前回のインタビューで、SMTKの松丸契は「世の中が平和で不満もなくて、何不自由なく人生をラクに生きていたら、こういう音は確実に出てこなかった気がします」と語っていた(註1)。あれから1年少々が経過したが、失政は続き世の中がマシになりそうな兆しは一向に見えず、日本は最悪のシナリオに突き進んでいる。
そんな時代とも呼応するように、SMTKの2ndアルバム『SIREN PROPAGANDA』はますます過激さが際立つ作品となった。死に物狂いの演奏はそのままに、作曲とサウンドメイクの精度が飛躍的に向上。驚異のシンクロ率を誇る盟友Dos Monosに加えて、ermhoiを通じて知り合ったという兄弟ヒップホップユニットRoss Moodyも交えながら、強烈極まりないアンサンブルを奏でている。
この作品を聴いたCINRA.NET編集部・山元は、Black Midiを筆頭とした新世代UKロックバンドを連想したという。SMTK側は意識してなかったようだが、ハードコアの熱量とプログレの構築性を両立し、アカデミックな素養も活かしつつステレオタイプな音楽性に抗っていたりと、無意識的なリンクが存在しているように感じなくもない。
かたや自分が思い出したのは、高校時代にBOREDOMSを初めて聴いたときの衝撃だった。ぼくが手に取ったのは『Chocolate Synthesizer』という1994年のアルバムで、あまりにも凶暴すぎるサウンドに「こんな音楽が存在するのか!」と腰を抜かしたものだ。このアルバムの収録曲がプレイリストに放り込まれていたら、ほとんどの人は嫌がらせのように感じるだろう。でも、あるひとりの人生を決定的に塗り替えるかもしれない。数の暴力ばかり目につく現代では失われつつある価値観だが、CDの売上やストリーミングの再生回数とは別に、大切なものがあることをBOREDOMSは教えてくれる。
そういえば、若林恵さんが以前こんなことを語っていた。
「いま、あらためて不思議に思うのは、自分が学生時代だった1990年代前半の頃を振り返ってみますと、当時まだインターネットなんてなかったのに、いまよりよほど海外との距離が近かった感覚があるんですよね。(中略)ジョン・ゾーンという前衛音楽家が高円寺に住んでいたこともあって、東京が世界のノイズシーンのひとつの重要なハブだったという感覚が、かなりリアルなものとしてあったように思うんです。(中略)そうした1990年代のグローバルなアンダーグラウンドネットワークが、ネットの普及とともになぜか途切れるんですよね」(註2)
ここでいうアンダーグラウンドネットワークの象徴が、まさしくBOREDOMSである。NirvanaやBeckにもリスペクトされ、海外でカルトな人気を集めた彼らは、ある世代までのリスナーにとって神みたいな存在だった。しかし、近年はその名前を聞く機会が減ってきたように思う。その流れと並行するように、BOREDOMSのような破天荒なサウンドは、国内の音楽シーン全体で鳴りを潜めてしまった。
そういった状況のなかでSMTKやDos Monosは、ある種のオルタナティブな思想を受け継ぎ、途切れてしまった回路をもう一度つなごうとしているように映る。このあとのインタビューで、渋さ知らズやROVOの名前が出てくるのも示唆的だ。
SMTKのリーダーである石若駿は、「(コンセプトを)言語化しながら音楽をつくってはいない」と述べている。しかし、星野源や米津玄師をはじめ、KIRINJIの新曲に携わるなど国内シーンのキーマンとなりつつある石若、オーストラリア屈指の音楽家でありながら、日本のジャズに魅了されて東京に移住したマーティ・ホロベック、ノイズやインプロ、ジャズなど日本のアンダーグラウンドな音楽文化を間近で見てきた細井徳太郎、3歳から高校卒業までパプアニューギニアで育ち、バークリー音大を経て日本で活動する今も「外の人」としてのアイデンティティと向き合い続ける松丸契という組み合わせから生まれる音楽には、それだけで何かしらの意味を持っているように感じる。
