいる!」と評判みたいですね。
松丸:ありがとうございます(笑)。
―パプアニューギニア出身ということですが。
松丸:生まれは千葉県なんですけど、3歳~18歳までずっとパプアで暮らしてました。僕が住んでいたのは小さな村で、危ない地域だったので有刺鉄線で囲まれていたんですよ(笑)。本当に小さなコミュニティーで、外に出られるのも月イチくらいだったので当時は、「早くここから出たい」という思いしかなかったですね。
―すごい環境で育ったんですね。サックスをはじめようと思ったきっかけは?
松丸:最初は12歳の頃にクラリネットをはじめたんですけど、やりたくてやったわけじゃなくて。僕が音楽嫌いでそれをなんとかしようと親が考えて、学校のブラスバンドへ強制的に入れられたんです。
―当時はどんな音楽を聴いていたんですか?
松丸:パプアにはインターネットもなかったし、音楽にアクセスする手段がかなり限られたんですよ。高校時代に一時帰国したとき、親戚から渡辺貞夫さんの『カリフォルニア・シャワー』(1978年)とジャズのコンピレーションをプレゼントしてもらって、その2枚をひたすら聴いてました。あとは海賊盤で、当時流行ってたヒップホップやR&Bを聴いてたくらい。
渡辺貞夫『カリフォルニア・シャワー』を聴く(Apple Musicはこちら)
―その境遇からバークリー首席卒業ってヤバいですね(笑)。
松丸:練習しかすることがなかったんですよ。家にいるしか選択肢がなくて、他にすることがないからスキルアップに没頭できたというか。時間だけはたくさんあったので、とにかくずっと練習してました。
石若:なんでクラリネットからサックスになったの?
松丸:サックスがクラリネットの進化版だと勘違いしていて(笑)。クラリネットが上手くなったら卒業して、サックスをやるようになるものだと思ってたんです。見た目もサックスのほうが強そうじゃないですか、金色だし。
荘子it:クラリネットを吹いてるやつは位が低いと思ってたんだ。「あいつ、まだ真っ直ぐな笛吹いてるよ」みたいな(笑)。
両者の音楽的支柱となる、「フリージャズ」というルール破壊の音楽精神
―松丸さんがフリージャズに目覚めたのはバークリーに行ってから?
松丸:そうですね。大学に入るまではフリージャズの存在すら知らなかったんですけど、フランク・ティベリやジョー・ロヴァーノといった先生に教わったり、あとはテリ・リン・キャリントンとか、コンテンポラリージャズの第一線で活躍しているミュージシャンのレッスンを通じて学んだ影響が大きくて。
そのなかでも一番大きかったのがオーネット・コールマン。彼の音楽だけを半年くらいずっと聴きながら、オーネットっぽいラインを書いたり、トランスクライブしたりしてた時期があって。その頃に作った曲のひとつが、SMTKのEPに入ってる“In the Wise Word of Drunk Koya”ですね。
SMTK“In the Wise Word of Drunk Koya”を聴く(Apple Musicはこちら)
―荘子さんはこの取材をオファーされたときに、「SMTKとDos Monosは、オーネット・コールマンのようなフリージャズの前衛精神をいかに現代のコンテクストのなかで実践するかということや、ロック、ヒップホップなどとの親和性 / 越境性も含めて共鳴する部分が多いと感じています」と話していたそうですが、詳しく教えてもらえますか?
