東北を拠点に、岩手県陸前高田に暮らす人びとの日々の営みや、刻々と変わりゆく風景を記録してきた映像作家・小森はるか。前作『息の跡』(2017年)で、東日本大震災による津波のあと、自力で「たね屋」を再建し、独習した外国語で自身の体験を綴る佐藤貞一さんに出会った私たちが、最新作『空に聞く』で出会うのは、どのような人なのか。小森のカメラの先にいたのは、津波による途方もない喪失のあと、その地で「声」を伝えつづける阿部裕美さんというラジオパーソナリティーだった。映画を通じた阿部さんとの出会いに先駆けて、小森に話を聞いた。
大切にしているのは「被災者と撮影者」ではない距離感
今から9年前、東京の美大に通っていた小森が東北に足を運んだのは、2011年3月11日に起きた東日本大震災がきっかけだった。それまで東北は小森にとって「まったく縁もゆかりもない土地」だった。
小森:大学院にあがる春休みに震災があって、後にアートユニットとして一緒に活動する友人の瀬尾夏美から「ボランティアに行ってみないか」と誘われたので、映像を撮ることは全然考えずにボランティアとして東北へ行きました。実際にそこで暮らしている人たちに出会ったり、被災した場所を見たりして、カメラを向けたいという気持ちはわかなかったんですけど、ある避難所で、おばあさんに「あなたたちカメラ持ってるの?」と聞かれて、一応、小さいカメラを持ってきていたので「持ってます」と言ったら、「自分のふるさとも津波でやられてしまったらしいんだけど、見に行く足(移動手段)がないし、行けたとしても壊れてしまったふるさとを直視できないかもしれないから、代わりに撮ってきてくれませんか」とお話しいただいて、それだったらカメラを向けることができるかもしれないと思って。そのときに、カメラの持っている「記録」という役割に初めて気づいて、それをやりたいと思うようになりました。
震災から3週間後にボランティアとして東北沿岸地域を訪れて以来、1年に渡って東京から同地に通い続けた小森。翌2012年には、先述の瀬尾夏美と陸前高田に移住。2015年に仙台市に拠点を移した後も、現在に至るまで陸前高田に通い続ける。陸前高田で暮らした3年間は、蕎麦屋で働きながら休日にカメラを回す日々。取材者としてではなく、あくまで「蕎麦屋の姉ちゃん」として陸前高田の人びとと出会ってきた。
小森:陸前高田の人たちとは、「被災した人との付き合い」では全然なかったんですよね。私が蕎麦屋の姉ちゃんとして、そこにいたからこそ受け入れてもらえたというか聞けた話があって、「カメラを持ってたから出会えた人たち」ではなかったんです。むしろ、カメラを向けた途端、「被災した人」と「それを撮ろうとしている人」の関係になってしまうことが怖くて、人を撮れない時期がありました。(『空に聞く』の)阿部さんに対しても、半年ぐらい経ってから撮らせてほしいとお願いしたんです。
陸前高田に生まれ育ち、2011年12月の開局当初から「陸前高田災害FM」でパーソナリティーを務めた阿部裕美さんも被災者の一人だ。阿部さんの語りや、映像の端々から阿部さんが被災したことは察せられる。しかし、映画は阿部さんを「被災者」としては映さない。
小森:阿部さんも、もちろん被災はしていらっしゃるけれども、その町にいながら「声」を通じて人の気持ちや町をつなぎ直そうとしている人で、そこを入口として撮影していこうという意識がありました。阿部さん自身もラジオを通して、その人が「被災した人」ではなく、どういう人であって、どんな思い出を大事に生きていらっしゃるかを聞いていらして、それは私が撮りたくても撮れなかった、「人の語り」だったんです。自分が撮ろうと思って撮れなかったものを、阿部さんの姿を借りて撮らせてもらえたと感じています。そこに住んでいながら、誰も聞こうとしなかった人の話を聞いて残そうと思い至った阿部さんは、すごくかっこいいというか、私からすると憧れの人なんです。
自分1人では完全にコントロールできない。それが映像表現の面白さ
「(陸前)高田のことしかやらないラジオにしよう」という阿部さんの思いのもと、陸前高田に暮らす人たちの声を伝えつづけたラジオは、全国にファンを生んだ。阿部さんがパーソナリティーを卒業する日の放送には、陸前高田だけでなく、宮崎県、千葉県、愛知県など各地から便りが届いた。放送当時、人びとが親しんだ番組を、収録現場の映像を通して追体験できるのも、本作の見どころのひとつだ。