異なるバックグラウンドを持つ4人は、どのようなことを考えて『SIREN PROPAGANDA』という作品を完成させたのだろうか。
日本の音楽シーンをリズム面で牽引する、リーダー石若駿のドラムの変化
―『SIREN PROPAGANDA』、大変びっくりしました。前作もすごかったけど、今回のはもう一段階振り切ってるというか。楽器の音から明らかに違う。
石若(Dr):4人ともこの1年、それぞれ自分の作品もつくったりしながらレコーディングを経験してきたのが大きかったと思います。録音物に対する意識が飛躍的にレベルアップした気がしますね。
―石若さんのドラムも変わったんじゃないですか。くるりのライブを観た柳樂光隆さんが「ロックを叩くのが上手くなった」と言ってましたよ。
石若:嬉しいー! SMTKでもアイデアが降りてきやすくなりましたね。自分が何をすべきか、どんな音を叩くか、どんなフィールで演奏するかっていうボキャブラリーが自然に増えてきて、そこから「今回はこのモードだな」って瞬時に選べるようになったというか。
自分のイメージと体のつながりがいままでより上手になったかなと思いました。それはもちろん、くるりとかさまざまな現場で、いろんな曲を演奏しながら経験したことも大きいと思います。
―すっかり各方面に引っ張りだこだし、そこからいろいろなものを吸収している。
石若:そうですね。この1~2年はレコーディングが多かったので、ドラムの音づくりもいろんな現場で学ぶことが多かった。そういうのをSMTKのレコーディングにも持ち込みました。シンバルのチョイスもいままでと全然違うし、バスドラも全曲26インチを使ったりとか。そういう経験値が今回の作品に反映されてるなって。
―キックの音が明らかに前作よりデカい(笑)。
石若:大正解の音ですよね。
SMTK“Genkai Mentaiko”を聴く(Apple Musicはこちら)
メンバー全員が日本のジャズシーンに身を置きながら、SMTKがジャンルから逸脱してくワケ
―あとはアルバム全体的にかなりつくり込まれつつ、攻撃的なサウンドがますます際立っているというか。「メインストリームとアンダーグラウンドの境界線がなくなった」とよく言われるけど、「本当にそう?」って思うんです。むしろいまでは、ある種のアンダーグラウンドな表現が途絶えつつあるような気がしていて。それをSMTKは蘇らせ、モダンな表現に落とし込んでいる。
細井(Gt):すごく嬉しい感想です。
石若:たしかにそうですね。アルバムをつくる段階で、シーンのことはそんなに意識してなかったけど……。
―周りに対してどうこうっていうより、自分たちが楽しいから攻めた音楽をやってる?
石若:そうですね。
―誰にも遠慮せず、ストッパーもかけずに。
石若:そう。だからいまでは、どこにも属していないバンドになった気がします。一匹狼みたいなバンドになったというか。もちろんいい意味で。
細井:「これアンダーグラウンドじゃん!」って、ビビッとくるような音楽をやる人が少なくなっているのは、ぼくも感じてました。駿とぼくはそういう音楽が大好きで、SMTKのサウンドにも反映されていると思う。だから、さっきの言葉はすごく嬉しかったです。
細井:一匹狼な性質でいうと、音楽への向き合い方が他のバンドと違うんだろうなと思います。特に松丸とマーティは、音楽のバックグラウンドや文化の背景がそもそも違う。だから日本で活動していても、どこかに属そうという発想にならないのかなって。
松丸(Sax):そもそも、どこにどんなシーンがあるのか知らないっていう。
―(笑)。
松丸:もちろん、他の人がやってる音楽を聴くのも大事だけど、自分たちのなかで確立された音楽を大事にかたちづくっていくことのほうがよっぽど重要だと思うんですよね。そういう意味でも、SMTKの音楽は4人それぞれの活動が合わさり、凝縮されているような感じがします。
マーティ(Ba):SMTKのジャンルは何ですか?
―こっちが聞きたいですよ(笑)。
細井:マーティは何のジャンルだと思う?
マーティ:わかんないね。ネオソウル? フューチャージャズ?