荘子it:フリージャズが目指したフリーというのは、括弧付きの「フリー」で。ジャズはもともと出発点としてフリーであったわけですけど、(1950年代末までに)ビバップやモードジャズといった演奏形態が確立されていくんですよね。そのなかでフリージャズはいわゆるインプロの語法、「コードやモードのなかでアドリブを取る」といった方法論から解き放たれて自由になろうという意識が第一にあった。
まさにオーネットがそうですけど、マイルス・デイヴィスみたいにアカデミックな教養からどんどん複雑化していくのではなく、はなからフリーにやることが特権的な新しさを持っていた。
オーネット・コールマン『Free Jazz』(1961年)を聴く(Apple Musicはこちら)
荘子it:フリージャズのサックス奏者、阿部薫をモデルにした若松孝二監督の『エンドレス・ワルツ』(1995年)で、町田康が演じる阿部薫がステージに立つんだけど、何も音が降ってこなくて、一音も出さずにそのままステージを降りていくシーンがあって。ジャズを極めるとそこまでいくのか、みたいな(笑)。
しかも、阿部薫はそのあと、ジャック・デリダの『声と現象』という哲学書を読んでいるシーンがあるんですよ。デリダのようなポストモダン哲学も、その時代のフリージャズとセットで語られることが多いんですよね。それまでの伝統的な西洋哲学、理性的でアカデミックなものが極限まで研ぎ澄まされた最終地点で、その内側から破壊しようというオルタナティブな反動から生まれたのがポストモダン哲学だったわけですから。そういう動きが持て囃されたのが1960~70年代だった。
ただ、オーネットのような無教養主義と、デリダのように教養主義を内側から批判することは厳密には違うのですが……(笑)。現代思想とフリージャズの食い合わせというのは、評論家の間章さんなどもいますが、日本ではフリージャズがガラパゴス的に特殊進化していて、その過程は副島輝人さんの『日本フリージャズ史』(2002年、青土社刊行)に記されていますけど、自分の国にそんなエクストリームなカルチャーがあるなら使わない手はないだろうと。
歴史や文脈に敬意を払いつつ、今の時代にいかにして刺激的な音を鳴らせるか。手法もバックグラウンドも異なる両者の共通認識
―でも、それを今聴いてもいいと思えるかどうかが問題だったりしますよね。
荘子it:そうなんですよ。フリージャズが目指していた新しさが、さして真新しくない時代が来てしまったわけで。でも、もはや理論的には新しくない音楽でも、サンプリング感覚で取り入れたり、ビートに乗せたりすると、新しい響きを見つけだすこともできるんですよね。かつてのコンテクストに対する反動として生まれた音楽を、それが無効化した現代で、文脈を共有していない人たちに向けていかに面白く提示できるか。そういうことを僕はやろうとしてます。
松丸:Dos Monosのアルバムに、オーネットのサンプルをずっとループしてる曲があるじゃないですか。あそこを使う人はいないと思うし、メチャクチャいいですよね。他にも、マイルスが「俺の音楽をジャズと呼ぶな、ソーシャル・ミュージックなんだ」と語ってるインタビューを使っていたり、ジャズの文脈をしっかり理解しているところにも共感しました。
荘子it:マイルスやオーネットも、普通の人からしたらどうでもいい存在じゃないですか。そこでコンテクストを共有していない人にも面白がってもらうために、文脈を一度引き剥がしちゃうんですよ。
今の話でいうと、マイルスが「ソーシャル・ミュージック」と言ってるところだけ抜き出してそのあとSiriに喋らせたり、「キャラ的に面白くしちゃうことで、元ネタがわからなくても楽しめるようにしよう」と。
Dos Monos“EPH”を聴く(Apple Musicはこちら)
荘子it:アニメの『ポプテピピック』やMADドラえもんもそうですよね。無数のパロディーが散りばめられていて、一般的な感覚だとほとんどの元ネタがわからないけど、乱発されるとよく知らない人でもなんか面白くなってくる。そんなふうに、普通の人にはポップスとして楽しんでもらいつつ、自分のなかでハイコンテクストな構築をする喜びを勝手に感じています。
―Dos Monosがフリージャズをサンプリングの手法で再解釈しているのに対し、SMTKはアカデミックな素養をもつメンバーが生演奏で今できることを提示しているとも言えますよね。そこにはどういう狙いがあるのでしょう?
松丸:個人的な意見としては、荘子itさんの話と少し似ている気がします。フリージャズを知ってもらうためのいい入り口というか、ハイエナジーかつ圧倒的なサウンドで、ライブをやったら体が自然と動くような音楽をやることで、言葉(歌詞)を使わなくても文脈や魅力を伝えられるのかなって。
石若:自分とフリージャズの出会いでいうと、以前もCINRAで話したように、小学5年生のときに出会った日野皓正さんが「中学校卒業したら、俺のバンドに入れよ」って言ってくれたのがプロになるきっかけで(関連記事:石若駿という世界基準の才能。常田大希らの手紙から魅力に迫る)。
2005年くらいまでは日野バンドはハードバップ的な音楽をやってたんですけど、数年後にいきなりフリーになったんです。その頃日野バンドメンバーだった金澤英明さん(Ba)、石井彰さん(Pf)とのBoys Trioのツアーの移動中に、ポール・ブレイ、オーネットやチャーリー・ヘイデン、菊地雅章さんの音楽を教えてもらって。でも、いざ自分がプロのドラマーになったら、そういう音楽を同世代とやる機会がなかったんですよね。そのなかで、契や徳ちゃんには、自分のなかのフリージャズの演奏法に共鳴するものを感じられたんです。
荘子it:二人とも、ジャズの先生や師匠筋からしっかり受け継いでいると。それで気の合う仲間が集まってるのはいいっすね。僕もそういう出会い方をしたかった(笑)。
石若:どんどん一緒にやろう!