小森:中国から嫁がれた女性たちが中国語でおしゃべりしている番組とか、障害のある方たちがパーソナリティを務める番組とか、とにかくどれを聞いても笑いながらお話しをしていて、本当に全部素敵な番組なんです。小さな地域の中でも、より声が聞こえてこない人たちが楽しく自由にしゃべる場として、あのラジオがあった。震災があったからこそできたことだと思うんですけど、震災とは関係なく、本当にすごい取り組みだったと思います。
幼少期の思い出、長年連れ添った妻への思慕、生まれ育った土地に根差す草木への眼差し……阿部さんが陸前高田に暮らす人たちの声に耳を傾ける横で、小森もまた、目には見えないそれらを映像に刻んでゆく。
小森:なんでもかんでも撮るわけではなくて、カメラを回している時点で見たいものが割とはっきりしている気がしています。撮りたくないものに対して興味がなさすぎるだけかもしれないですけど(笑)、撮らねばならない、撮る以外やれることがない場面のほうが多くて。そのときにちゃんと撮れるか、自分の体が反応できるか、それを編集の中で生かせるかどうか、ということをやっています。
編集は、撮ったものがまず中心にあって、この映像が自立して人に届くためにはどういう構成にしたらいいか、どういう映画の始まり方をしたらいいか、そういう順番で考えていきます。頭で考えても分からないから、手で触りながら何通りもやってみて、やっと見つかるみたいな……。整理したり構築するのが苦手なので、お団子は作れるけどそれをまとめる串がないみたいな感じなんですよ(笑)。だから、最近は他の人に見てもらうことで串を見つけていっています。自分以外の脳みそを頼っていいのが映像のいいところというか、1人で作らないのが向いている表現でもあると思うんです。撮影も自分でコントロールしきれない世界と向き合っているし、別なものに動かされていくというか、自分だけの表現にならないところが好きで映像をやっているんだと思います。
小森監督の映画としての基準は、「自分から手放せるかどうか」
そうして完成した作品を、映画として映画館で観てもらうことも、小森にとっては大きな意味がある。本作は劇場公開に先駆けて、『あいちトリエンナーレ』『山形国際ドキュメンタリー映画祭』『恵比寿映像祭』で上映され、観客の声が早くも各地から聞こえてきている。
小森:『息の跡』や『空に聞く』は、観る環境として映画館が一番しっくりくると思っているので、やっぱり映画を作っているんだと思います。『息の跡』のときに、作品を自分の手から離すことで、やっと「映画ってこういうものなんだな」って思ったんです。学生のときは観てくれる人が限られていて、自分が居合わせて説明ができる環境でしか発表していなかったけど、全然知らない人に作品だけを観てなにかを感じてもらうにはどうしたらいいか、『息の跡』で編集の秦岳志さんに教えてもらいました。「作品を手放せるかどうか」は、映画として完成させるうえで強く意識します。
『空に聞く』は、『息の跡』よりもさらに説明が少ないので、そこにつき合ってくれるお客さんがどれくらいいるだろうかという不安は結構ありました。でも、『息の跡』の佐藤さんと、『空に聞く』の阿部さんは人柄も関係性も全然違うので、描く手法は絶対変えるべきだと撮影中から思っていました。阿部さん自身に降りかかったことを物語的に描くのではなく、阿部さんでないと気づかなかったこと──亡くなられた人たちに対して人びとがどういう思いでいたかとか──その語りを残したかったんです。上映してみて、思っていた以上に、阿部さんの声というか、映っているものをストレートに受け止めてくれた方が多かった印象を受けて、ちゃんと伝わるんだなって安心感を覚えました。
記録映像が目指すのは、表立って見えているだけでは成り立っていない世界の声を、語り継いでいくこと
『息の跡』『空に聞く』だけでなく、瀬尾夏美との作品や、地域と協働して記録を受け渡すための表現をつくる組織「一般社団法人 NOOK(のおく)」の設立など、一貫して記録し、表現することを続けてきた小森。震災に限らず、人が体験を語り、聞き、伝えることは人間の営みにおいてどのような意味を持つのだろうか。
小森:いま見えているものだけで世界が成り立ってないというか、失われた人たちの思いとか、その人たちのことを考え続けている人の思いとか、そこに見えているものだけじゃない人たちの意思を、知らない者なりに受け取って伝えていきたいんです。私は当事者の立場ではなくて、そこにいない人たちの声を実際には聞けないけれども、そういう営みがあることを伝えていきたいと思っています。それがなぜ人にとって大事なのかは言い切れないんですけど……でも、たぶんそうやって忘れないように人間は生きてきたんだろうなって思うんです。今はいろんな形で記録したり忘れないようにすることができるけど、それでも忘れてしまう。自分は映像を使って、自分だけじゃなく、何十年後かの人が「これを知れてよかった」って気づけるようなものを残しておきたくて、自分の映像が「人が聞いて語り継いでいく」行為の一端になったらいいなと思ってやっています。