SMTK“Ambitious pt.1(feat. Ross Moody)”を聴く(Apple Musicはこちら)
―悩ましい。ジャズシーンで他にこんなバンドはいないし、ロックやヒップホップとも似て異なる。SMTKみたいに定型から逸脱していくバンドを、ジャンル云々で語ることにそもそも無理があるような気もして。
石若:なるほど。
―でも、それぞれ日本のジャズシーンで活動しているわけですよね。日本と海外で異なるバックグラウンドを持つ4人が「日本のジャズ」をどう捉えているのか。それを掘り下げることで、SMTKがどこから逸脱しようとしているのかが見えるのかなと。
細井徳太郎と石若駿が受け継ぐ、「日本のジャズ」の歴史と精神性について
―まずは細井さんに伺いたいんですけど、以前、他のメディアのインタビューで石若さんが『『徳ちゃん(細井)とは日本生まれのジャズ』みたいな部分を共有してる」(註3)と話してたじゃないですか。
細井:はい。
―なるほどと思いつつ、あらためてどういうことですか?
細井:もともとジャズは海外から輸入された音楽ですけど、長い時間を経て和製のジャズが土着化していったというか。海外のモノマネではない、日本固有のジャズが育まれてきた歴史があるんですよね(註4)。
駿は幼いときからそういうジャズを吸収してきたし、ぼくも大好きでたくさんライブを観てきたので、お互い共有しているものがあるなって心から思います。
日野皓正『Taro's Mood』(1973年)を聴く(Apple Musicはこちら) / 日野皓正に「中学校卒業したら、俺のバンドに入れよ」に言われたことは、石若の現在のキャリアに直接関わる影響を及ぼすことになるーー「石若駿という世界基準の才能。常田大希らの手紙から魅力に迫る」より森山威男『SMILE』(1981年)を聴く(Apple Musicはこちら) / 森山威男(Dr)と松風紘一(Sax)のライブを見た3~4歳の当時の石若にとって、森山の演奏はドラムに興味を持つきっかけとなったーー「SMTKが鳴らす、ルール破壊の音楽精神 荘子itが嗅ぎ取り、言葉に」より
―細井さんは、石若さんも高校時代から出演してきた老舗ジャズクラブ、新宿ピットイン(註5)で過去に働いていたそうですね。その頃の経験もミュージシャンとしての自分に反映されていますか?
細井:それはもう間違いないですね。ぼくはフリージャズやロックなど、自分の好きな音楽を全部取り入れようと思っているんですけど、そう考えるきっかけになったのが斉藤”社長”良一さん。渋さ知らズ(註6)などに参加してきたギタリストでかなり影響を受けています。
バイトでうんざりするぐらいアンダーグラウンドの音楽を聴いた帰りに、またアンダーグラウンドな店に行って音楽を聴く。もしくはギターを持参してセッションに飛び入り参加する。そんな生活を3年前までしてました。
―たとえば1980年代に、ジョン・ゾーンが高円寺に住んでたみたいな話があるじゃないですか。あるいはアート・リンゼイやジム・オルークなど海外の音楽家ともシンクロしながら、日本のアンダーグラウンドが異常に発達した時代があった。SMTKはその頃の音楽を想起させる部分もあるけど、そんなふうに感じるのは細井さんの存在が大きいのかなと。
細井:そうですね、そこはぼくもかなり自覚しています(笑)。今回の曲でいうと、“Love Has No Sound”はRadioheadみたいな曲をつくろうとしたのに、日本のジャズやらジョン・ゾーンが混ざってこうなりました(笑)。
―細井さんやSMTKに影響を与えている日本のジャズを、アーティストや作品で挙げるとしたら?
細井:本当にたくさんのミュージシャンから影響を受けていますが、いまパッと思い浮かんだのが菊地雅章さん(註7)の“ダンシング・ミスト”(1970年発表の『POO-SUN』収録曲)とか。ああいう踊れるんだけど気持ち悪いというか、エグいサウンドが好きなので、SMTKにも受け継がせたいと思っていますね。
SMTK“Love Has No Sound”を聴く(Apple Musicはこちら)菊地雅章『POO-SUN』を聴く(Apple Musicはこちら)
―ここまでの話、石若さんは聞いていてどうですか?
