東京都写真美術館で開催中の『山崎博 計画と偶然』展は、1960年代から「時間と光」をテーマに作品を発表してきた山崎博の仕事をたどる展覧会です。フレームのなかで太陽が描く光の軌跡を計算して撮る、水平線と空だけのもっともプリミティブな構図で撮る、などの厳密なルールを定めて写真に収める作家の姿勢は、実験を積み重ねて世界の真理に至る科学者や数学者のストイックさを感じさせます。しかし、はたしてそれだけが魅力と言えるのでしょうか?
今回の展覧会探訪は『メンズノンノ』の専属モデル、高橋義明さんをお招きしました。学生時代は建築を学び、今も作家活動を続ける高橋さんは、山崎作品に「体温のようなものを感じる」と言います。クール&モダンだけではない、山崎博の世界に迫っていきましょう。
「70年代は大好きなんです。時代の勢いを作家本人が体現していて、エネルギーに溢れていた」
45年以上のキャリアを持つ山崎博。その制作の流れを総ざらいする回顧展である本展は、1960年代後半の「カメラマン」としての作家像を振り返るところからスタートします。
太陽や海を被写体にしてきた山崎ですが、意外なことに最初は劇作家の寺山修司、ジャズピアニストの山下洋輔など、前衛芸術に関わる人々を撮影することから、本格的に写真に関わりを持ち始めたそうです。
高橋:僕は武蔵野美術大学の建築学科の卒業生なのですが、じつはほぼ同時期に山崎さんは映像学科の教授をなさっていたんですよ。直接教えてもらったりすることはなかったのですが、人物や作品はなんとなく知っていました。でも、若い頃はこんな仕事をしていたんですね。
山崎が主に関わっていたのは、現代美術の専門誌『美術手帖』などでのアーティスト取材。舞踏の創始者である土方巽、アートだけでなく漫画や小説の世界でも活躍した赤瀬川原平など、そうそうたる表現者を撮影しています。これにはちょっとした理由がありました。
日本大学芸術学部に在学していた山崎は、寺山修司が主宰した伝説のアングラ劇団「天井桟敷」に舞台監督と在籍していました。それが縁で、寺山と関わりのある人々にカメラを向けるチャンスを得たわけです。
高橋:僕も舞台美術のデザインをしたことがあるので、ぐっと親近感が湧いてきました。しかも1970年代のスターたちのすぐそばに山崎さんがいたことに個人的に興奮しますね。
とにかく70年代が大好きなんです。当時は美術にもデザインにも、そして建築にも次々と新しいものが登場して、エネルギーに溢れていたと思う。岡本太郎や丹下健三のような芸術文化の人たちが普通にテレビを中心とするマスメディアに登場して、広く認知されていた。
今だって注目を集めるアーティストはいますが、時代の勢いを作家本人が体現するような存在はなかなか生まれにくいですよね。だから、とてもまぶしく感じるんです。
『土方巽』「EARLY WORKS」 1969年 東京都写真美術館蔵
「作品はすごいストイック。人と違うことをやろう、という野心も感じる」
そんな熱い時代と並走していた山崎ですが、70年代に入った頃から次第に仕事としての写真から距離を置くようになり、1975年前後にはほとんどの雑誌からの依頼の仕事を手放したといいます。そして、本格的な作家活動に専念していきます。
74年に撮影された「OBSERVATION 観測概念」は、初期を代表するシリーズです。山崎が当時住んでいた調布市内の自宅窓から撮影したこの一枚は、長時間露光で夜の風景をとらえています。
向かいにはアパートとおぼしき建物。空には左右にぐーっと伸びる星の軌跡。そしてひときわ目立つのが、作家自身の右手です。まるで宇宙人のように手のひらが輝いているのは、ストロボによる意図的な効果でしょう。これ以降、山崎は同じ自宅の窓から、同じ風景を、同じ長時間露光の手法で撮影し続けるシリーズを展開していきました。
「OBSERVATION 観測概念」より 1974年 東京都写真美術館蔵
「OBSERVATION 観測概念」より 1974年 東京都写真美術館蔵
晴れの昼間も、雪の日も、撮影の習慣はひたすら続きます。撮影手法も次第に多様化し、長時間露光で太陽の軌跡を強調したり、窓から見える空や街並みを細かくパーツに分けて撮影し、ネガを並べると一枚の風景として成立する作品を作ったり。それはまるで、一つの場所でどれだけの表現ができるか挑戦する、写真の実験室のようでもあります。
