2013年のandymori解散以降、バンド「AL」での活動などと並行してソロ活動を行ってきた小山田壮平が、ソロ名義初のアルバム『THE TRAVELING LIFE』をリリースした。今作は、そのタイトルが示すとおり「旅」というモチーフが随所に散りばめられたアルバムだが、andymoriの“Life is Party”(2009年)で<10年たったら旅に出よう>と歌ってから約10年、小山田は本当に「旅」のアルバムを作り上げた、ということになる。
そして、本作のジャケットやブックレットに写真を提供したのが、最近では米津玄師“感電”ミュージックビデオでも話題となるなど、八面六臂の活躍を見せる写真家・映像監督の奥山由之だ。奥山はandymoriにとって最後のスタジオアルバム『宇宙の果てはこの目の前に』(2013年)でもジャケット写真を担当しており、今回もまた、小山田のターニングポイントに写真で寄り添う形となった。『THE TRAVELING LIFE』と同時に小山田初の詩集『Sunrise&Sunset 小山田壮平詩集』も発売されたのだが、そこにも、何人かの写真家や絵描きと共に、奥山は写真を提供している。
今回、小山田壮平と奥山由之の対談を敢行し、『THE TRAVELING LIFE』についてはもちろん、お互いの表現の神秘について大いに語り合ってもらった。聞けば、奥山の写真家としての自立やフィルムカメラを使い始めた経緯にも、小山田の存在は少なからずかかわっているよう。2013年の初対面から7年が経ち、当時の小山田と同じ年齢になった奥山だが、彼は10代の頃から小山田のファンだったということで、今でも奥山由之にとって小山田壮平とは、特別な存在なのだ。友情と憧れが混じり合うような、そんな2人の距離感がとても愛おしく感じられる取材現場だった。
小山田壮平を追いかけた、奥山由之の20代前半の記憶ーー作品を送った学生時代、会社を休んではじめて仕事を一緒にしたこと、写真家になると決心したライブのこと
―まず、おふたりの出会いから聞かせてください。
奥山:出会い。覚えてます?
小山田:僕の記憶を言うと、2011~12年頃、東日本大震災の被災地でのライブオファーを受け付けるためにメールアドレスをブログに公開していたんです。そのアドレス宛に、まったく関係のないメールがきて(笑)。それが、おっくん(奥山)からのメールだったんですよね。たしか、そのときに作品も一緒に送ってくれていたんですけど。
奥山:『creep』という作品ですね。震災をきっかけに作った作品で、当時、ウェブ上で公開していました。
小山田:当時の僕は自分のことでいっぱいいっぱいで、おっくんの才能に気づけなかったんですよ。ただ、「なんか変な人がおる」と思ったくらい(笑)。それから『宇宙の果てはこの目の前に』(2013年)のジャケット撮影とタイトル曲のMV撮影を同時にやったときに、初めて会ったんです。現場で「あのとき、メールを送った奥山です」と言われて、名前の字面は覚えていたので、「ああ、あのときの!」となったんですよね。
奥山:高校を卒業する頃にandymoriがデビューして(2008年)。僕の大学時代の記憶は、アンディとくるりの音で溢れていました。あの頃、壮平さんのブログを読みながら「いつか、この人に会ってみたいな」と思っていたんです。
奥山:それで作品を送ったんですけど、何年か経って、「アンディの次のアルバムのアートディレクションをやってほしい」というお話をナカムラトモさん(1994 Co.,Ltd.の代表、中村智裕)からいただいて。
でも、当時はアートディレクションのやり方がわからなかったので、「アンリアレイジ」というファッションブランドの森永(邦彦)さんにお願いをして、僕は写真を撮ることになったんです。それで、あの棺桶の撮影をしましたね。
小山田:そうだったね。
奥山:僕、あの頃は会社員だったんですよ。
小山田:え、そうなの?