石若:どれも納得ですね。徳ちゃんの演奏からも、彼が「土着的」と表現していた日本のジャズが醸し出されていると思います。
ぼくの経験で言うと、板橋文夫さん(註8)のトリオやクインテットで演奏した経験や日野皓正クインテット、峰厚介カルテット、OMA SOUNDなどいろんなライブをした経験を通じて、日本のジャズが自然と体に入ってきたんですよね。板橋さんのオリジナルの作曲を初めて演奏したときは衝撃的でした。
板橋文夫『渡良瀬』(1981年)を聴く(Apple Musicはこちら)
石若:SMTKはそんなぼくたちと、海外で育った契とマーティの要素がうまく溶け合ってるんじゃないかなって思います。
アメリカと日本、両方のジャズの現場を知る松丸契。日米における即興のアプローチにはどんな違いが?
―松丸さんは以前ソロ作のインタビューをしたとき、「僕はアイデンティティがわからないんですよ。日本で育っていたならそこがルーツになるし、パプアに実家があったりしたらそれがルーツだと言えるけど、僕は1歳の時に日本を出て、それからずっと『外の人』なんです」(註9)と話していましたよね。そういうバックグラウンドを持つ立場として、「日本ならではのジャズ」みたいな話ってどうですか?
松丸:よくわかる気がしますね。2018年の帰国後は日本で発展してきた即興のアプローチをやってる人たちと演奏することが多いので、そこですごく感じます。
あとはもしかしたら、無意識のうちに影響されてる部分もあるかもしれない。自分の演奏そのものというよりはスタイルの幅というか、音楽の聴き方とかが日本に来てから変わってきたのかなと思います。
―そんなふうに日本で演奏する感覚は、アメリカのバークリー音大で演奏してきたときの感覚とはまた違うものですか?
松丸:ぼくはウェイン・ショーター・カルテットのメンバーである、ジョン・パティトゥッチとダニーロ・ペレスのレッスンを3年くらい受けてきたんですけど、そこで培った即興のアプローチは日本のそれとは少し違いますね。
アメリカのミュージシャンはアメリカを中心に考えているから、まずはアメリカの歴史がすべて。ジョン・パティトゥッチのようにアメリカ育ちのミュージシャンの多くは、まずはアメリカの音楽が先にあって、そのルーツとしてのアフリカのリズムなどを参考にしたりしていて。ダニーロ・ペレスは出身国であるパナマのルーツを軸に、アメリカのジャズや世界の音楽を解釈している。
自分は日本人としてのアイデンティティからも、パプアニューギニア出身というアイデンティティからも、そのアメリカ的な文脈に何がなんでも忠誠心を誓うのには個人的に違和感があります。ネガティブな意味はまったくなく、単純にそれが自分のルーツと少し離れているというか。
松丸:でも日本人が「海外」とひと括りにするのと、アメリカ人がアメリカセントリックで考えるのはまったく同じなので、どこにいてもそういう考え方になるんだろうなと。それがルーツなのであればそこに身を置くのが当然のことだと思いますし。とにかくそういう環境で音楽を学んできました。
―日本の即興のアプローチは、アメリカで学んだアプローチと具体的にどんなところが違うのでしょうか?
松丸:日本とアメリカの違い、みたいな広い範囲で語れるほど演奏経験がないので何とも言えないのですが、スタイルとして存在するフリージャズとは別として、いわゆる「フリー」の場面で基盤というか主軸としている内容の違いが大きい気がします。
アメリカの場合、主に米・中南米のアフリカンディアスポラ(註10)とともに発展した音楽、つまり「ブラックミュージック」の歴史と文脈に沿って、もしくはその延長線で演奏することが多く、一方で日本はアフリカンディアスポラとはほぼ無関係なので音楽においてもそれほど強いつながりは感じられません。
もちろんスタイルとしての影響は感じられますが、特に即興においては演奏者が生きた時間や経験してきたものが表に出やすくなるので、アメリカのミュージシャンとは別の独自のものがあると感じています。
山下洋輔トリオ『キアズマ』(1976年)を聴く(Apple Musicはこちら)
―なるほど。そういった日本的なジャズの感覚を相対化できるのは、日本人としてのアイデンティティを持ちながらも、日本というものを外から見て過ごした松丸さんならではの感覚かもしれないですね。日本人の即興には特徴があるんですか?