「現在の音楽シーンでみんなが無意識的に縛られている制約や不自由さに対しての批評として、あえてフリージャズという言葉を使っている」(荘子it)
―フリージャズの話をずっとしてきましたけど、SMTKの音楽はフリージャズで括れるものではなくて。エレクトロニックミュージックを生演奏で再現したような曲もあるし、音響的なアプローチも垣間見せていて、これまでにない音楽を作ろうという意思が伝わってきます。
松丸:僕からすると、フリージャズというスタイルを再現したくてSMTKをやっているわけではないんですよね。文脈を受け継ぐのは大事だけど、フリージャズをただのスタイルとして解釈するのは危ないと思うんですよ。
石若:たしかに。
松丸:それよりは、4人のバックグラウンドとか、それぞれの人間的な部分を組み合わせたものが、結果的にそういう音楽になったというほうが自然かなって。もちろん、その歴史はリスペクトしているし、学ぶべきところは学んで、自分たちの音楽に活かしているつもりですけど。
荘子it:今さらフリージャズを普通にやることにさしたる文化的意義もないわけで、影響を受ける部分はあるにせよ、そのままやってもしょうがないっていうのは、僕らに共通してある認識じゃないかな。
松丸:そう思います。SMTKにはフリージャズと程遠い構成をした曲もあれば、ポップスやミニマル的な曲もあるけど、どれもSMTKの音だとわかると思うんですよね。
荘子it:フリージャズは和声やリズムの既成概念を否定するところに革新性があったわけですけど、ヒップホップやロックの四分で刻まれたビートに吟味すべき可能性がまだまだあったりするわけで。だから、フリージャズがある特定の時代において否定しなければいけなかったものへの禁欲を、殊更にやり直す必要はないというか。SMTKの音楽もビートがしっかり鳴っているし、そこを否定していないところに、括弧付きではなく本来の意味でのフリーを感じますね。
松丸:そこは僕らも目指してます。
荘子it:Dos Monosも音楽的な部分というより、現在の音楽シーンでみんなが無意識的に縛られている制約や不自由さに対しての批評として、あえてフリージャズという言葉を使っている感じです。
石若駿いわく「このバンドは奇跡の連続」――才気みなぎる自立した音楽家たちの健全な結束
―石若さんは「フリー」についてどうですか?
石若:自分が今やっているプロジェクトのなかでは一番自由ですね。自由で解き放たれた音楽をやっている。鮮度を保つためにライブのリハをしないことも多くて。
松丸:こうやってフリージャズについて言語化してますけど、バンド内でこんな話しないですからね(笑)。
石若:だから即興、インプロの瞬間を大事にしていますね。このメンツで演奏してると、いつだって見たことのない世界に行けるんですよ。安易に聞こえるけど、それが毎回起きるのは自分にとってもすごいことで、このバンドは奇跡の連続なんですよね。
あとはその時に起こる音や演奏をどんなふうに捉えているのか。たとえばですけど、立体が伸縮するように捉えているのか、平面のビジュアルのように捉えているのか。みたいなことの意思疎通が難しかったりするときもあるんですけど、SMTKのメンバーとは自然にできるんですよね。
松丸:4人それぞれがいろんな音楽に触れてきたのもあるし、エゴやプライドも持ちつつ、他のメンバーのアイデアに対してオープンマインドに向き合うことができる。そのバランスがいいから成り立っているのかなと。音楽的な対立は一度もないですもんね。
石若:そうね。EPはこれまでライブでやってきた曲で、アルバムではメンバーそれぞれ2、3曲ずつ新しい曲を用意したんですけど、みんな演奏するメンバーの音楽性や全体のバランスを考えながら書いてくれたと思うんですよ。全員がいい作曲家だし、コンポーズされた部分とアドリブの部分のバランスも上手く取れたかなと思います。このメンバーにはサウンドの方向性が無限にありそうなので、ジャンルやフォームといった枠組みがないほうが面白いものが作れる気がしますね。
―作曲といえば、SMTKでの石若さんは自分の曲をほとんどプレイしていないですよね。
石若:僕がこれまでやってきたリーダーバンドでは、自分のオリジナルを頑張って演奏しようという意識が強かったけど、ここではそれをやめて、自分の曲から離れた音楽をリーダーとしてやることに楽しさを見出しているんです。ドラムは全体をコントロールすることも寄り添うこともできるし、逆にぶっ壊したり、ヘソを曲げたり天邪鬼なこともできる楽器なので、SMTKではそういうのを全部やりたいなって。
「せせこましいことは終わりだぜ」――荘子itがSMTKの音楽、演奏から嗅ぎ取ったエネルギーを言語化する
―“Otoshi Ana”はどういう経緯で作られたんですか?
