音楽フェスの飲食といえば、屋台が並んでいる光景が通例だろう。しかし、昨年石巻で開催された『Reborn-Art Festival × ap bank fes 2016』は、まったく違った。
今回取材に応じてくれたのは、『Reborn-Art Festival × ap bank fes 2016』、および2017年から本祭としてスタートする『Reborn-Art Festival』のトータルフードコーディネーターを務める目黒浩敬と、開催場所である石巻にて日頃から活動し、本祭にも関わる料理人・松本圭介と今村正輝。
「料理人もアーティストである」と語る彼らは、51日間開催される総合祭に、アートや音楽と並んで関わる意義をどのように考えているのだろうか? 忙しない日々のなかで、慌ただしく食事をする現代人に、石巻の食材と彼らの料理が身体の芯にまで伝えてくれることとは?
感受性が豊かでなければ、人の心を動かせるような料理は作れないんですよ。(目黒)
―まず、「食」を主軸に活動されている目黒さんが、『Reborn-Art Festival』(以下、『RAF』)という芸術祭に関わることになった経緯からお聞かせいただけますか?
目黒:もともと、仙台で「AL FIORE」というイタリア料理店をやっていたんですけど、『RAF』の実行委員長である小林(武史)さんは、そこのお客様だったんです。
僕は、震災後の半年間、店を閉めて炊き出しをやっているなかでいろんなことを考えて、結局、2015年にお店を閉めて農園を拓いたんですね。小林さんは農園にも来てくれて、畑を見ながら「石巻で芸術祭をやるから手伝ってよ」と。そこから模索が始まりました。
―小林さんからお話をもらったとき、アートや音楽と交わる意義を、目黒さんとしてはどのように考えたのでしょう?
目黒:あんまりジャンルというのは気にしていなくて。僕は昔から、お料理を作る人もアーティストでなきゃいけないと思ってるんです。作品の表現方法が、音楽だったり、芸術だったり、絵だったり、お皿だったり、お料理だったりするだけで……どれもアートで、同じ「作品」として並列だと思っています。だって、お料理を作るうえでインスパイアされるものは、食材とか環境だけではないですから。
―それは音楽だったり芸術だったり、ということですか?
目黒:お料理を作っている最中にノっているリズムって、音楽なんですよ。ノッてこないと動けない。なので、僕はよく新しく入ってくる子にスキップさせるんです。リズム感がない子は、基本ダメですから。
今村:そうですね、たしかに。
目黒:あとやっぱり、絵を見て素晴らしいと思ったり、映画を観て感動したり、そういう感受性が豊かでなければ、人の心を動かせるような料理は作れないんですよ。だから僕は、新しいスタッフに料理は教えないけど(笑)、人としてのところは言う。
松本:たしかに、技術はやっていればつきますからね。気持ちがあることが最優先ですよね。
目黒:それは、アートも音楽も、全部一緒なんじゃないですかね。楽器を弾く技術がすごく上手だったとしても、人がグッと引き込まれる音楽って、また違うじゃないですか。
―普段CINRA.NETでは、音楽やアートの表現者の方の取材をさせてもらうことが多いのですが、その通りだと思います。
目黒:今回、「トータルコーディネーター」という役割を引き受けることになってから、どんな飲食店が石巻にあるのかを知るために、たくさんのお店に食べに行ったんですね。実際、外食が嫌になるくらい食べ歩きました。そんななかで、結局、声をかけるかどうかの決め手になったのは、お料理から見える「人柄」なんです。
お料理って、人を隠せないんですよ。人柄は、お料理を食べればすぐにわかる。本祭に向けて協力していただきたいという気持ちになって、ご縁をいただいたのが、今村さんや松本さんや、他にもたくさんいる方たちで。今村さんは、最初から知っている人みたいな感じがしましたし(笑)。
今村:最初、「お久しぶりです」って言いましたよね、会ったことないのに(笑)。
―料理に人柄が出るっていうのは、面白いですね。料理の良し悪しは、単純に「美味しい」だけではない。
目黒:そうです。もののクオリティーだけではないんですよ。そこから感じる雰囲気というか。音楽とかアートの世界でも一緒だと思いますけど、作品って、素直に表現するものですよね。偽ってなにかを作る人はいない。だから、その人の世界観が、そのまま表現されるんです。
僕は、最初に目黒さんからお話を伺ったとき、「循環」というテーマに強く共感しました。(松本)
―料理も音楽もアートも「表現」や「作品」であると捉えていらっしゃるうえで、『RAF』のイベントコンセプトにも共感する部分が大きかったのでしょうか?