松丸:いままで即興をメインに共演させていただいた日本のミュージシャンは、それぞれアプローチが異なると同時に共通点も多いです。演奏のなかにカオスと秩序が混在して、それが浮き沈みする感覚を大事しているのはひとつの特徴だと思いますね。
その感覚を大まかな「手法」として用いていることが共通点と言えると思いますし、それは即興演奏の「産物」とも言えるんですけどね。
―面白いですね。その感覚は日本のノイズやエレクトロニカ、アンビエントをはじめ、即興やジャズ以外にも通じるものかもしれないなと思いました。
松丸:まだまだ日本の音楽史に関してとても疎いので言語化するのがとても難しいのですが、日本独自のスタイルといえるものがあるとしたら、数々の即興演奏の繰り返しによって生まれた共通言語とアプローチそのものだと思います。「即興」とひと括りに呼んでしまっているから、そこにユニークな音楽言語が存在するという認識が薄れるのかなと。
オーストラリア出身のマーティ・ホロベックから見た「日本のジャズ」の面白さ
―そしてマーティは、最近ニューアルバムを出したHiatus Kaiyoteも友達だと聞きました。
マーティ:そうだね。オーストラリアでやってたバンド、Sex on Toastでぼくの前にベースを弾いてたのがHiatus Kaiyoteのポール・ベンダー。彼らが有名になる前に一緒に演奏したり、Sex on Toastで対バンツアーをしたこともある。あのバンドはめちゃ素晴らしいし、みんないい人たち。
ぼくはアデレード出身で、ぼくがいたときのアデレードのジャズシーンはビッグバンドとビバップとフュージョンが混ざった感じ。それで大学時代にアラン・ブラウン(メルボルン出身のドラマー)がゲスト講師でやってきたんだけど、彼の演奏にとにかくびっくりした。トラッドジャズとフリージャズが混ざっていて、あんな演奏は聴いたことなかった。
―メルボルンのジャズは、1920年代のトラッドジャズとオーネット・コールマン(フリージャズの先駆けとして知られるサックス奏者)の影響が大きいと石若さんに聞いたことがあります(註11)。
マーティ:そうそう。それでぼくもメルボルンに引っ越して、アラン・ブラウン師匠と一緒に2、3年間くらい勉強したんだけど、その頃にアランを通じて知り合ったのがピアニストのアーロン・チューライ。
彼と演奏するのはディープですごく楽しかった。それでアーロンが日本でも一緒に演奏しようと誘ってくれて、ぼくがメンバーだったThe Lagerphonesもツアーに参加することになった。すっごい楽しい思い出。
―アーロンはメルボルンとニューヨークで音楽活動をしたあと、日本に移住して東京藝術大学に入学し、石若さんが15歳の頃に知り合ったと本人から聞きました(註12)。マーティが日本に来ようと思った理由は何だったんですか?
マーティ:日本のジャズがすごく面白いから。ぼくはアーロンから駿や日本のミュージシャンを紹介してもらった。日本のジャズは(オーストラリアと)近いけど何かが違う。
ぼくからしたらちょっとフリージャズの要素があってオープン。ビバップとフリージャズ、もちろんフュージョンの要素もある(笑)。あとはみんな勉強熱心。すごいレガシーとヒストリーがあるって、アーロンからめっちゃ聞いた。それはすごく大事かもね。
―そういうマーティも、いまの話を含めてオープンな印象がありますけどね。以前、開演前のBGMをマーティが選曲していて、ヒップホップやビートミュージック、インディーロックと幅広いセレクトだったのもそうだし、弦のベースとシンセベースを使い分けているのもそう。SMTKのジャンルに囚われない姿勢はマーティによる部分が大きいのかなって。
マーティが選曲したプレイリストを聴く(Spotifyを開く)
マーティ:うん、そうかもね。いまは小淵沢でレコーディングしていたところ。石橋英子さんや山本達久さんという最高のメンバーとね。ぼくはジャズだけという人とは無理。いろいろなジャンルを聴くし、ジャズのルーツもいろいろな音楽からきてるから。
松丸:わかる。そこら辺は4人とも一致するんじゃないですか。そうじゃなかったら、こんなアルバムつくれないですよ(笑)。
SMTK“Ambitious pt.2(feat. Ross Moody)”を聴く(Apple Musicはこちら)
「ぼくはいつも、東京から生まれてくる音楽であることを意識しています」(石若)
―ここまで「日本のジャズ」についてそれぞれの視点で語ってもらいましたが、SMTKとしては海外の活動にも興味あるんですか?