高橋:すごいストイックですよね。同時に、人と違うことをやろうという、若者らしい野心も感じます。自分の手を写真の前に挿し出しているのも「俺はここにいるぞ!」と訴えているような気が僕にはします。
「作品を実現するための手法と計画はストイックだけど、必ずどこかにユーモアがある」
同じモチーフを反復的に被写体にし、そこからさまざまなバリエーションを展開させていく。この手法は、以降の作家のキャラクターを決定づけるものになりました。
1970年代後半から80年代後半まで展開された「HELIOGRAPHY」は、その代表的なシリーズです。与えられた風景を、どのように撮るかということに興味を惹かれた山崎は、伊豆や房総の海辺に出かけては海の向こうからのぼる日の出や、海に沈んでいく日の入りを撮影するようになります。
NDフィルターと呼ばれる特殊なレンズフィルターをレンズに装着することで、カメラに入る光の強さを極端に抑えて明るい日中でも長時間露光が可能になります。そして山崎の実験欲は再び加速していきます。
『4/2/1978 6:40-8:25 at KUJUKURI』、「HELIOGRAPHY」より 1978年 東京都写真美術館蔵
『23/1/1978 6:51-10:25 at OMAEZAKI』、「HELIOGRAPHY」より 1978年 東京都写真美術館蔵
通常はゆるやかな曲線を描く太陽の軌道に対して、カメラ自体を故意に動かすことで海と水平に太陽が動いたように見える「海をまねる太陽」。カメラの構造を利用して現実にはありえない風景を生み出す手法は、粘土をこねてかたちを生み出す、彫刻の感覚に近いかもしれません。
高橋:茶目っ気のあるタイトルもいいですよね。太陽のシリーズの次に、水平線と海だけを撮影するシリーズがありますけど、そのタイトルも「水平線採集」。ストレートだし、海岸に水平線採集へ向かう山崎さんの姿を想像すると心が温かくなります。作品を実現するための手法と計画はとてもストイックだけど、必ずどこかにユーモアがありますね。
写真フレームのセンターラインにちょうど水平線が重なることをルールに定めた「水平線採集」について、山崎は「それ以外の構図が取れなくなってしまう」と述べています。そうすることで、正確に上下が二分割されただけのプリミティブな構図が実現する同シリーズは、やがてモノクロからカラーへと移行していきます。するとそこには、山崎の「計画」を超えたもの、「偶然」が写り始めます。
高橋:90年代以降のカラー作品が目に飛び込んできた瞬間、風が吹いてくるような感じがしました。すごくきれいだし、丘を登ったときのような気持ち良さがあります。写真をよーく見ると、水平線のところに不思議な点線が見えますね。現像作業時の跡のようにも見えるし、船か何かの軌跡のようにも見える。
おそらくこれは山崎さんも意図していなかったものじゃないかな。想像もしないものが作品に現れたときって、作り手にとって最高に興奮する一瞬なんですよ。
「水平線採集」より 1994年 作家蔵 / 高橋が指摘した水平線のところに不思議な点線が見える
80年代以降のある時期から、山崎作品は偶然の出来事を歓迎する柔軟さを見せ始める
山崎の初期の写真作品シリーズを知るうえで重要な、79年制作の実験映画『HERIOGRAPHY』ほか2作品を鑑賞し、次は1982年から83年にかけて発表された「WALKING WORKS」の前にやってきました。48点という大ボリュームで構成された同作の特徴は、ある岬を目指して歩きながら「風景が変わるたびに」シャッターを切る、というコンセプトにあります。
たしかに、右から画面中央へとせり出した特徴的な形状の岬は、ほとんどの写真でほぼ同じ位置に収まっています。途中、地形に遮られて岬が見えなくなることはあるものの、同じ方向にカメラを向けて歩くというルールは厳守されます。しかし例外もあるのです。
高橋:道の向こうから、花売りの女性たちがやって来てすれ違うときだけ、おもいっきりカメラを動かしてますね。しかも、彼女たちが落としていった花に気づいて、地面にレンズを向けちゃったりもしている(笑)。
もしも僕が山崎さんと同じようにこの場所を歩いていたら、自然とこのように景色を見ているように思います。素直な反応がとっても人間らしくて素敵です。最初のコンセプトに忠実に進めていく作品のきめ細やかさも好きですけど、自分の驚きを自然に取り込んでいくような柔らかさに惹かれます。
