去年、メンバーのうち3人が茅ヶ崎に移住し、11月には茅ヶ崎市民文化会館にてワンマンライブも成功させたSPiCYSOLが、メジャーデビュー1stデジタルEP『ONE-EP』をリリースした。
あくまで個人的な印象としてだが、SPiCYSOLはずっと「不思議なバンド」だった。2015年にデビューミニアルバム『To the C』を「UK PROJECT」よりリリースした頃から、そのバンドの佇まいは銀杏BOYZやsyrup16gといったバンドたちを輩出してきたUK PROJECTの今までのレーベルカラーとどこか違うように見えていた。R&Bやファンクなどが音楽的ルーツにあるという点で、当時、再び時代の潮流として囁かれ始めた「シティポップ」という言葉の中にカテゴライズすることも可能だったのかもしれないが、それもしっくりこない。SPiCYSOLというバンドに筆者自身、どこか捉えどころのない印象を抱いていた。
しかし今回、KENNY(Vo)とPETE(Key,Tp,Cho)のふたりに取材したところ、かなり明確にいろんなことがわかったように思う。彼らが語ってくれたルーツへのリスペクトと、自然と変化してきた生き方が、SPiCYSOLというバンドの存在の輪郭をとてもハッキリと見せてくれた。ルーツを愛し、自然と街を愛し、友を愛し、そして自分たちの身の丈に合った幸福を、音楽と共に掴もうとする彼らの尊い人生観をぜひ読んで感じてほしい。
SPiCYSOLは茅ヶ崎の街からなにを受け取っているのか? 都内から活動拠点を移し、自分たちらしい音楽を手にするまで
―SPiCYSOLは、2020年から茅ヶ崎に拠点を移されたんですよね。
KENNY(Vo,Gt):そうですね。メンバー4人のうち、僕とギターのAKUNとPETEの3人が茅ヶ崎に引っ越しました。
PETE(Key,Tp,Cho):本当に偶然というか、それぞれ理由は違ったんですけどね。うちのメンバーはみんな海が好きなので、ちょうどよかったなって。
KENNY:海の近くだと自然が多くてデジタルデトックスもしやすいし、あと、やっぱり茅ヶ崎には様々なジャンルのアーティストがすごく多いんです。
サザンオールスターズの名前に由来する「サザン通り」(編注:1999年、サザンオールスターにあやかって茅ヶ崎海水浴場が「サザンビーチちがさき」に改名、茅ヶ崎駅からサザンビーチちがさきまで続く道は「サザン通り」の愛称で呼ばれるようになった。それに伴い、通りに面する南口中央商店街も「サザン通り商店街」に改名することに)とか、加山雄三さんの名前をとった「雄三通り」(編注:茅ヶ崎駅南口正面から茅ヶ崎海岸に続くバス通りのこと。かつてこの通り沿いに加山雄三の自宅があったことに由来する)なんていうのもあって、街自体が音楽にウェルカムなんですよ。
音楽だけじゃなくても、僕の友達の画家のアンベリュウ(RYU AMBE)くんも茅ヶ崎に生まれて育ったイラストレーターだし、いろんなクリエイターが住みながら活動しやすい街なんです。
―裏を返すと、SPiCYSOLにとっては「生活」と「音楽」は密接に結び付くべきものである?
PETE:そうですね。茅ヶ崎を選ぶうえでライフスタイルは大きな理由だったかもしれないです。
KENNY:ミュージシャンの中にもいろんな人がいるじゃないですか。スタジオで音を模索して突き詰めるタイプの人もいると思うんですけど、その人の生活そのものから呼ばれる音も間違いなくあって。ライフスタイルもそのまま音になると思う。僕らは茅ヶ崎で生活をしていくなかで生まれる音を鳴らしていければいいなと。
―新作EP『ONE-EP』の2曲目“From The C”の歌詞には、茅ヶ崎にあるお店の名前も出てきますよね。
KENNY:そうですね。サザンさんに“LOVE AFFAIR ~秘密のデート”(1998年)という曲があって。湘南をデートスポットにした歌詞で、ホテルの名前とか、固有名詞がいっぱい出てくるんですよ。レペゼンという意味も込めて、そういうことを僕らもやってみたら面白いんじゃないかと思ったんです。
SPiCYSOL“From The C”を聴く(Apple Musicはこちら)サザンオールスターズ“LOVE AFFAIR ~秘密のデート”を聴く(Apple Musicはこちら)
KENNY:あと、僕らのデビュー作は『To The C』というタイトルだったんですけど、そこには「海に行く道中を彩るBGMのようなアルバムになればいいな」という思いを込めた「海に行こうぜ(To the sea)」って意味と、自分たちのルーツにあるカリフォルニアサウンドに対してのリスペクトを込める意味合いがあったんです。だから「Sea」を「C」にした。で、実は茅ヶ崎も頭文字が「C」なんですよね。
―ああ、たしかに。この曲の歌詞には<常にSlowlyなPlaceだからMindもCozyになっていく>というラインもありますけど、茅ヶ崎は空気感がゆったりしていますか?