奥山:広告代理店でコピーライターをやっていました。なので、あのときは会社を休んで撮影に行ったんです。そのあとLIQUIDROOMでアンディのライブを観ながら「会社を辞めよう」と。「やっぱり、自分がどうしても作りたいものと全力で向き合いたい」と、切に思って。
奥山:そうだ、覚えてますか? 『宇宙の果ては~』がリリースされた頃、撮影のお礼もかねて壮平さんにメールを送ったら、すごくテンションの高いお返事をいただいて、でも、その2日後くらいに。
小山田:あぁ~、ダイブ?
奥山:そう(笑)。そういうことがあって、ものすごく心配になりました。
小山田:あの頃は、全方位的にテンションが高かったんですよね……。ご心配をおかけしました(笑)。
奥山:(笑)。ごめんなさい、話していいことだったのかわからないですが……最初のメールから考えると、時間が経ちましたね。
小山田:そうだね、10年近く経ってる。
奥山:今もこうやって壮平さんの音楽が聴けることと、自分がその大好きな楽曲に関われることが、とても嬉しいです。
小山田:うん、僕も嬉しいです。
「壮平さんの歌詞からは、旅や、死、生……そういった『流動』を色濃く感じます」(奥山)
―今回、小山田さんのソロアルバム『THE TRAVELING LIFE』のジャケットやブックレットに奥山さんの写真を起用されたきっかけは?
小山田:そもそも詩集(『Sunrise&Sunset 小山田壮平詩集』)を作るにあたって、今まで親交のあった写真家や絵描きの方に、僕の詩に合う写真や絵を1~2点でいいので送っていただけませんか? ということをお願いしたんです。みなさん1~2点とか、多くて7点くらい送ってくれた方もいたんですけど、おっくんは90枚くらい送ってくれて(笑)。
奥山:前のめりがすぎる。圧がすごい(笑)。
小山田:そこでおっくんの写真を改めて見て、すごいなと思ったんです。『宇宙の果て~』のときも「色が綺麗だな」とは思ったんですけど、あれは、おっくんの純粋な作品というわけではなかった。でも、詩集のタイミングで送ってくれた写真たちは、モチーフや切り取り方がハッとするものばかりで。それで、ぜひアルバムのアートワークにも使わせていただきたいと。
小山田:『THE TRAVELING LIFE』っていうタイトルだし、最初は自分の旅先での写メを使おうと思っていたんだけど、おっくんの写真がかっこよすぎたんだよね。インドで出会ったのりちゃん(齋藤典子)という写真家の作品もブックレットに使わせていただいたんですけど、おっくんの写真もかなり使わせていただいて。おっくんの写真のなかにも、旅先で撮った写真があったんだよね。たしか、トルコだっけ?
奥山:トルコのカッパドキアですね。大学生の頃、一人旅で撮った写真です。かつての自分が、10年後の今、自分の写真が壮平さんのアルバムジャケットになっていると知ったらビックリすると思う(笑)。やっぱり、記憶を撮って残しておくことって大事ですよね。こうやって時間を超えて誰かと交差して、ひとつの作品になることもあるんだから。
―奥山さんは、小山田さんにお送りする写真を選定されたとき、どんなことを考えられていましたか?