たしかに70年代までの、コンセプトに作品が厳密に主導される流れは、80年代以降のある時期から、むしろ偶然の出来事を歓迎する柔軟さを見せ始めます。
高橋:「WALKING WORKS」自体が、何メートル進んだらシャッターを切る、みたいな厳密なルールにはしていませんしね。こういった回顧展は、作家の興味や意識の変遷も見ることができて楽しいです。
「WALKING WORKS」展示風景 作品のコンセプトをそのままに反映した展示配置
高橋:でも、デビュー作の「OBSERVATION 観測概念」の時点で、すでに山崎さんの意思や体温を感じました。写真に写された手のひらの「俺はここにいるぞ!」という主張の背景には、自分の芸術を追求したいと願う、若者らしいモヤモヤがある。
狭い部屋に暮らして、そこから見える風景に自分の表現を賭けようとするだなんて、すごくアツイじゃないですか。僕自身、いままさにアーティストとして生きる可能性を探っている最中なので、山崎さんの生き方に妙に感情移入しています。この展覧会は、まるで山崎さんと一緒に歩んでいるような気にさせてくれますね。
「僕はけっこうガンコな性格なので、山崎さんから『それでいいんだよ!』と背中を押してもらえたような気がする」
高橋さんは現在27歳。山崎博は1946年生まれですから、自身にとって最初の作品と呼べるものを作った73年に、ちょうど27歳を迎えたことになります。時を超えた同い年の2人のアーティストのあいだには不思議な共感が結ばれつつあるようです。
高橋:じつを言うと、僕がモデルの世界に飛び込んだ理由は、多くの人に美術に触れる機会を持って欲しいと思ったから。「え、なんで?」と思う方も多いかもしれないですが、「こんな面白い世界があるよ!」「こんなに才能のある友人・知人がいるんだよ!」と発信する役割をモデルとして果たすことで、アートシーンを活性化できるんじゃないかと考えたんです。
そんな考えを持ったきっかけは2011年の東日本大震災でした。大学在学中に震災を経験した高橋さんは「(建築家として)なにもできない」ことに衝撃を受けたといいます。
高橋:震災以降、多くの建築家が被災地でさまざまなプロジェクトを立ち上げましたが、未曾有の震災を体験して、すべての建築家は当時大きな岐路に立たされていたと思うんです。多くの人が亡くなった土地に、何かを「建てる」ことには倫理的な問題が生じます。
それ以前に、建築には法律、経済、スピード感など多くの問題が必ず立ちあらわれてくる。どんなに自分たちが素晴らしい建築を作ろうと願っても、さらに上部にある構造で多くのことは決められてしまう。そう考えると、現在の日本の状況を考えると、建築の枠内でできることはあまりにも少なく、狭いと感じたんです。
そこで高橋さんが選んだのが、モデルになるという選択でした。ある種のスポークスマンとして、建築に関わる人々、芸術活動に打ち込む人たちを社会に発信していくこと。それが、自分なりの建築との向き合い方だったのです。
高橋:すごく難しいですけどね(苦笑)。でも建築や美術といった分野の枠組みが、溶けて混ざり合う時代に僕はしていきたいです。去年から今年にかけては、自分の作家活動についても考えたいと思って、葛西に「EFAG(イーストファクトリーアートギャラリー)」という共同アトリエ兼ギャラリースペースをオープンしました。もうすぐグループ展も開催します。
僕もみんなと同じように不安や葛藤がありますが、今日は山崎さんの生き方を知って、勇気づけられました。柔らかい感性を持った人だけれど、それまでの仕事を全部断って、自分の表現に打ち込むだけの勇気と強さを持った人でもある。僕はけっこうガンコな性格なので、山崎さんから「それでいいんだよ!」と背中を押してもらえたような気がします。
身近なものを被写体に、撮影場所も非常に限られた環境で制作を続けてきた作家が行き着いた場所
世代の異なる二人のアーティストの出会いの瞬間に立ち会うことになった今回の展覧会探訪も、間もなく終わり。展覧会の後半は近年の作品で構成されていますが、特に印象的なのは90年代からスタートした「櫻-EQUIVALENT」シリーズです。