KENNY:だいぶゆったりしてますね(笑)。リラックスした雰囲気というか。
PETE:僕も部屋の内見をしたときからそれはすごく感じました。街の空気感がいいなと思って。
―茅ヶ崎に拠点を移されてから、曲作りのムードなども変わりましたか?
KENNY:確実に変わりましたね。今までは都内のスタジオに籠って曲を作っていて。そういう環境で生まれるいい曲もあると思うんですけど、僕らの場合、スタジオにいても盛り上がる瞬間ってあまりなくて。たとえば「夏の曲を作ろう」ってテーマだけ決めて、各々が持ち帰って家で作る、みたいなことが多かったんです。でも今は、誰かメンバーの家に集まって一緒に作ることも増えたので、雰囲気はよくなっているし、より僕ららしい曲を作れるようになったと思いますね。
PETE:やっぱり、茅ヶ崎にいる3人がいつでも集まることができる環境はいいですね。それに、近くに海があるとリフレッシュできるんですよ。
海とサーフミュージックから教えてもらったのは、生き方とミュージシャンシップ
―最初に「みんな海が好き」とおっしゃいましたけど、SPiCYSOLにとって、なぜ「海」は大切なものになっていったんですか?
KENNY:そこは僕からメンバーに浸透していったものだと思うんですけど、僕のルーツミュージックが、2000年代前半に流行っていたサーフミュージックなんです。ジャック・ジョンソンをはじめとする、サーファーがギターを持って歌っているような音楽。
KENNY:そういうものが好きで聴いてきて、「彼らの音はなんでこんなに温かいんだろう?」と掘っていったときに気づいたのは、僕の好きなミュージシャンは共通してサーフィンをやっていて、ビーチカルチャーに精通していたということで。
そこから僕も自分でサーフィンをやるようになり、ビーチカルチャーのマインドに惹かれていったんです。バンド結成当初は僕が主軸になって曲を作っていたので、そういうビーチバイブスのようなものが、メンバーにも浸透していったんですよね。
―なるほど。
KENNY:でも、「サーフミュージックってこういうものだろうな」って予想で奏でてもフェイクな音しか出ないんです。本当にライフスタイルに根差して出す音でないと、本物の音にならない。だからこそ、こうやってメンバーも茅ヶ崎に移ってきたのは大きなことだなと思っていますね。
―PETEさんは、KENNYさんから浸透していったサーフミュージックをどのように受け止めていったんですか?
PETE:僕は生まれ育ちが横浜の海街だったので、海は昔から好きだったんですけど、音楽的な部分でいうと僕のルーツはスティーヴィー・ワンダーのようなR&BやTower of Powerのようなファンクで。ジャック・ジョンソンのような人たちはそんなに聴いたことがなかったんです。なので、KENNYに教えてもらうことで、「こんなにいい音楽があるんだ」と気づいた感じでした。ああいうサーフミュージックって、ゆるくて、横ノリで、BGMとしても気持ちよく聴けるじゃないですか。
KENNY:そうだね。サーフミュージックは「気持ちいいこと」が大前提だから。
PETE:僕の音楽的なルーツのひとつでもあるスカも、お酒を飲みながらゆるく楽しむことを大事にしている音楽でもあって。そういう部分では、自分のルーツとKENNYに教えてもらったものに共通するものも感じたし、魅力的に感じましたね。
―そもそも、KENNYさんがジャック・ジョンソンのようなサーフミュージックを聴き始めたのはなぜだったんですか?