石若:そうですね、いまは難しくても海外は行きたい。
マーティ:フェス出たいね。
―日本から海外進出を目指すとなったとき、ひと昔前までは欧米のマナーに寄せるのが主流だったけど、いまはグローバルなトレンドにも目配せしつつ、自分たち固有の表現を打ち出したほうが歓迎されるようになってきてますよね。Dos Monosが欧米のトレンドに背を向けながら、海外のレーベルと契約しているように。
細井:そういう意味でも、Dos Monosはぼくらと匂いが似てるのかなって思いますね。自由に好きなことやってる感じも共感します。
山元(CINRA.NET編集部):日本の音楽が海を越えて聴かれるとき、国外のリスナーはどんなところに興味を持つのだろうかってことをよく考えるんです。日本のアニメや電子音楽などが好きなポーター・ロビンソンにまさにそのことを聞いたりして(註13)。
たとえば『ゴジラ』の劇伴で有名な音楽家の伊福部昭さんは「民族の特殊性というものを通過して、共通の人間性に到達しなければならない」という言葉を残しているんですけど、日本に暮らして、日本語を使って生活しているからこそのリズムやグルーヴ、ムードがあって、そういう部分に海外のリスナーは興味を持つかなと個人的に調べているんです。
今回、みなさんに「日本のジャズ」を通じて話を伺ったのは、SMTKのサウンドの独自性の秘密はそういったところにあるのかなと思ったからで。
山元:ただ、その「日本らしさ」を言語化するのは一筋縄ではいかないですし、北海道から沖縄までを「日本」ってひと括りするのは乱暴だとも思うんですけど……
―「日本のジャズ」を言葉で説明するのも難しいしね。
石若:SMTKに関しては、少なくとも音色やフレーズなどでは意識してないですね。日本らしさが自然に出てくることをめざしたいとは思うけど、和楽器をセットに組み込んだらOKというわけでもないだろうし。
松丸:マジでそういうのは違うなって思いますね。
石若:ぼくはいつも、東京から生まれてくる音楽であることを意識しています。ここから生まれる音楽が、自然に聴かれるようになったら嬉しいですね。こういう話はアーロンともよくしてますけど。
―アーロンはこう言ってましたね、「ジャズはアメリカの音楽じゃないですか。でも、ぼくらはアメリカ人じゃないわけだし、アメリカの音楽をそのままやっても意味がないと思う。ジャズをやりながら自分の音楽を出せるという隙間を探していくのが大事」。
松丸:自分の生活とか交流そのものが、音楽にも自然に反映されればいいのかなって。サウンドやテクスチャーを狙ってつくると、何かを真似たものにしかならないような気がする。
石若:最近、長谷川白紙が「Brainfeeder」の配信ライブに出演してたよね。ちゃんと届いてるんだなって思った。きっとFlying Lotusにとって、長谷川白紙の音楽が共感できるものだったんだろうね。
―ThundercatがAnswer to Remember(石若駿によるプロジェクト)をお気に入りと言ってたのと同じようにね。何かノウハウみたいなものがあるのかもしれないけど、それよりは自分らしい音楽をつくり続けるほうが、じつは海外に近づけるんじゃないかって気もします。
石若:うんうん。岡田(拓郎)くんとかも常にそういうことを考えていそう。そこからいろいろ実験して、新しい音楽を生み出し続けてるんだろうし。
石若駿が出会ったROVOのライブでの熱狂。SMTKは「踊れる」ことにどのように向き合っているか?