「既存の桜のイメージを映像化するのではない……桜を物語から切り離すには」と考えた山崎は、太陽の逆光を受けてシルエットだけになった桜の花びらや、真っ暗な夜の闇のなかでフォトグラム(光の当たる部分だけが感光する印画紙・フィルムの化学的特徴を利用し、モノのシルエットを写し取る)技法を改良し、桜の影を採集するような実験を繰り返しました。
あらためて山崎の作品展開を見返してみると、太陽や海といったとても身近なものを被写体にしてきたことがわかります。また、撮影場所も西東京や九十九里浜などの関東近郊に限られ、非常に限られた環境で制作を続けてきました。
北極に近いところでは太陽が横に動くという説を知って、それをイメージして作った。というのは展覧会準備中に山崎が担当学芸員に語った、前述の「海をまねる太陽」の創作秘話だそうですが、ここから山崎博というアーティストの思想の一端が感じられる気がします。
高橋:僕は建築家では安藤忠雄やル・コルビュジエが好きなんですが、一般的に言われているようなクールな印象を二人の作品からは感じないんですよ。例えばル・コルビュジエは、水平連続窓やピロティーなどの近代建築五原則を打ち出したサヴォア邸で有名になり、世界中にフォロワーを生み出しました。
高橋:でも彼の晩年のロンシャン礼拝堂は、「本当にコルビジェが考えたものなのか?」って驚くくらい、グニャグニャで有機的な造形なんです。そして終のすみかになった夏の休暇小屋は8畳もない素朴な作りで、その隣にあるアトリエもほんの2畳程度。そこでコルビジェは、上半身裸で気ままに絵を描いて暮らして生涯を終えたんです。
そのどれもが、実際に行ってみるととても心地よく過ごせる空間になっていて、「ああ、コルビジェが求めたものはこれだったんだな」と感じました。山崎さんもル・コルビュジエも、それぞれ写真界と建築界で批判と戦いながら活動してきたと想像するのですが、二人が行き着いたのは、心地よさや柔らかさだったのではないでしょうか。
近作で扱われた桜も、日本人にとってとても身近な花。誰もが共有できる事物を尺度に、自分の目と手が届く場所や物を通して何ができるかを考えたアーティスト。それが山崎博なのかもしれません。
- イベント情報
-
- 総合開館20周年記念
『山崎博 計画と偶然』 -
2017年3月7日(火)~5月10日(水)
会場:東京都 恵比寿 東京都写真美術館
時間:10:00~18:00(木、金曜は20:00まで、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜(5月1日は開館)
料金:一般600円 学生500円 中高生・65歳以上400円
※小学生以下および障害者手帳をお持ちの方とその介護者は無料
※第3水曜は65歳以上無料
- 関連イベント
対談「山崎博をめぐって」 -
2017年4月16日(日)14:00~15:30
出演:
金子隆一(写真史家)
石田哲朗(東京都写真美術館学芸員)
定員:各回50名
会場:東京都写真美術館 1階スタジオ
※当日午前10時より1階総合受付にて整理券を配布します。
※各回とも作家本人の出演予定はございません。
- 総合開館20周年記念
- プロフィール
-
- 髙橋義明 (たかはし よしあき)
-
1989年生まれ。メンズノンノモデル。同世代のアーティスト達とcornestoneというグループで活動をし、葛西に構えるアトリエに併設されたギャラリーでは4月15日からCrossing Factorsという合同展を開催予定。
- 山崎博 (やまざき ひろし)
-
1946年長野県生まれ。1968年日本大学芸術学部を中退。1969年から本格的に写真を始 め、1972年より平行して映画フィルムによる作品制作を始める。1983年長時間露光に よる太陽のシリーズで第33回日本写真協会新人賞を受賞。2001年第26回伊奈信男賞を 受賞。東京造形大学講師、東北芸術工科大学教授を経て2005年から武蔵野美術大学教 授(2017年3月まで)。1974年個展「OBSERVATION」(ガレリア・グラフィカ、東京) 以降、ニコンサロン他での個展、グループ展多数。主な著書『HELIOGRAPHY』(青弓 社、1983年)『水平線採集』(六曜社、1989年)他。
- フィードバック 2
-
新たな発見や感動を得ることはできましたか?
-