松丸:昨年の秋にアルバムを作ることが決まってから、ラップをフィーチャーできたらいいよねという話が出たので、僕のほうでそのために曲を書いてみて、一度ライブで演奏してみたんですよね。
―ビートの刻みもトラップっぽいし、最初からラッパーを入れる前提の曲だったと。
松丸:そうですね。インストでもそれはそれでよさそうだけど、ラップがあったほうが曲のよさが活きるのかなと。
石若:お願いできて本当によかったよね、メチャクチャかっこいい。
荘子it:僕はラップよりも先にトラックメイクをはじめた人間なので、相対的にラッパーとしての自意識が低いんですよね。だからこそ客演ラップで呼ばれたときは「引き受けたからにはいい仕事するぞ」という責任感が強い(笑)。
―謙遜なのかよくわからないけど(笑)、荘子itさんは曲から言葉を汲み取るスキルが素晴らしいですよね。以前、South Penguinと共演したときも、あのバンドのキャラを踏まえたうえでパンチラインを連発していて。
荘子it:<君のパパとサシ飲みがしたい>のことですか(笑)。South Penguinのときはふざけたノリを入れてみたけど、雨のパレードとやったときはまた違う方向になるし、そこは七変化ですよね。
荘子it:自分のラッパーとしてのスタイルにさしてこだわりを持たないというか、荘子itの由来になった荘子という哲学者も、無為自然というか運命をありのまま受け入れるスタイルなので。音が先にあって、その音に対して失礼じゃない言葉をはめていく。言葉なんて自分が発明したものじゃないし借りものでしかないから、適切なサンプリングをその都度当てはめるみたいな感じですかね。
―“Otoshi Ana”でのラップはどうですか?
荘子it:これも曲ありきで、そこから受けるイメージを言葉で増幅させたものですね。曲名そのままですけど「落とし穴」という罠、音楽ジャンルじゃなくて罠のほうのトラップにハマった感じというか。人を貶めるタイプの失敗した感みたいなエロさ、みたいな方向で言葉を捻り出してみました。
―SMTKの音楽を聴いて、<伝統もサブカルも消え失せる>とか<再生と破壊のナンセンスサイクル>という言葉が出てきたわけですか。
荘子it:それもありますね。さっきも話したように、フリージャズみたいな狭い文脈の陣取りゲームじゃなくて、「その先に行く、せせこましいことは終わりだぜ」みたいな。
松丸:今の解説を聞けてすごく嬉しいです。
石若:心強いですよね。同じもの見てるのかなって安心感がある。
「世の中が平和で不満もなくて、何不自由なく人生をラクに生きていたら、こういう音は確実に出てこなかった気がします」(松丸)
―荘子itさんから見て、SMTKのアルバムはどうでしたか?
荘子it:本来はインストだけで完成しているバンドだし、こういう音楽がもっと聴かれてほしいと思いつつ、そのなかに自分のラップが1曲鎮座していることが不思議というか、申し訳ない気持ちもあります(笑)。
―「こういう音楽」というのをもう少し説明すると?