KENNY:2000年代初頭って、バンドといえばゴリゴリで熱いサウンドの人たちが主流だったんですよ。
―たしかに、僕もKENNYさんと同じ1987年生まれなのでわかりますけど、僕らが中高生くらいの頃はミクスチャー系やオルタナ系のバンドが多かったですよね。
KENNY:Dragon Ashさんとかね。僕もそういう音楽は好きだったんですけど、サーフミュージックは、それとは音としては正反対のものだった。だから惹かれたというのはあると思いますね。
あと僕は北海道出身で、地元は道も広くてバイカーも多く集まっていたし、古着とか含めて、70sのアメリカンカルチャーが熱くて。同じヒッピーカルチャー周辺ってことで、先輩がジャック・ジョンソンをよく聴いていたりしたんですよね。
最初は「憧れのかっけえ先輩たちが聴いている音楽」って感じで、憧れを真似する形でのめり込んでいった部分が大きかったと思います。古着で、ヒッピーっぽい格好をしているときに合うんです、サーフミュージックって。
「茅ヶ崎に住んでいると地球が汚れていることが目に見えてわかる」(KENNY)
―“From The C”の話をもう少し掘り下げると、この曲の歌詞に<世界はまだ間に合うから>というラインがありますよね。この部分はどういった意図で書かれたんですか。
KENNY:そもそもうちのバンドは、環境問題を意識していて。「できることからやっていこう」という気持ちもあって書いた歌詞なんですよね。
―なるほど、環境問題が意識された歌詞だったんですね。そういうことをバンドとして意識され出したきっかけはなんだったんですか?
KENNY:そこも、ビーチカルチャーからですね。先輩たちでもそういう活動をやっている人が多いんです。やっぱり、汚い海には入りたくないじゃないですか。
PETE:今僕らが暮らしている茅ヶ崎も、「ビーチを綺麗にしよう」という意識が強い街ですからね。ビーチクリーンを定期的に行っていたりするんです。
KENNY:そうだよね。そう考えると都心に暮らしていた頃より、茅ヶ崎に住んでいると地球が汚れていることが目に見えてわかるんですよね。
サーフカルチャーに育てられ、今は茅ヶ崎に暮らすからこそ、バンドや個人目線でできることから地球環境に貢献したい
―<世界はまだ間に合うから>というラインには、ビーチカルチャーに接してきたからこそのメッセージがあったんですね。
KENNY:確かに、メッセージはあります。あるけど、それを押しつけるつもりもないんです。たとえばグッズにしても、お客さんが「プラスチックを減らさなきゃ」という意識を持たずとも、「可愛いから買ったんだよね」くらいでいいと思うんです。
サービスを提供する側がちゃんとシステムを作っていく意識を持っていれば、その積み重ねが地球環境に繫がっていくんじゃないかって。たとえば、カフェだったらタンブラーを持っていけば50円安くなる、とか。そういうことをやっていければいいな、くらいの感じなんです。それを押しつけることなく上手く活動に盛り込んでいけたら、それ自体がよきメッセージになるのかなって。
―「押しつけたくない」ということが、ある種、SPiCYSOLの根底にある精神性でもある?
KENNY:そうですね……そう決めているわけではないんですけど、環境問題なんて人に押しつけてできるようなことではないと思うし、僕だって完璧にできているわけではないし。
KENNY:最近はSDGsとかサステナブルみたいな言葉をよく聞きますけど、そういうことは国や企業単位で言っていくべきことで、僕らが掲げるようなテーマではないんじゃないかと思います。それよりも僕らは個人にできることをやっていくしかないというか。
仕事って、なにかを提供してお金をもらうことじゃないですか。提供する側が一人ひとりちょっとずつでも意識していけば、変わるものもあると思うんですよ。なので、大きいことを言うつもりはないけど、“From The C”では<まだ間に合うから>と歌ったんです。ネガティブな感じにはしたくないなと思って。
「友達もいて、充実したライフスタイルがあって、だから鳴らしたい音がある」。これまでの人生、今の暮らしと共に響く音を求めて
―僕は今日初めて取材させていただいていますけど、KENNYさんの人となりが非常に興味深いというか。PETEさんから見て、KENNYさんはどんな人ですか?
PETE:そうですね……簡単に言うと、「ワイルド」です(笑)。自然味溢れるというか、「大自然が好きなんだなあ」ということが人間性として滲み出ている人なんですよね。茅ヶ崎に住み始めて、近くで見ていてもそう思います。僕から見ても面白い人ですね(笑)。
KENNY:……こっ恥ずかしいですね(笑)。
―プロフィールを見ると、イラストやアート制作もやられているんですね。
KENNY:そうですね。「おもちゃが欲しいなら自分で作りなさい」って言われて育ったおかげか、小さい頃から「作る」ことが好きだったんです。画家になろうとした時期もあったんですけど、デザイン科のある高校に入学できなくて、そのときに挫折してしまって。それで、普通の公立高校に通い始めてから、ギターも始めたんです。
―そうやって幼い頃から「自分で作る」という感性を培ってきたことは、KENNYさんがビーチカルチャーに惹かれていったことと繫がっているんですかね?