石若:その話で思い出したけど、三人に伝えたかったことがあって。こないだ『森、道、市場』で3日間いろんなライブを観たんだけどさ。SMTKのみんなでどっかのフェスに行って、ライブを見ながら意見交換したいなって思った。
インストバンドが結構出てて面白かったんだよね。toeの柏倉(隆史)さんのドラムとか、あとROVO(註14)が超カッコよかった。ドラムパーカッションが二人いるのが本当にうまく機能していて、グルーヴのオン / オフみたいなのもすごくて。あれは勉強になった。
マーティ:どっちもいいバンドだね。
―他にはどんなところに刺激を受けたの?
石若:自分の好きなことを本当に好きなようにやってるところ。それにお客さんが熱狂して、みんな踊り狂ってる状況ですかね。
山元:石若さんがROVOの話をしていること自体が意外というか、面白いなと思いました。SMTKにおいて「踊れる」ことについてはどう考えていますか?
石若:別にお客さんが踊ってても踊ってなくても自由ですけど、「踊れー」とか言わなくても勝手に踊ってもらえたら楽しいですよね。SMTKをやってるときに、ドラマーとして踊らせようって気持ちは特にないです。勝手に狂乱してもらえたらいちばん最高。
細井:俺はSMTKの曲を書いてるときも、演奏してるときもめっちゃ踊ってるよ(笑)。
松丸:体が動いてしまうみたいな感覚は大事にはしてるかな。それは踊らせるとかじゃなくて、何かしら体が無意識にでも反応してしまうみたいな。
細井:SMTK、めっちゃ踊れない?
石若:俺たちが客だったら踊るさ、そりゃ。
山元:話をまとめると、「踊るためにはつくられてはいない」って意味で、精神的な部分でもSMTKはダンスミュージックではないってことですよね?
マーティ:精神的にもダンスミュージックじゃん?
―見解が分かれた(笑)。でもさっきの話でいえば、ダンスミュージックには言語や国境の壁を超える力があるし、ジャズには踊るための音楽として発展してきた歴史がある。その一方で、SMTKがクラブジャズみたいな機能性とは別の方向をめざしているのもよくわかる。「踊れる」と「踊らせる」は似てるようでだいぶ違うというか。
松丸:そうそう。わりと全曲、踊れるとは思いますけどね。
石若:“Minna No Uta”で踊ってほしいね。
松丸:どうだろう、あの曲が一番ムズイんじゃないかな(笑)?
SMTK“Minna No Uta”を聴く(Apple Musicはこちら)
編註と参考文献
▼註
1:CINRA.NET「SMTKが鳴らす、ルール破壊の音楽精神 荘子itが嗅ぎ取り、言葉に」より(記事を開く)
2:CUFtURE「若林恵に聞く、テクノロジーとカルチャーで未来の都市を耕すには」より(記事を開く)
3:Real Sound「石若駿率いるSMTKに聞く、バンドの成り立ちや作曲とインプロのバランス 信頼感があるからこそ生まれる自由な音楽」より(外部サイトを開く)
4:『ユリイカ2007年2月号 特集=戦後日本のジャズ文化』において副島輝人は、「日本人のジャズとは」という文章のなかで「ウィーン大学の日本学教授ローランド・ドメニクは『二〇世紀の文化革命で最高の高波は六〇年代新宿文化だった』と断言した。この時、芸術家たちは日本人の生活や、文化伝統の深い部分を組み上げて、自分達の創造がどうあるべきかを真剣に考えていた。良い意味での文化のナショナリズムとでも云うべきものであった」と記したうえで、「日本のフリージャズは単なる形式の追求ではなく、日本のジャズを創ろうとする運動だった」と書いている。
なお、同書収録の大友良英「ジャズなんて古臭いと思っていたのに 昭和三〇年代生まれにとっての戦後ジャズ」には、「日本のフリージャズが、欧米の真似ではない個性的なものになりえたのは、彼等がジャズというものからどう距離をとり、自分たちの音楽をつくれるかを自覚的に考えた結果に他ならない」という記述もある。
5:1965年、寺山修司や唐十郎をはじめとする革新表現者たちが活動の中心地としていた新宿に開館したジャズクラブ。開店当初は、ジャズ喫茶としての営業のほか、アングラ系の演劇やハプニングイベントに場所を提供していたという。1960年代中頃まで日本におけるジャズの中心地は銀座であったが、新宿ピットインの登場をひとつの契機に、ジャズは新宿に移動した(参照:副島輝人『日本フリージャズ史』)