奥山:まだアルバムのことは知らなかったので、とにかく詩集のために選んだのですが、思い返してみると、僕、旅先で壮平さんの曲を聴くことがとても多くて。“SAWASDEECLAP YOUR HANDS”とか“Transit in Thailand”とか、僕の好きな曲からは香辛料の匂いや大陸の香りが漂ってくるような感じがありました。
andymori『ファンファーレと熱狂』(2010年)を聴く(Apple Musicはこちら)
奥山:大学1年生の頃、そんなアンディの曲を聴いて「とにかく旅に出たい」と思って、東南アジア各国を巡りました。人生最初の旅って、その土地の風の匂いがずっと沁みつくじゃないですか。以後どこに行っても、旅イコールその匂い、になってしまうみたいな。
小山田:うん、わかる。
奥山:僕は旅をするときいつも壮平さんの曲を聴いていたから、東南アジア特有の、香辛料やお香や土が混ざり合う匂いが、脳内で壮平さんの曲と強く結び付けられていて。今でも壮平さんの声を聴くと香辛料の匂いが漂ってくるくらい、僕のなかで旅先と言えば壮平さんの歌詞なんです。さっき話に出たトルコの写真も、まさに壮平さんの曲を聴きながら旅をしていた記憶が沁みついている。
小山田壮平“ゆうちゃん”を聴く(Apple Musicはこちら)
奥山:壮平さんの歌詞からは、旅や、死、生……そういった「流動」を色濃く感じます。常に「どこかに行こうとしている人」ですよね。自分のまだ知らない場所や、知らない世界に行こうとしているし、それこそ、壮平さんは死後の世界を想像しているんじゃないかと思わされるような歌詞もある。死も「流動」という意味では、旅のひとつだと言えなくもない。ただ、それは僕が壮平さんのお姉さんの本も読んでいるので、勝手にリンクさせて考えているのかもしれないですけど……。
小山田:『えいやっ!』だね(2007年に出版された、小山田の姉、小山田咲子のブログを編纂した書籍『えいやっ! と飛び出すあの一瞬を愛してる』)。
奥山:そうです。聴いている側からすると「なんで、ここに居続けないんだろう?」と思ってしまうような感覚が、壮平さんの歌詞にはある。なので、お送りした写真には、まさに壮平さんの曲を聴きながら旅をしていたときに撮った写真がたくさんあります。
それに旅は、海外に行ったりすることだけじゃないと思うんです。生活のなかであっても、普段とは少し違う感覚に出会える一瞬も、ある種の「旅」だと思う。そういったイメージで、普段の生活のなかで撮った写真でも、自分のなかで「旅」の感覚があるもの、日常なんだけど、ちょっと違う次元に行けた感覚があるような写真も選びました。
小山田:今回、自分の写メも含めてどれをアルバムのジャケットにしようかなと考えていたときに、このおっくんの写真は、旅のなかの瞬間の煌めきを捉えているような感じがしたんですよね。光の粒に旅の自由さも感じたし、すごくグッときて。
奥山:この写真は、自宅の窓ガラスにカメラを接着させてフラッシュを焚いて撮ったんですけど、左下の部分は、そのフラッシュの反射が映っているんです。
小山田:あぁ、そうだったんだ! 僕は、この光は今の今まで街灯かと思ってた。素敵だな、これはフラッシュの跳ね返りなんだ。
奥山:そうなんです。窓からの実際の眺めと、この写真の写りは、違った景色になっていて、こういう感じで、普段、目には入っているけど可視化されていないものたちってあると思うんです。だからこそ、写真で撮ることによって、普段見知っている景色なのに全然違うものに見えることがある。それは、写真にしかできない「旅」なのかなと思います。
「僕は、生活においてずっとスランプな気がします」――奥山が小山田に明かす、作家としての胸の内
―奥山さんは、『THE TRAVELING LIFE』を聴いていかがでしたか?
奥山:聴いていると、まず最初に「自由」という言葉が浮かび上がります。壮平さんは今、好きな人たちと、好きな音を鳴らすことができているんだろうなと思うし、すごく自然体な佇まいの楽曲たちだなと思いました。なににも縛られていない自由さがあって、何周でも繰り返し聴けるアルバムだと思います。そしてやっぱり移動中の車の中とか、そういった、景色が変わる環境で聴くと一番心地がいいです。ブックレットには、壮平さんが撮った写真も使われているんですよね?
小山田:うん、最後のほうには僕は撮った写メも何点か使っていて、最後のページに使っているのは、僕が撮ったローヌ川の写真なんです。
奥山:“ローヌの岸辺”は、この写真の場所で書いたんですか?
小山田:うん、そうです。
小山田壮平“ローヌの岸辺”を聴く(Apple Musicはこちら)
奥山:昔から、壮平さんの歌詞からはなんで異国の香りがするんだろう? とずっと思っていて。曲を書く場所はまちまちですか?
小山田:曲を書くのは日本が多いかな。旅に出ても、曲を書くのは日本に帰ってきてからっていうパターンが多い。旅先で見た情景を思い出しながら書くことが多いかな。
奥山:そうなんですね。あと、“スランプは底なし”もすごい曲ですよね。なにがすごいって、スランプで曲が書けない、っていうことで曲を書けている。しかも名曲。結果、全然スランプじゃない(笑)。
小山田:うん、無理やりスランプじゃなくした(笑)。
奥山:壮平さんってスランプあるんですか?