松本:僕は、最初に目黒さんからお話を伺ったとき、「循環」というテーマに強く共感しました。僕らは料理人という立場で、料理というもので、なにを循環させられるのか……。
一言に「循環」と言っても、いろんな「循環」があると思うんですけど、そのワードを自分のなかで咀嚼して飲み込むことができたら、自分自身の料理人としてのビジョンが、よりはっきり見えてくるんじゃないかなって考えたんです。
目黒:「循環」って、一地点ではないですよね。ひとつの瞬間だけのことではなくて、ひとつの瞬間がずっと度重なっていって、それが100年、200年、そして1000年と続いていく。それに、自然には、いろんな「循環」があります。人も生まれて死にますし、生き物って、全部「循環」じゃないですか。
―そうですね。
目黒:石巻で芸術祭として『RAF』を進めていくってなったときに、小林さんが一番に考えていることは、「1回バンっとやって終わり」ではなくて、これをきっかけにして、ゆくゆくの「循環」になっていけば、ということなんです。そこで自分が思う「循環」の0地点が、地元の人たちと、いろんな情報やスキルを持っている都心部の人たちを結び付けようということで。
幸いにも僕は、県外にも繋がりのあるシェフが多くいます。そういったシェフたちを呼んで来て、石巻の人たちとぶつけようとしました。でも、ただぶつけても面白くないので、共同で作業できるようなシステムを組み込んでいこうと。
―その試みの第一弾が、昨年のプレイベント『Reborn-Art Festival × ap bank fes 2016』の会場に出現した「Reborn-Art DINING」だったと。会場に仮設のレストランがオープンし、全国の一流のシェフたちと松本さんや今村さんなど石巻の方々が一丸となって、ランチは2,800円のプレート、ディナーは6,000円のコースが振る舞われました。
会場内に建てられたレストラン「Reborn-Art DINING」
ランチプレート。「塩昆布を纏った石巻産スズキのキュイソン・ナクレと、鮮魚とハーブのタルタル」(真ん中)は松本、「夏野菜と魚介を乗せたとうもろこしの宝船」(右)は今村によるもの
目黒:お昼は石巻チームで、夜は県外チームでメニューを考えたんですけど、「お昼はお昼、夜は夜」で作業を分けるのではなく、有名なシェフたちばかりの夜のチームに「お昼のあいだは石巻チームをサポートしてもらいたい」とお願いしました。逆も一緒です。まあ、そういうふうになったのは、「この提供数に対して、こんなメニューにしちゃうの!?」っていう感じのメニューの組み方をしたからなんですけど(笑)。
松本:いざ1300食分の作業に入ってみたら、想像していた以上にとんでもないことをしようとしていたんだと気づいて、「おや!?」っていう(笑)。でも逆に、想像できてなくてよかったんですよね。想像できていたら、クオリティーを下げたメニューを考えていたと思うから。オペレーション重視になっていたかもしれないし。
目黒:オペレーション重視で回したら、来てくれる人たちに熱い思いがちゃんと伝わらなくなる。それにやっぱり、「これ、二度とやらないよね」っていうぐらい大変なことをやっていくことに、面白さがあるんですよ。
松本:「循環」という言葉で言うと、この先も「拡げる作業」というよりは、「繋がったものを太くしていく作業」をしていきたいですね。『RAF』に、僕らが楽しく、かっこよく参加することで、地元の若い子たちが県外にだけ目を向けるのではなく、「石巻にもおもしろい大人がいるな」と思ってくれたら嬉しい。
そうやって地元愛ができて、またそこに目黒さんのようなメディアにも取り上げられている料理人であり醸造家の方や、東京のシェフが来てくれることで、「石巻にいてもこれだけいろんな経験ができるんだ。面白い街じゃん、石巻」って思ってほしい。そう思ってもらえないと、石巻がこれから面白くなっていかないと思うんですよ。
石巻に入ってから、生産者の顔の見えるところで料理を作ったり勉強したいという思いに変わったんです。(今村)
―そもそも、松本さんも今村さんも、東北出身ではないですよね? 今、石巻を拠点に活動している理由をお伺いしてもいいですか?
今村:自分は、千葉の松戸が出身で、震災後にボランティアで石巻に来たのがきっかけです。2011年の5月頭にきて、本当は2週間ぐらいだけの予定だったんですけど。5月って、まだみんな体育館にいるような状況で……帰れなかったんですよね。
千葉とかはもう生活できるようになっていたんですけど、同じ日本で、こっちの人はこんなことになっているのかって思っちゃうと……千葉で就職も決まってたけど、就職はいつでもできるしと思って、辞めました。それで結局、2年間ボランティア活動をしていたんです。
―当時石巻に来たのは、料理をメインにしたボランティアが目的だったんですか?