震災前は、劇映画を志していたという小森。映画を作ろうとすればするほど、本来描きたかったものや撮りたかったものが削がれてしまい「全然うまくいかなかった」と振り返る。震災は、小森に映像の持つ「記録」という側面に目を向けさせるとともに、佐藤さんや阿部さんを始めとする人びととの出会いを通じて、小森の表現者としての姿勢に大きな影響を与えた。
小森:陸前高田で生まれ育って、そこで津波を経験され、この先も暮らし続けていく人の中で、自分で伝え方を発明しちゃうというか、「語り」を生み出す人の共通点はすごくある気がします。佐藤さんはそれが英語の語りだったけど、阿部さんは自分の声でした。伝えることの切実さから生まれてきた発明みたいなものに、表現や芸術を勉強してきた身として敵わないと思いますし、むしろその発明のほうが根源的なもので、そういうものの先に、自分がやっている映像表現とかがあるのかなと感じます。
震災から10年という歳月の中で、陸前高田では嵩上げ工事が進み、かつての町のうえにできた新たな町での暮らしが日々息づいている。その月日は、小森が自身の映像表現という発明を、試行錯誤しながら自らの技術として磨いてきた日々でもある。
小森:陸前高田を見続けるのは一生の仕事だと思っているので、スパンは開くかもしれないけど、ずっと関わろうと思っています。一方で、陸前高田で培った目を、他の地域や他の人を記録することに生かしたいという思いもあるので、今後は別の土地でも制作していこうと思っています。
あと、撮影を自分ではなく別の人にお願いするとか、自分以外の人の身体を介して記録していく方法を考えたいなって。自分で撮れるようになっちゃうと、やっぱりダメだなって思うんですよ。自分で撮ることで定点的なよさはあるかもしれないけど、そうじゃない視点で映るものも見てみたいんです。これまで、そこにいる自分でなければ撮れないものを撮ることにこだわってきたからこそ、余計にそう思うんでしょうけど、色々手放していく方法を模索してみたいなと。震災から10年という時間の経過もあるのかもしれませんが、もう少し自分を透明にしていこうという気持ちがあります。
語り、聞き、伝え、それらを映像に残す──見えないものと、ともに在るために。どんなに大きな喪失があっても絶えることなく続いてきた人間の根源的な営みを、『空に聞く』は鮮やかに映し出している。
- 作品情報
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- 『空に聞く』
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2020年11月21日(土)より、東京 ポレポレ東中野にて公開、ほか全国順次公開
監督・撮影・編集:小森はるか
撮影・編集・録音・整音:福原悠介
特別協力:瀬尾夏美
企画:愛知芸術文化センター 制作:愛知県美術館
エグゼクティブ・プロデューサー:越後谷卓司
配給:東風
- プロフィール
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- 小森はるか (こもり はるか)
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1989年静岡県生まれ。映像作家。映画美学校12期フィクション初等科修了。東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業、同大学院修士課程修了。2011年に、ボランティアとして東北沿岸地域を訪れたことをきっかけに、画家で作家の瀬尾夏美と共にアートユニット「小森はるか+瀬尾夏美」での活動を開始。翌2012年、岩手県陸前高田市に拠点を移し、人々の語り、暮らし、風景の記録をテーマに制作を続ける。2015年、仙台に拠点を移し、東北で活動する仲間とともに記録を受け渡すための表現をつくる組織「一般社団法人NOOK」を設立。2015年、長編映画第一作となる『息の跡』が山形国際ドキュメンタリー映画祭2015で上映され、2017年に劇場公開される。最新作は、2020年11月公開の『空に聞く』。
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