小山田:めちゃくちゃあるよ。曲が書けない、やる気が出ない、前向きになれない……そういうことはめちゃくちゃある。
奥山:それって、原因はわかっているんですか?
小山田:原因がわからないことのほうが多いかなぁ。落ちる原因は常にいろいろあると思うんだけど、酷い状況なのに元気なときもあるし、どうしようもなく落ちちゃうときは落ちちゃうし。
小山田壮平“スランプは底なし”を聴く(Apple Musicはこちら)
小山田:でも、周りの人の話を聞いていると、僕はスランプの期間は短い気がする。数か月とか1年くらいスランプになってしまう人もいるみたいだけど、僕は大体、3~4日くらいだから。おっくんはどう?
奥山:僕は、生活においてずっとスランプな気がします。自分自身に納得がいかないことや上手くいかないことが多すぎて、結局、表現に逃げ込んでいるというか。写真を撮ったり、映像を作ったり、そうやってなにかに向き合うことで、結局、そこに逃げ込んでいる感じがするんですよね。自分自身に納得がいかない、自分のことを好きになれない感覚が、生まれてからずっとあるような気がしていて。
小山田:おっくんは、生まれてからずっとスランプなんだ。
奥山:人間としては、そんな感じがします(笑)。だからこそ、せめて作り出すものだけは好きになりたいという感覚があって。自分が作るものはいつだって好きだし、我が子のように思っているし、愛しているんです。
だから正直、今、こうやって人前で喋っている状態にすごく緊張していて。僕、自分が写真に写ることや、人に見られることがすごく苦手で。自分自身のズルさとか、人としての汚い部分ばかり気になってしまうんです。できる限り魅力的な人になりたいと思っているんですけど、それでも「今日もこんなことをやってしまった」みたいなことばかり考えてしまうし……。だから、気持ちを落ち着けるために、なんとか魅力的な作品を作らないと、って。
「幸せだった状態を形にしたい、残したいと思うから、なんとか幸せだった瞬間のことを思い出して歌を書いている」(小山田)
小山田:その感覚は、わかります。作品を作るっていうことは、自分の一番輝いているものを切り取ることで、自分を肯定していくことだと思うから。
奥山:そうですよね。やっぱりいつも「こうであってほしい」という願いを、写真や映像に込めているような気がします。「この世界はこうであってほしい」とか、「この人のこういう素敵なところをずっと見続けていたい」とか……日常が今よりもっともっと上手くいっていて、この世界は素晴らしいものだと思えていたら、その瞬間を永遠に残そうとは思わないのかもしれない。
きっと根本的に、自分が生きている世界そのものに対して、「これでいいのかな?」って思っているんですよね。でも、そんな世界にも素晴らしい瞬間がたくさんあるはずだと思いたいし、「こうだったら素晴らしいな」と思えるものを切り取りたいなと思っている。それは結局、自分が見たい世界を、見たいように撮っているということなんだけど……でも、もちろん嘘はつきたくないんですよ。
小山田:うん。
奥山:だからこそ、「ここだ!」っていう瞬間を探している。人であれ、環境であれ、何事も変化していくじゃないですか。そのなかの、「この瞬間が永遠であってほしい」と思えるような瞬間を残そうとしているんだと思うんです。
小山田:きっと写真を撮る人って、少なからず起こっている現象の外にいないと、写真は撮れないんだよね。僕だったら、酒を飲んでいても、その現場に一体化してウワーって盛り上がってバカになって幸せになってしまえる。もちろん、「まぁ、この幸せは長くは続かないんだろうな」って心のどこかでは思いながらね。でも、おっくんは人よりも「幸せは長くは続かない」っていう感覚が強いのかもしれないし、そうじゃないと写真を撮ることはできないのかもしれない。だって、一緒に楽しんでいたらシャッターは切れないもんね。
奥山:今のいま見ているものや、感じていること以外のすべての時間軸に幸せに感じていたら、その瞬間、写真を撮ろうとは思わないのかもしれない……。
小山田:うん、ものすごく幸せに感じていたら撮らないんだけど、それでも、そういう瞬間があることも知っているし、その瞬間を撮って残したいっていう気持ちもあるっていう。
僕の場合も、曲を書くときに向き合うのって、やっぱり記憶なんですよね。ものすごく幸せな状態のときは、幸せだから歌なんて書いている場合じゃないんだけど、その幸せだった状態を形にしたい、残したいと思うから、なんとか幸せだった瞬間のことを思い出して歌を書いている。
おっくんも、実際に美しいものを体験したり感じたりしているときは、写真を撮っていないのかもしれないよね。その景色のなかで自分が感じたことや、「これを残したい」と思ったこと、「あれはなんだったんだろう?」と思うものを、あとから写真を撮るモードになったときに思い出しながら、作品に残そうとしているのかもしれないなと、今、話を聞いていて思った。
小山田壮平“雨の散歩道”を聴く(Apple Musicはこちら)
わかるようで、わからない。歌の言葉と写真が持つ表現の神秘を語り合う
奥山:壮平さんに歌詞について訊きたいことがあるんですけど、いいですか?