今村:いや、そうではないですね。当時、男性は全員スコップを持って泥かきをやっているような状況だったので。2011年の夏過ぎから、電気工事士や、解体屋、塗装屋とかと「店舗再生班」を組んで、「お店を再開したい」という人たちの店舗の再生をお手伝いするようになりました。
そうしていくうちに、こっちの酒屋さん、肉屋さん、魚屋さん、さらに漁師さんや農家さんと繋がっていって。こういう生産者の顔の見えるところで、僕は料理を作ったり勉強したいっていう思いにどんどんと変わっていったんです。それで最後に、一緒にやってきた店舗再生班に自分からお願いして、自分の店を作ってもらいました。だからここは、想いのこもったお店だし、潰すわけにはいかないんです。
―松本さんは、いかがですか?
松本:僕は、茨城出身で、石巻に入ったのは震災から2年後です。当時、東京のイタリア料理屋を辞めて、ファミレスのメニュー開発のお仕事をやっていたんですけど、石巻の水産加工会社の立ち上げを手伝ってくれないかと話をもらったのがきっかけで。
こっちに時々来るようになって、漁師さんや農家さんや仲卸さんと会うきっかけがあったり、市場を見せてもらったりしているうちに、東京で働いていたときに思っていた「生産者さんともっと近くで飲食店をできないかな」という気持ちがまた自分のなかに出てきたんです。それで、「こっちで飲食店をやればいいんじゃないかな」と。東京って、便利だからこそできないことがあるじゃないですか。
―そうですね、たくさんあると思います。
松本:たとえば、農家さんと知り合うきっかけがあっても、なかなか頻繁に会いに行けなかったりする。しかも東京には、石巻の食材って、「三陸産」で入ってくることが多いんですよね。たとえば築地とかに仕入れに行っても、「石巻産」と札に書いてあることはあんまりなくて。でも実は、博多明太子の原料のタラコは、7割が石巻産のタラのタラコだったり、アナゴも水揚げ量は日本で常に3位までには入っていたりするんですよ。
特産が特産としてあるというのは、それをあえて作為的に作ってしまっているということ。(目黒)
―たしかに、「石巻の名産物ってなに?」と聞かれても、正直あまりパッと思い浮かばないです。
松本:僕もお店を始めるにあたって、「石巻といえばこれだ!」って、外から来た人に見せられるものはなんだろう? って結構考えたし、いろいろ探したんですよ。でも、なくて。逆に言うと、石巻だけで、魚は200種類以上あがるし、宮城県と括ればお米もある。
今村:メインのものが決められないぐらい獲れすぎるんですよね、石巻は。
松本:そう。でも、それでいいんじゃないかと思ったんですよ。つまり、「石巻に行けばなんか美味いもんが食べられる!」っていう方向性でいい。スペインのサン・セバスチャンのバル街みたいに、お店をはしごしてもらえる街になればいいですよね。食材の資源はいっぱいあるわけだから。世界中から石巻に、食の街として食べに来てくれればいいなって。
今村:それは本当、まったくその通りだと思います。それは、自分たち世代がやっていって、若い子たちがさらに活性化させていってくれればいいですよね。
目黒:「特産」って、街単位で作っていくものなんですよ。つまり、特産が特産としてあるというのは、それをあえて作為的に作ってしまっているということ。東北の人たちって、基本的に、自分たちから発信するのが苦手なんですよね。だから、「東北産」というものをあまり聞かないんです。でも、そういう場所だからこそ、面白味とか、変わらないものがたくさん残っている。
―そもそもなぜ、海のものも、お米も、肉類も野菜も、美味しく育つことができるんですか?
目黒:三陸は、暖流と寒流がぶつかる場所だったり、わりと温暖な場所だったりして、気候的な面で恵まれている条件だというのはありますね。それは海だけではなくて、山とかの資源もそうだと思うんですよね。
松本:そこも「循環」的なところですよね。海がいいということは、そこに降る雨がよくて、大地がよくて、流れてくる川がよくて、海がいいっていう流れなんだと思います。
今村:海藻とか、養殖が盛んなのも、ミネラルのおかげですよね。万石浦なんて、世界の種ガキの8割くらいはルーツが万石浦だと言われていますから。
現状は、鹿を「有害獣として撃ってください」というお願いがあって、そのほとんどが埋められている。(目黒)
目黒:あと、今もうひとつ注目しているのが、鹿。今、石巻の牡鹿半島には鹿がたくさん生息しているんです。5月くらいの新緑の季節になると、鹿たちは若葉を全部食べちゃうんですね。そうすると木が育たず、はげ山になっちゃうので、三陸の養殖ができるところに流れてくるミネラルが圧倒的に減って、豊かな漁場として残らない可能性が出てくる。
僕らは先人の恩恵で、豊かな環境のなかで生かさせてもらっているので、それを絶やすのではなく、「循環」させることに、今一生懸命トライしているんです。その取り組みのひとつとして、鹿の解体処理場を立ち上げようとしています。
―解体処理された鹿は、どうするんですか?