KENNY:どうなんでしょうね……でも、意識はしていなかったけど、自分で作っちゃうタイプの人は周りに多いですね。サーフショップをやっている先輩たちも、自分で店舗を作っていたりするし。自分でやりたがりの人は周りに多いかもしれない。茅ヶ崎にも多いよね?
PETE:うん。茅ヶ崎には自分で作っちゃう人多いよね。
KENNY:そうやって作られたものって、粗が目立ったりするんだけど、それがいいんですよね。
―それはきっと音楽にも言えますよね。
KENNY:そうですね。最近、海沿いで一発録りしたいなって思うんですよ。よく聴くと波の音やカモメの声、その辺にいる子どもの声なんかが入っていたりする音源を作ってみたいなって。ただ綺麗な音を出すのもいいけど、いい意味で「雑な音」が入った音楽には、その環境で生まれたからこそのよさがあると思うんです。
―SPiCYSOLは、バンドとしてどんな目標を持っているんですか?
KENNY:う~ん……音楽ができてりゃそれでいいっていうわけでもないし。みんながいて、聴いてくれる人がいて、それでこそ音楽ができる。もちろん、聴く人が健康でないと音楽なんてできない。友達もいて、充実したライフスタイルがあって、だから鳴らしたい音があって……。結局、そういうところに落ち着くのかもしれないです。
それでいうと、クリーンエネルギーだけでレコーディングできないかなって最近考えていて。作る曲は同じだったとしても、環境が違うことによって、目に見えないバイブスが音源に入ってくるような気がするんですよね。
―あくまでも等身大というか、自分たちの幸福を追求していくことと、音楽活動が繫がっているんですね。
KENNY:ああ、でも、結成した当初は「いつか無人島を貸し切ってフェスをしたい」っていうビッグテーマを掲げていたんですよ。今はこんな状態なので難しいですけど、それは今でも思っていますね。
居場所は最初からあったわけではない。「人」をなによりも大事にして、彼らは自分たちの場所を作ってきた
―お話を聞いて改めて思いますが、SPiCYSOLは音楽性だけではなくて、サーフミュージックが培ってきた精神性、魂の部分も受け止めて活動されているんですね。
KENNY:そうですね。そっちのほうが好きかもしれないです。僕らは、音楽性的にはどストレートなサーフミュージックでもないから。サーフミュージック、シティポップ、ポップス……そういうものが交差する真ん中に、自分たちの音楽はあるような気がしていて。そのバランスのよさは保ちたいんですよね。
―ここ数年、日本の1970~80年代のダンサブルで洗練されたポップスが世界的にも注目を集めて、それが「シティポップ」と括られて国内外で盛り上がったり、あるいは若い世代でも、シティポップと括られて紹介されるアーティストが多くいたりしたと思うんですけど、世の中的なシティポップの盛り上がりと自分たちとの距離感は、どのようなものに感じていましたか?
KENNY:僕らはブームになる前からシティポップっぽい曲はやっていたから、「ああ、ようやくこういう波がきたんだな」という感じでした。そもそも僕らはバンドを組みたてのころは対バンできる相手も全然いなくて、お客さんが5人しかいないようなときもあったし、やってもやっても全然伝わらなくて「音楽をやっていてもつまんねえ」って気持ちになっちゃうときもあったんですよね。
どこかにいるはずの、自分たちがやっていることを求めている人たちと直接的に繋がる手段がない感覚がずっとあって。でも、シティポップの流れがきたおかげで、自分たちと近しいバンドとも出会えるようになって、「どこかにいてくれていたんだな」みたいな(笑)。なので、シティポップが流行ってくれたのは、僕らにとってはプラスの出来事でしたね。
―正直、初めてSPiCYSOLの音楽を聴いたとき、UK PROJECT所属のバンドだと知って驚いたんですよね。UK PROJECTは下北沢系のギターロックのイメージが強いレーベルだったので、SPiCYSOLは、レーベルのカラーとかなり違うバンドだなと思ったんです。
KENNY:それは未だに言われますね(笑)。でも、今回ワーナーミュージックをデビュー先に選んだ理由もそうなんですけど、僕らはメジャーとかインディーとかはあんまり意識していなくて、まずは「人」として一緒にやっていきたいかどうかで決めるようにしているんです。
KENNY:UK PROJECTに決めたときも、誘ってくれた方がめちゃくちゃいい人で、「この人となら一緒にやっていきたい」と思って。人で選んだ甲斐があって、それから嫌な思いは一度もしていないし、気持ちよくずっと音楽を続けることができている。今回のメジャーデビューも同じで。もちろん、どんどん売れてチームをデカくしていきたいと思うんですけど、なによりもワーナーに信頼できる人たちがいて、「この人たちとならやっていける」と思ったんですよね。