小山田:うん……答えられるかなぁ(笑)。
奥山:壮平さんの歌詞って、知っているようで知らない言葉が出てくるなと思っていて。
小山田:知らない言葉?
奥山:もちろん単語としては知っているんですけど、実感として知らない言葉。たとえば“あの日の約束通りに”の<傷だらけの心は愛へと続いている>とか、わかるようで、完全には理解できないんです。この曲のほかの部分は、具体的な情景描写が書かれているように思えるんですけど、<傷だらけの心は愛へと続いている>という部分だけは、心象風景のような抽象的な書き方になっているじゃないですか。もちろん詞だから完全に理解する必要なんてないのかもしれないけれど……この“あの日の約束通りに”の歌詞を、他の言葉で説明することってできますか?
小山田壮平“あの日の約束通りに”を聴く(Apple Musicはこちら)
小山田:この部分に関しては、なんというか、こう……「わかるようで、よくわからないな」と、僕も思っていました(笑)。
奥山:そうなんですか(笑)。
小山田:これは、そこに希望を持とうとする、期待みたいなものなのかな。真っ白い空に光が射して、そこに溶けていくようなイメージは自分のなかに浮かんでいるんですけどね。たしかに、他の歌詞は実生活に根付いている言葉だけど、この1ラインだけは浮世離れしている感じがありますよね。でも、自分の領域を超えたものを希望として書くってことは、この曲以外にもあるような気がします。
奥山:やっぱり、理論的に理解しきれない言葉であっても、歌詞なら定着させることができる強さがある。その点は写真も近い気がします。写真って、ある瞬間に点を打つことで、見ている人に「その点以外のすべて」を見せるものだっていう感覚があって。「そこにあるもの」は、すなわち「そこにないもののすべて」というか。
実際に捉えるのはたった一瞬だけど、見た人は、その一瞬以外の、写っていないいろんなことを想像するじゃないですか。つまり、写真に写っている「それ」が見せているのは、「それ」ではなくて、「それ」以外のすべてなんです。これは、歌詞や詩にも同じことが言えるのかなと思う。
奥山:壮平さんの歌詞も、読む人に想像をさせますよね。ふわふわぷにぷにしていて、朧げなだけに、その言葉から、その言葉以外のことまで想像させる力がある。「ここにあるもの」が、「ここにはないすべて」への憧れを感じさせる……そういう部分が歌詞と写真は似ているし、それゆえに、どちらも刹那的だなと思うんです。
小山田:刹那的ね……それはたしかにあるかもしれない。日々、いろんなことを考えるじゃないですか。「あんな事件があって、こいつは酷いやつだな」とか、「あんな考え方はおかしいんじゃないか?」とか、「あの夕陽は美しかったな」とか、いろんなことを考えるし、それは言葉になっていくんだけど、歌詞を書くときって、そのなかで「これは言わない、あれも言わない、これも違う」……そんな感じで、引き算をしているような感覚もあるんです。
小山田:言わないこと、言いたくないことを引き算していくことで、「自分がこのメロディのなかで言いたいのは、これだ」っていうことを見つけていく。それは、今おっくんが言ったように、その言葉が、言わなかったすべての言葉を表しているから選ばれたっていうことなのかもしれないね。
奥山:これは書かない、これも書かないという選択をした言葉たちがあったからこそ、書けた言葉なのかもしれない。
小山田:うん。おっくんも、「これも撮らないし、あれも撮らないし」……っていう、「撮らなかったもの」があるんだよね?