目黒:全国に向けて、食肉として発信していこうっていうのが、まず第一です。第二段階は、皮や骨など、余ったところを加工して販売していこうということですね。
現状は、「年間1000頭処理してください」とか「有害獣として撃ってください」というお願いが行政から猟友会にあって、そのほとんどが埋められている。でも、尊い命を、単に数を精査していくわけでなく、本当に美味しいんだから、ちゃんと食材として活用したり、クラフト製品として再生したりしながら、無駄に命を絶つのではなく循環させていくべきだと思うんです。
松本:石巻のハンターさんが獲った鹿が、今までの料理人人生のなかで一番と思うぐらい、本当に美味しいんですよ。
人間力というものが、もう1回見つめ直されるべきタイミングなのかなって思う。(松本)
―目黒さんは「料理人は、料理を作ることだけが仕事ではなく、正しい食を伝えることが大事」と、以前インタビューでおっしゃっていましたが、松本さんや今村さんにもそういう意識がありますか?
松本:僕はもっと、食べる方に、人に語れるような食の楽しみ方をしてもらえればいいなって思うんです。たとえば、鹿のハンターさん自身がキッチンで調理して、お客様に持っていって、「この鹿はね……」って言っているようにストーリーが伝わるお皿を作りたい。その食事の背景にある大変さとか、生産者がなにに喜びとプライドを持って食材を作っているのかというところを、お客様に伝えられるようなことをやっていきたいんです。
それに加えて、「命をいただくということには最低限のルールがあって、それを守っていかなければ、命のバトンタッチをしてはいけないんだよ」ということも伝えていきたい。そういうメッセージを、料理のお皿のなかで表現できるような料理人になりたいなと思いますね。
―去年のプレイベントで食事をいただいているときも考えていたんですけど、東京で忙しくせわしなく生きていると、食事も……。
目黒:簡素になってきますよね。
―そうなんです。パッと食べられるファストフードとかコンビニで済ませちゃうことが多い。
目黒:僕もたまに行きますよ。でも、心は満たされないですよね。どんどん荒んでいきますよ。
―そう、心の余裕がなくなるということにも繋がるんだろうなと思って。
松本:そうですね。忙しいなかだと仕方がないと思いますし、パッと食べられる食事も、日本の食事文化のなかで成立しているものだとは思います。ただ、それが続いてしまうと、どんどんと自分自身の荒みみたいなものが見えてくる。どこかで、落ち着いて「いただきます」から始まって「ごちそうさまでした」で終わるような食事ができたほうがいいですよね。
―一人ひとりの生き方や心の持ち方、人間力において、「食事」というのは、日々の「循環」の大事な役目を担っているというか。
松本:そうだと思います。結局、日本だけではなく、世界がそうなんですけど、「人間力」がなんでも作ってきたわけじゃないですか。今の便利な社会もそう。
でも、ここからまた、人間の力で変えていかなきゃいけないものが結構あると思う。人間力というものが、もう1回見つめ直されるべきタイミングなのかなって思うんです。たとえば、日本で年間に廃棄されている食材の量が1900万トンって、想像できないですよね。
―1900万トン……。
松本:でも、それも人間力で変えていける。それこそ僕らみたいな料理人が、大きなことではなくても、自分でできることを精一杯やって、それぞれで広がっていけば、結果的に大きなものになっていくと思うんですよ。
今村:石巻の人のいいところは、去年のプレイベントでも、「ちょっと手伝ってくれない?」って声をかけたら、20人くらいとうもろこしを剥くのを手伝いに来てくれたり、お皿を洗ってくれたりするんです。みんな、誰かがなにかを達成したいんだって言ったら、見返りを求めずに、すぐ来てくれるんですよ。
それはやっぱり、震災や津波が起きたことで、偉い人もお金持ちも1回リセットされたし、お互い助け合って生きていかなければっていうことを、みんなが経験しているからだと思う。
―それこそ、都心部などで忙しなく、合理性を追求して生きている人たちから削ぎ落とされてしまっている「人間力」かもしれませんね。