―「人」がなにより大事なんですね。
KENNY:どんな業界でもそうだと思います。カフェに行っても、態度の悪い人が働いていたり、バイトが怒鳴られている現場を見ると、切ない気持ちになるじゃないですか。「ここで俺は働きたくないな」と思ったりするし。環境がいいにこしたことはないですよね。特にクリエイティブなことをやっている人は、自分がモノを作る環境からネガティブな要因はなるべく取り除こうとすると思う。
「20代の頃みたいにやみくもにコネクションを広げることに人生の時間を使わなくても、いい音楽は書けるなと今は思える」(KENNY)
―改めて音源の話をすると、EPの1曲目“ONELY ONE”はドラマ『主夫メゾン』の主題歌ですけど、全体像を聴くと展開がすごく不思議な曲ですよね。
PETE:そう思っていただけたのなら、狙い通りですね(笑)。今回、Shin Sakiuraさんにアレンジに入ってもらって作ったんですけど、聴いた人が「おっ」と思うような、引っかかりのある曲を作りたいと思ったんです。今までのSPiCYSOLは聴きやすい曲が多かったぶん、驚きのある曲が少なかったような気もしていたので。
KENNY:ドラマっていきなり展開が変わっていくじゃないですか。幸せなふたりだったのに、場面が変わると急に不幸なふたりが映ったりして。そういうドラマっぽいテンポ感を曲でも出せたらと思ったんです。なので、いきなりハッピーな感じのサビで始まってハッとさせたかと思えば、急にスリリングな感じに展開する、っていうような緩急を意識的につけていきました。
―歌詞にある<想像した未来 少し違うみたいだけれど>というラインは、バンドの年相応な感性が出ているというか。「決してすべてが思い通りにいくわけではない」という、人生経験がないと書けない歌詞ですよね。
KENNY:確かに、その部分は自分の年齢感が出ているかもしれないですね(笑)。現実は夢物語のようにはならないですからね。
―そういう年相応な感じがSPiCYSOLの魅力だと今日お話を聞いていても思いました。茅ヶ崎への移住もそうですけど、バンドの活動環境も変えながら、等身大の幸せを掴みにいっているというか。
KENNY:それは年齢もあるし、今のコロナ禍とか、社会の在りようも関係していると思いますね。
みんなきっとこのコロナ禍でなかなか人に会えないからこそ、「大切な人との時間を大切にしたい」という気持ちが強くなったと思うんです。僕にとっては、それを叶えるには茅ヶ崎のような海沿いの街が理に適っていたんだと思います。
……まあ、20代の頃は友達と散々飲み散らかしてきたし、「もうバカ騒ぎはいいかな」と思ったのもあるかもしれないですけどね(笑)。
―(笑)。
KENNY:もちろん、若い頃にできたバッドフレンドたちって、すごく大切な存在で。だからこそ、30代になった今、わざわざ自分からコネクションを広げにいかなくてもいいかなっていう気もするんです。
今はもう大切な友達たちがいるし、この先、出会うべき人とは出会うだろうし。20代の頃みたいにやみくもにコネクションを広げることに人生の時間を使わなくても、いい音楽は書けるなと今は思えるというか。そういうふうに、自分の意識が変わっていった気がします。
- リリース情報
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- SPiCYSOL
『ONE-EP』 -
2021年4月7日(水)配信
1. ONLY ONE
2. From the C
3. NAISYO
- SPiCYSOL
- イベント情報
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- 『73machi One Man Live in Zepp DiverCity』
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2021年7月3日(土)
会場:東京都 Zepp DiverCity
- プロフィール
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- SPiCYSOL (スパイシーソル)
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「The Surf Beat Music」を掲げ、ロック、レゲエ、R&Bなど様々なジャンルの要素が入り混じった新しいサウンドに、心に染みるメロウな歌声でメロディを紡ぐ。洋楽のフレイバーを注入しながらも抜群のセンスで独自の進化を遂げたシティとサーフが融合する新世代ハイブリッドバンド。2021年4月7日にデジタルEP『ONE-EP』でメジャーデビューを果たした。
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