奥山:そうです。旅の記憶だって、言わば「撮らなかった景色の集積」みたいなことなんです。
小山田:おっくんの言葉をなぞるようだけど、おっくんの写真にも、「わからないけど、わかるような気がする」っていう感覚があると思う。「なぜ、ここを切り取ったんだろう?」というようなことはわからないんだけど、見ていると、すごく伝わってくるものがあるんだよね。
歌唄いと写真家、2人が歌を書くとき / シャッターを切るときの心のなかを問う
―引き算を繰り返しながら、なにを書き、なにを撮るのかを選んでいく。おふたりは作品を重ねるたびにそれを繰り返してきたのだとしたら、自分がどんなものを選ぶ傾向にあるか、見えているものはありますか?
小山田:僕の場合は、自分が綺麗だな、美しいなと心が動いたものとか、「これは今まで見たことない」って新しいような気がするもの、新鮮なもの、そういうものを選んでいるんじゃないかと思います。おっくんはどう?
小山田壮平“夕暮れのハイ”を聴く(Apple Musicはこちら)
奥山:僕は、日常のなかにあるふとした非日常を、極力見つけ出そうとしている気がします。今回のアルバムジャケットの写真もそうなんですけど、「普段から見ているものを、よりよく見る。または少し違う角度から見てみる」ことが好きなんです。毎日目にしているはずのものが違うもののように見える瞬間とか、ちょっとだけ角度を変えてみると、違って捉えられる出来事とか。
小山田:うん、うん。
奥山:視点として、180度じゃなくて、5度くらいしかズラしてないけれど、とても新鮮に捉えられる出来事に気づけたときに、嬉しくなるんです。逆に、最初から新鮮に見えて当たり前のもの、つまり180度ぐるっ! と、のものにはあまりシャッターが切れない。旅先でも、到着した直後は、ほとんど撮らないです。自分のなかで非日常すぎると、すべてが撮るべきもののように思えてしまうから。でも、3日くらい経つと、その国の香りや音、景色、言葉、すべてが段々と自分のなかで日常化されてくるので、そうすると、その中にある非日常に気付けるようになるんです。
小山田:なるほどなぁ。
奥山:人の生活や行動、日常っていうものをじーっと見つめていると、あるタイミングで、「これって当たり前だと思っていたけれど、実は不思議なことなんじゃないか?」っていう違和感にタッチできる瞬間がたまにあるんです。それをわざわざ拾い上げて「気になりませんか?」って社会に提示する。自分はそういうことをやりたいと思っているんですけど、それって、ものすごく難しいことで。初めから真新しく見えるものを作るほうが、簡単だと思うんです。
奥山:壮平さんの歌詞も「知っている単語」で「知らなかった言葉」を書いているからすごいんですよね。はじめから意味のわからない言葉を書くなら、僕でも書けると思うんです。でも、「これって、知っている感覚や感情のような気がするけれど、自分の言葉で説明するとしたら、どういうことなんだろう?」と思わせられる言葉って、書こうと思っても書けない。壮平さんは自然とそれができるんですよね。でも、それって実は全然、自然じゃない。すごく技を感じるんです。
「わかるようで、わからない」の先で、その歌は、その写真は、きっといつか誰かの心に革命を呼び起こす
小山田:これ、おっくんがどう思うかわからないけどさ、たとえば“HIGH WAY”っていうタイトルの曲って、世の中にありふれていると思うのね。“OH MY GOD”っていうタイトルだってありふれていると思うんだけどさ、今回、“君の愛する歌”っていうタイトルを思いついたとき、「これ、すごくない?」って自分で思ったんですよ(笑)。
小山田:どこにでもありそうな言葉だけど、「俺、こういう歌詞が書きたかったんだよな」って思った。もちろん、検索すればもう誰かが書いているのかもしれないけどさ、でも、これは自分のなかにずっとあったような言葉で、それがやっと書けたんだっていう感覚がすごくあった。