6:不破大輔を中心に結成されたビックバンド。ジャズ、ロック、ラテン、ポップス、フォーク、演歌までが混在する脱ジャンルの音楽性に舞踏、美術、映像、ダンス、照明、音響までもが渾然一体となったステージパフォーマンスで知られ、そのあり方を自ら「トータルアングラ舞台パフォーマンス」と呼んでいる(参照:渋さ知らズオフィシャルサイト)
7:2015年7月7日に他界した、1939年生まれのジャズピアニスト。日本における「エレクトリック・マイルス奏法」の夜明けと位置づけられる『POO-SUN』(1970年)、のちのクラブミュージックにも影響を与えた『ススト』(1981年)などの作品を残す。マイルス・デイヴィスやギル・エヴァンスといったジャズの歴史における重要人物たちとの交流でも知られていた(参照:菊地雅章『POO-SUN』、『ススト』作品説明)
8:1949年、栃木県足利市出身のピアニスト・作曲家。国立音大在学中より演奏活動をはじめ、渡辺貞夫クインテットでプロデビューを果たす。日野皓正クインテットなどへの参加でも知られる(参照:板橋文夫オフィシャルサイト)
9:OTOTOY「サックス奏者・松丸契は「言葉」を音で表現する──『Nothing Unspoken Under The Sun』」より(外部サイトを開く)
10:大西洋奴隷貿易を通して北米・中南米へ連れられてきたアフリカの先住民やアフリカ出身者の離散と移動、またその子孫が集まった世界的なコミュニティーのこと
11:Rolling Stone Japan「石若駿はさらなる地平へ、新世代のリーダーを引き受ける覚悟と今思うこと」より(外部サイトを開く)
12:Mikiki「パプアニューギニアからメルボルン~NY、東京へ―5lackから石若駿まで魅了する、アーロン・チューライのユニークすぎる半生」より(外部サイトを開く)
13:ポーター・ロビンソンは自身の好きな音楽の共通点について「何かを切望する気持ちや、希望、憂い、喜び、悲しみ、生、死がすべてひとつにまとまっているようなフィーリング——高木正勝さんの音楽と日本のエレクトロニックミュージック、ボーカロイド音楽、アニメソングのあいだに表現されているような感情を言い表すならこういうことかなと思います」と語った−−CINRA.NET「アニメに電子音楽 日本のカルチャーとポーター・ロビンソンの蜜月」より(記事を開く)
14:前述の『ユリイカ』のなかで「ジャズを踏み台に更なる即興音楽へ飛翔しようとする」と副島輝人に評された勝井祐二、1986年~2001年のあいだBOREDOMSに参加していた山本精一を中心に、「何か宇宙っぽい、でっかい音楽をやろう」ということで結成されたバンド
▼参考文献
『ユリイカ2007年2月号 特集=戦後日本のジャズ文化』(2007年、青土社)(サイトで見る)副島輝人『日本フリージャズ史』(2002年、青土社)(サイトで見る)
- リリース情報
-
- SMTK
『SIREN PROPAGANDA』 -
2021年7月14日(水)発売
価格:2,200円(税抜)
APLS21071. Headhunters(feat. Dos Monos)
2. マルデシカク(feat. TaiTan)
3. Diablo(feat. 没 a.k.a NGS)
4. Genkai Mentaiko
5. Minna No Uta
6. Ambitious pt.1(feat. Ross Moody)
7. Ambitious pt.2(feat. Ross Moody)
8. Love Has No Sound
- SMTK
- プロフィール
-
- SMTK (エスエムティーケー)
-
ドラマーの石若駿が自身の同世代のミュージシャン達を集め結成したバンド。2018年8月に初ライブを行う。最初のライブはドラムの石若駿、ギターの細井徳太郎、ベースのマーティ・ホロベックの3人で行われる。同年10月、新宿ピットインでのライブにてサックスの松丸契が参加、以後現在の編成となる。2019年には『東京ジャズ』や『TOKYO LAB』といったイベントにも出演。2021年7月、2ndアルバム『SIREN PROPAGANDA』をリリースした。
- フィードバック 2
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-