荘子it:「ロックとかに影響を受けたジャズ」みたいなものもテンプレ化していると思うんですけど、それに対する、僕の言葉で言うと「ひねくれ」があるように聴こえるんですよね。あえてやっているわけではないと思うけど、自然に出てくる偏差みたいなのがあって、それこそが最近の音楽で一番足りてないものだったりするので、そういう偏差が自然に入っている音楽がどんどん広まっていくのはいいことだなって思います。
SMTK“My Country is Burning”を聴く(Apple Musicはこちら)
―たしかにここ数年、チルでスムースな音楽がずっと流行ってきたなかで、カウンターという意識がどこまであったのかはわからないけど、そういう意味で今聴きたい感じがするのはすごくわかります。
荘子it:まさにそうですね。シティポップやローファイヒップホップのように、チルい感じの音楽が盛り上がっている流れがあるなかで、そこに対するカウンター精神はどうしても芽生えてくるもので。Dos Monosとしては明確に意識しているし、SMTKの音楽にも意図する / しないに関わらず、そういう文脈が自然に入っているはずで、そこに一番共感しています。
松丸:荘子itさんが言ったように、そこまで考えてやっているわけではないですけど、結果的にそうなっているとしたら、僕たちが常日頃から感じていることが音に出てるのかもしれないですね。
そういうアグレッシブな音圧だったり、何かに反発するエネルギーを音楽から感じ取れるのは不思議だとも思うし、自分たちがそういうことを考えていたりする以上、むしろ自然と出てきて当たり前で、本来そうあるべきなのかもしれないとも思いますね。世の中が平和で不満もなくて、何不自由なく人生をラクに生きていたら、こういう音は確実に出てこなかった気がしますし。
SMTK“3+1=6+4”を聴く(Apple Musicはこちら)
荘子it:アルバムの音源を頂いたあと、Dos MonosのTaiTanが家に来たとき爆音で聴かせたんですよ。それでひととおり終わったら拍手しだして。「これがイキリオタクの底力だ、こういう音楽が聴きたかった」と(笑)。イキリオタクが「なめんじゃねえぞ」ってなったときのエネルギーが一番好きな人種というのがこの世には存在して。まさに僕たちのことなんですけど(笑)。こういう鬱屈とした力を感じていきたいですよね。
―石若さんはどうでしょう?
石若:さっき契が言ったとおりだと思います。それに今、世の中がこういう状況なので、SMTKの音楽がなおさらマッチするような気がするんですよね。生きるか死ぬかぐらいの演奏だから、自分たちで聴いていても(拳を振り上げて)ワーッとせずにいられないし、なんだか清々しい気分になってきますね。
―SMTKはぜひライブを観てほしいバンドだけど、このアルバムもライブのような気迫や生命力で満ちているし、ここまでテンションの高い音楽は最近なかった気がするんですよね。だからこそ、閉じた日常にいいエネルギーをもたらしそう気がします。
荘子it:コロナで家にずっといる状況が続くと、チルい音楽がますます流行りそうなものだけど、そこまで人間は単純にできていなくて。そういうときこそ、イキリオタクの鬱屈とした音楽を聴きたくなったりするわけですよ。家にこもって安いイヤホンでエッジーな音楽を聴くことが、自分の原体験として一番大きいので、そういう音楽がもっと聴かれるようになったら嬉しいですね。
SMTK『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』を聴く(Apple Musicはこちら)
- リリース情報
-
- SMTK
『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』(CD) -
2020年5月20日(水)発売
価格:2,750円(税込)
APLS-20051. SUPER MAGIC TOKYO KARMA
2. 3+1=6+4
3. Otoshi Ana feat.荘子it
4. Let Others Be the Judge of You
5. Where is the Claaaapstaaack??
6. ドタキャン
7. My Country is Burning
8. すって、はいて。
9. 長方形エレベーターとパラシュート
- SMTK
『SMTK』(CD) -
2020年4月15日(水)発売
価格:1,650円(税込)
APLS-20041. Snack Bar
2. AAAAA
3. In the Wise Word of Drunk Koya
4. ホコリヲハイタラ
- SMTK
- プロフィール
-
- SMTK (えすえむてぃーけー)
-
ドラマーの石若駿が自身の同世代のミュージシャン達を集め結成したバンド。2018年8月に初ライブを行う。最初のライブはドラムの石若駿、ギターの細井徳太郎、ベースのマーティ・ホロベックの3人で行われる。同年10月、新宿ピットインでのライブにてサックスの松丸契が参加、以後現在の編成となる。2019年には『東京ジャズ』や『TOKYO LAB』といったイベントにも出演。2020年4月15日に1stEP『SMTK』、同年5月20日に1stフルアルバム『SUPER MAGIC TOKYO KARMA』をリリース。
- Dos Monos (どす ものす)
-
荘子it(Trackmaker,Rapper)、TaiTan(Rapper)、没(Rapper,Sampler)からなる、3人組ヒップホップユニット。荘子itの手がける、フリージャズやプログレのエッセンスを現代の感覚で盛り込んだビートの数々と、3MCのズレを強調したグルーヴで、東京の音楽シーンのオルタナティブを担う。結成後の2017年には初の海外ライブをソウルのHenz Clubで成功させ、その後は、『SUMMER SONIC』などに出演。2018年には、アメリカのレーベル「Deathbomb Arc」との契約・フランスのフェス『La Magnifique Society』、上海のフェス『SH△MP』への出演を果たすなど、シームレスに活動を展開している。2019年に満を持して初の音源となる1stアルバム『Dos City』をリリースした。
- フィードバック 3
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-