奥山:“君の愛する歌”からは、壮平さんの優しさをすごく感じました。だって、<君の愛する歌を歌いたい>って、「自分が歌いたい歌じゃなくても、それはそれでいいんだ。君が愛する歌なら」っていう姿勢じゃないですか。その感じって、壮平さんっぽいと思っていて。このアルバムが出るまで、ずっとツイキャスとかで壮平さんの歌声を聴いていたんですけど、あそこでは、壮平さんは自分の歌も歌うし、カバーも歌うじゃないですか。あの感じと、“君の愛する歌”はすごくリンクするなと思ったんです。
小山田:それはさっきの話にも繫がるけど、僕が優しい人間というわけではなくて、「優しい心がある」ということを形にしたいと思っているんですよね。優しい人間になりたいと思いながら、自分は決して優しい人間になれているわけではなくて。ただ、曲にすることで自分の想いは伝えられるから。だからやっぱり、歌って自己表現ですよね。
小山田壮平“君の愛する歌”を聴く(Apple Musicはこちら)
―詩集のタイトルが『Sunrise & Sunset』になったのはなぜだったのでしょうか?
小山田:編集の小松香里さんという方から送ってもらった20個くらいあるタイトル案のなかに「Sunrise & Sunset」があって。「陽は上り、落ちていく」っていう、このタイトルならいいなと思ったんです。自分が書いてきたもののすべてを表すというか、内包できる言葉だなと思って。
奥山:(詩集をめくりながら)好きな歌詞だらけ……“706号室”も大好きですし、あと、“トワイライトシティー”も、初めてデモを聴かせてもらったとき鳥肌が立ったことを覚えてます。それから……たとえばこれ、“スパイラル”の<僕たちは「時間がない 時間がない あの頃に戻りたい」と言いながら / いつだってもう少しもう少し 君にいてほしいだけ>というラインも、わかるようで、「いつかわかるんだろうな」と思いながら聴いていた感じがするんです。この歌詞って、これ以外の言葉で説明できますか?
小山田:(“スパイラル”の歌詞を読んで)そうだね……無理くり説明しようと思えばできないこともないんだろうけど、やっぱりできないかなぁ。
奥山:そうですよね。そういう言葉を書けるのがすごいなって思います。新作の“Kapachino”の、<交差点では人々が憂鬱を持ち寄っては / わずかばかりの余力を何に使うべきかと話している / 山積みの宿題たち 四方八方に親の仇 / 誰も何も言えないままで 息絶えるように眠る今日も>という部分も、ものすごくかっこいい。
でも、わからない。だけど、わかるような気もする。これはどういう意図で……って、やっぱり歌詞を書いている人に「どういう意図で書いたんですか?」なんて訊くのは野暮ですよね(笑)。
小山田:いやいや、まぁ(笑)……なんというか、日々、世の中で起こっていることも含めて、いろんな物事に対して距離を取って見ている時間ってあるじゃないですか。それは別にひとりで達観して見下しているっていうわけではないんだけど、自分もこの世界の中で生きているのに、ひとりだけはぐれているような気持ちになっているような……そういう自分が書いているような気がします、その歌詞は。自分は参加していないし、参加できないしっていう、そんな感じかな。というか、おっくん、すごく歌詞が好きなんだね(笑)。
奥山:好きですよ、壮平さんの歌詞は大好きです。でも、ライブやツイキャスではやっているのに、今回の詩集にも入っていない曲とか、そもそもまだ音源化されていない曲もたくさんあるじゃないですか。今回、アルバムに“彼女がタバコをやめない理由”が入っていなくて驚いたし、あと、僕は“3万日ブルース”もものすごく好きなんですけど、あの曲も音源化されていない。“おいでよ”も、音源化されていないですよね?