目黒:『RAF』自体、「育む」ということがコンテンツについていて、その本領が発揮されるのは、今年の本祭に繋がっていってこそだと思います。本祭では、地元のお母さんと食堂をやったり、荻浜のビーチでレストランをやったり、いろんなコンテンツが派生していく予定です。
あと、ワークショップもやろうとしています。どういう感じでやるかはまだ決まっていないけど、小野寺(望)さんというハンターさんがすごく面白い人なので、その人と歩くだけでもワークショップになると思いますね。
今村:楽しそうですよね。芸術祭は僕も好きで、各地に行ったりしているんですけど、結局、食べたり飲んだりするところは自分で調べていかなきゃいけないじゃないですか。それでいろいろまわるのも面白いですけど、芸術祭のなかにレストランがあって、そこに地元や東京の名だたるシェフたちが来ていて、さらに音楽が聴けるなんて……最高ですよね。
- イベント情報
-
- 『Reborn-Art Festival』
-
2017年7月22日(土)~9月10日(日)
会場:宮城県 石巻市(牡鹿半島、市内中心部)、松島湾(塩竈市、東松島市、松島町)、女川町
参加作家:
ヨーゼフ・ボイス
JR
金氏徹平
マイク・ケリー
パルコキノシタ
クー・ジュンガ
ギャレス・ムーア
名和晃平
カールステン・ニコライ
ナムジュン・パイク
マーク・クイン
齋藤陽道
さわひらき
島袋道浩
ルドルフ・シュタイナー
鈴木康広
ヨタ
宮島達男
ハスラー・アキラ
カールステン・ニコライ
Chim↑Pom
コンタクトゴンゾ
デビッド・ハモンズ
有馬かおる
岩井優
目
青木陵子+伊藤存
増田セバスチャン
SIDECORE
八木隆行
ファブリス・イベール
バリー・マッギー
宮永愛子
田口行弘
カオス*ラウンジ
参加シェフ・生産者:
渡邉篤史(ISOLA)
岩永歩(LE SUCRÉ-COEUR)
楠田裕彦(METZGEREI KUSUDA)
目黒浩敬(AL FIORE)
手島純也(オテル・ド・ヨシノ)
小林寛司(villa AiDA)
藤巻一臣(サローネグループ)
松本圭介(OSPITALITA DA HORI-NO)
今村正輝(四季彩食 いまむら)
奥田政行(アル・ケッチァーノ)
緒方稔(nacrée)
小野寺望(イブキアントール)
堀野真一(OSPITALITA DA HORI-NO)
生江史伸(L'Effervescence)
石井真介(Sincére)
今村太一(シェフズガーデン エコファームアサノ GOEN)
佐藤達矢(nacrée)
安齊朋大(La Selvatica)
成瀬正憲(日知舎)
川手寛康(Florilèges)
菊池博文(もうひとつのdaidokoro)
ジェローム・ワーグ(RichSoil &Co.)
原川慎一郎(RichSoil &Co.)
- プロフィール
-
- 目黒浩敬 (めぐろ ひろたか)
-
Reborn-Art Festival フードディレクター。AL FIORE(宮城) / 代表。1978年、福島県新地町生まれ。宮城県川崎町在住。2005年に仙台でイタリア料理店「AL FIORE」を開店。同時に食を考えるきっかけ作りとして、数々の食育活動や野外でのワークショップなどを全国で開催。もっと深く食の根源から見つめ直したいとの思いから、就農のため2015年をもって閉店。現在は、ワインづくりのための葡萄栽培をはじめ、自然の中で楽しみながら、食や自然に対して気づきの場になるコミュニティづくりに励んでいる。
- 松本圭介 (まつもと けいすけ)
-
OSPITALITA DA HORI-NO(石巻) / 料理長。1979年、茨城県生まれ。イタリアマエストロの称号を持つ石崎幸雄のもと、リストランテ・ジャルディーノでイタリア料理を学ぶ。2012年に震災後の仕事で石巻に訪れた際に、石巻の食材や環境、様々な魅力に惹かれ、2015年7月に「OSPITALITA DA HORI-NO」を開店。
- 今村正輝 (いまむら まさてる)
-
四季彩食 いまむら(石巻) / 料理人。1981年、千葉県生まれ。大学卒業後、世界中を旅して周り、多くの経験と人に出会う。那須や東京で和食の修行をした後、震災のボランティアとして石巻に移住。そこで知り合ったボランティアの仲間たちと2013年4月に「四季彩食 いまむら」開店。
- フィードバック 0
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-