小山田:うん、されてない。
奥山:本当にいろんな人たちが、今回のアルバムを待ち望んでいたと思うんですよ。ずっとライブでしか聴けなかった曲があって、それが遂に音源化される喜び……僕自身、ミュージシャンの作品が出ることがこんなに待ち遠しくなったのは、久しぶりでした。
―これだけ愛を語っていただいたうえで野暮な質問なのですが、今の奥山さんが、小山田さんの歌詞のなかで1節、選ぶとすると?
奥山:“革命”の<100回 1000回 10000回叫んだって 伝わらない 届かない想いは / 100日 1000日 10000日たった後で きっと誰かの心に風を吹かせるんだ>っていう……これは、表現の真理というか、もの作りの真理だと思います。
小山田:“革命”は、最初から最後までよくわからないものに書かされたような曲で、自分のなかでもすごく印象に残っている曲なんです。1行だけパッと出てくる場合はよくあるんだけど、この曲に関しては、本当に最初から最後まで、ずっと止まることなく書き続けて。自分の内面と外面が一体化するような感覚というか、「自分はなにを書いているんだろう?」って、一番、神秘的な気持ちになった曲なんだよね。
奥山:この曲で歌われている<誰か>は、当時の僕であり、壮平さんの曲を聴いている人たちだと思うんです。
もともとは誰かひとりだけのためかもしれないし、もしかしたら自分のためかもしれないけど、すごく狭い対象に向けられる強い想いや叫びは、湖に落ちた大きな石が波紋を作るように、いつかどこかの誰かの心に波を起こすかもしれない。表現って、いつだってそういうものなんだよなと、“革命”を聴く度に思います。
- リリース情報
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- 小山田壮平
『THE TRAVELING LIFE』初回限定盤(CD+DVD) -
2020年8月26日(水)発売
価格:4,180円(税込)
VIZL-1786[CD]
1. HIGH WAY
2. 旅に出るならどこまでも
3. OH MY GOD
4. 雨の散歩道
5. ゆうちゃん
6. あの日の約束通りに
7. ベロベロックンローラー
8. スランブは底なし
9. Kapachino
10. 君の愛する歌
11. ローヌの岸辺
12. 夕暮れのハイ[DVD]
『THE TRAVELING LIFE DVD』
・あの日の約束通りに(なんば Hatch 2019.9.19)
・革命(中野サンブラザ 2018.10.30)
・16(中野サンブラザ 2018.10.30)
『Music Video』
・OH MY GOD
・HIGH WAY
- 小山田壮平
『THE TRAVELING LIFE』通常盤(CD) -
2020年8月26日(水)発売
価格:3,080円(税込)
VICL-654111. HIGH WAY
2. 旅に出るならどこまでも
3. OH MY GOD
4. 雨の散歩道
5. ゆうちゃん
6. あの日の約束通りに
7. ベロベロックンローラー
8. スランブは底なし
9. Kapachino
10. 君の愛する歌
11. ローヌの岸辺
12. 夕暮れのハイ
- 小山田壮平
『THE TRAVELING LIFE』(LP) -
2020年9月4日(金)発売
価格:3,850円(税込)
VIJL-60226~60227
- 小山田壮平
- プロフィール
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- 小山田壮平 (おやまだ そうへい)
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1984年、福岡県飯塚市で生まれる。2007年、andymoriを結成。2014年10月解散。ALのギターボーカル。自主制作音盤『2018』を自身の弾き語りツアーにて会場販売。2016年より自身のソロ弾き語り全国ツアー等も精力的に行なっている。2020年8月、1stソロアルバム『THE TRAVELING LIFE』を発表した。
- 奥山由之 (おくやま よしゆき)
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写真家・映像監督。1991年東京生まれ。2011年『Girl』で第34回写真新世紀優秀賞受賞。2016年『BACON ICE CREAM』で第47回講談社出版文化賞写真賞受賞。映像監督としてTVCM・MVなどを多数手がけている他、広告・CDジャケットなどのアートディレクションも行う。新作写真集『The Good Side』がフランスの出版社・Editions Bessardより発売中。
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